由比ヶ浜さんが奉仕部のレギュラーメンバーとなり、四人体制での部活動が日常化して幾らか過ぎたある日のことである。部室へ向かうと、何故か比企谷くんと雪ノ下さん、そして由比ヶ浜さんが部室の前で立ち尽くしていた。何してんだこの人らと思って見ていると、どうやら少し開いた扉から中の様子を伺っているようだった。
「何やってんの?」
「よく分からん奴が部室にいる」
比企谷くんがこちらを見ずに答える。
俺も中を覗いてみると、なるほど、なんかコートを着ている大柄な男が立っていた。
「依頼なんじゃないの? ていうかさっさと入ろうぜ。眠いし……」
流石に中に人がいるくらいでこんなに警戒する必要はない気がするが、女の子的には危険を感じるのかもしれない。これは良い口実だと思っていたのか、比企谷くんは今にも帰りそうな顔をしていた。
「依頼……確かにその可能性はあるわね」
雪ノ下さんがふむと頷く。……ていうかそれ以外に何か考えられる可能性なんてあるのか? 痴漢? いや流石に校内での痴漢はリスクが高すぎる。それに来た人を見境なしに襲うというのも頂けない。男しか来ない可能性だってあるんだ。やはりここは依頼、もしくは入部希望の人物であると考えるのが妥当である。
「だからとっとと入ろうぜ。話聞くのは雪ノ下さんが頑張ってくれ。俺は寝る」
「あなたね……」
雪ノ下さんが呆れ顔で何か言っていたが、気にせずに俺は部室の扉を開き、比企谷くんと同じタイミングで部室に入る。
その瞬間、部室の窓から風が吹き込んできて、紙の束がバラバラと吹き散らばった。
中々に粋な光景である。紙が舞い散る白い世界の中、ただ佇む大柄なコートの男。それだけで相当絵になる。これであの男の横幅がもう少し細ければ文句無しだろう。
「クククッ、まさかこんなところで出会うとは驚いたな──待ちわびたぞ。比企谷八幡」
待ちわびていたのに驚いたのか。器用なマネをする奴だ。
舞い散る白い紙の隙間から、俺は相手を見る。
どうやらやっこさんは中々愉快な男らしい。初夏を前にしているにも関わらずコートを羽織っている上、指ぬきグローブまで装備しているときた。その上あの言葉遣い……良いねぇ、こういうの。
「比企谷くん、あちらはあなたのことを知ってるようだけど……」
俺の背中に隠れる雪ノ下さんが、怪訝な顔であちらさんと比企谷くんを見比べる。ちなみに由比ヶ浜さんは比企谷くんの方に隠れていた。雪ノ下さんも向こう行ってくんねーかな。暑苦しい。
雪ノ下さんの視線に怯んだのも一瞬で、やっこさんは比企谷くんに視線を戻し、腕を組み直してクックックッと低く笑い、ハッと大げさに肩を竦めたのちもったいつけて首を振った。
「まさかこの相棒の顔を忘れたとはな……見下げ果てたぞ、八幡」
「相棒って言ってるけど……」
由比ヶ浜さんが比企谷くんへ冷ややかな視線を向ける。まるで「ゴミはもろとも消え失せろ」みたいな目だった。ひでーな由比ヶ浜さん。
「そうだ相棒。貴様も覚えているだろう、あの地獄を共に駆け抜けた日々を……」
「体育でペア組まされただけじゃねぇか……」
言い返した比企谷くんの言葉を受けて、苦々しげな表情を浮かべる彼。
「あのような悪しき風習、地獄以外の何物でもない。好きな奴と組めだと? クックックッ、我はいつ果つるともわからぬ身、好ましく思う者など、作らぬっ! ……あの身を引き裂かれるような別れなど二度は要らぬ。あれが愛なら、愛など要らぬっ!」
お師さん……哀しい別れだ……。うっかりピラミッド建てちゃうくらい哀しい。ていうか北斗好きな奴多いなおい。平塚先生も比企谷くんに北斗ネタ振ってたぞ。
そこまできて、ようやく思い出す。俺は彼のことを知っている。
「あぁ、材木座くんか」
「……七里ヶ浜くんも彼の知り合い?」
ふと漏らした言葉を聞き止めたのか、雪ノ下さんが小声で話しかけてくる。
「直接の知り合いってわけではないけどな。見ての通り目立つ奴だから覚えてた」
「そう」
雪ノ下さんは短く言うと、比企谷くんに説明を求めるように視線を向け、比企谷くんがそれに答える。
「あいつは材木座義輝。……体育の時間、俺とペア組んでる奴だよ」
「むっ、我が魂に刻まれし名を口にしたか。いかにも我が剣豪将軍・材木座義輝だ」
材木座くんの設定紹介はスルーしながらも、俺は少し悲しくなった。……ああ、体育のペアね……。確かに材木座くん、結構アレな性格らしいし、友達少なそうだもんな。比企谷くんは言うまでもないし。それで余り物どうしくっつけられた訳だ。哀しい関係だ。
因みに、俺にも体育の時間にペアを組めるような知り合いはあまり居ないが、そもそも体育はほとんどサボっているため全く問題がない。いや、問題しかないか。そうですね。
「類は友を呼ぶというやつね」
雪ノ下さんが残酷な結論を出していた。いや、材木座くんは比企谷くんと比べると社交性はある方だよ? 多分。友達いるし。まあその友達が『アイツ』っていうのは頂けないが。
「ばっかお前いっしょくたにすんな。俺はあんなに痛くない。第一友じゃねっつーの」
「良いじゃん友達で。仲良くしようぜ」
「俺はてめーみたいに脳内お花畑じゃねえんだよ」
……流石に脳内お花畑扱いは酷くない? 俺でも傷つくことはあるんだよ?
「なんでもいいんだけど、そのお友達、あなたに用があるんじゃないの?」
雪ノ下さんのお友達という言葉に物凄い棘を感じた。往々にして過剰な丁寧語というのは人の心を傷つけるのにうってつけなのである。嫌味や当てこすりに使われる事も多い。嫁が姑のことを「お母様」とか呼んじゃうみたいな。真っ黒だ。
「ムハハハ、とんと失念しておった。時に八幡よ。奉仕部とはここでいいのか?」
何だその笑い方。初めて聞いたぞ。
「おう、合ってるよ」
比企谷くんの代わりに俺が答えると、材木座くんはこちらを一瞬見た後すぐさま比企谷くんに視線を戻した。そんな俺の顔はダメか。可愛い系男子で売ってるんだけどなぁ。嘘だけど。
「……そ、そうであったか。平塚教諭に助言頂いたとおりならば八幡、お主は我の願いを叶える義務があるわけだな? 幾百の時を超えてなお主従の関係にあるとは……これも八幡大菩薩の導きか」
さっきの相棒云々はどうした。主従関係なのかよ。手下じゃねえか。
「別に奉仕部はあなたのお願いを叶えるわけではないわ。ただそのお手伝いをするだけよ」
雪ノ下さんが「お願い」とか「お手伝い」とか言ってるの何か可愛いなぁと思ってると、またもや材木座くんがすごい速さで比企谷くんに視線を戻した。……ああ、知らない人と喋れないタイプの人なのかな。雪ノ下さんも由比ヶ浜さんも容姿の整った女の子だし、話しにくいのかもしれない。
「……ふ、ふむ。八幡よ、では我に手を貸せ。ふふふ、思えば我とお主は対等な関係、かつてのように再び天下を握らんとしようではないか」
「「主従の関係どこいったんだよ」」
思わずツッコミを入れると、図らずも比企谷くんとハモってしまい、比企谷くんがバツの悪そうな顔をしていた。
分かるよその気持ち。俺もゆか姉と一緒にテレビ見てておんなじツッコミした時死にたくなるし。
「ゴラムゴラムっ! 我とお主の間でそのような些末なことはどうでもよい。特別に赦す」
材木座くんはあり得ない咳き込み方をして、設定の綻びを誤魔化そうとしていた。
「すまない。どうやらこの時代は在りし日々に比ぶるに穢れているようだな。人の心の在り様が。あの清浄なる室町が懐かしい……。そうは思わぬか、八幡」
「思わねえよ。あともう死ねよ」
「ククク、死など恐ろしくはない。あの世で国獲りするだけよ!」
どこの人斬りだ。そのうち発火するぞ。
「うわぁ……」
由比ヶ浜さんがリアルに引いていた。しかも顔色まで悪く見える。
それにしても、楽しそうで良いなぁ、材木座くん。やっぱり自分が楽しいと思うことをするのは重要だ。
その点、彼は物凄く純度が高い。ベクトルの違う三浦優美子といった感じだ。三浦さんと違う点があるとすれば、材木座くんは多分、現実逃避的にああなってしまってるところだろう。
「比企谷くん、ちょっと……」
雪ノ下さんが比企谷くんに小声で話しかける。由比ヶ浜さんもそれに参加して何やら話し込みそうだったので、俺は材木座くんに話しかける事にした。
「で、何頼みに来たの?」
「えっ、えっと……その……」
材木座くんが半端なく動揺していた。いやそんな怖がらなくても……。
「あー、極楽寺楽太郎の……知り合いで、七里ヶ浜七之助って者です。楽にしててくれ、頼むから」
じゃないと話が進まない。楽しそうな事にお預け喰らうのは、あまり好きじゃないんだ。
「ぬっ!? 七里ヶ浜七之助だと!?」
「そうそう。楽太郎から話聞いた事ない?」
あのアホは俺のことを話すことが多い為、あいつの友達が俺のことを知ってる事は多い。話のネタに困るような奴じゃないんだから俺のことなんて話さなければ良いのにと思うが、どうやらあいつは俺の話をするのが好きらしい。死ね。
「楽太郎から話は聞いておる。お主が、我が眷属を所望する選ばれし者か……」
知ってる人間の名前が出たからか安心したらしく、キャラに戻った材木座くんが仰々しい喋り方に戻っていた。
「いや所望してねーよ……あいつ俺のことなんて説明してんだよ……」
「『楽園を探し求める求道者』と聞いておる」
楽園を探し求める求道者、か。確かに悪くないな。今度からそう名乗るのも良いかもしれない。
「まあそんな感じではあるけどさ、眷属とかじゃなくて普通に友達になんない? この際相棒でも何でも良いけど、流石に材木座くんの手下になるのは勘弁願いたいわ、マジで」
「友達……だと……?」
低く呟いた材木座くんがプルプル震えだす。ていうか半泣きになっていた。何でだよ……。
「七之助よ……貴様が我が眷属となる事を赦そう……」
「…………おう」
もうなんでも良いや。材木座くん面白そうだし。仲良くなっておけば、学校で退屈することも少しは減るだろう。
「で、何の用なんだ? あんまり難しいことは勘弁して貰いたいんだけど」
「うむ……実は我、とある新人賞に応募しようと小説を書いたのだが、友達がいないので感想が聞けぬ。読んでくれ」
「むしろ友達には見せない方がいいんじゃないか? 恥ずかしいだろ」
意識的に友達がいないというところには触れないようにした。だって可哀想だし。
「ネットとかに匿名で晒した方がいいんじゃないか?」
「それは無理だ。彼奴らは容赦がないからな。酷評されたら多分死ぬぞ、我」
豆腐メンタルかよ! そのメンタリティじゃ物書きなんてやってけねーぞ多分!
それに……。
「なら余計、ここに持ち込むのはやめといた方がいいと思う」
俺は、話し込んでいる三人──特に雪ノ下さんを見る。あの人はそういう容赦とは無縁な人なのだ。
材木座くんの小説がどのレベルのものかは知らないが、このキャラから考えるに、『ヤバい』ブツである事は疑いようのない事実だ。耐性のなさそうな雪ノ下さんが見たら、下手したら卒倒するまである。
「ま、俺で良かったら読むよ。原稿は?」
「これだ」
そう言って材木座くんの手渡してきた紙束を受け取り、早速読み始める。
ペラペラ紙束を捲っていると、ようやく三人が話を終えたのか、材木座くんと話し始めていたが、それには参加せずに集中力を高めて原稿を読み続けた。
「……ふぅ」
十分ほどかけて読み終える。けっこう集中して読んだため、脳みそが熱くなっているのを感じる。こういう倦怠感は心地良くて好きだ。
「材木座くん、読み終わったぞ」
「えっ、もう?」
材木座くんがキャラを作るのを忘れて素で答えていた。徹底しきれてないなぁと内心苦笑する。
「ああ、結構集中して読んだからな。感想は今言った方がいいのか?」
「……心の準備が出来ておらん。明日、他の者と共に述べてくれ」
「了解。んじゃ俺帰るわ」
部員のみんなに告げて、俺は部室から出た。
予定では部室で寝るつもりだったのだが、アレを読んだ以上じっとはしていられない。
…………さて、ゆか姉に読ませに行くか。