今日も今日とて暇である。新しい暇潰しを探そうにも、パッと思いつく様な遊びは全て潰してしまったので、エキセントリックかつエレガントな遊びを考えなければいけないのだが、そんなものがポンポン思い浮かぶのならば苦労はしない。思いつかないからエキセントリックかつエレガントなのだ。
そんな暇を持て余した神々である俺であったが、珍しく体育の授業に出るとサッカーをやれるようなので少しばかり興奮する。
総武高校の体育は、三クラス合同で、男子総勢六十名を二つの種目に分けて行う。
この間まではバレーボールと陸上だったらしいが、今月からはサッカーとテニスらしい。
どうも、テニスが人気だったらしく、余った奴や休んでいた奴はサッカーの方に放り込まれたようだ。まあテニスの方がやれる人数も少ないし、妥当だろう。
ちなみに比企谷くんはテニス、競技選択の時にじゃんけんで負けた材木座くんは俺と同じでサッカーをやっていた。
比企谷くんや材木座くんは個人技に重きを置くファンタジスタ的な存在なので、サッカーよりテニスの方が好きなのだろう。
俺もどちらかと言うと個人競技の方が好きなのだが、かといって団体競技が嫌いなわけでもないためどっちでも良かった。
そういった経緯で、俺は対面にいる材木座くんにボールを蹴り出しているのだった。
「七之助よ……もう少し手心を加えてくれんか? はっきり言って我、死にそうなんだが?」
「いやいや、ちゃんと動かなくても取れる所にしか蹴ってねーよ?」
結構な強さで蹴っているが、それでも普通のパスの範囲だ。インサイドキックだし。
「……ところで七之助。球の扱いに手慣れているようだが、経験があるのか?」
「俺も男だからな。タマの扱いに関しちゃ一家言あるさ」
俺がドヤ顔をしながら材木座くんを見ると、材木座くんはこれでもかというくらいドン引きしていた。何でだよ……。
「サッカーの話なら、暇潰し程度にやってたよ。つっても一人でしかやらなかったから、リフティングだったり壁蹴りだったりしかした事ねーけど」
というかそれ以外はやる気にならない。下手くそな味方を見ていると殺意が湧くので、どうやら俺には団体競技は向いていないらしいという事に小学生くらいの頃に気づいたからだ。つくづくクソ野郎である。
「そうか……お主も我が魂の御旗の元に集った同志であったな……」
三秒くらい考えて、材木座くんが俺をぼっち扱いしているということにようやく気づいた。
少々ムカついたので、材木座くんの腹部めがけて、インステップキックで思いっきりボールを蹴り飛ばした。
「へぶらっ!?」
「おー材木座くんナイストラップ!」
寸分違わず材木座くんの腹部を撃ち抜いたボールは、彼の体に完全に勢いを吸収されたらしく、見事に彼の足元に収まっていた。ついでに材木座くんもうずくまっていた。
「七之助……お主我にどんな恨みが……」
そんな感じで、俺は材木座くんと仲良く(?)やれているのである。
四時限目が終わり、昼休みになる。
俺はいつものように非常用階段に向かうのではなく、屋上へと向かっていた。
「さてさて、開けますかね」
一人呟き、ポケットからヘアピンを取り出し、屋上のドアにかかっている南京錠の鍵穴にそれをあてがう。
鼻歌交じりに三十秒ほど格闘すると、鍵はすんなり開いた。やはり南京錠は糞である。校務員さん、今すぐ別の鍵に取り替えた方が良いですよ。
南京錠は、シリンダーを無視して一番奥の部品だけ回せば開くため、慣れれば一瞬で開けられてしまうのでオススメできない。
開けたついでに少し細工して、分かりにくく壊しておく。これで誰でも開けられるだろう。
さあ皆さんお待ちかね、青春の代名詞こと屋上ランチを楽しみますかね。ぼっちだから青春もくそもねーな。大体ご飯持ってきてないし。そのうちゆか姉に弁当でも作ってもらうか。
屋上に侵入し、貯水タンクの上に登る。バカと煙は高い所が好きなのである。ちなみに俺はバカも煙も好きだ。
ポケットからタバコを取り出し火をつけようとしたが、オイルが切れていたらしく火がつかない。
小さく舌打ちして、空を見上げる。
「あー、都合良くライター持った背の高い美人な女の子とか来ねえかなぁ……」
酷くレベルの低い妄想だったが割と切実な独り言である。
ご飯はない、タバコも吸えないとなるとやる事は一つだ。
「……寝よ」
午後の授業は起きれたら行こう。多分日が暮れるまで寝てるだろうけど。
貯水タンクの上で寝そべって仰向けに空を見ると、五月の空にしてはやけに高くて、それが更にムカついた。黄砂仕事しろ。いや来たら来たでムカつくんだけど。
そう、気分はまさに『ショーシャンクの空に』だ。春以外なんの関係もない。
ちなみにこの映画の原作はスティーブンキングの中編小説集『恐怖の四季』に収録されている春の物語『堀の中のリタワース』で、この本にはかの有名な『スタンドバイミー』──原題だと『ザ・ボディ』か──も収録されている。『スタンドバイミー』は夏の話だと思っている人も多いが、実は秋の話である。サザンの曲に思ったより夏真っ盛りな曲がないのに似た感じだ。確か夏の物語は『ゴールデンボーイ』だったか。ゴールデンバットみたいな名前である。もしくはゴールデンボール。死ね。
もっと突っ込んだ話をすると、この『恐怖の四季』というタイトル自体が当時の日本でのスティーブンキングの評価を表していて、原題は『different seasons』なのだが、ホラー作家としてのキングを目当てに買っていた人を離さないためにあえてこんな訳にしたとかなんとか。
ここまで考えて、そういえば雪ノ下さんからオススメの本を教えてくれと言われていたのを思い出した。
うーん……悩むなぁ。英米文学といわれてもいまいちピンとこない。というか小説限定なのだろうか。詩集とかでも良いならディキンスンでも勧めてみようか。
あ、でも雪ノ下さんはああ見えて割と少女趣味なところもありそうだし、児童文学とかで攻めてみるのも面白いかもしれない。読んでるかもしれないけど、アリス辺りなら原書のペーパーブック持ってるし貸してやろうかな。アレは英語で読まないと魅力が半減するし。カバン語とか。
英米の縛りがなければ、ドイツやフランスの作家の本を勧めるのも良い。サン=テグジュペリの『夜間飛行』とか『星の王子様』……これはメジャーだし雪ノ下さんも読んでそうだな。他にはヘッセの『車輪の下』とか……これも読んでそうだ。自伝色の強い本から選ぶならケラーの『緑のハインリヒ』とかは読んでないかもしれない。
……ていうかなんでこんな教養小説めいたものばっか挙げるんだよ。あくまで女の子にオススメする本なんだ。もっと気楽に読める奴で良いだろ。
滔々と誰にも語れないであろう衒学を披露してると、屋上のドアがどんと音を立てて閉まった。あれ? 俺閉めなかったっけ?
疑問に思ってドアの方を見ると、そこには背の高い女の子が立っていた。
長く背中にまで垂れる青みがかった黒髪。リボンはしておらず開かれた胸元、余った裾の部分が緩く結びこまれたシャツ、長くてしなやかな足。そして、ぼんやりと遠くを見る、覇気のない瞳が印象的だった。泣きぼくろが一層倦怠感を演出している。
有り体に言えば、タイプの女の子である。
彼女はキョロキョロ周りを見渡したあと、梯子を登って貯水タンクに寄りかかったようだ。死角に入ったため見えないが。
「ちょいとそこの御仁、ライターなんてもっとらんかね?」
意識して老人の声を出すと、彼女は音を立てて驚いていた。面白い。
「上だ上」
そう言って顔を出すと、彼女は心底ウザそうな顔でこっちを見ていた。
近くで見て思い出す。そうそう、クラスメイトの川崎沙希さんだ。
「どーも、川崎さん」
挨拶すると、川崎さんはゴソゴソとブレザーのポケットを漁ってから、僕に何かを投げつけてきた。ライターだ。
「あんがとね」
礼を言って、タバコに火をつける。
「あんた誰? 何であたしの名前知ってんの?」
「みんなのアイドル七里ヶ浜七之助くんですよー。クラスメイトの」
自己紹介をしながら、今の状況が実はものすごい事だということにようやく気付いた。だってこれ、さっきの超低レベルな妄想そのまんまじゃん! ビビるわ。川崎さん天使かよ。
「あっそ」
カンカンと音がしたと思うと、川崎さんが貯水タンクの上に登ってきていた。
「煙大丈夫?」
「別に」
相変わらず気だるげな目で遠くを見ている川崎さん。うーむ、見れば見るほどタイプだ。ワンチャン押し倒すまである。嘘だけど。
暫くの間、俺たちは無言でぼけーっと空を見ていた。
「そろそろ昼休み終わっちゃうけど、戻らなくても良いの?」
煙を吐き出しながら質問する。俺より先に帰るのが気まずいって理由でぼーっとしているなら、流石に不味いだろう。帰る気ないし。
「別に」
短く答える川崎さん。あんたさっきからそれしか言わねーなおい。超ベリーグッドだ。チョベリバならぬチョベリグ……ないな。というかまずチョベリバがない。
まあ、本人がそう言うんなら大丈夫なのだろう。見たところ優等生って訳でもなさそうだし。
「ところでさ」
タバコをもみ消し、折角だしと思って二本目を口に咥えた俺に川崎さんが話しかけてくる。
「ん?」
火を付けながら答える。
「あの鍵壊したのあんた?」
「いや、来たら壊れてたぞ?」
「ふーん……」
しれっと嘘をつく。余計な罪は被りたくないのだ。目の前で堂々とタバコ吸ってるから今更だけど。
「……川崎さんは男と二人きりで怖かったりしないの?」
「空手やってたから」
簡潔に、興味なさげに答える川崎さん。へー、空手かぁ。カッコ良いなぁ。ますます惚れるね。ノーカラテ、ノーニンジャと広く言われているし、川崎さんは実は忍者なのかもしれない。ドーモ、カワサキ=サン。
「あ、そうだ。川崎さんはプレゼントに本貰えるならどんなのが良い?」
丁度いいやと思い、川崎さんに雪ノ下さんに貸す本の範囲を絞ってもらうことにした。
「……参考書」
しばらく考えた川崎さんは夢も希望も女子力もない答えを返してきた。まあ雪ノ下さんにやる本に、女子力は全くと言っていいほど要らないけど。
「お、おう……」
何とも言えない空気になる。流石にその答えは想定外だったのだ。
空気が上滑りししばらく無言のまま過ごすと、タバコがそろそろ短くなってきていた。
「……俺、このままここで寝るけど、ご一緒しません?」
火を消し、冗談めかして川崎さんに問いかけてみる。
川崎さんは、こちらを見て一言。
「バカじゃないの?」
言い捨てて、彼女は貯水タンクから降りて行った。
「つれないなぁ」
一人呟いたセリフは潮風に掻き消え、彼女の耳には入らなかった。