姫松高校麻雀部監督代行播磨拳児   作:箱女

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83 高校生デイズ

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 観察のためか気を利かせたのかはよくわからないが、二人が大阪に戻ってきてからの一日、つまり木曜は誰も拳児と洋榎に厄介な話題を持ち掛けてくる輩はいなかった。まったく誰も匂わせすらしないものだから、うっかりすればそれこそ二人が休んだ日がたまたま重なっただけで、北海道に行く用事などなかったと間違えてしまいそうになるほどに。当然ながら当事者からしてみればそのことはずいぶん気楽なことで、もしかすると感謝の気持ちさえ抱いているかもしれない。冷静に考えれば片方はそんなことで感謝などしないだろうことは簡単に想像がつくのだが。

 

 さすがに北国とは比べるまでもないものの、しっかりと冷え込んだ大阪の朝は学生社会人問わずに上着を着て行こうと思わせるのにじゅうぶんだった。十二月も半ば近くまで来れば日によっては真冬のそれと差はなくなる。北から吹く風は身を切るように冷たく、道行く人を見れば耳や鼻を赤くして身を縮こまらせていた。

 

 今となっては逆に貴重かもしれないが、姫松高校の教室には暖房器具がひとつとして備えられておらず、とくに寒さが直接ダメージになりやすい女子の多くはブランケットが手放せなくなっていた。担任の方針もあって席替えをしないせいで拳児の席は変わることなくいちばん後ろで、そこから見えるずいぶんとカラフルなひざ掛けの並ぶその光景はひどくミスマッチのように感じられた。ひょっとしたら授業を自主的に休んでいるクラスメイトが増えてきたのもそれに拍車をかけているのかもしれない。

 

 

 二時間目の古典の授業が終わっての十分休み、次の授業も教室は変わらない。ロッカーに教科書やらノートやらの類をすべて放り込んである拳児が古典を片付けて数学の教科書を持って座席に戻ってくると、そこには部活でも教室でも見慣れた三人が集まっていた。部活が終わっても継続的につるんでいるあたり本当に仲が良いのだろう、と拳児は判断している。しかし彼女たちの仲が良いことは結構だが、そのちょっかいの矛先が自分に飛んで来たりすることがあるのでそこは勘弁してほしいとも思っている。自身の隣の由子の席に集まっていること自体にはもはや何の感想を抱くこともなく、拳児は出しっぱなしにしておいた椅子に腰かける。

 

 洋榎も恭子も拳児が戻ってきたからといって即座に話を振るようなことはしない。もともとが話好きではないことはきちんと知っているし、それよりは三人のあいだで進んでいた話を続けることのほうが重要であると考えているのだろう。そう考えるのは自然というか、健康的とさえ言える。もちろん隣で話されている内容に拳児は毛ほども興味を抱かない。余計なことをシャットアウトできるような耳を持たなければやっていけないような環境に長いあいだ身を置いていたおかげで、拳児は意図的に “聞かない” という技術を身に付けていたりもするのだが、そんなことは誰にも知りようのないことだ。周囲の目から見れば、ただ単に隣で女子が楽しそうに話をしているのにそれに興味を払わないという不思議な男の姿にしか映らないだろう。しかしそんな光景がゴールデンウィークを過ぎたあたりから当たり前に見られるようになったのだからそれこそ不思議な話なのかもしれない。

 

 どうして毎回わざわざ自分の席の隣に集まるのかという疑問を拳児も持ったことがあるが、結局は答えの出ないことだと途中で謎を追うのを放棄した。理由は言うまでもなく由子がそこに座っているからなのだが、他にも最後部の座席は集まりやすいだとか由子のキャラ的な立ち位置であるとかいくつかの要因が絡んでいるのである。そのうちの一つに拳児にちょっかいをかけやすいというのもあるのだが、悲しいかな本人はそれには気が付いていない。隣の会話もひと段落ついたのか、拳児に矛先が向いた。

 

 「なー播磨ー、播磨からも言うたってや、北海道マジでシャレならん寒さやったって」

 

 「あァ?」

 

 「きょーこもゆーこも行ってへんからからわからんねん。な、寒かったやんなぁ」

 

 「いやまあ寒かったけどよ、どうでもよくねえか」

 

 話題の軽さの割には助けを求めるような目をして洋榎が言葉を投げかけてくる。実際どこへ行ったって高校生の会話などくだらないものが多くを占めているものだ。たとえ拳児があまり話をしないとはいっても耳にするのはほとんどがそういったものであった。そういう意味では耳慣れた内容であるとも言える。

 

 「ここは播磨も乗ったらなダメなとこちゃうの」

 

 「なんでだよ、実際どうでもいいことじゃねーか。別にオメーら北海道行かねーだろ」

 

 「せやけどほっとくとこの子面倒なことなるからな?」

 

 本人が目の前にいるというのに視線で示してあまりうれしくない人物評を恭子が下す。仲の良さから来る扱いだということはよくわかっているが、そういったポジションそのものに拳児はわずかばかり同情した。とはいえ彼自身も洋榎を放っておいたときの面倒さは体験して知っているため、洋榎本人には砂粒一つほども同情するつもりはなかった。日頃の行いがものを言う場面というやつだろう。現に当の本人はどう見ても真剣さのかけらもない適当な怒り方をしている。

 

 とくに気を払うことなく洋榎をいなしながら、拳児は自分の北海道の感想を口にした。プロへ行くという大きな枠組みのなかで呼ばれた洋榎とは違い、ある種添え物としてついて行った拳児は彼女に比べてフリーな時間もいくらかあった。もちろん遠出するわけにはいかず、ちょっと街を散策する程度のものだったが、その感想として初めに出てくるのはやはり寒いというものだった。根本的に空気の質が違うのか、冷たさが喉を通り越して肺まで届いたような気がしたというのは単に指先や顔が冷えたことよりも拳児に寒さを実感させた。

 

 「はーん。そら難儀やったなあ」

 

 「難儀いうたら空港で一晩明かすのもけっこうなもんやと思うのよー」

 

 昨日の一日で他の誰もが踏み込まなかったというなら、今日この日に踏み込めるのはこの二人を措いて他にない。本来なら部以外には広まる必要のない情報とはいっても高校生の情報網に引っかからないはずがない。どこがどうつながっているかを把握しきっている者など一人としていないと言い切れるほどにそれは巨大で複雑化しているのだ。誰もが拳児にしろ洋榎にしろどちらかの動向を気にかけていたに違いない。しかし誰にも踏み込めない。相手を考えれば仕方のないところだ。普通に言葉を交わすことができたとしても、その一歩先が周りの人間にはあまりにも遠い。空港、という単語は出すだけで開戦の合図に等しいものだった。

 

 「まあ外にほっぽり出されるよりゃマシだが、気の利いてねえ連中だとは思ったな」

 

 「なんや意外と堪えてないみたいな言い方やんか」

 

 「あの程度なんでもねえよ、よほどヒデーのならいくらでも経験済みだ」

 

 「あ、その話はええのよー」

 

 聞きたくない単語がごろごろ出てきかねない話題はさっさと切るに限る。他の知り合いならいざ知らず、播磨拳児の言うひどい経験などおそらく別世界の出来事並みに理解が及ばないだろうから。いま由子と恭子がしたいのはこちらの世界の笑える話であって他ではない。彼女たちからすればたしかに播磨拳児は姫松に馴染んだと胸を張って言うことができるが、いくらなんでも彼の過去を書き換えられるわけではない。姫松以前の拳児などどのみちヤバかったに違いない、というのが麻雀部どころか姫松高校に通う生徒全体の総意ですらある。だからそこには蓋をして絶対に覗き込まないことを決めている。それが賢い選択というものだろう。

 

 いくつか質問してみると、拳児も洋榎も空港の様子を素直に教えてくれた。競技の性格もあって洋榎が記憶力に優れているのは二人も知っていたが、拳児のどこから来るのかわからない細かな観察眼には驚いた。実際インターハイで対戦相手のクセを見抜いたりしたこともあったのだが、どうやらそれは忘れられてしまったようである。拳児の目がどうして細かいところまで届くのかと問われれば、それはやはり高校二年生の一年間によるものとしか言いようがない。何の因果かマンガを描くことにのめり込んだ拳児は、その修行の過程で背景やら人物の微細な動きに敏感になったのだが、マンガに関しては基本的に秘密であるため知っている人物はほとんどいない。つまるところ、その観察眼はただの意外な特徴に収まってしまうのである。それにバラしたところで理解されにくい冗談として処理されてしまうのがオチだろう。

 

 「聞いてるとそれほど過ごしにくかったようには聞こえへんけど、どやったの?」

 

 「んなモン寝床がねーんだから比べるまでもねえ」

 

 「あー、播磨ってひょっとして意外と神経質やったり? 枕変わるとダメとか」

 

 「なるほど、それで寝えへんとか言うとったんかジブン」

 

 アホか、と拳児が否定するすぐそばで由子と恭子が目を見合わせる。初めからその辺りのことをそこそこいじるつもりだったが、まさか自ら火種を投げ込んでくるとは思っていなかったからだ。何があったにしてもなかったにしても、空港での顛末など話したがらないだろう。当事者が揃っていることも踏まえると、高校生なら多くが同じ判断をするはずだ。

 

 目を見合わせて一秒も経たないうちにふたりが同時に、あ、とぽかんと開いた口から間抜けな声を漏らす。それはまるで家を出て五分以上経ってから鍵をかけ忘れたことをはっきりと思い出したかのような有様だった。麻雀部に長く身を置き彼女の背中を見続けた影響か、洋榎の普段の振る舞いが頭から抜け落ちてしまっていたのかもしれない。

 

 「えっちょっ播磨、それもうちょっと詳しく」

 

 「別に一日完徹くらい変なことでもねーだろ、こいつはグースカ寝てたけどよ」

 

 「そこは言う必要ないやろ!?」

 

 ほとんど反射のレベルでツッコミを入れるも今の話の向きには即していない。

 

 「え、ヒロがガン寝してる横でずっと起きてたの?」

 

 「荷物取られても厄介だろーが」

 

 「主将、そんなん隣に置いといてスヤスヤて」

 

 「しゃあないやろ! 思てるよりしんどかったんやからな!?」

 

 ひとりだけ語勢が強くなってもそれはいつもの風景と変わりなかった。大阪の高校での一場面と考えればあまりにも自然すぎて、むしろ埋没してしまいそうだと思えるくらいに当たり前のものだった。わざわざこんなところに部活のことや肩書のことを持ち出すのは無粋というものだろう。授業の合間の休み時間などどうせどこでだって同じような光景が見られるに違いない。その意味で四人はこの瞬間、完全にただの高校生だった。

 

 その後もすこしだけ決して真剣には怒らない範囲での洋榎いじりは続いた。距離感の把握はさすがの年季と言うべきか、いじられる側も半ばわかってやっているようなフシがある。そうなると拳児が置物になりそうだが、話題からいってそうなることはあり得なかった。拳児にいじるという意識はなく、ただ話を振られた際に素直に返していただけだったのだがそれがちょくちょく洋榎にダメージとして入っていた。しかしそんなことは彼の知ったことではなかった。

 

 

―――――

 

 

 

 「あ、ねえ播磨」

 

 「あ?」

 

 「あなたお正月ってヒマ?」

 

 「……いや、何も考えてねェな」

 

 六時間目の授業も終わって残すところはホームルームだけの、またちょっとした空白の時間に不意に由子が話しかける。周りは周りでざわついている。内容自体は春のころの呑気なものに比べて予備校だ模試だと方向性が絞られたように感じられる。とはいっても悲惨な雰囲気を出すものは一人としてなく、実情はどうだかわからないが、せめてもの配慮として誰もが空気を読むことを選択しているのだろう。たとえば隣の組がどうなっているかはわからないが、とにかく暗くなるよりはマシだろうと拳児は思っている。

 

 「だったら初詣行かない? ヒロと恭子と」

 

 「別に構やしねえがオメーら三人で行きゃあいいじゃねえか」

 

 「あら、あんな人がわんさか来るところにか弱い女の子三人だけで行かせるつもり?」

 

 「…………前にもどっかで聞いたことある気がすんぜ、それ」

 

 からかうように由子が薄く笑う。これで決まりだ。拳児は面白くなさそうに軽く舌打ちをした。拳児も由子を相手に言葉のやり取りで勝てるとは初めから考えていないが、どうにも決着がつくのが早すぎて不満なのだろう。なんというか、完全に子ども扱いをされている感がある。ほか二人からは決してそんな印象は受けることはないのだが、それが当然のことなのか不思議なことなのかもよくわからなくなってくる。そういった意味で言えばたしかに拳児は由子の相手をするのが苦手だった。

 

 拳児はクセなのか両手をポケットに突っ込んだまま、椅子の背に思い切りよりかかって座っている。どうせ教室を出るまでにちょっと間を取るのがいつものことなのだから移動の準備などはまったくしていない。そうでなくてもカバンなんかは基本的に教科書が入るようなことはなく、荷物が入っている時でもせいぜい筆箱とルーズリーフ程度でスカスカなのだ。

 

 「それにほら、監督なんだし部のために神頼みもしなくちゃじゃない?」

 

 「ガラじゃねえし信じてもねえよ。ついてってはやるから神頼みはオメーらでやんな」

 

 「そ。まあ本人がそう言うならそれでいいのよー」

 

 「……ああそうか、オメーと末原は受験あんのか」

 

 「まあね。正月くらい息抜きしておかないとやってられないのよー」

 

 よくよく見てみると由子の顔が夏の頃に比べてすこしやつれたような気もした。たしかに全力で勉強するのは意外に疲れるものだと拳児でも知っている。それを継続的に頑張るというのはなかなか大変そうにも思えて、珍しく感心した。拳児から見て頭の良い由子であってもそれだけ努力しなければならないのだから、受験というものはなるほど厳しい戦いなのだろうと見当をつけてみる。しかし具体的にどれほどのものなのかはまるで予想がつかなかったから、ひとつだけ無責任な言葉をかけることにした。

 

 「そうかよ、ま、ビョーキしない程度に頑張んな」

 

 がたっ、と音がしたかと思えば由子が距離を置くようなポーズで拳児のほうに体を向けていた。もともと大きい目をさらに大きくして、口元はなにやら不安定な感じになっている。たとえば洋榎や漫であったならばこういったリアクションをとっても違和感を覚えることはないだろうが、これが真瀬由子となると話は別である。あるいは友人間ではこういった姿も見られるのかもしれないが、拳児の記憶のなかにひとつも残っていないのだからこの状況においては関係がない。何が原因かわからずにぽかんとしていると、おずおずと由子が口を開いた。

 

 「え、あなたそんなこと言うキャラだったっけ……?」

 

 「オイコラ、どーいうこった」

 

 「すくなくとも面と向かって応援してくれるようなタイプじゃないでしょ」

 

 「えっ」

 

 「あれ、自覚もなかったの」

 

 今度は驚きで目を丸くする。拳児が自分で普段から応援をしていると思っているのではなく、単に自身の言動を省みないことからあんな反応を返したことは由子にはよくわかっていた。見方によっては衝撃的な思考回路の発露とも取れるが彼女からすれば案外と慣れたものである。これであと拳児が麻雀においてとんでもない実力を備えているという勘違いを取り除けばあと少しで素の播磨拳児にたどり着けるのだが、それには時間と機会が足りなくなってしまった。

 

 驚きこそしたものの生来冷静で頭の回る由子はすぐに落ち着きを取り戻した。外から見ているとわかりにくいが、由子の人生とて信じられない出来事との出会いの連続である。近いところで言えば愛宕洋榎と末原恭子という方向性の違う才能との出会いに、目の前にいる経歴不詳のインターハイ優勝監督との遭遇。つまりびっくりするような経験にはいくらでも覚えがあるのだ。だから由子はほとんどの場合、どんなことがあっても自然に自分に立ち返ることができる。もしかするとこういう部分があまりにも違いすぎるから拳児は由子に勝てないと思うのかもしれない。

 

 「ん。じゃあ若干気味が悪いけど素直に受け取ることにするのよー、ありがとね」

 

 「わーったからほっとけ」

 

 「あ、初詣の話は時間とか決まったらまた連絡するから」

 

 それに拳児が頷くとホームルームのために担任が教室に入ってきて、話はぴったり終わった。

 

 

 

 

 

 

 

 


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