やはり彼らのラブコメは見ていて楽しい。   作:ぐるっぷ

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つまり川崎沙希は苦労している。

 「あのさ、雪ノ下さん」

 エレベーターがの低い駆動音が鳴り響く小さい箱の中、俺は雪ノ下さんに小さく耳打ちした。

 「なにかしら」

 彼女もそれに倣い、俺の耳元で小さく囁く。息が耳にかかって少しこそばゆい。

 「川崎さんにさ、結構無茶苦茶なこと言うかもしれないけど、黙って見ててくんない?」

 「それはつまり、自分に全部任せろって事?」

 「や、話の流れ如何によっては、ってことなんだけどな。アッサリ片付くんなら、特に何も言うつもりはない」

 あんまりガツガツ口出しするのは、俺の主義に反するしな。

 「そう」

 髪を払いながらそう言った雪ノ下さんがそれっきり黙ったので、俺も黙って、ゆっくりと数字を刻んでいくパネルを眺める。……遅いなぁ、このエレベーター。

 あまりにもゆっくりその数字を上げていくエレベーターに少しイライラしていると、ようやくチンと音が鳴り、川崎さんが働いているであろうバーがある階に俺たちは降り立った。

 久しぶりに来たが、相変わらず雰囲気の良い場所である。バー紫とは雲泥の差だ。あそこに来てる客もこっち来りゃいいのに。ゆか姉目当てとかいう意味の分からない理由であそこを選ぶより、こちらの方がよっぽど健全だろう。

 「おい……、おい、マジか。これ……」

 比企谷くんが物凄くキョドり始め、それに当てられたせいか由比ヶ浜さんもブンブンと頷いていた。

 「キョロキョロしないで」

 「いっ!」

 雪ノ下さんのピンヒールが比企谷くんの足を踏み抜く。痛そうである。

 「背筋を伸ばして胸を張りなさい。顎は引く」

 雪ノ下さんはそう比企谷くんに耳打ちして、比企谷くんと由比ヶ浜さんを順に見てから、ふっと息を吐き出して俺の右肘をそっと掴んできた。彼女の指が俺の身体に食い込み、反射的に振り払いそうになったが寸前で踏み止まる。

 「由比ヶ浜さん、同じようにして」

 「う、うえ?」

 素っ頓狂な声を上げながらも、由比ヶ浜さんは支持に従って比企谷くんの右肘に手を添えた。

 「いやぁ、雪ノ下さんのエスコートが出来るなんて、今日はホント来て良かったなぁ」

 俺がそう言うと、隣の雪ノ下さんが塩度の高い目を俺に送ってから、またもや足を踏もうと試みてきた。当然避けた。

 「 ……うざ」

 「じゃ、今宵のシンデレラちゃんに会いに行きますかね」

 軽い調子でみんなに告げると、彼らは黙って頷き、ゆっくりと歩き始めた。開け放たれた木製のドアをくぐると、すぐさまギャルソンの男が脇に現れ、すっと頭を下げる。

 彼は黙ったまま一歩半先行し、俺たちをバーカウンターへと連れて行く。

 そこにはグラスを磨いている女のバーテンがいた。すらりと背が高くて顔立ちも整っており、泣きぼくろと儚げな表情が激しく俺の好みどストライクだ。一フレームで求愛行動フェイズに移行しそうになったが、それを察したのか雪ノ下さんが俺の肘を思いっきりつねってきた。

 「痛い痛い痛い痛いです雪ノ下さん」

 「あなたがバカなことを考えているからよ」

 彼女は涼しげな顔をしながら言い放ち、川崎さんが黙って差し出したナッツを見つめている。

 「かーわさーきさーん! あーそびーましょー!」

 俺が小声ではしゃぐという高等テクニックを見せつけながら川崎さんに話かけると、彼女は目を細めながら俺を見て、しばらくのちにようやくその口を開いた。

 「……七里ヶ浜……?」

 「すげーな川崎。何で分かったんだよ。普通分かんねーだろ」

 「雰囲……じゃなくて、こんなウザい話し方する知り合いが他に居なかったから。ていうかあんた誰?」

 「どうして七里ヶ浜くんが分かって比企谷くんが分からないのかしら……」

 「クラスメイトにすら名前覚えられてないんだ……ヒッキー可哀想……」

 「うるせえよ勝手に哀れむんじゃねえ……むしろぼっちとして正しい事だろうが」

 「そもそもぼっちが正しくないわね」

 「お前も人のこと言えねーよな?」

 「げこげこうるさいわね、ヒキガエルくん。少し落ち着いたらどうかしら?」

 「てめぇ……」

 ものすごい勢いで軽口の応酬をする比企谷くんと雪ノ下さんを、川崎さんが冷めた目で眺める。ホントに興味なさげな感じで、彼女の雰囲気ととても良くマッチしていた。素晴らしいね、俺もそんな目で見てくれ。

 「瓶コーラで」

 「かしこまりました」

 未だにお互いを罵っている比企谷くんと雪ノ下さんや、それを見てオロオロしながらちょくちょく仲裁しようとする由比ヶ浜を尻目に、俺と川崎さんは、バーテンと客の正しい関係を構築していた。

 「瓶コーラなんて置いてんのかよ」

 「や、むしろ無い店の方が少ねえだろ。カクテルに使うことも多いしな」

 「そうなのか?」

 「ああ。ビールやらテキーラなんかに混ぜるのはかなりポピュラーだし、変わったところだとゴディバのリキュールに混ぜたりするのもある」

 「お前酒までやるのかよ……」

 「流石にお酒は飲まないなぁ。あんまり興味もないし」

 隣の比企谷くんに薀蓄を語る。因みに並び順は、雪ノ下さん、俺、比企谷くん、由比ヶ浜さんだ。残念ながら比企谷くんの両手に花は阻止させてもらった。狙った訳じゃないけど。

 「お待たせいたしました。他のお客様はいかがなさいますか?」

 川崎さんが、氷の入ったグラスに適量のコーラを注ぎ、瓶と共に俺の前へと置きながら比企谷くんたちに尋ねた。プロである。

 「私たちはペリエをお願い。比企谷くんは?」

 「マックス……いや、俺もコーラで」

 「かしこまりました」

 そう言って川崎さんは、テキパキとグラスやらなんやらの用意を再び始める。……マックスコーヒーくらいあると思うんだけどな。少なくともバー紫にはあったはずだ。ゆか姉、やたら甘いもの好きだからな。

 ちなみに俺は甘いものもそこそこ好きだが、酸っぱいものの方が好きだ。レモンとか丸齧りするレベル。

 「で、あんたら何しに来たの? まさかそんなのとデートってわけでもないんでしょ? 七里ヶ浜は……まあ、違うだろうけど」

 「なんでだよ。俺は今日、雪ノ下さんをエスコートする為だけに来てるんだぞ?」

 「…………そうなの?」

 ……や、わざわざ手を止めて俺のこと凝視するくらい信用出来ないのか? 酷くない?

 「嘘に決まっているでしょう……」

 雪ノ下さんが呆れたようにため息をつき、短く否定する。……ちょっとくらい乗っかってくれてもいいんじゃないかな。

 「……そっか、うん。そっか……」

 何回そっかって言うんだよ。めっちゃ納得してるじゃねーか。

 「お前、最近家帰るの遅いんだってな。このバイトのせいだろ? 弟、心配してんぞ」

 埒が明かないと思ったらしい比企谷くんが口火を切った。

 「そんなこと言いにわざわざ来たの? ごくろー様。あのさ、見ず知らずのあんたにそんなこと言われたくらいでやめると思ってんの?」

 川崎さんが、ハッと人を小馬鹿にしたような笑みを浮かべながら、比企谷くんに啖呵を切る。うーん、あんまりこういうことして欲しくないなぁ。自分でもイメージの押し付けだとは思うけど、川崎さんがこういう風な物言いをするのを見たくはなかった。

 「クラスメイトに見ず知らず扱いされてるヒッキーすごいなぁ……」

 「由比ヶ浜さん、感心するとこそこじゃないからな」

 この扱い、余りにも比企谷くんが憐れである。

 「川崎さん、俺からもお願いするからやめてくんない?」

 「……何であたしがあんたの言うこと聞かなきゃいけないの?」

 「そりゃあ、寝不足はお肌の天敵だからな。川崎さんの肌荒れを見るのは、俺の心が痛んじまう」

 「あっそ。あたしは痛まないから大丈夫だよ」

 ハッと笑いながら、川崎さんは吐き捨てる。

 「俺が、痛むから、やめろっつってんだよ。言ってる意味は分かるよな?」

 ああ、ダメだ。ダメなモノが漏れ出ている。そう理解しながらも、気付けば俺は、川崎さんの目をじっと見ながら言葉を紡いでいた。

 「……っ、関係ないでしょ、あんたには」

 ……埒が明かないな、こりゃ。これじゃ何処まで行っても平行線だ。俺もちょっとらしくないし。らしくないのは致命的だ。

 「あのさ、大志から何言われたか知らないけど、あたしから大志に言っとくから気にしないでいいよ。だから、もう大志と関わんないでね」

 川崎さんはそう言って俺たちを睨みつける。これ以上自分に踏み込んでくるなという意思表示だろう。

 しかしここには残念ながら、こんな程度じゃ止めらない、火の玉みたいな氷の女王様がいるのだ。

 「止める理由ならあるわ」

 雪ノ下さんが、川崎さんから自分の腕時計へと視線を動かし時間を確認する。

 「十時四十分……。七里ヶ浜くんが言うようなシンデレラなら、あと一時間ちょっと猶予があったけれど、あなたの魔法はここで解けたみたいね」

 雪ノ下さんはつまり、川崎さんが吐いた年齢詐称という嘘を魔法に見たててこういう言い方をしたのだろう。

 法律はよく知らないが、確かに十時だったか十一時以降だったかは十八歳未満の奴が働いちゃいけない、みたいな法律があった気がする。

 「魔法が解けたなら、あとはハッピーエンドが待ってるだけなんじゃないの?」

 「それはどうかしら、人魚姫さん。あなたに待ち構えているのはバッドエンドだけよ」

 ……この人らなんでこんな仲悪いの? もうちょっと可愛らしい言い方すればいいのに……。嫌味とあてこすりしか言ってないんだけど?

 「やめる気はないの?」

 「ん? ないよ。……まぁ、ここはやめるにしてもほかのところで働けばいいだけだし」

 川崎さんはクロスで酒瓶を磨きながら、なんでもないことのように言い放った。その態度に腹が立ったのか、雪ノ下さんが炭酸水を軽く煽る。……そういえば俺、炭酸水ってウィルキンソンしか飲んだことないなぁ。外国だと置いてない店はないってレベルでペリエあるらしいけど。

 ピリピリと肌が泡立つほど険悪な雰囲気の中、由比ヶ浜さんが恐る恐るといった感じで口を開いた。

 「あ、あのさ、川崎さん……。なんでここでバイトしてんの? あたしもほら、お金ない時バイトするけど、年誤魔化してまで夜働かないし……」

 「別に……。お金が必要なだけだけど」

 「あー、や、それはわかるんだけどよ」

 比企谷くんが軽い調子でそう言うと、川崎さんはその表情をこわばらせ、比企谷くんを睨みつけた。

 「わかるはずないじゃん……あんなふざけた進路を書くような奴にはわからないよ」

 あ、川崎さん、あの時の俺と比企谷くんの会話聞いてたんだな。しかも覚えてたんだ。

 「別にふざけてねぇよ……」

 「ならガキってことでしょ。人生舐めすぎ」

 川崎さんは先ほどまで使っていたクロスをカウンターへ放り投げ、壁へともたれかかった。

 「あんたも、……いや、あんただけじゃないか、雪ノ下も由比ヶ浜にも分からないよ。別に遊ぶ金欲しさに働いてるわけじゃない。そこらの馬鹿と一緒にしないで」

 川崎さんは、潤んだ目で比企谷くんを睨み付けた。

 ……ていうか、ナチュラルにスルーされてるんだよね、俺……。これもう脈ないどころか存在まで抹消されてんじゃねえの……? フられまくりじゃねえか、今日の俺。フられっぱなしのロンリーボーイだ。何だその昭和ネーム。

 「やー、でもさ、話してみないと分からないこともってあるじゃない? もしかしたら、何か力になれることもあるかもしれないし……。話すだけで楽になれること、も……」

 由比ヶ浜さんの声は、川崎さんの冷え切った視線によって切り裂かれていって、遂に彼女は言葉の続きを失った。

 「言ったところであんたたちには絶対わかんないよ。力になる? 楽になるかも? そう、それじゃ、あんた、あたしのためにお金用意できるんだ。うちの親が用意できないものをあんたたちが肩代わりしてくれるんだ?」

 その言葉を聞いた時、そして、その言葉を放つ彼女の目を見た時、俺は少しガッカリしていた。何故か? 決まっている。結局彼女も、俺と同じだったのだ。

 ……ま、丁度良いか。これで気兼ねなく、あそこへ連れて行くことが出来る。

 「そ、それは……」

 「その辺りでやめなさい。これ以上吠えるなら……」

 雪ノ下さんが、怒りを露わにしながら川崎さんを睨めつける。

 川崎さんも一瞬たじろいだが、小さく舌打ちをして雪ノ下さんに向き直った。

 「ねえ、あんたの父親さ、県会議員なんでしょ? そんな余裕がある奴にあたしのこと、わかるはず」

 「川崎さん」

 気付けば俺は、まるでゆか姉や楽太郎、ついでにナナ辺りに話しかける時のような声音で川崎さんの言葉を遮っていた。

 「な、なによ……」

 「お金が要るんだよな」

 「……だから働いてるんでしょ。何言ってんの?」

 川崎さんだけじゃなく、奉仕部の面子も皆、俺のことを不思議なものを見るような目で眺めている。そりゃそうか。今までキャラ作り必死だったもんな。

 「そっか」

 そう言って俺は、ポケットの中に入れていた封筒を、川崎さんへと気遣い無しに投げつけた。

 それを受け止めた川崎さんは、不思議そうな顔でこちらを見る。

 「なに、これ……」

 「百十万入ってます。二百万にしようかと思ったけど、一応脱税になるからやめました……。ま、百万あれば予備校くらいには通えるでしょ」

 「な、なんで……!?」

 封筒の中身を確認した川崎さんの顔色が、みるみるうちに青くなっていく。

 「なんでって……さっき川崎さんが言ったじゃないですか……。『あんたらがお金用意してくれるの?』って。ホラ、親にも用意できないお金を用意してやったんですから、ちっとは俺の言うこと聞いてくれません?」

 「七里ヶ浜くん、これは……」

 「黙っててくれって言ったよな?」

 雪ノ下さんの言葉を遮るように、俺は鋭い声を彼女へと向けた。

 「……そうね。ごめんなさい。でも、これを奉仕部の解決として認めることは出来ないわ」

 「魚を恵むんじゃなくて、魚の釣り方を教えるだったか……。安心してくれ雪ノ下さん。釣り堀に連れてってやるだけだから」

 それが良い事かどうかは、俺にも判別出来ないけど。

 「こ、こんなの受け取れるわけないじゃん……!」

 川崎さんが涙目になりながらも、封筒をカウンターへと叩きつける。そのせいでコーラの瓶が倒れそうになったので、俺は慌てて瓶を持ち上げた。

 「別に遠慮しなくてもいいぞ?」

 「……おい七里ヶ浜、いきなり何言い出してんだよ」

 半泣きの川崎さんを見ながら、どのタイミングで話を切り出そうかと考えていると、比企谷くんが俺へ非難めいた視線を送ってきた。

 「何って……奉仕?」

 「これだと奉仕っつーより援交じゃねえか。こんなやり方、らしくねえだろ。面白くもなんともねぇって、何時ものお前なら言うんじゃないのか?」

 中々上手いことを真面目な顔で言う比企谷くんに、少し笑ってしまう。

 「いやいや、流石の俺でも、お金出してまで女の子と遊びたくはないからな?」

 「「なら、どういう……」」

 雪ノ下さんと川崎さんが全く同時に同じことを口走ったせいでお互いを睨み合い、由比ヶ浜さんがそれをオロオロしながらたしなめようとする。……普通に仲良いじゃん、あんたら。

 「……ふぅ、ゴメンゴメン。ちょっとおかしくなってたわ。雪ノ下さんと由比ヶ浜さんに良いとこ見せようと張り切っちまったのかな」

 比企谷くんや雪ノ下さんの普段と変わらない態度を見ていると、ふっと力が抜けた。……そうだよな。こういうやり方は、らしくないんだよな。

 俺は、もっと楽しく、軽い感じじゃないと。

 「えっとさ、川崎さん。ちょっと一口、俺の話に乗ってみない?」

 

 

 


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