エミール/帰郷 または、天津社長の奇妙な1日〈完結済み〉 作:TAMZET
ひょんな事からエミールと出会ってしまった天津は、その驚異的なまでの攻撃力に戦慄し、彼をラボに閉じ込める。A.I.M.S.に出動を要請した天津は、福添にエミールを預け、悠々と飛電インテリジェンスから逃走するのだった。
飛電インテリジェンス本社ビルの地下へと降りた立ち去った天津は、薄暗い駐車場を足早に進む。向かうは、地下駐車場に停められた純白の愛車BMW X1の元である。少しばかり歩いた先で、BMWは白金の装身を蛍光灯の淡い光に預けていた。
キーの回転に、太いエンジン音が応える。背を震わせる律動に身を預け、「上出来だ」と上機嫌な笑みと共に天津はアクセルを踏み込んだ。踏み込んだ際のエンジン音の轟きに反し、BMWは静かに地下駐車場の横線を踏み越えてゆく。
しかし、唐突な衝撃が天津を襲った。衝撃はBMWの前方から車体全体を駆け抜け、彼の視界を前後左右に大きく揺さぶる。
その真白のボディに陽光を受ける間もなく、愛車は急停止を余儀なくされる。
「なッ!?」
理由は単純明快、空から落下した球体がフロントガラスをかち割ったのである。ブレーキをかける暇もなく、BMWは暴れ馬の如く右へ左へと2対のヘッドライトを揺らす。
フロントガラスをかち割った球体は、助手席へとなだれ込んでいた。天津が顔面をエアバッグに塞がれ、情けない悲鳴と共にブレーキを踏み込む中、助手席の球体が彼に向けて語りかける。
「探しましたよ!!いい人というのは、嘘だったんですか!?」
息も荒く助手席に目をやる天津。
そこには、ポムポムと跳ね回る、顔つきの灰色の球体……エミールの姿があった。彼が乱雑に跳ね回った影響か、BMWの車内には綿が散乱し、車体のあちこちに凹み傷がついていた。
天津は展開されたエアバッグを両手で押し込みつつ、エミールを睨み付ける。
「何故ここが分かった……いや、というよりどうやってあのラボを抜け出した!!」
苛立ちと焦りが混ざった天津の問いに、エミールもプンスカといった調子で眉を尖らせた。
「バカにしないで下さい!!あのくらいの壁なら壊せます!!それにしても、人を部屋に閉じ込めるなんて、ひどい人です!!許せません!!」
球体に刻まれた目の紋様がつり上がってゆき、丸い身体が小刻みに震え始める。彼の怒りに呼応するように、周囲の大気も震えている。
その超自然的な圧力に、天津は自身の怒りと焦燥が急激に冷めてゆくのを感じていた。
頭の中に浮かぶのは、社長室の窓を破壊したあの攻撃。アレを至近距離、しかも変身前の状態でくらえば、命の保証はないだろう。
なにより、ZAIAの社長である自分がここで命を落とすわけにはいかない。天津は瞬時にプライドをかなぐり捨て、2秒で考えついた対処法を実践した。
ありったけの笑顔を浮かべ、「すまなかった」と口にしたのである。呆けるエミールに、天津は間髪入れず畳み掛ける。
「私がいい人で間違いはない。私の名は天津垓、ヒューマギアの脅威から人類を守っているんだ。つまり、正義の味方というわけだ。エミール、君のお願いを、なんでも聞いてあげようじゃないか」
それは、彼を知る者なら皆が吐き気を覚えるほどの、眩しい笑顔であった。だが、純粋なエミールの目にはそれが謝罪もしくは友好の印に映ったのだろう。エミールは吊り上げていた目を元に戻し、口角を上げて笑った。震えていた大気が元に戻ってゆくのを感じ、天津は緊張の糸を解くことができた。
「ありがとうございます!!やっぱり良い人だったんですね」
「そう、私は良い人だ。今日はなんでもいう事を聞いてあげよう」
半ば諦めたように演技をする天津。今や彼にとっての最大の争点は、目の前のエミールにどれだけ媚を売ることができるかであった。
ZAIAエンタープライズに入社する以前の記憶が思い出され、彼はわずかに歯がみする。まだ彼がZAIAのエリート社員だった頃、自分より遥かに知能で劣る上司に頭を下げ続けた毎日。脳裏をよぎったそんな日々を、天津は唇を噛んでかき消す。
エミールはそんな彼を見つめ、膠着していた。
それが心理的なものなのか機能的なものなのか分からない天津は、数秒の後、彼に声をかけることにした。
「どうした?遠慮をする事はない、私に叶えられない願いなどそうそうないからな」
天津の声など聞こえないといった風に、エミールは目をあちこちに泳がせている。彼の意図は読めないが、ともかくこの車をこのまま駐車場に放置するわけにもいかない。
天津は、キーを捻り再びエンジンを蒸した。車内冷房が吹き出し、送風口がキーンと音を立て始める。BMWは悲鳴にも似たタイヤの嗎と共に、陽の下へと走り出していった。
エミールが口を開いたのは、天津が「こんなものは飛電或人に預けてしまおう」とカーナビの目的地を飛電製作所に設定し愛車を発進させてから、およそ1分後の事であった。
「僕、記憶がないんです」
天津は視線をエミールの方に戻さないまま、「ほう」と相槌を打った。
まともに話を聞いていなかった訳ではない。殆規格外であったエミールを前にして、記憶喪失という現象のインパクトが霞んだのである。
しかし、次の彼の一言で、天津は今度こそエミールを凝視することになった。
「実は……僕は人間なんです」
「……本当に?」
天津は食い入るように天津の全身を見つめる。割れたフロントガラスの向こうでは、左右に蛇行するBMWを避けようと多数の車が右往左往している。
それに構わず、エミールは焦ったように続けた。
「本当です!!昔は手も足も骨もあったんです。何なら肉もありました!!」
そこまで主張したところで、エミールは声のトーンを落とした。今の自分の体にはそのどれもが備わっていない事に気が付いたのだろう。
天津も自分がしていた運転の危うさに気が付き、慌てて周囲にパトカーがいないかを探し始めた。
「信じられませんか?」
悲しげな声で問いかけるエミールに、天津は首を縦にふりかけ……慌てて横に振り直した。今この個体に悲しまれ、泣かれた挙句に車が爆発しでもしたら今度こそ命の保証はない。
これから大事業を抱えているというのに、こんなところで死ぬわけにはいかない……天津は再び服の裾を直した。
エミールは悲しそうな声のまま続ける。
「昔の僕は、この辺りの時代に生きていたはずなんです。ここに来たのも、それを思い出したかったからで……」
「ほう。この時代にか」
「はい。でも、僕は自分の家も、家族もわかりません。分かっているのはこの辺りに、僕にとっての思い出の場所があるって事だけなんです」
「なるほど」
エミールは、「工場、港町、屋敷」など、色々な場所の名前を挙げていった。その度に天津は適当な相槌を打ち、割れたフロントガラスの向こうにこれからの展望を見ていた。
この個体は確かに危険だ。このままずっと抱え込めば、いつ事故で命を落としてもおかしくはない。
だが、これはチャンスでもある。
この生命体が持つ未知のテクノロジーをZAIAが吸収することができれば、仮面ライダーの兵器としての能力を大幅に強化することができる。そうすれば、完成する仮面ライダーの神話はより壮大なものになるだろう。
リスクを恐れてはビジネスはできない。ビジネスは全て信頼から始まる。ここは彼の信頼を得て、チャンスをモノにすべきところだ。
「では、取引だ」
自身の想像に舌舐めずりをし、天津はエミールに向けて微笑みかけた。
神父のようなその笑みの薄皮一枚先には悪魔の微笑が待っているとも知らず、エミールは無邪気にも問い返す。
「とりひき?」
首を傾げるエミールに、天津は待ってましたとばかりに畳み掛ける。
「私は、君の記憶を取り戻す手伝いをしよう。代わりとして、君は、その身に備わったテクノロジーを検体として私に差し出す」
天津は鷹でも射抜かんばかりの眼光でエミールを見つめる。その顔には仮面のような笑みが張り付き、フロントガラスの向こうでは逆車線から走ってきた車が悲鳴を上げてスリップしているが、それでも天津の視線が揺らぐことはない。
「それで、どうかな」
「はいっ!!よろしくお願いします!!」
エミールは即決で頷いた。
かくして、ここに2人の協力関係が生まれてしまったのである。
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目的地を変更したBMWは、舗装された海岸沿いを進んでいた。目的地は、港付近に広がる商店街である。エミール曰く、この近くの港町に自分の記憶の手掛かりになるものがあるかもしれないらしい。
フロントガラスがあった場所から押し寄せる潮風に、天津は顔をしかめる。スーツに潮の匂いがつくのが嫌で、この辺りはあまり通らないようにしていたのだ。
だが、今はそうも言っていられない。このエミールの願いを叶え、早々に彼の持つテクノロジーを解明する事が、今の天津にとって最優先の事項なのだ。
エミール曰く、自分の頭の中に残っている記憶はわずかなものらしい。思い出せるのは、港町の記憶、工場地帯を旅していた時の記憶、そして、お屋敷に住んでいた時の記憶。
飛電製作所へと向かっていたBMWの進路を探した末、最も目的地に近いのは港町でるという事が分かったのだ。
やがて、進行方向に商店街の明かりが見え始めた。
鋼鉄の白馬はその4つの足の回転を緩め、ボロボロの身体を駐車場の白線の上に休めた。扉を開けて出てくる天津に対し、エミールはフロントガラスのあった場所からポムポムと飛び跳ねながら這い出てくる。
「わぁ〜!!海ですよ天津さん!!」
「潮の香りが強すぎる。あまり長居したくはないな」
喜ぶエミールに対し、天津の反応は薄い。
エミールが興味深そうに眺めている両船も、天津は憎々しげに眺めるばかりだ。ボーッと船が汽笛を上げる度、天津は眉を潜め、耳を塞ぐ。
元々雑然とした自然というものをあまり好かない彼にとって、廃棄物と汚染物質に汚れた海というものはまさに『雑』の象徴であった。
人間がこの地球に存在する以上、完全な白というものは存在し得ない。自然を汚染し、エネルギーを独占する人間にも非があることは天津も認めていた。
だが、天津自身もその人間の1人である。彼はそれを痛いほどよく分かっていた。だからこそ、将来的に人間の排除を目論むであろうヒューマギアの存在を容認することは出来なかったのである。
「ヒューマギアという愚かな道具を踏み越え、人類は新たなステージへと立つ。ZAIAが、人間の進化を加速させるんだ」
仮面ライダーが神話となり、戦争の果てに人類の総数が激減すれば、残存した人類はテクノロジーに頼らざるを得なくなる。その時に人類を管理するのは、選ばれし一握りの天才だ。天才がが凡人共を管理し、無駄のなくなった新世界。それこそが天津が内に秘めた理想なのであった。
ボーッ!!
天津の思考を切り裂くように、雑の象徴が醜い声を上げる。
苛立ちに耐えられなかったのか、天津ははしゃぎ回るエミールの元へと大股で近づき、声のトーンを低く語りかけた。
「これで、いいのか?」
天津の問いかけに、エミールは大きく首を振る。いや、首などない訳で、実際は顔面の紋様が左右に揺れるばかりであるのだが。
エミールは商店街の方へと跳ねながら移動してゆく。
天津はため息まじりにそれに続いた。
商店街を見回るエミールの顔は、にやけたり惚けたり、そう思えば口角を下げたりと忙しかった。それはまるで、桃源郷に迷い込んだ旅人がその豪景に圧倒されているかのようであり、天津は時に投げかけられるエミールからの質問に、手短に答えさせられたものだった。
やがて、商店街を抜けたエミールは、残念そうに目を伏せた。収穫の乏しさを物語るその反応に、天津は短くため息をつく。
「やはり、一朝一夕にはいかないか」
「はい……似たような景色や地形は多かったんですが、何も思い出せませんでした」
「君の記憶の中の港町に、何か目印になるようなものは無かったのか?」
天津の問いに、エミールは首を傾げる。もっとも彼に首は無いので、天津はくるくると回るエミールの姿を見ているしかないのだが。
少しばかりその仕草を続けた後、エミールは残念げに俯いた。
「覚えは……無いです。僕の知っている港町は、もっと酒場とかがあって、アザラシが這っていて……」
「あ、アザラシか」
アザラシが這っている港などこの日本中のどこを探しても見つかりそうにないが、それを告げるとこの球体はもっと落ち込んでしまうだろう。気を利かせ、天津は口を噤んだ。
「難しいな」
天津の中では当初立てた目標への諦めが広がりつつあった。
実際、記憶喪失というものがそう簡単に治癒するものではない事は、天津にも想像はついていた。
エミールがこの辺りに生きていたらしいという情報も、どこまで信憑性があるものなのか分からない。そのような不確定事項に頼り、記憶喪失を改善するなど砂漠の中で一粒の石を探すような作業である。
そのため、天津の思考はこうシフトしていた。
記憶喪失を改善する手伝いはする。それも大いに。しかし、その過程でこの生物のテクノロジーを定期的に解明するのだ。ZAIAの持つ技術は現代のほぼ最高水準をマークしている。いくら優れたテクノロジーとはいえ、彼を丸裸にするのにそう時間は掛からないだろう。
エミールをおだて、実験に協力させ、少しでも長くこの自身の元に留め置く。それが天津の考える現在最良の作戦であった。
ふと、天津の眼前でエミールが飛び上がった。
何かを思い出したのだろうか。
「そういえば、港町にはおばあちゃんがいました!結構ひねくれたおばあちゃんだったんですけど、最後は……どうなったんだっけ……」
後半になるにつれ、エミールの声が萎んでゆく。港町に住む老女など珍しくもない。それはエミール自身分かっていたのだろう。
それに、エミールの言う未来がどれほどの未来か分からない以上、その老女が今も老女なのか、それとも生きているのか生まれているのかすら分からない。
天津はその事項を率直に伝える事にした。
「それだけではわからないな。もっと何か、記憶を取り戻せそうなシンボルはなかったのか?」
エミールは少しの間コロコロと転がり、すぐに飛び上がった。
近くにいる子供が「あのおもちゃ欲しい!」と騒いでいたので、睨んで追い返してやった。
「大きな灯台がありました!そのおばあちゃんが住んでいたのが、灯台だったんです!!」
「灯台、か。この辺りにある灯台といえば、あの辺りか」
天津は東に目を向ける。そこには、数ヶ月前に施工を完了したばかりの、立派な灯台が、頭頂から眩いダイオードの蒼光を放っていた。
BMWを走らせた天津は、間もなくして灯台へと辿り着いた。ゴオオオと風が音を立てる中で、灯台は雄大にも直立不動で海を照らしている。
天津は灯台の先端を手で指した。
「ここが灯台だ。君の知っている灯台と同じだろうか」
「うー、もっと石造りで、光はもっと綺麗だった気がします」
「なるほど。しかし、この近くで目立つ灯台がある港町と言えば、ここしかない」
石造りの灯台という言葉で、天津の脳内に浮かんできたのは中世紀の灯台だった。現代では石造りの灯台を作ろうものなら、その光は遠くまで届かず、船は港に帰る事はできないだろう。
エミールの発言により、天津はますます、彼の目指す過去がここから遠く離れた時代である事を確信した。エミールが未来から来たというのも、もしや勘違いなのかもしれない。
天津があごに手を当てようとすると、エミールがまた飛び跳ねた。
「あっ!!あの砂浜には見覚えがあります!!」
その飛び跳ね具合は、先ほどまで見せていたそれとは比べ物にならない程であった。
飛び跳ねるエミール背中を突かれながら、天津は砂浜へと足を運ぶ。白靴が砂に汚れるのは嫌だったが、抵抗して腹に風穴を開けられるのは嫌だったので、仕方なく従った。
エミールは砂浜中を飛び跳ねながら、浜辺のあちこちを回り始めた。
「うん!!やっぱりここだ。アザラシはいませんが、ここでよく釣りをしました!!」
「つ、り?」
天津の脳内に、口で竿を加えるエミールの姿が映し出される。竿が揺れ、それを引っ張るエミール。だが、支えのないその体は魚の抵抗力に負けて海へと落ちてしまう……
天津には、彼が魚を釣るイメージがどうしても浮かんでこなかった。
「釣りが、できるのか?」
「まだ手があった頃です!!」
顔の模様が怒りに満ちてくるのを見た天津は、「それはすまなかった」と慌てて謝罪した。どうやら、この球体は人間として扱わないと怒るらしい。
全く面倒な事である。
「ここは釣り場としても有名らしい。魚など、市場に出回るもっと高いものを食べればいいと言うものを。非効率この上ないな」
天津の私見に、エミールは「なるほど」と相槌を打った。だが、その返事をする者は得てして自分の考えに納得していない事を天津は知っていた。
エミールにはエミールなりの価値観がある。それを認識した天津だが、それが自分のものと違う事に、彼は若干の苛立ちを覚えた。
彼の予想通り、エミールの口から飛び出たのは反対意見だった。
「でも、釣りは楽しいですよ。自分の身体の何倍も力のある魚との格闘……そして、それを釣り上げた時の達成感!!」
「あ、ああ?」
自分の身体の何倍も力のある魚をどう釣り上げるのだろうと疑問には思ったが、考えてみれば天津自身も自分の何倍もの体重を持つヒューマギアをサウザーで持ち上げている。
きっと、この生物が生きていた頃のテクノロジーがあるのだろうと天津は納得した。
未来の神秘である。
エミールは楽しげに続ける。
「そのお魚を、みんなで料理するんです!!いつもカイネさんがやろうとするけど、シロさんが咎めて、途中であの人が器具を取り上げて、時々僕もそれを手伝って」
「その姿で、か?」
「また馬鹿にしてますね!!僕だって料理くらいで、き……」
そこまで口を紡いだところで、エミールの声が止まった。何か気がついたことがあったのだろうか。
天津が顔を覗き込むと、エミールはどこか惚けたような様子で、神妙に尋ねた。
「僕、さっきなんて言ってました?」
「魚釣りが楽しい」
エミールが大きく首を振る。
どうやらそこでは無かったらしい。
「いえ、もう少し後です」
「僕だって料理くらいできる」
エミールは苛立ったように目を尖らせる。
ここでも無かったようだが、天津にはどこが彼の記憶に触れたのかは分からない。
エミールの発言を思い出そうとする天津をおいて、エミールは口を大きく開けた。
何か閃いたのだろうか。
「そうだ、カイネさんにシロさんだ!!なんで忘れてたんだろう!!懐かしいなぁ……」
「カイネ、シロ?」
「僕の仲間たちです。ずっとずーっと昔に、僕と一緒に旅をしていた……大切な人達です。みんなおっちょこちょいだから、僕がいないとダメなんですよ」
その時のエミールは、海を見ているようで見ていなかったのだろう。彼の視界には、大海原の中に釣りをする彼らの姿が見えていたのだ。
「みんな、どうしてたのかなぁ。僕の事、覚えててくれてたかなぁ」
気がつくと、エミールの瞳からは一筋の液体が垂れていた。液体は球形の坂を滑り、砂浜を濡らす。
「あれ……おかしいな……なんで」
エミールは何度も首を横に振る。彼には涙を拭う手が無いのだ。
散々迷惑をかけてきた球体だが、天津はその時だけは、少しだけ、彼を不憫に思った。
「せっかく思い出したのに、なんでこんなに、涙が出るんだろう」
さめざめと泣き崩れるエミールの横に、天津は立つ。白靴を波が僅かに撫ぜるが、天津はそれを気にせず、エミールを見下ろす。
「うう……ううぅっ……」
天津はエミールの見る先を共に見つめながら、語りかける。
「君の痛みは、きっと私がとうに忘れたものだ。私は、君のそばには寄り添えないだろう」
「天津、さん……」
「だが、理解者を失う辛さは、少しだけなら理解できるつもりだ。助けになるかは分からないが、今は私が、君の側にいよう」
「はい……」
天津はエミールと共に、海の向こうに目をやる。吹き付ける海風に揺れる水面には、ギザギザに揺れる太陽が眩しく輝いている。
その寂しげな瞳の向こうに、天津も別の人物の姿を見ていた。
かつて彼にも理解者がいた。写真の前で手を組み、笑顔を捻出してはいたが、その実彼とは裏で相当の衝突を経験した。
ヒューマギアを絶対視し、衛星を打ち上げてまで彼らをバックアップしようという彼の意見は、天津とは相反するものだった。ヒューマギアを道具として使い、あくまで人類の進化に役立てるべきだという天津の論と彼の論は、結局最後まで交わる事は無かった。
だが、彼とプロジェクトについて語り合う間、天津は真の自分の意見を言うことができた。その間だけは、天津はエリートの化身ではなく、天津垓という1人の男としていられたのだ。
今の、その男はもうこの世にいない。だが、天津にとって彼は、永遠の英雄だったのだ。
「あなたは、道を間違えたんだ。あなたのお孫さんもね」
星など見えないはずの昼下がりの空。天津はその向こうの衛星ゼアに向けて、少し寂しげに語りかけるのだった。
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港町の探訪を終えた天津とエミールは、次なる目的地、機械工場へ向けて針路を取っていた。エミールが指定した工場は幸いにもZAIAの管轄にあり、事が早めに進む事に天津は喜んだものであった。
フロントガラスが割れたBMWは、好機の視線に止まる事がままあった。当初こそ恥ずかしくてやっていられなかった天津ではあったが、今となってはこれも風を感じられる作りでちょうどいいとすら思えるくらいだ。
次車を買い換えるとしたら、オープンカーにしてもいいかもしれない。
それはそれとして、だ。
天津には気になっている事が一つあった。エミールが先ほど溢した仲間についてである。
基本、天津は他人の仲間についてあれこれと詮索を巡らす性質は無い。それを知ったところで生まれる金銭的価値はどうせ大したものではない上に、そもそもとして興味がないからだ。
だが、ことこのエミールについては話が違う。彼の持つテクノロジーはそれそのものが人類へと巨万の利益を生む可能性があるのだ。彼の持つ情報には通常の1000%の価値がある……仲間となれば、尚更のことだ。
天津はそれとなく、尋ねる事にした。
「カイネにシロと言ったか。君の仲間だった彼らについて聞きたいんだが……」
「えぇと……どうしてです?」
エミールの聞き返しは純粋な子供のものだった。仲間の事を庇うというよりは、天津が何故自身の仲間に興味を持ったのか、それが不思議なようであった。
これまでの会話を行う中で、天津は、エミールの精神年齢を10歳前後の子供程であると分析していた。経験則ではあるが、その年の子供は、純粋な子供ほど人の邪心に敏感だ。
天津は言葉を選びながら、続ける。
「いや、君のように変わっ……個性的な人の仲間というのは、どういうものなのか聞いておきたくてね。単純な好機心さ」
エミールは少し不思議がりながらも、「いいですよ」と頷いてくれた。
どうやら、単純に信じてくれたようだ。ほっと胸を撫で下ろし、天津はエミールの話す内容に耳を傾ける。
「カイネさんは……とってもかっこいい人でした。少し口は悪いけど、いつも双剣を持って先陣を切ってマモノと戦ってくれて」
エミールは時々言葉を切りながら、そのカイネとやらについて語ってくれた。曰く、彼女は勇猛果敢な人物であり、敵と戦う際はまずは自分から戦場に突入してゆく武人であったらしい。
天津の脳内では、全身を鎧で覆った、筋骨隆々とした巨漢が、ゴブリンのような小鬼達を特大の双剣でなぎ倒してゆく図が展開されていた。
流石はこの規格外存在の仲間である。こうでなくては面白くはない。だが、マモノに双剣などはお世辞でもこの現代には似合わない。
彼の語るカイネとやらが少なくともこの時代の人物ではない事を、天津は多少残念に思った。
「下着一丁で、少し口の悪い人でしたけど……それでも、僕とあの人が冒険してこられたのは、カイネさんのおかげでした」
エミールはサイドガラス越しに遠くを見つめている。そこではきっと、カイネという大男が、魔物の死骸に向けて口汚なく罵っているのだろう……上裸で。
やがて、エミールはまた天津に向き直った。その表情は、出会った頃よりも明るくなっていたように思える。
「シロさんは、そのカイネさんを止める役割の本でした。なんでも知ってる物知りなのに、自分の事はあんまりよく知らないらしくて。本なのに自分の事が分からないって、おかしいですよね」
「本……のように物知りという事か?」
「いえ、本なんです。このくらいの」
天津には、エミールの言っている事がよく分からなかった。ついでに、彼が指す『このくらい』がどのくらいなのかも分からなかった。だが、彼の言葉から察するに、カイネを止める役割を担うのがシロなのだろう。しかし、そのシロとやらをエミールは本だと話す。
ここで、天津は一つの結論に至った。
「君のいた未来では、本が喋るのか」
天津の問いに、エミールは「はい」と頷き、「僕が知ってるのはあと1人だけですが……」と続けた。彼の返答に、天津は認識を改める。
魔物や双剣といった単語から、今まで天津は中高生向け小説に描かれるような中世の世界観を想像していた。だが、本が自由意志を持って喋るという事は、恐らく相当に高度なテクノロジーが使われているのだろう。恐らくは、人類が一度滅びに瀕し、その後再度文明を発展させた社会……つまり、1000年か2000年ほど後の未来から彼は来たのだ。
天津は、胸の高鳴りを隠せない。
エミール、そしてシロ、彼らを作り出したテクノロジーをこの時代でも再現する事ができれば、ヒューマギアなどに頼らない新たな世界が作り出せるかもしれない。
まだエミールの説明は続いているが、天津の耳には入らない。
加速するBMWが、風の音を強める。
その時、天津の思考にノイズが走った。
それはほんの一瞬の事であり、天津がそれに気がついた頃にはすでに視界は正常に戻っていた。
だが、そのノイズの中には確実に声が混じっていた。聞いたこともないような低い声が。
天津はノイズの中で聞こえた声を反芻する。
『汝、選ばれよ。人間を滅ぼすか、塩芥となり散り果てるか』
ノイズの中で、声はそう語っていた。
このエミールという生命体は無邪気そのものだ。攻撃をする意思があれば、それこそいくらでも好機はあるはずなのだ。
きっと疲れているのだろう……天津はそう断じ、BMWのスピードを少し落とした。
風の音は弱くなり、エミールの声がまた聞こえてくるようになる。
「……あの人達は、僕の大切な仲間でした。それを思い出せたのは、天津さんのおかげです!!本当に、ありがとうございます!!」
天津は礼を受け取る代わりに、エミールに微笑みを返した。話をよく聞いていなかったと言うのもあるが、このタイプにはそう返しておけば十分だとも思ったのだ。
エミールは思い出に浸るようにため息をつき、また、顔を伏せた。それはまるで自責のようで、天津は彼に声をかけようか迷った。
「本当は、あともう1人……」
「どうかしたか」
「いえっ!!?あ、ほら、工場が見えてきましたよ!!僕が言ってたのあそこです!!」
エミールの言う通り、視界の向こうにはZAIAの開発工場が見えていた。
ヒューマギアを滅ぼし、ZAIAが世界を席巻するための前線基地。天津にとっての心臓部の一つが、煙突からモクモクと白い煙を上げていた。
第二話をお読み下さりありがとうございます。
この物語は天津社長の視点で進みますが、その実主人公は、故郷に帰ってきたエミール君です。カイネさんやシロさん、そして名前の思い出せない大切なあの人の思い出を取り戻したエミール君は、ZAIAの兵器開発工場へと向かいます。
兵器開発工場といえば、ロボット山やエンゲルスのいた『工場廃墟』などが連想されますが、この小説内ではそれら全てが同じ場所となっています。
次回の更新はまた1週間後になります。楽しみにしていてください。