「なあ」
「どうしたカズマ」
「俺たち廊下をひたすら走ってるけど、これいつになったら角につくんだ?」
「……言われてみればそうだな」
シルフィーナを抱きかかえて走りながら、ダクネスは周囲を見渡す。真夜中の廊下で窓の外は真っ暗で何も見えない。ポツポツと存在する明かりでどうにか近くが見える程度のそこは、前も後ろもどこまで続いているのか確認ができないのだ。
「ひょっとして、空間が歪んでいるのかしら」
「大したことのない幽霊を集めた程度でそんな事が可能なのか……? ミヤコ、はいないのだったか」
「あいつほんっと役に立たねぇな」
「聞こえてるの。誰が役立たずなの!」
にゅ、と皆の目の前に上からミヤコが降ってくる。パニック状態であったキャルは、突如目の前に現れたプリン幽霊がトドメになったらしい。プツンと糸が切れるように仰向けにぶっ倒れた。
そして倒れたキャルが後ろに流れていく。
「ん?」
何だ今の。自分達が走っているから倒れたキャルが置き去りにされた、という感じではない動きだった。その事に気付いたカズマは、おいちょっとストップと皆を止める。
足を止めると背後の西洋人形が近付いてくる。そう思っていたが、これは。
「これ、床が動いてるぞ」
「本当だな。立ち止まると後ろに流される」
カズマの言葉に、ダクネスも床へと視線を移した。どうやらこちらの走る速度に合わせて廊下の床を後ろに動かしていたらしい。
「ルームランナーじゃねぇか!」
「何だそれは?」
「俺の故郷にある運動器具だよ。床が歩く方向と逆に動くようになってて、動かずにランニングとか出来るんだ」
「この仕組みと同じなのね」
西洋人形に捕まらないようにしつつ先程よりもゆっくりと足を動かしながら、カズマ達はそんなことを述べる。どうりで全く廊下の端につかないわけだ。種がバレれば案外単純なものだとカズマは小さく溜息を吐く。
「まあ、怖がらせるネタとしてはかなり高ポイントだな。追ってくる幽霊、逃げても逃げても終わらない廊下。これは分かってるやつの仕業だぞ」
「あの。ところで……キャルは、大丈夫なのかしら」
あ、と皆が後ろを見る。廊下を埋め尽くす西洋人形の端っこ、その奥の方で気絶しているキャルが引っ掛かっていた。一応安全面にも配慮してあるらしい。
「……何だろう。俺この幽霊のこと好きになりそう」
「それは、カズマの故郷のお化け屋敷に似ているからか?」
「そんなところだな」
「浮気ですかカズマくん」
「好きの意味が違う。そういうのが分からないあたり、お前もまだまだだな」
「何分かった顔で語ってるの。オマエもどうせ何も分かってないの」
はん、と鼻で笑うプリンにうるさいと返しながら、彼はそろそろ次のポイントに移動した方がいいんじゃないかと皆に述べた。完全にアトラクション感覚である。
その言葉を聞いたからなのか、それとも仕掛けを見破られたからなのか。西洋人形は笑い声、泣き声、悲鳴を止めると後ろへと消えていった。それと同時、床の動きも止まる。
「これは、次に行ってもいいってことよね?」
「だろうな」
「次はどんな仕掛けがあるのかしら」
「お前滅茶苦茶ワクワクしてるな」
口調や立ち振舞いは見た目相応になったものの、行動や感性が子供の時とあまり変わっていない。そんなシェフィを見ながら、まあいいかとカズマは廊下を歩き出す。ダクネスもシルフィーナを下ろし、それに続いた。
「あ、キャル」
そして暫し進んだタイミングで廊下にキャルを置きっぱなしであったことに気が付いた。
屋敷を進むたびにあの手この手で怖がらせようと仕掛けが飛び出す。廊下の途中にあった扉は、キャルが通り過ぎる瞬間に開き骸骨がもたれ掛かってきた。途中の部屋の中、棚の上に置いてあった箱は、ガタガタと揺れると床に落ちた。そしてキャルの目の前にごろりと生首がまろび出る。鏡に映るキャルの背後から、何かが近付いてくるのが見えたが、振り返っても何もいない。視線を戻すと目の前にそれがいた。
「あひゃぁぁぁぁぁ!」
「いやぁぁぁぁぁ!」
「ぎゃぁぁぁぁぁ!」
大体こんな感じの悲鳴パターンで彼女のセリフの大半が構成される中、カズマはかなり楽しんでいた。勿論怖いことは怖いし絶叫もするが、あくまでお化け屋敷だという前提の下でである。危険性がないと結論付けたからである。
「もうやだぁ……おうち帰るぅ……」
三年分くらいの絶叫を使い切ったキャルは、最早息絶え絶えだ。しっかり立つことも出来ないので、カズマにしがみついたまま情けなく膝が震えている。思いがけずリア充のシチュエーションを体験したカズマはそういう意味でもご満悦であった。出来ればもう少し胸のボリュームが欲しかったとは彼の弁である。
そうしてお化け屋敷を堪能した一行は、ようやく最奥の部屋へと辿り着いた。本当にこれが最奥の部屋なのかは不明だが、流れに沿って行った結果ここにやってきたので多分最奥の部屋なのだろう。
扉を開く。軋んだ音を立てて開かれたそれは、部屋の中に仁王立ちしている一人の少女のいる空間をカズマ達の視界に広げた。
「あ、ようやく見付けたのアンナ。まどろっこしい仕掛けばっかやりやがってなの」
ダボダボの袖をブンブンとさせながらミヤコが部屋の少女、幽霊アンナに文句を飛ばす。言われた方は、何言ってんのお前とばかりに表情を不満げに変えた。
『そもそもミヤコ呼んでないし』
「はぁ? オマエに幽霊を手下にする方法教えたのはミヤコなの! もっと敬うの!」
『はん』
「鼻で笑いやがったの!」
こいつぶっ飛ばすとミヤコが幽霊アンナへとダッシュする。これでも喰らえとダボダボの袖の拳を振り上げるのと同時、どこからともなく現れた巨大な何かがミヤコを叩き潰した。モヤモヤした塊なので、おそらく幽霊を固めたものなのだろう。
スリッパでぶっ叩いたゴキブリみたいになったミヤコからゆっくりと手をどけたその塊は、目なのか何なのか分からない黒い部分をそのままゆっくりとカズマ達に向ける。
「待て待て待て! 何でいきなりこういう展開なんだよ!」
『え?』
「いや何不思議そうにしてんの!? 俺達に危害加える気満々!?」
お化け屋敷で終わると思っていた矢先に唐突なバトルだ。まったくその覚悟をしていなかったカズマはとにかく戦闘を回避しようと幽霊アンナに語りかける。が、彼女は彼女で何の話だと首を傾げていた。別にミヤコ以外に危害を加える気はないよ。そう、あっけらかんと述べた。
「アンナさん。でもこの、大きな幽霊、こっちをじっと見てますけど」
『見てるだけじゃないかな。まあどうせ大したことない幽霊だし――』
拳を振り上げた。あれ? と幽霊アンナが素っ頓狂な声を上げる中、幽霊の塊は思い切りこちらにそれを振り下ろす。
危ない、とシェフィがシルフィーナを庇い、ダクネスはその身で攻撃を受けた。
「ママ!?」
「ふふふ、大丈夫だシルフィーナ。私はこの程度では倒れん。さあ、攻撃するならば私に来い!」
「嬉しそうだなこいつ……」
娘の前でアヘ顔を晒さないだけの理性は辛うじて残っているようだが、滲み出る喜色が隠せていない。不幸中の幸いなのが、シルフィーナにはそれがドM由来だと気が付かれていないことだろうか。
『シルフィーナ! 大丈夫!?』
「は、はい。私は大丈夫です」
「アンナ、これはどういうつもり?」
『そんなこと言われても、私も分からないし。……あれ? シェフィ何だか様子が変わった?』
おや、と首を傾げる幽霊アンナに、シェフィは今それどころじゃないだろうと返す。そうだったそうだったと手を叩いた彼女は、でも分からないものは分からないのだと眉を顰めた。
「余計なことばっかしてるからなの」
床で引き潰れていたミヤコが起き上がる。やれやれと呆れたように肩を竦めた彼女は、よーく聞けなのとダボダボの袖をビシリと幽霊アンナに突き付けた。
「オマエみたいなへっぽこ幽霊じゃ、あの大きさの幽霊は操れないの」
『え? でもあれ、小さい幽霊が集まってるだけだよ?』
「ちっさいのが集まって一つにまとまってるの。あれはもうでっかい幽霊と同じなの」
だからちょっとかじった程度の力じゃ制御できない。そう言うと、ミヤコはばーかばーかと幽霊アンナを煽りにかかった。非常にむかつく姿であったが、彼女は彼女で実際制御できていないので言い返せない。
「ここに来るまでの仕掛けみたいにちょっとずつ使ってればよかったのに、調子乗るからこうなるの。ぷーくすくす」
「今この空間で一番調子乗ってるの間違いなくお前だよ」
カズマのツッコミに反論をするものはいない。シルフィーナですらあははと苦笑し視線を逸らしている。
それはともあれ。どうやらこのでかい幽霊の塊はアトラクションになれなかったらしい。大したことのない幽霊でも、まとまって大きくなることで力と凶暴性が増したのだろう。どうにかするには、極々普通に冒険者としての対処をしなければならない。
「結局戦うのか……いや待て。この面子で、この場所でどうすりゃいいんだ?」
相手自体は恐らくそこまで大した強さではないだろう。少なくともこれまで戦ってきた魔王軍幹部と比べれば明らかな雑魚だ。
だがしかし。それはあくまで戦力が揃っていれば、である。今のこの場にいる面子で、シルフィーナは非戦闘員、幽霊アンナも同様だとして、ミヤコが微妙な分類。戦えると認定していいのはカズマ、シェフィ、キャル、ダクネスの四人だが、現在キャルはお化け屋敷を堪能しすぎて使い物にならない。つまり、残るはシェフィとダクネスになるわけで。
「あれ? 詰んだ?」
「どうしたのだカズマ。私ならばいくらでも盾に使え」
「いや盾はいいんだよ。攻撃手段がないの」
「どうしてだ? キャルが――あぁ、そうか」
カズマにしがみついてガタガタ震えているキャルを見る。ブンブンブンと全力で首を横に振られたので、やはり彼女を戦力にするのは諦めたほうがいいだろう。
「なら、わたしが」
「わたくしもおります」
「お前らは俺の肩に乗ってろ」
ぬいペコと幽霊アンナに抱きしめられていた状態からこちらに移動したぬいコロの提案は即却下である。そもそもこんなの相手に命を懸けられたらたまったものではない。
べしべしと叩かれるが、やかましいと一蹴した。こうなったらしょうがないと彼は自身の弓を取り出す。自分がメインアタッカーとかマジ勘弁して欲しい。そんなことを思いながら、幽霊の塊に向かって矢を放った。当然、トラップ付きである。
「あれ?」
が、巨大な塊は矢が触れる瞬間煙のように霧散し、そして再び形を作った。当たり判定も無かったようで、壁に当たった矢はそこにトラップを設置させていた。
「カズマ、あれは一つにまとまってるだけで結局雑魚幽霊の集まりなの。くっついたり離れたりとか自由自在だから、矢なんか当たるわけないの。もうちょっと頭使うの」
「アンナ」
『おっけー』
ミヤコを壁のトラップに押し付ける。静かになったプリン幽霊から再び幽霊の塊に視線を戻すと、カズマは何かを結論付けるように頷いた。
「詰んだな」
「だがカズマ。どうにかしないことには、我々もここを抜け出せんぞ」
「わーってるよ。ああちくしょう、こうなったらダクネスに耐えてもらってペコリーヌが心配して来てくれるまで粘るか……?」
「ならやっぱりわた――」
「カズマ」
「ん?」
「私のこと、忘れていないかしら」
す、とシェフィが前に立つ。あ、忘れてたと思い切りぶっちゃけたカズマは、彼女のジト目でごめんなさいと頭を下げた。そうしながら、お前本当に大丈夫なのかと心配そうに声をかける。子供状態の時のシェフィは、ドラゴンなので戦えはしたものの威力の調整がイマイチであった。広い場所ならともかく、こんな屋敷の中で似たようなことをした場合、最悪倒壊する可能性もある。
「大丈夫よ。私に任せて頂戴」
そんなカズマの心配を他所に、シェフィはどこか自信満々に笑みを浮かべた。自身の魔力で生み出した氷を使い、一本の剣を作るとそれを真っ直ぐに構える。
「いくわよ!」
いつぞやの鬼ごっこでも使っていた動き、足元に氷の道を作り、スケートのように滑って移動する。うげ、とキャルがみぞおちを押さえながら顔を顰めていた。
幽霊の塊はそんなシェフィを潰そうと拳を振り上げるが、スピードが圧倒的に足りていない。振り下ろした拳はことごとく割り込んだダクネスに命中した。
その隙に彼女は接敵した。相手の懐に潜り込むと、そのまま舞うように剣を振り上げる。
「氷の道よ!」
氷の軌跡が舞い上がる。あっという間に氷漬けにされた幽霊は、分離する暇もなくそのまま纏めて撃破された。
「成程。じゃあシェフィちゃんたちはそのお屋敷暮らしになるんですね」
「そういうことだな」
アメス教会の夕食風景。ここ最近六人であったそのテーブルは、今日は四人。これまでずっと一緒だったいつものメンバーではあるが、やはり少しだけ静かな気がしないでもない。
あの後幽霊を退散させたカズマ達は、幽霊アンナに今回の事の経緯を説明したところあっさり許可をもらった。なので、善は急げとシェフィは拠点を移動しにかかったのだ。
「シェフィさまも、もう立派にお一人で立てるのですね」
「コロ助……」
そう述べるコッコロの表情は笑顔である。だが、そこに寂しさが混じっているのはこの場にいる誰もが分かった。お世話出来なくなるもんな、と口には出さないが何かを納得したように三人とも頷いた。
「あ、でもほら、あいつぬいコロ連れてったじゃない? 何だかんだコロ助いないと寂しいでしょうから、どうせまたすぐ甘えに来るわよ」
「……ふふっ。ありがとうございます、キャルさま」
キャルのフォローなのか何なのか分からないそれを聞き、コッコロもその表情から寂しさを消す。そうだ、今生の別れでもなければ、どこか遠くに行ったわけでもない。いっそこちらから訪ねてもいいくらいだ。そう結論付け、彼女は調子を取り戻す。
ふう、とキャルはそんなコッコロを見て安堵の溜息を吐いた。そうしながら、それでもって、と視線を移動させる。
「あんたらは何やってるわけ?」
「何だよ、見て分からないのかよ」
分からないから聞いてるんだ、とジト目で彼女はカズマを見た。正確には、カズマに寄り添うペコリーヌを見た。もっといえば、その横でカズマに乗っかっているぬいペコを見た。
そんなキャルに向かって、カズマはやれやれと頭を振る。これだから素人はと言わんばかりのその態度を見て、彼女のイラつき度が跳ね上がった。
「俺はついにハーレム主人公になった」
「死んだら?」
ジト目から非常に冷たい目へと変化したキャルの視線を受けても、カズマは動じない。いやぁ俺の時代来ちゃったな、と謎のキメ顔で口角を上げている。キモ、と彼女は短く簡潔に評した。
「そんなこと言ってるくせに、本物一筋なんですよねこの人」
そんな中で、どこか不貞腐れたように、ぬいペコはペシペシとカズマの頭を叩いていた。あの時の言葉は彼女の中にしっかり残っている。いざという時にはペコリーヌが何とかしてくれる。そんなどこか情けなくて、ちゃんと信頼のこもった彼の呟きが、しっかりと。