「というわけで、暫く紅魔の里から出るのは控えてちょうだい」
病室にやってきた怪しい美人女医ミツキから伝えられたことがこれである。何が何だか分からない彼は、とりあえず「はぁ?」とだけ返した。
対するミツキはまあその反応でしょうね、と笑う。分かっていていきなりそう述べたらしい。
「君に付けられていた呪いは特殊なものよ。オークが次の子種を見定めた証」
「子種て」
「あら? その反応だと知らないのね。オークは紅魔の里からそれほど離れていない場所に集落を作っているのだけれど」
「へー。でもそのオークと俺に何の関係が?」
「オークはメスの性欲が強すぎて、オスが生まれてもすぐに搾り取られて死んでしまうの。当然、その程度で満足できない彼女達は種族問わず好みの男を襲っては干物にして捨て、襲っては搾り取って捨てを繰り返しているわ」
カズマの動きが止まる。冗談ではないのは何となく分かった。まあつまり彼のよく知るオークのイメージをそのまま男女逆にして当てはめればいいのだろう。最悪である。
「その結果、今のオークは様々な遺伝子を取り込んだごった煮のような生物へと変貌を遂げているわ。勿論性欲はそのままでね」
様々な遺伝子、というのは当然冒険者のものも含まれる。オークによっては独自の進化を遂げた特殊なスキルを持ち合わせた個体も存在するらしく、その手の研究者にとっては新たなる可能性を見出す貴重な宝でもあるわけなのだが。
念の為言っておくが、その手の研究者というのは大概が狂人のカテゴリである。勿論ネネカは該当者だ。
「幸い、今回の呪いは過去に類似の症例の記録が残っていたから対処できたけれど、肝心の加害者は諦めていないわ」
「……何で分かるんです?」
「はいこれ」
す、とポケットから何かを取り出す。トカゲの死骸だ。頭にメスを打ち込まれたそれを見てカズマが思わず悲鳴を上げたが、しかし我に返ると怪訝な表情を浮かべる。死骸だと思っていたが、どうやらそもそも生物ではないらしい。日本でドッキリにでも使うような、リアル造形の人形である。
「診療所の壁に張り付いていたわ。呪いが剥がされたから、ターゲットの確認をしようとしたんでしょうね」
「多彩過ぎる!?」
まだ見ぬオークへの不安がぐんぐんと増していく。俺こんなのに目を付けられたの、と背筋に嫌な汗が流れた。
そんなカズマを見ていたミツキは、そういうわけだから、と微笑んだ。ほとぼりが冷めるまで、あるいは原因を排除するまで。紅魔の里の外に出るのは非常に危険が伴う。
「テレポート屋とかは?」
「あなたアクセル住みでしょう? ここにアクセル行きのテレポートはないわ」
それに、とミツキは微笑んだまま言葉を続ける。もしあったとしても、と述べる。
「今これだけ執着している時にいきなり手の届かない場所に逃げたりしたら、その方がオークの心にずっと残っちゃう可能性が高いわよ」
「笑顔で死刑宣告し始めた!?」
面会謝絶。ドドンと札の貼られた病室の前で、キャルはどうしたもんかと悩んでいた。事情は聞いた。本人の体には異常が無いのも確認済みだ。外的要因が問題であり、簡単に侵入を許さないための処置であることも説明はされている。あくまで現状は、なので、二・三日もすれば経過観察に移行するのは間違いない。
「どうやって紅魔の里を出られるようにするか、よね」
「時間経過に任せるとキリがないですからね」
キャルの隣にいるめぐみんが頷く。紅魔の里出身なだけはあり、彼女もオークについてはある程度承知の上だ。マーキングなる新技の呪いを取得しているのは驚いたが、まあ元々が元々なので今更ではある。だからこうして対処法を考えているわけなのだが。
「ふむ。まずはマーキングを行った張本人を見つけ出すところから、かな」
「無理矢理紡いだ運命の鎖を引き裂くためにも、互いの繋がりを知らねばな」
壁にもたれかかっていたあるえとアンナがそんなことを述べた。やっぱりそれよね、とキャルは肩を落とし、その厄介さを予想してげんなりした表情を浮かべた。何であいつのためにこんな苦労せねばいかんのか。頭によぎったそれを振って散らす、こともせず、彼女は思い切り口に出す。
聞こえてんぞこらぁ、と病室の中から声が聞こえた。
「そりゃそうよ。聞かせてんだもの」
「面会謝絶は形だけですからね。部屋に入れないだけで、カズマも別にベッドに縛り付けられているわけでもないですし」
扉にもたれかかり四人の会話を聞いていたカズマは、だからとっとと出られるようにしてくれとぼやく。だから今こうやって話してるんでしょうが、とキャルは間髪入れずに返した。
「んー……ねえカズマ、あたし帰っちゃだめかしら」
「ダメに決まってんだろ! 置いてくんじゃねぇよ!」
「違うわよ人聞き悪いわね。コロ助とペコリーヌに細かい事情を話しておかないと心配するでしょ?」
ついでに協力してもらえばいい。そう続け、キャルは備え付けられていた椅子から立ち上がった。善は急げ、さっさとアクセルに戻って、さっさと済ませてしまった方がいい。
「あ、待ったキャル。お姉ちゃんとリノはどうするんだ?」
ピタリとキャルの動きが止まった。そうだ、失念していた。今アクセルにはカズマ関連で笑いながら一線を越えてしまうのがいたんだった。安易に街に戻って事情を話したりすると、どこからか湧いてきたシズルに感付かれ、お姉ちゃんvsオークのとてもじゃないが見せられない光景が展開される恐れがある。
放っておいてもそのうち現実になる可能性は充分にあるが、自ら引き金になりに行く勇気はキャルにはなかった。
「というか、そうよね。コロ助に話しても最悪同じパターンになる可能性があるわよね……」
ブッコロvsオークになるだけである。目からハイライトが消えたコッコロが槍を振り回しながらオークとドンパチやる光景など見たくもない。
よし、とキャルは椅子に座り直した。ここは大人しくほとぼりが冷めるのを待って、向こうには心配させないように手紙でも書いておこう。うんうんと頷きながら彼女はそう宣言した。
「キャル……あなたという人は」
「何よ、しょうがないじゃない。大体、そういう意味だったらめぐみんの方こそ、所長呼んでくれば何とかなるのにやらないじゃないのよ」
「何で好き好んでこんなクソどうでもいい場面であんな面倒な人に頼らなくちゃいけないんですか」
「お前ら覚えてろよ……」
扉の向こうからカズマの恨みがましげな声が聞こえてくるが、二人は当然無視である。
ともあれ、キャルはまあいいや放置、と決めた。めぐみんも溜息を吐いているものの、別段その方針に異議を唱えるつもりもないらしい。
そんな二人を見ていたあるえは、やれやれと肩を竦めてもたれていた壁から離れた。ふ、とアンナも薄く笑いながら同じように姿勢を整える。
「ここは我々の出番かな?」
「うむ。迷える者を導き、光差す道へと先導するのも闇から闇を渡り歩く我々の重要な任務」
揃ってポーズを決める。それに、とカッコつけていた表情を少しだけ戻すと、扉の向こう側に向かって彼女達は言葉を紡いだ。
大事な読者を見捨てるわけにはいかないから、と。
「あるえ、アンナ……。あ、なんか俺感動してきた。一年以上付き合いあんのにさらっと見捨てたアクセルに毒されたアークウィザード(笑)どもとは違うなぁ」
「キャル、言われてますよ」
「あんたもよ」
お互いを肘で突きながら、その表情はあのヤローと扉を睨んだまま。その表情を知ってか知らずか、カズマはそのまま調子に乗ってどんどんとキャルとめぐみんの二人をボロクソ言い始めた。
勿論というか、当然というか。それはもう二人揃ってキレるわけで。
「上っ等じゃない! あんた土下座して謝る準備しときなさいよ!」
「吐いた言葉は飲み込めませんよ。その暴言の数々、後悔させてやります!」
がぁ、と叫んだ二人は勢いよく立ち上がり、行くわよめぐみん、行きますよキャル、と猛スピードで駆けていく。診療所の廊下を全力疾走する二人は中々にキマっていた。
そしてそんな二人を目で追っていたあるえとアンナは、顔を見合わせると苦笑する。しょうがない、と揃って口角を上げた。
「では、私達も行くとしようか」
「無論だ。ではカズマ、吉報を期待して待つがいい」
大分掛かり気味のキャルとめぐみんとは違い、こちらは比較的冷静である。そういう意味では正反対の方向から調査を進められるのでこれはこれで丁度いいのかもしれない。勿論向こうの二人がそんなことを思い付いているはずもないのだが。
そうして部屋の外が静かになったカズマは、やれやれと扉の前からベッドに戻る。どのみち現状は自分は暇だ。何もやることがない。
「小説の続きでも読むか」
見舞い代わりに渡されたあるえとアンナの原稿を手に取り、カズマはごろりと横になった。このまま事件解決しねーかなぁ、と他力本願なことを考えながら。
―5―
「……」
「……」
「あ、あの。ウォルバク様……?」
ウォルバクはホーストの声に反応すると、視線だけを彼に向けた。明らかに睨んでいるそれを受けて、すいませんでしたと反射的に彼が頭を下げる。
「待ってください。ホーストに頼んだのは私です。いや確かにいきなり協力しろとかこんなビジュアルで言われたら紅魔族とはいえ戦う力をまだ持たない子供は従わざるを得なかったんですが」
「フォローしろよ! 追い打ちじゃねぇか!」
「ホースト」
「いえ違うんです! いや言っていることは間違ってないんですけど、でも違うんです!」
めぐみんの言葉によって更に立場の悪くなったホーストがオロオロとし始めたが、ウォルバクの表情は晴れないまま。普段であればここである程度は部下の気持ちを汲むのが彼女なのだが、今回ばかりは少し事情が違ったのだ。
小さく息を吐く。視線をめぐみんに戻すと、それで、一体何の用なのかしらと問い掛けた。
「お久しぶりです」
「……人違いじゃないかしら」
めぐみんの言葉に彼女はそう返す。だが、めぐみんはそれを聞いても揺るがなかった。いいえ、と首を横に振った。
「人違いなんかじゃありません。私は、あの時のことをよく覚えています。あの日、私が私になった時の光景を、覚えています」
「……知らないわ。私は、そんなこと覚えていない」
「お姉さんが何と言おうと、私は忘れません。だから、私は」
その続きは何を言おうとしていたのか。彼女の言葉が発せられる前に、この空間に乱入者が現れた。随分と扇情的な姿をした女悪魔が、大変ですウォルバク様と駆けてきたのだ。
何とも言えない、感情を仕舞い込むような表情をしていたウォルバクは、そこで瞬時に元に戻す。どうしたのアーネス、と女悪魔に視線を向けると、彼女は慌てた表情でもう一度大変ですと述べた。
「あいつらがこちらに向かっています!」
「あいつら?」
「はい。あの時の、やたら眩しい騎士と頭のネジが二・三本ぶっ飛んでそうな子供体型のエルフが――」
「やれやれ、失礼な紹介ですね」
アーネスの言葉が途中で遮られた。いつのまにか彼女の背後に二人の人物が立っている。片方は男性の騎士、やたら眩しい、という表現がピッタリくるようなそんな立ち姿。
そしてもう一人は小柄なエルフ。体型にアンバランスな大きな帽子のずれを手で直しながら、微笑を浮かべたままゆっくりとこちらに歩いていた。
「こんにちはウォルバク。あの時の返事はまだ変わらないままですか?」
「……当然よ」
「おや、そうですか。ならば彼女は、一体何故ここに?」
わざとらしくそう尋ねたネネカは、めぐみんを一瞥すると口角を上げる。何かを見透かされたような気がして、めぐみんは思わず肩を震わせた。
対するウォルバクはあからさまに不機嫌そうな顔をする。あなたには関係のないことだ。そうとだけ述べると、これ以上の会話は無意味だと言わんばかりの態度を取った。
成程、とネネカが頷く。そうしながら、今度はホーストに視線を動かした。
「ところで、きちんと説明はしたのですか?」
「うぇ? な、何の話だ!?」
「おや、私の口から言った場合、あなたの立場はあまりよろしくないことになると思いますが。それでも構わないのならば」
「待て待て待て! 今してる最中だったんだよ! お前らがそれを邪魔したんだろうが!」
「そうでしたか。それは申し訳ありません」
ならばここは一旦引きましょう。そう述べると、ネネカは傍らにいるマサキに声を掛ける。かしこまりましたと頭を下げた彼は、ネネカの後についてこの場から去っていった。
そこで慌てるのはホーストである。この空気の中、ただでさえ非常に言い辛い説明をしなければならなくなったのだ。これならばまだネネカから暴露されたほうが自分の胃には優しかったかもしれない。
アーネスも、一体何をやらかしたのかとジト目でこちらを見ているし、めぐみんは何かを思い詰めた顔のままだ。助けになるようなことはないだろう。自分一人だけで、この状況をなんとかしなくてはいけない。
「ホースト。あなた、彼女達と何かあったの?」
そんな状況の中、出された助け舟は主であるウォルバクからであった。言わなくてはならない報告を置き去りでめぐみんがぐいぐいと行ったことを、彼女も薄々は感じ取っていた。だからある程度はしょうがないで流そうとも思っていた。が、向こうと何かあったというのならば話は別だ。
「い、いえ。別に何も。……協力をしないか、と聞かれただけです」
「……そう。それで、彼女達がここに来たということは」
「違います! 俺はただ、ウォルバク様に力を取り戻して欲しかっただけで!」
こうなりゃヤケだと言わんばかりに、ホーストはぶっちゃける。あの時のネネカの言葉が引っかかってつい単独で行動したこと。封印場所でこめっこと出会い、封印解除の協力をしてもらっていたこと。その最中にネネカが襲来し、一人でコソコソやっていると事態が悪化すると煽られたこと。そんなネネカがわざわざ連れてきためぐみんとゆんゆんの二人には何か秘密があるに違いないと思い交渉を持ちかけたこと。
その時の会話で、ウォルバクがかつて紅魔族の少女に爆裂魔法を教えたことがあると話したことも、全部だ。
「ホースト」
「あれ何か最後の部分で一番機嫌悪くされてる!?」
「はい、私がその時の女の子です」
「……そうだとしても。私はその子がどんな顔をしていたのか、どんな名前だったのかも覚えてないわ」
少しだけ顔を赤くしながら、ウォルバクが視線を逸らす。傍観者のアーネスも、何だかいたたまれなくなって俯いた。
対するめぐみんは、顔を真っ青にするホーストを尻目に、それならばと真っ直ぐウォルバクを見た。忘れたのならばと目を光らせた。それが嘘だとしても、どちらでもいい。もう一度、改めて告げるだけだ。宣言するだけだ。
「我が名はめぐみん! 爆裂魔法を身に着け、やがて世界一の爆裂魔法を放つもの!」
「紅魔族、ではないのね。随分と大きく出ちゃって」
「当たり前です。私の目の前には、まさにその目標がいるのですから」
「……本当に。もう少し、穏当な人生を歩む気はないの?」
はぁ、と溜息を吐きながらウォルバクが問う。それに、めぐみんは愚問ですと笑った。あの時と同じ問い掛けに、嬉しそうな笑みを浮かべた。
「勿論約束できません。でも、あの時の約束は、必ず果たします」
「……だから、覚えていないと言ったでしょう?」
「はい。絶対に」
まるで噛み合っていないようなその会話。だが、ウォルバクがほんの少しだけ嬉しそうに、楽しそうに口角を上げていることを見たのは恐らく。
「お姉さんに、爆裂魔法を見せてあげます!」
「……いつでも気が変わっていいのよ」
目の前で宣言している、めぐみんだけだ。
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