「成程。事情は分かった」
アクセル、ダスティネス邸のララティーナの執務室。変人トラブル担当部署と裏で呼ばれているそこで、ダクネスはカズマ達の説明を聞いて溜息と共にそう述べた。そうしながら、無言で佇んでいる黒髪の青年に目を向ける。
「ゼーン殿、だったか?」
「ああ」
「彼の話に相違はない、ということで構わないだろうか」
「ああ」
言葉少なく、しかし迷うこと無く肯定するゼーンを見て、ダクネスはふむと考える。どうやら少なくとも話が通じない相手ではないらしい。ただその一点だけで、彼女はどこか安心をする。
「……警戒をしないのか?」
「ん? 警戒と言われても、貴方は話が通じるだろう? ならば何も問題が」
「なあ、これ遠回しに俺たちは話が通じないって言われてないか?」
「そうよね。そもそも話が通じない筆頭が何言ってんのって感じじゃない?」
ダクネスの言葉に被せるように、これみよがしにわざとらしくカズマとキャルがそんなことを言い出す。あーやだやだ、とカズマが肩を竦め、ほんとほんととキャルが頭を振る。
何お前ら打ち合わせでもしてんの、と言わんばかりのそれに、一応真面目な話をしていたダクネスの表情が歪んだ。一応言っておくが、罵倒で感じたからである。喜びである。
「……」
「はっ!? ああ、いや、失礼。このアクセルの街の領主代行として、ダスティネス・フォード・ララティーナが貴方達を歓迎しよう」
こほん、と咳払いをして何もなかったことにしようとしている彼女を見て、ゼーンは表情を変えぬまま、しかしほんの少しだけ眉を顰め小さく頷いた。そうしながら、ここにやって来た面々の一人に視線を向ける。向けられた方は、知るかよ、と投げやりな表情を浮かべていた。
「大体、言っただろ? ホワイトドラゴンより厄介なのがウジャウジャいるってな」
「……こちらの受け取りが悪い、と言いたいのか?」
「ちげーよ。一応これでもお前達にとっちゃ安全な場所だぜ? 俺は嘘は言ってねぇ」
「ねえ、ゼーンさんだっけ? こいつの言うことまともに聞いちゃだめだからね」
「話半分くらいがいいだろう」
「適当に聞き流しとけよ」
「で、ですが騙されていたぶられるのも、それはそれで……じゅるり」
こいつ、とリーン以下パーティーメンバーに指差されたダストは、やかましいと一蹴する。クウカのそれは全員聞かなかったことにした。
ゼーンはそんな面子を見ながら、小さく溜息を零す。碌な連中ではないのは確定した。だが、それを踏まえても、こちらの想定していた危害を加える人間とは毛色が違うのも感じる。善人であると判断してしまうのは早計だが、さりとて悪人と断じてしまうのも違うと己の竜の勘が述べていた。
「……承知した。どのみち、シェフィがあの状態ではまともに動くことも出来ん」
「ん? ちょっと待った。シェフィのあれって何かの異常なの?」
さりげなく話を聞いていたらしいキャルが口を挟む。あれ、と彼女が指し示す先では、コッコロにあやされているシェフィの姿が。きゃっきゃと笑っているそれは、どう考えても幼い少女、というより幼児である。見た目の年齢はカズマ達と変わらないが。
「まあ、よくよく考えれば、いくらドラゴンでも赤ちゃんなら赤ちゃんですよね、見た目も」
「そりゃそうか。一瞬こいつもこの見た目でバブバブ言ってたんだろうかと思ってごめんな」
「……誤解が解けたなら、それでいい」
「いや、ここは怒ってもいいとこよ。あたしが許すわ」
「何ちゃっかり自分だけ逃げてんだよ。お前だって思っただろ? ほれ、素直になれよ」
「はぁ? 勝手にあたしの思考捏造しないでくれる? あんたと違って、冷静で的確な判断があたしは出来るの。分かったらあんたも殴られてゲロぶち撒けなさい」
「ほーら本音出やがった。お前結局ゲロ仲間増やしたいだけじゃねーか。そうだな、この際だから酒場で大々的に宣伝しとくか? キャルちゃんは今日幼女にぶつかられて盛大にゲロ吐きましたーってな」
「こいつ……っ!」
「まあそう怒るな、腹に一撃を喰らい盛大に吐瀉物を撒き散らした猫耳娘よ」
「よりにもよってクソ悪魔のマネしやがったわね! ぶっ殺すぞ!」
ゼーンそっちのけでギャーギャー言い合いを始めたキャルとカズマを見ながら、ペコリーヌはまったくもうと苦笑する。そうしながら、あれはいつものことなので気にしないでくださいねと彼に述べた。
「……騒がしいな」
「あはは。でも、まあ、これがこの街の日常なので」
「そうか……」
ふう、とゼーンは息を吐く。この喧騒が不快か、と問われれば、別段どちらでもないと彼は答える。答えるが、しかしその実そこまで悪くないと思い始めている自分もいた。もう何十年も忘れていた感覚だ。既に期待など無くしていたが、ここならばひょっとして。そう思えてしまうような、そんな空気がこの街にはある。
「ララティーナ、だったか」
「ん? ああ、基本的にはダクネスと呼んでくれ。基本冒険者としてこの街で過ごしているからな」
「……では、ダクネス。この街で俺達が寝泊まりできる場所を見繕って欲しい」
「ふむ。それは、その姿でか? 竜の状態でだろうか?」
「人の姿で構わない。シェフィも、そうだな……大丈夫だろう」
視線を自身の妹に向ける。なにー? と首を傾げていたので、人のままで大丈夫だろうと問い掛けた。だいじょうぶー、と笑顔で胸を張ったので、それならいいと彼は口角を上げる。
「そ、そうか。では――」
「あ、だったら」
ダクネスの言葉に被せるようにペコリーヌが手を叩く。カズマとキャルはそれを聞いて、まあそうなるだろうと思っていたと息を吐いた。いつのまにか言い合いが終わっている辺り、いつものこと感が凄い。
「アメス教会に、来ませんか?」
朝。盛大なあくびをしながら自身の部屋からリビングに降りてきたキャルが見たのは、シェフィに馬乗りにされているカズマの姿であった。中身のことを考えると幼女と遊んでいるお兄さんの図なのだが、絵面は十六・七の少女が同年代の少年を跪かせているようにしか見えない。事実、キャルはそれを見て一気に眠気が吹っ飛んだ。
「変態……」
「おいこらそういう呟きはやめろ。これはあくまで幼女との遊びだ、誤解するなよ」
「いやどう見ても変態じゃない」
「へーたい? かずま、へんたい?」
「違うぞシェフィ、あのゲロ吐き猫耳の言うことは聞くんじゃない」
「げろはき? げろはき! きゃる、げろはきー!」
キャルを指差し物凄い単語をのたまうシェフィ。おいこら、と彼女は当然カズマに食って掛かったが。ここで暴れると背中に乗せているシェフィが転がり、泣く。そう判断したキャルは足を止めてグギギと唸った。馬の格好のまま勝ち誇るカズマを見て、彼女は当然ながらこう思う。
こいつ後で殺す。
「主さま、そこまでにしてくださいませ」
そんなタイミングでひょこりとコッコロがやってくる。手にお盆を持っているので、朝食の用意をしていたらしい。朝ごはんですよ、とシェフィに告げると、彼女は顔を輝かせてカズマの背から飛び降りる。ぐげ、とその勢いで潰れたカエルのような声が聞こえたが、キャルはハンと潰れたカエルを鼻で笑った。
「はい、シェフィさま。あーん、でございます」
「あーん。あむ……おいちー!」
「ふふっ。まだまだありますから、たくさん食べてくださいませ」
手づから食事を食べさせ、汚れた口元を拭き。甲斐甲斐しく世話をするその姿は、なんだか非常に満たされているように見えた。潰れたままの格好のカズマも、そんなコッコロを見て何とも言えない表情を浮かべている。
「楽しそうね、コロ助」
「そうだな」
「お世話できるのがそんなに嬉しいのかしらね」
「そうだな」
「……何あんた、コロ助取られて寂しいの?」
「いや違うよ!? 人聞きの悪いこと言わないでくれますぅ!?」
こいつも割と手遅れ一歩手前だな。そんなことを思いながら、キャルははいはいと彼の抗議を流す。そうしながら、シェフィとは別に用意されている朝食を食べるために席についた。あむ、とパンを齧りながら、そこで彼女はふと気付く。用意されている食事はシェフィの分を入れても四人分だ。ここにいる面子で全部だとすると、元々の住人と新たな居候の分が足りない。
「ペコリーヌさまもゼーンさまも、既に朝食はお召し上がりになられましたよ」
「あ、そうなの? あいつ今日バイト休みじゃなかったっけ?」
そういう日は基本的に皆と食卓を囲むようにしている彼女にしては珍しい。そんなことを思ったキャルは、コッコロの次の言葉で疑問を氷解させる。
何でも、王都に用事があるとかで。彼女の口振りからすると詳しいことは告げずに向かったらしいが、キャルはそれで何となく合点がいった。あいつも律儀よね、と頬杖をつきながら紅茶をすする。
「というか、コロ助も分かってんじゃないの? ついでにカズマも」
「それは、まあ」
「ついでって何だよついでって」
復活したカズマも同じように席に付き、いただきますとパンを齧る。そうしながら、この流れであいつが王都に行くって言ったらそりゃ一つだろと述べた。
「ダクネスんところと、アキノさんとこ。それからベルゼルグ王家。そんだけのお墨付きがあれば、シェフィにもゼーンにも手を出すようなやつはいなくなるだろ」
「ま、そういうことよね」
「ペコリーヌさまは、お優しいですから」
「あいつのあれはお人好しっていうのよ。ったく、しなくてもいい苦労しちゃって」
「ま、でもコッコロの言う通り。それがあいつのいいところだろ」
「……はいはい」
「何だよその顔」
べっつにー、と目を細め口角を上げるキャルをジト目で睨んだカズマは、まあいいと舌打ちすると表情を戻した。そうしながら、だったらゼーンはどうしたんだとコッコロに問う。
問われた彼女は、こちらもあまり詳しくは分からないのですがと少しだけ眉尻を下げた。
「街を、見てくるとのことですが」
「……それ、大丈夫?」
「変なのに出会ったらヤバいんじゃないのか。ネネカ所長とか」
「あの、流石にネネカさまでもそこまでは……」
やりかねない空気を醸し出しているものの、彼女は彼女で一応線引はきちんとしているはずだ。そうは思うのだが、カズマもキャルも割と真剣に述べているのでコッコロとしても強く言えない。
「後はあの仮面クソ悪魔とか」
「バニルさまでございますか?」
「そういや人間は殺さないがモットーとか言ってたよな。……人化したドラゴンってどういう扱いなんだ?」
流石に殺し合いに発展することはないと思いたいが、バニルだとどうにも信用がない。これは普段から悪感情の宝石箱扱いされるキャルの偏見ではあるのだが、少なくとも当人にとってはこれが真実なのでカズマとしても否定しにくい。
行くか、とカズマは呟いた。そうね、とキャルも肯定する。
「おでかけ?」
「へ? あ、いや、ちょっとお前の兄さんを探しに」
「おにーたん! さがすの? しぇふぃもいく!」
「あのねシェフィ、ちょっとした散歩とかじゃないの。危ないからあんたは」
「だめ? しぇふぃ、いっちゃだめ?」
じわ、と目に涙が溜まっていく。げ、とキャルが顔を引きつらせ、カズマがあーあとジト目になる。
そうしてコッコロが宥めるよりも早く。シェフィの堤防は決壊した。
「うぁぁぁぁぁぁん」
「シェフィさま、ほら、いーこいーこでございますよ」
「やぁだぁぁぁぁ、しぇふぃもいくぅぅ。おにーたんのところいくの!」
「はい、いきましょうね。いっしょにお散歩とまいりましょう」
「ぐす……ほんとう?」
「はい。おでかけですよ」
「うん! おでかけ!」
「……えらくあっさり泣き止んだわね」
「ま、幼女なんかそんなもんだろ」
苦虫を噛み潰したような顔をしているキャルの横で、割とカズマは平然としている。そういえば、とそんな彼に彼女は視線を向けた。朝のお馬さんごっこといい、小さな子供の扱い手慣れてないか、と。
「いや別に慣れてるわけじゃないけど。子供と遊ぶのは割と好きだったからさ」
「……なんか、あんたが言うといかがわしい発言に聞こえるわね」
「それはお前の心が汚れてるからじゃないか?」
「ぶっ殺すわよ」
「邪魔したな」
「気にするな、無愛想だが妹ラブな白竜よ。我輩としては新たなお得意様はウェルカムなのでな。今後ともご贔屓に」
「もう、バニルさん。あの、ゼーンさん、この人のこれは性分なので、あまり気にしないほうが」
「悪魔のことは慣れている」
「そういうことだ、雇われてるおかげでギリギリ貧乏脱出している店主よ。こやつは見通しにくいし、あまり感情も揺らがん。我輩の食事にとってはぶっちゃけ不適格この上ない」
そんなのが一人二人いたところでこの街での悪感情の摂取に困らないので、バニルとしてはどちらでもいいというのが本音だ。だから客になるのならば歓迎するという先程の言葉は何ら間違っていない。
それはゼーンも承知の上らしく、バニルのその物言いにも別段文句をつけない。だからワタワタしているウィズの方が逆に場違いに感じてしまうほどで。
「そ、それならいいんですけど」
「早合点が過ぎるぞ。だからこれみよがしな商機ですらもあっさりと逃すのだ。オーナーにまたどやされたであろう?」
「うぐぅ……」
何だかいつの間にか自分がターゲットにされている。そんなことを薄々感じつつ、しかし言っていることは本当なので彼女は縮こまるしかない。そんな二人のやり取りを見ていたゼーンは、邪魔をした、と短く述べると魔道具店を後にした。自分がこれ以上あの場にいる必要もあるまい、そう判断したのだ。
そうして街を歩きながら、成程確かにと彼は思う。先程の二人はリッチーと公爵級悪魔、普通の人間では逆立ちしても勝てない存在だが、それが極々普通に人間に雇われ、普通に商売をしている。それがどれだけ異常なのかを口にしたところで、恐らくこの街の住人はあっさりと流すだろう。それほどに、異常と騒動が日常の風景になっている。
木を隠すには森の中、とはよく言ったもので。ひとすくいしただけでこの状況なこの場所ならば、ホワイトドラゴンが人化して歩いていたところで何もあるまい。ふ、とほんの少しだけ口角を上げたゼーンは、さて次は、と街をぶらつくために視線を巡らせ。
「おにーたーん!」
「ん?」
こちらにテテテと駆けてくる少女を見て動きを止めた。そのまま少女は、シェフィは勢いよく彼へと抱きつく。流石というべきか、手加減なしのそれを受けても、ゼーンはびくともしない。
「おにーたん、みつけたー」
「シェフィ。どうした?」
「おさんぽ! おにーたんさがし!」
「……そうか」
視線をシェフィから彼女の背後に動かす。ヒィヒィ言いながら駆けてくるキャルの姿が見えて、どうやらあの連中を置いてきてしまったらしいということに彼は気付いた。もっとも、彼女を一人で外に出すことはないだろうとどこか確信を持っていたので、それほどの驚きはなかったが。
「シェフィ」
「んー?」
「一緒に来た相手を、置いてきぼりにするものじゃない」
「んー? あ、きゃる、かずま、こっころママ!」
ば、と勢いよく振り向くと、シェフィは再び先程の道を戻っていく。まったくもう、と肩で息をしていたキャルは、そんな彼女を真っ先に見付け。
「え? ちょ、ちょっと待ちなさい! 戻ってくるのはいいけど、勢い、勢いをかんがばぁ!」
「きゃる!」
「……懐かれてんなぁ」
「キャルさま……ご無事ですか?」
「かずまー」
「おう、カズマさんだぞ」
「こっころママ!」
「ふふっ。はい、ママですよー」
ワシワシと頭を撫でられたシェフィは、気持ちよさそうにされるがままだ。ゆっくりとそちらに近付いていたゼーンも、その光景を見て思わず空気を綻ばせるほどで。
「いや……何あんたら緩い空気出してんのよ……」
「あ、申し訳ありませんキャルさま。つい」
「あたしの扱いが軽い!」
泣くぞこんちくしょう、と彼女の叫びが街に木霊したが、まあいつものことだと流されたとかなんとか。
王宮のペコ「クリスティーナが前線に遊びに行ってたので手続きスムーズにすみました、やばかったですね☆」