材木座くんの書いた小説はジャンルで言うなら、学園異能バトルものだ。どうでもいいけど異能って聞くとむせる。
そして物凄く長かった。少なくとも新人賞に送る分量の小説ではない。おかげで、いい嫌がらせになった。
「……で、わざわざこれ読ませに来たの?」
「うん。どうだったよ? 俺の友達にも中々見所のある奴いるだろ?」
「殺すよ?」
学校から直接バーむらさきに向かった俺は、早速ゆか姉に材木座くんの書いた小説を読ませていた。
「ったく……。珍しくお金ねだり以外の目的で来たと思ったら、これ読ませに来ただけなの? 七之助、私になんか恨みでもある?」
「恨みなら数限りなくあるけど、別に嫌がらせが目的じゃないからな。感想もらいに来たんだよ」
感想は多いに越したことはないだろうし。まあただの嫌がらせなんだけど。
「……感想ねぇ。取り敢えず、てにをはの使い方マスターしなきゃお話にもならないんじゃない?」
「まあそれはそれとして。話の内容は?」
「くどい」
ゆか姉が簡潔に、バッサリと斬り捨てる。
「まあそうなるか。ありがとな」
「いや良いけどさ……ねむ……」
「今日は店開けねーの? 開けるんなら今日はタダで弾くけど」
「んー……折角だし開けよっか……。んじゃわたし顔洗ってくるね……」
ゆか姉はあくびを噛み殺しながら洗面所へ歩いていった。どうやら昨日はお友達と夜中まではしゃいでいたらしい。元気なことだ。
「どうやってその子と友達になれたの? 高校生くらいになると、昔のあんたみたいなやり方じゃ中々友達作れないでしょ?」
ゆか姉が洗面台から話しかけてくる。
「友達になったのはついさっき。多分楽太郎の友達ってのが大きいな」
「あー、楽太郎かぁ……そういや最近あいつ来てないね」
「俺も最近見てねーな。ま、元気にやってるだろ」
大体、あいつが元気にやってないというのは想像すら出来ない。あいつは地球滅亡一分前でもヘラヘラしているような奴だ。俺も人の事は言えないけど。
「まあそうだねー。たまには顔出すように言っといて。可愛がってやるからって」
「あんまり楽太郎虐めてやるなよ……いっつも泣かされてたじゃんあいつ」
楽太郎と俺たちの付き合いはそこそこに長い。小学校に入る前からの付き合いだ。ここ最近はあまり喋っていないが、それでも俺が心を許せる数少ない友達──友達は恥ずかしいな。ダチ公である。
「泣かされる方が悪いんですー!」
遂にジャイアンみたいな事言い始めたなおい……。今更だけどさぁ。
「よっし! 準備万端!」
先程までのダウナーな雰囲気は雲散霧消しており、目の前に立つゆか姉は、街を歩けば男なんて選り取り見取り食べ放題なレベルに可愛かった。
「化粧は?」
「そんなブス御用達のアイテムに頼らなくてもわたしは超可愛いから、のーぷろぶれむ! もーまんたい!」
「……さいで」
言うだけあって可愛いのがムカつく。そりゃ、顔見ただけなら騙されてしまうのも無理はないな。
俺は心の中で、かつてゆか姉にこっぴどいフられ方をしていった数多の男たちに黙祷を捧げることにした。
「おはようドスサントスー!」
部室に入って開口一番、元気な挨拶をした俺を出迎えてくれたのは、雪ノ下さんの恨みがましい視線だけだった。
雪ノ下さんはうたた寝をしていたらしく、扉を開けた音でビクッとなって目を覚ましたようだ。
「……どこの国の挨拶かしら?」
「強いて言うなら、集英国サッカー県の挨拶だな。ちなみに前のチワーワもそこの言葉だ。また一つ賢くなったな、ゆきのん」
「……貴方、死にたいの?」
「その様子じゃ、さしもの雪ノ下さんも結構苦戦したみたいだな。そんなに読むのに時間かかったのか?」
人一人くらいなら十分殺せそうな雪ノ下さんの殺意のこもった視線は気にしない事にして、これでもかってほどに強引に話をそらした。そんな怒るほどダメな愛称でもないと思うんだけどなぁ。
「……ええ、徹夜なんて久しぶりにしたわ。私この手のもの全然読んだことないし。……あまり好きになれそうにないわ」
相変わらず殺意のこもった視線で俺を殺そうとしながらも、雪ノ下さんは話に乗ってきてくれた。なんだかんだ言って、雪ノ下さんは良い人なのである。
「まあ、毒にも薬にもならない本が多いのも確かだな。たまにメッセージ性の強い奴とかもあるけど、そういうのはマイノリティだ」
大半は、ジャンクに、安易に、大量に、だ。しかし俺はそれが悪いことだとは思わない。大量にあるというのは、それだけで価値がある。時間を潰すのにもってこいだ。
「ちなみに雪ノ下さんはどんな本が好み?」
「英米文学かしら。有名どころは大抵読んだわ」
英米文学とはまたざっくりした括りである。そもそも何を以って文学とするのかという議題で十分は潰せる。そして多分十五分で飽きてやめる。
「英米文学ねぇ。……あ、『ハックルベリーフィン』とかは俺も好きだよ。あれは良い本だ。思わずニグロって言いたくなるくらい」
「それは色々不味いと思うのだけれど……。というかあなた、そんな知識もあるのね。てっきり、本なんて全く読まない人だと思っていたわ」
心外である。俺は結構本が好きな人間だ。暇つぶしにもってこいだし、何より他人に邪魔されずに済む。一人で引きこもるにはうってつけのアイテムだ。
「本は好きだぞ? 前に雪ノ下さんが比企谷くんバカにするのに使った賢治も読んでる。俺は『よだかの星』より『セロ弾きのゴーシュ』の方が好きだけど」
「なぜ?」
「ゴーシュの最後のセリフの、あのなんとも言えない余韻が好みなんだ」
まあ、単純に『よだかの星』があまり好きじゃないってのも大きいんだけどね。
「へぇ……」
感心するように、雪ノ下さんが目を細めてこちらを見る。
「七里ヶ浜くん。何か、オススメの本はあるかしら?」
微笑みながら問いかけてくる雪ノ下さんに、一瞬言葉を失う。
その顔は、反則だろう。
「…………俺が読んだ本は、雪ノ下さんなら全部読んでるよ、きっと」
気恥ずかしくなったので、俺は雪ノ下さんの目を見ず、適当に答える。
ガキだな。素面に戻った途端これだ。
「そう?」
雪ノ下さんがクスリと笑い、俺は更に気恥ずかしい気分になった。
それきり、雪ノ下さんは何も話さず。俺も何も話す事が出来ず。気まずい時間を過ごしていると、ようやく部室に比企谷くんと由比ヶ浜さん、そして材木座くんがやって来た。
「頼もう」
材木座くんが古風なもの言いと共に入ってくる。
「さて、では感想を聞かせてもらうとするか」
材木座くんは椅子にどかっと座り、偉そうに腕組みをして何故か優越感じみた表情を浮かべていた。自信ありと見える。あの小説の何処に自信を見出しているんだと口に出してやろうかと思ったが、流石にやめた。
対して雪ノ下さんは申し訳なさそうな顔をしていた。
「ごめんなさい。私にはこういうのよくわからないのだけとわ……」
そう前置きした雪ノ下さんに、鷹揚な頷きで材木座くんが応える。
「構わぬ。凡俗の意見も聞きたいところだったのでな。好きに言ってくれたまへ」
材木座くんの言葉を受けて、そう、と短く返事をすると、雪ノ下さんは小さく息を吸って意を決したように口を開いた。
「つまらなかった。読むのが苦痛ですらあったわ。想像を絶するつまらなさ」
「げふぅっ!」
一太刀で斬り捨てやがった……。
がたがたと材木座くんが椅子を鳴らしながらのけ反ったが、どうにかこうにか体勢を立て直す。
「さ、参考までにどの辺がつまらなかったのかご教授願えるかな」
「まず、文法が滅茶苦茶ね。なぜいつも倒置法なの? 『てにをは』の使い方知ってる? 義務教育は受けた?」
義務教育を受けたかどうかを疑問視されるって……。
「ぬぐ……そ、そらは平易な文体でより読者に親しみを……」
「そういうことは最低限まともな日本語を書けるようになってから考えることではないの? それと、このルビだけど誤用が多すぎるわ。『能力』に『ちから』なんて読み方はないのだけれど。だいたい、『幻紅刃閃』と書いてなんでブラッディナイトメアスラッシャーになるの? ナイトメアはどこから来たの?」
「げふっ! う、うう。違うのだっ! 最近の異能バトルではルビの振り方に特徴を」
あまりにも言い訳が見苦しかったので、俺は小声で比企谷くんに話しかけた。
「異能って聞くとむせるよな」
「お前はどこのPSだ。制服の肩の所赤く塗ってやろうか?」
「貴様……塗りたいのか!?」
「へっ……冗談だよ」
比企谷くんと軽口を叩いていると、材木座くんが白目剥きながら四肢を投げ出しピクピクしていた。どうやら雪ノ下さんの剃刀はものすごい切れ味らしい。分かってたことだけど。
「雪ノ下、その辺でやめとけ、あんまりいっぺんに言ってもあれだろうし」
「まだまだ言い足りないけど……。まぁ、いいわ。じゃあ次は七里ヶ浜くんかしら」
「あいよ」
比企谷くんの言葉を受け、ようやく舌刀を収めた雪ノ下さんは、次に俺を指名してきた。
「あーなんだ。内容的な事は他のやつが言ってくれるだろうから、構成の事を」
そう前置きして俺は材木座くんを見る。どうやら未だに雪ノ下さんの酷評から立ち直れていないらしいが、気にしてたら日が暮れても終わらないだろうから気にせず続ける。
「全体的にくどい。そのせいで見せ場とそれ以外の緩急が付いてない」
雪ノ下さんに比べてまだマシな批判だったためか、材木座くんが自信を取り戻したようにこちらを見る。
「凡俗には分からんだろうが」
「黙って聞け。この話ならこれの半分に削ること。時間の無駄だから。あと新人賞に送るんならせめて完結させろ、思わせぶりな台詞全部カットして」
一息に言うと、材木座くんが半泣きでこちらを見ていた。
「や、まあ良い暇つぶしにはなったから、感謝はしてる」
嫌がらせも出来たしな、と小さく付け加えた。
「という事で精進してくれ。んじゃ次は由比ヶ浜さん、よろしく」
「え!? あ、あたし!?」
材木座くんが縋るような視線を由比ヶ浜さんに送っている。その目は優しかった。いや半泣きだった。
それを見て流石に哀れに思ったのか由比ヶ浜さんはどうにか褒める部分を探そうと虚空を見つめて言葉をひねり出す。
「え、えーっと……。む、難しい言葉をたくさん知ってるね」
「ひでぶっ!」
「とどめ刺してんじゃねぇよ……」
比企谷くんの言うとおり、これはほぼとどめに等しい言葉だ。つまりこの言葉の意味は、褒められるところがそこしかないという事に他ならない。
「じゃ、じゃあ、ヒッキーどうぞ」
由比ヶ浜さんは逃げるように席を立ち、比企谷くんにその席を譲る。どうやら燃え尽きて真っ白になった材木座くんを正視するのが耐えられなかったようだ。
「は、八幡。お前なら理解出来るな?」
比企谷くんを見る材木座くんの目は「お前を信じている」と告げている。
そんな目を見た比企谷くんは、一つ深呼吸したあと、優しくこう言った。
「で、あれって何のパクリ?」
その言葉を聞いた瞬間、材木座くんはごろごろと床をのたうち回り、壁に激突して動きを止めるとピクリとも動かなくなった。
「……あなた容赦ないわね。私よりよほど酷薄じゃない」
雪ノ下さんがものすごい勢いで引いていた。
「……ちょっと」
気の毒に思ったのか、由比ヶ浜さんが比企谷くんの脇腹を肘でつついた。どうやら慰めてやれと言っているらしい。
しばらく考え込んだ比企谷くんは、重々しくその口を開いた。
「まぁ、大事なのはイラストだから、中身なんてあんま気にすんなよ」
…………死体蹴りはしちゃダメだぞ! お兄さんとの約束だ!
材木座くんはしばらくの間、ラマーズ法を繰り返してから、プルプル手足を震わせながら立ち上がった。
そして、ぱんぱんと身体についた埃を払うとまっすぐに俺たちを見る。
「……また、読んでくれるか」
「読むよ。いつでも持って来い」
即答した。暇潰しになるとかそんな理由ではない。ただ、材木座くんの目に、憧れてしまった。
「お前……」
比企谷くんが材木座くんの真意を図り損ねたのか困惑している。
「ドMなの?」
由比ヶ浜さんは比企谷くんの陰に隠れて、材木座くんに嫌悪の視線を向けている。少し気分が悪くなる。
「お前、あんだけ言われてまだやるのかよ」
「無論だ。確かに酷評されはした。もう死んじゃおっかなーどうせ生きててもモテないし友達いないし、とも思った。むしろ、我以外みんな死ねと思った」
「そりゃそうだろうな。俺でもあんだけ言われりゃ死にたくなる」
しかし材木座くんは、そこでは終われない、終わってなるものかと、そう思ったのだろう。そんな熱さを、俺は確かに感じたのだ。
「だが。だがそれでも嬉しかったのだ。自分が好きで書いたものを誰かに読んでもらえて、感想を言ってもらえるというのはいいものだな。この想いに何と名前をつければいいのか判然とせぬのだが。……読んでもらえると、やっぱり嬉しいよ」
そう言って、材木座くんは笑った。
きっとそれは、剣豪将軍の笑顔ではなく、材木座義輝の笑顔で。
これは、材木座くんが中二病を突き詰めた結果辿り着いた境地だ。馬鹿にされて、無視されて、笑われても、それでも彼はきっと書く。
そうあって欲しいと思う。
「ああ、読むよ」
比企谷くんが真剣な顔で言う。
「また新作が書けたら持ってくる」
そう言い残して材木座くんは俺たちに背を向けて、堂々とした足取りで部室を後にした。
閉じられた扉は、いやに眩しかった。
そうして数日後、材木座くんは相も変わらずダメダメなことを言っているらしかった。比企谷くんからの又聞きなんだけど。
それでも、その話をする比企谷くんは、少しだけ楽しそうだった。