4
「ちょっと、あんた……おい、返事しろよ」
糸の切れたように横たわり、鼻につく嫌なにおいが、美雷の感情を大きく揺るがした。
狼狽えたまま、痛む体を引きずるように燈夜へと歩み寄る。
「おい……ねぇ、ねぇってば……」
―反射的な最大出力が直撃か。心肺停止、脈も無い……っ
『何してんの? 多分だけどこいつしつこいよ? このまましとけば邪魔者はいなくなる』
―黙れ、知ってるよ、そんなことくらい。でも、今なら間に合う……
『紫音だけ幸せになってくれればそれでいい、それにこいつは必要なの?』
―そうだよ
『私のこと追いかけてばっかりで、紫音のことは鑑みていないのに?』
―そんなことはない、燈夜は私たちの為に……
『こいつが私の戦いに深入りすることで、紫音をかえって危険にする可能性が高い。今のうちに排除するべきじゃ?』
―確かにね、でも……
『感情で判断するな、事実で判断しろ。こいつは充分脅威になりえる、目的の為にきっと目の前に立ちはだかるだろう、それならここで見殺しにするのが正解だ』
―………………気道を確保、鼻をつまんで、確か胸が上がるのが見えてわかる程度息を吹き込んで
『全く、何やっているんだか……我ながら呆れるよ。仕事はどうしたの?』
―…………その時は、どっちかを優先させる
『さぁて、私はどちらを優先するのやら』
教科書レベル、知識だけはしっかりした、たどたどしい人命救助は拙いながらも的確だった。
高電圧が故に、心臓、肺共に機能が停止したものの、それは動かせば決して高い割合ではないが事なきを得る。
電流による火傷も一瞬のことな為に、大した影響はない。
痛々しい雷撃傷を体に刻み付けながらも、しばらくすると燈夜は自発的に呼吸を始めた。
「あーあ、何しているんだか。こんなにも情緒的な人間だったっけ?」
震えの止まらない指を、燈夜の胸に当てたまま大きく安堵の息をつく。
家族といっていいのかわからない、同居人、友達。
未だに美雷は自分と燈夜との関係を明確に表せないでいるが、自らが原因とはいえ献身的な行動は一定以上の感情を持ち合わせていることを事実として叩きつけた。
否、気付きたくなかったのかもしれない。
気付かない振りをしていただけなのかもしれない。
そして、思い出したくない感情であることには間違いなかった。
慌ただしく蘇生を行い、一息つくと彼女の体に痛みが走った。決して我慢できないほどではないが、久々に感じる痛み。
それを味合わせた張本人に文句の一つでも言いたいところではあるものの、残念ながら届きはしないだろう。
人形のように横たわる燈夜を見て、ひとりごとのように呟いた。
「それにしても、痛っったいなー。これでも一応女なんだけど……手加減くらいしてよ。ちょっと前までは手も足も出なかったくせに、生意気」
奇跡が必然か、燈夜の拳が初めて自分に届いたのは美雷本人にとっても想定外すぎる事態だった。
帯電することで身を守ってきた彼女にとって、あまりにも衝撃的で、文字通り雷に打たれたように思考が停止してしまったのだから。
「ホントはさ、こんな形だったけど、会えて嬉しかったよ。もう一回あんたとギャーギャー言い合う事もないと思ってたからさ。馬鹿なのは相変わらずだけど」
心から滲み出た笑顔だった。
久々に燈夜の姿を見たとき、確かに軽蔑の意はあった。
本気で美雷を助けようと考えたのだろう。
本気で頑張ったのは十二分に理解できるが、相変わらず変わりのない真っ直ぐな赤い瞳で、昔のような眼差しを携えて、自然に話しかけてきたのだから。
普通に考えて、中学生が家を出ていき、別世界で生きていくとなったら真面な思考回路さえしていれば、もう少し色々と考え、その境遇を哀れんでいただろう。
だが、燈夜の目には何一つとして負い目だとか哀れみがなかった。
その考えのなさ加減に、かなり辟易とし、軽蔑したのは確かだ。
あまりにも妄信的だ、とさえ思う。
それと同時に、嬉しい思いはあった。相変わらず真っ直ぐな燈夜を見て、懐かしささえ感じていた。
もっとも、仕事モードという事もあり取り合うことはなく、邪魔者としか見ていなかったのは事実だが。
「私ももう少し頭が悪かったら、人並みの幸せが送れてたかもしれない。でもね、監獄の中の幸せで満足できなかった。地獄でも幸せでなくとも、自由でいたかった。紫音には本当の自由を楽しんで欲しかったから」
結局のところ、美雷の行動は自由を掴み取る為にある。
守ってもらわなくても好きなことを出来る、そこには手枷足枷もなく、自由に動ける。
しかし、美雷には当たり前の自由さえ、持ち合わせてはいない。
鬼燐士剛健、鬼燐士桜が引き取る形で鳴神姉妹を匿ったのだが、美雷は納得が出来ていなかった。
所詮は籠の中の鳥、それでは満足できない。
個性で科学の発展が遅れてしまった中、美雷は科学的な知識を駆使して個性を運用している。そのため、彼女の頭脳一つで、今までになかった武器も、文明利器も、兵器も作ることが可能なのだ。
幼少期の頃から比類なき才能を発揮する中、寄ってくるのは悪い大人たちしかいなかった。本人だけで済めばよかったものの、私利私欲に身を投じた世の中で最も意地汚く、しかし賢い浅はかな人間の魔の手に囲まれるのも無理もない。
一般的な常識だとか、優しさだとか、そんなものなど持ち合わせていない彼らに、当時の鳴神美雷は現在も進行中で驚愕と軽蔑を日々思い知っているのだから。
今でも状況は変わらない、籠の中の鳥と遜色のない、全てにおいて制限された生活。確かに鬼燐士夫妻による他方面での譲歩はあったものの、美雷は我慢が出来なかった。
子供の衝動的な反抗だとか、思春期特有の思考と同じような括りかもしれない。
けれども、聡明な頭脳を駆使し考えた結果、せめて妹だけはと自らを取引材料にし、鬼燐士家を去って行った。
定期的な知識の提供と、用心棒、秘密裏に動く工作員として彼女は十分すぎるくらい優秀で、その代わりに紫音のある程度の自由が保障された。
勿論油断はできない、常に喉元にナイフを突きつけ合っている状態で硬直したまま、お互いにいつ刺してやろうかと睨み合っている最中なのだから。
その行動に、美雷自身も後悔がないとは言い切れない。予想を遥かに超える行いを自らの手でやり続けた。
人間の汚さと、くだらない事で他人を平気で傷付ける世界に絶望した。
悪事に手を貸す度に、大人の権力争いだとか、足の引っ張り合いに巻き込まれる度に、心はどんどん荒んでいくのは言わずもがなで、鬼燐士家に匿われていた時の自分とは別人のようになったと自らが一番よくわかっていた。
そして、自分が忌み嫌っていた汚い人間たちと同列、またはそれ以下の存在に落ちてしまったことも。
そんな事情を知らず真っ直ぐな目と言葉は、まるで暖炉の火のような暖かく、氷のように凍てつかせた筈の心を、本人も気付かないうちに溶かしていた。
だからこそ思い出した奇妙な感覚、燈夜に対する思いをぽつりと口に出した。
「私はさ、もしかしたらあんたの事が好きだったのかもしれない。初恋ってやつだね、多分……」
血にまみれた手で、思い人だった少年を助けることが出来た。それは過去の思いに区切りをつける、そう言った意味では美雷にとってはちょうど良いものだった。
「じゃあね燈夜」
ちょっとだけ、ほんの少しだけ、芽生えた思い。
いけない希望だと理解ってはいるけれど、微かに抱いてしまった。
その言葉を口にしたら、きっと立ち止まってしまうから、罪悪感で押しつぶされてしまうから言えないけれど…………
「全部終わったら…………」
その後に続く言葉は飲み込んだ。
「今度会ったら、助けられないからね」
その代わりに、涙ぐんだ声で、そう宣言した。
本音は決して口にしない。言葉にした途端、堰き止めていた何かが瓦解しそうで怖かったから。
今度は容赦なんてしない、と自ら言い聞かせるように。
横たわる燈夜に一瞥もくれず立ち去る、心模様は雷雨だが、傘も差せずに美雷は進むしかなかった。
行く先が破滅だろうが、存立だろうが。
それは些細な気遣いだとか、言葉だとか。ちょっとギクシャクした関係をサラッと解決したり、クラスの隅っこでその様子を見ている奴を輪の中に無理やり引き入れたり。
思い返せば、お前の周りはいつも明るくて、俺は直視できなかった。
思わず手を伸ばしたくなる暖かい光の中心にはいつもお前がいて、頑なに遠くから眺めることしかできなかった。
憧れとかきっと入り混じってたんだろうけど、俺からするとあまりにも綺麗なものに見えすぎて、見るだけで十分というか……触れるのはどうも気が引ける。なんてことを考えていた気がする。
気付くと、お前のことを好きになっていた。その当時は、この感情に気付くことは出来なかったが、ようやく理解できた。
だから、時折見せる酷く悲しそうな顔や、何もかも諦めたような虚ろな表情を見た時に、力になりたいと思うようになったのは必然だったのだろう。
勝手に聖人扱いして、自分とは違った人間だと思い込んで崇め奉り、知らず知らずのうちに対等ではなく遜りっていた。
憧れはあった。神聖視していたと言っても過言ではない。けれども美雷も同じような人間だったと知って、聖人君子なんかではないと知って、愛おしくてたまらなかった。
自分の頭の悪さ加減に嫌になる、感情にすら気付けないなんて、みっともないことこの上ない。
好きって言う思いは恋愛感情以外にもある。どちらかと言えば、家族愛とかそう言うのに近い感情なのかもしれないし、1人の人間として好きなのかもしれないし、女として好きなのかもしれない。
前置きはさておいて、彼女のことが、鳴神美雷のことが、好きだった。
好きの種類が何であれ、俺の意思は変わらないのだから。
この驚くほどに優しい気持ちは、未だに違和感でしかないが、きっと大事なものなんだろう。
誇らしい双子の姉に対する、そんな感覚だ。血の繋がりなんてあるはずもなく、一緒にいた時間はほんの少しだったけど、俺は家族と同じだと思うのには十分濃密な時間だった。
今回のことだって、美雷がした決断だ。きっとそうせざるを得なかったに違いない。
本当のところはわかっていた、けれどもやっぱり納得するわけにはいかない。
俺の主張や、俺の願いは間違っていたとしても、好きな人に幸せになって貰いたい気持ちは、間違いじゃないんだから。
5
鬼燐士燈夜とのいざこざを終えた鳴神美雷は、持ち場に戻り課せられた仕事に従事する。
燈夜を無力化した帰りに飛び出してきた飯田をあっさり失神させ、やっていることが真っ当であれば社会人に見習ってほしい業務遂行能力を発揮していた。
戦闘並びに自己責任による人命救助、契約事項をしっかりと守る演習場の悪の門番として輝かしい働きを見せる。
その間僅か10分足らずで状況が大きく動くと事はなかった。
「こちらN1、不穏分子2名排除した後、異常なし。そっちは?」
「こちら黒霧、作戦は失敗です。もうじき、退きます」
「わかった、それじゃ解散ってことでいい?」
「勿論です、報酬は指定の方法で決済いたします」
「了解」
―作戦は失敗、イレギュラーが起こることはよくあるけど、オールマイト相手にこんなあっさり退けるか? あ、何かしらの事情でいなかった、の方が可能性あるな……だからこいつが飛び出してきたわけか
状況は間違いなく最悪だ、警報はならず、電話も圏外。内部から外部への通信は鳴神美雷の個性によって完全封殺され、助けを求めることは不可能に近い。
まして、機動力のある飯田天哉による直接的な救援要請も望めない。
中でどんなことが起きているのか、美雷にとっては知ったことではなかった。
そう言う契約だった。
ある程度の予想はつく、首謀者の2人と、オールマイト対策の兵器をわざわざ持ってきたのだから、のこのこと帰るとは考えにくかった。
最悪1人、命を奪われるか良くて重体か。さらに酷ければ複数人やられるのは可能性として高い。
美雷にとっては赤の他人がどうなろうと知ったことではない。
守りたいものを守るだけで精一杯で、本音を言うならば助けを求めたいのは彼女自身。
これ以上、介入する意味も理由も持ち合わせていない。
機材をてきぱきと片付け、演習場を一瞥すると踵を返した瞬間、あるものが目に映る。
嫌でも映ってしまう、という表現が適切だ。
地面を砕く轟音と、それに伴う土煙が柱のように舞い上がる。
誰がどう見ても異常な事態だとは判別がつくし、特にこの状況を知っているものからすれば、その光景を作り出せる人物が誰かだなんて簡単にわかる。
状況は一切知らないはずではあるが、トップヒーローとしての、平和の象徴として感じる者があるのだろう。
テレビで見かけるような、笑顔はなく、焦躁を浮かべたままそのままの勢いで、勢いよく演習場へ殴り込む。
数瞬のの静寂の後、状況を把握したのだろう。オールマイトの怒号が轟いた。
「もう大丈夫、私が来た!」
そのフレーズは、彼の代名詞のようなキャッチコピーにも似た発言であるが、今回ばかりは怒号に変わる。
雄英高校1-A襲撃を企てた本人たちとしては願ったり叶ったりのシチュエーションだ。
オールマイトが来てしまった以上、退く意味はなくなった。
美雷もそのことは充分にわかっている。
何をしたいのかも把握している。
彼女とて、望んで今の立場にいるわけではない。一般的な生活を送っていたと仮定して、普通の生活をしていたのならばヒーローを目指していた美雷にとって、いくら仕事とは言えど、妹の為といえど、自由の為といえども、反吐が出る仕事をしているのに変わりはなかった。
劣悪な環境にいても今だ残る鋼の良心、それ故の呵責。
鬼燐士燈夜と言葉を交わし、個性を交わしあい、本心で交わった影響もあるのかもしれない。
思わず口走る言葉は、叶わないと知りながらも一縷の望みを捨てきれずに滲み出てしまった発言だった。
「……こちらN1、どうする?」
「どうするも何も、貴女が良くわかっているでしょう」
「コンテニューだよ」
遠隔通信機器で美雷がそう問いかけるも黒霧、死柄木弔はほとんどノータイムで返答した。
最初からその筈だったのだから至極当然の反応、元より依頼主から彼らの指示は絶対遵守の命令の元動いているのだから美雷はただ従うしかない。
報酬も莫大な額で、頭金ですら相当なもので仕事を請け負っており、自分に対する言い訳もそろったところで美雷は首を縦に振った。
「それじゃあ、楽しんで」
オールマイトを亡き者にする。彼らの目的はその1点で、それを可能にする手段を、根拠を持ち合わせている。
美雷の役割はこの状態を保ち続けること。例えこの状況を嗅ぎ付け、雄英高校で教鞭をとるプロヒーロー等が駆け付けようとも、誰一人として中に入れない。
どんな手を使ってでも。
局面はころころと表情を変える。力関係が英雄側に傾く現状だが、今回ばかりは敵側か英雄側か、どちらに傾いても不思議ではなかった。