血の気が引いた。彼女───ジャンヌ・ダルクを見た瞬間。全身の体温が底冷えするような感覚に襲われた。ほんの数日前、ここで処刑され死んだはずの人間が今目の前に立っている。
空いた口がふさがらない。その様子をリナは察知したのか僕の後ろに隠れる。僕はリナを守るようにして後ずさりした。
人間は、死んだら生き返らない。誰にだってわかる摂理だ。故に、目の前にいるのは、人間じゃない。
それを知ってか知らずか、目の前のジャンヌ・ダルクは腰に携えていた剣を抜くと、此方に滑らせてきた。そしてこう告げた。
「私の事が信じられないのなら、その剣で私を刺しなさい」
自分は無害だと、味方だと。両手を挙げ、ジャンヌ・ダルクは視線を此方に合わせながら言い切った。
足元に転がっている剣に視線を移す。手に取り、正眼に構える。これを使えば、恐らく目の前の脅威を脱することは出来るだろう。だがその後はどうする? 今ジャンヌ・ダルクを殺したとしてどうやってこの人たちを助ける?
僕はこのジャンヌ・ダルクを信じることは出来ない。・・・だけど、今だけは。襲ってこない事を信じることにする。
剣を下す。その姿を見たジャンヌ・ダルクは、改めて口を開いた。
「さあ、この人達をどこか安全な場所へ」
倒れている男性と女性を担いだジャンヌ・ダルクは、僕たちの前を歩き出した。剣を僕たちに預けたまま。おずおずと、僕たちも歩き出し、ジャンヌ・ダルクの後を追った。
だが彼女を信頼したわけではない。どうにかして、男の人に助けを求めなければ。
そうして二日が経って、男の人が目を覚ました。
事の顛末を聞き、なんともいえない違和感を覚える。
まず話に出てきたジャンヌダルクは何故この結界の中に入り込めたのか。アレはエキドナの結界であって地獄門の結界でなかった筈だ。
ジャンヌダルクがサーヴァントであるにしても、結界を破れる程の逸話と力を持っているとは思えない。この為だけに宝具を使ったとは考えにくい。そもそも何故結界内に入る必要がある?
他にも不明な点はいくつもあるが、この事は置いておこう。
それよりも重要なのは、この子供が俺に助けを求めている点についてだ。
一度、この少年は仮の生殺与奪の権を件のジャンヌダルクから与えられている。子供といえど、その優位性は理解できるだろう。信じられないのならば、当人の言葉通りに刺し殺せば済む話だ。
尤も、サーヴァント相手にその程度の攻撃では殺害には至らないが。
子供というものは、無垢で純粋だ。それ故、大人でも気付かないその異常性に感付いてしまう事がある。恐らく、このレオという小僧はそれに気付いたのだろう。相対する相手が人間でない事に。
だからその優位性を捨て、自身より力のある俺達に助けを求めた。
賢明な判断であることは認めよう、だが。
「残念だが、その願いを聞き入れる事はできない」
少年の目が大きく見開かれる。当然だ。彼等にとって最後の希望だったのだから。
「な、なんでっ」
「悪いが、今はその問いに答える事はできない」
足音が近付いてくる。それに気づいた少年は深呼吸をする。そして平静を取り戻す。
子供にしては器用だと思う。この少年には、尋常ならぬ使命があるのだろう。その行動には、躊躇や戸惑いが無い。
扉が開く。甲冑が擦れる音と共に入ってきたのは、金髪の女だった。
「あら、起きていたのですね」
澄んだその声は、なるほどよく芯が篭っている。俺は杖で少年達を指し、言葉を紡ぐ。
「事情はそこの子供に聞いた。礼を言おう、お前がいなければ野垂れ死にだった」
「いえ、当然のことをしたまでです」
謙遜。流石は聖女。欲に塗れた俗人とは違う。とは言え、違和感が拭えないが。
俺はグリフォンに合図を送る。グリフォンは気だるげに答えると少年達を連れていく。
「ちょっ・・・!」
「ココからはオトナの会話だから、おこちゃまはご退室願うゼ~~!」
扉が閉まり、今この部屋にいるのは俺とジャンヌダルクだけとなった。舞台は整えた。情報を集める。
「先ず、情報交換だ。この特異点は何が原因でこのような事態となっている?」
「それは、分かりません。私が召喚された時から、この結界は存在していましたから」
空振り。誰が地獄門を開いたのかは依然不明だが、まあいい。
「・・・貴方は、一体何者ですか?」
今度は聖女の質問だ。何者というのが何を指すのかは不明だが、此処は無難にカルデアの事を話すか。
「この特異点を修復しに来た魔術師だ。カルデアという組織の人間と思ってくれ」
「カルデアとは一体?」
「未来が存続が危うくなった時、その原因を解決し人理存続を継続させる。という目的を持った組織だ。心当たりがあるんじゃないか? 何故自分がこの時代に召喚されたのか」
「・・・ええ」
理解したと受け取ろう。
「次だ。お前はどうやってこの結界内に入ってきた。お前の逸話に、ソレが出来る力は、無い筈だ」
俺の質問に、ジャンヌはくすりと笑うと口を開いた。
「それはこちらも同じです。・・・そうですね。何とかルーアンに行けないか手段を講じていた折、結界の力が弱まったのです。そこに他のサーヴァントの力を添えてもらい、私だけでも此処に入れたという訳です」
「そのサーヴァントの名は」
「かの有名な悪竜殺しのジークフリートです」
いやに素直な所が気がかりだが、確かにジークフリートならば結界に穴をあける事が出来ても不思議では無い。
「貴方は、どうやってこの結界内に?」
「俺たちは此方に来た時点で結界内に閉じ込められていた。おかげで孤立無援の状態だ」
そう仕組まれたのか、引き寄せられたのか。恐らく後者だと信じたい。
どちらにしろ厄介極まりない事ではあるが。ソレは置いておくとして、今はとりあえず協力態勢を取るのが先決だ。
「そこで、此処からお前と仮ではあるが契約を結びたい」
「はあ、理屈は解りますがまたどうして?」
「この結界の主を駆除しに行く。少しでも戦力が欲しい」
「主? この結界には元凶が存在するのですか?」
「悪魔と呼ばれる存在によってこの結界は成り立っている。それを潰せば自ずとこの森林化も、悪魔達の闊歩も止まる」
悪魔、その言葉にジャンヌは半信半疑の様子ながらも納得はした様子だ。
「それで、答えを聞こう。契約を結ぶか、結ばないか。とはいえ、魔力回路を軽く繋ぐ程度だが」
影響が出ない程度にな。
「・・・分かりました。私も貴方たちと同様に孤立無援の状態です。ここは協力し、元凶を打ち倒すとしましょう」
こうして、一時的にではあるがジャンヌダルクとの共同戦線が敷かれたのであった。
空気が、張り詰めている。作戦のブリーフィング中も職員の皆さんの表情は硬く、落ち着かない。
それもそうだ。希望の光であったAチームのマスターであるVさんが消息不明となり、残されたのは補欠のマスター候補の私だけ。
大した功績も実力もない私を頼みの綱として特異点に送り込む。ドクターやダヴィンチちゃん。そしてマシュは大丈夫だと励ましてくれるが、マシュの表情は硬い。私としては、そんな状態のマシュの方が心配だ。
「お嬢ちゃん、安心しろって。俺達も付いてんだ。サーヴァントが三人もいりゃ大抵のことはなんとかなるさ」
「・・・ふう。ありがとうございます。クー・フーリンさん。少し落ち着きました」
どうやらその心配は杞憂に終わったらしい。先日に召喚に応じてくれたランサーがマシュを落ち着かせてくれた。
「マスターも気張るなよ。固くなりすぎては戦闘に支障が出る」
エミヤさんも気を遣ってくれる。少し無愛想に見える事があるがこの人は本当に優しい人だ。
「アーチャーと光の御子、そして私がいる。よほどの事がない限り、負けることは無いでしょう」
そしてアルトリア。彼女たちがいるだけでとても心強い。彼女たちの言葉を聞いて多少は空気が和らいだのを感じた。
コフィンの中に入る。アルトリア達はマシュの盾を通じて特異点に召喚する手筈になっている。彼女たちがここに入る必要は無い。
『いいかい? 藤丸君、そしてマシュ。本当に何が起こるかわからない。騎士王がいるから大抵のことは何とかなるだろうけど、なにかあったら撤退してほしい。わかったね?』
ドクターの言葉にうなずく。そしてまもなく、コフィン内が光に包まれた。
『レイシフト、開始!』
木々が生い茂る森の中を歩く。グリフォンとセイバーを先頭にジャンヌダルク、俺、シャドウと少年達と並んでいる。
この並びは少年の要望を基に決まった並びだ。余程あのジャンヌダルクが信用ならないと見える。俺自身から見たジャンヌは見たところおかしな所はない。だが、子供の感性は馬鹿には出来ない。しかも俺は生前のジャンヌダルクを見たことがない。だが、あの少年は生前のジャンヌを見たことがある。今しか知らない俺より、前を知る少年の方が説得力がある。故に万が一の為に備えておく。
とはいえ、この状況で襲ってくる莫迦はいないだろうが。
「マスター」
先頭のセイバーとグリフォンが止まり、進行が止まる。
「これは、なんですか?」
人間の頭ほどの大きさの種子が、木々の根元に幾つも植え付けられている。その種子は結界端にあった種子とは違い、魔力が潤沢に蓄えられている事が見て取れる。
「コイツはエキドナの種子。植物に引っ付けばコンナ風にドデケェ木に、生物に付けば下僕として機能する。この魔力量からして近いゼ。そろそろ本丸ってワケだ」
俺は振り返り、少年達を見る。
此処から先にこいつらを連れて行っても足手纏いになるだけだ。エキドナ相手に、こいつ等を守りながら戦う余裕はない。
「コイツを此処に置いていく。何があってもコイツから離れるな」
シャドウをこの場に待機させ、少年達を護衛させる。かなりの痛手だが、案内役のグリフォンよりはマシだ。
「でも、もしあなた達が戻らなかったら・・?」
「勝算はある。だから戦う。そうでないならば、今頃逃げている」
実際の所、俺達がエキドナを倒す必要は無い。ナベリウスが倒れ結界が弱まったのならジークフリートの手を借り、結界を抜ければ済む話だ。特異点を破壊すれば必然的に地獄門を失ったエキドナは逃げ場を失い、特異点の消失と共に消えていく。
だがエキドナは悪魔だ。俺が俺である以上、放置するわけにはいかない。
「終われば、戻る。此処で待っていろ」
少年達を置き去りにし、歩き出す。少し遠くには、開けた場所が広がっている。
「ジャンヌダルク。お前の手札を確認しておきたい」
歩きながらジャンヌダルクに問う。今はともに戦う仲間だ。手の内を確認しておけばやれることの幅が広がる。
「・・・分かりました。私の宝具は────」
酷い頭痛だ。それも頭の中心を握り締められているような不快感を伴った痛み。
マスターと共に、ナベリウスと呼ばれる悪魔を倒した後。気絶するほどの激痛と共に、私は意識を失った。そして、マスターの記憶を垣間見た。
母親を殺され、復讐に走る子供。今のマスターとは違い、銀髪であったがあの刀を扱っていたのを見るにマスターで間違いないだろう。
私は、マスターの事を殆ど知らない。悪魔を使役する刺青の魔術師、という事以外はなにも。Vという名前も、本名ではないのだろう。
カルデアでの生活でも、マスターはあまり自分を出さない。
だが、時折管制室に足を運べばコールドスリープを施された人間の話を聞く。容体に変化はないか、機械は十全に機能しているか。ロマニと呼ばれた男は苦笑しながらも真摯に応えていた。あの盾の騎士の気配がする小娘の所にも行っていたな。
苦笑する。存外、私にも情が残っていたか。こうして振り返ってみるとVという男がどういう存在か少しだけ分かったような気がした。そしてそれに歓喜・・・いや、満足感に似た感情を覚えている。
俄然、Vという仮初に塗れた男に興味が湧いてきた。
目を覚ましたのは深夜を過ぎたあたりだった。いつの間に室内に運びこまれたのか。隣にはマスターが寝ている。
「お目覚めの様ですね」
気配からしてサーヴァント。だが、歪なナニカも感じられる。最大限の警戒を以って相対する。
「・・・最悪の目覚めだな。何が目的だ」
「目的、ですか。何を勘違いしてるのか知りませんが私に敵意はありません。そも、私は貴女達を此処に運んだ張本人です」
「恩着せがましい女だ。それで? 何が目的だと聞いている。マスターの代わりに今、私が聞いておこう」
マスターとの方針で"理性があるのならば会話の余地を築く”と決めている。目の前の女がナニであれ、後にマスターが陥らぬよう私自身が動かなくてはいけない。
故に目の前のサーヴァントの目的、要求を聞いたとしても、私がそれを呑む事はない。その判断はマスターがする。私の今やるべき事はコイツが敵か判断する事。何か問題があれば今此処でこの女を殺す。
「この現状を打破することへの協力を。貴女方も孤立無援の様子。此処は手を取り合うべきでは?」
「フン。残念だがその提案は私の一存では判断しかねる。そこで寝ているマスターが起きてから改めて話せ」
女の眉がピクリと動いたのを私は見逃さなかった。存外、耐性が無かったらしい。
「悪かった。助けてくれたオンジンにこれはシツレイだったな」
「・・・・・」
ベッドから立ち上がり、扉に向かう。ドアノブに手を掛け、顔を振り返る。
「私は外で警戒を始める。化け物がそこら中にいたからな」
寝室には、これでマスターと奴の二人になる。得体のしれない相手を眠りについているマスターと二人きりにするなど自殺行為。だが、厳密にはあの部屋は二人と一匹存在している。
あの女は気付いていないだろうがベットの下にシャドウの気配を感じた。もし、奴がマスターに何かしようものなら、鉄の処女の如く串刺しとなって終わるだろう。
扉を静かに閉め、この建物の玄関に向かう。そしてその途中、人の気配に足が止まる。
暗がりの向こうに立っていたのは一人だった。子供。月夜に照らされたその顔はそう判断させた。
「生き残りか。私に何の用だ? あの女ならば寝室にいるぞ」
私の言葉に少したじろいだ様子を見せたが、少年は何かを決したのかその口を開いた。
「あの、少し話しませんか」
少年からそのナニかを感じ取った私は少し考える素振りを見せ、歩き出した。
「外で話すぞ。ませた子供だが、慰みにはなるだろう」
「・・・?」
私の言葉の意味が解っていないのか首傾げる少年。無視して玄関へ向かうと慌てながらも少年は後を追い始めた。
あの女が聞き耳を立てているだろうから建前をつけてやった。あの寝室の窓は閉まっていたから聞こえない筈だ。
屋外に出た折、少年から自分たちを助けてほしいと懇願される。
アレはジャンヌ・ダルクではあるが、何かがおかしい。故に、信用できない。保護してほしいと。
事情を聴いた限り、理屈は理解できる。目の前で死んだはずの女が目の前に姿を現すなど、年端もいかぬ少年からすれば恐怖でしかない。
だが私自身、違和感を感じている事がある。奴がジャンヌ・ダルクであるならばあの佇まいはなんだ? 聖女であるならばもう少し・・・神聖さがその存在から滲み出ているはずだ。
神のお告げによってその使命を文字通り死ぬまで全うしたあのジャンヌ・ダルクならば、ハッキリと筋の通った佇まいをしていてもおかしくは、否。その方が自然だ。
存外、ジャンヌ・ダルクが俗物だという可能性も否めない。だがその可能性は限りなく低いと断定できる。
「お前の言い分は、分かった。だが私の一存では判断できない。上で寝ている男が起きたら、その男に頼め」
「わかり、ました・・・」
「・・・安心しろ。曲がりなりにも、お前達は私達を此処まで運んできてくれた謂わば恩人だ。危険が迫れば必ず守る。マスターも、嫌とは言うまい」
「だから今は妹と共に休め。私は此処で見張りをしている」
少年は頷くと、建物の中に入っていった。
それを見送った私は、何事もなかったかのように、警戒を再開した。
『成程、やはりあの小僧の言葉に偽りはなかったか』
『疑問は尽きないがあの少年たちは信用して問題ないと思う』
『それはお前の答えか? それとも騎士としての矜持か?』
『どちらもだ。あの少年達は恩人であの女は信頼できない。結果論だけ見ればあの女も恩人ではあるが』
此処は、暗く先の見えない世界。恐らく、マスターの心象風景を映した精神世界。薄く紅い水面に、私達二人が向かい合って立っている。薄っすらと見える水底には、姿は見えないが何かが沈んでいる。
固有結界。最初に此処へ足を踏み入れた時はそう思った。だが、マスターによるとソレは合っていて違うらしい。
話を戻そう。
私はマスターが起きた後この世界に接続し、マスターはソレに応えた。事前に私が得た情報をマスターと共有するためだ。この世界にいる間、現実世界の時間はほぼ止まっている。故に相手に知られたくないモノを共有する時は、この世界を使っている。
マスターによるとやはりあの少年に保護を懇願された後、ジャンヌ・ダルクに協力を頼まれたようだ。そしてその場で少年の保護は保留し、協力の申し出は受けたようだ。マスターの方針を考えれば納得できるが。
『不服か?』
『・・・そうでないと言えば嘘になる。だがマスターの決めたことだ。私はソレに従う』
『そうか。ならば今後の動向を決める。まず最初に保留していた小僧たちだが、エキドナとの戦いの際にはシャドウを護衛に出して安全圏で待機させる』
『そしてお前の気になるジャンヌ・ダルクだが。藤丸達と合流するまでは協力関係で事を進めていく』
『その後はどうする』
『味方ならば藤丸達に押し付ける。敵ならば殺す。それ以前でも同様だ』
『今の俺達は利害関係が一致しているだけに過ぎない。エキドナを始末し結界から出られればその後は敵だろうが味方だろうがどうでもいい』
マスターの最後の言葉と共に視界が晴れ、現実世界に引き戻される。そして家屋からマスター達が出てくる。
「これより元凶の元と向かう。元凶の残滓を辿る。グリフォンに続け」
トリ公が先導し進行が開始する。さて、あの女の前にやるべきことをやらなくては。
次はいつになるかなー(棒読み)
楽しみにしてくれてる人、申し訳ねぇ。