「アクア」
「なぁーんでよぉー! 私は悪くない! 私は悪くないから! カズマが望んだんじゃない! 願いを叶えてあげただけよ、どっこも悪い事してないじゃない!」
夢の女神の空間。彼女固有であったはずなのにちょくちょくサボり魔がやってくるようになった女神の作業場。そこでアメスは実に冷ややかな目をアクアに向けていた。
対するサボり魔、もといアクアは全力で否定する。そもそも今ここにいるのは女神として信徒を見守っているので普通に仕事の範疇だと言い張った。この弁明はついでで、本題は今目の前のスクリーンのようなそこで、覗いている件の異世界で繰り広げられている光景についてだ。
「カズマが段々と侵食されている気がするんだけど」
「それは女神として私の方が格が上だから――あぁぁちょっと待って通報しないで冗談だから、じょぉぉぉだんだからぁぁぁ!」
無言で上司へのホットラインを起動させようとしたアメスの足にアクアが縋り付く。はぁ、と溜息を吐いた彼女は、まあ確かに女神の力はそっちが上でしょうけどと零した。
アクアを引き剥がしながら、それでとアメスは答えを待つ。先程のが冗談ならば本当の意見があるはずだ。
「いや、アメスのブロックって基本外部からじゃない? 今回の場合、ぶっちゃけ内部だからしょうがないって部分もあると思うのよ。そもそも、何だかんだカズマもあの一件満足してたっぽいし」
「それは、そうね」
「後なんだっけ? あんたってば好感度高い相手なら許可みたいなのあるでしょ? あの二人、カズマへの好感度カンスト超えてバグってるから」
「……アクア」
「だから違うってば! 何でもかんでも私のせいにすればいいっていう風潮よくないと思いますー!」
文句を言いつつ若干及び腰のアクアを見ながら、アメスは確かにそうかと息を吐く。今回の場合は不幸な事故だ。予想外の事態が起きただけだ。
そう思わないとやってられないのでそういうことにした。
「で、どうするの?」
アメスが諦めたのを察したのか、持ち込んだソファーに寝そべりながらスナック菓子をぱくつきつつアクアが問う。いきなりだらけすぎだろ、とそんな彼女をジト目で見ながら、アメスはそうねと顎に手を当てた。
「……どうにもならないわね」
「そうよね? まあアルカンレティアにいる間は私も一緒に見ててあげるから、それが終わったらお咎めなしってことで、いいわよね!?」
「……何かあったら、手伝いなさいよ」
「分かってるわよー。何だったら今回特別にあんたと同じような加護をぶち込んだって構わないわ!」
ドヤ顔でそう宣言するアクアを見て、アメスは無性に不安になった。とりあえず何も起きなければいいのだけれどと向こう側を見た。
駄目だろうな。半ば諦めるように、彼女はそんなことを呟いた。
「な、なあシズルさん」
「なあに、弟くん」
「も、もう少し離れてくれても」
「だーめ。久しぶりの弟くんだもん、もうちょっとだけ、感じていたいの」
そう言ってぐいぐいと体を押し付けてくるシズルに、カズマは色々と危険が危ない状態である。クレープ屋をあっさりと閉め、服装も店員姿から白いドレス姿に着替えたシズルは、カズマのことなど何でもお見通しとばかりに街の案内を始めた。紹介してくれる場所は成程確かに、カズマが好きそうな、あるいは興味を持ちそうな場所ばかり。アクシズ教の勧誘も、彼女がいるからか発動せず街の連中も活気があるだけの住人と化していた。
正直、いたれりつくせりである。これで文句を言ったらバチが当たるレベルだ。
「どうしたの? 弟くん」
「あ、いや」
「……あれあれ? 恥ずかしがっちゃったのかな? ふふっ、そういうところはまだ子供だなぁ」
クスクスと笑うシズルを見て、カズマはバツの悪そうな顔で視線を逸らした。ここで自分は子供じゃない、と彼女に言うのは簡単だ。正直証拠を突き付けることだって出来る。普通に考えればやったら性犯罪者だが、彼女相手なら笑い話で済むだろう。
なにせ彼女は姉だ。お姉ちゃん相手なら、多少のイタズラは。
「流されてる俺!?」
「どうしたの?」
「いやどうしたもこうしたも! だから俺は何も覚えてないって言ってんですけどぉ!」
「そうだね。それの何が問題なの?」
「は?」
「弟くんが覚えていないなら、もう一度作ればいい。新しい思い出を、沢山」
そうでしょ、とシズルは微笑む。柔らかく慈愛溢れるその笑みを見たカズマは、うぐ、と唸ると困ったように頬を掻いた。そうした後再度我に返る。いや違うよ、別に俺は記憶喪失でも何でもないんだから、その言い分は明らかにおかしいよ。そうは思ったが、口には出せない。
シズルのそれは演技とか思い込みとか、そういうレベルではなかったからだ。事実なのだ。紛れもなく、彼女とカズマには思い出があるのだ。
「はいストーップ! シズルお姉ちゃん! いくらなんでも攻めすぎですよ! セーターはコートより洗い損ねるって言うでしょう!」
横合いから声。シズルとは逆側にいたリノが頬を膨らませながら抗議をしていた。同じようにカズマに甘えてはいたものの、どうしても一歩引いてしまった彼女は、そういうレベルではない押し込みっぷりのシズルが我慢ならなかったらしい。
シズルはそんな彼女の言葉を聞いて目をパチクリとさせた。そうしながら、確かにいつもならばこれくらい普通だが、状況はあの時とは違うのだと一人頷く。
「そうだね。つい前みたいに接しちゃったかも、失敗失敗。ちなみにリノちゃん、『急いては事を仕損じる』だと思うよ」
ペロ、と舌を出しながらシズルがカズマから少し離れる。右腕にあった柔らかいマシュマロの感覚がなくなったことにほんの少しだけ残念がったが、流石に天下の往来で前屈みになるわけにもいかなかったのでこれでいい。
咳払いを一つ。気を取り直すように一歩前に出て、二人を同時に視界に入れられるようにすると、じゃあ次はどこに行くかと彼は述べた。
「いいんですか? お兄ちゃん」
「……この街で出会った女の子に街を案内してもらってるだけだからセーフ」
「あははっ。本当に弟くんはいつになっても弟くんだね」
だってしょうがないじゃん。今の所何か危害を加えられたわけでもなし、むしろ美女美少女が自分に好意的で何の文句がある。色々と不穏な部分を見なければ、概ねそういう結論に達するのだ。だから仕方ない。それがカズマの出した結論である。
だからといってこの二人が姉を名乗る不審者と自称妹なのは変わりない。その一線はまだ越えていない。だから大丈夫。そもそも自分にはアメス様の加護で精神汚染耐性があるから問題ない。自分はまだ正気である。
そうやって。なまじっかそこに、アメスの力を聞いていたがために。
「よーし、じゃあ気合い入れて案内しますよ、お兄ちゃん!」
「うん、期待しててね、弟くん」
「おう、じゃあよろしく」
彼の中で、それはもう手遅れとなった。
大体めぼしいのはこんなもんかな。そう言って二人に向き直ったキャルは、少し休憩しようかと提案した。アルカンレティアは広い。一日で全てを回れるわけもないので、まずはおおまかな案内となってしまったが、ペコリーヌもコッコロも彼女のそのガイドに満足しているようであった。
「それにしても、キャルちゃん」
「人気者なのですね」
「うっさい」
案内で街を巡っていると、定期的に彼女は声を掛けられた。戻ってきたことに驚く人や、初日の騒動を知っていた人、騒動に参加していたアクシズ教徒、ただのファン。上から順番に段々と嫌そうな対応となっていったが、ともあれ、彼女の顔はこの街では大分知られていると言っても過言ではないようであった。
「そりゃ、ここで生まれ育ったんだからあたしのこと知ってる人がいても当然でしょ」
「ですが、これだけの大きさの街で沢山の方々に知られているというのは、流石というべきでしょう」
「そうですそうです。やばいですね☆」
「いやコロ助はともかくあんたには言われたくないわ……」
はぁ、と溜息を吐いたキャルは、いいからどこかで休もうと述べる。そうですね、と頷いた二人は、喫茶店でも行こうかと視線をさまよわせ。
あれ、と見知った顔が歩いているのを見て動きを止めた。
「どうしたのよ?」
「あそこ、カズマくんじゃないですか?」
「……確かに、主さまですが」
どうやらこちらには気付いていないようで、カズマとその隣にいる女性二人は仲睦まじそうな様子で彼女達の視界から消えていく。それをつい、と目で追っていた三人は、そこで思わず顔を見合わせた。
「ひょっとして、今日一人で行動するって言った理由は」
「あの方達と行動するためだったのでしょうか……」
ほんの少しだけコッコロが沈んだ声を出す。カズマの交友関係に口を出す気はない。だが、それでも嘘をつくことはないではないか。せめてそれならばちゃんと話してくれれば、自分は笑顔で送り出したのに。そんなことを思っての表情であったが、キャルはどうやら違う意味にとったらしい。あの野郎、と拳を握ると、二人に予定変更だと述べた。
「あの馬鹿を追い掛けるわよ」
「え?」
「キャルちゃん?」
困惑する二人を余所に、キャルはニヤリと笑みを浮かべる。何だかんだでこの街は自分のホームだ。尾行することくらい造作もない。言うが早いか行動に移した彼女を見て、ペコリーヌとコッコロは慌ててその背中を追い掛けた。
「コロ助を悲しませたんだから、覚悟をしてもらうわよ」
「キャルさま……?」
「……というか、キャルちゃんの方がムキになってません?」
素早く物陰に隠れ、そして相手のルートを想定し先回りを行う。成程慣れている。そこまでを考えた二人は、ん? と首を傾げた。
何でこの街での尾行にここまで手慣れてるんだろう、と。
「聞いては、いけない気がいたします」
初日のアレと、アクシズ教徒。この二つのキーワードで何となく察したが、答え合わせをするのは避けた。好き好んで深淵に飛び込む必要はない。
そういうわけでそこには触れないことにしたが、そうなると次に気になるのは向こう側だ。カズマと、美女美少女の二人組。あの二人の正体や、一体何をしているかなど。
「……普通に、観光してますよね」
「主さまの好みを把握した動きです。あのお二人は、主さまのことを相当熟知しておられますね」
「そこさらっと理解するあんたも相当だけど……」
見る限り何かおかしなことをしている様子もなく、極々普通に美少女を侍らせているカズマの図しか見られない。
が、そうなると。キャルにとっては当初の理由が問題なく適用されるわけで。
「じゃあやっぱり、あいつ……一緒に旅行来たあたし達よりあの二人を優先したってことか……」
「……やきもちですか?」
「ちがっ! 何でそうなるのよ! パーティーメンバーほったらかしとかありえないでしょっていう極々普通の意見じゃない!」
「キャルさま。わたくしは、いいと思います」
「何優しい目向けてんのよ! ぶっ殺すぞ!」
うがぁ、と吠えたキャルを見てほっこりした二人は、まあでも、と向こう側で楽しそうに話をしているカズマを見る。
「置いてきぼりは、寂しいですよね」
「はい。せめて何か言ってくださればよかったのですが」
別に何か言えないようなやましいことをしている様子もないのだから。そんなことを思いつつ、ならばきちんと、そうやって説明された場合を想像すると。
それはそれで、あまり面白くないかもしれませんね。ほんの少しだけそんなことを考えたペコリーヌは、いかんいかんと頭を振った。彼は自分の臣下でもなんでもない、仲間で、友人だ。都合を押し付けるわけにはいかない。こんな自分を受け入れてくれたのだから、そんなワガママを言って、嫌われたくない。離れて欲しくない。
本当を、見せてもいないのに。
「ペコリーヌさま」
「どうしました? コッコロちゃん」
「いえ、少し悩まれていたご様子でしたので」
「あ、はは。大丈夫ですよ、今日は何を食べようかって、ちょっと悩んだだけです」
「それならばよろしいのですが……」
自分を心配してくれるコッコロをそうやって誤魔化すのが心苦しい。ごめんなさい、そのうち、きっと。自分に勇気が出てきたら、絶対に言いますから。そう心中で謝ると、彼女はパシンと頬を張った。
「ペコリーヌ」
「……何ですか」
「何か思い詰めてるとこ悪いけど。あの二人がそこら辺鈍かったり目を逸らしてたりするだけで、あんたの行動見てると、核心には至らなくても普通にモロバレだから」
「……マジですか」
「マジよ」
入れた気合が急速に飛び出る。おーまい、と項垂れたペコリーヌへ、コッコロが心配そうに寄り添った。
「そ、それで……カズマくん、どうなんですか?」
「どうって、まあ普通ね。何か話をして、あ、移動するわ」
あっちだ、とキャルがカズマ達を追う。コッコロと若干動きがぎこちないペコリーヌも同じように追い掛けて、隠れながら向こうの三人の目的地を探っていく。
「あの、キャルさま」
「ん?」
「この街の住人にはお詳しいのですよね?」
「まあ、そこそこ?」
「では、向こうで主さまと歩いている方のことも……?」
「そういや、よく確認してなかったわね。……って、げ」
「どうしたんですか?」
尾行に集中していて肝心の相手を疎かにしていたらしい。というわけで改めて確認したキャルは、それが誰かを認識するとあからさまに顔を顰めた。何であいつらとカズマが仲良くしてるのか、と呟いた。
「何か、問題ある人なんですか?」
「いや、別にそういうわけじゃないけど。アクシズ教徒にしては、性格も悪くないと思うし」
「では、一体何が問題なのでしょうか?」
「いや、問題というか……とりあえず、あの二人姉妹なのよ。そう言い張ってるだけだけど」
「……はい?」
キャル曰く。弟くん大好きとお兄ちゃん大好きを拗らせ過ぎている二人がタッグを組んだ結果、これはもう自分達は姉妹も同然ということになったらしい。何を言っているのかキャル本人もよく分かっていない口ぶりなのが余計に二人にハテナマークを増やしていく。
そしてもう一つが。
「その弟くんだかお兄ちゃんだか知らないけど、そいつ一回も見たことないのよね……」
「やばいですね……」
察した。ペコリーヌの表情と口調がマジトーンに変わっていく中、コッコロは一人キャルの言葉を反芻していた。あそこにいる二人の情報、そして、今の向こうの状況。この二つから導き出される答えを、丁度いい答えを出すとするならば。
「キャルさま……」
「どうしたのよ、コロ助」
「ひょっとしてなのですが……あのお二人の、弟くん・お兄ちゃんなる人物というのは、もしや」
ば、と視線を向こうに向ける。姉妹でも何でもない姉妹に挟まれているカズマを見る。
「主さまの、ことなのでは……?」
「ペコリーヌ。戦闘準備お願い」
「え? 色々過程すっ飛ばしてません!?」
「一応、念の為よ」
そう言いながらキャルはカズマから目を離さない。三人が向かう場所を、しっかりとこの目で確認をするために。
「はい、そしてここが弟くんの希望の場所だよ」
「……あ、はい」
「テンション低いですよお兄ちゃん! ま、まあ気持ちは分からなくもないですけど」
「まあな……。あれ? でもなんか休業の札が」
「そう、今ちょっと温泉の質が悪くなってるらしくて、開放していないの」
「なんだよ……期待させやが――」
「だから、浄化と調査のために私が入るから、弟くんも手伝ってくれないかな?」
「――分かった。行こうか、お姉ちゃん」
「えぇえぇぇ!? 本気ですか!? お兄ちゃんちょっと目が怖いですよ!?」
「じゃあ、リノちゃんは周囲の調査を」
「行きます」
そんなやり取りが聞こえてきた後、三人は揃ってそこへ入っていった。アルカンレティアで有名な、若い女性にも人気の混浴温泉へと。
そうしてカズマ達の姿が見えなくなったのを目で追っていた尾行組は、正確にはペコリーヌとキャルの二人は、ゆっくりと無言で立ち上がるコッコロを全力で押し止める。
「キャルさま! ペコリーヌさま! 離してくださいませ!」
「いや止めるに決まってんでしょ! 何する気よあんた!」
「落ち着いてくださいコッコロちゃん。まだ何かあると決まったわけでは」
そう言いつつ、昨日のやり取りが頭に浮かぶ。向こうの二人は、間違いなくカズマのそういう対象の枠に入っている。そんな二人と、大義名分を手に入れた状態で混浴へと消えていったとなれば。
「決まった、わけでは……」
「目を逸らすな。いや、うん、気持ちはすっごくよく分かるけど」
「ペコリーヌさま……」
あの温泉の中で一体何が起こってしまうのか。そのことを想像した三人は、静かに頷くとゆっくりと温泉の入り口へと足を進めた。邪魔をするのは何か違うと思いつつ、でも見なかったことには出来ないし。そんな複雑な心境を持ちつつ、ゆっくりと。
再び混浴パート……?