姫松高校麻雀部監督代行播磨拳児   作:箱女

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85 おもひで

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 「せーんぱーい、クリスマスとかって休みちゃうんですか」

 

 「あァ? なんだいきなり」

 

 第一部室の隅には椅子が置いてあり、そこは室内が一望できる拳児の指定席である。監督代行という立場もあって全体を見渡せる位置は必要なものであり、また部員たちにとっても特定の場所にいてもらえるのは話を聞きたい時に探す手間が省けるのでありがたくもある。普段の例に漏れず拳児はいつものポジションで手元の資料に目を落としていた。ここしばらくの成績であったり傾向であったり、誰かひとりの指導方針を考えることひとつ取っても周囲が考える以上に麻雀というものは情報が重要になる。なにがどう転んでも全国レベルを主戦場としている学校で “なんとなく” のような根拠のないものは指導には使えないのだ。

 

 そんなハイレベルな常識を知らず知らずのうちに教え込まれている拳児のもとへとやってきて声をかけたのは上重漫だった。口ぶりもそうだが、並んでいる単語を考慮に入れると大事な要件とはとてもではないが思えない。どちらかといえば浮かれて口にする系統の内容だろう。拳児は資料からすっと目を離して視線を上げる。

 

 「だって街もクリスマス一色ですし、そんななか部活オンリーなんて切ないやないですか」

 

 「木曜じゃねえなら休みじゃねえよ、日程表に書いてあんだろ」

 

 「えぇー……、播磨先輩は文句ないんですか」

 

 「なんで俺様がクリスマスに部活があるかどうかでぎゃーすか言わなきゃなんねーんだよ」

 

 そんな言葉がさらりと出てくるのだから、なんにせよすぐにやってくるクリスマスに彼が関心を持っていないと判断するのは自然だろう。あるいはスパルタなのか、あるいは色恋沙汰に興味がないのか、はたまた別の理由なのか。漫からすれば二番目の理由がもっとも納得できるところに違いない。なにせそういった艶っぽいウワサはゼロなのだ。二学期の初めごろにせっかく立ち上がった宛先不明のプレゼント購入疑惑も三年生たちの丁寧な火消しによって疑いは完全に晴れてしまっている。正直なところ、漫も初めからチンピラ監督のこの返答を予想してはいた。

 

 見た目こそいまどきマンガですら見ないようなチンピラだが、少なくとも麻雀部に対する態度は真面目である。そうでなければインハイ優勝をはじめとして説明のつかない事柄が多すぎる。そう捉えるとスパルタというのも案外と的を外してはいないのでは、という気もしてくるがこの際それは漫にはどうでもよかった。上重漫は、完全に油断していた。絹恵をスランプから立ち直らせたことと、播磨イズムをわずかにでも理解し始めたという自負が彼女に行動を決意させた。漫は未踏の地へ踏み込もうとしたのだ。

 

 「いやー、だってクリスマスいうたら大イベントやないですか、高校生ですし」

 

 「カンケーねーよ、なんかしたきゃ練習のあとにやんな」

 

 「えぇー、冷めすぎでしょ先輩。なんとなく楽しなったりしません?」

 

 やかましい、と言って拳児は視線を手元の資料に戻そうとする。サングラスがある関係上、目の動きがどうなっているのかは正確にはわからないが、顔の向きと手の動きを見れば誰にでもわかることだ。もっと言えばこの会話を面倒くさがっていることもわかる。漫のようなタイプからはほとんど考えられないことだが、会話に楽しみを見出さないタイプの人間というのはどうやら本当に存在するらしく、目の前のヒゲグラサンがそこに属しているらしい。やれやれ、と漫は思う。どんな環境があればこんな人物が出来上がるのか。

 

 「じゃあじゃあ、たとえば去年のクリスマスとかどんな感じやったんですか」

 

 「……去年の、か」

 

 基本的に横柄な態度を崩さない拳児が珍しく沈むのを見て漫は驚いた。心の中をこまかく見ていけばある種の恐怖を抱いてたとさえ言えるかもしれない。これまで何がしかのリアクションを取ることはあっても本気で怒ったり声をあげて笑ったりすることはなかった彼の振る舞いを考えると、それは明らかにイメージからずれた姿だった。普段からむすっとしているのだから、単に想像するだけなら怒っている姿のほうが簡単に違いない。しかしいま漫の目の前にはあの拳児が沈んでいる姿が現実としてある。インターハイの時のインタビューの影響で存在すると噂された、亡くなった想い人に関する特大の地雷を踏んでしまったのではないかと漫は怯えた。

 

 もはや漫の表情は引きつった口元と今にも泣きそうな目で構成され、知らなかったとはいえ軽率にも世界の終わりの引き金を引いてしまったかのような絶望をはらんでいた。

 

 「そーいや去年のクリスマスは大雪だったな」

 

 「え、あ、そ、ソーデスネ」

 

 この時点で既に漫に話を聞いている余裕はない。まさに右の耳から入って左の耳から抜けていくような状態だ。一年前に拳児は大阪に来ていないし、何より去年の大阪に雪は降っていない。今の彼女はただこれ以上踏み込まないように相槌を打つだけの機械と化していた。

 

 「バカみてえに寒くてよ、そうだ、イヴに旧校舎に忍び込んでたんだ」

 

 「へー、ソーデスカ」

 

 「ああ、でもそこにも居られなくなっちまったんだ、考えてみりゃトーゼンだわな」

 

 努めて心を無にしようとしていた漫であったが、そこで違和感に気が付いた。もともと播磨拳児という人物は話をするのがあまり好きではなく、とりあえず用事がない限りは自分から声をかけたりしない。それは日常会話だとか雑談だとかに対しても積極的ではないことを意味し、ましてや自分語りなどは彼の行動選択のうちに決して入らないだろう。もし彼が聞いてもいないのに自分のことをべらべらしゃべるような人物だったとすれば、その壮絶な過去の思い出のせいで部員の数が減っていたに違いないと漫は考える。はっきり言えば過去を語らない人物だからこそ元裏プロである播磨拳児が姫松で監督としてやっていけるのであり、そういう意味では彼のそのパーソナリティは必要かつ最低条件であったのだ。そしてそれがいま漫の目の前で崩れようとしている。何かあるのだろうか、と漫は訝り始めた。

 

 「気付きゃあブチ込まれてて、出てきたのは次の日でよ」

 

 ( ブチ込まれてた!? どこに!? んでどこから出てきたん!?)

 

 「考えてみりゃあ留置所からサンタが出所してくるってのも変なハナシだぜ」

 

 ( ウソやろ!? イチバン考えたくなかったヤツやん!)

 

 どこか遠くを見ながら話をする拳児と、視線を逸らそうとしているはずなのに新情報が入るたびに顔だけ振り向いてリアクションをとる漫のふたりの姿は、そういう仕組みの使い道のない奇妙な舞台装置に見えた。とはいえ話の内容がぶっ飛び過ぎているせいで漫がいちいち振り向いてしまうのは仕方のないことと言えそうだ。付け加えておくと漫にはもはやサンタに反応している余裕などまったくない。

 

 拳児が留置所から出てきたところまでを話すと、彼を取り巻く空気がもう一段階沈んだ。いまの状態と比べるならばさっきまでは投げやりに話していたのだとはっきり理解できる。漫にとって不可解な要素が重なっていく。投げやりになることそのものには文句をつける気はないが、いまのところ話の中にそうなる要素が見当たらない。自分の過去のことについて語り始めたことも合わせて謎だらけだった。

 

 「出てきて、それでどないなったんですか」

 

 「……約束を破ってでも大急ぎで届けなきゃなんねえモンがあってな」

 

 「で、それを届けた、と」

 

 「つっても破りかけた約束も守んなきゃなんなくてよ、だが交通機関は全部雪で死んでた」

 

 「そんな大雪やったんですか。あー、なんか去年ニュースで見たかも」

 

 「だから俺ァ皿に乗った」

 

 「は?」

 

 想像の埒外どころか日本語として成立しているのかどうかあやしい発言に、漫はまさに目が点にならざるを得なかった。まともな会話をしているつもりならすぐさま病院に連れて行くべきとしか思えない発言である。雪が降っていて交通機関がまともに機能しておらず、それでも約束を守るために何かをしなければならなかった。ここまでなら納得できるどころか美談としても受け入れられるだろう。しかしそこから先はどう考えてもおかしかった。話の流れからして手段として皿を選んだのだろうが、皿に乗ったところで何が起きるというのだろうか。空でも飛ぶのだろうか、冗談にしては理解されにくすぎて落第点で決まりだ。あるいは何かの隠語なのかもしれないが漫は隠語としての皿など聞いたためしがない。そもそも人が乗ることができるレベルの皿の段階で存在するかどうかが疑わしいのだ。割れるだろう、普通。

 

 あまりの発言に漫が二の句を告げないままに軽く飛んだ意識を取り戻すと、あの常にむすっとした表情を崩さなかった監督代行が悲痛に顔を歪めていた。これほどまでに明確に、かつくるくると変化する拳児の心情をはじめての目の当たりにした漫の思考回路はパンク寸前だった。頭のなかを巡るのは疑問符だけで、具体的な言葉はひとつとして浮かんでこない。

 

 「おい知ってっか? 皿ってのはけっこうモロいんだ」

 

 「え? あ、はい。瀬戸物ですし」

 

 「どー考えてもサイテーだわな、俺は知らなかったとはいえその皿を結局割っちまったんだ」

 

 頑張ってこれまで聞いた話を矢印でつないで考えようとしてみたが、漫にはどうやってもそれができなかった。それぞれの行動のあいだに脈絡がなさすぎる。皿のくだりは噴飯ものだ。最終的に皿を割って自己嫌悪に陥ったらしいことはわかるが、どうしてそういった感情の動きになるのかはまるでわからない。なんだか数種類のジグソーパズルを混ぜてむりやり組み立てているような気分になってくる。継ぎ接ぎどころの騒ぎではない。

 

 「……クリスマスにゃロクな思い出はねえよ」

 

 独り言のように呟いて、そのまま拳児は口を閉じてしまった。そうなると対応しなければならない漫は大忙しである。これまでの表情の変化を見るにまず間違いなく目の前の男の気分はいいものではないのだろうし、そうであれば話を振った漫の責任は重大だ。謝罪は何か違うし、真剣に沈んでいる相手に軽い調子で合わせるのは下の下だろう。いかに話の内容が意味不明であったとしてもだ。

 

 意味不明。その単語に漫はわずかに引っかかりを覚えた。播磨拳児と意味不明といえば、ある意味等号で結んでもとくに問題のないふたつである。いまだに生態も割れていないし、そもそも姫松にやってきた経緯からまったく謎なのだからそれも当然だろう。しかしもう一点、漫の頭の中でなにかがかすかに光っていた。ちょっと前に播磨拳児と意味不明という言葉を並べたことがあったはずだ。秋の、そう、ある先輩との会話の中でだ。

 

 ( そうや、ゆーこ先輩といつやったか話をしたんや )

 

 ( いつの間にか播磨先輩のハナシになって、そんで先輩のスベったボケが…… )

 

 漫は由子との会話を思い出して一気に推測を広げる。そう考えるしかないのだ。かつて播磨拳児が進路希望調査票に “アメリカ” と書き、最終的に拗ねることになったように、ふたたびシュール全開の理解不能のボケをかましてきたのだと考えなければ説明がつかなかった。播磨拳児という個性を前提にすれば百歩譲って留置所までは通るかもしれないが、サンタだの移動手段としての皿だのは通るわけがない。やり過ぎない程度に笑い飛ばさねばならないと漫は考えた。

 

 そう認識してみると普段に比べてやけに感情豊かなところも、この自虐風理解不能ギャグのための仕込みにしか思えなくなってくる。あれだけへの字口がスタンダードになっている男が、たかが去年のクリスマスの思い出程度で沈んだりするわけがないのだ。当然だ、と漫は確信した。何を思ったのかは知らないが、播磨拳児はきっといま自分をからかっているのだと。

 

 「あっはっは、ほんまロクでもないですね」

 

 努めて明るく、また相手も返しやすいように短い思考時間のなかでできる限り無難な返答を漫は選んだ。これが普通なら仮にどんな返しであれ笑いながらというのが自然だろうし、この場は問題なく収まるはずだろう。しかし彼女は前提からして間違っていた。

 

 「……つーかサボってんじゃねえ、さっさと行け!」

 

 ( うっそおおお!? これでハズすん!?)

 

 明らかに怒気混じりの声に漫は驚いた。もし声のとおりに怒っているのだとしたら、先に話した内容がギャグではないか、あるいはギャグであったとしても求めていた反応ではなかったということになる。どちらも信じがたいがそう結論するほかないのだ。

 

 実際のところの構図は、由子が拳児の進路希望調査票を笑ったときとまったく同じだった。どちらも拳児にとっては笑ってはいけないものだったし、それは聞き手がどれだけの理解力を備えていたとしても追いつくことのできない内容であった。本当に拳児は移動手段として巨大な皿を用いたし、そして塚本天満が想い人 (拳児ではない) のために作ったその皿を割ってしまった。もちろんわざとではなかったが塚本天満を悲しませてしまったことは事実であり、それは拳児にとってこの世の行いのなかで本当に最低に位置するものだった。その “やってしまった” 出来事のせいで拳児はクリスマスにいい印象を持っていない。彼の行動の優先順位を考えればそれは当然の話だった。

 

 すたこら駆けていく漫の後ろ姿から目を切って、拳児は手元の資料にもういちど目を落とした。

 

 

―――――

 

 

 

 「なぁ絹ちゃん」

 

 「ん?」

 

 「播磨先輩の過去はやっぱ気軽につついたらあかんわ」

 

 「えっ、それタブーのやつやん」

 

 「いや勝手な暗黙の了解かな思てチャレンジしてみたんやけど、マジのタブーやったわ」

 

 「あ、漫ちゃんそれで今日あんまり元気なかったり?」

 

 「うん。絹ちゃんも聞く?」

 

 「いりませんー。それやったら普通に打ち方とか聞くもん」

 

 「えっとな、留置所とか皿とかいろんな単語が出てきてな」

 

 「いらん言うてますよー。って、きついきつい、まともな想像できんけどなにそれ」

 

 「んはは、絹ちゃんもうちの半分くらいの恐怖を味わえー。そんでな……」

 

 

―――――

 

 

 

 翌朝、拳児がいつものようにチャイムギリギリで教室に入ると、これまたいつものように由子の席に三人組が揃っていた。毒にも薬にもならないし、意味なんてものもはじめから求められていないような会話が繰り広げられている。日常の風景にいちいち拳児が反応するわけもなく、適当にあいさつにも聞き取れるような声を出しながら席に着く。話が彼に飛んでくるかどうかは日によってまちまちだ。だから拳児は構えることなく黙って担任が来るのを待つつもりだった。しかし今日は声をかけられる日であったらしく、朝から元気のいい声が飛んできた。

 

 「おー、なんや去年は大変やったらしいな。今年はええことあるといいな」

 

 「ハァ? いきなりなに言ってんだオメー」

 

 突然なにを言い始めたのかと残りの二人に目をやると、どちらもきょとんとしている。すくなくとも事前に三人で計画してイジろうと決めていたわけではなさそうだ。脈絡もなく出会い頭にこんなことを言われれば誰だって虚を突かれるに決まっている。もし仮に拳児の立場にいるのが頭の回転の速い人物であったなら、洋榎がそう話しかけた経緯に気が付くかもしれない。しかし残念ながら拳児はそういうタイプではない。何の話をしているのかをただただ考え続けることが拳児に許された限界であった。

 

 「おい、末原でも真瀬でもいいけどよ、コイツ何のこと言ってんだ?」

 

 「さあ?」

 

 三人ともが首をかしげる奇妙な朝だった。

 

 

 

 

 

 

 

 




メリクリ。そしてまた来年に。

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