中央暦1642年5月15日 横須賀
無事に日本への帰国を果たした巡視船しきしまは大多数の国民から熱狂的な喝采を浴びた。
だが、ほんの極一部の勢力からは『原始人相手にやり過ぎ』だとか『弱い者いじめ格好悪い』といった批判も出る。だが、瀬戸船長はマスコミに金をばら撒いて反対意見を封殺した。
数日後、国会への証人喚問に呼ばれた瀬戸船長はドヤ顔で証言していた。
「グラ・バルカス帝国の外交官シエリア課長は死の直前に言いました。グラ・バルカスは日本本土に対して核兵器を用いて必ずや報復する。老人から赤ん坊まで一人残らず殺してやると」
「それは単なるブラフやはったりではないのですか? 本当にグラ・バルカスが核兵器を持っているという確たる証拠が無ければ信じるには値しませんよ」
「彼らがこの世界に転移して来る前から核兵器を日常的に使用していたことは疑い様の無い事実です。ムー経由の情報によればパガンダやレイフォルにおいても使用していたそうな。シエリア課長が超ウラン元素や爆縮レンズに関する詳しい知識を有してた事から考えても真実である可能性は非常に高いと思われます。それにもし使われてからでは手遅れではありませんか? 是非とも先制的自衛権の行使を進言致します」
「それを決めるのは我々の仕事です。瀬戸船長、ご苦労さん。もう下がって結構ですよ。お帰りはあちら」
瀬戸が作った会社の暗躍はその後も続いた。大金を投じては偽造魔写や放射線を浴びて溶けたガラスを作らせる。これをムー経由で日本政府やマスコミへ送り届けてグラ・バルカス脅威論を煽りに煽ったのだ。
更にはムーの地下組織を通して亡命レイフォル人によるレジスタンス活動への支援を行う。
国境を接したレイフォルからグラ・バルカスを追い出すことはムーの国益にも叶うだろう。三者に取ってWinWinな抵抗運動はとても順調に推移して行った。
「ですけど瀬戸船長。これくらいの事で済ませるつもりは毛頭無いんでしょう?」
「そりゃそうだよ、安積君。まずはレイフォルにおけるテロ活動を日本が積極的に支援している事を全世界に向けて盛大に宣言するつもりだ。これで向こうは引っ込みが付かなくなるだろうね。それに加えて皇帝の身柄引き渡しを要求する。そんな事が連中に受け入れられるはずも無い。後は国内世論を上手い具合に誘導して攻撃をエスカレートさせるだけの簡単なお仕事さ」
「上手く行ったら良いですねえ」
結果的にこの作戦は上手く行った。
平和というものは皆が望んでいる場合にのみ実現する物なのだ。積極的に戦争を起こしたい勢力が双方にいれば容易に破られるのが道理というものだろう。
引くに引けなくなったグラ・バルカスは報復攻撃を行わざるを得なくなって来る。
散々に悩んだ末、満を持して潜水艦を使った通商破壊という地味な作戦が決行された。
だが、二十一世紀のテクノロジーを有した護衛隊群と対潜哨戒機にとって第二次世界大戦レベルの潜水艦など敵ではない。瞬く間に全てが返り討ちにあってしまう。
当然ながら日本としても対抗措置を取らないという選択肢は無い。
ムーの西部に建設された滑走路から飛び立ったエアバスA350-900の特別改造機は連日に渡ってグラ・バルカス本土を空爆する。
日本はその気になれば好きな所にいつでも核爆弾を投下出来るという強烈なメッセージであった。
中央暦1642年7月1日 グラ・バルカス帝国 帝都ラグナ 帝王府
妙にだだっ広い会議室に集うのは帝王府長官カーツ、帝国軍幹部、外務省幹部、エトセトラエトセトラ……
大きな地図の前に立った東方艦隊司令長官カイザルはあちこちに付けられたマークを指示棒で指し示しながら原稿を棒読みしていた。
「五日前から始まった日本の空爆は各地に及んでおります。ですがその被害は極めて小規模なため、幸いな事に大事には至っておりません。ただ……」
「ただ? ただ何だ? 早く要点を言わんか」
帝王府長官カーツが偉そうに顎をしゃくった。お前が話を遮らなければとっくに言い終わってたんですけど? カイザルはちょっとイラッとしたが無理矢理に卑屈な笑みを浮べる。
「ただ、日本の爆撃機は速度と高度が余りにも規格外です。残念ながら我が軍の戦闘機や高射砲では迎撃する方法がありません。かと言って、敵の航空基地を叩こうにもムーから直接飛んで来ているらしく手が出せません。何か攻撃方法が無いものかと模索しておる次第でして……」
「アレはどうだ? ほら、アレだよ。グティーマウンとか言う重爆撃機があっただろ。あいつなら一万五千メートルまで上がれるし時速七百八十キロも出るんじゃなかったっけ?」
「それならば既に何度も試しました。ですが敵機は時速九百キロ以上で飛行しているうえに優秀なレーダーを装備している可能性が大であります。待ち伏せしても全て回避されてしまいました。一方でこちらからムー爆撃のために送り出した機は全て未帰還となっております」
ドヤ顔のカイザルが自慢げに顎をしゃくった。
何でお前が偉そうに言わなきゃならんのだ? さぱ~り分からないんですけど? カーツはイラっとしたが強靭な精神力を持って抑え込む。
「全く持って手も足も出ないというわけか。いずれにしろ当初の目標を達成する事は極めて困難になったわけだ。あんな小さな爆弾を何発落とされようが帝国は痛くも痒くも無い。だが、必勝を期していた潜水艦作戦もどうやら失敗したらしい。規模は小さいとは言え、一方的に攻撃を受けているのは我が国の方だぞ。何とかして反撃を加えることは出来ないものなのか?」
「ですが、長官。伝え聞く日本国の規模からすると爆撃機が一機だけというのも妙な話です。日本としても本音では我が国との全面戦争を望んでいないのではありますまいか? だとすれば今は我慢のしどころです。何とかしてレイフォルとの連絡を回復してムー攻略を再開すべきでしょう」
外務省事務次官のパルゲールが遠慮がちに口を挟んで来る。
他に良いアイディアを出す者もいない。会議は今日も何の結論も出せないまま終わってしまった。
同日夕刻 日本近海 巡視船しきしま
船長室で寛いでいた瀬戸船長の所に息を切らせた安積副長がやって来た。
「大ニュース、大ニュース! 聞いて下さい、船長! 大ニュースですよ!」
「いったいどうしたんだい、安積君。猫が卵でも産んだのかい?」
「そんなわけがないでしょうに! ようやく政府が重い腰を上げたんですよ。グラ・バルカスに対してVXガスの使用を決定したそうです」
ドヤ顔を浮かべた安積副長はネットニュースを表示させたスマホ画面を目の前に翳す。
「ふ、ふぅ~ん。やっぱり核兵器の使用はハードルが高かったのか。まあ、神経ガスなら農薬の一種だって言い訳がなりたたんことも無い。害虫退治には持って来いかも知れんなあ」
「単に予算的な問題だったみたいですね。二十メガトンの核兵器で無力化できるのは半径十キロかそこらでしょう? ネットで読んだ話だと神経ガスなら数トンで同様の効果が上げられるそうですよ。んで、コストはせいぜい一万ドルくらいだそうな。嘘か本当かは知りませんけど」
「ふ、ふぅ~ん。そうなんだ。ちなみに炭疽菌ならもっと安上がりみたいだよ。五百キロもあれば似たような効果が得られるんだとさ」
瀬戸はそんな相槌を打ちながらも自分でもびっくりするくらい感心が持てない事に驚いていた。
なので返事もおざなりに…… なおざりに? どっちだったっけ? とにもかくにも適当になってしまう。
「とにもかくにも連中がどうなろうが知ったこっちゃないや。俺は6月30日を無事に生き延びられただけで十分に満足なんだよ。これ以上、何を望むことがあるっていうんだい?」
「あの、その、いや…… 船長はグラ・バルカスを滅ぼしたいんじゃなかったでしたっけ? そのために大金を費やしたんでしょう? もしかしてそうじゃなかったんですか?」
「どうだったんだろうな。ハンフリー・ボガードじゃないけどそんな昔のことは忘れたよ。これからは前だけを見て歩いて行こうじゃないか。それにぶっちゃけた話、二万キロも離れた国なんて滅ぼうがどうなろうが別に構わんしな」
「ですよねぇ~!」
副長が禿同と言った顔で激しく頷く。瀬戸船長はグラ・バルカスの事を心の中のシュレッダーに放り込んだ。
その後、グラ・バルカス帝国がどのような運命を辿ったのかは杳として知れない。
歴史の表舞台から忽然と消え去った彼らの運命は人々の興味を引き付けて止まなかった。
とにもかくにもグラ・バルカスはもういない。だが、あの国の事は人々の記憶の中に永遠に生き続けることだろう。
そうだ、こんな時にぴったりの名セリフがあるぞ。瀬戸船長は永井一郎さんのモノマネを披露する。
ナレーション『中央暦1643年。この戦いのあと、日本国政府とグラ・バルカス共和国の間に終戦協定が結ばれた……』
「いやいや、瀬戸船長。グラ・バルカス共和国なんていう国はありませんから!」
「ですよねぇ~! まあ、終わり良ければ全て良しだよ。飲もう飲もう」
「はいはい、だけど明日も早いんですよ。ほどほどにして下さいね」
「分かってますって。って言うか、お前は俺のお母さんかよ!」
巡視船しきしまは今日も平和であったとさ。どっとはらい。
グラ・バルカスってそこそこ大きいんでしたっけ?
仮にオーストラリアの半分くらいとして四百万平方キロ。神経ガスで全土を無力化しようと思ったら数万トンは必要になりそうですね。炭疽菌でも五千トンくらい必要でしょうか。
一度に十トン運べたとしても五百ソーティーですから気の長い話になりそうです。