意識が浮上した。ここはどこだ、と視線を彷徨わせるが、全く見覚えがない。確か自分は憎しみに飲まれ、人間を害することだけに囚われ、その結果己の作り出した人形によって否定され消滅したはずだ。そう冷静に考えられるのは、恐らくそれが正しいと思ってしまったからなのだろう。人と道具がお互いを認め合い、そして共に歩む。その姿を垣間見たような気がしたからこそ、どこか満足したのだろう。
うんうん、と一人納得していたそこに、声。視線を再度動かすと、そこにはどこかドヤ顔をしているような表情のくまのぬいぐるみが鎮座していた。何をトチ狂ったのか、振り回せるようにハンマーと一体化している。
「お、やっぱりか。俺の勘もしっかり冴えてるな」
「……誰だ?」
「見てわかるだろ? お前と同じさ」
そう言ってぬいぐるみはこちらを指す。同じ? と視線を下に向けると、そこに見えるのはぬいぐるみのボディ。
「お前、違うところから入り込んだ口だろ? 俺も似たようなもんでな、今はここで世話になってるのさ」
「ここで? 世話に? 一体何を」
「まあ、説明するより味わったほうが早いか」
疑問に対する答えがこれだ。まるで要領を得ないそれに、少しだけ苛ついたように言葉を返そうと自身の入っているぬいぐるみの口を開く。開こうとする。
そのタイミングで、一人の少女が割り込んでた。
「どうしたの? ぷうきち」
「お、丁度いいところに。今丁度新顔が来てたところだ」
ハンマーのぬいぐるみ、ぷうきちはそう言って少女に彼を紹介する。視線をこちらに向けた少女は、暫しぬいぐるみを眺めると、嬉しそうに顔を綻ばせた。
「よろしく、新しいお友達さん! あなたの名前は――私がつけても、いいかな?」
「へ? え、まあ、構わんが……」
ドールマスター、などという名前は既にこの身には過ぎたものだ。形すら別物になってしまった今、新たな名を貰えるのならばそれでもいい。そんなことを思いながら、少女がううむと悩んでいるのを彼は眺める。
そういえば。眼の前の少女は人間だ。だというのに、魔物時代に抱いていた憎しみをまったく抱かない。浄化されたからなのか。それとも、目の前の少女がとてつもなく純粋なのか。どちらでも構わないし、彼はそれを好ましいとも感じた。
今度こそ、自分を大切にしてくれるのかもしれない。そんなことをぼんやり考えながら。
「じゃあ、今日からあなたはぷうたろう!」
「……承知した」
ちょっと引っ掛かるような気がしないでもないが、まあ悪気はないだろうから仕方ない。嬉しそうに自身を抱える少女を見ながら、ドールマスター改めぷうたろうは、これまでとは全く違う場所での生活を始めるのであった。
「……」
「……」
「……」
「……ふぅ」
所変わって変人共の蠱毒壺アクセル。そこのウィズ魔道具店にて、コッコロが静かに作業を行っていた。そんな彼女をバニルは暫し眺めていたが、やがて我慢の限界が来たのか持っていた荷物を床に置くとコッコロの頭を強引にワシャワシャと揺さぶる。
「わわ、ば、バニルさま!?」
「ええい鬱陶しい! これで三日目だぞ! ただでさえ日陰でしか生きられんようなナメクジ店主が鎮座しておるのに、汝までその調子では店内の商品が湿気で腐る!」
「……申し訳ありません」
「だからそれを改めろと言っておるのだ」
「あの、バニルさん? どさくさ紛れで私のことボロクソ言いませんでした?」
ウィズの抗議をガン無視し、バニルはほれ向こうに行けとテーブルを指差す。ペコリと頭を下げたコッコロが着席するのに合わせ、彼は紅茶を淹れそこに置いた。
「それで? 何があった?」
「……それは」
「言いたくないのならば無理には聞きません。けれど、もし相談できるのならば。私達で力になれるのならば、遠慮なく言ってください」
俯くコッコロに、ウィズもそう述べる。彼女もバニルと同じく、コッコロの様子がおかしいことを心配していたのだ。だが無理に聞き出すのも、と見守っていたのだが。結局バニルが先んじて動いたので、ウィズもそこに乗っかることにした。
「言っておくが、我輩はそんなジメッとした思考を見通すのは御免であるぞ。欲しい悪感情も手に入らんしな」
「いえ……大丈夫です。聞いて、くださいますか」
「はい。今日はお店も暇ですし」
コッコロはポツポツと話し出す。この間の、シェフィの呪いを解きにダンジョンへと向かった話を。そこで起きた出来事を。そこで出会った、自分とペコリーヌを模した人形のことを。
そして、自分達を助けるために彼女らは砕け散ってしまったことを。
「それは……」
どうしよう、いい言葉が出てこない。ウィズは何かを言おうと口を開きかけるが、しかし言葉にならず口を閉じるを数回繰り返した。縋るようにバニルを見たが、彼は何かを考えるようにじっとコッコロを見詰めているのみだ。
「特に……ペコリーヌさまと主さまが、とても落ち込んでおられるのです」
二人共普段通り過ごそうとしているのだが、どうにもギクシャクしており、明らかに無理していることが傍目にも分かるくらいだ。そのせいと言うべきか、ゼーンとシェフィはダスティネス家に入り浸っている。
「それで」
そこまでを静かに聞いていたバニルが口を開いた。どうにかしたいと思っているのかどうか。それを彼女に問い掛けた。
当然コッコロは是と答える。いつものように、皆で笑顔で、食卓を囲みたい。そのために、出来ることは何でもするつもりだと彼女は告げた。
「……そうか。まあ、我輩としてもあやつらが落ち込んだままでは最適な悪感情が摂取できんのでな。少し手を貸してやらんこともない」
「それは、本当でございますか!?」
「というかバニルさん、当てがあるんですか?」
「一応はな。しかし、あくまで条件が揃えばという但書がつく」
それでもいいか、とバニルはコッコロに問う。それでよければこの手を取れ、と彼は述べる。悪魔と契約を交わすのだ、と告げる。
「それで、主さまとペコリーヌさまが元気になるのならば」
「即答か。まあ、そうでなくてはエルフ娘ではないな」
フハハハハハ、と笑ったバニルは、ではまず、と指を一本立てた。これがなくては始まらんと彼女を見た。
「壊れた人形の核は、残っておるだろうな?」
「……それらしき魔石は、保管してあります」
「ならばよし。ポンコツナメクジ店主、汝にも手伝ってもらうぞ」
「それは勿論。――誰がナメクジですか誰が!」
ウィズの抗議をやはり聞き流し、バニルは明日また来るがいいとコッコロに言う。用意を忘れずにな、と付け加えるのも忘れない。分かりましたと頷いた彼女は、気を取り直して魔道具店の手伝いを再開する。今日はもう帰っていいと言ったつもりのバニルは、しかし調子を取り戻し始めたコッコロを見て少しだけ満足そうに口角を上げていた。
そうして翌日。コッコロだけでなく、カズマ、ペコリーヌ、キャルも魔道具店にやってきた。一体何をどうする気なのか。黙って待っていられなくなったのだ。
「まあ、だろうと思ったがな。さて、エルフ娘よ、例の物はどれだ?」
「はい。こちらでございます」
机の上に置いたのは、二つの魔石。ペコリーヌの腕の中で砕け散ったもう一人のペコリーヌが残した青の魔石と、無理矢理制御を続けた桃源郷の崩壊と共に崩れ落ちたもう一人のコッコロが残した緑の魔石だ。
それを手に取ったバニルは、ふむふむ、と頷くと少しだけ難しい顔をした。仮面をしているのではっきりとは分からないが。
「他には何も残ってはおらんのか?」
「と、申されますと?」
「回りくどいことを言ってもしょうがないのでぶっちゃけるが、今から行うのはいわば魔王軍がしていることと同様、魔物の創造だ。まずはそこを理解してもらおう」
魔物の創造。それを聞いたキャルが眉を顰める。そうしながら、それって一体何が問題なのよと問い掛けた。普通は問題しかない。が、いかんせんここはアクセル。そもそも魔物がボッチのおもりで平然と街を歩いてゴーストが今日もプリンを食べている場所だ。
「あやつらは元々存在した魔物だ、誤魔化そうと思えばどうとでもなる。だが、作り出すとなれば話は別だ」
「元魔王軍のくせにそんなこと気にすんのかよ」
「今の我輩の所属はウィスタリア家であるからな。オーナーの不利益になることは出来るだけ避けるのは仕えるものとして当然であろう? そこの無駄飯食らいのいるだけ店主とは違うのだ」
「何で一々私馬鹿にするんですか!?」
それで、どうする。やっぱりウィズの抗議は知らんぷりをして、バニルは四人に、否、ベルゼルグ王国第一王女に問い掛けた。これは人間側に対する裏切り行為とされてもおかしくないぞ、と警告した。
勿論ペコリーヌは分かりましたと即答する。続けてくださいと迷うことなく言い切った。
「よかろう。では、これがそのためのボディであるが」
ほれ、と机の上にそれを置く。バニル人形と大体同じくらいのサイズだろうか。ペコリーヌとコッコロのぬいぐるみのようなそれを、それぞれの魔石の傍らへと添えた。
「え? 何これ?」
「元々の大きさで復活させてあわよくばと考えていた小僧よ。ものには順序がある。高望みしすぎると失敗するぞ」
「何のことかカズマさんわっかんねーなー」
調子は取り戻したみたいね、と非常に冷めた声でキャルが呟く。ペコリーヌはそんなカズマを見て、あははと苦笑した。そうしながら、ちょっとだけ彼と距離を詰める。
「それで? これからどうするんだ?」
「話を逸らそうとしているのがバレバレであるが、まあいい。後はこれらを合成させるだけだ。……エルフ娘がな」
「え?」
急な指名にコッコロが目を見開く。どうして自分なのか分からずバニルへと問い掛けたが、彼はその追求をさらりと躱した。どうやら答える気はないらしい。
「それは、わたしたちじゃ駄目なんですか?」
「うむ。ことこれに関しては、エルフ娘でなければ駄目だろう。我輩やポンコツ店主でも出来んことはないが、その場合別の魔物になってしまう可能性が高まるのでな」
「……分かりました」
その説明に若干の違和感を覚えたが、別にそこを追求する必要もない。ペコリーヌは引き下がり、コッコロは首を縦に振った。
バニルに教えられるがまま、ペコリーヌのぬいぐるみに青い魔石を、コッコロのぬいぐるみに緑の魔石をそれぞれ乗せる。そこに手をかざし、手順に沿って呪文を唱え。
魔石は、ゆっくりとぬいぐるみに吸収されていった。
「これで完成なの?」
「後はこのままエルフ娘が魔力を注ぎ込めば完成だが……少々危ういな」
「どういうことだよ」
「魔石の情報だけでは、汝らの言っていたものと同じ魔物が生成されるか分からん。最悪、全く違うものが出来てしまうやもしれん」
「そんなっ! なんとかならないんですかバニルさん!」
「何故汝が驚くポンコツ店主。だから最初に言ったであろう、他には残っておらんのかとな。こやつらの体の一部が残っていれば、それらを追加触媒にすることで成功率を百パーセントに限りなく近付けられるが」
そう言われても、とペコリーヌは眉尻を下げる。あの時粉々になっていくもう一人のペコリーヌを思い出す。魔石を掴み取るのが精一杯だった。それ以外を回収する余裕などなかったのだ。
それはキャルやコッコロも同じ。崩壊するもう一人のコッコロに手を伸ばして、唯一掴んだのが魔石一つ。それ以外は、何も。
「なあ、バニル」
「どうした小僧。心当たりでもあったか?」
「あるって言ったらどうする?」
「え?」
「本当でございますか?」
「カズマくん!」
カズマの言葉に、皆の表情が輝く。不安で塗り潰されそうになっていたそれが、希望に変わっていく。
そんな空気の中、彼は自身のポケットから、あの時からずっと持ち続けていた、彼女達の形見を机の上に置いた。これで、追加触媒は大丈夫だと、ドヤ顔で。
「……」
「……」
「……えっと」
「……主、さま……?」
「これ……わたしのパンツですよね……」
「こちらは、わたくしの下着でございます……」
バニルが崩れ落ちた。我慢の限界が来たらしい。普段の高笑いではなく、声にならないほどの痙攣をしているあたり相当ツボだったようだ。ウィズは状況が全く分からず、突如二人の下着を取り出したカズマをぽかんと眺めているばかり。
ふう、とキャルが深呼吸をした。そして無言で杖を振りかぶる。
「待て待て待て! っていうかお前は分かるだろ!?」
「何がよ! ……ん? え? これひょっとして」
「そうだよ! あの時スティールしたペコリーヌ人形とコッコロ人形のパンツだよ!」
「えぇ……じゃああの時のあれは、カズマくんのせい……?」
「もう一人のわたくしのぱんつを、スティール……」
「いやぁ人生何が希望になるか分からないよな。まさかこんなところで役に立つなんて」
「……何で肌身離さず持ってたの?」
「……」
「……ぶっ殺」
「待て待て待て待て! 誤解だ! 俺は断じて使ってない!」
誰も聞きたくないであろうそんな釈明を述べながら、カズマは目の据わっているキャルを必死に説得する。そもそもお前のパンツじゃないんだから関係ないだろ。そんな彼の言葉を聞いて、キャルはゆっくりと振り返った。何かの許可を得るようなそれに、ペコリーヌとコッコロは首を横に振る。ちぃ、と盛大な舌打ちをすると、彼女は非常に不満そうに構えていた杖を下ろした。
「えっと……一応これで条件は整ったと思うので」
笑い過ぎて立てなくなったバニルに代わり、ウィズが非常に複雑そうな顔でコッコロに先程と同じことをするよう伝える。ペコリーヌぬいぐるみの上には白のレースが、コッコロぬいぐるみの上には可愛らしい薄緑が置かれた。絵面が間違いなく変態のそれである。
ぬいぐるみにパンツが吸収されていく。追加の触媒を得たぬいぐるみは、情報を元に魔物へと変貌し始めた。コッコロの魔力を受け、段々とそこに存在感が増していく。
「やはり、と言うべきか。生成時の魔力の流れがよく似ているな」
「あ、バニルさん、落ち着いたんですね。……似ている、って、誰にです?」
「成程、脳みそ消費期限切れの店主には分からんか」
「だから! ……それってつまり、私の知っている人……? ――え?」
一瞬コッコロと姿が重なった。目を瞬かせ、まさかそんなと青褪める。リッチーの顔は元々青白いので変わらなかったが。
ともあれ。コッコロの魔力を大分注ぎ込んだ頃。ぬいぐるみのどこか無機質な瞳に火が灯る。二体のぬいぐるみがゆっくりと体を起こし、そのデフォルメされた顔を左右に動かした。これで、生成自体は成功したと見ていいだろう。後は、この二体の新たな魔物が果たして自分達の知っている相手かどうか。
コッコロのぬいぐるみが、コッコロを見た。ペコリと頭を下げると、そのまま彼女へと歩き出す。コッコロが差し出した手を、ぬいぐるみコッコロはしっかりと掴んだ。
「――またお会いしましたね、本物のわたくし」
「ええ。また、よろしくお願いいたします、もう一人のわたくし」
それを聞いてコッコロは笑顔を浮かべる。少しだけ、泣きそうになった。よかった、成功したのだ。そんなことを思いながら、もう一つのぬいぐるみに視線を向ける。
机の上で、ぬいぐるみのペコリーヌはカズマを見上げていた。表情は変わらず、しかしどこか気まずそうにクシクシと頭を掻いたぬいぐるみは、そのままゆっくりと口を開く。
「ちゃんと、戻ってきました」
「戻ってきてねぇよバカ! 何でそういうところはそっくりなんだよ」
「しょうがないですよ。わたしも、ペコリーヌですから」
「ったく。……しょうがねぇなぁ」
「キャルちゃんキャルちゃん。これわたしさり気なく馬鹿にされてませんか?」
「別にさり気なくないしあたしも思ったから問題ないわ」
「酷くないです!?」
イイハナシダヨネー?