姫松高校麻雀部監督代行播磨拳児   作:箱女

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合宿編
08 爆発性ガール


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 雲一つないすっきりとした青空の下を、姫松高校麻雀部を乗せた新幹線が走る。継続的に好成績を残している部であることもあって、申請さえすればほとんど自由に部費を使えるといっても問題はないだろう。そのおかげで合計で十二人分の指定席くらいで頭を悩ませる必要はないのである。別にグリーン車でもよかったのだが、そんなところで無駄遣いをするよりはもっと有用なお金の遣い方というものがある。赤阪郁乃はそういうところを決して見誤らない。それにもかかわらず彼女はそういう部分をとくにアピールするでもなく、むしろ誤魔化しにかかる。それを知ったところで部員たちの実力が上がるわけではないからだ。隣では拳児が寝息を立てている。いかに体力にあふれる男子高校生といえど、ここ最近の彼の頑張り方を見れば当然だろう。毎日慣れない麻雀について勉強してくれているのだから。郁乃はほんの少しだけ拳児のほうを見やって、また手元の小説へと視線を戻した。

 

 トンネルに出たり入ったり高速で流れていく景色を、恭子はなんとなく見ていた。新幹線だとか飛行機に特有のあの小さな窓は、外の景色に作り物めいた印象を与える。汚れひとつない窓はどこか頼りなげに見えて、恭子は試しに指でつついてみるがびくともしない。いつもの末原恭子ならばこんな頭のゆるい行動はとらないだろうが、なにしろ今日は集合時間が早かった。臨海女子との練習を無駄にしたくないという思いからか、朝七時すぎに発車する新幹線に乗るために余裕をもって六時半に駅に集合したのである。だから東京に行くメンバーの大半の頭がまだうすぼんやりとしていた。

 

 恭子が座っているのは三人席の窓際で、隣には漫がいる。さらにその隣には先々のことを見据えてなのだろう、一年生がうつらうつらと舟を漕いでいる。必要以上に緊張しないのはいいことだ。大物なのかもしれないと恭子はやさしく微笑む。

 

 「あれ、末原先輩どうかしたんですか」

 

 「なんでもないよ」

 

 「ポッキー食べます?」

 

 「漫ちゃん朝から元気やなあ」

 

 ごそごそと嬉しそうに鞄を漁る後輩を見て、ちょっとうらやましくなる。恭子はあまり朝に強くないのだ。大阪の人間が朝から全員テンションが高いなどと勘違いしてもらっても困る。

 

 一本だけポッキーを受け取ってぽりぽりとかじる。こういうお菓子はたまに食べるのが大事だ。たまに食べるからこそ美味しく感じるし、何より女子高生は気にしなければならないことがある。麻雀は体を動かす種目ではないからカロリーの消費方法は考えなければならないのだ。隣の席には物憂げな表情で次々と食べ進めていく後輩の姿があった。

 

 「どしたん? 最近ずーっとなんか考えとるやんか」

 

 「えと、播磨先輩にスタイル見直せー、て言われてまして」

 

 「スタイル?」

 

 「やり方次第じゃ主将にも勝てるんやないか、て」

 

 なるほど、と恭子は頷く。どうやら納得のいく話であったようだ。

 

 「でもですね、播磨先輩なんもアドバイスとかくれないんですよ」

 

 「そやなぁ、それは播磨が正しいんとちゃうか」

 

 ちょっと残念そうに漫は口を尖らせる。

 

 「口で言うのは簡単やけどな、漫ちゃん。たぶんそういうことやない」

 

 「そーは言いますけどね……」

 

 視線を前に固定したままどこか不満げに漫はつぶやく。考え方を変えることや新たな何かを手に入れるということは絶大なエネルギーを要する。それはまたある程度の経験を持っているからこそ余計に要求される。だが一方で春休みのあいだに拳児が漫に対して発した言葉も正鵠を射ており、単純に反発しきることもできなかった。

 

 新幹線は車内を揺らすことなくまっすぐ進んでいく。

 

 

―――――

 

 

 

 臨海女子高等学校はその名のとおり、東京都の臨海地区にその校舎を構えている。校風は自由闊達で、進学にも部活動にも力を入れているという特徴を持つ。数多くの部活で優秀な成績を収める臨海女子は世界中から留学生を集める学校として有名であり、麻雀部もその例に漏れない。昨年のインターハイでも団体、個人ともに優勝こそ逃しているもののきちんと決勝には残っており、その実力の高さは折り紙付きである。

 

 

 大きめの鞄を持った制服姿の一団が東京の街を行く。拳児は本来ならこういう集団行動そのものをあまり取らないし、ましてやその集団の先頭を歩くようなことなどない。しかし現在の立場はそれを許してはくれなかった。十一人もの女性陣を従えて歩く不良の姿はそれはそれは奇妙なもので、道行く人々が彼ら一行を避けるようにして歩いたのも仕方のないことと言えるだろう。

 

 やっと見えるようになった校門の辺りに目をやると、背の高い二人の女性が立っているのが見えた。ひとりは白磁の肌に透き通るようなブロンドを持ち、もうひとりは浅黒い肌に力強い黒髪をしている。まだこちらに気付かずに談笑するふたりの立ち姿は実に絵になっていて、人から見られることに慣れているような感じを受ける。そんなことを考えたほんのわずかあとに、校門のふたりはこちらに気付いて歓迎の笑みを浮かべる。どちらかといえば凛々しいといった感じに整っているふたりの笑顔は、同性であってもどきりとするような破壊力を持っていた。

 

 

 「いやしかしマジだったとはね、播磨少年」

 

 「何がスか」

 

 「播磨クンが史上初の男子高校生監督だってことでスヨ」

 

 雀卓のある部室へと向かう道中で、外部から見た自分の立ち位置というものをはじめて拳児は知ることができた。自身の特異な立場とWEEKLY麻雀TODAYのおかげで全国的に注目を浴びていること、その注目を浴びるポイントが物珍しさ以上に監督としての実力のほうに傾いていることなどだ。話の途中で恨みがましい視線を郁乃に送ってみたが彼女はまったく意に介していないようだった。

 

 多くの部活が活躍しているだけあって校門から麻雀部の部室のある棟に行くまでに、実に様々な運動部の施設を見ることができた。体育館のような建物が校内に複数あるのを見るのは拳児にとっては初めての経験である。後ろをついてきている姫松の部員たちも似たような反応をしていた。

 

 「はー、広れーんスね……」

 

 「広過ぎるというのも考えものだけどね。移動が大変なんだよ」

 

 「めちゃめちゃ贅沢な悩みやないですか」

 

 「監督ー、適当言わないでくだサイ。もう着きまスヨー」

 

 「メグはもうちょっとくらい遊び心を持ったほうがいいと思うよ、私は」

 

 大げさにため息をつきながらショートブロンドの監督が毒づく。さらにやれやれと首を振るアクションを加えたあとでふいと拳児たちの方に向きなおり、自己紹介はまとめてあっちでやるから、と軽く片目をつぶった。

 

 

 もちろん日本の高校なのだから日本人がいちばん多いのは当然なのだが、それにしても国際色の豊かな面々が部室には揃っていた。拳児に人種の違いの詳しいことはわからないが、ヨーロッパ系の顔立ちや日本とは異なるアジアの顔立ち、さきほど校門で会った浅黒い肌の女子と監督も含めて考えると一気に世界が開けたような感覚すら覚える。以前に在籍していた高校のおかげでイギリス人とはそれなりに面識があるが、それ以外となるとあまり知り合いも多くないため新鮮な体験と言えるだろう。

 

 名前だけの簡単な自己紹介をそれぞれ終えて、姫松と臨海の部員が二人ずつ入るようなかたちで実戦形式の練習が始まった。

 

 

―――――

 

 

 

 目の前にいるのは、昨年のインターハイ個人戦第三位。その勇姿は自身が思っている以上にくっきりと脳裏に焼き付いていた。新世代の怪物二人がいたあの卓で、それでも最後まで戦い抜くことの意味を上重漫は理解している。あの個人戦決勝卓については様々なかたちで特集が組まれ、多くの議論を呼んだ。そのなかで一定以上の実力者が必ず言及したのが辻垣内智葉が果たした役割についてであった。もちろん結果的には宮永照が連覇を果たしたこともそうだし、荒川憩が一年生にして準優勝に輝いたことも事実ではある。だがもし辻垣内智葉があの場にいなければ麻雀としての形式を保てていたかどうかは定かではない、というのがその通説であった。その、感覚と論理を高次元でまとめた屈指のプレイヤーと漫は卓を囲むことになった。

 

 漫の特性は “爆発” と称される。未だに細かい条件のようなものははっきりとはしないものの、ときおり何かが降りてきたかのようなツキを手にすることがある。傾向としては相手が強ければ強いほどその発生確率は上がる。あくまで確率が上がる、というだけであって格下の相手に発動することももちろんある。だから姫松の部員たちはたいてい爆発状態の漫と打ったことがあって、その理不尽さに呆れるしかないというのが現状である。例外的に愛宕洋榎だけはその状態の漫を恒常的に打ち破れるのだが、そのレベルのプレイヤーとなると全国でも数えるほどしかいないだろう。そして辻垣内智葉は間違いなくそのレベルにあった。

 

 漫は拳児から言われた、洋榎やそれに準ずるプレイヤーに勝つスタイルを何が何でも掴まなければならなかった。自分が勝ちたいと思うこともそうだが、なにより自分の成長はそのまま姫松というチームの成長につながるのだ。これまで先輩方にはお世話になりっぱなしの迷惑かけっぱなしなのだから、こういうところで恩を返さなくて何が後輩か。そう考えている漫にとって、この合宿は大きなチャンスだ。格上のオン・パレードなのだから。

 

 さながら明治や大正の女学生を思わせるような丸メガネと後ろで一束ねにして下げられた黒髪とセーラー服の風貌に、明らかにそれに似つかわしくない鋭く光る眼光。アンバランスであるはずのそれらの要素は、どうしてか均整の取れた美しさを感じさせる。ただ、辻垣内智葉の美しさというのはどこか緊張感を孕んだ刃物のような美しさだ。それは、折れず曲がらずよく切れるという矛盾を技術で成立させている日本刀にさえ例えることができるようなものだった。

 

 ( 呑まれたらアカン。卓についたら対等や )

 

 漫は南家、智葉は西家で局は始まった。漫の配牌はうまく育ってタンピンにドラがひとつつくかどうか、というよく見るパターンのものだった。勢いづけのために和了っておきたいが、下手に動いて他家に刺されるのは避けたい。ここは東東京地区における絶対的な強豪校の臨海女子なのだ。たとえ団体戦のメンバーでなくとも部員の質は高いだろう。行くべきときと退くべきときを見極められなければ簡単にトビかねない、そんな場だ。

 

 上家には姫松でも期待の高い一年生が座っている。郁乃と拳児のふたりのことだ、この夏のインターハイだけでなくさらに先を見据えた育成を考えているのだろう。それは合宿に召集されたメンバーを見てもはっきりしたことだった。彼女が九巡目で牌を曲げる。東発の親なら先手はどうしたって欲しいところだろう。自分の手の高さと親リーに対して突っかかることを天秤にかけて、漫はさっさと降りることを決断する。臨海のふたりも同じような判断をしたらしく、危険牌が切られるようなことはなかった。自摸に恵まれなかったのか、リーチをかけた一年生は和了ることができずに一人だけ聴牌ということで罰符をさらっていった。

 

 一本積んでの漫の配牌は先ほどよりも良いものだった。面子こそ完成しているわけではないが、タンピンに三色までつきそうなきれいな牌姿をしている。漫は少し攻めっ気のほうに比重を置いてその局を進めることにした。

 

 手の進みは悪くない。さすがにすべてが有効牌とはいかないが、それでも十分に入ってくる速度としては早いと言える。七度目の自摸を手牌の上に乗せたとき、なぜか下家のほうが気になった。ちらりと目をやる。つむじを糸で吊られたように背筋が伸びている。顔は河全体を見渡すようにわずかに前に傾いている。雰囲気は泰然としていて、いかにも隙がなさそうだ。実際に漫が智葉を見ていた時間はきわめて短い時間だったが、漫にはなぜか世界がスローに進行していくように感じられた。傾いだ顔がゆっくりと漫のほうへと向けられる。目が合った瞬間、理解した。辻垣内智葉はこの半荘で自分を狙い撃つつもりなのだ。

 

 理の及ばないところでそれを感じ取った漫は、怯えることなく攻めることを選んだ。もちろんのこと相手は自分より何枚も上を行くプレイヤーだ。それでも麻雀という競技は必ずどこかで攻めなければ、和了らなければ勝つことはできない。今、漫は誰に言われるでもなくほんとうの意味でそれを理解していた。

 

 

―――――

 

 

 

 「運がなかったね、あのおでこおっぱい」

 

 「何言ってんだチビ。まだあの卓は東一局じゃねえか、一本場だけどよ」

 

 「チビじゃなくてネリーだよ。さっき自己紹介したよね?」

 

 ともすれば小学生でも通ってしまいそうな幼い見た目をした少女とヒゲグラサンの、どう見ても犯罪的な組み合わせのふたりが呑気に話している。どちらも人見知りをするタイプではないらしく会話に淀みはない。

 

 「わーったからなんでアイツに運がねえのか教えてくれよ」

 

 「だってあの卓にはサトハがいるもん」

 

 「あー……、辻垣内か。スゲーつえーんだっけか、たしか」

 

 「おでこおっぱいもフツーじゃなさそうだけど、サトハがいるとなるとね」

 

 ふたりの視線は卓上に固定されている。どうしてネリーが別の卓についていないのかは拳児にはわからなかったが、それには触れないことにした。

 

 

―――――

 

 

 

 「ロン。5200に一本だ」

 

 凛と澄んだ声が通る。漫がリーチ棒を出そうとしたまさにその瞬間だった。ぱたぱたと倒される手牌は文句なく仕上がっている。智葉に点棒を渡し終えて、やっと漫は違和感に気付く。今の局で辻垣内智葉は()()()()()()()()()()()()()()()

 

 まさか、と漫は首を振る。避けるべきは疑心暗鬼で動けなくなることだ。次局は自身の親番なのだから意識をそこに集中しなければならない。技術だなんだといった部分は相手の方がずっと格上なのだと何度も何度も言い聞かせてきた。勝負するべき場所はそこではない。そうやって覚悟を決めた漫に、さっそく配牌が微笑んだ。

 

 ( おっ、きたきたきたきたーーっ!幸先良すぎやろ、これは勝たなウソやで! )

 

 漫の目がまるでマンガのように輝く。手には既にドラ含みの七八九の三色が出来上がっており、純チャンを仕上げるときに厄介になりがちな雀頭のタネまでも入っている。ほとんど冗談のような配牌だが、それを現実にやってみせるのが上重漫というプレイヤーなのだ。こうなってしまえば自摸も偏りを見せる。百発百中というわけにはいかないが、それでも信じがたいレベルで有効牌を引いていく。このとき、漫にはある確信めいたものがあった。次の自摸で聴牌、そしてその次の自摸で和了だと。別に未来予知でもなんでもない、ただそう思うというだけのものではあったが。

 

 ただ、実際にはそれは現実となることはなかった。漫は次の自摸牌に手を伸ばすことさえできなかったのだから。上家に座る姫松の一年生の捨て牌に智葉がロンを宣言したのだ。

 

 それは火のついた導火線を途中で切り落としてしまうかのような、可能性を根っこから奪うような和了だった。論理的に言うのならばこれほど単純な話もない。誰かの和了りが怖ければ先に和了ってしまえばよい。だが誰がそれを実行に移せるというのか。辻垣内智葉は、上重漫の信条と言ってもいい絶対的な火力に対して、たった二度の和了 (それもひとつは漫が振り込んだわけでもない) でこれ以上なく明快な回答をしてみせたのだ。その意味するところがわからないほど漫も鈍くはできていなかった。

 

 時には他家に差し込むことで、時には自身で和了ることで智葉は漫に一度も和了らせることなく半荘を閉じてみせた。それは人によっては一方的に映ったかもしれない。しかし当人はそう取ってはいないようだった。自分の手のひらをじっと見つめて、小声でなにかを呟く。そうして顔を上げて智葉のほうへずんずんと歩を進めていく。

 

 「辻垣内さん、ほんまありがとうございました!おかげで何か掴めそうな気がします!」

 

 「……礼を言われるようなことをした覚えはないぞ?」

 

 「それでもです。あの、帰る前にもっかいお願いしてもええですか?」

 

 「四日もあるんだ、一度と言わず何度でも来るといい」

 

 そう言うと智葉は小さく笑んだ。口の端をほんの少しだけ上げた小さなものだ。それでもそれは対局中の表情とはあまりにもギャップがあり過ぎて、漫はちょっとびっくりした。

 

 

 

 ( そやんな、強い人とやるん考えたらスピード意識せんとあかんよな )

 

 顎に手をやってひとりで反省を行う。その顔つきはいつになく真剣で、それだけで今回の対局の収穫の大きさがうかがい知れる。

 

 ( ……ある程度は火力も犠牲にして和了を取ることも考えたほうがええんかな )

 

 部屋の隅のごく狭い範囲をうろうろしながら、自身の特性の応用について考えている漫がはたと立ち止まった。

 

 ( 播磨先輩が言うてたスタイルてこれやったんかな……。なんで教えてくれへんかったんやろ )

 

 漫がその答えを自力で導くのは、もう少し先の話である。

 

 

 

 

 

 

 


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