姫松高校麻雀部監督代行播磨拳児   作:箱女

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80 いろんな限界

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 「そういえば元主将から見て漫ちゃんはどうです? うまくやってますか?」

 

 「んー、漫はアレ播磨と組んだら意外とええ主将になるで。人柄っちゅーんかな、あるわ」

 

 「まあ自分が引っ張るーいうタイプちゃうしね」

 

 「周りの二年もいろいろフォロー回っとるしな。もうだいたいのカタチできてんちゃうんかな」

 

 由子の近くの席の椅子を勝手に拝借して、由子の机の上に弁当を広げた三人が楽しそうに声を弾ませる。引退したとはいえ目をかけた後輩たちが頑張っている部のことが気にならないわけがなく、また後輩から話自体は聞いているにしても洋榎という特殊な立ち位置にいる存在から話を聞ける状況にあれば誰だって聞きたくなろうというものだ。もちろん拳児に尋ねてみてもいいのだが、そこには付き合いの長さ深さというものもある。わけのわからない回答が返ってくる可能性も含めて考えれば洋榎を相手に選ぶのは自然な判断だろう。

 

 「実力のほうはどう?」

 

 「今は一年が追い上げる時期やしな、まだまだ足らんけど面白くはなる思うわ」

 

 「誰か特別伸びてきてる子とかいてます?」

 

 「……あー、マルとかこのままいけば結構な戦力になる気もするけどな、どやろな」

 

 ああ、マルちゃん、と納得したような声が二人ぶん重なる。どちらも、というより洋榎も含めればどうやら三人ともが目をつけていたらしいことが窺える。さすがに名門の名を冠するだけあって人材に窮するというようなことはなさそうだ。ついでに言えば今年のインハイ優勝が宣伝になって有望な新入生が集まる目算も例年よりはわずかながらに立つのだからなおさらである。

 

 ときおりお弁当を食べるためだけの言葉のない時間があって、気が付けばしゃべるための時間に切り替わっている。なんとも不思議な話だが、彼女たちはそれを何の合図もなしに当然のようにやってのける。いっしょに過ごした時間の力は馬鹿にできないらしい。

 

 彼女たちのお昼の雑談はそれこそどこにでもいる女子高生のように話題がころころ転がって、いったんは麻雀などまったく関係のないような地点まで流れたあとに、いまひとつ経緯がわからないが再び話題が麻雀へと戻ってきた。年齢で見ればもう半生以上の付き合いになる競技であることを考えれば、ひょっとしたらその話題は彼女たちにとっては安心感をさえ覚えるものなのかもしれない。身近なものどころか生活の一部と言ってしまってもそれほど反発はないだろう。

 

 「そういえばプロ入りするんやったらそろそろチームに挨拶とかあるんちゃいます?」

 

 「毎年この時期ちょくちょくニュースで見たりするのよー」

 

 「それ聞く? どうでもいいむっちゃ微妙な問題抱えてんねんけど」

 

 「何ですその変な言い回し」

 

 言葉通りに本当に微妙な顔つきを浮かべた洋榎を見て、恭子と由子の二人は表情を普段通りのものからきょとんとしたものに変えざるを得なくなっていた。プロの道を考えていない二人にとってはその辺りの事情はまるでわからず、ただどちらかといえば華やかな印象を抱いてはいたために “問題” などという単語が出て来るとはまったく想定していなかったのだ。加えるならその単語にくっついている言葉も彼女たちの理解を余計に邪魔していた。

 

 「いやまあ北海道行くねんけどな、ヒコーキで」

 

 「いつ行くの?」

 

 「来週の火曜。ビックリしたわ、平日て」

 

 「向こうも休日に呼びたくないんちゃいます? うちらもまあ自由登校みたいなもんですし」

 

 「それでどこに微妙な問題があるの?」

 

 こっそり話を逸らそうとしていたのがアテを外してしまったようで、諦めたように洋榎は乾いた笑いを机の上に零した。恭子と由子はそれを見て目を見合わせ、いっしょに首を傾げた。どれだけ記憶の棚を漁ったところで目の前のポニーテールの少女のこんな様子は出て来ない。そんな姿などそもそも見たことがないのだから。彼女の言う問題がよほど酷いものなのかとも考えたが、洋榎自身がどうでもいいという前置きをしている。輪をかけてわからなくなったこともあって二人は黙って洋榎のほうに視線をやり、彼女が話し出すのを待った。

 

 「……だからな、行くねん。北海道」

 

 「それで?」

 

 いつの間にかすっかり箸まで置いて聞く態勢に入っている。

 

 「平日なのもええし、寒いのもまあええわ。でもな」

 

 「でも?」

 

 「播磨のやつがついてくんねん」

 

 聞いた途端に二人ともが顔を背けて、同時に口から多量の空気を噴き出した。笑うというよりはまったく予想外の発言に我慢ができなくなったという側面のほうが強そうだ。なんだか楽しそうな、かつ若干いやらしい目をしながら視線を洋榎へと戻す。当の彼女はどこか遠い目をしている。すると三人ともが突然にお弁当を食べ始めた。一瞬のうちに全員が理解したのだ、この後に始まる話以上に優先されるべきことなどないのだと。余分な要素でしかない食事などさっさと終わらせて全神経をそこに注ぎ込むべきなのだと。

 

 弁当箱もすっかり片付けて、審問の準備は整った。洋榎と由子の座っていた席を交換して二人で挟む位置関係にするほどなのだから気合の入りようが窺える。洋榎がどうしてそれに従ったのかはわからない。ごほん、とあからさまな作り物の咳ばらいを由子がひとつ入れる。

 

 「それではまず、被告と播磨はふたりで北海道に行くのかね?」

 

 「……間違いありません」

 

 「経緯の説明を」

 

 「そんな! 私は何もしていません! コーチが一方的に……っ」

 

 普段の口調を崩してまで始まった審問はどうやらノリノリな感じで進行していくらしい。正しい審問の意味など誰も把握はしていないがそんなことは知ったことではなさそうだ。問題を抱えているはずの洋榎が楽しそうに参加しているところを見ると、本当にその問題がどうでもいいものであることがわかる。あるいはその楽しそうなノリのうちの何パーセントかに諦めの成分が含まれているのかもしれないが、それこそどうでもいいことに違いない。いまさら何を言ったところで拳児が北海道に同行することは決定事項なのだから。

 

 「被告は播磨との北海道旅行が決まったときにガッツポーズをとったりは?」

 

 「まさか! むしろ行く考えを改めるよう説得さえしたというのに!」

 

 結果として洋榎の説得は拳児に対しても郁乃に対しても失敗に終わってはいるが試みたのは事実である。しかし論争を仕掛けたところで高校生が郁乃に勝てるはずはなく、同時に行くと決めた拳児の考えを変えるのも相当に難しい。ある種の無謀な挑戦であることは否めず、そこを理解しているからこそ由子も恭子も何も考えずに洋榎の言葉に突っ込んでいくような真似はしなかった。

 

 周囲に目を向けてみると、クラスメイトたちはクラスメイトたちでそれぞれが勝手に島を作ってお弁当を食べたりあるいは食堂に向かっているようで、とくに三人組の話に興味を示しているわけではなさそうだ。もし彼女たちの会話が耳に入るとしてもほとんどが断片的で意味を成さない単語だろう。もともと麻雀部に所属していた三人から播磨なんて名前がいまさら聞こえてきたとしてもとくに誰も驚くこともない。せいぜい周りが思うのは、今日も楽しそうにやってるなあ、といった程度のものだ。

 

 「真瀬裁判長、よろしいでしょうか」

 

 「発言を認めます」

 

 「被告と播磨の北海道旅行ですが、泊まりがけですか?」

 

 「んなワケあるかァ! 朝バーッと行って夕方には帰ってくるわ!」

 

 「えー、もうノリ崩しちゃうのよー?」

 

 「アホなこと言われとったらそら崩すに決まっとるやろ! いちおう女子高生やねんぞ!」

 

 身内のおふざけとはいえここまで来るとさすがに恥じらいが勝ったらしい。暴れ出しこそしないものの、精神状態がいつも通りでないのは明白だ。正直なところ、まだ本人にも整理がついていないのだろう。

 

 洋榎の言う “アホなこと” を問うた恭子は返答をもらって興味を失ったのか、いつの間にかスマホをいじり始めていた。真面目な彼女の対応としてはまず見られることのないもので、彼女をよく知る二人からすれば衝撃的ですらあった。恭子がスマホを操作する場面は本来の携帯電話として使用するか、あるいはなにか調べ物をするかのどちらかしかあり得ない。さも時間潰しかのように手元に視線を送る恭子の姿はかつてない存在感を持ってそこにあった。

 

 「……え、えーと、ぶっちゃけ北海道行って何するの?」

 

 「ん、あー、エラい人との顔合わせやな。なんか写真とか撮るんやと」

 

 「それやったら播磨が呼ばれるのは納得な気もするのよー。絶対に話題にはなるし」

 

 「そのせいか知らんけど契約のハナシはまた別や言うてたわ、面倒ちゃんやなほんま」

 

 「でも実際そんなもんやと思うのよー。契約は契約できっちりやらなあかんもん」

 

 まだその世界に飛び込んでもいないのに辟易としたような表情を浮かべる洋榎を由子は楽しそうに眺めていた。

 

 「裁判長、よろしいでしょうか」

 

 「あ、恭子はまだそのノリ続くのね? 発言を認めます」

 

 「調べたところ、天気予報では来週の火曜は大雪だと」

 

 「火曜にヒコーキ飛ばれへんようになっても別の日に振り替えるだけやん」

 

 「大阪ちゃいます。北海道のほうです。それも午後です」

 

 そこまで聞いて由子が再び噴き出した。洋榎はただぽかんとしている。なるほど恭子がとっさにスマホをいじり出したのはどうやら調べ物をするためだったらしい。それも内容が北海道の天気予報となればかなりイメージのはっきりした調べものだと言えそうだ。その行動がちいさな期待からだったのか、それとも愛宕洋榎と播磨拳児というとにかくなんらかの星の下に生まれてしまったふたりが共に行動するとなれば何かが起きるという確信があったからなのかはわからない。

 

 「あ! それ北海道から帰ってこられんなるやつやん!」

 

 「これ泊まりで決まりちゃいます?」

 

 「いやいや言うても来週の予報やろ? そうそう当たらんて」

 

 「まあ、お天気の話はどうしてもね、難しいところがあるのよー」

 

 

―――――

 

 

 

 「なんでいつもの学校行く時間に家出なあかんねん。なんやったらちょっと早いくらいやん」

 

 わざとらしくあくびをしながら適当な不満を投げる。もちろん隣には拳児が立っている。この監督代行の得意なことに早起きが入っているかは洋榎の知ったところではないが、苦手にしていたところでどうせ底の知れない体力にものを言わせてどうにかするのだろうと思っている。そういえば体育の授業でも本気で息を切らせている姿を見たことがないような気もするな、と思ってちらりと拳児のほうへ目をやった。もともと洋榎自身が大きいわけではないが、それを抜きにしたって播磨拳児は大きい。骨格のレベルでのことでもあるし、しばらく前の水泳の授業のことを思い出しても肉体としての意味合いでまるでサイズが違っていたことがはっきりと脳裏に甦る。そんなほとんど別種にさえ思える生き物が隣にいることが、洋榎にはだんだん奇妙なことに思えてきた。

 

 「どんなに遅くても離陸の一時間前には空港に着いてろって言われてんだから仕方ねーだろ」

 

 ただ前方を見て電車を待ちながら拳児が返す。もうすっかり空気は冬のもので、吐く息は白く、肌に触れる外気は冷たくとがっている。学校ではまだ学ランとカーディガンで済ませている拳児が分厚い生地のジャケットを羽織っている。これから行くところを考えれば当然ではあるのだが。

 

 わかりきっている正論をいちいち返してくれる辺り、とくに機嫌が悪いということはないのだろうと洋榎は思っている。本格的に機嫌が悪くなった場面に出くわしたことがあるわけではないが、おそらく積極的に近づきたくはならなくなりそうだ。そう考えるとひょっとしたらこの男は意外とおおらかな人柄をしていると言えるのではないかと考えて、洋榎は誰に向けるともなく苦笑した。言葉の大事な根幹が崩れてしまいそうだ。

 

 「……お前もそんなジャケットみたいなん持っとったんやなあ」

 

 「赤阪サンにさんざん言われておととい買ったんだよ、さすがに上着なしはやめろってよ」

 

 「ほーん、やっぱそんだけ寒いんかな」

 

 「行ったコトねーから知らねー」

 

 そんなことを話していると空港へと向かう電車がホームへ着いて、二人は黙って電車に乗り込んだ。どうやら平日の朝から空港に用がある人はそれほど多くはないようで、満員電車でよそから文句をつけられるような事態にはなりそうもない。日帰りとはいえ遠出をするための最低限の荷物を持った洋榎と拳児からすればありがたい話だった。

 

 

 日本国内の大阪と北海道という旅客機からすればそれほどでもない距離の便ということもあって、離陸から時間を置かずに二人が乗った飛行機は安定飛行に入った。どちらも飛行機特有の体調不良に襲われることもなく、静かにシートに設置された液晶を眺めたりなどしていた。

 

 「いやー、しかしアレやな、離陸の一時間前に着いといてほんまよかったな」

 

 「ほっとんどオメーひとりの問題だったじゃねーか」

 

 「搭乗口がどれも似とるんがちょこっとだけあかんかったわ、でも意外と空港て楽しいねんな」

 

 「……お前あしたガッコで絶対に真瀬にバラしてやるからな」

 

 「ほんま迷子になってすいませんでした」

 

 向き直ることなくそのまま前に頭を下げて済ませる。拳児が謝罪を求めていないことなどわかりきったことだし、真面目に怒ってなどいないことも当たり前すぎてそもそも洋榎の頭には浮かんですらこない。だからそんな適当なアクションでじゅうぶんだった。その証拠に隣の男は追撃を加えてくるわけでもない。まったく関係のないことだが、それにしても機内でサングラスはいろいろと大丈夫なのだろうかと思い至って、洋榎はまた服装のほうに思考をシフトしていった。

 

 「な、制服でヒコーキて修学旅行みたいな感じせーへん? 人数足りんけど」

 

 「あー、まあ、わからなくもねーな」

 

 「うちら沖縄やったんやけど、播磨はどこやった?」

 

 なんだかよくわからない思い出のひとつに分類される去年の修学旅行のことを思い出して、拳児はサングラスの奥で遠い目をしていた。多くの偶然が重なり合った結果、箇条書きにすれば最高にわけのわからない事態になったことは彼の記憶に新しい。イギリス人と正面切って殴り合うなど、おそらくこれから先の人生で二度とない体験に違いない。

 

 「京都だ。なんだか知らねーが急に行き先が変更になったとか聞いたな」

 

 「近っ! お隣さんやん」

 

 「まあそんな感じだから飛行機乗るのは初めてでよ、ちょうどいい練習になりそうだぜ」

 

 「はっは、何の練習やねん」

 

 緊張感もなければ気を遣うこともないどこまでも日常的な会話だった。二人の座席の位置からは離れている窓の向こうでは、眼下に白い雲が流れている。見渡せる限りの雲の海は、ずっと眺めていたら気分が悪くなりそうなほどにひとつの色しか存在していなかった。しかし窓から見える遠くにはその雲海より高い位置にも縦に伸びる雲がひとつだけ浮かんでいた。どうやら雲というものも一律の高さに限界高度というものを備えてはいないらしい。ただ、どう見ても雨が降るのにじゅうぶんな量を持ってはいないようだった。雨さえ降らない空というのもいまひとつ想像しにくいが、現実問題として飛行機はそんな環境を飛んでいた。

 

 

―――――

 

 

 

 「寒っっっっ!! さっっっむ!!!」

 

 空港の建物から出ての洋榎の一言めがそれだった。大仰な反応を見せているようにも思えるが、拳児が口を出していないところを見るとすくなくとも大げさではないらしい。いつもであれば肩で風を切るように歩く拳児がきゅっと肩を竦めている。まるで誰かに叱られているかのようにも見えるその姿は、ヒゲとサングラスがその滑稽さをより際立たせていた。とはいえ二人がそのような反応をするのも仕方がないほどに北海道の地は寒かった。道東や道北に行けばより厳しい環境であるのも事実だが、本州は大阪の地からやってきた二人には千歳の外気も相当に堪えるのである。そもそも平均気温の水準からして違うのだ。

 

 「おい愛宕、さっさと駅行くぞ、いつまでもこんな寒みートコいられるか」

 

 「え、でも駅どこ? それっぽいの見当たらんような気ぃすんねんけど」

 

 このあと二人はしばらく外をうろうろと歩き回って結局自力で駅を見つけることができず、道行く人に尋ねてターミナルビルの地下に駅があることを初めて知るのだが、それはまた別のお話。

 

 

 帰りの電車に乗った拳児と洋榎が同時に大きなため息をつく。二人の顔に浮かんでいるのは緊張による疲労というよりも、いまいち意味のわからない儀式がやっと終わったことに対しての安堵の表情だった。洋榎からすれば早く練習に混ざりたいところをそれは叶わずチーム代表との話に終始したこと、拳児からすれば先方の話にただ相槌を打って気が付けば洋榎とセットで写真を撮られるハメになっていたことは日常生活に比して普段とは違う精神的な部分の極度の疲労を伴うものだった。電車の窓の外に見える空はいつの間にか厚い雲が出張ってきており、それはどこか二人のうんざりした気分を象徴しているようにも見えた。

 

 予約してある帰りの飛行機のシートは時間的余裕を見積もって取ったため、ターミナルビルに着いてからある程度は待たなければならないようだった。しかしもちろん空港とはそういった事情を前提とした施設なのだから、待つという行為に対する解決策をいくつも用意してくれている。とはいえ何とも言いがたい精神的疲労を背負った二人にそれらが効果的かと問われれば、素直に首肯するのは難しい。ロビーの椅子に座ってただ時間が過ぎるのを待っているほうが、拳児と洋榎にはずっと心が安らぐ選択肢だった。

 

 「なー、播磨」

 

 「ンだ」

 

 「……大人の世界って思っとったよりも大変なんやな」

 

 「今回ばかりは同情してやるぜ」

 

 それっきり二人は黙り込んでしまった。お互いに話す必要を認めなかった。楽しい話で気を紛らわせるような気分でもなかったし、その楽しい話を頭の奥からひねり出す気力もなかった。ただロビーの暖かい空気に抱かれて、帰りの飛行機に乗る時間を待ち続けた。ロビーの椅子は飛び抜けて座り心地が良いというわけでもなかったが、環境的条件や疲れの具合が重なって、いつしか洋榎は眠りについてしまった。

 

 

―――――

 

 

 

 音声としてのかたちを成さない意識の覚醒に伴ったうめき声は、幸運にも隣に座っている拳児には聞こえなかったようだった。はじめだけゆっくり、ついでぱっと視界がクリアになって洋榎は眩しさを意識した。まだどこか霞がかかった頭で状況を整理する。ひと通り整理をしてみたものの、いま意識している眩しさには疑問が残った。光が人工的なものなのだ。いきなりぱちんと弾けるようにいつもの働きを取り戻した頭が、目の前に広がるガラス越しの外の景色を理解しようとして高速回転を始める。いつの間にか体にかけられていた毛布にも気付かず、目を見開いたまま眼前の音さえ聞き取れそうな大荒れの天気に言葉を失っていた。

 

 「う、……っそやろ」

 

 風の向きがこちらへ向いていないのかガラス窓には雪が付着しておらず、そのため向こうの風景を見渡せなくなるようなことはなかった。ただ、その向こうの風景では思いきり濃くした灰色の下で大きな白い塊がとんでもない速度で降りしきっている。あるいは降るというよりもテレビ画面の砂嵐の配色を逆にしたように高密度で移動しているように見えたと表現したほうが近いかもしれない。一目でわかる。こんな天候の下、飛行機が飛ぶわけがない。

 

 「オウ、起きたか。ま、見ての通りだ」

 

 まったく参ったぜ、とため息まじりに拳児が呟くのを聞いて、洋榎は状況を完全に理解した。

 

 

 

 

 

 

 

 


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