まあいっか、な夢パート。
「おはよう♪」
「……」
朝のまどろみの中、和真の耳元へ声が届く。誰だろう、聞き覚えのない声だ。そんなことを思いながら、しかし眠気には勝てず再び思考は海の底へと。
「こ~ら、二度寝はダメだよっ」
てしてし、と額を突かれる感触がした。そのむず痒さに身悶えるが、体は上手く動いてくれない。なんだろう、まるで上に何かが乗っているような。
「あれ? ほんとに寝ちゃった? もう、おーきーなーさーい」
ゆさゆさと身体を揺さぶられる。いいじゃないか、どうせ自分は引きこもり、朝に起きる必要など無い。そんなことを考えつつ、和真は妨害にも負けず惰眠を貪ろうと。
「しょうがないなぁ……。いい加減、起きないとダメだ……ぞっ☆」
鈍い音。というよりも轟音が脳内を駆け巡った。衝撃が身体を貫通して枕を吹き飛ばすが如し。危うくそのまま脳ミソがプリンシェイクになる可能性すらあった。
寝る、という選択肢がこれにより潰され、和真の出来ることは起きるか永眠するかの二択となる。
「……おはよ、う!?」
「はい、おはよう」
しょうがない、とゆっくり目を開けた和真は、その眼前に美女の顔がどアップになっていたことで目を見開いた。瞬時に覚醒し、そして思わず自分の下半身を意識だけで確認する。
「大丈夫だよ。弟くんは、今日も元気だったから」
「――」
何一つ大丈夫じゃない。一体全体ナニを確認されたのか口にするのも憚られるが、とにかくまったくもって大丈夫じゃない。がばりと起き上がると、きゃん、と可愛らしい声を上げて自分の上から転げ落ちる美女を見ながら、和真は思い切り深呼吸をした。
「どうしたの? 別に気にすることないじゃない」
「気にするわ! まったく……」
はぁ、と溜息を吐いた和真は、立ち上がる彼女を見て頭を掻く。この人はいつもそうだ。もう年頃だというのに、昔から変わらない距離で接してくる。自分だって既に十六歳、子供と呼ぶには少し成長してしまっているのに。
そんなことを思っても、それを口にしても。彼女は笑顔で大丈夫だと述べるのだ。だって、といつもの言葉を口にするのだ。
「私は、和真くんのお姉ちゃんだからね」
「……はいはい」
まったく、と和真は苦笑する。朝ごはんを食べようか、と微笑む彼女に返事をすると、とりあえず着替えようと服を。
「……」
「どうしたの?」
「いや、俺着替えるんだけど」
「ん? あ、手伝う?」
「出てけっつってんだよ!」
「今更でしょ? 私は気にしないな」
「俺が気にするの! お姉ちゃんだって俺がいたら着替えとか」
「別に気にしないよ?」
本気の目であった。売り言葉に買い言葉、とかそういう次元ではない表情であった。何言ってるの当たり前じゃんという顔であった。和真はそこで言葉を止め、俺が気にするのでお願いしますと頭を下げる。しょうがないなぁ、と彼女は微笑み部屋のドアへと手を掛けた。
「もう、何やってるんですか! 朝ごはん冷めますよ!」
そのタイミングでドアが開く。和真より年下の、左右に髪を輪のように結んだ可愛らしい美少女は自分怒ってますと言わんばかりの表情で和真の部屋に突入してきた。
「あれ? お兄ちゃんどうしたんですか?」
「へ?」
「いや、何でお前いるのみたいな顔してましたから」
「……何でお前いるの?」
「酷くないです!? 今日は用事もないから朝から一緒ですって昨日言ったじゃないですか!」
「そうだったっけ?」
「どうだったかな?」
「二人して!?」
うがぁ、と叫ぶ美少女。そんな彼女を見てごめんごめんと謝った和真は、すぐに行くから待っててくれと続けた。ぶすぅ、と膨れっ面ではあるものの、分かりましたと彼女は素直に部屋を出ていく。
「静流お姉ちゃんもですよ! ほら、早く!」
「はいはい。じゃあ、下でね」
ひらひらと手を振る静流を見ながら、和真は小さく溜息を吐く。まるでずっと前からそうだったかのような、この日常。でも、これは。
「迷惑掛けてるな……」
確かに、元々あの二人はそういうところがあった。世話焼きで、度々起こしに来て、ご飯を作ってもらって、そして一緒に学校へ行って。でも、今とは違った。
そうなった理由は、あの時の。
「あー、やめやめ。飯食おう飯」
寝間着代わりのジャージを手早く着替えた和真は、何かを振り払うように頭を振ると部屋を出て階段を降りていった。
「アクア」
「んー?」
「なにこれ?」
アメスの空間。そこでカズマの夢を覗いていたアメスは、繰り広げられる光景を見てそんなことを呟いた。一方のアクアは、アイスを食べながら別にこんなもんでしょと返事をする。
「人ってのは、何かしら過去にしがらみがあるもんよ。あの時こうすればよかった、って。この子もそうなんでしょ。あの突拍子もない要望も、そんな意味があったのね」
シャリ、とアイスを齧りながらアクアが述べる。向こうでの未練を断ち切るという意味では、中々いいんじゃないか。そんなことを思いながら笑みを浮かべ、隣のアメスを見やり。
普段より更に無の表情をしていることに気が付いた。
「どうしたのよ?」
「……カズマのあれに、そんな意味はなかったわ。あたしの夢の土台も、別にそこには全く触れてないし」
「え? だったらあの、カズマだっけ、の潜在意識とかそういうのじゃ」
「確かに多少はあったかもしれないけど……ここまであからさまなのは流石におかしい」
「……じゃあ、何で?」
棒だけになったアイスをガジガジやりながら、アクアは目の前に映る光景を眺める。
カズマの血の繋がらない戸籍上も関係ない姉を名乗る美女は、彼の過去から現在までを熟知していて、傍に寄り添い包み込んでいる。そして血が繋がっていない妹だという少女も、カズマと共に時には笑い時には悩み、一緒に歩んでいっていた。
どう考えても、彼の願望か、あるいはあの二人が元々そういうものであったとしか思えない。
「……アクア」
「私のせい!? 何でよ!? 別に私変なことしてないでしょ!? そこにいる二人はきちんとしたアクシズ教徒だし、ついでにいうなら実力だって高いわ。知ってる? 今のアルカンレティアってば超強くてね、魔王軍幹部だって単騎なら跳ね除けちゃうくらいなんだから!」
胸を反らし、物凄いドヤ顔でそんなことをのたまうアクア。それを話半分で聞いてはいるものの、そこにある不安はどうにも拭えない。そもそもそれだけの力があるなら魔王軍の脅威はとうに去っているだろう。
それはそれとして。実力云々はどうでもいい。問題は、二人の気質だ。
「だから心配ないって言ってるでしょ? 私の可愛いアクシズ教徒よ? 問題なんかあるわけないじゃない」
「現状で問題発生してるのよ」
「だから、それはカズマが悪いんでしょ? あんなこと言っといて実は結構気にしてたんじゃないの? 小さい頃結婚の約束をした幼馴染がいつの間にか不良と付き合ってたとか、思春期だと大ダメージだものね」
分かる分かる、と頷いているが、多分こいつ分かってないなとアメスは思う。そもそも、カズマはそういうのは恐らく心の内に秘めるタイプだ。だから自分から話さなければ表面には出ないし、こんな実況されるような状況で吐き出すわけがない。
「ねえ、アクア」
「んー?」
「あの二人、実は本当にカズマの知り合いだったりしない?」
「そんなわけないじゃない。これはあくまでそういう夢で、本当にカズマの姉と妹だったりは」
そう言いながら画面を見る。青春学園風景を鑑賞していたアクアは、ふう、と小さく息を吐いた。
「ま、大丈夫でしょ」
「あんた……」
「いやだってしょうがないじゃない! ここまで来たらそうとしか言えないでしょ!? 大丈夫よ、大丈夫大丈夫。まあ最悪カズマに向こうの世界で血の繋がらない姉と妹が出来るだけだから」
「大問題でしょうが! ちょっと上に報告するわよ」
「なーんでよぉ! 私何もしてないじゃない! あの子だって綺麗な義理の姉と可愛い義理の妹が欲しいって言ってたんだし、むしろ願いを叶えたんだから褒められるべきでしょ!? そうよ、良いことしたのよ。結果オーライよ」
ほら見ろ、と向こうの画面を指差す。つられて、アメスもそこに目を向けた。
「どうしたの?」
「あ、いや」
「……あの子、目で追っちゃった?」
「……」
和真は口を噤む。何も言いたくない、とばかりのそれを見て、静流は眉尻を下げた。一歩彼に近付くと、そのままゆっくりと抱きしめる。
ごめんね。そう言って、彼女は彼の頭を撫で続けた。
「私は、こんなことしか出来ないけれど。……でも、約束する」
「……」
「私は、絶対に、何があっても。弟くんのお姉ちゃんだから」
だから、泣かないで。そう言って静流はゆっくりと彼を撫で続ける。和真が落ち付くまで、ずっと。
そのままどれくらい経っただろうか。ゆっくりと彼女から離れた和真は、バツの悪そうにそっぽを向いた。恥ずかしい、と呟いた。
「いいんだよ。だって私はお姉ちゃんだもの。弟が甘えるのは、当然の権利なんだから」
ね、と静流は笑みを浮かべる。和真はそんな彼女を見て、どこか照れくさそうに頬を掻いた。
そのまま暫し無言で道を歩く。あ、と静流が声を上げたので視線を向けると、そこには彼女と対になるもう一人の。
「璃乃ちゃん。今日は早いんだ」
「補習も部活も無かったんです。だからお兄ちゃん、静流お姉ちゃん。一緒に帰りましょう!」
「お、おう」
「どうしたんですかお兄ちゃん。鳩が吊り天井食らったみたいな顔してますよ?」
「豆鉄砲だよ」
ほんの少し重くなった空気を霧散させるような彼女の言葉に、和真は思わず笑ってしまう。横の静流もクスクスと微笑み、何だか分からないけど馬鹿にしてますねと璃乃は頬を膨らませた。
そんな彼女を宥めつつ、三人は揃って道を行く。どうせなら、と少し寄り道をしながら、色々なことを吹っ切るように。
「そういえばお兄ちゃん。最近仲が良い女の人いますよね?」
「へ? そうだっけ?」
「とぼけても無駄だぞ☆ お姉ちゃんはお見通しなのだ~」
す、と人差し指を立てて、でも、と静流はそれを唇に持っていく。その仕草がどこか色っぽく、和真は思わずゴクリと喉を鳴らした。
「小学生は、流石にアウトかな……」
「いや違うよ!?」
「じゃあ、残りの二人ですか?」
「残り二人って言われても」
片方はタダの腹ペコだし、もう片方はどっちかというと悪友とか近所の野良猫に近い。二人の言うような関係かといえば、決してそうじゃない気がする。
しかし、それはあくまで今は、だ。目の前の二人との関係のことを考えると、後々そうなる可能性もないことは。
「……あるのか?」
「ありますね」
「あるね」
うんうん、と二人して頷くのを見て、和真は視線を逸らし頭を掻く。何だか恥ずかしい。それはそういう可能性を示唆されたことなのか、それとも。
この姉と妹にも、その可能性を感じたことなのか。
「……大丈夫、みたいだね」
「へ?」
「お兄ちゃん、今日はちょっと元気なかったですから。あの人絡みかなって思ってたんですけど……図星だったみたいですね」
「あぁ……それはまあ、もういいんだ」
静流に慰められ、璃乃にも気を使ってもらって。これで大丈夫じゃないだなんて言えるはずがない。ありがとう、と二人に礼を述べると、気にするなと返事が来た。自分達は、お姉ちゃんなんだから、妹なんだから。そう言って、揃って微笑む。
「ちなみに、私の大丈夫みたいは、弟くんの次の恋についても指してるんだよ」
「新しい恋。雨降って時間が余るってやつですね!」
「『雨降って地固まる』って言いたいんだよね?」
「ほらほら。どうよどうよ? いい感じになってない?」
「……現状は、よ」
「何々? 負け惜しみ? 夢の女神のくせに私に負けちゃったもんだからそんなこと言っちゃった? プークスクス、ごーめんなさいねぇ、私ったら万能の女神なもんですから!」
はーっはっはっは、と勝利宣言をぶち上げるアクアを見ながら、アメスはやれやれと溜息を吐いた。こいつがこうなっているということは、多分この後碌でもないことが起きるな。付き合いも長いので大体予想が出来てしまう自分が少し嫌になりながら、まあでも、と彼女は画面を見た。
「これで本当にカズマが楽になるのなら、確かに結果オーライかもね」
クスリと小さく微笑むと、そろそろ目覚める時間ねとアメスは自身の空間に設置してある時計を見た。アクアに声を掛け、自分達も戻るぞと言葉を続ける。
「はいはい。あ、ここ割と便利よね。また何かあったら私も使わせて」
「……使用料金、取るわよ」
「うわケチ、そんなんだから信者が雀の涙なのよ。もっと私を見習って大胆に生きなさい大胆に!」
「今日のこと、上に報告を」
「分かった払う、払います。だからそれだけはご勘弁をぉぉ!」
瞬時に泣きつくアクアを見ながら、アメスはもう一度溜息を吐いた。そうしながら、もう一度カズマを見やる。
とりあえず苦情はアクアへ、と言っておこう。彼女はそう決めた。
夢パート終了、いざアルカンレティア……?