姫松高校麻雀部監督代行播磨拳児   作:箱女

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87 言葉にしてこなかった意味

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 第一部室全体を見渡せる部屋の隅には監督代行を務める播磨拳児の指定席があって、部活中に彼に用事があるのならまずはそこを目を向けるというのがお決まりになっている。ちなみにそこにいないのなら第一部室のどこかの卓を立って見ているか、そこにも姿がないなら第二部室を見に行けば九十五パーセントは見つかる。残りの五パーセントを探し出したことのある部員は一人もいないが、そんなことを言ったところで常に居場所を把握されている人物というのも気味の悪いもので、誰もそのことを気にしたりはしない。

 

 今日はそんな部屋の隅に、めずらしく椅子がもう一つと、どこから運んできたのか普通の教室に置いてある机が準備されていた。椅子程度なら拳児と話をしようと思った部員が自分で持っていく光景は間々見られたが、机となるとまだ誰も見たことがなく、また自動卓が点在している部室に普段の授業で使っている机がひとつだけあるのはひどく珍妙な印象を部員たちに与えた。ましてやそこにいるのが播磨拳児なのだから、まだ十六、七年しか生きていない彼女たちにその異物感を他のものに喩えることは不可能だった。

 

 第一部室にいるほとんどの部員の集中力を削ぐそれがしばらく盗み見の視線を集め続けたあとで、ひとりの少女がそちらのほうに近づいていった。

 

 「オウ、上重。終わったか」

 

 「えーと、はい。終わりましたけど、どないしたんですか、机まで引っ張り出して」

 

 「話の進み次第でなんか書くことになるかもしれないってだけのコトだ、気にすんな」

 

 素直な漫はそうかと納得して、そのまま目の前にある椅子に座った。机があるせいでどこか面談っぽく見えるような気もするが、立場で考えると席についているのは監督代行と主将なのだからそのままで実は自然である。しかし拳児は部員と話をするときはほとんど立ち話というか、たまたま相手が近くにいるタイミングで話をするという手法を採っていたために、この呼び出して話をするという形式は妙なプレッシャーを振りまいていた。姫松の部員たちももう播磨拳児という存在に慣れてはいるのだが、威圧感を感じないわけにはいかず、これからなにかとんでもないことが始まるのではないかとそれぞれが内心で考えていた。

 

 冬の学校は自然に任せればとても寒く、ましてや頭脳スポーツである麻雀には体が温まる要素はかけらもない。よその文化部からは文句が出るかもしれないが全国的に優秀な成績を残し続けていることもあり、麻雀部の部室には空調がついていた。ただし工事が行われたのがかなり前のせいで部室の中は加湿器を持ってこないと乾燥がきつくなるのだった。今日は空が気分よく晴れていることもあってなおさら空気は乾いている。

 

 「でだ、他に聞くこともねーからさっさと本題いくぞ」

 

 「は、はい」

 

 「赤阪サンとも話し合ったんだけどよ、オメー中堅やるつもりねーか? 団体の」

 

 呆けたような顔だった。わざわざ場のセッティングをしたとはいえ、監督代行の話し方がいつもどおりだったせいでそこまで重要な話ではないのではないかと彼女が思っていた矢先のことだったからだ。

 

 「ほぇっ」

 

 「別にやりたくねーならそれはそれで構わねー。いろいろあんだろーしな」

 

 漫がすぐに反応できなかったのには理由がある。これまで指導やアドバイスを行う際にさえ、直截的にでなく考えさせながら導く方針を採っていた拳児が明確な言葉を以て話を進めたことがひとつ。もうひとつが、その言葉から気遣いのようなものがはっきりと感じ取れたことだ。もちろん話の内容を踏まえれば迂遠な言い方をしないことも必要以上に重たい場にしないことも自然なのだが、その出所が播磨拳児になると途端に価値が変わるような気がした。

 

 すぐに返答をしないのを考え込んでいる時間と取ったのか、漫の目の前に座るヘンテコな外見をした男は黙って待っている。漫はこの状況に対してあることを思い出さずにはいられなかった。

 

 「あ、あのっ、中堅やりたいです、けど、ほんまに私でええんですか」

 

 「あ?」

 

 それはわかりきっている答えを出させるための威圧的なものではない。彼は腕を組んで首を傾げている。おそらくは本当に自分が何を確認したいのかがわかっていないのだと漫は判断した。末原恭子と違って細かい説明を一切しない傾向にある播磨拳児にはこういうところがある。彼にとって答えは答えなのであって、そこに至るまでに引っかかる可能性があることを考慮に入れないのだ。それを思いやりがないと取るべきか信頼と取るべきかは難しいところである。

 

 「だって、その、私ってあんま安定感はないですし……」

 

 「愛宕と比べようってんだったらやめときな、オメーは愛宕じゃねーんだしよ」

 

 「それはっ、そのとおりですけど……」

 

 語尾の力弱さから感じ取れる不安はそれこそ拳児にさえ察知することができたに違いない。

 

 「ああわかった。オメー自分が中堅でチームが勝てるかどうか怖がってんだな?」

 

 デリカシーとは縁遠い拳児は人のやわらかいところを意識しないうちに突いてしまうことがあるが、まさにそれがはっきりと出たかたちだった。声質こそ重たいものの深刻さが窺える言い方ではないから、おそらく拳児はどうして漫がそういった恐怖を抱くようになったのかまでは考えていないのだろう。

 

 それを聞いてぴくりと跳ね上がった漫は、五秒も経たずにおずおずと頷いた。すると目の前の男がわかりやすくため息をついて、あからさまに面倒くさそうな表情を作った。

 

 「あのよ、あんまりヒトをナメんじゃねーぞ」

 

 「へっ? そんなこと……」

 

 「いいかよく聞けデコスケ。オメーの特徴なんざオレたちゃ全員知ってんだ、一年も含めてな」

 

 「えっあっはい」

 

 「そのうえでオメーを真ん中に置こうってんだ、()()()()組み方くれー考えてんだよ」

 

 漫は何も言えなかった。大きな衝撃を受けたような表情のままで、ただ拳児から視線を外せないでいる。サングラスのせいで目は見えないが、もうおおよそ一年ものあいだ、部活という密度を考えればクラスメイトの一年よりも濃い時間だろう、見慣れた顔がそこにある。どう見ても怖い部類の顔立ちには違いないが、そこには不思議と安心感もあった。人間という種に備わった慣れる能力のおかげかもしれない。もう漫には他の回答など選択肢になかった。先輩たちが引退したことも、なぜかこうして部室の隅で話をしているのも、こまごまとしたこれまでのすべてが漫のこの一言のためだけにあった。すくなくともそういう瞬間だった。

 

 「……わかりました。任せてください」

 

 「ならいい。春はそれで行くからよ、準備はしとけ」

 

 「はいっ。それで、あの、他のメンバーって決まってるんですか」

 

 「なんのためにオメーに中堅で行けるか聞いたと思ってんだ、これから赤阪サンと話し合いだ」

 

 そうですよねー、と合わせて席を立とうとすると、珍しく拳児のほうから声がかかった。

 

 「いいか、オメーに愛宕を期待はしてねえ。そんかしオメーの役割を考えろ」

 

 この言葉の意味がわからないほど漫はもう子供ではなかった。だから漫はそのまま一人で洗面所に向かい、周囲に誰もいないことを確認して、拳を握った。

 

 

―――――

 

 

 

 「これはもうつまり、そういうことで決まりやんな、なあ?」

 

 「うんうん、何が?」

 

 朝から続く練習も昼食時ということで、部員はそれぞれ思い思いの場所へと散っていっている。ものぐさならばそのまま部室で昼食を摂りたいと考えるかもしれないが、自動卓の上で食事はさすがに禁止されているためそれは叶わない。普段から使っている子どもたちはあまり気にしていないかもしれないが、一台で結構な値段がするので食事テーブル代わりに使われて壊されでもしたら部としてはたまったものではないのだ。

 

 姫松高校は休みの日であってもそれなりに学内を開放しており、別の部活の友達同士がいっしょに昼食を摂るなんてことも珍しくはない。人気なのはテーブルの揃っている食堂である。漫と絹恵もいつものように食堂のテーブルに座って和気あいあいと食事を進めていた。

 

 「いやさっき播磨先輩から中堅打診されたやんか」

 

 「うん、頼りにしてるで」

 

 「ありがとう。いやいやそうやなくて」

 

 昼休憩の終わりはまだまだ先ということもあって彼女たちの会話はひどくのんびりしていた。先を急ぐということはなく、合間合間のやりとりを楽しんでいる。高校生の会話なんてものは本来こういうものであって、どこかのヒゲグラサンのようにいるだけで殺伐とした雰囲気がにじり寄って来るような気がするほうがおかしいのだ。

 

 「先輩がな、あのとき断る選択肢も残してくれてん」

 

 「うん」

 

 「きっとこれはもうそういう時期が来たいうことやんな」

 

 「そこのそういう時期がどういう時期かがわかれへんねんけど」

 

 「先輩から見て頼りにならへん時期が終わったんやないかな、って」

 

 ほう、と片眉を上げて続きを促す。その言葉は今の二年生の中でも特にこの二人には重要な意味を持つからだ。もう季節は冬の中ほどを過ぎようという辺りだが、絹恵も漫も夏に言われたことを未だに意識せずにはいられなかった。だからこそ漫は主将としての振る舞いを考えるようになったし、絹恵に至ってはスランプに陥るほどだった。それほどまでに自覚症状があった。

 

 「だって結論をこっちに任せてくれるいうことは答えを信頼してくれてるいうことやんか」

 

 「…………そうかも」

 

 「な、わかる? 絹ちゃん」

 

 「わかるよ、うん。重たいなあ、大丈夫って思われるん」

 

 目を伏せて笑う絹恵の表情も大人びて見えたし、いつものように快活に笑う漫もどこか雰囲気が違って見えた。すでにしっかりかたちは出来ているが、麻雀部は実際に全国を体験した自分たちを中心に動いていかなければならないのだとあらためて二人は理解した。拳児が黙って見ているのではなく二人と部全体の話をするようになるということは、意図を汲み取れると認められたということであり、また見えないところでフォローに回ることをしなくなるということでもある。もちろん第二部室のこともある以上まったく手出しがなくなることはないが、それでも大きな意味がある。

 

 それまで楽しそうに話していたが、二人は急に静かになった。周りは誰もそのことに気付かずに、変わることなく笑顔で食事を続けている。すっと二人の目が合って、同時にちいさく笑う。

 

 「なあ絹ちゃん、先輩たちイジワルやと思えへん?」

 

 「思う思う、こういうことなーんも教えてくれんのやもん」

 

 日差しもあって、気温はいつもより暖かかった。

 

 

―――――

 

 

 

 その日絹恵が家に帰ると、ここ一週間ほど見ていなかった靴が玄関にあったことに気が付いた。思い出してみればたしか昨日がプロ初キャンプの練習最終日で、今日が姉の帰宅予定日になっていたはずだ。思いがけないうれしい出来事にすこし気分を良くした絹恵は足取り軽く二階の自分の部屋に着替えに行った。わざと早めに顔見せしないことに決めたのだ。

 

 リビングに降りてきてみるといつもの感じでソファでだらけている姿が目に入った。着ているものも普段着だから、とても特別に何かをして帰ってきたようには見えない。横顔だけで判断するとどうやら機嫌が良いというわけではなさそうだ。

 

 「あ、お姉ちゃんおかえりー」

 

 「おうおうおうキヌ、いつも通りは芸がないんとちゃうかー。うちが帰ってきとんのやで?」

 

 それを聞いて絹恵はなんだかほっこりした気持ちになった。このちょっとした面倒くささが何とも言えずかわいらしいのである。

 

 「それよりお姉ちゃん、北海道のほうはどないやった?」

 

 「ええ、冷たない……? で、北海道いうたら練習のことやろ、たまらんでほんま」

 

 「ん?」

 

 「考えてもみーや、右見ても左見てもその年の世代代表クラスしかおらんねんで? 最ッ高や」

 

 この切り替えの早さも姉の魅力だと絹恵は思っている。ころころ変わる表情は見ていて飽きたためしがない。ほんのちょっと前までむっつりしていたはずなのに、今は希望に満ちた表情で新しい環境について話している。それもそのそれぞれの感情にひとつも混じりっ気がないのだから不思議なものだと絹恵は思う。すくなくとも自分にはできない芸当だとも。

 

 「想像もつかんなぁ、まあそれがプロいうことなんやろけど」

 

 「アホ言うたらあかんで、まだまだ先があんねん。そんなヒトたちがヒネられる世界や」

 

 そう言って屈託なく笑う洋榎の顔はどうしてか強く絹恵の印象に残った。

 

 しばらくは具体的な名前を出しながらのチームメイトの話が続いたが、やはりそれはおそろしく分析的なものだった。他校どころか姫松の部員たちでさえ知らないことが間々あるが、愛宕洋榎というプレイヤーは極めてロジカルな思考を得意としている。見た目や普段の振る舞いの印象から感覚派だと思われがちだが実態は異なっている。もちろん印象通りに感覚も圧倒的に優れており、その信じがたい両立が彼女のほとんど冗談のような守備率を成り立たせている。ちなみにどうして彼女の分析能力が知られていないかといえば、それは末原恭子という名前ひとつで片が付く。

 

 恭子と違って資料を用意せず全てを脳内で済ませてしまう彼女のプロへの分析は、絹恵には理解できない部分のほうが多かったが、それでもひとりの雀士として聞いていて興味深い内容だった。同時に強烈な焦燥感を覚えたが、絹恵はそれを胸にしまうことにした。

 

 「ところでお姉ちゃん」

 

 「んー? なんや」

 

 「なんでお姉ちゃんたちは先輩としての心構えとか教えてくれへんかったん?」

 

 「……んー、説明して無意味とまでは言わんけどなぁ。」

 

 先ほどまでのプロの分析とはうってかわって洋榎の言葉が途端に詰まった。珍しく眉を困らせて言葉を探している。絹恵としてはそれほど難しい質問を投げかけたつもりはなかった。

 

 「……まず、漫にうちの真似はできんやろ?」

 

 「そうやね」

 

 「実はその時点で根本的に話す意味がソートー薄くなんねんけど、わかる?」

 

 全然、と言いながら絹恵は首を横に振った。

 

 「あー、自分だけの経験があってやな、それを材料にして動き方を理解してくんやけど」

 

 「それは先輩として、ってこと?」

 

 「そ。んで、漫もキヌもうちの体験自体はしてへんから、話しても知識にしかならんやろ?」

 

 「うん」

 

 「それでな、知識さえあればキチンと動ける人間なんておれへんねん」

 

 絹恵もしっかり聞いてはいるのだが、人の話を聞きながら同時に理解するのは意外に難しい。当たり前のように洋榎が言い放った言葉もすぐに意図を完全に理解できるほど簡単ではなく、絹恵は無意識のうちに小首を傾げることになった。

 

 「乱暴な言い方やけど、完璧な走り方の話だけ聞いてできるやつがおらんのと同じやな」

 

 「それやとちょっとわかる気もする」

 

 「結局はキヌだけの体験があって、それで自力でひとつずつ勉強していかなあかんの」

 

 すこし愛宕洋榎としてのテイストが強いような感じもあったが、これまで彼女が先輩としての振る舞い方について話をしてこなかった説明としては概ね満足できるものであった。それにしてもこういう説明ができるのなら前もって話しておいてくれればいいのに、と絹恵は思う。そう思うからつい口をついて零れてしまった。

 

 「お姉ちゃんも先輩たちもヒトが悪いわ」

 

 「何を言うとんねん、うちらが引退してから春まではその体験期間みたいなもんやで」

 

 「えーっ! わざと言わへんようにしてたん!?」

 

 「前もって構えてたらそれこそ意味ないいうハナシやからな」

 

 ふふん、と鼻を鳴らして正当性を主張する。もうじき高校を卒業してプロの世界で生きていくとは思えないほどに幼稚な振る舞いなのだが、そんな一般的な考え方を飛び越えて似合ってしまうのが絹恵の姉だった。あるいは姉妹の間にしか成立しない無条件に肯定させるような不思議な力学が働いて絹恵がそう思い込んでしまっているだけなのかもしれないが、本当のところは誰にも確かめようがない。

 

 「なんやお姉ちゃんも意外といろいろ考えとんねんな」

 

 「初耳かもしれへんけどな、実はうち、キヌよりちょっとだけ長生きしとんねん」

 

 「ほんまに? 知らんかったわー」

 

 何の合図もなしに二人は同時にテレビに視線を移した。一時間経つころには家族がみんな揃っていつもと変わりのない愛宕家の夕食が始まっていた。

 

 

 

 

 

 


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