中学生の頃の俺には、友達百人が真実味を帯びてくる程『大量』の友達がいた。
何故そんなにたくさん友達がいたのか。簡単な話だ。作ろうとしたからだ。
中学生の頃の俺は、たくさん友達がいれば楽しいのではないだろうかと思い立ち、全力を以って友達を作ったのだ。
しかし、友達になったところで全員同じような話題しか出さない為実際に楽しいのは友達になるまでだったし、それだって回数を重ねる毎に加速度的につまらなくなった。
なんせ、全員似たような手口で話しかければ仲良くなってくれるのだ。
派手っぽい奴ら、暗い奴ら。または所属しているグループ、孤立している個人。それらに対して二、三の取っ掛かりのパターンを持ってさえいれば、「こいつ等何こんなペラペラ喋ってんの?」と白ける程に気を許してくる。
それじゃつまらないし、何の意味もない。しかし、事実そうなのだから仕方ない。つまり、友達など無意味だ。
だから俺は、中学生の頃に『青春』なるもののノルマを全てを終えたと考え、似たような精神性のままであると考えられる高校生という存在には、ほとんど期待していなかった。その為俺は今のような生活スタイルを確立する事となったのだ。
しかし、二年生を迎えた今日この頃、幾つか誤算が生じた。平塚先生のファンになってしまったのと、奉仕部の部員が割と面白いという事だ。
平塚先生は美しい上に身長まで高く、しかも面白い。まるで俺の理想の体現みたいな存在だったが、どうやら比企谷くんとのフラグが立っているようなのでステディな仲になるのは諦めた。俺と比企谷くんの扱いの差激しいだろ。どんだけ比企谷くんの事好きなんだ。比企谷くんの方も、満更ではなさそうなので、平塚先生に押されればなし崩し的にそういった関係になるかもしれない。
まあ、それでもファンを続けるくらいには彼女は美しいし面白いのだ。
そして奉仕部。
比企谷くんは、自分語りを聞いてた限り、中学生の頃までは簡単に友達になれそうな人種だったが、その後ここに至るまでに色々あったらしく、人間関係というものを諦めきっていた。
ひねくれているとみんな(と言っても平塚先生と雪ノ下さんにだけだが)には言われているが、俺は彼のそういった人間性が嫌いではない。あまり接したことのないタイプなので、どのようにすれば間合いに入れるのか、空いた時間でシミュレーションしたりして研究している。実行する気はあまり無いけど。
それに対して、雪ノ下さんはあまり好きではなかった。
話自体はそこそこ面白いのだが、俺の根底にある思想と彼女のそれは、高校を卒業しても、もっと言えば死んでも相入れないだろう。少し前にあった、変わるだの変わらないだのという下りを聞いた時、俺は強くそう感じた。
上手く言語化出来ないが、きっと彼女は俺の「あり方」を理解してくれないだろう。それくらい俺と彼女の生き方には断絶がある。
ま、そういうのもアリだろう。違人間なんだ、正反対の思想を抱いていてもおかしくないさ。そういうものを受け入れるのも楽しい人生のスパイスだ。雪ノ下さんスパイス、何だか劇薬みたいだな。こわいなーとずまりすとこ。
「七里ヶ浜、ちゃんと話を聞け」
平塚先生のお叱りを受け、現実に戻ってきた。そうだった、呼び出し食らって職員室に来てるんだった。
「すいません。先生に見惚れてました」
「嘘をつけ、焦点が私に合ってなかっただろう」
一瞬で看破された。いや実際見惚れたせいで今に至るまでの回想をしてたんですよ?
「すいません。何の話でしたっけ?」
「やっぱり聞いてなかったのか……。今日の調理実習についてだ」
素直に謝ると、溜息混じりに先生は答えた。
「調理実習? 先生って家庭科も担当してるんですか? 似合わないなぁ……」
「……今のは不問に処してやる。鶴見先生から、生徒指導としての私に回ってきた話だ。何故参加しなかった?」
額に青筋をビキビキ立てる先生。からかいがいがある人だなぁ、ホント。
「寝てました」
「起こしてくれる奴は……まあ居ないのだろうが……。それならそれで、ちゃんとスケジュール管理くらいは自分でしろ。大体移動教室や体育はどうしているんだ?」
「参加してません」
「したり顔で言うな……。本気で進級出来なくなるぞ」
やれやれと言わんばかりに頭を抱える先生。
「確かに体育の単位とかヤバそうですね」
言われてみれば、二年になってから一度も体育に参加していなかった。これは流石に不味い。
「一年の時はどうやってたんだ?」
「夏過ぎからは、心優しいクラスメイトの女の子が毎回起こしてくれてました」
「ほう。君がそんな青春ポイントの高い一年を過ごしていたとは知らなかったよ」
平塚先生は本気で意外そうな顔で俺を見た。
「もしかしたら好かれてたのかもしれませんね。自分で言うのも何ですけど、結構整った顔してる方ですし。特に夏秋は」
「比企谷と同じような事を言うんだな……」
「比企谷くんの方が女の子ウケは良さそうですけどね。痩せてる時期とか、やたら男ウケ良いんですよ、僕」
「それは……まあ、頑張れ」
「貫く前に貫かれるのは僕も勘弁願いたいですしね、精々気をつけます」
ていうか話ずれ過ぎだろ。何の話してたんだっけ? ああ、調理実習の話か。
「という訳で、君には補習として何らかの料理の製作過程についてのレポートを書いてもらう。題材はなんでも良いそうだ」
「レポートっすか……。そういえば、前のレポートは再提出って事でいいんですよね?」
「ああ、比企谷にもそう伝えておいてくれ。用紙は……これだ」
そう言って、平塚先生から紙を三枚ほど手渡された紙を鞄にしまう。一枚が補習、もう二枚は俺と比企谷くんの作文用か。
「かしこまり!」
「……君はふざけていないと死ぬ病気にでもかかっているのか」
「性分なもんで。TKOは弁えてるつもりです」
「TPOだ。君はそんなに私にKOされたいのか。タオルを待たずに一発で気持ち良くしてやれるが?」
一発で気持ち良くしてくれるのか。話の流れさえこうでなければ、物凄く淫靡な台詞なんだけどなぁ。
「僕は先生の魅力にいつもKOされてますよ」
ドヤ顔で軽口を叩いた瞬間顎に衝撃が走り、俺の意識は刈り取られた。
「……ふがっ」
「ごきげんよう七里ヶ浜くん。気分はいかがかしら?」
目覚めると俺は、雪ノ下さんの座っている椅子の前で、うつ伏せに転がっていた。地べたは流石に扱いが酷過ぎると思います。俺は鶏は鶏でも飛べる鶏なのだ。雷○丸なのだ。
「起き抜けに雪ノ下さんの御尊顔を拝めるなんて、最高の気分っすわ」
「……うざ」
……あ、この体勢、雪ノ下さんのパンツ見えるんじゃね?
「おい雪ノ下、七里ヶ浜が変な事企んでるぞ」
比企谷くんの言葉を受け、雪ノ下さんが数秒の思考の後、物凄い速度で椅子ごと後ずさった。
シット! 比企谷八幡、今度絶対お前が付けてる「絶対に許さないノート」を雪ノ下さんに見せてやるからな。覚悟しておけ。
「……驚いたわ。比企谷くんに助けられる事があるとはね」
「この期に及んでまだ攻撃対象俺なの? おかしくね? おかしいよね?」
はっちゃん、君を裏切ろうとした僕を許してください。
「平塚先生は?」
ずっと転がってるというのもおかしな話なので、俺は制服をパンパンと払いながら立ち上がり、雪ノ下さんに質問した。
「平塚先生ならあなたを運んで来たきりよ」
「そっか、ありがと」
残念、今日の平塚先生とのランデブーはあそこまでか。
一つ伸びをして、定位置である後ろの机によじ登る。痩せたせいで机への負担が減った為、あまり音を鳴らさずに済むのが、今年の余りにも早過ぎるダイエットを敢行した数少ない利点の内の一つだ。
一メートルは越えるであろう二つ積まれた机に登ると、寝転がっても比企谷くんや雪ノ下さんを上から見れる。
それにしてもこの人たち、貴重な放課後に雁首揃えて読書とは一体どういう了見なのだろう。暇なのだろうか。
ていうかこの部活、結局何する部活なんですかね? 読書クラブなの?
寝転がると、味方の基地を襲撃する作戦並に不可解なこの部活に対する疑問が膨らんできた。
すると、その疑問の答えらしきものが、弱々しいノックの音と共にやってきた。
「どうぞ」
雪ノ下さんは読書を中断し、扉に向かって声をかけた。
「し、失礼しまーす」
少し上ずった女の子の声。緊張しているのだろうか。
からりと扉が引かれて少し隙間が空き、そこから滑り込むようにして彼女は入ってきた。
茶髪、着崩した制服。見た目からして、明らかにこの空間に馴染まないタイプの人間だ。
彼女はキョロキョロと視線を彷徨わせた後、比企谷くんの方を見て、ひっと小さく悲鳴を上げた。
……流石にヒドいだろ、それは。
そこまで彼女の行動を観察して、俺はようやく彼女のことを思い出した。クラスメイトの由比ヶ浜結衣さんだ。
「な、なんでヒッキーがここにいんの!?」
「……いや、俺ここの部員だし」
由比ヶ浜さん、結構失礼である。
それにしても、由比ヶ浜さんは一体どんな理由でここへ来たのだろう。この三人に比べると、人付き合いも上手だし、更生とやらをする必要はなさそうなものだが。
「まあ、とにかく座って」
そう言って比企谷くんが椅子を引き、彼女に席を勧める。紳士だ。顔を見るなり引きこもり扱いされたのに、あの対応とは恐れ入る。
「あ、ありがと……」
由比ヶ浜さんは戸惑いながらも、勧められた椅子にちょこんと座った。
「由比ヶ浜結衣さん、ね」
雪ノ下さんが澄んだ声で彼女の名前を呼び、由比ヶ浜さんは表情を明るくさせた。
「あ、あたしのこと知ってるんだ」
「お前よく知ってるなぁ……。全校生徒覚えてんじゃねえの?」
「そんなことはないわ。あなたと、あそこに転がっている変態覗き魔の事なんて知らなかったもの」
雪ノ下さんにつられて俺の方を見た由比ヶ浜さんは、俺の存在に全く気づいていなかったらしく驚きに目を見開いていた。
「あ、あんなところに人居たんだ……気付かなかった……」
「大丈夫よ由比ヶ浜さん。彼はああやって怠惰に寝転がっているだけだから気に掛けなくて構わないわ」
「どうも由比ヶ浜さん! みんなのアイドル七里ヶ浜七之助です! 同じクラスですよね?」
一応自己紹介すると、由比ヶ浜さんはしばらく硬直した後、あぁと小さく声を上げ、そのあと不思議そうな顔をした。ああ、痩せたからか。最初の自己紹介の時と結構顔違うもんな。
「え? じゃあこいつ、俺とも同じクラスなん?」
「まさかとは思うけど、知らなかったの?」
雪ノ下さんの言葉に、由比ヶ浜さんがピクリと反応する。
やー、まあ実際仕方ない部分もあると思うよ? 比企谷くんが苦手そうなタイプだし。
比企谷くんと由比ヶ浜さんの視線がしばらく交わり、痺れを切らしたように由比ヶ浜さんが口を開いた。
「そんなんだから、ヒッキー、クラスに友達いないんじゃないの? キョドり方、キモイし」
やめろ……そんなに圧をかけたら……ガラスの心が壊れる!
「…………ビッチめ」
流石ハッチだ、何ともないぜ!
いや、いきなりビッチ呼ばわりはちょっと不味くない?
「ビッチじゃないし! 私はまだ処……」
由比ヶ浜さんは顔を真っ赤にさせて反論するが、途中でとんでもない事を口走っていることに気付き、更に顔を赤くした。
「安心してくれ由比ヶ浜さん。俺も童貞だし比企谷くんもきっと童貞だ。恥ずべき事じゃない」
流石に由比ヶ浜さんが可哀想だったので、軽口を交えて慰める。
「いや童貞は恥ずべき事だろ。ていうか勝手に俺を童貞扱いするな」
「違うのかしら? あなたとそういった関係になる女の人なんて世界中探してもいない気がするのだけど……」
「違わねえけど……。ていうか世界中は言い過ぎだろ。言い過ぎだよね? 言い過ぎだと言ってくれ……」
「大丈夫よキモ谷くん。私はあなたがこれ以上気持ち悪くなろうとも、百メートルほど遠くであなたから目を逸らすわ」
「遠い過ぎるし目逸らさないでください……せめて見守ってくれ……」
相変わらず仲の良い奴らだなぁ……。柄にも無くちょっと孤独感を感じちゃうぜ。まさしく「咳をしても一人」だ。嘘だけど。
「……ぷ」
そんな比企谷くんと雪ノ下さんの掛け合いを見て、由比ヶ浜さんが小さく吹き出した。
「全然普通じゃん……クラスでもそんな風にしてれば良いのに……」
ボソリと呟く由比ヶ浜さん。
他の二人は気まずくなったのか、頭を掻いたり落ち着き無く座り直したりしている。こっぱずかしいなぁおい。
「ひ、比企谷くん、それに七里ヶ浜くんも、飲み物でも買ってきてくれないかしら」
雪ノ下さんが由比ヶ浜さんの方をチラチラ見ながらそう言った。
これはあれか、由比ヶ浜さんの分も買って来いってことかな。
「了解であります! 行こうぜヒッキー」
俺は寝転がっていた机から飛び降り、比企谷くんを促す。
「わーってるよ。あとヒッキーって言うな」
「何でだよ、良いじゃんヒッキー。俺にもあだ名とか付けて欲しいもんだね」
「なら七輪な」
「……勘弁してくれ」
俺たちは軽口を叩きながら、奉仕部を後にした。