なんと言っていいのだろうか。他に誰もいなくなった観客席の、チケット売り場のすぐ目の前で。
一人の猫耳少女が燃え尽きていた。
「なんだこれ」
「アイリスちゃんのお姉さんの彼氏さんが分からないんならチエルに分かるわけナシなしじゃないですか。いやまあぶっちゃけぱっと見でこれかなって予想はできちゃいますけど、それを言っちゃったら終わりっていうか、ターンエンドどころかゲームエンドしちゃいそうっていうか」
事情をしっかりと聞けていない二人は、そんな日本語でいうなら「ぬ」と「め」の区別もつかなくなっていそうな表情のキャルを見て立ち尽くしている。ペコリーヌとアイリスはゼーレシルトから話を聞いていたこともあり、即座に彼女の回復へと足を踏み出していたのだが。
まあいいや、とカズマは視線をコッコロへと向けた。オロオロと心配そうな表情をしている彼女のもとへ向かい、大丈夫かと声を掛ける。多分大丈夫じゃないのはキャルの方である。
「あ、主さま……。申し訳ございません、わたくしでは、キャルさまを止めることが出来ませんでした……」
「いや、コッコロは悪くない。悪いのは言うことを聞かなかったキャルだ」
「主さま……」
「彼氏さん彼氏さん、さっき事情サッパリでしたよね? そういうのチエルよくないと思いまーす」
「然り。表面上の慰めは一時の助けになっても、後々に大きな禍根を生むこともある。できる限り避けるべきだろう。端的に換言すれば、テキトーぶっこくな」
「それな。いやまあ、いいけど、別に。……んでも、アイリスの姉さんの彼氏さん、その娘大切にしてンなら、そういう時は本気で心配してやったほうがよさげくね?」
「唐突にボロクソ言うんじゃねぇよ! ちゃんと考えとるわ! 中身知らなくてもキャルが悪くてコッコロが悪くないのは分かるの! 付き合い長いんだから! ……あといい加減名前で呼んでくれない?」
なかよし部にそうツッコミを入れてから、カズマは再度コッコロへと向き直った。変わらず心配そうな表情をしている彼女に向かい、それで結局何がどうなったのかと問い掛ける。
眉尻を下げながら、彼の質問にコッコロは答える。この闘技場ではモンスター同士を戦わせて賭け事をする催しをやっていたこと、キャルがそれを見て自分もやってみようと意気揚々に向かったこと。
そして。
「いや、もういい。分かった」
「主さま……」
「どれだけ負けたんだ? あいつ」
「……ご自分の貯蓄を、全て」
「バカじゃねぇの!?」
何だかんだ、カズマ達は一流冒険者と名乗っても文句を言われない程度は活躍している。実際高レベルの依頼もこなせるだけの実力はある。だから、それに相応しい報酬も勿論手に入れている。更にはベルゼルグ王国の最上位貴族とも交流を持ち、立派な拠点も持ち合わせている。その日暮らしとは無縁の生活を約束されているような状態なのだ。
そんな冒険者の一人分の貯蓄である。実家と縁を切っているので家への仕送りなどというものもなく、その上最近はアクシズ教の巫女としてのおまけまで持っている人物の貯蓄である。後半はマイナスな気がしなくもないが、ともあれその貯蓄は相当なものである。
「なあ、コッコロ。……具体的には、どんだけだ?」
「……口にするのは、憚られます」
「バカじゃねぇの!?」
数千万単位の可能性が出てきた。ひょっとしたら億かもしれない。頭によぎった金額で、思わずカズマはブルリと震える。向こうではチエルがうっわマジですかと割と素でドン引いていたので、彼の考えは間違っていないのだろう。
とはいえ、貯蓄を全部失っただけならばまだギリギリ踏ん張れる。借金を拵えてさえいなければ、最悪素寒貧になって魂の抜けているキャルをアクセルまで運んでいけばいいだけなのだから。
「これは少々困ったな……」
「ん?」
だから、向こうでそんな呟きが聞こえたことで、カズマは思わずそちらに振り向いた。ペンギンの着ぐるみが何やら少々難しい顔をしている、ように見える。その対面には、なんとも言えない表情のアイリスとペコリーヌも見えた。
何かあったのだろうか。こくりとコッコロと頷き合うと、二人はそのままゼーレシルトのいる場所へと足を進めた。なかよし部は観客を決め込む腹づもりらしい。多分見ていたほうが絶対面白いという考えだ。
「あ、カズマくん」
「どうしたんだ?」
「えっと。……キャルちゃんの事情は聞いたんですよね?」
「ああ。全財産スッたんだろ?」
「あはは……。そうらしいですね」
苦笑しながら、ペコリーヌはポリポリと頬を掻く。そうしながら、そのことで少し問題が起きちゃって、と言葉を続けた。
「問題? 別に借金はしてないんだろ? キャルが一文無しになっても自業自得で」
「いえ、お義兄様。そういうわけにもいかないのです」
「アイリスさま、それは一体どういうことなのですか?」
カズマの言葉を遮るようにアイリスが口を開き、コッコロの問い掛けに実はと述べた。
キャルは一流冒険者で、コネも持っていて、バフなのかデバフなのか分からない地位もある。そんな人物の財産は、当然ながらその辺の冒険者とは比べ物にならず、場合によっては田舎の貧乏貴族を上回るほどのもので。
「いきなりそれだけのお金がゼーレシルト様の領地に支払われてしまうと、領主と王族の立場から少々問題になりまして」
「バカじゃねぇの……」
座ったまま光のない瞳で虚空を見上げている仲間に視線を向けると、カズマは三度目の呆れたツッコミを入れた。
「じゃあもうなかったことにして帰ろうぜ」
多分これが一番問題のない解決方法だ。そんなことを思いながら述べたそれは、ゼーレシルトが変わらず難しい顔をしているように見えたことで頓挫する。何か問題があるのだろうか。そう思ったカズマは、とりあえず思い付いた意見を彼へとぶつけた。
「何だかんだ金は欲しいってことか?」
「ん? いや、そういうわけではないよ。私は別に金に困っているわけではないからね。考えているのは別の理由だ」
「んじゃ、あれか。王族に貸しを作って地位の向上とか」
「それも違う。私はこう見えてあまりその手の成り上がりに興味がなくてね。領地も収入も満足している。税収の時期だけ領地を離れ税金を踏み倒すような連中と違い、きちんと税も納めているしね」
「何かペンギンの着ぐるみに理性的な態度取られると絶妙にイラッと来るな」
そんなことを言いながら、そこでカズマはん? と動きを止めた。今の会話に少し引っかかる部分があったのだ。
税金。元いた世界でも聞いたことのあるその言葉に、彼はなんだか嫌な予感がした。ペコリーヌへと振り返ると、ちょっと聞きたいんだけどと問い掛ける。
「この国って、税金払わないといけないの?」
「え? それはそうですよ。冒険者は職業上ある程度免除されてますけど、納税の義務は国民全員が持ってます」
「……俺、こっち来てから払ったことないけど。え? これ大丈夫なやつ!?」
「冒険者はきちんと依頼をこなしていれば大丈夫です。払うとしてもちょっとだけで済みますから」
結局払わなくてはいけないらしい。一瞬踏み倒せないかと考えはしたものの、いかんせん目の前にいる自分の恋人が国の第一王女である。縁を切る覚悟でもない限り実行するのは難しいだろう。
「あ、わたしも冒険者として活動している分はきちんと国に税を払ってますよ」
ペコリーヌの追撃にぐうの音も出ない。いやでもその払った税は結局王族の懐じゃねぇかとか屁理屈ぶっ込むほど彼の性根はひん曲がっていないし、言ったところで何の意味もない。まあある程度免除されているという話だし、これまでの稼ぎを考えればそう大したものでもないだろう。半分税金で持っていかれるとかふざけたことはないはずだ。
そこまでを考え、そして気付いた。嫌な予感の真実に気付いた。
「……キャルの税金、どうするんだ?」
「あ」
一文無しの猫娘に払えるものなど何もなし。税収のタイミングが来るまでに稼ぐことが出来れば何とかなるかもしれないが、納税の時期は秋口の最初の月。今からだと時間が足りない。
ついでに言うとお金がない理由がギャンブルだ。冒険者としての免除も受けられない可能性がある。
「なあペコリーヌ。お前の権力でなんとかならないか?」
「この場で言われても無理ですよ! いやどの場で言われても無理なんですけど!」
王族としてもやっていいことと悪いことがある。彼女のやれることは、精々クエストを頑張る手伝いと、いざという時にお金を貸すくらいだ。
そんなやり取りを聞いていたゼーレシルトは、はははと苦笑しながら会話に口を挟んだ。そちらはそちらで問題があるのでしょうが、こちらとしても別の問題がある、と。
先程アイリスが少し言っていたのがそれだ。キャルの負け分があまりにも多いため、これを受け入れてしまうとその分の税収やら何やらで彼の領地の経営に問題が生じてしまうのだ。
「かといって、ただ無かったことにしてしまうと、貴族同士の繋がりで行っていた催しに弊害が出てしまう」
「胴元の信用問題ってやつか」
ついでに言ってしまえば、王族の友人だから、お抱えの冒険者だから、などという理由でチャラにしたのだろうと勘ぐられる可能性すらある。ぶっちゃけ誰にとっても好ましくない展開が待っているのだ。
「じゃあ、どうするんだ? チャラにはできないけど支払われると困るって、詰んでるじゃないか」
「その通り。……なので、こういう提案はどうですかな?」
ピンと指を立てる、ようなポーズをする。そうしながら、これからもう一戦、勝負をしましょうと述べた。賭け金はキャルの負けた分全額。
「そうやって口裏合わせてたって言われるんじゃないのか?」
「勿論、そうならないようにきちんと証拠映像は残させてもらう。なので、きちんと勝って貰う必要があるのだが……第一王女殿下、その辺りは大丈夫ですかな?」
「わたしは構いません」
「待て待て待て。そう簡単に返事すんなって。あのペンギンの着ぐるみのおっさんが、どんな勝負を持ちかけてくるか分かってないんだから」
「そう心配しなくとも、冒険者としての実力が一流ならば、何の問題もないものですぞ」
口角を上げる、ような気がする状態になる。いかんせんペンギンの着ぐるみなので正確な表情や動きが判別しにくい。そんなことを思いながら、ゼーレシルトのその言葉を胡散臭いとカズマは一蹴した。一流冒険者ならば問題ない、そんなことを言い出す時点で碌なものではないだろう。
「ですが、主さま。他にいい方法もございませんし」
「別に特別な勝負しなくても、普通にここの賭けで勝てばいいだろ。こう見えて俺はこの手の勝負事には強いからな」
「今日の催しは終わっている。その方法だと翌日に持ち越しとなるので、領地の帳簿に残ってしまうのだよ」
「だったらこれから勝負を――って」
結局そうなる。ガリガリと頭を掻きながら、ああもうしょうがねぇ、とカズマは半ばやけくそのようにそう吐き捨てた。
それで一体何の勝負をするのか。睨むようにそう問い掛けると、ゼーレシルトは再度笑う。だから心配することなどない、ともう一度口にした。
「はい、始まりました負け分チャラにするためのエキシビジョンマッチ! 実況解説その他諸々は世界に轟く超絶美少女ちえるんと、あとクロエ先輩にユニ先輩でお送りしちゃいます」
「扱い雑。いや、まあいいけど」
「そもそも、実況解説するような何かがあるのだろうか」
「ちょっとノリ悪くないです? ただ見てるだけだと面白みがないって言い出したの先輩たちじゃないですか。二人の思いを汲んで、後輩力高すぎて困っちゃうくらいのチエルがこうしてちぇるっと頑張ってるんじゃないですか~」
「はいはい」
「分かった分かった」
「返事がテキトー極まりない!」
闘技場の観客席の一角でそんなことをしているなかよし部を余所に、コロシアムの中心では三人の少年少女が何やら揉めていた。
ゼーレシルトの提案は、モンスター同士の勝負ではなく、冒険者とモンスターとの勝負を行おうというものだ。当然勝つのは冒険者側だ、ということを疑わない前提で話が進められている。
「あの、キャルさま……。やはりわたくしが」
「ここでコロ助に戦わせたらあたし最低じゃない」
「でもなぁ。悪いこと言わないから、ペコリーヌに代わってもらえって」
「そこは俺に任せろくらい言いなさいよ……。いやまあ、あんたに代わってもらうのも癪だし、断るけど」
そう言ってキャルが二人より前に出る。杖を構え、反対側にある鉄格子を睨みつけた。
「さあ、来なさい! あたしが全員ぶっ殺して、負け分チャラにしてやるから!」
「はははは。威勢がいいな。――高貴さは少々足りないが、プライドを持った人間が屈服した時の悪感情もついでに頂きたくなる」
後半は聞かれないように呟きながら、ゼーレシルトは腕を振り上げる。実況解説のなかよし部、ゼーレシルトの横で見守るペコリーヌとアイリス。そんな六人の前で、開かれた鉄格子からダース単位のゴブリンがコロシアムへと放たれた。
「え? ちょま! 俺たちまだ退場してないんだけど! てか多っ!」
「キャルさま。お一人でやるとは、言われませんよね?」
「え? い、いいの?」
「おいお前そこは一瞬でもいいから自分一人で大丈夫だって言えよ。あのくらいのゴブリンとか楽勝よって言っとけよ!」
「はぁ!? 別にあたし一人でも大丈夫だけど? コロ助が手伝いたいって言うから許可を出しただけよ」
「だからそれを先に言っとけって俺は」
「お二人共! お喋りをしている暇はございません!」
二人の言い合いを待ってくれるようなゴブリンではなし。こちらへと間合いを詰めたゴブリンは、持っていた棍棒を振り上げていた。コッコロの声に慌てて前を向いたカズマは、とっさにキャルの手を取って緊急回避を発動させる。それに追従するように、攻撃を弾いたコッコロも間合いを取った。
「あっぶねぇ! おいキャル! さっさとやっちまえ」
「言われなくても分かってるわよ。コロ助、ちょっとあいつらまとめて!」
「かしこまりました」
一歩前に出ると、槍で前線にいたゴブリンを薙ぎ倒す。吹き飛んだゴブリンが後ろを巻き込んで倒れると、そこに合わせるように炎の嵐が纏めてモンスターを消し炭に変えた。
ふん、とキャルが杖を振るう。自分達だけになった闘技場のど真ん中で、どんなもんだと胸を張った。
「何かえらくあっさり終わっちゃいましたね~。まあ元々税金逃れの言い訳てんこ盛りのための勝負でしたし、出来レース感醸し出しまくりでしたけど」
「うむ。だが、これでは流石に映像が残っているとしても説得力には欠けるような」
「ん? パイセン、チエル、アレ見てみ」
クロエが先程ゴブリンが出てきた鉄格子を指差す。一旦閉まっていたそれが、ゴブリンの全滅と共に再び音を立てて開いていた。え、とカズマ達もそこに視線を向け、ペコリーヌとアイリスはゼーレシルトに問い掛ける。彼はそれに、当然、説得力を持たせるためにはもう一勝負は必要でしょうと言葉を紡いだ。
「先程のゴブリンである程度の実力の証明はできた。ならば次のこれを打倒して、勝敗を決めようではないか」
そんな声に合わせるように、向こうの暗闇から大きな体躯の獣が数体、コロシアムへとやってくる。青い虎のようなそれは、いつぞやに戦ったモンスターによく似ていて。
「初心者殺し? にしちゃデカいし、何か凶暴そうな」
「中級者殺しでございますね。初心者殺しの上位種とされている魔物です」
「はん。あたしたちは上級冒険者よ、中級者殺しの一体や二体、敵じゃ――」
キャルの言葉が途中で止まる。ノシノシとやってきた中級者殺しは合計五体。狡猾な知能を持っているとされているように、先程のゴブリンとは違い、範囲攻撃に引っかからないように間合いを取り、ジリジリと距離を詰めてきていた。
「おいこれマズくないか? 逃げ道塞がれたぞ」
「背後を取られていないのが不幸中の幸いですが」
右を向いても左を向いても中級者殺しの顔が見える。一度に襲いかかってこないのはやはり巻き込まれを警戒しているのだろう。一発逆転を狙えないが、しかし逆に助かっている部分でもある。
「ペコリーヌがいればさっさとぶっ倒して終わりなんだけど」
「何よ。あんたあたしが信用できないっていうの?」
「別にそういうわけじゃないけど。じゃあやれるのか?」
「……勿論よ。見てなさい。このあたしの実力を」
杖に魔力を込め、先端の魔導書がパラパラと捲れていく。その行動に脅威を感じたのか、中級者殺しの一体がキャルへと飛び掛かった。
「やらせはしません!」
迫りくる牙をコッコロが槍で迎撃する。穂先を叩きつけ、体ごと回転するように弾き飛ばした。体重差もあって、彼女も同様に弾かれたが、しかしこれで攻撃がキャルに当たることはない。
勿論中級者殺しが一体だった場合の話である。体勢が崩れたコッコロに一体、そして詠唱中のキャルにもう一体。中級者殺しは飛びかかる。
「《狙撃》! 狙撃ぃ!」
矢が飛来する。大した威力ではないと致命を避けるようにそれを受けた中級者殺しは、着弾により発動したトラップで盛大に吹き飛んだ。不意を突かれた残り二体の近くに倒れ、そして再度そこを起点にした罠で動きを止められる。
「キャルさま」
「キャル!」
「任せなさい! アビス――はちょっとここじゃマズいから、《グリムバースト》ぉ!」
杖を振り下ろす。それと同時にコロシアム全体を覆うほどの数の魔法陣が現れ、それらが獲物を捕食するように収縮していく。そして、食らいついた魔法陣は再度弾け、獲物を外から中から蹂躙していく。
全身を引き裂かれた中級者殺しは、そのまま倒れ動かなくなった。ふん、と鼻を鳴らしたキャルは、魔物の死骸を見下ろしながら髪を掻き上げる。
「これくらい余裕余裕」
「よく言うぜ」
「ふふっ。流石はキャルさまでございます」
観客席ではパチパチとペコリーヌが拍手をしている。隣のアイリスは安堵の溜息を吐き、なかよし部も実況解説という名目で好き勝手に喋っていた。
「……流石ですな」
ただ一人、ゼーレシルトだけは、追加で摂取出来ると思っていた悪感情がサッパリ手に入らなかったことで、少しだけ面白くなさそうな顔をしていたが。