薄明にうたう救済の技法 作:実は00厨
春風がそよそよと頬を撫でる。雨の後の匂い。人が近づく気配がして、私は目をひらく。
薄紫色したもやが辺りを覆い、もやは淡いのにその人どころか自分の身体すら見えない。
けれど私はそれを不思議と気にすることはなく、ただそばに来たらしい人の横に寄り添う。
その人は、彼か彼女かわからぬ声でこう問うた。
「君の望みを、こたえて?」
だから私は、こう答えた。
「私ね、昔フィクションの中のナノマシンに憧れてたんですよ」
「ほうほう」
一度言葉を発すればすらすらと連なる。原初の
「昔は魔法って現実にはあり得ないものだと思っていて、そんなのに憧れるなんてすごく子どもっぽいなぁと思っていました。一方ナノマシンなら現実にありえそうなものが何でもできて、どんなことでも解決できると思えたのが私にとってはすごい魅力的でした。病気を治し、超人を生み、不老不死になれる。はたまた巨大ロボットを構成し、ネットワークに接続でき、究極には万物を編み、無から有を取り出しすらする」
「なるほど」
思春期に現実を知って、それでも諦めきれなかった夢も、
「もちろん、成長するにつれて現実のナノマシンなんてそんな大したものじゃないって知った訳なんですけど、それでも憧れが抑えきれなくてナノテク分野に」
「それはよかった」
今でも胸のうちに秘める想いも。
「でも今でも時々フィクションに出るような万能ナノマシンを作れたらなぁ、なんて思いますね。もっとも実在したらしたでグレイグーやら健康被害やらで大変なのかもしれないですけどね、ナノだけに」
「ふふっ、つづけて」
「あ、はい……そうですね、そうならないように条件付けやら制御やらを厳密にして……上手くいけば本当に魔法使いみたくなれるかも知れません、なんて。昔は魔法、魔法言う級友を子供っぽいなぁ……とか思ってましたけど……」
「あいわかった、そのようにしてしんぜよう」
「えっ。ありがとうございます?」
目が覚める。
何か夢を見ていたようだが、切れ切れの断片的な光景が浮かぶばかりではっきりしない。とてもとても大切なことだった気がするのに……
知らない天井だ、と言いかけて辞める。子どもでは無いのだし、そもそも入院先の病室なんだからよく知らないのは当たり前だ、と思いかけて違和感を覚える。その僅かばかりの記憶とも違う部屋のような気がしたのだ。意識不明の間に別の病室に移された可能性もあるが……しかし……
「どこだここ……」
呟いた声は少しばかり掠れているものの高音。目覚めたらTSしていたのかなとはははと笑って。現実逃避は止めよう、思わず額を押さえた小さな手のひらは子どものものだった。
ドアが開く音。
「アイン、アイン。良かった、目が覚めたのね。喉乾いたでしょ?」
「あ……うん………」
不意打ちの言葉にかろうじてうなづくことしかできない。確かに喉は乾いていたが、看護師とも思えない女性の姿を見た驚きがまさった。女性は私の驚愕に気づかなかったようで、手に持っていた盆から吸い飲みを取り私の口に含ませる。柔らかなゴムの噛み心地と、少しずつ口内に注がれる水に何も言えない。
「熱が出た後はたくさんお水を飲みなさい。汗をかけばかくほど早く治るわ。今氷枕を変えるからね」
私が水を全て飲み込むのを見届けて、女性は部屋を出て行った。混乱の極致に私を陥れたまま。
「なんだってんだ……いったいどういう状況だ?」
熱のせいだけではなく頭が痛くなる。閉じられた扉に遮られて混乱は伝わらないと信じたい。記憶をたどる。私は確かに高熱で倒れて入院した。しかし原因はあくまで感染症。アポトキシンをのんだ訳では無い筈だ。そもそもアポトキシンは某名探偵マンガに出てくる架空の薬物である。今までのことから判断して、原因は不明だが「アイン」と呼ばれるこの身体も高熱で倒れたらしい。私の名前は「
もしかしたらこれはよくできた夢かもしれない。少し現実逃避に思考が移る。仮に現実であろうがなかろうが、とりあえずこの身体の病気を治さなければ何も始まらない。私はそう判断した。
再び目を開いても写る光景は変わらぬまま。九割がたここは現実だと私は判断した。残りの一割は水槽脳に近い状態(つまりよくできた夢の中)の可能性だけれど、そんな技術は未だ無かったはずだし私に対してそれをする動機も思いつかない。
「手詰まり、か」
昨日と同じように女性がやってきて、しかし今日は彼女は自分の母親なのだ、と認識する。「アイン」と「
「よかった、すっかり熱は下がったわね」
水銀温度計で測られた体温。ほっとしたような声。実際身体が楽になっていたので改めて聞いて私も安心する。
「すっかり楽になったよ。もう動けそう」
「無理しちゃだめよ。まだ寝ていなさい」
「はーい」
こういう会話も自分の意識の上では長い長い間経験していなかった。懐かしいようなくすぐったい気持ちになる。寝ていなさいとは言われたが当然身の始末はしなければならないもので。洗面所の鏡には幼い頃の自分と同じ顔立ちが映る。しかし良く見ると虹彩の色だけ、日本人的ダークブラウンから青に変化している。この一致と相違に関してどう捉えるべきなのだろうか。知らない/よく知る間取りを歩いて居間のテレビを見た。
「知らない
いつの間に人類は火星のテラフォーミングを達成したのか。これは後で調べなければいけない。まるっきり常識が変化していて頭が痛い。興味深くもあるけれど。ここはSFの世界か。
テレビにラジオ、新聞に本。古典的なメディアは健在。インターネットはあるがソーシャルメディアはそこまで重視されていない。約三百年前に人類滅亡級の大戦があったというから、恐らくその影響だろう。AIと人間との戦争、AIが自我に目覚めて反逆したならまだ救いもあったろうが、おおまかな経緯を知ると「相手を
それにしてもガンダムか……。私は資料で見つけた単語にため息をつく。詳しく知っているのはG、00、AGE、あとターンAくらい。ナノマシンが出る作品ばかりだ。そしてこの世界にはガンダムファイトも軌道エレベータも存在する様子が無い。コロニーはある。う、ううん? 宇宙世紀その他の朧げな記憶とも地名が重ならない気が。
「A.G.世界では無いようだけど火星だしマーズレイがあったら嫌だな、判別する手段があればいいんだけど」
色々考えながら本のページをめくっていたら、すっぱりと指を切った。やや深かったため血の玉が浮き。
「あっぅ」
情報量の暴虐。何が起こったか、って? 私の血から抗体類似のナノマシンが生成されて大気中の粒子のスキャンを開始し情報が脳内に叩き込まれた。かろうじて何が起きたかの理解はできたが、人間の脳はナノマシンからの情報を直接処理するようにはできてないのだ。危うくベッドに逆戻りするところだった。めまいを乗り越えて私は思い出す、「アイン」となる直前にみた夢を。
「これのことかよ!」
口の中だけで叫ぶ。感謝のようなちょっと腹立たしいようななんとも言えない気持ち。理解した、私はあらゆるナノマシンを生み出せるし操れる。以前の現実にあったものであれ、架空のものであれ。今の私ならDG細胞をアルティメット細胞に戻せるし、月光蝶をかしずかせ文明を再度崩壊させることさえ可能だろう。正直人間個人には過ぎた力ではなかろうか? ワクワクしないか、といったら嘘になるけれど。この力とガンダムの存在とを踏まえ、今後の身の振り方を考えねばなるまい。――まずは先ほどのような目を繰り返さないように、ナノマシンによる自己改造と自己進化を試してみるか?
00のイノベイドの身体を構成するナノマシンを参考にする。より多くの情報量を扱えるよう、よりタフになるよう成長期に入り始めた身体に少しずつナノマシンを馴染ませていく。ELSの襲来が怖いが、一人くらいなら大丈夫だろうと脳量子波も扱えるようにした。幸いなことにマーズレイの原因粒子はこの火星には無いようだ。代わりといってはなんだが別種のナノマシンがある。阿頼耶識と呼ばれるそれは神経に直接投与して機械と接続する型のブレイン・コンピュータ・インターフェイスだ。対応する機械を思考するだけでかなり自由に操れるなかなかにすごいもの。しかしインプラントを嫌う人が多く、一般に普及しているとは言いがたい。ではどこで使われているかって? 恐ろしいことにこの時代人身売買の果てに自由権を失った子ども、通称ヒューマンデブリがわんさかいる。彼ら彼女らにはよく投与されるという。いい加減な施術を行うため、その施術の死亡率は高い。人間の生命を、そして正しく使用すれば福音ともなろう技術を何だと思っているのか。大層腹立たしい。というわけで。
「定期健診に来ました~」
「えー」
「うげっ」
「いらっしゃい」
「ふん!」
あまり歓迎の意はなさそうな子どもの声、声、声。基本的にヒューマンデブリは大人に対する警戒心が強い。私は今その辺の泥からナノマシンを生成し、自分の身体を組み上げて活動している。ひとつは前の姿、つまりは今の身体の成人後(予定)。もう一つは今の姿を模しつつも少し顔立ちや色合いを変えた姿。今は大人の姿で情報収集がてらの巡回。これらの身体たちのおかげで俺は不審がられずに色々活動できるようになった。子どもの方はヒューマンデブリに紛れ込み、大人の俺はちょっとうさんくさいお医者さん兼阿頼耶識の研究者といったところ。慈善が妨害されるというアレな環境なので、医療活動はあくまでも自分の都合でやってることをアピール。
「うんうん、経過は順調だね」