憂き世は鬼の世   作:ミーティ(汚)

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雌伏

 

 無惨が明確に手勢として定めた鬼は五体。玉藻、巴、遮那、珠世、更にそこに新参の黒死牟を加え、そこで完結させた。玉藻達にトラウマを刻み込んだ継国縁壱の双子の兄であった黒死牟は、無惨にとって値千金とも言える情報を多数有していたし、侍であったが故か上位者と定めた者に従う事に抵抗が無く、何より腕が立つ。その将来性を見込み、急遽手札に加えた形だ。他の鬼は百年かけて誰一人残らず滅んでもらう。継国縁壱という怪物を釘付けにする為の囮として、或いは鬼という陣営そのものの再編とその果ての勝利の為の礎として。無惨は補充可能な捨て駒の事など一々覚えていないが、その犠牲があった事だけは覚えておこうと心に決めた。主にあの怪物の脅威を忘れない為に。

 怯えきった三鬼の記憶を無惨によって共有された珠世と黒死牟は沈痛な面持ちを三鬼へ向けた。さして強くもない鬼を含んでいたとはいえ、頸を斬らねば不死身であり各々固有の血鬼術という隠し玉を有する超越生物を数十体も前にして、その表情がひたすらに無であった事がまず異常。それに違和感を覚えて警戒度を即座に引き上げた玉藻達もまた長年を闘争の中に生きた鬼に相応しい判断ではあったが、継国縁壱はその歴戦の鬼の判断すら上回る動きを見せた。常識外れとも言う。単騎で数十の鬼を秒殺するという、無惨をして怪物と言わしめる偉業を成して玉藻らにトラウマを刻み込んだ。

 黒死牟曰く、あれは人類の異物で例外中の例外であるという。無惨も心の底から納得したし、そうであって欲しいと願った。鬼も不死身だったり分裂したりと大概だが、その鬼の特級戦力をして撤退を即断せざるを得なかったあの男の方が異質極まりない。あんな奴が雨後の筍の如くぽこぽこと湧き出てきた暁には発狂する自信がある。

 

 無惨は徹頭徹尾逃げの一手を打ち続けた。無惨は玉藻達よりも遥かに強いが、それは生物としての強さを全面に押し出したものでしかない。下手をすれば無惨と同等に動ける熟練の剣士を相手にするならば、戦士ではなく実戦経験に乏しいという事実が無惨の枷となる。真正面から戦って勝てる相手だとは思えなかったので、無惨はいっそ戦わない事で時間切れを狙った。どれだけ怪物的な技量を持とうとも、人間である以上は百年もすれば老いて死ぬからだ。

 無惨達も鬼であるので、人を喰わねば弱っていく。自分達の頸を狙う者らがいる現状で弱体化は死活問題である。故に捕食の必要性は誰もが────人を喰う事を厭っていた珠世すらもが────同意する所だが、一方で明確な被害が出てしまうと鬼狩りが寄ってくる。故に少しでも有力な戦力を余所へと逸らす為、使い捨ての鬼達を遠方で騒がせるという手段を取った。最強の鬼である無惨すらそうせざるを得なかった辺り、継国縁壱というたった一人の男が鬼の陣営へと与えた影響は極めて大きかったと言える。共に行動する者と力を合わせて確実な撤退手段を構築できなければ外に出ることすら憚られた程だ。力が無ければ何も出来ないという、鬼が今まで押し付けてきた、しかし自然の摂理として極めて正しい鉄則が無惨達の前に横たわっていた。それでも時間は、依然として無惨の味方であり続けていた。

 

 百年余りの時が経ち、世を覆っていた戦乱の気風が過去のものとなり始めた頃。その頃に至って、ようやく無惨は活動を再開した。徹底的に使い潰した為、傍に置いていた者達以外の鬼は全滅。未だ血眼で無惨を探しているであろう鬼殺隊に対処する為、無惨は戦力の再構築の必要性に駆られた。しかし何よりも先に、継国縁壱の扱った呼吸を継承する者達を草の根分けて追跡し、狩り尽くした。その呼吸が強いのではなくあの男が異常なだけなのだと誰もが理解していたが、それと同時に誰もがあの男の痕跡が残っている事が我慢ならなかった。百年も経って尚、当時の衝撃と恐怖は未だ薄れていないのだ。

 無惨は一通り殺戮を済ませると、自身の血を幾つかの容器に詰め、各々に数個ずつ渡して見込みのある者を鬼に勧誘するように命じた。そして鬼にした後は暫く傍に置き、ある程度育てるようにとも。今までのように適当に作り出し、大まかに動かしていたのでは限界がある。群れではなく、組織を作る必要があった。しかしまずは兎にも角にも数が要る。簡単に死んでもらっては困るので、保護しつつ鍛えてやらねばならない。幸いだったのは、飛び抜けて強い相手でない限り逃げ果せるだけの実力を珠世が身につけた事だろう。そのお陰で、ただでさえ少ない手勢を纏めて動かす必要性が低くなった。

 

 無惨は戦士ではない。無惨の戦いとは常に自身を安全圏に置き、その上で圧倒的かつ絶対的な性能差を以ってして()()()()事を指す。切断した側から癒合する超速再生、軽く腕を払うだけで人体を挽肉に変える懸絶した膂力、弱点の筈の頸を斬られても平然としていられる不死性。更にそこに鬼化を齎す血液や疲労しない肉体、固有の血鬼術が加わる。ここまで揃って勝てない方がおかしい。むしろ、ここまで恵まれていたからこそ無惨は戦闘に習熟していない節がある。そしてその弊害として、無惨は対峙した相手の強さや適性が大まかにしか分からない。強靭な素体を可及的速やかに調達する事が求められている現状、この欠陥は致命的とすら言えた。

 故に、無惨は配下達が自身の感覚である程度目星をつけるのに対し、対象の現状や遍歴で素体の選別を図った。鬼と化した後の性格や血鬼術の性能は、人間時代の妄執や強烈な願望を核に形成されるからだ。特に安全地帯の確保が喫緊の課題である今、自ずと狙うべき人物の経歴は限られてくる。危害を加えられない“聖域”を欲している人物、即ち酷な仕打ちを今に至るまで受け続けている人物だ。人権なんぞ存在しない時代の都合上、そんな人物は山程いるが、無惨の求める血鬼術を発現する鬼は中々現れなかった。そもそも狙って出せるものではないので仕方がないが、有用な支援系統の血鬼術を会得する鬼が出たので結果としては上々と言えた。

 

 そんな現状の中で、無惨の目に適う血鬼術を得た女鬼が現れた。生まれは不明。物心ついた時から縄に繋がれ、罵倒と暴力に晒されて生きてきた。ある日、拳が女の目から光を奪うと、女の所有者だった男はあっさりと女を捨てた。年端も行かず、目も見えない女など買い手がいないからだ。以降は路上で暮らすも、盲目という枷がいつまでも女に付いて回った。女であるだけでも弱者だというのに、そこに盲目という致命的な欠陥がある。当然のように搾取の対象となった。食うに困り春を(ひさ)*1事もあった。そんな女を、ある旅芸人の一座が拾った。孤児を多く集め、芸を仕込み、出来の悪い者は再度捨て、そうして人員を確保する。そんな一座であったから、当然内部の序列争いは熾烈を極める。下の者から次々に姿を消していく中、女は与えられた楽器をひたすらに弾き続けた。此処は、少なくとも結果さえ出せばその身を守られる。今まで暴力と搾取しか受けてこなかった女にとって、守護の可能性があるだけで心血を注ぐに値した。

 努力は実った。女の執念が宿ったかのような琵琶の音は、聴く者全てを魅了した。一座の者達は喜んで女を手厚く遇したし、その音を手放しで褒め称えた。女は漸く安息の地を得た。けれど人という生き物は醜いもので、己より恵まれている者を見ると妬み嫉むものである。それが、女で目が見えないという典型的な弱者で、しかも今まで内心見下していた相手であれば尚更の事。女への醜い嫉妬から徒党を組んだ者達は、女を殴り、蹴飛ばし、琵琶を叩き壊して女共々路地へと捨てた。屈辱と悲嘆に泣き伏す女に、無惨はそっと手を差し伸べた。無惨は誰よりも残酷だったが、それと同時に誰よりも弱者の気持ちを解する男だった。それは病弱であった人間時代の経験に裏打ちされたものであったし、こういった心の隙を突いて鬼を増やしてきた始祖の鬼としての技巧でもあった。

 女は無惨の誘いに頷いて鬼となった。幼い頃から刻まれ続けてきた古傷も、潰れて久しい目も、何もかもが綺麗に治っていた。女は泣いて喜んだ。盲目も、傷痕も、それら全ては女が奪われるだけの存在でしかない事の証明であったから。女は大量の血肉を喰らい、血鬼術を発現させた。それは女なりの、主君たる無惨への感謝と忠誠の表れでもあった。そうして得るに至った血鬼術は、無惨が最も求める形を成した。無限城と名付けられたその異空間は、日光が当たらず、女が琵琶を奏でなければ出入りの叶わない閉鎖空間そのものだった。未だ屋敷一軒分程度の広さしかなく“城”を名乗るには不足だが、いずれはその名に相応しくなるだろうという期待を込めての命名である。そしてそれ以前の名を捨てる事を願った女に、無惨は新しく名を与えた。女はこれ以降“鳴女”と名乗り、無惨率いる鬼の陣営において極めて重要な地位を占めるようになる。

*1
意味は「春を売る」、「売春する」。


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