アルカンレティアの一角、街の入口の片隅で、一人の男が忌々しげに街の中を眺めていた。茶髪を短く切り揃えた、筋肉質で背の高いその男は、舌打ちをするとドカリと近くのベンチに腰を下ろす。
「はっ。随分と湿気た面してんじゃねぇか」
そんな男の横合いから声。何だ、と視線をそこに向けると、一人の女性が立っている。黒い髪を肩口で切り揃えた、泣きぼくろが特徴の大人の女性といった雰囲気を醸し出していたその女性は、しかし先程聞こえた口調からすると見た目と言動がどうにもアンバランスであった。
「どうした? こんな場所に用事か?」
「こんなクソみたいな街に用はないよ。目的地の途中にあるから立ち寄っただけだ」
そうしたら見知った顔が落ち込んでたからな。そう言って女性は口角を上げ、対する男は面白くなさ気な表情を浮かべた。ふん、と鼻を鳴らすと、貴様なぞに興味はないと言わんばかりの態度を取る。
対する女性も、まあそうだろうなと肩を竦めると視線を外した。別にこっちも暇じゃない。そう述べると、手にしていた地図で目的地を確かめる。
「……ああ、戦力のスカウトか」
「そういうこった。お前らみたいに規格外の強さを持ってるわけじゃないからな、あたしは」
ふう、と少しだけ眉尻を下げて溜息を吐いた。レジーナ様の加護がどうして分散されてるんだか。そんなことを呟きながら、気を取り直すように頭を振る。
「ついでだから魔王様に報告もしといてやるよ。成果はどうなんだ?」
「……ちっ」
先程よりさらに表情を苦いものに変えた男は、後少しのはずだったんだと零した。
温泉に毒を混ぜ、徐々に汚染させていく。魔王軍幹部としては悠長な作戦であったが、アクシズ教徒と直接事を構えるよりはと気合を入れていた。まずは、と秘湯の破壊工作も完了したと思っていたのだ。
「どういうことだ……急にやりにくくなりやがった」
「バレたんじゃねぇの?」
女性は男にそう返す。ふざけやがって、とベンチを殴り付けながら、彼はジロリと彼女を睨んだ。が、それだけである。自身もその可能性を否定出来なかったので、直接文句を口にするのが憚られたのだ。
「だとしてもだ。動きが早過ぎる」
「……それ、泳がされてたんじゃ」
「そんなはずが……っ!」
くそ、と男は毒づく。そんな男を見ながら、そうでないとしたら、と彼女は考えこむように顎に手を当てた。
今までは何らかの理由で停滞していて、今は十全に動けるようになったからだ。そんな結論を弾き出したが、女性はバカバカしいと切って捨てた。それは結局最初から勘付かれていたのを認めるものだったからだ。
「まあ、ならあれだろ」
「何だ?」
「アクシズ教のトップでも変わってフットワーク軽くなったとか、そんなのじゃねぇの?」
「真面目に聞いた俺が馬鹿だった」
もういい、と男は女性を追い払うように手を払う。はいはい、と女性も渋ることなくそのまま男から離れていった。
そうして女性はアルカンレティアを出る。目的地はここからもう少し先だ。人間の地図には記されていないそこに、新しい戦力となる何かがいるらしい。
「ほんとかねぇ……。ま、いいや。あたしは言われたことをやるだけだ」
そんなことを呟きながら。彼女は先程別れた男のことを考える。随分と苛ついていたようだが、あの調子では。
「……この戦力をスカウトした頃に、枠がまた一つ空白になってなきゃいいけどな」
デッドリーポイズンスライムという種族の関係上、冷静に知略を使うタイプではない。それが仇になりそうな気もしたが、彼女にとっては与り知らぬことだ。精々頑張ってくれや、と心のこもっていないエールを聞こえていない相手に呟いた。
アルカンレティア二日目。カズマのまずやることは情報収集だ。若い女の子に人気の混浴。そんな場所があるかどうかは知らない。が、それでも、彼はそこに広がる浪漫のために踏み出すことを選んだのだ。
というわけで単独行動である。どのみち昨夜のこともあるので、全員で行動していると要らぬヘイトを稼ぐ可能性もあった。とりあえずカズマ一人ならばそこまで気付かれることもないだろう。そう判断したのだ。
「しっかし、改めて見ると」
水の都と称されるだけはある。綺麗に整えられた街並みは、とても住みやすそうに思えた。道行く人々も笑顔で、魔王軍の脅威にさらされているなんて感じさせないほどだ。
来て早々あんなイベントに遭遇していなければきっと誤解したかもしれない。ふう、と溜息を吐きながら、カズマは当初の目的を達成すべく観光案内所でも探そうと視線をさまよわせた。
そうして目が合った街の人々は、こちらに寄ってくると勧誘を始める。あの手この手でアクシズ教に入信させようと迫ってくる連中は中々にホラーであった。とはいえ、その手段自体はよくある詐欺の導入のようなものであったが。ちなみに、彼ら彼女らはエリス教を目の敵にしているものの、それ以外は自分達よりドマイナー宗教と考えているらしい。断る口実にアメスの名前を出してみたが、何だそれという顔をされた。
「そういや、街に来た時もこんなんだったな……」
キャルの情報を集めようとして失敗したことを思い出した。夜の観光は別に何も問題なかったので誤解していたが、あれはキャルがいたからだったのだろう。ならば彼女を連れていけばいいのかと言えば、当然否。その状態で混浴の情報など集められない。というよりそれが出来るなら最初からキャルに聞いている。
「どうするかな……諦めてあいつらと合流する、のも何か負けた気がするし」
そんな彼の足元に何かが転がってくる。ん、と視線を落とすと、そこにはりんごが一個。否、ゴロゴロと落ちていた。それを視線で辿っていくと、あぁー、と紙袋の底が抜けて頭を抱えている少女が見える。左右の髪を一房輪のように結んでいるのが特徴の、可愛らしい少女であった。
まあ足元に転がってきたし、とカズマはそれを拾っていく。どうせまた最終的にアクシズ教の勧誘になるんだろうな、と若干人間不信なことを思いながら、はいこれと少女にそのりんごを。
「あ、どうも、ありがとうございまあぁぁぁぁ!」
「うぉ! 何だぁ!?」
少女が持っていたりんごをぶちまける。そのリアクションにビクリとしたカズマも、持っていたりんごを落としてしまった。結局再び転がったりんごを拾う羽目になり、二度手間となる。
そんな少女であるが、ごめんなさいと項垂れた。
「まさかこんなタイミングで会えるとは思ってもなくて」
「ほーら始まった」
あれだろ、アクシズ教に入信してどうたらこうたらとか言い出すんだろ。そんなことを思いながらアクセルスナギツネのような目になりかけたカズマであったが、少女の純粋な喜び百パーセントの笑顔を見て表情を変える。
「お久しぶりです、お兄ちゃん!」
「……んん?」
どうやら目の前の少女はカズマの妹らしい。そうか、俺にはこんな可愛い妹がいたのか。一瞬納得しかけて、そんなわけないだろと心中でツッコミを入れる。
「どうしたんですか? お兄ちゃん」
「いや、どうしたもこうしたも」
「あ、ひょっとして忘れてます? ……まあ、しょうがないですよね。最後に会ったの、もうずっと前ですし」
ぷくぅ、と頬を膨らませたかと思ったら、すぐにしゅんと項垂れる。コロコロと表情の変わるその姿は非常に可愛らしく好感が持てた。が、それはそれとしてカズマにとって全く覚えのない妹は恐怖以外の何物でもない。
だというのに。心のどこかで、全く覚えがないというそれを否定する何かがある。知らないはずなのに、初対面のはずなのに。これが再会であるということに納得してしまっている自分がいる。
「で、でも。女子は三日会わなければ誰だかわかんないって言いますし!」
「言わねーよ。男子三日会わざれば刮目して見よとか言いたいのか?」
思わずツッコミを入れてしまった。が、それを聞いて少女はパァァと表情を明るくさせる。これですよ、このやり取りです。そんなことを言いながら、彼女はガバリとカズマに抱きついた。りんごがぶちまけられる。三度目だ。
「やっぱりお兄ちゃんはお兄ちゃんですね!」
「訳分かんねーんですけどぉ! あ、待ってちょっと意外とボリューミー」
全く状況を理解できない。カズマが現在分かっているのは、目の前の少女はとりあえずアクシズ教の勧誘とは違う何かであるということと、彼女が可愛いということ。
「リノちゃん」
「――ひっ!」
「買い出しから帰ってこなくてどうしたんだろうって思ったら……もう」
「し、シズルお姉ちゃん!? これは、これは違うんですよ!」
「抱きついたまま言っても説得力はないかな」
そして、もう逃げられないということだ。
今度こそちゃんとりんごを拾い、そのままそれを目的地まで運ぶ。どうやらクレープ屋のようで、このりんごはその材料だったらしい。大分転がっていたが大丈夫なのだろうかと思ったが、この世界の野菜や果物は彼の世界の常識に当てはまらないので問題ないのだろう。
「ごめんね、旅行で来てたのに手伝ってもらっちゃって」
「あー、いや。それは別に」
「ふふっ。……やっぱり変わらないね。弟くんは、昔のままだ」
シズル、と呼ばれた彼女はそう言って微笑む。三編みにした長い髪がその拍子に揺れ、カズマは思わずドキリとした。
が、すぐに正気に戻る。待て待て、と。落ち着け、と。彼の中で警鐘が鳴る。
「昨日も、仲間を助けるためにあんなに頑張ってたし」
「……」
怖い。優しく微笑んでいる眼の前の美人が、凄く怖い。見た目は間違いなくカズマの好みなのに、胸の高鳴りが示すのは恐怖だ。
「あ、あの。何で知って」
「当然だよ。弟くんのことなんだから」
怖い怖い怖い。まず前提条件としてカズマに姉はいない。そもそもここは転生してきた異世界なのだから、それ以前の問題だ。が、目の前の彼女は彼のことを弟と呼んで微笑んでいるのだ。
先程のアクシズ教の勧誘の中で、久しぶりと話しかけてくる手口があった。状況だけならば、口頭で説明するだけならば似ている。が、違う。そういう表面上のそれとは一線を画す何かがあった。本物が存在していた。
「あのー。シズルお姉ちゃん」
「どうしたの? リノちゃん」
おずおずとりんごを仕舞っていたもうひとり、カズマをお兄ちゃんと呼んでいた少女リノがシズルに話しかける。さっき出会った時に話して気付いたんですけど。そう前置きすると、リノは彼女に言葉を紡いだ。
「お兄ちゃん、私達のことあんまり覚えてないみたいで」
あんまり、ではないです。まったくもって知りません。そう言いたいのをぐっと堪えた。言ってもしょうがないし、言ったらどうなるのかが純粋に怖かった。
が、対するシズル。そうだね、と笑顔のままのたまった。
「へ?」
「弟くん、もうすっかり私達のこと忘れてるみたい。もう、お姉ちゃんは寂しいなぁ」
「あ、そうなんですか。知っててその態度だったんですか……」
こころなしか呆れている口調である。どうやらリノの方は、シズルと違って少しは話が通じる可能性がありそうだ。そんなことを一瞬思ったが、こっちも妹を名乗る謎の存在であったことを思い出した。どうやら感覚が麻痺していたらしい。
「大丈夫だよ、リノちゃん。私達が忘れていないなら、もう一度、積み上げていけばいいだけだもの」
「……そう、ですね」
まるで自分が記憶喪失になったかのような錯覚に陥る。ひょっとして本当に、転生した時何か記憶をなくしてしまったのではないか。
だから違う、とカズマは頭を振った。異世界の現地人が昔からの知り合いなわけねぇだろ。そう自身にツッコミを入れた。
「ごめんね、弟くん。再会が嬉しすぎて、お姉ちゃん、ちょっとはしゃいじゃってた」
「いや、それは別に」
違うだろ、と考えはするのだが、どうにも強く出れない。お姉ちゃんという立場が、滲み出るオーラがそうさせるのだろうか。男女平等を謳っていても、姉や妹は別枠なのかもしれない。そんなことをカズマは思う。
「……本当に、変わらない。私の大好きな、優しい弟くん……」
クスクスと笑うシズル。そうしながら、じゃあ改めてと自身を指差した。
「私はシズル。弟くんの、カズマくんのお姉ちゃんだよ」
「リノです。お兄ちゃんの、カズマさんの妹です!」
名前知ってるのは予想してた。まあお姉ちゃんと妹なんだし、知ってて当然か。段々と流され始めたカズマはよろしくと答えるだけに留める。変な勧誘してくる連中と比べれば害はないし、綺麗な義理の姉と可愛い義理の妹が出来たと考えればそれで。
「――あ」
このフレーズついこないだ言った気がするぞ。リノとシズルを見て、あの時の夢を思い出す。似ているような気がしないでもない。
「どうしたの?」
「あ、いや……。あ、あの、シズルさん」
「昔みたいに、気軽にお姉ちゃんって呼んでくれていいのに」
「髪、解いてもらっても?」
「ん? ああ、そういうこと」
それだけで理解したのか、シズルは頭に巻いていたヘッドスカーフを取り外すと、編んでいた髪を解く。ぱさりとロングヘアーが広がるのを見て、カズマの脳裏に浮かんできた光景があった。
約束する、と彼女は言った。絶対に、何があっても――
「どう? これで、弟くんの記憶にあったお姉ちゃんらしくなったかな?」
「……いや、それはどうかな」
「もう、ここは嘘でも同意するところだぞっ」
そう言って笑いながら指で軽くカズマを小突く。痛い、と額を押さえた彼を見て、シズルはその笑みを強くさせた。
「えぇー! 私は! 私はどうなんですかお兄ちゃん!」
「どうって、何が?」
「今シズルお姉ちゃんのことは思い出した感じ出してたじゃないですか」
「だからそもそも記憶にないって」
「……じー」
「睨んだって無いものは無い」
そう言い切ったカズマを見て、リノはニヤリと口角を上げる。とりあえずはそういうことにしておいてあげます、と何故か勝ち誇った顔をした。
まあそもそも、最初に昔のやり取りをやってもらったのは私ですから。ドヤ顔でそう宣言し、横で微笑んでいるシズルに向き直った。
「これでもう昨日の桶がナイアガラといっても問題ないですよね!」
「『気の置けない間柄』って言いたいんだよね?」
家族が増えたよ、やったねカズマくん