卒業試験が間近に迫っていた。同期の中でも始解を身に着けた連中は自分の武器にあった鍛錬をしているのだが、俺はそれができていない。というのも、始解をして以来斬魄刀が見当たらないのだ。鬼道系の斬魄刀にしても、刀が丸々なくなるとは。幸い刃禅はただ精神を集中するだけで可能だが。そうして悩んでいたある日のことだった。
「わたしをつかいこなせるようにするよ」
目の前にいるのは嗜血花だ。いつの間にか精神世界に呼ばれたらしい。だが、使いこなせるも何もこれ以上どうしろというのか。
彼女は虚空から剣を掴む。普通の刀と言って差し支えないだろう。この斬魄刀、ちゃんと刀だったのか。てっきり鬼道系の性質だと思っていた。もしかして、取り出そうと思えば取り出せたのか?
「やってみて」
刀の形をイメージする。彼女がやってみてと言ったんだ。つまり俺も必ずできるということになる。
柄を掴んだ感覚がした。そこから一気に、引き抜く!
「じゃあ、たたかおっか。そつぎょうまでにかてるといいね」
そうして刀を構えると、彼女が目の前から消えていた。目を離したつもりはなかったが、それでも捉えきれなかった。以前の爺さんと同じだ。
「めをならして」
咄嗟に声のした方向を斬りつけるが、当然手ごたえはない。俺の目の前に彼女が立っていて、次の瞬間には消えている。それを何度も続けているうちに、刀を振るう速さも落ちてきた。疲れに加えて嗜血花自身の能力で、霊力や血が奪われているのだ。
「あきた。おそい」
襟首を掴まれ、景色が目まぐるしく動いていく。彼女あまりの速さに意識が朧気になって──
突如として宙に浮いた感覚。石畳の上に身体が擦りつけられた。かなりの距離を転がり、痛みで意識が明瞭になる。
「もうねるの?おきて」
まだ、そうまだだ。トサカ頭に勝って以来強敵に勝てなかったからといって、それに慣れてしまっていてはいけない。
彼女は遅いと言っていた。なら、同じくらい速く動くしかない。瞬歩を繰り返し使い続けて、ようやく彼女の軌跡が見えてきた。そうして互いが交差する直前。
「はどうのいち、しょう」
相手を軽く弾くだけの一番台、初歩の鬼道で、俺はあっけなく撃ち落された。
「これがきほんてきなたたかいかた」
戦っている間は相手の方が消耗が激しくなるのだから真面目に切り結ぶ必要はないと、彼女がそう締めくくったところで、俺の意識は今度こそ途絶えた。
そうして彼女と鍛錬して一月が経った。
「さいごのしれん。わたしにいちげきあててみせて」
たった一撃。それでも今まで俺が一度も成し得なかったことだ。
「あどばいす。わたしをなっとくさせられないなら、あなたの身体は私が使うよ。必死で頑張ってね」
話し方が流暢になっていく。白い服は赤黒く染まっていき、嘲るような笑いが顔に張り付く。
「破道の八十八、飛竜撃賊震天雷砲」
八十番台詠唱破棄!?強大な爆撃を避けると、正面に嗜血花が立っていた。まさか、あれほどの鬼道を目晦ましのために使ったのか。短刀が振り下ろされる。狙いは足か。瞬歩では追い付かれるだろう。なら。
「縛道の三十、嘴突三閃!」
左手で三角形を描く。頂点からでた三つの嘴が、
「次。縛道の六十二、百歩欄干。縛道の二十六、曲光」
撃ち出されたのは無数の見えない霊柱。動きを妨げるそれを、彼女は蹴ることによる加速に使う。瞬歩よりも早く、不規則な軌道を描いての接近。けれども。
「それは何度もやってきた!」
霊圧で柱の位置を探知、配置を暗記する。そうして彼女と同じように柱を使っての加速。この一か月でなんども繰り返した修行の一つだ。交差の瞬間に、斬撃。退路には暗器が何本も投げられている。
切り払い、もう一度交差を狙う。そして──
「おめでとう、合格だよ。じゃあ最後に。きっとあなたは忘れるだろうけど、
一拍。木々のざわめきも静まる。
「言祝げ、『祀血架』」
世界が暗転し、木から落ちる葉は宙に止まる。まるで全てが死んでしまったかのように静まり返り、羽韻は自然と呼吸を止めていたことに気づいた。
「
徹頭徹尾一つの目的のための能力だと、目の前の始祖は語る。血の、魂の簒奪。
「犬蒔樫が上級貴族になったのはこれのおかげだよ。次の千年のために
「この斬魄刀の始解は、封印。この刀に封じた人の力の総てが使えるの。今封じているのは、私と一人の滅却師。この時間停止は、あの子の努力の成果なの」
停止するだけで火に触ったら熱く感じるし服や体は燃えるから、そのせいで
「つまり、嗜血花は本当の名前じゃないの。ニュアンスの違いだけどね。だから血と霊力を奪うだけの力になっているの」
「勝手だけど、この『祀血架』はあなたに使わせたくないの。
その代わりにと彼女は続ける。封印以外の能力はすべて使えるようにするからと。
「嗜血花としての始解を保ちつつ、霊子の操作による実質的な時間操作。さっき言った欠点はあるけど、これが本来あなたが使える力だよ。数年鍛錬すれば、あなたでも十全に使えるはず」
羽韻は目を閉じる。告げられた事実は衝撃的だったけれど、それでも。
「分かった。あんたの思いは、俺が成し遂げるよ」
死神を目指すものとして、願いを放ってはおけなかった。
卒業試験まで、あと一週間。
もういいと言ってあげたかった。私は纏まらない意識の中で考える。
滅却師狩りだとか吸血鬼とか言われてるけど、あの子はただの女の子だ。護廷十三隊だとかいう殺し屋集団で頭角を現すくらい強くなったのだって、私の仇を取るためなんだろう。
「滅却師は世界のバランスを崩すんだよ。だから虚を倒すのなんて私たちに任せておいて、大人しくこそこそと覗き見だけしていればよかったのに。バーカ」
心にもない。世界のバランスなんてどうでもいいくせに。私が殺されたのが許せなかったんでしょう。
「
血が出るまで手に爪を食い込ませながらそう言ったあの子。あの状態の斬魄刀が中途半端にしか力を貸さないのも理解できる。あの子は、欲しくもないものばかりを奪っているのだから。背負う花は極楽鳥花。すべてを手に入れるなんて、あの子には似合っていないのに。
「甘くなったね。えいじいちゃん。今は元柳斎のおじいちゃんだっけ」
復讐はなにも生まないなんてあのお爺さんに諭されて、あの子はそう言った。あの子は私のせいで変われなかったと思うと悲しいけど、少しだけ嬉しかった。私を忘れないでいてくれて。
「完璧ねえ、そんなものはどうでもいいけど、あなたのそれは面白いわ」
科学者を名乗る虚と会って、あなたは変わってしまった。
「やっと見つけた。アイツの城。瀞霊廷の影に隠れてるなんて、とっても臆病なのね」
自分の家の当主に私と自分を内包した斬魄刀を持たせて、現世駐在の折に滅却師の城を探し回らせた。まさか遮魂膜の内側にあったとは思わなかったけど。
そうして誰にも言わずに秘密にしていた、たった一人での復讐。
「始めるよ。失望させないでね」
新しい当主候補の彼の霊体を、自分の具象化で上書きする。非道な行いということは、あの子も分かっている。強がって大言を吐くのは、私が死んでからずっとだ。そうでもしないと折れてしまうのだろう。私が死んだだけで前を向けなくなるくらい、あの子は弱いのだから。
されど騎士は杯へ至らず。
故に奇跡は起こらない。