―6―
「ね、ねえめぐみん」
「どうしました?」
オドオドビクビクしながらゆんゆんが問い掛ける。それに振り向くことなく言葉を返しためぐみんは、彼女とは反対に堂々と封印を解き始めている自身の妹を見詰めていた。
「何で私、ここにいるのかな……?」
「いやあなたがついてくるって言ったんじゃないですか」
「そうだけど……そうじゃなくて。そんなつもりじゃなかったのに」
「何を言っているのかさっぱりですね。嫌なら来なければよかったんですよ」
「だって……置いてきぼりは嫌だったし……」
めんどくせぇ。相手の方には見えないのをいいことに思い切り顔を顰めながら、そうしつつだからといってこの集まりを見ても貫けるのはある意味凄いなと溜息を吐いた。
やるじゃねぇか、とホーストがこめっこを褒め、アーネスはそんな二人をやれやれと眺めている。紛うことなき上位悪魔である。そしてそれを複雑な表情で見守っている女性は、話を聞く限りでは魔王軍幹部にして、邪神。紅魔族とはいえ、まだ魔法も覚えていない子供が束になったところで僅かな傷がつけられるか怪しい。
「置いてきぼりが嫌というだけでここに参加するというのは」
「わ、私にとってはそんなことじゃないもの……!」
本人は紅魔族の在り方をおかしいと常日頃文句を言っているくせに、なんだかんだこういうところで紅魔族としての根を感じさせてしまう辺りが皮肉だろう。
ともあれ。以前は自身が解いたそれは、こめっこが役目を引き継いだおかげで別段することがない。橋渡し役は担ったが、それだけだ。そういう意味では、あまり協力をしているという感じはしないが、まあ余計なトラブルを回避したと考えれば妥当なところだろう。
「問題は」
「ど、どうしたの?」
す、とめぐみんは目を細める。魔法こそ覚えていないが、学校でも成績優秀者で通っている彼女は、ある程度のスペックの高さを誇っている。微妙な空気の変化や、魔力の揺らぎなどを感じ取ることも出来なくはないのだ。
だが、ことこれに至っては例外。恐らく、自身が気付くギリギリをあえて行っている。その証拠に、ウォルバクは苦い顔を浮かべて視線だけをそこに向けていた。隠す気がないのか、と言わんばかりの表情からすると、向こうのレベルでは堂々としている範囲なのだろう。
「偶然ですね」
「どの口が」
ゆっくりとネネカが姿を現す。不機嫌さを隠そうともしないウォルバクを見て笑みを浮かべた彼女は、そのまま視線を邪神の封印へと向けた。どうやら、協力してくれる気になったようですねと言葉を紡いだ。
「そんなわけないでしょう」
「おや。では、何故ここでこんなことを?」
「……部下の頼みを断れなかっただけ。ただの気まぐれよ」
「ふふっ。それならばそれで構いません。ですが、いいのですか?」
ネネカは笑みを浮かべたまま、視線を再度ウォルバクに戻す。それに少しだけ気圧された彼女は、ネネカを睨むように見つめ返しながら問い掛け返した。一体何がいいのか、と。
す、とネネカは指を差す。その先にあるのは封印。こめっこが最後のピースをはめ終えたそこに、生贄の供物を捧げるよう記された文字が浮かび上がっていた。
「消極的なあなたと、封印を破ることに積極的な半身。お互い離れていればまだしも、この至近距離では」
「お、おぉ!? なんだぁ?」
「おわ、ひかってる」
「言ってる場合か! ホースト! その子連れて離れな!」
膨大な魔力の渦が発生した。祭壇を取り囲むようにそれが渦巻き、ゆっくりと地面に侵食していく。地面が揺れ、空は急激に色を無くしていった。
「これは……!?」
「あなたが危惧していた通りですよ。今のあなたでは、半身を取り込むには足りない」
封印の石版が割れる。ポン、と音を立ててそこから飛び出してきた小さな猫は、キョロキョロと辺りを見渡すと短く鳴いた。背中に生えた小さな翼が、パタパタと揺れる。
「め、めぐみん。何だか凄く可愛い猫ちゃんが出てきたんだけど」
「ええ、そうですね。……見た目は」
「姉ちゃん。あれ食べられる?」
「煮ても焼いても食えそうにありませんよ」
ごくりとめぐみんが息を呑む。何であんな小さな生物にここまで緊張しているのか。自分でも分かっていないその感覚を、しかし彼女は捨て置かなかった。事実、ホーストもアーネスも猫を見て驚愕の表情を浮かべている。期待外れ、という意味合いではない。予想通り、あるいはそれ以上だったからだ。
「くっ……」
「ウォルバク。落ち着きなさい。今のあなたは動揺するだけで容易く向こうに持っていかれてしまいます。……まったく、まさかここまで腑抜けていたとは」
「どういうことなの……。どうして、こんな」
「自分でも分かっていないのですか? いえ、違いますね。予想外、予想以上ということでしょうか。ふむ」
ネネカが視線を動かす。めぐみんを視界に捉えると、彼女はそれが妥当ですかと呟いた。
「では――」
「ウォルバク様!?」
ネネカが何かを言うよりも早く、小さな猫が吠えた。その体格からは信じられない声量の咆哮は、そこにいた者たちを縫い止めるような威力を持っていて。
視界にウォルバクを映した猫は、もう一度吠える。それに合わせるように、小動物のようであったその体躯はミシミシと音を立てながら変化していった。怠惰と暴虐を司る邪神、その文言に相応しいであろう巨大な魔獣へと。
「――か、は」
「ウォルバク様!?」
「動揺しないように、と言ったではありませんか。主導権を握られ始めていますよ。このままでは、向こうを取り込むのではなく、向こうに取り込まれる方が早い」
立っていられなくなって、ウォルバクは膝を付く。荒い息を吐きながら、しかし視線だけは下げんとばかりに魔獣となった半身を睨んでいた。そんな彼女を見て、ネネカはそうでなくては、と口角を上げる。
そうしながら、彼女はもう一度問い掛けた。ウォルバクに、以前持ちかけた提案を告げた。
「共同研究の件は、考えてもらえましたか?」
「……この外道め」
「お褒めに預かり光栄です。ほら、向こうも離脱するようですし、こちらも移動を開始しましょうか」
苦々しげにネネカの手を取るウォルバク、そこに、もう一つの手が重ねられる。おや、とネネカは視線を向け、ウォルバクはどうして、と目を見開いていた。
「私も、その共同研究とやらに加えさせてください」
「私は構いませんが、いいのですか? 恐らくあなたの望んでいた道とは外れますよ」
「いいえ。私はむしろ、こちらこそが正しい道だと思っています」
ウォルバクを見る。かつて、己の世界を変えた人が。ほんの僅かの間で、自分に道を示してくれた相手がここにいて。そして。
これからも、共にいてくれる可能性があるのならば。
「私は、迷いません」
「めぐみん!?」
「姉ちゃんかっけー」
めぐみんは、立ち止まってなどいられないのだ。
―□―
「……あれ?」
ぺらり、と原稿を捲る。最初のページに戻ってしまったのを確認し、カズマは顔を顰めた。これで終わりかよ、と思わず叫ぶが、いや違うと気を取り直す。
恐らく、持ってきた原稿が中途半端だったのだろう。その証拠に、アンナの方の原稿は文章が思い切り途中で途切れている。
「マジか……」
うへぇ、とベッドに倒れ込んだ。現状面会謝絶扱いのカズマでは、この続きを読むためには誰かに持ってきてもらうしかない。が、生憎と頼める面々は調査に飛び出していってしまったきりだ。ミツキに頼めばなんとかしてくれるかもしれないが、彼としてはそれを行うのは避けたかった。嫌な予感がしたからだ。
元々暇潰しに読んでいたものなので、それがなくなれば当然暇になる。が、それとは別に、何だかいいところで止められたもやもや感が彼の中で渦巻いていた。いやまあ気にしなきゃいいだけなんだけど。そんなことを呟きながら、ぐだりと天井を眺め。
「……」
あー、暇だ。と暫し呆けた。基本的にだらけるのは好きだし、働きたくない気質で、一日中寝ていたい願望を持ち合わせてはいる。が、強制的にさせられるとそれはそれで面白くないし反発したくなるのが佐藤和真という人間だ。ちなみに、時と場合によるので強制させられても喜んで従う時もある。
「抜け出すか」
よし、とベッドから起き上がった。病院着から手早くいつもの服装に着替えると、鉄格子のはまっている扉に手をかける。何か変な装置とか罠とかついてないよな。そんなことを思いながら、カズマはゆっくりと扉を開けた。
「……」
特に問題もなく開いたのを見て、彼は思わず拍子抜けする。まあ事情が事情だからそんなもんか、と廊下に出た途端聞こえてくる男性のうめき声をスルーした。部屋の中では聞こえなかったところからすると、一部の防音はきちんとしているのだろう。患者が恐怖で逃げ出すのを防ぐ工夫というやつか。
見た目の時点で多分意味ないよな、とカズマは小さく溜息を吐きながら廊下を歩く。診療所の誰かとすれ違わないかと要所要所で敵感知を行ったが、別にあれは敵じゃないから分からないかと気配察知に切り替えた。こちらは敵感知と比べると自分が《冒険者》だからなのか精度がイマイチだが、無いよりはマシだろうという判断である。
「……んん?」
病室に収容されている紅魔族であろう面々の気配と悲鳴は感じ取れるが、それを監視するであろう役目の気配はさっぱりだ。扉を隔てて全く別の空間になっているかのようなそれに、カズマの背中に冷や汗が流れる。
戻ろうかな、と後悔の念が一瞬もたげた。あのまま何もなかったと病室で暇を持て余せば、こんな得体の知れない恐怖からはおさらばできる。待っていれば、オークの問題とやらもじきに解決する。
「そうよ。だから出歩かないで欲しいのだけど」
「ぎゃぁぁぁぁぁぁぁ!」
唐突に聞こえたその声に、カズマは思わず叫んだ。そのままバランスを崩し、思い切り転がる。視界に映るのが天井に変わり、そしてミツキの顔へと移り変わった。まったくもう、と笑みを浮かべる彼女は相変わらず隈がすごい。美人なのにそこもったいないよな、と彼は割と見当違いなことを考えた。現実逃避ともいう。
「どうしたの? まだ事態は解決していないから、無闇に歩き回ると彼女達に捕食されるわよ。性的な意味で」
「相手がオークじゃなかったらお構いなくって言ったのになぁ」
「あらそう? なら、オークの見た目を変えちゃえば問題ないかしら?」
さらっとマッドなことを言い出したミツキへ丁重にお断りしますと返したカズマは、立ち上がるとゆっくりと後ずさった。遠慮しなくてもいいのよ、と怪しい液体の入った瓶をチャプチャプと揺らす彼女から距離を取った。
「君の認識を変えるのが手っ取り早いけれど、そう警戒されているとやりにくいわね」
「おいさらっとやべぇこと言ったぞこのマッド医者」
「何より。君、精神汚染に強い耐性を持っているわよね。この薬だと力不足かしら」
残念、と小瓶を仕舞う。そうしながら、だったらこっちね、と別の小瓶を取り出した。先程よりは色は怪しくない。が、りんごジュースのような液体が薬瓶に入っている時点で物凄く怪しいということに気付かない時点でカズマも大分麻痺している。
「はいこれ」
「へ?」
「そうね。もしオークに襲われそうになったら、それを相手に飲ませなさい。見た目が問題なら、君の悩みは解消されるわ」
「ちょっと何言ってるか分かんない」
「ふふ。大丈夫、効能は保証するわ。ネネカ所長との共同研究の賜物だもの」
「信用できる要素が微塵もない!」
が、効能自体は間違いなく本物だろう。自分にとってプラスになるかマイナスになるかは不明だが、ミツキは悪意を持って押し付けているわけではないことだけは分かる。
じゃあ、貰います、と小瓶を受け取る。念の為予備もいるかしら、という彼女の言葉にそうですねと後二瓶ほど貰うと、カズマはじゃあこの辺でとミツキに背を向けた。足を進める先は診療所の出口である。
「無理なら、すぐに戻ってきなさいね」
「あ、いいんだ」
「患者がそれを望んでいるのならば、出来る限り叶えてあげるのも医者の務めよ」
「振り幅でけぇなぁ……」
くすりと笑うミツキを見ながら、カズマは何とも言えない表情を浮かべる。まあいいや、と頭を振り、彼はそのまま診療所を後にした。
久しぶり、というほどではないが、病室から開放されたことでカズマはどことなく爽やかさを感じていた。空気を吸い込み、ああ自由って素晴らしいと一人思う。
さて、ではあるえとアンナの事務所に行って原稿の続きでも探してくるか。そんなことを考えながらすぐそこの建物へと足を進めた彼は、いや待てよ、と思いとどまる。別に病室から開放されたんだし、向こうに戻る算段立てなくてもよくない、と。
「つっても今の状態でアクセルに戻ると問題があるって話だし、結局戻ったほうが安全か」
とはいえ、原稿を回収するのは後回しでもいいだろう。そう結論づけ、彼はどうせだから少し里でも見て回ろうと進路を変えた。ここから里の中心部には少し距離がある。元々地元民のいない区画なので、必然的に歩く人物はカズマ一人となる。
あれ、これマズいんじゃ、と思うのが少しだけ遅かった。
「みぃぃぃぃつけたぁぁぁぁぁ。だぁぁぁぁぁりぃぃぃぃん!」
「おひょぉぉぉぉぉ!」
突如視界いっぱいに広がる猛烈なボディ。人に似た体を持ち、大きな胸を揺らしているそれは、カズマを見てベロリと舌なめずりをした。
即座に反転、逃走の構えを見せたカズマであったが、もう遅い。ぐわしと掴まれ、鯖折りされてんじゃねと思うほどの勢いで抱きしめられる。そうされたことで、彼の視線の先に豚に似た顔がはっきりと映し出された。
「あぁぁぁぁ! いやぁぁぁぁ!」
「そんなに興奮しないで。大丈夫よぉ。最初はちゃーんと優しくしてあ、げ、る、から」
「すいません、丁重にお断りします!」
「遠慮せずに、さあ。さあ、さあ!」
そのままオークはカズマを横抱きにする。ふふふ、と微笑むと、そのまま荒い鼻息を盛大に発した。
「ここだとムードに欠けるわね。もう少し開けた場所がいいわぁ。終わった後、夜空と月が見えるような」
「まだ昼なんですけどぉ! 俺の初めてが最後の体験になるぅぅぅ!」
そうして素早くその場から離脱したオークは、見事な手際というべきか、その痕跡を残さなかった。彼女自身は、である。
ほんの僅か。カズマが逃げ出そうとした時。オークに無理やり抱きとめられたことで破れた手袋の切れ端が、そこにぽつんと落とされていた。