「では、説明をお願いします」
そう述べる上司への連絡係を見ながら、正座させられているアクアとアメスはお互いを指差した。こいつが原因だと断言した。
「アメスが」
「アクアが」
あぁ? と睨み合う。そんな二人を見た連絡係は、もういいとばかりに持っている書類に処罰の決定を記入し始めた。それを見て、アクアもアメスも慌てて待った待ったとそれを止める。
「そもそも、何がどうなって怒られてるのか分からないんですけどー!?」
「理由は分かってるでしょうに……。でも、別にあたしは報告してないし」
「私が自分から報告するわけないじゃない! 何なの? バカなの?」
二人のやり取りを連絡係はじっと見守る。終わりましたか、と一段落した辺りで尋ね、では改めてと先程の書類の記入を消しながら言葉を紡いだ。
「先日、件の世界にて因果律の捻じ曲げが発生しました」
「は?」
「え?」
連絡係の言っている世界とは当然、日本から転生者を送っている、魔王軍が幅を利かせているあの世界のことだ。そこで、大規模な因果の改変が行われたらしい。
対象はアルカンレティアのとある少女二人。顔も名前も、勿論二人は知っていた。
「……アクア」
「私じゃないわよ! 大体あのシチュエーションだって私がやったわけじゃないし! あれでしょ? カズマでしょ? なにやってんのよあのヒキニート!」
「使用された女神の力は紛れもなくアクア様のものです」
「なぁんでよー! 私何もやってないってばー!」
連絡係の言葉を聞いてアクアはわめく。本当に、正真正銘に、彼女には覚えがないのだ。アクアの表情を見る限り嘘は言っていない。アメスもそれはよく分かるので、ちょっといいかしらと連絡係に物申した。
「それは本当にアクアがやったの?」
「いえ。使われた力はアクア様のものですが、使用者は違います」
「ほーらそうじゃない! 私何も関係ないでしょってえぇえぇぇぇ!?」
その言葉を聞いて一転、顔を輝かせたアクアであったが、次の瞬間その事実に気が付き叫び声を上げた。その言葉が真実ならば、女神の力が本人以外に使われたことになる。
「どういうことよ! 私の女神パワーを無断で使うなんて何たる罰当たり、この女神の拳で神罰を」
「無断? 許可はちゃんと出てますよ?」
「……はい?」
怒りの表情からキョトンとした顔に。本当にコロコロ変わるな、と横で見ていたアメスは思ったが、とりあえず巻き込まれるのが嫌なので何も言わない。ちょっとカズマに似てきたかも、と彼女はほんの少しだけ口角を上げた。
「使用したのはアクシズ教徒の二人で、アクア様からの加護も深く与えられています。よって、力の行使も無断ではないと上は判断しました」
「それは屁理屈でしょ! 私がいいって言わないと許可なんか降りてないも同義よ! 詐欺よ詐欺! 訴えてや――」
「内容は、『サトウカズマの義理の姉になる』『サトウカズマの義理の妹になる』の二つです」
「――ろうかと思ったけどまあ今日はこの辺で勘弁しといてあげるわ」
アメスもさっと視線を逸らした。やったのは間違いなくあの二人だ。どうやら思った以上にブラコンをこじらせていた上に世界の理を書き換えるレベルであったらしい。しかしまさか自身が崇める女神の力を使ってまでとは。
そこまでを考え、そして気付く。ああ、つまりあの夢はやはりカズマが主体ではなく。
「……カズマ、ごめんなさい」
夢の女神は無力だわ。今ここにいない加護を与えた勇者候補に謝罪をしながら、彼女は暫く彼の監視を強化しようと心に決めた。
アクアは始末書を二枚、書く羽目になった。
アクセルの街から、アルカンレティアまでは大体一日半。テレポート屋を使えばすぐだが、旅行にそれは風情がない。そんな理由からか、チケットの無料券は馬車であった。
その代わりと言ってはなんだが、グレードはお好みで選べるようになっている。
「ふぁぁぁぁぁ。朝一は眠いのよねぇ……」
「キャルさまは朝が苦手でございますから」
うつらうつらと船を漕ぐキャルを、コッコロが先導する。そんな二人の前には、ペコリーヌが並んでいる馬車を眺めていた。乗り心地のなるべくいいものを選定するつもりらしい。
「分かるのか?」
「ふっふっふ。わたし、こう見えて色々渡り歩いてましたからね。このくらいお茶の子さいさいですよ」
そんな彼女の隣でカズマがそう問い掛けるが、何やら自信がある様子。そういえば最初に出会った時にそんなことを言っていたな。記憶を辿りながら、彼はペコリーヌの背中をぼんやりと眺めた。
そうしながら、記憶か、と一人呟く。
「なんだったんだろうな、あれ」
アメスに見せられた夢。それは、自分のトラウマとも言える出来事を乗り越えた世界。自分の味方になって支えてくれた相手がいた世界。ちょっとしたリクエストだったはずが、想像以上に様々なオプションが付いてきた感が満載であった。
とはいえ、あれは所詮夢だ。実際にあんな優しく綺麗な姉代わりと元気で可愛い妹代わりがいたならば、カズマは引きこもりなどしてないしそもそもここに転生していない。まあ今も割と満足しているのだから、向こうでも満足していたと思い込むくらいで丁度いいかもしれない。そう結論付け、これですこれ、とこちらに手を振るペコリーヌに意識を戻した。
そうして旅行券によってタダになった馬車へと乗り込んだ四人は、ガタゴトと揺られながら街を出た。自信満々に選んだだけはあり、ずっと座っていても尻が痛むなどということもない。変わっていく景色をのんびりと眺めながら、これからのことに思い馳せる余裕もある。
「最近はずっとアクセル暮らしでしたからね。何だか久しぶりですね」
窓の外を見ながらそんなことをペコリーヌが呟く。旅に慣れているとはいえ、そういう部分は多少あるらしい。そんなもんか、とカズマが尋ねると、はい、と笑顔で返された。
「それに、こうやってお友達と旅行するっていうのは初めてですから!」
「はい。わたくしもでございます」
彼女の言葉にコッコロも笑顔で頷く。そしてもう一人はというと、馬車が出るなり夢の世界へ旅立っていったためここには不在であった。コッコロの膝枕で幸せそうに寝ている姿は、ほぼ家猫である。
「カズマくんは、どうです?」
「ん?」
「こういう旅行って、意外と行ってたりとか」
「ねーよ。精々家族旅行くらいで、こうやって仲間内で旅行に行くのは初めてだよ」
「そうなのですか」
「えっへへ。じゃあわたし達がカズマくんの初めての相手なわけですね。やばいですね☆」
吹いた。そして盛大にむせた。肝心のツッコミ役であるキャルが睡眠中のため、ダイレクトにカズマへと届いてしまったのだ。何言ってんだこいつ、という目でペコリーヌを見たが、気付いていないのか彼女はどうかしたのかと首を傾げている。勿論コッコロがいる以上、ここで自分がどういう誤解をしかけたのか説明することなど出来はしないわけで。
はぁ、と盛大に溜息を吐いたカズマは、もういいですと視線を窓の外に向けた。
「何だあれ?」
「どうされました? 主さま」
「いや、向こうになんか変なのが」
あれあれ、とカズマが指差した先には、何やら盛大に砂が吹き上がっているのが見える。噴水のようなそれは、こんな場所ではある意味不思議で、ある意味幻想的でもあった。
「ふぁぁぁ。どうしたのよ……」
そんな声と音を聞いたからか、もぞもぞとキャルがコッコロの膝枕から起き上がる。迷惑かけたわね、と彼女に謝ると、そのままカズマの指差した方へと視線を向けた。
「砂くじらじゃない」
「砂くじら? こっちじゃクジラが陸にいるのか?」
まあサンマが畑で取れる世界だからそんなもんか。そんなことを思いながら一人頷いたカズマは、ということはと噴水のように吹き上がる砂を改めて眺めた。
「あれ潮吹きか」
「砂吹きよ砂吹き」
「久しぶりに見ましたね~」
ペコリーヌも砂くじらのそれを見ながらそんなことを呟く。キャルはそこまででもないのだろう、別段何か感想を言うわけでもなくぼんやりとそれを眺めていた。
そして、最後の一人は。
「……」
「コッコロ? どうした?」
「あ、はい。申し訳ございません主さま。わたくし、砂くじらの実物を見るのが初めてだったもので」
「そういやコロ助、田舎の村からアクセルに来たって言ってたものね」
「そうですそうです。コッコロちゃんも初めてなんですよ。やばいですね☆」
「言い方」
よかった、今度はツッコミがいた。カズマはそんなことを思いながら、感嘆の表情で砂吹きを眺めるコッコロを見やる。普段自分の世話をしている時とは違い、何だかとても年相応の姿に見えて。
「あ、主さま!?」
「あ、悪い。つい」
「い、いえ……大丈夫でございます」
思わず頭を撫でていた。年下に、弟にやるように。コッコロは女の子だから妹だよな、とどうでもいいことを考えながら。
「……ん?」
「どうされました?」
「いや、何か寒気が」
妹はコッコロではない。そんな謎の警告がカズマによぎった気がした。
馬車に揺られ一日半。道中色々なものを見ながら辿り着いたその場所が、水と温泉の都アルカンレティア。
その名の通り、澄んだ湖と温泉が湧き出る大きな山に隣接して作られたこの街は、いたるところに水路が張り巡らされている。水の女神アクアのパーソナルカラーである青を基調とした色で統一された街並みは美しく、活気に満ち溢れていた。
「へぇ……」
「わぁ……」
カズマとコッコロが到着したその街を見て思わず声を上げた。アクセルの街と比べると、平穏で、そして観光地に相応しい華やかさがある。いかにも旅行に来た、という感じに、カズマはついついテンションが上ってしまう。
「平和、ですね」
「……まあね。ここは魔王軍も滅多に来ないし」
ペコリーヌの呟きに、キャルがそんな言葉を返した。この街が平穏な理由は諸説あるが、主に三つ。プリーストを多く抱えるから戦い辛い。水の女神アクアのお膝元なので加護が強い。
そしてもう一つは。
「あら?」
「っ!?」
ビクリとキャルの体が強張った。聞こえてきた声に聞き覚えがあったらしく、小刻みに震えながら何で初っ端にと呟いている。
そんな彼女の様子に尋常じゃないものを感じたのか、三人は視線をそちらに向けた。頑なにキャルが振り向こうとしない方向へと向けた。
「久しぶりねぇ、キャル」
「……お、久しぶり、です」
決して振り向かない。振り向いたら終わりだ、と言わんばかりに、彼女は振り向かない。
そこに立っていたのは、一人の獣人族の女性であった。年齢はカズマ達よりそこそこ上であろう。狐を思わせる耳、左右の端を束ねた長い銀の髪、そして巫女服を思わせる服装。
そんな彼女は、自身を見ないキャルを視界に入れ、その口元を三日月に歪めていた。
「誰にも、何も言わずにいなくなったから、心配していたのよ」
「……はい」
「どうして急にいなくなったの? この街が、そんなに嫌になったのかしら」
「……そ、れは」
「いけない子ねぇ、キャル……」
ひっ、とキャルが息を呑むのが分かった。明らかに怯えているのが分かった。
だから、だろうか。そんな二人に割り込むように、ペコリーヌとコッコロが立ち塞がる。おい待て、というカズマの声など聞いちゃいない。真っ直ぐに獣人の女性を睨んでいる二人を見て、ああもうとカズマもそこに並んだ。二人と違って明らかに争う気ゼロである。
「あなた達は……?」
不思議そうな顔をして女性は三人を見やる。どうやらいきなり襲ってくるような相手ではなかったことに安堵したカズマは、ほれ自己紹介と二人を宥めた。
「あーっと。俺はこいつの、キャルのパーティーメンバーで、カズマといいます」
「キャルさまのお仲間で、コッコロと申します」
「キャルちゃんのお友達の、ペコリーヌです」
「仲間? キャル、あなた、冒険者になったの?」
女性が少しだけ目を見開き、振り向かないキャルに問う。その質問に小さくはいと返した彼女は、少し震える声で、ですから、と言葉を続けた。
「あたしは、もう……ここには帰りません」
「……本気かしら?」
「はい。――あたしはもう、アルカンレティアのアクシズ教徒キャルじゃない。アクセルの、カズマとコロ助とペコリーヌのパーティーメンバー、アークウィザードのキャルだから」
いつの間にか震えは止まっていた。ぐ、と拳を握り、彼女はゆっくりと振り向く。そして女性の目を見て、キャルははっきりとそう言った。
女性はじっとキャルを見る。そして、そんな彼女を守るように立っている三人を見る。
ふ、と薄く笑うと、少しだけ呆れたように溜息を吐いた。
「随分と、立派になったのねぇ、キャル」
「あ、いや、それは……」
「いいわ。あなたの両親には私から言っておいてあげる。どうせ会いたくないのでしょう?」
「え? ……ありがとう、ございます」
目を見開いたキャルは、女性のその言葉に何やら感じ入ったものがあったらしい。ゆっくりと目を伏せると、深々と頭を下げた。
女性はそんな彼女へ、いいのよ、と笑みを浮かべたまま言葉を返す。
「強くなったあなたへの、ご褒美だもの」
「強く……?」
「ええ。弱いままだったらどうしようかと思ったけれど、これなら、問題ないようねぇ」
「……はい?」
猛烈に嫌な予感がしたキャルは、思わず顔を上げた。実に嗜虐的な笑みを浮かべている女性を視界に入れ、あ、これヤバいやつだと瞬時に判断する。
その後の行動は早かった。即座に反転し、その場から離脱するべく全力で駆け出す。
「そうね。そうなるわよね。――ラビリスタ!」
「ん、出番かな?」
「へ? あひゃぁぁぁぁ!」
突如キャルの足元が隆起し、輿のようなものへと変化した。一見すると何かを祀るように見えるそれはその実彼女を閉じ込める檻でしかない。パニックになっているキャルを余所に、狐耳の彼女と、ラビリスタと呼ばれたもう一人、この街で浮きまくっている真っ赤な服装をした眼鏡の女性がゆっくりとそこへ近付いていった。
「やあ、久しぶり。見違えたよ」
「ここで呑気な挨拶いらないんですけどぉ!」
「元気そうでなによりだ。それでマナ、これからどうするの?」
ラビリスタは女性に声を掛ける。マナと呼ばれた女性は、そんなもの決まっているじゃないとその口元を三日月に歪めた。
「キャルを祭り上げて、こちらの陣営を増やしましょう。さっさとゼスタを退陣させるために」
「そうだね、その通りだ。いやぁ、ナイスタイミングだったよ。実に重畳」
「え? ……どこ連れてくの? ねぇ! ねぇってば! へ、ぇぁ――いやぁぁぁぁぁ!」
あれよあれと言う間に。キャルはラビリスタとマナの二人によっていずこかへと連れ去られていった。三人が何か反応する間もなく。物凄い手際の良さで。
「きゃ、キャルちゃぁぁぁぁん!」
「キャルさまぁぁぁ!」
「……マジかよ」
こうして、四人の旅行の日程は、到着した瞬間に崩れ去るのであった。ちなみにアルカンレティアに足を踏み入れて数歩の出来事である。
――魔王軍がここに攻めてこない理由の最後の一つ。それは、アクシズ教徒に関わりたくないからだ。そう、まことしやかに囁かれていた。
のんびりするのは次回に持ち越し……?