時刻は少し遡る。ベルゼルグ王国、王都にある王城にて、一人の女性が一枚の手紙を読んでいた。そんな女性に声が掛かる。ん、と視線を向けると、全身鎧の騎士が彼女を覗き込んでいた。
「クリスちゃん、どうかした?」
「なんだ団長か。いやなに、我らがボスから『お願い』が届いてね」
そう言ってクリスと呼ばれた女性は手紙をピラピラとさせる。一方の団長と呼ばれた騎士――声からすると女性――は、それを聞くと思わず動きを止めた。表情は見えないが、驚いているらしい。
「ユースティアナ様から? 一体何が」
「ふむ……随分と火急の用事なようだな。見ろ団長、インクが乾ききる前に封をしたせいで所々滲んでいる」
「本当だ。でも、そんなに急がないといけないほどの要件……?」
団長はクリスからその手紙を受け取ると目を通す。本当に急いで書いたのだろう、インクの滲み以外にも、字の乱れが多数あった。
そして、その内容というものが。
「クリスちゃん」
「何だ団長」
「これは、私達が介入していい案件なのかな」
「さてね。ワタシ達は王女様の駒だぞ、お願いされたら断れん」
そう言って笑うクリスを見て、団長は溜息を吐いた。それは本気で言っているのかと問い掛けた。
本気だと思うか? 笑みを止め、しかし口角を上げたままそう返したクリスは、コキリと首を鳴らすと立ち上がった。
「クリスちゃん」
「何だ団長」
「……クリスちゃんが行くの?」
「当然だ。普段スチャラカの仮面を被ったままこちらに頼ろうとしない、あのユースティアナ様がわざわざお願いしてきたんだぞ。楽しいことがあるに決まっている♪」
「そこは、普段頼ってくれない分こういう時は力になってあげようとか、そういう方がいいんじゃないかな」
「ワタシがそんな殊勝な考えを持つとでも?」
そう言って笑うクリスを見ながら、団長は鎧の兜越しに笑みを浮かべた。それは勿論、と楽しそうに言葉を返した。
「クリスちゃんは、案外優しいからね」
「……団長と話していると調子が狂う」
そうは言いつつ、クリスはどこか楽しそうに目の前の鎧騎士を眺めた。
そして現在。カズマ達の牢屋である。ユースティアナ第一王女に頼まれたことでやってきたという説明をした彼女は、改めて名乗っておこうと笑みを浮かべた。
「モーガン家当主、クリスティーナだ。気軽にクリスティーナお姉さんと呼んでくれてもいいぞ☆」
「……えっと、ヨロシクオネガイシマス、クリスティーナさん」
「ノリが悪いな。まあいい」
再度椅子に座ったクリスティーナは、現在の状況とそちらの言い分を纏めておこうとだけ述べるとそこにいた二人へと丸投げした。アキノとダクネスはまあ予想通りだと苦笑し、視線をカズマとキャルに向ける。先程クリスティーナが述べたように、まず必要なのは現状確認だ。大凡の話は聞いてはいるが、それが本人達の認識と一致するかは定かではない。
そんなわけでカズマと、そしてキャルから話を聞いたわけなのだが。
「……」
「……」
二人揃って頭を抱えた。理由は勿論キャルの述べた暗殺未遂の件である。カズマは実行失敗と依頼者がいるという点でどうにか出来るだろうと考えていたのだが、どうやらアキノとダクネスはその意見には賛同できないらしい。
「キャルさん。もう一度お聞きしますが、依頼者の名前も顔も思い出せないのですね?」
「うん。……なんでかは知らないけど、そこだけ都合よく削られたみたいになってる」
「何か呪文なり魔道具なりを使われた可能性もあるか」
ううむ、と暫し考えたダクネスは、とりあえずそこは置いておいてとキャルに向き直った。カズマは実行失敗だと断じた。だが、二人は。
とりあえず依頼の内容は覚えているか。そう尋ねられ、キャルは記憶を探るように視線を巡らせた。
「それも、どこか朧げなのよ……その割には、一歩間違えば王女暗殺になってたっていうことだけは覚えてて」
「あん時の慌てようはそういうことか……」
説明出来ないが、暗殺を疑われることはしている。けど本当は暗殺ではない、説明出来ないが。そうなった場合、平然とするのは無理だろう。
ともあれ、現状覚えている部分だけでも話してもらわないといけない。ダクネスの問い掛けに、キャルは悩みながらもゆっくり口を開いた。
「殺す気は無くて。最悪でも怪我をしてもらう程度、だったかな……。この街で王女が負傷したってことになったら、ここにいる貴族に責任が発生するから、だから……」
本当にこれが覚えている記憶なのか。それすら定かではないが、しかし現状真偽を確かめることなど不可能だ。とりあえずそれが真実だと仮定し、その前提で動くしか無い。
が、しかし、である。キャルの語った覚えている依頼というのは、その通りだとしたら、狙いはむしろ。
「私達か?」
「王女様の居場所を知っている前提で、という注釈がつきますけれど。少なくとも
「あ、ああ。……今でも思い出すと私の趣味ではない胃痛が」
ぐう、と腹を押さえるダクネスを見ながら、アキノはならば該当者は貴族達ではないのかと思考を巡らせる。否、とその答えは弾いた。別に狙いは自分達である必要がない。アキノとララティーナではなく。
「ダクネスさん。あなたのお父様はご存知でしたの?」
「あ、いや、父が承知かどうかは……確か、知っていたはずだ」
「ダクネスさん? あなたまで記憶が朧げですの?」
「いや、そういうわけではない。はず、なんだが」
んん? とダクネスが首を傾げる。そんな彼女を見て溜息を吐いたアキノは、まあいいと話を先に進めた。自分達ではなく、自身の家が狙いならばそれでも問題はないと述べた。
そこでカズマが口を挟む。さっきから気になってたんだけど、と視線をちらりとダクネスに向けた。
「話聞いてると、まるでダクネスもアキノさんと同じように貴族の娘みたいなんだけど」
「ええ、そうですわ。彼女は
ウィスタリア家とモーガン家もその一つ。そして、ダクネスの家も。
はぁ、とダクネスが息を吐いた。バツの悪そうな顔をしながら、まあ仕方ないとカズマとキャルに向き直る。
「改めて名乗ろう。私はダスティネス・フォード・ララティーナ。一応、王国の懐刀とも呼ばれている貴族の娘だ」
「ダスっ!?」
キャルが目を見開く。一方のカズマはアキノの説明以上の知識がないため、そんな大貴族の令嬢の性癖がアレで大丈夫なのかと別の心配をしていた。
深呼吸をして気持ちを整えたキャルは、改めて鉄格子の向こうにいる三人を見やる。王国貴族の中でも群を抜いた資産を持つ大貴族、ウィスタリア家。王国の懐刀であり、清廉潔白を地で行く模範的な貴族、ダスティネス家。そして、家柄や資産もさることながら、その圧倒的な武力で王国に貢献をしている貴族、モーガン家。
言うなれば、金と心と力が一同に介しているのだ。勿論二人は自分から名乗り出てくれたのだろうが、彼女が頼んでいないはずもない。そこまでして、第一王女は自分達を助けようとしてくれているのだ。
「何で、そんな頑張るのよ……。あいつ、そういうの嫌がってたじゃない……」
「決まってるだろう?」
キャルの呟きに、クリスティーナが答える。え、と顔をそちらに向けると、彼女はどこか楽しそうに笑いながらこちらを見ていた。
「うちのボスはな、寂しがりやなのさ」
「さみし、がりや?」
「ああ。自分を見てくれる人がいなくなるのを怖がっているお子様だよ。……あー、駄目だな、団長がいないと訂正されないからつまらん」
「は、はぁ……」
よく分からないが、とりあえずちょっとした冗談であったようだ。まあ、あながち冗談でもないがな、とクリスティーナはウィンクしながら口角を上げた。
そうして一度息を吐くと、彼女は改めてそれを口にした。あまり自分の柄じゃないのだが、と肩を竦めながら前置きをした。
「友達を助けたいのだろう」
「え? ……とも、だち?」
「ボスの前でそれは言ってやるなよ、泣くぞ」
「ち、ちがっ! 別にあいつとあたしが友達だってことを否定したわけじゃなくて、むしろ逆っていうかあたしあいつに友達だって思われてたんだとかそういう」
「やれやれ。面倒でやかましいお嬢ちゃんだ」
椅子から立ち上がったクリスティーナは、アキノとダクネスに割り込むと、方針は決まったかと問い掛けた。問われた方は、とにかく依頼者を見付けるしかないとあまり具体的な案が出せず頭を掻く。
「成程。では、お姉さんからのアドバイスだ。さっき言っていたこの件で被害を受ける貴族、忘れてはいけないやつがいるだろう?」
「へ?」
「……アルダープか」
アクセルの街の領主アルダープ。街で王女が危害を加えられたとなったら、責任からは逃れられない立場にいる貴族の男の名前がそれだ。もっとも、犯人が明確に分かれば話は別だが。
「ここでカズマ達が犯人として裁判で有罪になれば、アルダープは汚名返上。一方の私達は」
「犯人との繋がりを疑われ、立場が非常に悪くなりますわね」
だが、それは何かを疑うというものではない。この状況ならばそうなるだろうという単純な予想で、何より最終的にプラスが上回るだけでマイナス部分も相当なものだ。好き好んでそうなるはずもなし。理由は大体そんなもっともらしいものが出来上がる。
やれやれ、とクリスティーナが頭を振った。そうしながら、とりあえず手近にいたダクネスをぶん殴る。盛大にぶっ飛んだ彼女は、警察署の壁に激突してバウンドした。
「馬鹿者。お前達まで迷ってどうする」
「けほっ……な、何故いきなりこんな強烈な……ふぅ」
「クリスティーナさん、ダクネスさん、悦んでいますが……」
「だろうな。まあ、ちょっとしたお茶目だ。気にしなくていい」
えぇ、と牢屋の中の二人はドン引きする。ダクネスだったからよかったものの、あれは明らかに人が死ぬ一撃だった。キャルが食らったら最悪内臓を撒き散らす。
そんなカズマとキャルを見て笑うと、クリスティーナは問い掛けた。二人、ではなく、正確にはカズマを見た。
「さて坊や。何故ワタシはダスティネスを殴ったと思う?」
「え? ……そういう趣味じゃ?」
「確かにワタシは暴力が好きだが、一方的過ぎるのはつまらん。ワタシはな、殺し合いがしたいんだ。抵抗してくれないと困る」
「え? 何この人……バーサーカーかなにか?」
思わず視線をアキノに向けるが、無言で頷いたのでカズマは諦めることにした。この場にいる大貴族は、うち二人がドMとバーサーカーらしい。彼の中で希望が急激に潰えていく気配がした。
「それで、坊や。答えは出たかな?」
「え? いやだから……」
言葉を止める。先程の答えでは不正解だと遠回しに言われていたからだ。目の前の彼女は檻の外にいるが、こちらに手を出さないとは限らない。裁判で死刑になる前に牢屋の中で弁護人に殺されるとか割と洒落にならない結末を想像し、カズマは顔をひきつらせた。
そうしながら、彼は彼なりにこれまでの会話を纏めていた。そして、気になっていた違和感についてを口にする。
「さっきから、なんかどうも……結論ありきで話をしてないか?」
「はい?」
「どういうことだ?」
アキノと落ち着いたダクネスがカズマを見る。二人に視線を向けられた彼は、ちょっと言い方が違うかもしれないと頬を掻き、違う言葉を探る。
「都合のいい方向に答えを出してる。これだ。二人共、なんか都合よく話進めてないか?」
「何を言っているのか、意味が分かりませんわ」
「ああ。カズマ、お前は何を言いたいのだ?」
首を傾げる二人。カズマの隣では同じように訳分からんとキャルが背景を宇宙にしながら無言で佇んでいた。楽しそうに笑っているのはクリスティーナのみ。
自分でも確かに何を言っているのかよく分かっていない。何となくおかしい、という程度で、実際にはおかしくないのかもしれない。ひょっとしたら逆で、おかしいのは自分だけなのかもしれない。
それでもカズマは、この直感を信じて口にした。
「どうも上手く進み過ぎてる気がするんだよ。キャルの話で狙いがアクセルの貴族だってなって、そこから個人じゃなくて家そのものが狙いだって言い始めて、そこで都合よく忘れてた領主の名前が出てきて」
事態を起こす理由がないと、まるで擁護するように話を進めた。一瞬怪しいのではないかと浮上したにも拘わらずだ。
「二人共、きっとあの後その領主は違うって前提で話進めようとしてただろ」
「え? そう、ですわね」
「まあ、個人的感情を持ち込むわけにもいかんしな」
頷く。が、どうにもよく分かっていないようで、横で宇宙になっているキャルよりはマシ程度の感想しか彼は抱けない。
パチパチパチ、と拍手をする音が響いた。クリスティーナが楽しそうに笑いながら、手を叩き一歩前に出る。
「やるじゃないか坊や。オマエはあれか? 頭の回転で敵を倒すタイプかな?」
「誤解だ誤解。というか、この場合は俺よりも、みんながおかしいだけじゃ」
「その通り。そこの連中は、何かしら認識を捻じ曲げられている。誰かさんの都合がいいようにな」
「え?」
「な!?」
クリスティーナの言葉に、アキノもダクネスも目を見開く。そうしながら、自分の発言や行動を思い返してみたものの、心当たりがさっぱり見付からなかった。
が、その言葉が一体何を意味しているのかは分かる。そこの連中、に誰が含められているのかは、認識できる。
「……あたし?」
視線が一斉にキャルへ向く。ビクリと宇宙から舞い戻ってきたキャルは、どうやらこの話の中心がいつのまにか自分になっていることに気付き目をパチクリとさせた。
「オマエは相当捻じ曲げられているな。今回に都合よくなるように仕立て上げられたか。……いや、これはこれは」
じ、っとキャルを見ていたクリスティーナが笑い出す。楽しくて仕方ないとばかりに大笑いをしていた彼女は、先程とは違い軽く小突く程度にアキノとダクネスに拳をぶつけた。
「何を呆けている。やることは決まっただろう? ほれ、さっさと動かんと時間がない」
「え? あ、はい。……そうですわね」
「確かにそうだな。……そうだな」
クリスティーナの言いたいことを理解したらしい。アキノもダクネスもキャルをちらりと見ると、表情を引き締め姿勢を正す。もう暫く待っていてほしい、そう二人に述べ、踵を返した。
そんな二人を見送ったクリスティーナは、では自分も行くかと伸びをする。
「ああ、明日行われる取り調べだがな。このワタシがついていってやるから安心するといい」
「あ、はい」
「大丈夫かよ……」
カズマの呟きに、心配するなと彼女は笑う。最初に言ったが、職務には忠実だからなと述べ、そして。
「きっと、この報告でユースティアナ様はお怒りになるぞ☆」
何が楽しいのか、とても弾んだ声でそう続けた。
激おこぷんぷんペコ