「では、改めて」
こほん、とペコリーヌが咳払いをする。隠していてごめんなさいと頭を下げ、もう一度彼女は自身の名を名乗った。
「カズマくん、コッコロちゃん。わたしの正体は、ここベルゼルグ王国の第一王女ユースティアナです」
「死刑は勘弁してください」
土下座を敢行する。幸いにしてこの屋敷ではその程度で服が汚れるようなことはなかったが、唐突なそれに彼のことをよく知らない使用人たちはギョッとする。
否、目の前にいたペコリーヌも何事と目を見開いた。隣のコッコロも同様である。
「ど、どうしたんですかカズマくん!?」
「いや、だって。思い返すとどう考えても不敬罪じゃん俺……」
「あ、自覚はあったのね」
平然としている一人、キャルがそんなことをのたまう。ついこの間のアルカンレティアでも割と散々な扱いをカズマはしている。少なくとも一般的な権力に媚びるタイプの貴族の耳に入れば問答無用で処罰されるだろう。
「主さま」
そんなカズマに声が掛かる。まずはお立ちください、とカズマを立たせたコッコロは、持っていたハンカチで彼の膝のホコリを払った。そうしながら、しっかりと彼を見て、めっ、ですよと眉を吊り上げる。
「ペコリーヌさまは、そのようなことでご友人を処罰するような方ではございません」
「いや、まあ、そりゃ。ペコリーヌならな。でも目の前にいるのは」
「同じです。ユースティアナさまでも、ペコリーヌさまでも。もう少し、ちゃんと信頼してくださいませ」
「純粋な言葉が凄く痛い!」
コッコロのその言葉を聞いて致命傷を受けたようによろめいたカズマは、それは自分だって勿論そう思いたいし、信じているけれどと言葉を続けた。彼女がいくら寛容でも、他の場所からいくらでもその手の悪意は伸びてくる。第一王女がこちらの手助けをしていても、結局犯罪者として裁判にかけられたあの時がいい例だ。
「なあ、コッコロ」
「はい」
「例えば今この場で、俺がユースティアナ第一王女の胸揉んだことがあるって言ったら」
「死刑ね」
キャルが代わりに即答した。まあそういうことを自分から言っちゃうのならば、こちらとしても庇いようがないな。そんなことを思いながら彼女は溜息を吐いた。
「じ、事故だって言えばワンチャンあるか? そもそもあれは、コッコロを助けようと手を伸ばしたら丁度あの柔らかいおっぱいが」
「とりあえずあの時のことは忘れてください!」
わたわたと慌てたように手を振りながらペコリーヌが述べる。その顔は赤く、恥ずかしがっているであろうことが察せられた。
はぁ、と盛大な溜息が聞こえる。つかつかとカズマの横へ立ったダクネスが、そのまま無言で彼の頭に拳骨を叩き込んだ。いい加減にしないと本気で不敬罪が適用されるぞ。そんなことを言いながら、彼女は再び先程の位置へと戻っていく。
「ユースティアナ様」
「はい?」
「どうされます? 彼らと、晩餐会へ参加されますか?」
アキノのその問い掛けは、何とも不思議なもので。しかし、何を言いたいかは凡そ理解できるものだ。ペコリーヌとしてなのか、ユースティアナとしてなのか。それを問い掛けているのだろう。
「まあ、
「あ、バレちゃいました?」
ばれいでか、とアキノは肩を竦めた。妹のことを大切に思っているから、姉として、ユースティアナとして参加し、カズマ達三人との関係に心地よさを抱いているから、彼らとともに出席する。難しさはともかく、至極単純な答えだ。
「あの面々も、ユースティアナ様のことを知ったところで態度が変わるような連中ではないですからね」
はぁ、とダクネスが溜息交じりで言葉を紡ぐ。先程のカズマのあの態度も、結局ペコリーヌとして接しているからこそのやり取りだ。コッコロは少し咎めていたが、結局変わらないということは共通していた。
「あ、そういえば。俺達はこれからはユースティアナ様って呼んだほうがいいのか?」
「……分かってるくせに、そういうこと聞くんですか?」
「いや、晩餐会の話だっつの。これ終わったらペコリーヌ呼びでいいんだろ? 分かってる分かってる」
やれやれ、と呆れたようにカズマが肩を竦める。そんな彼を見て、ペコリーヌはあははと少し恥ずかしそうに頬を掻いた。コッコロはそんなやり取りを微笑ましく眺め、キャルはどこか楽しそうに笑みを浮かべていた。
だとしても、もう少しかしこまるなりなんなりした方がいいのではないだろうか。当の本人が気安い関係を望んでいるので口にはしないが、貴族の端くれとして、ダスティネス家の令嬢として、どうしてもそんなことを考えた。
「はぁ……。何だか、最近この胃痛もそれはそれでありかな、と思い始めてきたな」
「ララティーナさんも大概ですわね……」
晩餐会、と銘打ってはいるが、そこまで人数がいるわけでもない。五大貴族の内ダスティネスとウィスタリアが招待されたということで、それなりの体裁を整えた結果だ。提案者のモーガン家当主クリスティーナが不参加なのもこのあたりが理由だろう。
とはいえ、ならば大したことのない催しなのかといえば勿論そんなことはなく。王城のホールを使用したそれは、貴族達の集まる大規模なそれと遜色ない用意がされていた。
「……」
「主さま?」
「すげぇ場違い感……」
現在は、その場所へ向かうため王城内を歩いている。進むにつれて無言になっていくカズマをコッコロが心配そうに覗き込むが、彼は何とも言えない表情を浮かべるのみ。調子に乗ってたけど実はこれかなり面倒なのでは。そんなことをカズマは今更に思った。
ちらりと横を見る。ダクネス、アキノに付き添われて歩くペコリーヌは、普段のすちゃらか腹ペコ娘とは別人のようで。
「そりゃ、王女が揃うんだからちゃんとしてるに決まってるじゃない」
はぁ、とキャルがカズマにそう述べ、一歩彼に近付いた。まあ、どうせ堅苦しいのは最初だけよ。そう小声で続けると、彼女は平然と廊下を進む。開き直っているのか、それとも慣れているのか。多分後者だろうとあたりをつけたカズマは、ならば自分がこんな状態では負けた気がしてムカついてくる。よし、と気を取り直すと、何事もなかったかのような態度をとった。
「主さま、調子を取り戻されたのですね」
「まあな。この程度で萎縮するような男じゃないんだよ俺は」
笑顔を見せるコッコロにそう返しながら、この先にいるという第二王女のことを少し考えた。昨日までは顔も知らない王族であった。だからほんの僅かな情報とイメージだけを頼りに、年若い少女で清楚だが少しお転婆で。などと正統派のお姫様像を抱いていたが、今は違う。
「ペコリーヌの妹……か」
正統派とはかけ離れたお姫様が出てくるんじゃないだろうか。現在の疑念はそれであった。ひょっとして晩餐会という名のフードファイト会場が用意されてたりしないだろうな、と余計なことも考える。
「カズマ」
「ん?」
何かを察したらしい。ダクネスがこちらを振り向き、安心しろと彼に述べた。恐らくお前の想像は間違っていると告げた。
「アイリス様は、少なくとも姉君と違いジャイアントトード一頭を丸々おやつにするようなお方ではない」
「物凄く悪意ある紹介しましたね!?」
「自覚がお有りでしたら、ご自重ください」
ぐりん、と振り向いたペコリーヌがダクネスへと抗議するが、当の本人はしれっとそう返す。ぐぬぬ、と口を噤んだペコリーヌは、フォローを求めるようにカズマ達へと視線を移す。
が、コッコロはあははと苦笑するのみで、キャルに至っては分かりやすいと評価する始末。
「カズマく~ん……」
「いや、そう言われても……。どうせもうすぐ会うんだろ?」
その時に判断すればいい。そう彼はペコリーヌに告げ、ほれ前を向かないとと話を終えた。体よく流したな、というキャルの視線を、カズマは知らんと突っぱねた。
そうしている内に会場へと到着する。入り口には兵士が立っており、それだけ中の人物が重要であることを感じさせた。兵士はまずダクネスとアキノを見て頭を下げ、そしてペコリーヌを見ると目を見開き申し訳ありませんと謝罪した。
「わたしもここに来るの物凄く久しぶりですから、しょうがないですよ。正直新人さんには顔すら知られてない可能性がありますし」
あははと笑うペコリーヌを見て何とも言えない表情を浮かべた兵士は、絞り出すような声でそんなことはございませんと述べた。この城にいる者達は、ユースティアナ第一王女の顔を知らないなどということは絶対ないと断言した。
「アイリス様が城で働く新人に毎回教え込んでおりますので……」
「……やばいですね」
暫く帰っていない間に我が妹は随分と寂しがり屋になってしまったようだ。とりあえずそういうことにして、ペコリーヌはこの先にいるであろう彼女のことを思い浮かべ表情を固くした。
彼女が、アイリスが自身を慕ってくれているのは分かっている。ちょっと引くくらい、というか正直シスコン気味なのも知っている。だが、だからこそ。
自分はそんなアイリスに慕われていい存在なのかと自問してしまうのだ。
「なあ、ペ、じゃないユースティアナ――様?」
「……どうしました? カズマくん」
「どうしましたじゃねーよ。扉の前で突っ立ってないで入ろうぜ。正直視線が痛い」
視線が痛い理由の大半は今のカズマの態度であるが、当の本人であるペコリーヌが気にせずそうでしたねと謝罪しながら扉へ手を掛けたことで、そこにいた兵士や王城にいた使用人達が目を見開く。慌てて、それはこちらの仕事ですからと兵士が扉を開けんと姿勢を正した。
「ユースティアナ様……」
はぁ、とダクネスが彼女を見る。アルダープの時はちゃんとユースティアナをやれていたはずなのに。そんな彼女の視線を受け、ペコリーヌはあははと苦笑し頬を掻いた。どうやら思った以上に緊張していたらしい。当然、理由は一つしかない。
扉が開き、兵士が第一王女とダスティネス、ウィスタリア家の令嬢が到着したことを中にいる人物に伝える。カズマ達がその部屋に足を踏み入れると、何人規模の晩餐会をするつもりだといいたくなるような光景が目に映った。テーブルに並べられている料理も、聞いている参加人数と比較しても優に三倍はある。
まあ約一名余裕で食うやついるから大丈夫かと思いながら視線を奥に向けると、一人の少女が座っているのが見えた。両隣には二人の女性が立っている。年はダクネスと同じかやや上程度、片方は黒いドレスを来た魔法使い職であろうと思われ、両手に付けた指輪が機能重視なのかゴテゴテしてそこだけ目立っていた。そしてもう一人はドレスではなく白いスーツを着た短髪の女性で、剣を携えているので前衛職なのだろう。
護衛かなにかだろうか、そんなことを思いつつ、なにはともあれ挨拶をせねばとダクネス達に促されるまま自身の名を名乗り頭を下げる。コッコロとキャルもそれに続き、それを終えたので恐らくメインであろう相手のために一歩下がった。
ペコリーヌが前に出る。座っている少女と、立っているペコリーヌ。その二人を思わず見比べたカズマは、向こうに聞こえないように声量を落とすとそっと横にいるキャルとコッコロに言葉を紡いだ。
「どう思う?」
「どう、と申されますと?」
「何よ、似てない姉妹だなとか言うつもり? 似てるでしょ、ミニサイズになったあいつって感じじゃない」
「いや、だけどな。それにしたって」
ううむとカズマが唸る。何かそんなに気なるのだろうかとその視線の先を追ったキャルは、彼が二人の顔ではなくもう少し下を見ていることに気が付いた。
「確かあのアイリス様? は十二だろ? ペコ、じゃねぇユースティアナ様は十七。あと五年で、あそこまでいくか?」
「あんたほんと一回首落とされたほうがいいんじゃない?」
心底くだらないという顔でカズマを見たキャルは、隣でむむ、と言いながら胸を触っているコッコロも一発引っ叩いた。ぺし、と頭を叩かれた彼女は、我に返り申し訳ありませんと謝罪する。
そんなことより、とキャルは視線を二人に戻す。どうにもペコリーヌが緊張していたように見えたので、ほんの少しだけ心配になったのだ。あくまでほんの少しである。絶対にほんの少しである。ほんの少しだと言ったらほんの少しなのだ。
ペコリーヌはまず一礼。そうした後、少女を、アイリスを真っ直ぐに見た。いくら自分が彼女に負い目を感じていようが、可愛い妹に違いはない。目を逸らすことなど出来はしない。
「ア――」
「お姉様!」
そんな空気をぶち壊す少女の叫びである。我慢できなくなったのか、横の護衛、クレアとレインが制止する暇もなく、即座に立ち上がるとペコリーヌへと駆けていった。そのまま勢い良く彼女へと抱きつく。わぷ、とそんなアイリスを受け止めたペコリーヌは、言おうとしていた言葉など全て吹き飛び、しょうがないなと苦笑しながら彼女の頭をゆっくりと撫でた。
「アイリス」
「はい!」
「……大きくなりましたね」
武者修行の旅に出て、この城に帰ることもなくなって。直接様子を見ることもなく、手紙や伝聞で知るだけになり。その強さは、その能力は、どんどんと成長していることを知って。
その代わりに、こうして抱きしめた時の感触が違うなどという単純な成長を知らなかった。ペコリーヌのその言葉で、嬉しそうにはにかむ彼女の中身は変わっていないということを、知らなかった。
「……それはそれとして、アイリス」
「はい」
「今この場にはわたし達だけではありません。今王城で、王女としてそこにいるのはあなたなんですから、こういうのは、まず王女としての責務を果たしてからじゃないと」
「あ……はい、申し訳ありません、お姉様」
優しくそう述べるペコリーヌを見て、アイリスはしゅんと落ち込む。そうだ、目の前の姉ならば、ユースティアナ第一王女ならばそんなヘマは絶対にしない。切り替えをきちんと行って、それからだ。まだまだ自分は追い付いていない、と目の前の目標をしっかりと見据え、彼女は気合を入れ直した。
「ペコリーヌ、ついさっき扉でミスってたよな」
「主さま、そのように言ってはいけませんよ。お姉さんというのは、えてしてそういうものなのですから」
カズマがぼやき、コッコロが咎める。そんな二人とは裏腹に、キャルはふーんと少し面白くなさそうに目を細めた。
「別にあんただって王女でしょうに……自分は違うみたいな言い方しちゃって。なーんか気に食わないのよね」
そのぼやきは誰かに聞こえていたのか。別にそんなことはどうでもいいとキャルは思う。横の二人も同じように考えていたのならば話は違ったが、現状そこまでは思っていないようだ。
そこで、ふと気になったことがあった。そういえば、何だかんだ聞いていなかった。というより、目の前の光景を見ることで改めて疑問を覚えたというべきだろうか。
「別に姉妹仲は悪くないみたいだけど、あいつなんで王都に戻るの今まで渋ってたのかしら……」
その疑問に答えてくれる者はこの場におらず、そして当の本人に今ここで聞けるはずもない。後で覚えていたら聞いてみるか。そんなことを思いながら、キャルはアイリスがこちらに挨拶をするのを恭しい態度で受け止めた。
次回、カズマvsアイリス(嘘予告)