憂き世は鬼の世 作:ミーティ(汚)
天皇と幕府の度重なる対立や、海の外からの侵略を経て世は争乱の兆しを見せていた。鎌倉幕府は倒れ、南朝は潰えた。室町幕府も衰退が目に見えており、その間隙を突いた各地の有力者が蠢動を始めた事で戦国時代が見えて来る。
激変を続ける人間同士の争乱とは異なり、人と鬼の争いは膠着状態が続いていた。鬼殺隊は『日輪刀』と呼ばれる特殊な刀をいつからか標準装備として用いるようになり、導入初期は多くの鬼が塵となった。しかし無惨が鬼の生産ペースを上げ、更には頸を斬らねば意味がない事が知られてからは逆に鬼殺隊の犠牲が増えた。漸く鬼への有効打を手にしたという気の緩みを突かれたが故だ。すぐに緩んだ空気は払拭されたが、勢いに乗る前に出鼻を挫かれた事で、均衡は保たれたままとなる。
無惨の手元にある特記戦力は片手で足りる。玉藻、巴、遮那と呼んでいる三鬼だ。玉藻は現状残っている鬼の中で最古参となる鬼達の一角を占めている。巴はかつて勧誘した巴御前その人で、血鬼術によって炎を操る。日輪刀すら融解させる高温の炎を扱うので、鬼殺隊に対して大きなアドバンテージを持った鬼だ。遮那は源義経の身体に血を注いで生まれた鬼で、稚児名*1の遮那王を元として名付けられた。
この三鬼に共通しているのは、同年代の鬼とは比較にならない力量を持ち合わせている事だ。巴と遮那に至っては、真正面から一対一で小細工なしという圧倒的有利条件下でこそあるものの、百年単位で鬼として重ねてきた年月が異なる玉藻を相手に戦いを成立させた。
これは異常極まりない話だ。鬼の強さとは、喰った人間の数に比例する。そして鬼としての本能が強さを求める以上、必要最低限しか喰わないという選択肢は鬼に存在しない。つまり鬼として過ごした年月の長さは強さに直結する。故にこそ、数百年という時は埋め難い絶対的な差となって立ちはだかる────筈なのだ。無惨はそこまで考えて、まあいいかと思考を打ち切った。配下が強いに越した事はない。
正直、無惨は鬼殺隊なんてどうでも良い。産屋敷さえ居なくなれば脆く崩れる組織で、どこまで行っても無惨の命には届き得ない者達だからだ。無惨の日輪刀対策は極めて強引で、弱点を分散する手法に出た。脳と心臓を物理的に増やしたのである。数を増した鬼の管理の為に、呪いから得られる情報の処理速度を底上げする為でもあった。現状、無惨の脳は五つ、心臓は七つ。肉体構造的には人間よりも蛸*2に近い。これによって頸の弱点を克服した他、再生能力が鬼から見ても異常と呼べる域に至った。故に無惨は鬼殺隊を現状問題視していない。問題は日光だ。
無惨が鬼と化してから既に五百年以上が経過している。流石にそろそろ陽光克服への取っ掛かりを得たいとは考えていたが、無理矢理鬼にして働かせた薬師達は反逆を企図し、無惨に容易く察知された挙句全員処分された。強引な手段はあまりに効率が悪いと反省した無惨は、医学知識の豊富な、恩を売れる相手を探した。しかし当然ながら、そう都合良く条件に当て嵌まる者が居る訳もない。積極的に人を雇って探させた結果、漸く網に掛かった者がいた。その人物の名を、珠世といった。
無惨は珠世の勧誘を玉藻に任せた。無惨が信を置く鬼は先に述べた三鬼だが、そのうち遮那と無惨自身は男だ。男が人妻を訪ねて来るというのは外聞が悪い。些か面倒な気配りではあったが、極力礼を尽くしておくに越した事はない。第一印象は大事だからだ。残りは玉藻と巴だが、巴は武人故か正直過ぎる。謹厳実直な在り方は主君として好ましさすら感じている無惨だが、頭の回る相手を舌先三寸で言いくるめる事も視野に入れねばならない今回には向かない。その点玉藻は魑魅魍魎の蔓延る宮廷内で、遍く人々の羨望や嫉妬を一身に受ける容貌と才覚をこれ見よがしにひけらかしながら、妬心と悪意よりもむしろ尊崇の念を集め続けた実績がある。
まあ失敗はすまいな、と無惨は思う。調べた限り、珠世には夫と幼い子供がおり、しかも珠世自身は死病に冒されている。時に言葉で、時に美貌で、人を掌の上で自在に転がしてきた玉藻は人心掌握が大の得意だ。人間の心の弱さに付け込む事も。未練の種が目の前に転がっている以上、そこを最大限に利用する所が容易く想像できた。珠世を引き込めればそれでいいので、無惨に咎める気は無い。
鬼は無惨の影響を少なからず受ける。最たるものは精神性だ。無惨が人間を禽獣が如く扱っている為か、他の鬼達もあくまで食糧として人間を見ている節がある。わざわざ甚振る鬼が居ないわけではないが、その前提は崩れない。無惨が知る中で一番影響が顕著なのは巴だろう。初期はその良識故に人を喰う事に忌避感を覚えていたようだが、十年も経つ頃には平然と喰らうようになっていた。鬼の血が深く根付き、認識が変わったのだ。人は、鳥や魚を問答無用で殺し喰らう事に忌避感や罪悪感など覚えない。つまりはそういう事だった。
だからこそ、鬼となった珠世が人を喰う事を嫌っても無惨は一切咎めなかった。いずれ、道端の野花でも手折るように人間の命を摘むだろう事を予測しているから。誰よりも鬼を知る無惨だからこその判断だった。戦力となる事を期待して鬼とした訳ではない事も、その判断に一役買っていた事を否定はしないが。それに、珠世は勤勉だった。無惨自身も研究は続けていたが、発想力というか閃きというか、全く新しいものの開発に不可欠なそれらが無惨には不足していた。そこを珠世は補った。近代的な価値観と展望を持つ無惨をして、世が世なら偉人の一人として歴史に名を刻んだやもしれぬと唸らずにはいられない程に、才智に富んだ女性だった。無惨が期待した以上の将来性を秘めた人物の一人であったと言える。
珠世という有能な研究者を手中に収めた無惨は、珠世が鬼狩りに討たれることなど万一にもあってはならないとばかりに巴を護衛として配した。それは巴が対鬼狩りの最前線から半ば脱落する事を意味していたが、無惨がそれを重要視する事はなかった。特記戦力たる三鬼を勘定に入れずとも、玉藻とほぼ同時期から生き続ける個体を始めとする有力な鬼は多数健在であったし、それらの鬼は三鬼には及ばずとも鬼狩り側の特記戦力である柱を半ば一方的に潰せるだけの充分な地力があった。事実として鬼殺隊士の手によって滅ぶ鬼は比較的年若い鬼ばかりであり、一定以上の年月を積み重ねた鬼はむしろ返り討ちにした鬼殺隊士で屍の山を築き上げるに至る。
だが、鬼の優勢もある時を境に崩れ始めた。そもそも鬼が鬼殺隊に対して優位を維持できたのは、生半な事では死なぬ不死性と、永い時を掛けた戦力の醸成を可能とする不老性、更にそれらの特性や人知を超えた肉体性能を基本的な種族特性として最初期から有している事などが理由として挙げられる。遠慮無く口にするならば、鬼という種族としての強さの上に成り立ったものだ。だからこそ武術的な側面を疎かにする鬼が多く、その欠点が足を引っ張って鬼殺隊との拮抗状態を生み出していた。つまり鬼殺隊が鬼との拮抗を崩すには、鬼が持つ性質のいずれかを手に入れる事ができれば良いのだ。
鬼側の長所を、最低でも鬼殺隊士と肩を並べる程度のものに貶める事ができれば、それは鬼の陣容を破壊する一手になりうる。不死性、不老性、そして異能たる血鬼術。これらは人間には逆立ちしても到底届かない鬼の特権。むしろその代価を鑑みれば、届いてはいけないと言ってもいいかもしれない。故に目を向けられたのは身体能力。そしてその取っ掛かりは、自ら鬼殺隊の下へと転がり込んできた。
呼吸法。そう呼ばれるようになった操身術は、継国縁壱と名乗る一人の男によって鬼殺隊に齎された。鍛え抜かれた肺により、体の細胞の隅々にまで酸素を行き渡らせることで身体能力を格段に引き上げることを可能とするこの技術は、人に鬼と伍する身体能力を授けた。これぞまさしく天の配材、鬼という邪悪に抗い続けた我らへと齎された救いなり。そう喜んだ産屋敷一族は、全ての鬼殺隊士へと呼吸法を教え込んだ。結果、日輪刀導入初期のような動きが起こる。鬼殺隊は好調に鬼を狩り続けたが、無惨によって鬼殺隊の強化が鬼全体へと即座に周知されると一気に戦果が低調となる。以前と違ったのは、鬼殺隊の柱達と継国縁壱がいた事だ。柱達は安定して鬼を狩り続け、柱達も敵わぬ程の力をつけた古き鬼は縁壱が斬り捨てた。呼吸法の開祖が有する実力は、比べる事すらおこがましいものだった。
一方無惨は、突如として増えた鬼の損害に敏感に反応した。以前が日輪刀という対鬼戦を想定した武器の投入直後であった事も影響している。討たれた鬼達から情報を拾い集める事でその原因も早期に判明したが、無惨の思考には一つの疑問が残った。古参に属する鬼達を誰が滅ぼしているのだろうか、というものだった。呼吸法なるものを覚えた柱達も易々と退けた古参の鬼が、下手人の姿すら見る事なく斬り捨てられているという異常性が無惨の警戒心を否応なく刺激した。故に無惨は現有戦力の中で最精鋭を送り込むこととする。当然ながら玉藻達三鬼の事であり、珠世には巴の代わりに無惨自身が張り付く。
本来ならば戦力として最も優れている無惨が向かうのが一番なのだが、鬼とは無惨が滅びれば共に消え去る存在。故に易々と身を晒すわけにもいかず、かといって古参の鬼を秒殺するような相手に戦力を逐次投入するような真似も出来ず、結果として三鬼に合同で正体不明の敵に対する威力偵察を命ずる事となる。他の鬼であればいざ知らず、この三鬼に関してはさしもの無惨も使い捨てにするような真似はできかねた。故に生存しての帰還を第一義とし、対象の情報収集は二の次と定め、独自判断での撤退を許した。呪いを介して戦況を見ていたとしても、
かくして無惨の命を帯びた三鬼が周辺の鬼を一時的に統御し、目的の人物の捜索を開始した。無惨は三鬼があっさり蹴散らされるような事態にはなるまい、と考えていた。それだけ信頼を寄せていた証左でもあるが、無惨の見通しは甘かった。数日後、這々の体で三鬼が帰還した事で無惨は初めてと言っても過言ではない唖然とした表情を晒す事となる。
統率させた鬼達は全滅。正直言ってそれはどうでもいい。囮兼肉壁として配置しただけなので、三鬼が生存している時点で役目は果たし終えている。問題は三鬼が酷く怯えて帰ってきた事だ。鬼の特権に物を言わせて戦ってきた玉藻のみならず、命のやり取りに慣れている巴と遮那まで思考が恐怖一色なのは一体どういう事なのか。あまりの怯えように聞き出す事も憚られた無惨は、三鬼の記憶を呪いを介して覗き見て────後悔した。
瞬きの間に頸の飛ぶ雑鬼。
溶けるように消えていく
業火も暴風も刀の一振りで斬り払う。
危うく刃が頸に届く瞬前に虚空に逃げ果せる。
その一瞬、小揺るぎもしない表情の中でただ一箇所、目だけが深い憎悪と殺意を滾らせて────。
ひくりと頬を引きつらせ、無惨は三鬼を労った。むしろ生きて帰れた事が奇跡と言える。トラウマになっても仕方がない。無惨は即座に決意した。よし、逃げよう。
三鬼には珠世の守護を命じた。全員があからさまにほっとしていたが、無惨は責めなかった。一応移動の準備だけはしておくように伝えつつ、無惨は一旦別行動を取った。やられっぱなしは無惨の性に合わない。鬼の討滅を望む者達が一番傷付く事をする為に、無惨は己自身で動き出した。
無惨は現存する鬼の大多数を既に見限っている。精々囮にしか使えまい、と。故に無惨と無惨が選んだ極少数の鬼は雲隠れを決め込んだ。百年も待てばいくら何でもあの男も死ぬだろうという考え方である。ついでに一旦リセットするつもりで囮の鬼を一体残らず使い潰すつもりだ。当面は新規に増やすつもりもない。そしてこの時代において無惨が増やす最後の鬼に選ばれたのは、三鬼を退けた剣士の肉親だった。かの剣士の情報を僅かでも求めた無惨が鬼達の視界を覗き回っている際に、偶然発見した男である。名を、継国巌勝といった。