次元の理を盗んだ転生者と禁忌教典   作:■ ■■

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純白の手袋

 それから、グレン先生の授業は悪化の一途だった。

 僕の言葉を気にしていないのか、それとも忘れたのか。

 或いは、そうする必要があるのか。むしろ意図してやっているのかと思うぐらい、彼の授業は不真面目に過ぎた。

 最初は無意味ながらも板書をし、教科書も読み上げてた。しかし段々と板書をしなくなり、教科書のページを張り付けるようになり、終いには教科書を黒板に釘で打ち付けた。弁償が怖くないのだろうか。

 錬金術の授業ではフラスコをコップ代わりになんか飲んでいた。一口貰ってみるとコーヒーの味がした。轢きたてだろうか、鼻腔から擽る芳醇な香りが、コーヒーというものの奥深さとその品性を教えてくれる。うん、完敗だ。先生の腕は中々のものだった。ただ、どう見ても葡萄ジュースにしか見えないのが不思議でならなかった。錬金術の産物らしい。へー。

 

 そんな授業を繰り返し、指摘されても改めない。当然の如く、生真面目で教員に高い水準を求めるシスティーナはこれに耐えかねた。堪忍袋の緒が切れたのだ。予想外だったのは、彼女が割と我慢が利く性格だったことだ。予想ではもう数日は早くブチぎれていただろう。

 が、此処まで我慢したシスティーナの怒りは、過去に類を見ないほど激しく発現する。

 

 システィーナが我慢の限界だとばかりに、椅子を倒す勢いで立ち上がる。

 

 「いい加減にして下さい!」

 

 「ん?だから、お望み通りにいい加減にやってんだろ?」

 

 ぬけぬけと、そして堂々とそう言うグレン先生。口には釘を加え、手には金槌。ここが教室内でなければ、日曜大工でもしているかと見間違う格好だ。というか今どうやってしゃべったのだろうか。そっちの方が気になる。

 

 「子供みたいな屁理屈を捏ねないで下さい!」

 

 思うに、システィーナがここまで激昂するのは先生の飄々とした態度も要因の一つではないだろうか。もう少し外面だけでも真面目をよそっていれば……いや、同じか。

 

 「まあそうカッカすんなよ、白髪増えるぞ?」

 

 「誰が怒らせていると思っているんですか!」

 

 「ほら、そんなに怒りっぽいからこんな年でもう白髪だらけじゃないか……可哀そうに」

 

 「これは白髪じゃなくて銀髪です!本当に憐れむように私を見ないで!」

 

 うん、グレン先生は天性の煽り性なんだろう。いや、揶揄うと楽しいからこんな態度をとっている可能性もあるが。その証拠に、他の生徒とシスティーナに対する態度は全く違う。と言っても第一印象のせいかもしれないな。

 でも揶揄い甲斐がある相手、とシスティーナを認識しているのだとしたら、それはそれで面白い。つまり揶揄いすぎて怒らせても対処できる、或いは相手の怒り具合をコントロールできる自信があるという事なのだから。

 まあ、考えすぎという可能性もあるが、主人公ならどっちもあり得る可能性だ。

 

 「ああ、もうこういう手は使いたくないんですけど、先生が今後も態度を改めないのであれば、こちらにも考えがありますからね!?」

 

 「ほう、どんなだ?」

 

 「私は、学園にそれなりの影響力を持つ魔術の名門フィーベル家の娘です。私がお父様に進言すれば、あなたの進退を決するのは容易いことです。実際、それに足る態度をとってきたわけですし」

 

 こほん、咳払いをしてクールダウンをしたシスティーナが相手になるべく危機感を覚えさせるように、ゆっくり話していた。

 

 「え……マジで?」

 

 驚いた顔のグレン先生を見て、主導権を取れたと思ったシスティーナはここが正念場だとばかりに勢いづく。

 

 「マジです!本当はこんな手段に訴えたくはありません!ですが、貴方がこれ以上授業に対する姿勢を改めないと言うならば――――――」

 

 「お父様に、期待していますとよろしくお伝えください!」

 

 「なっ!」

 

 勢いづいたシスティーナに急ブレーキをかけるようなグレン先生の返し。その顔には紳士的な、これまで見たことが無い程優しい笑みと、救いを見出した求道者のような一心の期待が込められた真摯なまなざしがあった。

 その返しと、何故ここまで嬉しそうなのかが理解できないシスティーナは、此処であっけにとられる。先ほどまで勢いついていた反動もあるだろう。まるで酸欠になった金魚の様に、その薔薇色の唇をパクパクさせていた。

 

 「いやー、よかったよかった!これで一か月待たずに辞められる!白髪のお嬢さん、俺の為に本当にありがとう!」

 

 「貴方っていう人は――――――!」

 

 理解が追いついたのだろうか。頬は朱に染まり、それどころか耳、いや顔全体までその赤は広がっていく。怒りによって促進された血行は、外から見ても一目瞭然な怒り具合をその顔に表していた。

 その大きすぎる怒りゆえだろうか、システィーナは左手に嵌められた手袋を脱ぎ、グレンに叩きつけた。

 手首のスナップの利いた、良い投擲。その手袋はグレン先生の顔に勢いよく当たり、良い音を鳴らす。

 

 「痛ぇ!」

 

 より心臓に近い左手。それは魔術魔術を効率よく使用するのに適した手であり、その手を覆う手袋を相手に投げつけるという行為は「魔術による決闘」意思表示である。

 

 「貴方にそれが受けられますか?」

 

 しんと静まり返る教室。先ほどまでの静寂とは違う、事の成り行きを伺う静寂。見まわさずとも教室中の視線がこの二人に注目していることが分かった。

 

 「お前……マジか?」

 

 「私は本気です」

 

 柄になく真剣に聞いたグレンに、切り捨てるように返す。その言葉から引き返す意思など無いことが分かり、これが冗談の類でないと周知される。

 

 「シ、システィ!ダメ!早くグレン先生に謝って!手袋拾って!」

 

 親友のルミアが慌てて駆け寄って諫める。

 

 「……お前、何が望みだ?」

 

 こんなたいそれたことをした以上、システィーナ本人にも冗談の気が無いのは確か。問題は先生に何を願うかだが……まさか辞職じゃないだろう。こんなことをせずとも辞職させる方法があるのだから。家の力だけれど。

 

 「今までの態度を改め、ちゃんと為になる授業を行うこと。これが私の求めることです」

 

 まあ、当然の要求だな。辞任を求めても反省しないなら、次は態度の改善を要求するのは必然。そもそもうちのクラスはヒューイ先生が辞めてかなり授業が遅れているから、此処でグレン先生が辞めると更に他のクラスに置いて行かれることとなる。

 

 「辞表を書け、じゃあないのか」

 

 グレン先生は意外そうに問いかけた。

 それもそうだ。さっきまで息を荒くして頭に血を登らせていた少女が、こんなにも早く冷静になったのだから。

 熱し易く冷め易い?NOだ。システィーナの怒りはまだ収まっていない。それは彼女の表皮から洩れる体温や心臓の鼓動、何よりその雰囲気でわかる。

 では何故ある程度冷静になっているのか。それは偏に「意地」であろう。

 「魔術の名門、フィーベル家が一人娘、システィーナ・フィーベル」で在らんとする意地。それは高いプライドとして自らに弛みを許さず、また他にも怠慢を許さない。常にその肩書に相応しくあろうと精進する、システィーナの行動原理の一つである。

 要はどこぞの優雅と同じである。なんとこちらには「うっかり」が無いが。

 

 「もし、貴方が講師をやめたいのであれば、そんな要求に意味はありません」

 

 「あっそ、そりゃあ残念だ。だが、お前が俺に要求する以上、俺もお前に何かを要求して良いってことは忘れてねーよな?」

 

 「当然です。なんでもどうぞ?」

 

 余裕すら持ってそういうシスティーナの口角は軽く吊り上がっていた。いっそ妖艶ともいえるを浮かべて、グレン先生を煽る。その言葉からは、暗に「自信がないなら降りてもいいのだぞ?」という問いかけを感じさせる。

 何をもってして余裕を感じているのかは分からない。或いはただのはったり、強がりの類で、実際は心の中で冷や汗だらだら垂らしてるのかもしれないが、その表情から不安を見取ることはできない。まあ脈拍が未だに早いし、軽く背中も湿気ってるのが分かる僕に強がりは聞かないが。

 何を要求されるか分からない決闘を、どのくらいの実力かも分からない相手に挑む。それは幼稚な楽観故が見て取れる。いわば「蛮勇」。

 しかし蛮勇無くして進歩はあるのだろうか?道を切り開く者たちは、いつだって根拠の無い自信をもって進んでいった。この「蛮勇」こそ、システィーナの「フィーベル家の娘」として在ろうとする心意気なのだ。誰がそれを笑えようか。

 

 実際、教員たちが自らより遥かに強いと知る学生たちも、システィーナの事を笑おうとはしなかった。

 その実力があると思ったものもいるだろう。或いは心の中に馬鹿にした気持ちを押し込んだものもいるかもしれない。

 しかし、確かに彼女は教室の全員に「こいつなら勝つかもしれない」と思わせた。だからこそ視線が集中しているのだ。

 こいつなら。そう思わせる信頼。普段の説教ばかりで、マイナス面の印象しか持たれていないだろうシスティーナが公に嫌われていないのは、この信頼の基となる高潔な立ち振る舞いが原因なのだろう。

 

 「お前、馬鹿だろう。嫁入り前の娘が、そうも簡単に「何でもします」なんて言うんじゃねぇ。親御さんが泣くぞ」

 

 苦虫を噛み潰したような顔でそういうグレン先生。一応、大人としての良識はあるみたいだ。根っからの屑ではないってことだね。

 

 「それでも、私はフィーベル家の娘として魔術を貶める貴方を放っておくことはできません!」

 

 「あ、熱い。熱過ぎるよ、お前。いっそあせくさ……いやなんでもない」

 

 「今何て言おうとしたんですか?」

 

 先生の失言にニッコリ食いつくシスティーナ。笑っている筈なのにこれほどプレッシャーを掛けれるのは凄いと思うんだ。なんせ、みているこっちも肝が冷えるんだから。

 

 「やーれやれ、こんな黴の生えた古臭い儀礼を吹っかけてくる、骨董品のような魔術師がいるとはな。……いいぜ、その決闘――――――」

 

 ニヤリと笑ったグレン先生は、投げつけられた白手袋を宙に放り、こう決めた。

 

 

 

 「――――――受けてやろう」

 

 そして眼前に落ちてきた手袋を横に薙いだてで掴――――――め無かった。

 

 パサリ、落ちた手袋が聞こえもしない音を鳴らすのを、その場の全員が聞いた気がした。

 冷ややかな目で見つめられた先生は、気まずそうに手袋を拾い直す。

 更に付け加えると、決闘自体はまだ主流である。ただあまり見られないだけで、別に時代に置いて行かれた古い習慣とかそういうのではない。魔術師同士の喧嘩の時に重宝されているのだ。

 

 「ただし、お前のようなガキに怪我させんのは気が引ける。使用可能な魔術は【ショック・ボルト】のみ。それ以外の手段は全面禁止とする。いいな?」

 

 「構いません。決闘のルールは受理した側に優先権がありますので」

 

 使用可能な魔術の種類は一種類か。

 どれほど改変できるか、或いは相手の視線から着弾ルートを見極めて避けれるか。そこが決め手だろう。

 少なくとも僕ならそうする。【ショック・ボルト】の改変程度ならいくらでもできるし、システィーナは生真面目ゆえにそんなことをしようなどと考えたことすらない。改変した【ショック・ボルト】を使えばシスティーナの混乱を誘えるだろうし、何より今現在の授業内容の無意味さを教えられるかもしれない。ルール自体は一見してポピュラーな『早打ち』勝負に見えるが、此処まで深い意図があるならば……やはり主人公として相応しい注意深さだ。

 此処まで考えれば、今までのシスティーナに対する態度もこの時までの布石のように思える。

 そうか、たった一か月の非常勤講師。短時間で生徒の心を掴むには、多少時間がかかっても、初めに強い印象を与えなければならないのだろう。

 

 「で、だ。俺が勝った場合の要求だが……そうだな」

 

 頭の天辺から爪先まで、エロ親父のような視線で嘗め回すように見たグレン先生は、システィーナに顔を近づけてワイルドな笑みでこう言った。

 

 「よく見たらお前、かなり上玉だな。よし、俺が勝ったらお前には俺の女になってもらう」

 

 「――――――っ!」

 

 周囲はそのあまりにも屑過ぎる要求に騒めく。

 

 「わ、分かりました。受けて立ちます」

 

 「システィ……」

 

 傍で、ハラハラしながら成り行きを見守っていたルミアが、心配そうにそう言った。

 システィーナの顔も軽く引きつる。まさか本当に下種な要求をされるとは思ってなかったのだろうか?しかしその覚悟はあるはずだ。それこそシスティーナ・フィーベルなのだから。

 

 「……だはは!冗談だよ、冗談!そんな泣きそうな顔すんなって!」

 

 「だっ、誰が泣きそうだと――――――」

 

 「お前だけど?」

 

 

 「……っ!」

 

 「安心しろ、ガキに興味はねーよ。俺からの要求は唯一つ。俺に対する説教の禁止だ」

 

 「ば、馬鹿にしてっ!」

 

 グレン先生の発言が冗談だと知り、システィーナは羞恥に顔を赤らめる。

 抑えきれない羞恥を誤魔化すように怒りに転換し、グレン先生に食って掛かる。

 

 「ほら、さっさと行くぞ」

 

 それを軽くいなし、中庭へ向かう。その背中は楽しげで、まるで追いかけっこをする悪戯っ子のよう。

 

 「あっ、待ちなさいよ!もう、貴方だけは絶対に許さないんだから!」

 

 その後を追うシスティーナの長い白髪が、その足取りで左右に揺れる。

 その姿はまるで、飼い主に構って貰えて嬉しそうにする猫だと感じたのは、きっとグレン先生が彼女につけた『白猫』という渾名からだろうか。

 

 

 

 後で聞くところ、そんな見え方をしたのは僕だけだったようだ。

 


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