「ふむ。魔法使いの割にはそこそこ動ける体をしているな」
バニルの仮面を付けたキャルは、そう言って己の動きを確かめるように体を動かす。その行動と、そして彼女の口から発せられた声。そこから導き出される答えは一つである。
ペコリーヌも、コッコロも、そしてアキノも武器を構えた。仮面キャルにそれを向けながら、真っ直ぐに睨んでいる。
「落ち着け。我輩は別にこの体を使って汝らと戦おうなどとは思ってはおらん」
「……流石にそれは、信用できませんね」
ペコリーヌの言葉に、残りの二人もうんうんと頷く。それもそうかと暫し考える仕草を取った仮面キャル――バニルは、両手を広げながらニヤリと笑った。
「だとしても、汝らは何も出来まい? まさかこの体ごと我輩を滅するか? 確かにこの状態ならばダメージは通る。が、当然この体も同時にダメージを負うぞ」
「くっ……」
「バニルさま……何故そのような……」
「褒められたものではないですが、確かに効果的ですわね」
ぐぬぬ、と悔しげに顔を顰める三人を見て、バニルは満足そうに笑った。少し好みとは違うが、中々美味な悪感情だ。そんなことを言いながら、残る一人、先程から一言も喋らないカズマへと視線を向ける。
「本体は仮面の方だろ? なら、それを盗み取れば」
「成程。考え方はいいが、果たしてそうそう上手くは――待て、汝のスティールは女性の下着を剥ぎ取る確率がほとんどではないか」
「やってみなけりゃ分かんねーだろ。それにだ、キャルならきっと、その程度の犠牲は覚悟の上で俺に委ねてくれる」
「猫耳娘相手なら割と色々許されると思っている男よ、我輩がこの体の代弁をしてやろう。――ふざっけんじゃないわよカズマ! ぶっ殺すぞ!」
最後の部分を器用にキャルの声に戻したバニルは、そう言ってズビシと指を突き付けた。対するカズマ、そんなことをしても無駄だとまったくもって動じる気配がない。むしろ、緊張感を持っていたペコリーヌ達が脱力する方である。
「……ふむ。成程、汝に通じるのはこちらの方か」
そんな彼を暫し眺めていたバニルは、何かを納得したように頷くと、再度口角を上げた。
そうした後、己の体となっているキャルのスカートに手を掛けゆっくりと持ち上げる。
「くっ! 卑怯な! 今スティールを使ったら……っ! もうちょい、もうちょいたくし上げて!」
「やった我輩が言うのも何だが、汝は相当駄目だな」
はぁ、とスカートから手を放す。あぁぁぁぁ、と叫ぶカズマを見て満足そうに頷くと、そのまま階段へと歩みを進め始めた。勿論、もと来た道、下りの方である。
「……何してるんですか?」
「だから言ったであろう? そろそろ退散してもらうとな。この体の持ち主はこうでもしないと帰ってくれそうにもなかったのでな。少々手荒な真似をさせてもらった」
そう言いながら帰り支度を進めるキャルボディのバニル。そんな姿を暫し目をパチクリとさせながら見ていた一行は、つられるように帰り支度をし始めた。
なんかもう、いっか。全員の思考が割とその方向へと傾きかけていた。
「うむ。では(待ちなさいよ! ふざけんな!)……む? まさか抵抗するとは。激しい痛みが精神を苛むだろうに、一体何がそこまで突き動かすのやら」
帰ろうとしていたバニルの足がピタリと止まる。やれやれと頭を振りながら、悪いことは言わん、と抵抗せず大人しく帰るよう口にした。
暫しキャルの動きが止まる。バニルが止まっているのか、それともキャルが抵抗しているのか。それは傍から見ている分には何も分からないが、しかし少なくとも抵抗するのは現状あまり得策とは言えないようであった。
「(せめて、せめてあんたに一矢報いてやんないと気が済まないのよ!)成程……だが、頭に血が上ると前しか見えなくなる猪突猛進猫耳娘よ、あまりやりすぎると精神の崩壊を招きかねん。ほどほどにしておくのだな。(なんで張本人に心配されないといけないわけ!?)」
一人芝居のように、一つの体の一つの口から別々の声が出る。そしてそれを聞く限り、なんだかどうしようもないグダグダを見せられている気がしてならない。
どうしましょうか、とペコリーヌが他の面々を見る。どうすると言われましても、とコッコロも目の前の一人芝居状態を見ながら、困ったように首を傾げた。
「とりあえず、こちらでキャルさんを説得することにして、バニルさんには分離してもらってはいかがでしょう?」
「あの状態でキャルが素直に言うことを聞くか? 最悪もう一回バニルに体乗っ取られるぞ」
ちらりとカズマは向こうを見る。こちらの相談を聞いていたのか、バニルはアキノの提案に、出来るならそれでも構わんと述べていた。つまり、現状キャルが納得するかしないかが全てなのだ。
納得しそうにない。それが全員の一致した意見であった。
「まあ、でも、とりあえずキャルちゃんが苦しそうなので出ていってもらえません?」
「本来ならば断って悪感情を頂くところだが、確かに無駄に廃人を作るのは我輩の思うところにはない。いいだろう、城暮らしより冒険者暮らしが板に付いてしまった腹ペコ娘の言に従い、一旦分離を――む?」
がし、と己の仮面を掴んだバニルであったが、何故か怪訝な声を上げた。ミシミシと全力でそれを掴んだキャルの体が、唐突にカズマの方へと向く。鬼気迫るその勢いに、彼は思わず姿勢を正した。
「カズマ、力、よこせ」
「は、はいっ!?」
蛮族のような口調で、キャルの声で。カズマに向かって放たれたその言葉を聞き、彼は半ば条件反射のようにショートソードを構えた。キャルへと線を繋ぐようにし、そしてそこから己の魔力を代償に汲み上げられた女神の加護を送り込む。
「無茶をするな猫耳娘よ。これ以上は本当に――ぬぅ!? これは、女神の力か?」
エリスでもアクアでもない女神の力。それを感じ取ったバニルの動きが一瞬止まる。そしてそれを逃さず、キャルは強化された精神力と肉体で無理矢理バニルの仮面を剥ぎ取った。ブチィ、と何かしてはいけない音が部屋に響いたが、そんなことはお構いなしに、仮面が無くなったことで幽鬼のような目をギョロリとさせながらもう一度カズマを見やる。
怖い。割と本気で彼は思った。そして、その目がもう一発強化しろと述べていたので、残っていた魔力を使って再度スキルを使用する。ふらついた体はコッコロが支え、どこか晴れやかな顔でカズマに肩を貸した。
「抵抗のダメージを故郷のアレよりマシだと割り切った猫耳娘よ、そこまで意地を張る必要はあるまいに。……まったく、これだから人間は面白い」
仮面だけになったバニルが呆れたように、しかしどこか楽しそうに笑う。キャルはそんなバニルの言葉に何も答えず、仮面を力いっぱい投げ捨てた。
そして、杖を構え、魔導書が猛烈な勢いで捲られ。
「……え? キャルちゃん!?」
「消え去れ!」
「キャルさま!? それは」
「な、何をする気ですの!?」
キャルを中心に魔法陣が浮かび上がる。それらは、空中でクルクルと回っているバニルの仮面へと収束し。
「《アビスバースト》ぉぉぉぉ!」
ダンジョンのフロアごと、仮面の大悪魔を吹き飛ばした。
「けほっ……」
随分と風通しの良くなったダンジョンのフロアで、ペコリーヌは辺りを見渡した。咄嗟に回避したのが功を奏したらしく、思ったよりも被害は少ない。きちんと全員無事だ。
魔力が底をついてへばっているカズマと、全力で魔法を使ったのでへたり込んでいるキャルが、恐らく一番のダメージだろう。
「フハハハ……成程、女神の加護を経由することで、爆裂魔法に匹敵するダメージを叩き出すか」
どこからか声がする。視線をそこに向けると、ひび割れ今にも砕けそうになった仮面が、床に転がっていた。体を再構成する気配はなく、仮面も動き出す様子はない。
「まさか……我輩が、な」
どこか感慨深げに、バニルは呟く。それに合わせるように、仮面のヒビが大きくなった。
「何よ……どうせまた嘘だって蘇るんでしょ?」
「時には信じることも必要だぞ、表には出さないが仲間を全面的に信頼している猫耳娘よ。……どうやら、滅ぶ時が来たようだ」
パキン、と仮面が欠ける。それに合わせるように、バニルの声が弱々しくなっていった。
頼みがある、と彼は述べる。自身の体を構成していた土塊、そこに小箱があるはずだ。そう続け、少しだけ寂しそうに笑った。
「奴に渡そうかと思って用意したが、叶わぬようでな……汝らが持っていくがいい」
「……いいんですか?」
「構わん。我輩は悪魔、こういう結末など、常に想定している」
ペコリーヌの言葉にそう返す。ヒビは更に大きくなり、仮面の半分が砕け散る。それを見ていたコッコロが、魔法の余波でボロボロになったフロアを見渡し、先程の土塊から一つの小箱を慌てて見付け出した。
「バニルさま。こちらで、よろしいのですか?」
「うむ……それだ。ダンジョンの秘宝とは比べるべくもないが、我輩を倒した報酬だとでも思うがいい……」
残り半分も亀裂が入る。そろそろ終わりか。そう呟いたバニルは、ここにいる一行ではなく、ここにはいない誰かに向かって話すように、ゆっくりと言葉を紡いだ。
「顔見せに行けず……すまぬな……ウィ」
パキン、と乾いた音を立て、バニルの仮面は粉々に砕け散った。破片となったそれは、そのままサラサラと粉になって消えていく。
既に何も無くなったその場所を、一行は静かに眺めていた。討伐したキャルですら、少しだけ目を伏せている。
「……さあ、帰るか」
カズマがヨロヨロと立ち上がりながらそう述べた。それに他の面々も頷き、今度こそ本当に皆が揃ってダンジョンから帰還する準備をし始める。
そのタイミングで、上階から何かが下りてくる気配があった。何だ、と身構える一行の目の前に、一体のメデューサが現れる。髪の代わりに無数の蛇を生やした女性の姿をしたそれは、カズマ達を見付けると涙目で捲し立てる。
「あんたら! 何してくれてるの!? こんなところで大規模な範囲魔法なんかぶっ放したら――」
塔が揺れた。ひぃ、と怯えるメデューサを尻目に、一行も何となく予想がついて視線を即座に下への階段に移す。
「退避! 退避ぃ!」
「やばいですね!」
「……ごめんなさい」
「主さま! わたくしに掴まってくださいまし」
「急いで脱出しますわよ!」
「もうやだぁ! ダンジョンマスター辞める! 故郷帰るぅ!」
ガラガラと天井が崩れていく最中、五人とダンジョンマスターは全力で塔の入り口まで駆け抜けていくのであった。
「……成程」
ギルド酒場。そこで、新たに見付かったダンジョンがクエスト発令前に崩落したという報告を受けたルナが頭を抱えていた。確かに許可は出しましたが、ここまでやるとは。そんなことを言いながら、盛大に溜息を吐き報告書を机に置く。
そんな彼女の目の前では、キャルが思い切り縮こまっていた。申し訳ありません、と蚊の鳴くような声で謝りながら、一体どんな処罰があるのかとビクビクしている。
そんな彼女に、カリンが声を掛けた。まあ、しょうがないですよと言いながら、もう一枚の報告書を机に置く。
「魔王軍の幹部がいたんですよね? 今まで討伐できていなかった幹部を倒したんですから、そのくらいの被害は許容範囲です」
「まあ、そうなんですけど」
カリンの言葉にルナも同意する。同意はするが、しかしそれで納得できるかといえば答えは否。何より、それが本当に魔王軍の幹部なのか証明する手立てがない。
冒険者カードの討伐欄には確かにバニルの名前がある。あるが、彼女達以外その姿を見ていないのだ。
「正確に把握が出来ないので、暫定の報奨金とクエスト発令前のダンジョン破壊の賠償で差し引きほぼゼロ。ということになりますけど」
「……借金にならないだけ、マシよね」
はぁ、と諦めたようにキャルが溜息を吐く。これで話は終わりか、と問い掛け、頷かれたので彼女は傍らにいた仲間達と共にギルドカウンターを後にした。
やれやれ、とカズマがぼやく。結局手に入っためぼしいお宝はこれくらいか。そんなことを言いながら、小箱を一つ取り出した。
「でもそれは、ウィズさんに渡すんですよね?」
「まあな。……全然知らない相手だったらちょろまかしたんだが」
バニルが死に際に呟いた名前。この街のポンコツ店主という情報と照らし合わせると、まず間違いなくウィズのことだろう。そして彼が今手にしている小箱は、本来彼女に渡すはずのもの。
「わたくしは、主さまのそのお優しいところはとても素晴らしいと思います」
そう言ってコッコロは微笑む。キャルも口には出さないものの、意見は概ね同じであったのでそのままだ。特に彼女は、何だかんだいってもトドメを刺した張本人。今から会いに行くにしても気まずさが物凄い。
「ねえ、カズマ……あたし、間違ってたのかな?」
ぽつりと、そんなことを述べる。いくら悪魔とはいえ、いくら魔王軍の幹部とはいえ、こちらを積極的に害さなかった相手を討伐したのは果たして正しいのか。日にちが経ち、ふと冷静になって、彼女はそんなことを考えたのだ。
「大丈夫ですよ」
「ペコリーヌ……」
「キャルちゃんは、間違っていません。確かに、そんなに悪い人じゃなかったかもしれませんけど。でも、わたし達は冒険者で、バニルさんは幹部だったんです。だから」
「……うん、ありがとう、ペコリーヌ」
そう言ってキャルがぎこちなく笑う。カズマはそんな彼女を見て、調子が狂うなと頭を掻いた。
そうこうしているうちに、ウィズ魔道具店に辿り着いた。小箱を渡すのもそうだが、元々の目的はアキノから報酬を受け取ることである。本来ならば喜ぶべきことだ、よし、と気合を入れると、四人は魔道具店の扉を開け。
「へいらっしゃい! 道すがらシリアスムードを醸し出していた者共よ。確かに演出過剰であったのは認めるが、そこまでされると我輩もちょっとこそばゆいぞ。……おお、これは中々の悪感情、うむ、美味である」
エプロンを付けて店の掃除をするタキシード姿の仮面の人影を見て思い切りずっこけた。いち早く復帰したカズマは、店内を見渡すとウィズとアキノの姿を見付けてどういうことだと詰め寄る。
給仕をしていたウィズは何かありましたかと首を傾げ、紅茶を飲んでいたアキノはカップを置くとゆっくりと口を開いた。
「雇いましたわ」
「ざけんな」
たった一言で返されたので、カズマも思わずツッコミを入れる。視線を再度バニルに戻すと、復帰した残りの面々と共に彼に詰め寄った。何でお前生きてるんだ。言い方は違えど、ほぼ全員質問はそれであった。
「何を言っている。我輩はあの時確かに倒されたぞ。ほれ、よく見るがいい」
そう言って仮面を指差した。額にローマ数字で二の文字が記され、この間とは白黒が反転しているそれを見せ付けると、そういうわけだとバニルはのたまった。
「残機が減って、二代目バニルとなったのだ」
「ざけんな」
カズマのツッコミ再び。それに合わせるように、アキノがこちらへとやって来る。バニルさんは言っていたでしょう、と何故かドヤ顔で語り始めた。
「魔王軍幹部なので、一度倒されなければスカウトは受けられない、と。ですから、この機会を逃さずスカウトしたのですわ!」
「……なあ、ウィズ。このお嬢アホなん?」
「誰が阿呆ですの!?」
「あはは。でも幹部ではないバニルさんは無害ですし、こうしてオーナーに雇われたなら、むしろとても良い人になると思いますよ」
そう言って笑うウィズを見て、カズマはもうどうでもいいやと肩を落とした。コッコロはそういうことでしたらと順応の構えを見せ、ペコリーヌも悪魔って便利ですねと謎の感心をしている。
「何よ……何なのよ! あたしの葛藤どうしてくれんのよ!」
「ドライなようでいてその実感情移入の激しい猫耳娘よ、そういう時は笑うがいい。フハハハハッ! 悪感情美味である」
「こんの……! って、あ、そうだ。あんた生きてるならこれ返さなきゃ」
カズマから受け取っていた小箱を見せる。バニルはしばしそれを眺めていたが、つまらなさそうに鼻で笑った。
「何だ汝ら、それを開けなかったのか」
「ウィズさんと知り合いでしたし、渡した方がいいかなって」
「こちらで中身を確認するわけにもいきませんでしたので」
ペコリーヌとコッコロの返答に、バニルはしまったと頭を押さえる。あの時の演技はやり過ぎたか。そんなことを一人呟いた。
「ポンコツ店主の名前を出したのは失策だったようだ。次は気を付けるとしよう」
「いや、意味分かんないんだけど」
キャルのツッコミに、バニルは彼女の持っている小箱を指差す。それが答えだと言わんばかりであったが、やはり意味が分からずキャルもカズマも、当然ペコリーヌとコッコロも頭にハテナマークが浮かんでいた。
「その小箱は、ポンコツ店主に渡すものなどではない。元から汝らに渡す用だったのだ」
「は?」
「我輩が滅んだように見えた後、少し感傷に浸りながらそれを開けると思っていたのだが。演出に凝り過ぎてしまったのだな」
「だから、どういうことよ?」
「なに、簡単な話だ。我輩が倒れ、今際の際に誰かに渡す筈であったと説明してそれを拾わせる。渡す相手の分からぬその小箱、中身を確かめようと開けると」
バニルが何やら説明を始めた。それに従い、キャルは持っていた小箱を、ウィズに渡さなくてはいけないと大事に持っていた小箱を開ける。
その中に入っていたのは、『スカ』と書かれた紙切れ一枚。
「…………」
「そう、その悪感情が欲しかった! その呆然とする表情が見たかったのだ! フハハハハハッ! やはり汝は素晴らしいな!」
プルプルとキャルが震える。持っていた小箱を握り潰すと、無言で杖を取り出し構えた。
「やめろキャル。ここはマズい! 暴れるなら外だ外!」
「離しなさいよカズマ! 離せ! 殺す! こいつだけは、ぜぇぇぇぇぇったいに、ぶっ殺す!」
「コッコロちゃん。わたし達は報酬受取りましょうか」
「……よろしいのですか? あちらは」
「まあ、アクセルの変人が増えただけですし」
「そう、ですか……」
「はい、やばいですね☆」
アクセルは今日も平和である。
多分みんな予想したオチ