ダンジョン攻略は驚くほど順調であった。階層が上がっても事前調査を覆すようなことはなく、適度な宝箱と適度なモンスター、そして適度な罠のコラボレーションがいかにもダンジョンという空気を醸し出していた。
「飽きたな」
「ぶっちゃけたわね」
「いやだってそうだろ。もう十階だぞ? その割にはそう大した変化もないし」
ぐるりとカズマが辺りを見渡す。既に十一階へと進む階段は発見されており、そこの突入を阻むモンスターもアキノとペコリーヌのコンビネーションで細切れにされていた。
手に入るアイテムもそこそこ止まり。アキノもまあこんなものですかと撤収ムードに入っていた。
「主さま。油断は禁物です。半分を越えたのを機に、難易度が上る可能性も」
「……いや、まあ。その可能性はないことはないだろうけど」
コッコロの言葉にも頭を掻きながらそう返す。ここまで来て突然難易度が上がるような構造だとしたら、ここのダンジョンマスターは中々性格が悪い。油断をさせて一気に、という腹積もりなのかもしれない。
「まあ、撤退の準備だけはしておいたほうがいいかもしれないわね」
そんなことを呟きながら、キャルは上階へ行こうとしているアキノへと歩みを進める。カズマ達もそれに続き、ペコリーヌとアキノがいる階段の上を覗き込んだ。
ダンジョンの構成上、実際に進むまでその先がどうなっているかは分からない。一応気を引き締めて、そんなことを言いながら、五人は階段を一歩一歩上がっていく。
そうして辿り着いた十一階。そこはやはり代わり映えのない光景が広がっていて、何だこんなものかという空気が広がっていく。
「なあ、もう帰らねえ?」
「そうですわね……。この階にめぼしいものがなければ探索は終了としましょう」
カズマの提案にアキノも頷く。では最後の探索だ、とラストスパートを掛けるがごとく内部を歩き回ったが、少しだけグレードアップしたアイテムとモンスターが闊歩しているのみで。
そんな時である。部屋の中央辺りの空間で、何やら作業をしていると思わしき人影を見付けたのだ。体格からして男のようだが、仮面を付けているので顔が分からない。この空間に場違いな、あるいは相応しい黒いタキシードを着ているその人影は、やってきたカズマ達に気付くとゆっくり振り向いた。
「む。お早い到着だな。残念だが此処から先はまだ改装中だ。今日のところは帰るがいい」
「は?」
仮面の人影はそう言って笑い、ではまたのご来場をお待ちしていると締めた。当然ながら何を言っているか分からんとカズマとキャルは顔を顰める。
その一方、それなら仕方ないですわねとアキノは素直に帰ることを選んだ。
「アキノさま? いいのですか?」
「親切に仰ってくれているのですもの。ここは素直に聞くべきですわ」
「んー。まあ、確かに。……見た目ほど悪い感じはしませんしね」
ペコリーヌもその仮面の人影を見てそんな感想を抱く。ただ、どこかで見たような気がすると一人首を傾げていた。
「それで、仮面のお方? その改装はいつ頃終わるんですの?」
「ふむ。現在我輩は手伝いの身。こちらの一存だけで決めるわけにもいかんのでな」
「あら、ということは。あなたはダンジョンマスターではありませんのね?」
アキノの言葉に仮面の人影はうむと頷く。このダンジョンは知り合いのものらしく、まずは駆け出しの街で腕試しがてら作ってはみたものの、調査の冒険者の時点で予想以上にレベルが高いことに驚愕。たまたま用事でここに来ていた仮面の人影にアドバイザーを頼んだらしい。
「本来ならば下の階層も手を加えたいが、そうすると序盤で挫折して来なくなる可能性もある。何よりヌルいダンジョンが急に嫌らしいダンジョンに変わると我輩の好む悪感情も増大してくれるであろうからな」
「……ちょっと待って、あんた今悪感情って言った?」
「む? どうした最近の食っちゃ寝生活で二の腕がプニプニになった猫耳娘よ、何か気になることでもあったのか?」
「ぶっ殺すぞ!」
突如のそれにキャルが吠える。そうしながら、こいつ間違いないわと指を突き付けた。
お前は悪魔だ。目の前の仮面の人影に向かい、彼女はそう言い切った。
「ふむ。確かに我輩は悪魔だ。地獄の公爵にして、全てを見通す大悪魔、バニルである。ついでに魔王軍の幹部も片手間にやっているな」
「……え?」
今なんつった。唐突なそのカミングアウトに、食って掛かっていたキャル以外の四人も思わず動きを止めてしまった。
「どうした? 我輩の顔に何かついているのか?」
「えっと、仮面がついておられますが……」
「おっとそうであったな。失敬失敬」
はっはっは、と笑うバニル。そうしながら、そこそこの悪感情だがもう少しリアクションが欲しかったとダメ出しをしていた。
「……どうする? 魔王軍の幹部っつったら、相当にヤバいやつだろ?」
どうにかして逃げた方がいい。そう呟いたカズマであったが、それが難しいことも何となくではあるが察していた。その辺のモンスターならばともかく、魔王軍幹部で、しかも大悪魔ときた。隙を見せると即座に全滅の可能性だって低くない。
そんな風にカズマは緊張していたが、そうでないものもいた。確かに手配書で見た顔です、と疑問が解けたように頷くペコリーヌ。ううむと何かを考え込んでいるようなアキノ。その二人は、思ったよりも驚愕していない。
「おいそこのスチャラカ共」
「え? わたしですか?」
「誰がスチャラカですの!?」
「何でそんな通常営業なわけ? ひょっとして勝てるとか思ってる?」
「まさか。今の状態だと逆立ちしても勝てませんよ」
「ええ。戦ったのならば間違いなく全滅ですわね」
あっさりとそう言いきったペコリーヌとアキノにカズマが絶句する。だったら何でそんな落ち着いてるんだ、とツッコミを入れた彼に、ペコリーヌはまあまあと手で制した。
「確か、情報では積極的に人を殺した記録は残ってないんですよ、この人」
「ほう、最近気まずくて暴食を控えている腹ペコ娘よ、どうやら汝は我輩のことを少しは知っているようであるな」
それなら話は早い。そう言って笑みを浮かべたバニルは、カズマに視線を向けると警戒を解いてもらおうかと述べた。己は魔王城の結界の維持要員のなんちゃって幹部、そもそも悪魔のご馳走は悪感情であり傷付けるのは美味しい食事を捨てるのと同義。よって案外人類に優しい悪魔なのだと彼は続けた。
「悪感情って時点で優しくないじゃない」
「我輩の好む悪感情は恐怖や絶望といったものとは違う。人をおちょくったりからかったりした時の怒りや羞恥、失望だ。分かったか、最近仲間との暮らしにかつてない安心感を覚えている猫耳娘よ」
「キャルさま……」
「キャルちゃん……」
「んぁぁぁぁあ!」
ほっこりとした表情でキャルを見るコッコロとペコリーヌ。当然見られた方は顔を真っ赤にして頭を抱え悶えた。そんな彼女を見ながら、優しくねぇな、とカズマはぼやく。
成程、とアキノはバニルを見た。少し聞きたいことがあるのですがと前置きし、彼の答えを待つ。
「ふむ。いいだろう、言ってみるがいい自分の所有する店への道すら迷う娘よ」
「自覚していますわ! ……こほん。先程用事でここを訪れたと仰っていましたが、どのようなものか教えていただくことは出来ますでしょうか?」
「なに、大したことではない。デストロイヤーを討伐した冒険者を見てこいと魔王に言われたものでな」
カズマの顔が強ばる。アクセルの街全員で倒したとはいえ、MVPが誰かと言えば当然。
バニルがカズマを見た。そうしてニヤリと笑った彼は、まあ冗談だがと言い放った。
「お前ふっざけんなよ!」
「フハハハハハ! 走る腹ペコ娘の胸を毎回目で追っている男よ、今のは冗談ではあるが、魔王がそういう命令を出したというのは嘘ではない」
まあ、男の子ですからね。そう言って苦笑したペコリーヌを見たカズマは、その場でゆっくりと崩折れた。
「あの、バニルさま。冗談だが嘘ではない、というのは……?」
「うむ。本来は我輩にやらせようとしていたらしいが、生憎と少し前からアクセルの街に住んでいるポンコツ店主の様子でも見ようかとここに来ていたのでな。だから我輩はその命令を受けていない」
デストロイヤーを討伐するところは見学させてもらったがな。そう言って笑ったバニルは、だから気を付けるのならば自分ではなく調査にやって来る別の幹部だと言葉を続けた。
「いや待ちなさいよ。あれ見てたってことは、あんたこのまま野放しにしてたら魔王のところに帰ってその調査の報告しちゃうじゃない」
「信用がないな。我輩がそんな命令に一々従うはずもなかろうに。だが、まあ、そう思うのならば止めてみるがいい、二の腕の肉が胸部にいかないか悩んでいる猫耳娘よ」
「殺す! 絶対に殺す!」
杖を構え、呪文を連発する。それらを高笑いを上げながらひらりと躱したバニルは、それで終わりかとキャルを挑発した。
こんちくしょう、と杖の先の魔導書をペラペラと捲り、さらなる高威力の呪文を放たんと詠唱を。
「キャルちゃん! ここで強力な範囲魔法は崩れちゃいますよ!」
「ぐっ……そうだったわね」
パタンと魔導書を閉じる。ならばこいつだ、と杖の先から光の剣を生み出した。その呪文、《ライト・オブ・セイバー》を振りかぶると、袈裟斬りにせんと思い切りバニルへと振り下ろす。
「はい残念。ほれ、周りを見るがいい、仲良くしたくともついつい悪態をついてしまう猫耳娘よ。汝以外はこの戦闘に参加しておらんぞ」
「……え?」
ピタリと動きが止まる。ペコリーヌもアキノも、現状は傍観の立ち位置、そしてコッコロはカズマを慰めているので不参加だ。
何でよ、とキャルは他の面々に食って掛かったが、そう言われてもと皆一様に言い淀む。
「害がない、とは言いませんけど、まあそこまで悪い人じゃないかな~って」
「どう考えても滅茶苦茶悪い奴よ! ちょっとコロ助、あんたも何か言ってやんなさいよ! アークプリーストなんだから、悪魔倒すべし、魔王しばくべしの精神持ってんでしょ!?」
ペコリーヌの返答に話にならんと切り捨てたキャルは、コッコロへとターゲットを変えた。だが、彼女は彼女で別にそこまでは、と苦笑している。
「アメス様は基本的に受け入れることを良しとしていますし。わたくしとしては、バニルさまを信じてもいいかと思います」
「なーんでよぉー!」
「ハハハハハ! 中々殊勝なことを言うではないか、最近欲求不満で主のお世話を何から何まで四六時中したいと考えているエルフ娘よ。……我輩にとっては大差ないが、人間にとっては普通その年の男をそこまでお世話するのは大概だぞ?」
バニルの少しだけ引き気味の言葉など聞いちゃいない。ここに味方はいないのかと叫んだキャルは、だったらとアキノへと視線を向けた。そして、その目を見てああこれは駄目だと諦めた。
「なんですのその顔は?
「……じゃあ聞いてあげるけど、あんたはどうなの?」
「バニルさん、
「一番頭おかしい回答来ちゃったじゃない!」
「フハハハハハ! 悪魔をスカウトするとは、魔王に匹敵する豪胆さだぞ、爆発オチの似合う娘よ。しかし残念だ、今の我輩は魔王軍幹部、一度倒されでもしない限り鞍替えは出来ぬ身でな」
「……成程、そう来ましたか」
「その通りだ。さあ、どうする? ちょっと着飾ることに目覚め猫アイマスクを衝動買いしてしまった猫耳娘よ!」
「そこは関係ないでしょうがぁ! どうするもこうするも、ぶっ殺すに決まってるじゃない!」
再度《ライト・オブ・セイバー》を唱え、バニルに向かって突撃する。当然先程の焼きましであるそれを食らうことなどあるはずもなく。軽い調子で横に避けると、それで終わりかとつまらなさそうに言い放った。
「――なわけねーだろ」
「む!?」
背後から声。いつのまにか潜伏スキルで気配を消していたカズマが、バニルの背中に全体重を乗せた飛び蹴りを食らわせていた。その衝撃で前方によろめき、キャルの追撃の回避が遅れてしまう。
斬、と。真一文字に切り裂かれたバニルは、そのまま苦悶の声を上げた。
「く、油断した……。こんなことで、我輩がっ……!」
地面に落ちた腕がサラサラと崩れる。次いで、体も段々と砂のように崩れていき、下半身が消失した。僅かな動きで自身を切り裂いた相手を見上げると、何かを言おうと口を開き。
言葉にならず、体全てが崩れ去った。からん、と仮面が土塊となった体の上に落ちる。
キャルは視線を仮面からカズマに向けた。ぐ、とサムズアップした彼を見て、彼女も同じようにサムズアップをする。
「嘘みたいね……魔王軍幹部を、こんな」
「勿論嘘だ」
「は?」
感慨深げにキャルが呟いたのに合わせて仮面から声が響く。カズマがそこに視線を向けると、仮面の下の土塊が吸い上げられるように盛り上がり、先程と変わりないタキシード姿の体を形作った。
「まさかそんなあっさりと我輩がやられるとでも? 魔王より強いかもしれないバニルさんだぞ? フハハハハハ! フハハハハハハッ! 悪感情、実に美味であった」
「ふしゃぁぁぁぁ!」
「落ち着けキャル! 相手の思う壺だぞ! いや俺もあいつぶっ殺してぇけど」
「まあ落ち着いたところでどうにもならんと思うぞ、ここ最近気付いたら同じ行動パターンを取っている者共よ」
『ぶっ殺すぞ!』
それぞれの武器を構え、全力でバニルを睨み付ける。そんなカズマとキャルを見ながら、彼は美味美味と笑っていた。そうしつつも、そろそろ改装に戻りたいので退散してもらおうと姿勢を正す。
「そうですね……帰ります?」
「そうですわね。また後日、交渉に参りましょうか」
「主さまの意見を尊重したいとは思うのですが……」
バニルの言葉に、ペコリーヌ達はそんなことを述べる。ふざけているしこちらを直接害する様子もないが、しかしその実力は本物だ。ここで、この面子が全員やりあったとしても、有効打を与えることも厳しいだろう。もし出来るとしたら。
「対抗手段を模索するのはいいが、我輩も黙ってやられはせんぞ? 節約のためにゴブリンを料理のレパートリーに増やそうとしている腹ペコ娘よ。……悪いことは言わん、ゴブリンはやめておけ」
「そうですね……」
どちらに同意したのだろう、とコッコロはそんなどうでもいいことを考えた。ともあれ、件のスキルで強化でもしない限りは勝てないといっていい状態だ。ここは素直に引くのが吉。
勿論そんな判断が出来るのならキャルは襲いかかっていない。カズマは賛同しつつ、しかし倒せないのは何となく察してどうしようかと迷っている状態だ。
「ふむ。そこの二人は、いや、冷静な振りをして短気極まりない猫耳娘はまだやる気だな。……仕方ない、少し手荒な真似をしよう」
そう言うとバニルは自身の仮面に手をかける。なんだ、とカズマが身構えるよりも早く、彼はそれを投擲した。その途端、バニルの体は土塊に戻り、そして。
「んなっ!」
「キャル!?」
「キャルちゃん!?」
「キャルさま!?」
「キャルさん!?」
仮面はまるで、吸い込まれるかのようにキャルの顔面へとはまり込んだ。
こういう時に被害に遭う役が定着しつつある