「はい、久しぶり」
「へ?」
ガバリと体を起こすと、目に飛び込んでくるのは以前数回訪れたことのある女神の夢空間とされる庭園の景色。そんな庭園の一角にある東屋、というよりちょっとしたリビングと化しているその場所で、カズマは目の前の相手を見た。歯車のような翼、グラデーションのような髪色、どこかダウナー気味の表情。
「アメス様? てことは俺今ヤバい?」
「ああ、そこは大丈夫。あんたがしばらくは意識飛ばしてた方がよさそうだったからちょっと呼んだの」
「ヤバイよねそれ!?」
カズマの記憶が確かならば、あの美人だが明らかマッドな医者のお姉さんに治療を受けさせられたところで飛んでいる。つまり現在の状況は大分アレなのだろう。
「そこまでじゃないわ。あんたはあたしの特殊な加護があるから、何かの拍子に意識回復しちゃうとマズいでしょ? そういうことよ」
「あ、ああ、そういう……」
麻酔用の呪術だとかなんとか言われてスキルと投薬を同時にやられたが、確かに言われてみるとあれは精神に作用する状態異常だ。完全に信用していないカズマがそれを受けた場合レジストしてしまう可能性も無きにしもあらず。麻酔無しで手術は彼としても勘弁願いたかった。
「じゃあ、とりあえず治療終わるまで厄介になろうかな」
「ええ、そうしなさい」
では遠慮なく、とソファーに座る。テーブルの上にあるお菓子が物凄く見覚えのあるものであったことを確認すると、ひょいと摘んで口に入れた。間違いなく日本のメーカーのポテチである。
「ああ、それは」
「あ、ちょっとカズマ! 何勝手に人のお菓子食べてるのよ!」
へ、と視線を向けると、こちらにズカズカとやってくる水色の髪の少女が一人。その後ろで、まあまあ、と宥めているらしい見覚えのない銀色の長髪の少女も視界に映った。
「お、アクア」
「はぁ!? ちょっとあんた! アメスは様付けで私は呼び捨てとかどういう了見よ。言っておきますけど、そっちの世界でちょこーっと名が売れてきた程度のアメスじゃあ、優秀なアクシズ教徒を沢山抱えるこの水の女神アクア様の足元にも及ばないんだから。ほら、敬って! アメスよりも偉い私を敬って!」
「で、そっちの人は? アメス様の知り合いの女神だったりします?」
「あ、はい。初めまして……?」
「ちょっと無視とか良くないんですけど! 敬うどころかシカトするなんて天罰下るわよ! 水のトラブル頻発するわよ! 夜中にトイレ行っても紙がなかったりするわよ!」
地味な嫌がらせだな、と顔を顰めながら、カズマははいはい分かった分かったとアクアに向き直る。とりあえず勝手にポテチ食ってごめん、と謝罪した。分かればいいのよと彼女はドヤ顔で胸を張るが、それを見ていたアメスともう一人は苦笑している。
間違いなく敬ってない。
「で、改めて。俺は佐藤和真、そっちの女神様は?」
「ふふっ。あなたのことはよく知ってますよ、カズマさん。私はエリス、と申します」
「エリス様かぁ……エリス?」
「そう。向こうで一番知られているあの女神エリスよ」
「名前だけ知られても、質がダメならダメダメよねぇ。その点うちのアクシズ教徒は優秀で、エリス教徒なんか一撃よ一撃!」
何か思わぬところでやべぇ女神に遭遇した気がする。リアクションの取りづらい状況になっていたカズマは、エリスが苦笑しながら気にしないでくださいと話し掛けたことで我に返った。
「ここにいるのはアメスさんの知り合いで、アクア先輩の後輩でもあるただのエリスですから」
「まあ、そういうことなら」
ポリポリと頬を掻きながらカズマは了承する。そうしつつ、よくよく考えると確かにこんな場所でアクアと一緒にポテチ食うような女神なんだからそこまで緊張しなくてもいいかと思い直した。
「ところで、なんで二人はここに? アメス様の場所なんだよなここって」
「え? そりゃ、サボってゴロゴロするのに丁度いい場所だもの」
「……えーっと、その。たまには、私も気を抜きたいというか、最近は向こうでいいこと無しだからやる気出てこないというか」
「三日に一回は来てるじゃないのよ。まあ使用料貰っているからいいけど」
「ああ、そういう」
ここの女神全員割とダメなんだな。うんうんと納得したように頷いた。そして、ほんの少しだけ残っていた緊張感は綺麗サッパリなくなった。
―4―
「よう」
「ひぃぃぃぃぃ!」
紅魔の里の学校帰り。めぐみんはこの間の出来事を忘れられず、しかし誰にも相談できず悶々とした日々を送っていた。それは隣を歩くゆんゆんも同じで、そのせいか揃って帰路につくことが増えた。どちらもあの日のことを口にはせず溜め込むばかりの、単独行動が二組である。
そうして一週間が経った頃。里の外れのめぐみんの家へと向かう途中にそいつは現れた。
何故かこめっこを肩車して。
「おいおい待て。俺様は別に争いに来たわけじゃねぇ」
「……でしょうね」
ぺしぺしと目の前のそいつ、大悪魔ホーストの頭を叩いているこめっこを見ながらめぐみんは溜息を吐く。ゆんゆんはテンパって叫んだ挙げ句目をぐるぐるとさせていたが、しかしそれから何も起きないので段々と呼吸を整え始めていた。
それで、とめぐみんはホーストに問う。一体何の用なのか。それを尋ねると、彼は少しだけ苦い顔を浮かべた。
「あの時の極悪エルフは……いねぇな?」
「彼女なら、あれからやりたい実験があるとか言ってあそこの謎施設に籠もっていますよ」
あそこ、と紅魔の里の人々もよく分かっていない建物を指差す。視線をそこに向けていたホーストは、とりあえずここにはいないんだなと息を吐いた。
視線を戻す。そうしながら、頼みがあると彼は述べた。
「大悪魔が私達みたいな魔法も覚えていない子供に何を頼むんですか?」
「ホーストはウォルバク様とかいうのをふっかつさせたいらしい」
「おいこめっこ、先に言うんじゃねぇよ。後復活させるのはウォルバク様の半身の力だ」
視線を肩に乗っているこめっこにも向けつつ、ホーストは続ける。邪神の墓と呼ばれているあの場所には、彼の仕える女神の半身が眠っているらしい。その封印を解き、完全な主の復活を望んでいるのだとか。
「ただ、ウォルバク様本人は乗り気じゃねぇんだ」
「駄目じゃないですか」
「まあな。……恐らく、半身の力をきちんと取り込めるかどうかが分からないからだろう」
「ちからぶそく」
「俺様としてはウォルバク様が封印が解かれたばかりの半身に遅れを取るとは思わねぇんだけどな」
そこでだ、とホーストはめぐみんを見る。嫌な予感がしたので、彼女はそれを隠そうともせず顔を顰めた。多分無理ですよ、と先に述べた。
「そうか? お前たちはあの極悪チビエルフがわざわざ選んだ相手だ。何もないってこたぁねぇよ」
「そうは言っても。私もゆんゆんもただの学生で、秘められた力こそ無限大ですが現状は――あれ? そういえばゆんゆん、さっきから随分と静か」
隣を見た。立ったまま気絶しているゆんゆんが視界に映り、めぐみんは思わず目を見開く。そっと触れると、そのままぐらりと彼女は倒れていった。
危ない、と慌ててゆんゆんを受け止めためぐみんは、とりあえず彼女を休ませる場所へと足を進める。近いのは自分の家だが、流石にこの状況で連れて行くわけにもいくまい。何より人を抱えて移動は中々にしんどい。
「よ、っと。おい、えっと、めぐみんだったか? どうするんだこの嬢ちゃん」
「ああ、すいませんホースト。私の家が近いので、ひとまずそこへ。幸い誰もいませんし」
「あー、そういやこめっこが言ってたな。親は仕事で、同年代もいないって」
「代わりにホーストが遊んでくれるからへーき」
「普通に馴染んでますね……」
どのみちここではもう話は出来ない。じゃあこっちです、とめぐみんはどう考えてもビジュアル的にアウトであろう大悪魔を連れて、そのまま自分の家へと帰っていった。
その道中、めぐみんはホーストに問い掛ける。ところで、と彼に件の人物についてを尋ねた。
「その、ウォルバク様とやらはどんな人なんですか?」
「そうだな。ウォルバク様の本来のお姿は巨大な漆黒の魔獣、だと思ってたんだが、どうやらあれは半身の要素を表に出した形態だったらしくてな。今は人間とそう変わらない美しい女性だ」
「へぇ。ではとりあえず誰かに見られたら騒ぎになるということはないようですね」
「お前さりげなく俺様に文句言ってるだろ」
そりゃそうでしょう、とめぐみんは肩を竦める。言われたくなければもう少し紛れ込む工夫でもしてくださいと追撃を入れながら、彼女は引っかかっていたことを口にした。邪神の墓、あそこで見た巨大な魔獣がホーストのいう半身の力だったとしたら。それを再封印したのは。
「ホースト」
「あん?」
「ウォルバク様という人は、以前ここに来たことがありますか?」
「さあ、どうだろうな。俺様があのお方と再会してからは来てないはずだが、それ以前は知らん」
「……そうですか」
ひょっとしたら。そんな期待を込めて口にしたそれは、結局分からないままで。
ああ、でも。ホーストがふと思い出したようにそんな呟きをしたことで、彼女は俯いていた顔を上げた。ここに来たとは言えないかもしれないが、確か、前にこんなこと言ってたぞ、と彼が笑っているのを見た。
「紅魔族の女の子にせがまれて、爆裂魔法を教えたことがあるってな」
「――っ!?」
うお、とホーストがこめっこを肩車しゆんゆんを抱えた状態のままのけぞる。お前どうした、と隣のめぐみんに尋ねるが、当の本人は何がどうしたんですかと怪訝な表情を浮かべるのみだ。
「いやどうしたもこうしたも、目がすげぇ紅く光って――」
「ホースト」
「あん?」
「役に立つかは保証しませんが、仕方ないので協力はしましょう。その代わりに」
そのウォルバク様に、会わせてください。興奮状態は冷めず、目を紅く光らせたまま。
めぐみんは、ホーストへとそう述べた。
―□―
「――あ?」
目が覚めたカズマの視界に映るのは特におかしなところもない天井。寝かされているのがベッドなので、診療所の病室なのだろう。よかった部屋の中まではアレじゃない。そんなことを思いながら視界を巡らせ。
「っ!?」
扉に鉄格子がはめられているのを見て震えた。ここ診療所じゃ無いだろ、やっぱり監獄とか収容所とかその辺だろと自身の意見をさっぱり変えることなく、しかしまあ逃げることも出来ないのでとりあえずは寝転んだまま息を吐く。
そんな彼の耳に、ガチャリと扉の開く音がした。
「あら、目覚めたのですね」
顔を向けると、そこにいたのは見覚えのない少女。ボブカットに近い髪型に整った目鼻立ち、そしてしっかりと開いたワンピースからドドンと自己主張している凶悪なバスト。突如出現した美少女にカズマは思わず目を見開いた。
が、すぐに持ち直す。場所を考えろ、と。状況からして間違いなくあのマッドな美人女医の関係者だ。見た目に騙されてホイホイされるとあっという間にゲームオーバーだ。
「調子はいかがですか?」
「え? あ、はい。多分大丈夫……?」
「そうですか。それはよかった」
そう言いながら病室に置いてあった花瓶の花を交換していく。あ、そっちなんだと思いながら、しかし別段こちらになにかする様子もないのでカズマはほんの少しだけ安堵した。安堵して、だから駄目だっつってんだろと頭を振る。
「あ、あのー」
「はい?」
「俺、どうなったんですか?」
「詳しいことはミツキさんから直接聞いたほうがよろしいでしょう。ただ、運が良かったのは確かですわ」
「運が良かった?」
どういうことだと眉を顰める。どう考えてもこの状況は不運だろう。そんなことを考えたのが表情でモロバレだったためか、少女はほんの少しだけ口角を上げた。
「スイカのタネを飲んでしまったでしょう? 腹痛の原因はそれでした」
「……お、おう」
何だかよく分からないが、詳しいことは向こうに聞けと言われている以上、聞いても教えてくれないかもしれない。そう思ったカズマはとりあえずそこを流し、肝心の部分の続きを聞いた。それで一体全体何が幸運なのか、と。
「そのおかげでここに運び込まれた。おかげで、あなたは無事に帰ることが出来ます」
「……はい?」
ちょっと何言っているか分からない。頭にハテナマークが飛んだままのカズマを見て、少女は微笑んだ。少しからかってしまいましたか、と笑みを浮かべた。
「クスクス。ああ、ごめんなさい。これだけでは分からないですね」
「そりゃあまあ…………今クスクスって口で言った?」
カズマの呟きはスルーされた。先程も言いましたけれど、と彼女は前置きし、詳しいことはこの後来るであろうミツキに聞いたほうがいいと続ける。
自分は所詮手伝いで来ているだけだ。趣味の調薬が好きなだけ出来るからこその協力関係。だから、患者のどうこうは医者である彼女の役目で、自分は関係ない。
「呪い、ですわ」
「呪い? それって」
「正確には、マーキング、でしょうか」
「何か単語がおかしくなった!?」
カズマの驚きをよそに、少女はどのみち解呪されたので問題はありませんと述べる。少なくともその身はきれいになっていると続けた。
「では私はこれで。次はオークに目を付けられないといいですわね」
「ちょっと何か不穏な単語だけ呟いて帰らないで!? オーク? オークってどういうこと!? 俺何に狙われてんの!?」
少女はそのまま病室を出る。詳しいことはミツキさんへ、ともう一度だけカズマに述べ、彼女は部屋の扉を閉める。
そうしながら、先程述べた呪い、マーキングの資料を取り出し眺めた。オスがほぼ絶命し、強靭なメスが様々な種族と混ざりあったことで生まれた現在のオーク。それが持つ能力の一つで、彼女としては興味深いもの。
「私の運命の相手も、見付かるでしょうか」
クシャリ、と資料を握りしめてしまい、彼女はいけないいけないとそれをポケットにしまい込んだ。さて、今日の仕事を終えたら、占いの館でも行ってみようか。そんなことを思いながら、少女は廊下をゆっくり歩く。運命を、未来を、描きながら。
「クスクス……クスクス……」
アメス様の加護、精神に作用しない呪いは通用しちゃうのが今回は致命的。