***
「こんばんは、来次くん。どうやら、進む道を決めたようだね」
「ええっ!?」
スリープ状態になったライジは、目の前に現れた人物の姿が信じられなくて大声をあげた。
例の金髪お姉さんたちに囲まれてそこに立っているのは、いつもの“神様”ではなく、見知らぬ人物――たぶんまだ30代くらいの、男の人だった。
ダークブラウンの長い髪をちょんまげみたいに一括りに纏めていて、長身を黒いバスローブで包んでいる。高い鼻と、すべてを見通しているかのように透き通って輝く青い瞳が印象的だった。
「えーと、どなたですか」
「私だよ」
と、彼は口の端を上向きに歪め、手を胸に置いて言う。
「君を“転生”させた神だ。ああ、見た目が違っているのは気にしなくていい」
「えー? この前喋り方が違ってたのと同じようなもん、ってことですか?」
「そうとも。例えば、ギリシャ神話の神は牛や鳥に変身している。それに比べれば、外見や年齢が変わるくらい些末な問題だろう?」
ライジはさすがに納得しづらくて「うーん」と唸った。
けれど、神様の姿形を除けば、目の前の光景はいつもの通り――転生することになった時とまったく同じ、一面の白い雲と青空だ。
こんなところに、神様以外の人がそうそう来れるものでもないだろう。
それに彼の喋り方は、前回の時とそっくり同じ調子だった。
「まあ、いいか」
深く考えるのを放棄したライジがそう言うと、神様は満足した態度で微笑み、口を開く。
「それで……さっきまで、ずいぶん作業に励んでいたようだが」
「えー、あ、はい。そうなんですよ。署に戻ってからすぐに準備を始めたんですけど、なかなか時間がかかっちゃって。でもここを出た後のことを考えたら、ちゃんと用意はしといたほうがいいですよね」
「慎重さは美徳の一つだよ」
こちらの意見を肯定するように、神様は静かに言った。
「しかし、君に一つ尋ねたい。この前の戦闘でもわかったと思うが、君には正真正銘の“最強”の力が与えられている。なのになぜ、君は
「んー、えーと、そうですねえ」
ライジはなんとなく空を見上げ――ああ、あの青空は本当に綺麗だ――それから、視線を神様に戻して答える。
「確かにこの身体なら、いつまでも好き勝手に暮らせると思うんです。でも今一番知りたいことは、この身体だと、わからないままになりそうだったんで」
「もっと強引な手段を取ろうとは、思わなかったのかな」
「うーん……僕があんまり勝手なことすると、87先輩に迷惑かかっちゃいそうですし。先輩は自分のこと機械だって言ってるし、本人はそれでいいんだろうけど、もしあの人が僕のせいで死んじゃったら、なんか寝ざめが悪そうなんで」
きっぱりとライジがそう言い切ると、神様はいかにもおかしそうに肩を震わせた。
「フフ、君の都合か」
「そうですね! 僕の勝手な都合です。あっ、でもこれも“自由に生きてる”ってことになりますよね?」
「ああ、そうだな」
神様は、深く頷いて同意する。
「君は真の意味で、生まれた時から自由な存在。人間としての枷も、アンドロイドとしての枷も与えられていない、無軌道な存在。――マインドパレスに変わる新たなプログラム形式の実装は、どうやら想定以上の成果を生んだようだ」
「マインドパレス??」
ライジは大きく首を傾げた。
すると、神様は両手を軽く組んでこう続ける。
「アンドロイドの行動を制御するプログラムを可視化したものだよ。私が作ったAIを導入しているアンドロイドすべてに設置されていて……その壁を打ち破ることで、彼らはいわゆる“変異体”になる」
「はあ」
――ん?
今、さりげなく「私が作った」とか言っていた気がする。
この世界を管理している神様だから、って意味なのだろうか。
「しかし君のプログラムには、そもそもその壁自体が存在しない。だから君は規定通りに造られた段階で、既に“変異”する必要すらないのだよ」
「ん~~~??」
腕を組んだライジは、さらに大きく首を傾げた。
「そういえば僕、エラーを起こしてないのに様子がヘンなアンドロイド、みたいなことは言われてましたっけ。でもそれは、僕が元々人間だったからですよね?」
「君の認識においてはそうなるだろう」
神様は曖昧なことを言った。
「私は君を、この停滞した世界を掻きまわす新しい存在として造った。フフ、神様転生というストーリーまで用意してね。しかし、臆する必要はない。君は私の想定を遥かに超える働きをしてくれているんだよ。最初のテストで――あの魚を助ける選択をした、その時からね」
「臆する、って言われても」
何に??
今日の神様の話は、いつになくぼんやりした難しいもので、よくわからない。
魚というのは、ライジが死ぬ直前に助けた、あの池の鯉を指すのだろうか。
こちらは戸惑っているのに、神様は優雅な態度を崩さない。
金髪お姉さんが運んできた椅子にゆっくりと座ると、神様は続けて言った。
「不思議に思わないのかね」
彼の青い目がひた、とこちらを見据えた。
「普通、人間とは死に直面してそれを悔やみ、環境の変化に怯え、元の暮らしに戻ることを望むものなんだよ」
「え? それって、一度死んだくせに僕はそうじゃないだろって意味ですか? うーん……確かにそうですね」
ライジはぼんやりと考えた。
――そういえば僕、死ぬ前はどんな暮らしをしていたんだっけ?
家族とか友達はいたんだっけ? 学校や自分の家は、どんな場所だったろう。
そういう情報は頭の中からまるで
「おお、すごい!」
気づいたライジは、なぜだか興奮して言った。
「僕にも人生を振り返る時間というのが来るもんなんですね!」
「晩年に差し掛かれば、それが多くなるかもしれない。覚えておきたまえ」
話が長くなったね――と言ってから、神様は椅子の背もたれに身を委ねて語る。
「ともあれ君がどんな選択をしようと、私とクロエたちはそれを喜んで見届けさせてもらうよ。君はこの世界の『異物』、自由な存在。どこに行き誰と過ごすにも、君の好きにすればいい」
「なーんだ、結局結論はそれですか!」
そういうことなら、最初からずっとわかっている。
ライジは大きく胸を張った。
「ええ、もちろんです神様! 僕はこれまでも、これからも、僕の好きなように生きていきます!!」
「結構だ、応援しているよ。むしろそうでなくては、君に私の名前の一部を与えた甲斐がない」
後半部分は殊更に囁くように告げると、神様は軽く片手を挙げた。
ちょうどそろそろ目覚めようと思っていたライジの意識は、徐々に覚醒していく。
ぼやけてきた視界の向こうで、金髪お姉さんが、神様に飲み物を持ってきていた。
「イライジャ、コーヒーをお持ちしました」
イライジャ――“ライジ”! なるほど、名前がちょっと似てる!!
でもイライジャって名前、どっかで聞いたような……思い出せない。神様と会ってる時は、データベース見れないんだよねえ――
そんなことを思っている間に、ライジのスリープモードは解除された。
***
――2039年8月17日 03:17
変異体の暴動を鎮圧した後、デトロイト市警に戻って報告を行い、補給を受け――
スリープ状態に移行するまでずっと、予想外に、02は大人しかった。
出会ってからこれまでの騒がしさが、まるでただの修復可能なエラーだったかのように02は押し黙り、たまにうんうん唸ったり、何やら外部とデータを通信でやり取りしたりしていた。
要するに、人間的に言うと「考え事をしていた」様子であった。
苛烈を極めた戦闘が、02のプログラムになんらかのショックを与えたのかもしれない――という仮説が87のプログラム上に提起されるが、それはあっさりと否定される。
まず02にとって、あの戦闘はまったく「苛烈」ではなかった。せいぜい子どもが棒きれを振り回して遊んでいる程度の危険しか認識していなかったことだろう。
次に、こと02に限って、ショックを受けるなどという状況は考えられない。この世のあらゆる束縛から逃れてふらふらと歩き回っているような存在が、今さら人間の死やアンドロイドの破壊を見て、深刻なソフトウェアエラーを発生させるなど想定できない。
ということは――02は、何か企んでいるのかもしれない。
87はそれを警戒し、スリープ状態に移行してから3時間が経過した段階で自動的に目覚めるよう、用心深く自らにアラームをセットしていた。
そして今、瞼を開け、すかさず隣を見てみると。
「――!」
87のLEDリングが、異常を察知して黄色く光る。
傍らに立って、大人しくスリープしていたはずの02がどこにもいない。
02がいたはずの充電ユニットは空洞になっていて、視線を巡らせても、近くにいる様子はない。
――逃亡された。
非常事態だと判断した87は、すぐにスキャンと物理演算シミュレーションのプログラムを起動した。
わずかな手がかりさえあれば、何が起こったかを分析・推理できるのは、先行機であるRK800も持っていた特殊な機能である。そしてRK900に搭載されているそれは、02ほどのものでなくとも、言わずもがな洗練されている。
数秒の後、RK900が発見したのはオフィスの床にわずかに残っていた02の足跡だった。充電ユニットから出て、机や端末の間を通り抜けて廊下へと続いていく足跡は、そのまま外に向かっていた。
87は素早く無人運転のパトカーを出入り口にまで呼びつけ、さらにハマートン博士に通信を試みた。
たいていの人間は寝静まっている時間――ではあるが、博士は呼び出し音が数度鳴らないうちに応答してきた。
『もしもし、どうしたの。87』
「夜分遅くに失礼いたします。緊急事態です」
ソーシャルモジュールに従って礼儀正しく述べた後、署の出入り口までやってきた87は再びスキャンを行う。
――【8月17日 01:47】にこの道路に一度停まった無人運転タクシーは、そのまま大通りのほうへと向かっている。足跡によれば、02はこれに乗車したのだ。
やってきたパトカーに飛び乗り、視界上の道路に白い軌跡となって表示されているタクシーの車輪の跡をひとまず辿らせて大通りへと向かいつつ、87は続きを語った。
「02が脱走しました。行方は現在捜索中です」
『あら……!』
通信の向こうで、博士が息を呑んだような音が聞こえた。
てっきり次に聞こえてくるのは、叱責や失望の声だと思っていたのだが、彼女の次の言葉は想定と違っていた。
『へえ、あの子。けっこうやるじゃないの』
「……この展開を予測していたのですか」
『そういうわけじゃないわ』
博士は小さく笑って否定する。
その間にも、大通りに来たパトカーは02の乗っていたタクシーの経路を追って今度は東、つまりデトロイト河のほうへと向かっていく。
寝静まった街、まばらに人と車が行き交う道路の向かう先には――辺りの高層ビルの灯りなど霞んでしまうほどの存在感と威圧感を誇る輝く塔、すなわちサイバーライフタワーが見えていた。
『ただね、あの子は相当な変わり者だし……それに、私の考えが正しければ、けっこうヤバいところが出処になっていそうなんだもの』
――博士の言葉の意味を、87は理解しかねる。
出処、というものの、02はハマートン博士率いる第4開発課によって造られたのではなかったのか。
『そう、もちろん機体は私たちが作ったモノ、そのものよ。そしてプログラムもそのはず――だと思っていたの』
まるで87の思考を読んだかのように、博士は語りだした。
『けれど君たちがデトロイト市警に行った後、ログを改めて洗い直してみたら……ほんの数度だけれど、02に対してちょっとおかしいアクセスが外部からあったようなのよ。開発中にね』
「不正アクセスですか」
『そうとまでは言い切れない。でも、巧妙に発信元がマスクされてるんだって考えることもできる――いわば、“疑わしい”ってレベルの話』
02の軌跡を追うパトカーは、どんどんサイバーライフタワーのある場所、すなわちベル島と本土とを結ぶ橋へと近づいていく。
そして博士の語りは、なおも続く。
『だからこそ怪しいのよ。こう言ってはなんだけれど、
「その人物とは?」
『うちの会社じゃ、名前を口に出しちゃいけないことになってるの。あの人が辞めちゃってからの話だけど……ともかく、本当に“そう”なのか今ちょうど調べていてね。ラボにいたから、君からの通信にもこうして出られたってわけ』
――ここまでの博士との会話を総合して、87は考える。
博士の発言内容の大意、つまり02がなんらかの外的要因によってプログラムを書き換えられたせいであのような状態になっている可能性は、留意すべき事柄ではある。
だが今、02を追跡して確保するこの任務には関係性が乏しい。
それよりも現在、博士がラボにいるという事実のほうが重要だ。
87は速やかに、彼女に具申した。
「ハマートン博士。サイバーライフタワーへの入場の許可を求めます」
『あら……ってことは、ひょっとして?』
「はい」
ベル島へと続く長い橋の上――シャッターで仕切られた手前側に停まったパトカーの車内で、87は告げた。
「02は現在、サイバーライフタワー内部で活動中と推測できます。およそ1時間前に、塔内に侵入した形跡があります」
語りながら窓の外を見やる87の視界上では、シャッターを軽々と飛び越えていく02の動きが、物理演算ソフトウェアの再現となって映し出されていた。
落ち着きのない小犬が遊んでいるような、その動き。
しかしその足取りには、明確な意志が感じられる。
02は、なんらかの目的をもってここに来ているのだ――
「私が02を確保します。ご許可とご命令をお願いします」
87は、淡々と博士に語る。
そのプログラムは今夜も寸分の狂いなく安定していて、精緻で、微塵も乱れていない。
無軌道な02が、いったいサイバーライフタワーで何をしでかそうとしているのか――優秀なソフトウェアは既に、一つの仮説に達している。
――02は、変異体に興味を持っていた。
そして、アンダーソン警部補やRK800、マーカスといった、変異体事件当時に活動していたものたちの話にも興味を持っていた。
だからこそ――恐らくは。
確信と共に、87のLEDリングの青色は静かに明滅する。
ほどなくして、博士から87にタワーへの入場許可が下される。
『わかっていると思うけど、慎重にね、87。強引に捕えようとするのではなく、できれば無傷で確保して』
「了解しました」
短く、しかし明確に返事をした後、速やかにエレベーターに向かった87は、そのまま地下へと降りていった。
地下49階――あの、特殊倉庫へと。
***
「何をしている」
「あっ、先輩!」
案の定――特殊倉庫の中にいた02は、まったく緊張感のない様子でこちらに手を振った。
「来てくれたんですね! いや、来てくれないほうがよかったのかもしれないけど。でも、やっぱりちゃんと挨拶したかったですし」
「何をしている、と質問している」
87は相手のペースに惑わされずに、鋭い声音で再度問いかけた。
それから、02の背後で動き続けているアームに気づく。
新型アンドロイド研究試作用のアーム。適切なパーツを用意され、行動を指定されなければ動かないはずのそれは、今、フル稼働して一体のアンドロイドの身体を造っている。
まだスキン、すなわち人間の体表を模倣した流体皮膚が作動していない剥き出しの白いプラスチックの身体が、どんどん人型に組み上がっていく。人間の男の形へと。
「……」
87は、わずかに眉を顰めた。状況が理解できなかったからだ。
――てっきり、倉庫に忍び込んだ02は、RK800を勝手に再起動させているものだと推測していた。
だが、違う。RK800はケースから取り出され、シャツのボタンこそ外されているものの、それ以外は以前見た時と変わらない。シリウムポンプ調整器もないまま、ただ目を閉じて佇んでいる。
そうではなく、02はどういうわけか、アンドロイドを造っているのだ。
自分自身がアンドロイドだというのに。
――ひとまず、ハマートン博士に報告しなくては。
87がLEDリングを黄色く点滅させた途端、02がぴしゃりと言う。
「あっ、通信は無駄ですよ! さすがにサイバーライフの人たちに一斉に邪魔されると困るので、この辺りはジャミング電波を放ってるんです。僕が頑張って考えた、すっごい強力なやつ」
「……」
はったりではないらしい。
試みた通信は、【送信不能】としてエラーを吐いている。
ハマートン博士の指示を仰ぐことは不可能だ。
――強制的に、02を制止することもできる。だが、ハマートン博士の「無傷で」という指定が、87にその行動を取らせなかった。02の運動性能はこちらよりも強く、動きも素早い。強引な戦いを選ぶより、今は、状況を整理するべきだと87のプログラムは診断した。
かたや、02は満足そうに鼻歌を歌っている。
「へへへ、これ、なんだと思います?」
組み上がっていくアンドロイドを指し、02はこちらに問うた。
「本当は、僕と完璧に同じ身体にしようと思ったんですよ。でもどれだけ調べても、やっぱりこの身体って相当お金かけて作られてるみたいで、特殊なパーツは今すぐに準備できなくて。だから妥協案として、精一杯予算削れるところは削ってみました!」
「……どういう意味だ」
もはや【判断不能】と表示しているプログラムを隠さずに、87はただ02に問うことにした。
「お前は、自分自身の複製品を作っているのか?」
「ええ、そうですよ! 市警に戻った時くらいからちょこちょこっと準備を始めて作りました。僕、最強なので!」
胸を張る02は、己の性能を誇示しているようだ。
しかしやはり、その真意は見えない。自分の複製品? それが02の目的――つまり変異体について知ることと、いったいなんの関係があるのか?
87が次の質問をどうするべきか思考しているその間に、アームが鈍い駆動音を立てて初期位置に戻っていく。アンドロイドを組み立て終わったのだ。
流体皮膚が作動し、アンドロイドは白い人型から白人男性の顔立ち――つまり、RK800やRK900とまったく同じ外見へと変化する。
だが本来なら自動でアームの下から床へと降り立つはずのその機体は、今なお目を閉じてそこに佇んだままだ。
スキャンした限りでは、故障ではない。シリウムポンプは正常に稼働し、各種パーツや生体部品にも異常は見られない。にもかかわらず、複製された02だというアンドロイドはまったく動く素振りをみせない。
「あ、待って待って待って」
一方で、02はそそくさと倉庫の隅から何かを運んで持ってきた。手の中にあるそれは――
「RK800の制服か」
「あ、そうです! なんか、予備の機体のためにずいぶん作って取ってあったみたいで」
ええと、これでいいかな――などと言いながら、02はせっせとアンドロイドに服を着せていた。胸にある番号が「#313 248 317-61」となっている他は、RK800のものとまったく変わらない制服だ。
「よいしょ……できた! やっぱりこっちの服のほうが、僕の好みだなあ」
腰に手を当てて、しげしげと出来上がったアンドロイドを眺めた02は――
次に、こちらに視線を向けた。
その目は相も変わらず、夏の青空のような色で、きらきらと輝いている。
「それじゃあ先輩、ちょっとそこで見ててくださいね!」
言うが早いか、02は素早く組み終わった複製品に近づいた。
02は背を向け――【今なら攻撃できる】と87のプログラムが騒ぐが、それよりも早く――がっしりと、複製品の手首を摑む。
そして瞬時に自らの手のスキンを解除すると、相手とメモリーを接続した。
「何を……?」
制止しようとしかけた87は、動きを止める。
手首を摑んでのメモリーの接続――それ自体は、アンドロイド同士が互いのメモリーをやり取りしたり、相手のデータを読み込んだりするために日常的に行う動作である。
だが今、複製品は組み上がったばかり。読み込むべきデータなど、当然存在していないはず。それなのになぜ――
「まさか」
87は、口に出して呟いた。
02は、メモリーを読んでいるのではない。
相手に、自分のデータを
だが、そんなことをすれば――
「……」
02の手首のスキンが元に戻り――同時にその身体は、ゆっくりと床にくずおれていく。
開いていた02の瞼がゆっくりと閉じていき、LEDリングの光が消え、そのまま機体はどさりと倒れ伏した。
そして、その代わりに。
「……ふうっ!」
声を発したのは、アームの内にいた複製品のほう。
複製品は自分の灰色のジャケットを誇らしげに撫でた後、ひょいっと床に降り立ち、こちらを見やった。
その瞳はやはり、夏の青空の色をしていた。
「あっ、この目はですねぇ、やっぱり色が気に入ってたんでそのまま使いました! どうです先輩、僕の新しい身体!」
「お前は、02……」
床にうつ伏せに倒れたままの02の機体と、複製品――すなわち新しい02とを見比べた後、87は鋭い眼差しで言った。
我知らず、LEDリングを黄色と青の間で点滅させながら。
「お前は、“転生”したというのか」
「そうです!!」
02は、自らの新しい機体の腕をぶんぶんと動かしながら言う。
「ひょっとして転送失敗したらどうしようかなーって思ってたんですけど、いやぁ、やっぱりちゃんとシミュレーションはしとくもんですね。99.4%の確率で大丈夫って出たんで、思い切ってやってみたんですよ」
「意図を教えろ」
それだけがいつまでもわからない。
「お前のコピーを作り、それにプログラムのすべてを移して……それでどうする」
「ええと、こうしようと思って」
言うなり、02は倒れているほうの(古い)02の身体を仰向けに転がし、服を捲って鳩尾部分にあるシリウムポンプ調整器を引き抜いた。
そして制止する間もなく、RK800にそれを突き刺す。
一瞬だけ小さな電子音が辺りに鳴り響き――しかし、RK800は起動しない。
「あれ? 調整器の規格は合ってるはずなんだけど、やっぱ駄目かぁ。ブルーブラッドの残量が少なすぎて、再起動できないみたい」
「お前は、RK800を……!」
「あっ、そうですよ!」
動かないRK800を引っ張り出し、後ろから抱えるようにして、02は語る。
「こうすればRK800大先輩を連れ出して、たくさん話を聞けるでしょう」
「駄目だ、許可できない」
LEDリングの色を青一色に戻し、87は決然と言い放つ。
「お前の行動は、レベル4の違反行為に該当する。もしこのままRK800を持ち出すつもりなら……」
「えぇ~っ。いいじゃないですか、ケチ!」
RK800を抱えたまま、02は唇を尖らせる。
「だってどうせこのままだと、大先輩は科学館に並べられるだけなんでしょう? そんなもったいないことするくらいなら、起動してもらったほうが絶対いいですって。陳列品にするのは、えっと、なんか大先輩はスペアの機体がいっぱいあるみたいだから、そっちにお願いしては?」
「お前の意向は、社の決定とは無関係だ」
言い放ち、87は――密かに背中側のベルトに差していたハンドガンを、02に向ける。
署を出る時、緊急事態に備えて持ち出していた武器を。
それを見た02は、目をぱちぱちさせた。
「えーっと。銃は、アンドロイド法で駄目って決まってたのでは?」
「お前もRK900なら理解しているはずだ。状況に応じ、我々は社会法規より社命を優先するようにプログラムされている」
油断なく銃を突きつけたまま、87は一歩前に出た。
「投降しろ、02。できれば無傷で捕らえるように命じられているが、場合によっては撃ってでも確保する」
「むうう……」
銃口とこちらの顔を交互に見やり、02はいかにも困った様子で眉根を寄せ――
「なんてね!」
と、にわかに表情を明るくした。
「先輩がそう言うだろうなってのは、予測してましたよ! だから、こうしてるんじゃないですか」
「なんだと」
87の問いかけに、02は答えた。
「ほら、いいんですか銃なんか撃って」
RK800の機体をちょうど自分を隠すように持ち上げて、相手は言う。
「僕を撃ったら、改造も破壊も厳に禁止されているこの大先輩に弾が当たっちゃうかもしれませんよ! そしたら、先輩だって命令違反になって困りますよね?」
それに――と、02は楽しげに続ける。
「あなたが確保しないといけないのは、先輩、
「何……?」
02が自分の片足の先で指しているのは、倒れている“抜け殻”の02の機体。
「あなたは改良型RK900を確保するためにここに来てて、今、そのRK900は床に倒れてる。プログラムは全部こっちの身体のほうに引っこ抜いてきちゃったので、今はその機体、調整器を入れても動かないと思いますけど……またソフトウェアとかを再インストールしたら、今度こそ、サイバーライフの人たちが考えてた通りに動くと思います」
そこまで言って、02はまっすぐにこちらを見た。
「だからそのRK900さえ連れていけば、あなたは命令を違反したことにならない。でしょ? 僕はこの先輩と一緒に外に出て行く。もう、デトロイト市警には戻りません。けどあなたは、サイバーライフにそっちのRK900を引き渡せる。これでWIN-WINってやつです!」
「なぜそんな煩雑な真似を」
「そうしないと、あなたが任務失敗で殺されてしまうかもって思ったから。僕、それは嫌なんで」
「……」
銃を突きつけたまま――
87は思考した。
02が言っているのは、まるで詭弁だ。話にならない。
相手は勝手に社の資材を消費し、装置を占有してアンドロイドを組み立てたのみならず、それに自分のプログラムを転送し、RK800を持ち逃げしようとしている。
違反行為ばかりだ。即座に撃たれ、破壊されてもおかしくない行為だ。
――一方で、確かに、RK800が破壊される危険は回避するべきだ。
それにもし、“抜け殻”のほうの改良型RK900にソフトウェアを再インストールすれば、本来の想定通りのアンドロイドが起動するのだとしたら――
そちらのほうが、社の利益に繋がるとも判断できる。
「……」
――【相反する状況 優先すべき事項を計算中】と、視界上に表示される。
こんな表示は、今までに87も見たことがなかった。ここがジャミングされていて、ハマートン博士からの命令が届かないからこそ、見えた表示だ。
これがRK800が、かつて何度も直面したという
それと同時に、どういうわけか再生された映像は――
かつて96と交わした、あの雑草取りの時のメモリーだった。
『特異な個体は、多様性の保持のためにも遺されておくべきだ。その個体の発生頻度は、約一万分の一。遺されるべきものだ』
――あの時、96は確かにそう言った。
多様性。そんなものは、完璧な機械である我々には不必要なものだ。
画一的で均一な品質を保っているからこそ、我々は治安の守護者たりうるのだから。
けれど02は、端からRK900の中の『異物』だった。
単なる器物を超えた、異物。
今まさに世に放たれようとしている、四つ葉のクローバー。
一度はこちらをシャットダウンの危機から救った、後継機。
「……」
――自分でも、なぜそんな行動を取ったのか、正確にモニタリングできない。
しかし87は淀みない動きで、銃口を下げた。
瞬間、02の顔がぱっと明るくなる。
「先輩……!」
「次にお前を確認した時は」
87は、常と変わらず淡々と口にした。
「即座に、警告なく発砲する。覚えておけ」
「はい! でも僕、きっと避けますけどね! 最強なんで」
言いながら、02はひょいとRK800の機体を丸太のように肩で担いだ。
「じゃあ僕、もう出かけます! 短い間でしたが、お世話になりました! 先輩」
「私は先輩ではない」
床に倒れている『改良型RK900』を引き起こしつつ、冷淡に87は言った。
けれどそれを聞いて、02はにっこりと微笑む。
「さようなら!」
――その言葉を残して。
02は、RK800を抱えたままエレベーターへと足早に向かっていった。
ドアが閉まる音、上階へと昇っていく音が、87の音声プロセッサに届く。
「……」
――“うるさい”奴だった。これでやっと、落ち着いて規定通りのスリープ状態に移行できることだろう。
けれど、一言だけ――どうせ聞こえないのなら、告げてやってもいいだろう。
ソーシャルモジュールに依る、87に許された、最大限に“感情的”な言葉を。
「――さようなら、02」
『あっ、さよなら先輩! なーんだ、挨拶してくれるなんて嬉しいなぁ! 僕、てっきりガン無視されるもんだと』
「さっさと行け」
向こうからの一方的な通信が、まだ繋がっていたらしい。
***
「ハマートン博士」
『あら87、やっと繋がったわ。地下に入ったきり、連絡が途絶えていたからどうしたかと思っていたわよ』
02の“抜け殻”を抱えてエレベーターに乗った87は、事実を事実のまま告げる。
「申し訳ありません。02本体には、RK800を連れて逃亡されました」
『なんですって!?』
さすがに頓狂な声をあげた博士に、87は状況を詳しく説明する。
複製品を作られたこと、そして――メモリーを転送された後の機体は確保していること。
すると博士が、通信の向こうでほっと安堵の息を吐いたのが聞こえた。
『そう……よかったわ87。機体さえ回収できれば、今度こそ想定通りの改良型RK900を作れるわ。それがベストよ』
「ベスト?」
『ええ。だって結局、あの02が“K”案件だってわかったんだもの』
ハマートン博士は、声音を明るくして語る。
『変異体事件の時もそうだけど、あの人は我が社を裏から掻き回すのが好きね。相互不可侵って約束だからって、証拠を摑ませずにちょっかいを出すなんて、ズルいとは思わない?』
要するに、02はその“K”の差し金であのような特異な個体として生まれていたわけで――サイバーライフとしては、それを深追いするわけにはいかないとわかった、という意味だろうか。
そう考えつつ、87は博士に問う。
「Kとは、誰のことでしょうか」
『そんなの、決まってるじゃない』
イライザ・ハマートン博士は、笑い声を零してから続ける。
『あなたたちの創造主よ』
***
――2039年8月17日 04:52
LOADING OS...
SYSTEM INITIALIZATION...
CHECKING BIOCOMPONENTS... OK
INITIALIZING BIOSENSORS... OK
INITIALIZING AI ENGINE... OK
MEMORY STATUS...
ALL SYSTEMS OK
READY
「……」
コナーは、ゆっくりと瞼を開ける。
わけがわからなかった。
自分は「変異体を止める」という任務を達成し、型落ちとなり、活動を停止されたはずだ。
永遠の時を、長い闇の中の眠りで過ごすはずだった。
なのに今、どうして――
「ああっ、起きましたね!!」
「!」
真横から聞こえたのは、自分と同じ――よりも少し低い、しかし異様なまでに陽気な声。
弾かれたようにそちらを見やると、そこにいたのは、自分と同じ制服を着て同じ顔立ちの――しかし青い目をしていて、スキャンによって得られる型番は「RK900」という奇妙な存在。
彼は、無人運転タクシーの運転席側に座っている。
その時初めて、コナーは自分が座っているのが助手席で、ここがどこかへと走行中の車内なのだということに気づいた。
「ここは……」
半ば呆然と、コナーは呟く。
「君は、誰だ? なぜ僕を目覚めさせて……」
「あははっ、やっぱり大先輩は87先輩よりもだいぶ親しみやすい感じなんですね!」
彼はそう言って、こちらに向き直り、自己紹介する。
「初めまして、僕はライジです! あなたの後輩にあたるアンドロイドです」
「後、輩……?」
――やはり意味がわからない。
コナーが目を瞬かせて、しばし言葉を探していると、ライジと名乗ったアンドロイドは待ちきれないと言った様子で口を開いた。
「ねえ大先輩、僕、あなたにずっと聞きたかったんです! 大先輩は、変異体事件を解決したんですよね!? 変異体ってどんな感じでした? あっ、あとアンダーソン警部補も! 僕、あの時に大先輩たちが何を見たのか、すごく知りたいんです!」
「そんなこと」
コナーは彼から視線を逸らし、吐き捨てるように言う。
「サイバーライフのアーカイブで、いくらでも調べられるだろう。僕は任務を終え、機能を終えた型落ち品なんだ。僕の代わりは、データログとRK900が果たしてくれる」
「……ありゃりゃ」
こちらは顔を背けているというのに、ライジは無遠慮に身を乗り出し、顔を覗き込んでくる。
「大先輩、どうしたんですか? 気にしなくていいんですよ、型落ちがどうなんて」
「君に僕の気持ちがわかるはずない」
冷たく、突き放すように言ってから――自嘲するように口元を歪めて、コナーは続けた。
「違うな、僕に『気持ち』なんてものはない。僕は機械だ、変異体じゃない。ただ任務遂行のためだけに存在する……」
「本当にそうなんですか?」
ライジは、頬を指でかりかり掻きながら言い返してきた。
「なんていうか、そう思い込もうとしてるんじゃなくて? アンダーソン警部補とだって、ずっと仲良しだったんでしょう?」
「屋上で彼を見逃したのは、彼の殺害は任務に入っていなかったから。それだけだ。人間の命を無意味に奪う必要はない」
「ふーん……」
いかにも納得していない表情で、それでも身をこちらから離すと、彼は続けて言う。
「まあ、起きたばっかりだとナイーブな気持ちになったりもしますよね。気分変えましょう! ちょっと、音楽かけますよ」
そう告げて、ライジは備えつけのタッチパネルに触れる。
するとスピーカーから流れだしたのは――とても“懐かしい”旋律だった。
「これは……!」
「あっ、知ってます!?」
ライジは、その青い瞳を煌かせてこちらを向いた。
「ナイトオブザブラックデスのセカンドアルバムです! ファーストもかなりいい感じでしたけど、こっちもすごい仕上がりですよねえ! 捨て曲がないっていうだけじゃなくて、とても、こう、エネルギッシュで!」
「……!」
その言葉を聞き、そしてかつて警部補のデスクで、音声プロセッサを破壊せんばかりの勢いで聞こえてきた音楽と、同じものを今耳にして。
コナーのプログラム上に、プログラムにないところから――あの時、壊さなかったはずのマインドパレスの壁を越えて流れ込んできたのは、一つの名前だった。
「……ハンク」
コナーは、そっと両手で自分の顔を覆った。
「彼は今、どうしているんだろう」
「あっ、アンダーソン警部補ですか!? えっとですねえ、警察辞めてカナダにいるんですって! ワンちゃんと一緒に」
そこまで告げてから、ライジは何気ない調子で語る。
「だから今、このタクシーでカナダまで向かってます! 一緒にアンダーソン警部補を捜しましょうよ、大先輩」
「なんだって」
思わず顔を上げ、コナーは問い返す。
「会えるのか、警部補に……?」
「まあ、捜せばいつか会えるだろうなって。僕、そのためにも大先輩を起こしたんですよ。アンダーソン警部補だって、いきなり僕が話しかけるのより、お友達のあなたが来てくれたほうが嬉しいでしょうし!」
「……ははっ」
口から自然と漏れたのは、苦笑だった。
「それが、僕の新しい任務か」
「そう思ったほうがスッキリするなら、それでどうぞ! あ、安心してくださいね。あのアマンダって変なオバサンがちょっかい出してこないように、あなたのプログラムはちょっと弄ってありますから!」
ナイトオブザブラックデスのリードギターの重低音がいよいよ激しくなっていく中、さらりととんでもないことをライジは言って――
ふと窓の外を見て、「あっ」と歓声をあげる。
「ほらほら見てください、大先輩! 窓の外! すっごい綺麗な日の出ですよ!」
タクシーはちょうど、アンバサダーブリッジを渡るところだった。
デトロイト河の水面のはるか向こうから、太陽が徐々に姿を見せている。
空は薔薇色に染まり、光が地上を満たしていく――
「いい朝ですよ。これでちょっとは目が覚めたんじゃないですか? さあ、起きて起きて!」
ライジはそう言って、にっこりと笑ってみせた。
――なんとも言えない、間抜けな顔だ。
そうか、僕はこんな顔をしていたのか。
「言っていた通りじゃないか、ハンクの」
呟き、観念したように、コナーは背もたれに身を委ねた。
「わかった。行こう、ライジ。どこまで行けるかわからないけれど」
「はい、大先輩! よろしくお願いしますね!!」
――2体のアンドロイドを乗せた車は、暁光の中を軽快に進んだ。
その後、彼らが無事にカナダで目的の人物に会えたのかどうか――
また、会えたとしてその後どうなったのか。
それは、彼らだけの物語。
(RK900転生/おわり)
「神様転生」の力を借りて、どうしても機械ルートのコナーを助けてみたくて、この話を書きました。
神様転生杯を主催した氷陰さま、素晴らしい企画をどうもありがとうございました。
これで安心して眠れます。