その1
「はい。ようこそ佐藤和真さん。ここは死後の世界。残念ながらあなたは死んでしまったわけだけれど」
わけがわからない。そんなことを思いながら、彼は、佐藤和真は目の前の少女の言葉を聞いていた。場所は、一体どこなのか分からない。そもそも自身の記憶としては、久方ぶりに外に出て買い物をした帰りで一度記憶が途切れている。あの時は確か。
「一つ、聞いても?」
「何? まだ時間はあるから好きに聞いていいわよ」
「あの女の子は」
「ああ、大丈夫大丈夫。命に別状はないわ」
「そうですか」
すとんと、自身の人生の最初にして最後の見せ場の結末を告げられ、彼は納得したように頷いた。そうか、それならばよかった。そんなことを思いながら、和真は自分が死んでいることを取り乱すことなく受け入れ。
「あー、うん。言いにくいことなんだけど」
「はい?」
「……あんたの行動に関係なく、女の子は助かっていたわ。元々そこまでスピードは出ていなかったし」
「……はい?」
「だから迫ってきた、えーっと、その、車? もね、ちゃんと止まったのよ」
「え? じゃあ何で俺死んでるの!?」
「……轢かれたと思ったショックで、死んじゃったみたいね」
「ぬあぁぁぁんじゃそりゃぁぁぁ!」
がっでむ、と頭を抱える和真であったが、目の前の少女が目を逸らしていることには気付かない。微妙に言い淀んでいたが、迫ってきていたのがトラックなどではなくトラクターであったこともきちんとこちらでは把握している。
「たまたま本来の担当が説教されている時で良かったわね」
「え? 何だって?」
「こっちの話。じゃあ、改めて」
こほん、と目の前の少女が咳払いをする。衝撃の事実に大分げんなりしつつ、彼はそんな少女をまじまじと見た。どことなく冷めた目をした表情と、先端にグラデーションとウェーブの掛かった髪、そして花を思わせる服と、歯車のような翼。極めつけは頭上に浮かぶ、輪っか。
「あたしはアメス。日本で若くして死んだ人間を導く女神、の代理よ」
「代理?」
その姿で何となく察してはいたが、彼女の言葉に和真は疑問符を浮かべる。それにそうそうと頷いたアメスは、本来ならばアクアという女神がここを担当しているのだと続けた。
「なんだけど。……今ちょっと上から説教されててね」
「大丈夫なのかよその女神」
「能力は高いのよ、あたしよりもずっと。まあ、中身がアレだからこうなっちゃってるわけだけど」
「女神の世界も世知辛ぇな……」
俗世界から離れたそばから俗っぽい話を聞いた気がする。そんなことを思いつつ、それで一体これからどうなるのかと彼は話を元に戻した。
「そうね。選択肢は二つ。一つは天国、っぽい場所で何にもすることがないまま過ごすこと」
「地獄じゃねぇか」
「もう一つは、生まれ変わってもう一度人生を歩むか。あ、勿論記憶は引き継がないから」
「生まれ変わり、か」
片方はそもそも選択肢に乗らない。となるともう片方の生まれ変わりしか選ぶことがないわけだが。そんな事を考えううむと悩んでいる和真に、アメスは一応もう一つがあるんだけれどと述べた。
「え? じゃあ最初から」
「魔王のいる異世界にそのままの姿で送り届けるっていうやつだけど」
「異世界転生!?」
「そうそう。大体そんな感じ」
そのままアメスの語るところによると、管理している世界の一つで魔王が頑張りすぎた結果、その世界に生まれ変わるのを拒否する人が後を絶たないらしい。なので、別の場所から魂を移住させているのだとかなんとか。
おおよその説明を聞き、そして俗に言うファンタジー世界で特別な能力を与えられてそのまま新たな人生を始められるということを理解し。
いいね、それ。和真の中でそんな方向へとテンションが向きつつあった。ゲーム好きの自覚はある。だからこそ、そこへ自分が行けるということに高揚を覚えたのだ。
「あ、言語とかそういうのは行く前に叩き込むから心配しないで。ミスるとちょっと赤ちゃん並みになるかもしれないけど」
「今とんでもない一言聞こえたんだけど。赤ちゃん並みってなんだよ」
「お金が何か分からず食べたりするようになるわ」
よっぽど運が悪くなければ大丈夫。そう続けられたが和真の表情は胡散臭いものを見るままだ。アメスの表情は特に変わらず、彼を馬鹿にするでもなく、ただただ返事を待っている。
分かった、と彼は述べた。それを聞いたアメスは、カタログのようなものを取り出すと和真に渡す。分厚いそれをペラペラと捲ると、成程目移りするような能力やアイテムが所狭しと並んでいた。
「迷っているところ悪いけれど、時間が押してきちゃったみたい。急かしちゃってごめんなさいね」
「あ。はい」
顔を上げると事務机で何やら書類に判子を捺している姿が見えた。完全に市役所のノリである。先程の発言と照らし合わせ、ますます俗っぽさが増していた。はぁ、と溜息を吐きながらやっているところからすると、先程の『アクア』とかいう説教されている女神の仕事をついでに押し付けられたのかもしれない。
そんなことを考えつつ、いかんいかんとカタログを捲る。捲るが、どうも目の前の苦労人気質の転生の女神代理の姿が気になって仕方ない。
「えーっと、アメス様?」
「どうしたの?」
「その特典って、ここに載ってないやつでもいけます?」
「申請が通ればね。何か希望がある?」
だからだろうか。和真は、ついぽろっとこんなことを言ってしまった。
「アメス様を連れてくとか」
「……はい?」
目をパチクリとさせた彼女は、少し考える素振りを見せた後どこぞに連絡を取るような仕草をした。そうした後、ふう、と小さく溜息を吐く。
「結論から言うと、却下」
「……ですよねー」
「でも、その代わりと言ってはなんだけど、あんたのサポートを全面的にやってあげる」
「へ?」
今なんつった。そんなことを思いながら顔を上げた和真は、先程とは違い笑みを浮かべているアメスを見て目を見開いた。
「とりあえずガイド役を向こうでつけるわ。それから……ちょっとした加護もあげる。でも、そこまで期待はしないでね。あたしは向こうでは殆ど信仰されてないから、力も全然届かないし」
だから却下されたのよね、と肩を竦めたアメスは、本当にいいのと問い掛けた。カタログの特典と比べると、あまりにもささやかなものでしかない。新たな人生がすぐに終わってしまう可能性もある。
そんな彼女の言葉に、和真は言い淀む。勢いで言ってしまったが、やっぱり選び直した方がいいかもしれない、いや絶対にそうだ。そんな考えが頭をもたげる。
が、それでも彼は首を縦に振った。こうなりゃヤケだと言わんばかりに言い放った。
「了解。じゃあ、あたしの当面の仕事はあんたのサポートね。――出来るだけ、のんびりさせてちょうだい」
「ナンノコトヤラ」
はははと乾いた笑いをあげる和真の足元に魔法陣が浮かぶ。青白く光るそれは、彼の体を徐々に別の場所へと転移させていく。
「頑張りなさい、勇者候補。もし魔王を倒せたら、どんな願いも一つだけ叶えてもらえるから」
「おおっ!」
終わり際にそんなことを告げられる。テンションが俄然上がるその言葉で気合を入れると同時、まばゆい光は和真を完全に転移させた。
「願わくば。あんたが魔王を倒す勇者になることを、ってね」
光の消えた魔法陣を眺めながら、アメスはそう呟いて口角を上げた。
光が収まると、和真の視界に映ったのは一面の青空。視界を動かすと、見渡す限りの草原と、視界の端に映る街。
そして。
「おや、お目覚めになられたのですね、主さま」
一人の、可愛らしい少女。緑を基調とした服に身を包み、くりくりとした桜色の目が優しげにこちらを覗き込んでいる。耳が尖っていることから、いわゆるエルフなのだろうと和真はぼんやりと思い。
「……はい?」
そして言葉の意味が分からず聞き返した。今なんつった。主さまとか言ったぞ。倒れていたらしい体を起こすと、彼は少女をまじまじと見る。
明らかに年下である。現代日本で言うならば小学校高学年程度だろうか。そんな少女が、つい先程までヒキニートであった自分を主さま呼びである。ヤバい。
「ああ、申し遅れました。わたくしは、偉大なるアメスさまよりつかわされた『ガイド役』の、コッコロと申します」
「あ、はい、どうもご丁寧に」
そう言えばそんなことを言っていた、と和真が向こうでのやり取りを思い出している中、コッコロと名乗った少女は笑顔でペコリと頭を下げた。
「主さまをお守りし、おはようからおやすみまで……揺り籠から棺桶まで、誠心誠意お世話をするのが、わたくしの役目でございます」
「え? 何この子怖い……」
笑顔のまま物凄いことを言い出した。初対面の男子を、いくらガイド役に任命されたからってそこまでやろうとするか普通。そんなことを思いながら、そしてそれをされる絵面を想像しながら、和真は思わず戦慄した。ヤバい。
「おや、キョトンとされておりますね」
「いや、そりゃそうだろ。いきなり目の前にロリエルフがいてお世話させていただきます主さまとか、受け入れたらそれこそ頭沸いてる。……あの女神、もうちょいガイド役の人選なんとか」
「えぇと……」
「ん?」
「申し訳ありません。不躾ではございますが、あなたさまのお名前をお聞かせ願えますか?」
「あ、はい。佐藤和真です」
「……良かった、わたくしのお仕えする主さまで、間違いないようです」
思わず敬語で答えたが、コッコロは別段気にすることなく安堵したような表情を見せる。そうした後、和真を真っ直ぐに見ると深々と頭を下げた。
当然彼は困惑する。何が起きた?
「申し訳ありません。よもや人違いなのでは、と疑ってしまいました。ご不快でしたら、何なりと罰をお与えください。鞭で打たれようが何をされようが、わたくしは一向にかまいません」
「しないよ!? 何なの!? 俺そんな鬼畜に見える!?」
そもそもこの全面的な信頼なんなの。日本でもそうそうお目にかかれない状態に、和真は困惑しっぱなしである。異世界とはよもやここまで違うものなのか。彼の中でそんな間違った価値観が植え付けられた。
ともあれ、そんな彼の言葉を聞いて頭を上げたコッコロは、コホンと咳払いを一つすると再び笑顔を浮かべ言葉を紡いだ。それによると、彼女は女神アメスの託宣を受け、この世界のことが分からない和真を導くためにここまで来たらしい。
「ですので、何か分からないことがあれば、なんなりとお申し付けください」
「……分かった、よろしくコッコロちゃん」
「主さま。わたくしのことはどうぞ遠慮なくコッコロと」
「じゃあ、コッコロ。……俺はこれからどうすればいいんだ?」
「これからどうすれば、ですか?」
こてん、と首を傾げる。あまりにもぼんやりとした質問だったからなのだろうか、意図を掴みきれていないようであったので、和真はそうだなと言い直す。この世界で生活するために、何をするのがいいのか、と。
「俺としてはまず向こうの街にでも行って、酒場で情報収集とかが定番かと思うんだが」
「流石です主さま。右も左も分からない状態であるにも拘らずその冷静さ、アメスさまの託宣通りで」
「はいストーップ! とにかくそれで問題ないんだな?」
ここまで全肯定されると、自分が駄目になる。何となくそんなことを感じ取った和真は、コッコロの言葉を遮って街へと進むことにした。その後ろをパタパタと彼女も追い掛ける。
自分の予想していたものとは何かズレている。そんな気もしたが、最初からこうして仲間がいるというのはそう悪いものではない。うんうんと一人納得して、彼は少し後ろを歩くコッコロへと向き直った。
「ところで、あそこは一体何て街なんだ?」
「はい、あちらの街はアクセル。駆け出し冒険者の街、などと呼ばれているとのことです」
「駆け出し冒険者の街か、スタート地点としては理想的だな。やっぱり冒険者ギルド的なものもあるんだろうか」
「はい。ここで多くの冒険者は登録を済ませると聞いております」
「へー……」
ん、と言葉を止めた。彼女の話しぶりを聞く限り、住んでいる街のことを話すというよりも、仕入れた情報を述べているように思えて。
「……コッコロもあそこで暮らしてるんだよな?」
「いえ……恥ずかしながら、わたくしは託宣を受けて田舎の村からここまでやってきたものでして」
「……んん?」
ぴたり、と和真の足が止まる。申し訳無さそうな顔をしているコッコロを見ながら、彼は猛烈に嫌な予感がした。
彼女は田舎からここまで来た。そして和真は日本からここに転生したばかり。
「住む場所……どうすんだ?」
「おまかせください主さま。わたくしがこの身に代えても、主さまのために住居を」
「よーしとりあえず酒場行って、ギルドで冒険者登録するぞー! いくぞー! ハイ掛け声」
「はぇ!? え、えいえいおー?」
ちょっと油断したらダメになる。異世界に来て和真がまず学んだことは、バブみって本当にあるんだなということであった。
とりあえず一巻分くらいまでを目安にする予定