結局、あの時のことについて聞く機会は訪れなかった。カズマも無理に急ごうとは思っていなかったので、とりあえずチャンスが巡ってき次第、などと考えていた。
そんな翌日のことである。
「はい、主さま。あーんでございます」
「あーん」
なんだこれ、と朝食を用意したメイド達はドン引きした。が、それを決して表情には出さない。彼女達はプロなのだから。
目の前では年端も行かないエルフの少女に甲斐甲斐しくお世話をされている一人の少年が。彼の趣味なのかと一瞬思ったが、どうやらこれを望んでいるのはむしろ。
「なあ、コッコロ」
「はい?」
「一応聞いておくが、話は通してあるんだよな?」
「勿論でございます」
確かに聞いたけど、思ってたのと違う。メイド達はそうツッコミを入れたかったが、こらえて鋼の精神で佇んでいた。それならいいんだけど、と流すカズマを見ながら、よくねぇよと追加のツッコミを行う。
そんなカオスな空間にノックの音が響く。ああよかった、この空気を変えるきっかけが来てくれた。そんなことを思いながらカズマの返事に合わせ扉を開き。
「おはようございます。ギロチンと火炙り、どちらがお望みですか?」
「おい朝食選ぶみたいな気安さで人の処刑を選択させに来やがったぞこの王女」
目が据わっている第二王女アイリスがずかずかと入ってきたことで希望なんか無かったと諦めた。表情は変えない。プロの鑑である。
ともあれ、アイリスが今にもカズマに掴みかからん勢いでこちらに歩いてきたことで、コッコロが瞬時に警戒態勢に入った。二人の間に体を割り込ませ、何の御用でしょうかと彼女に問い掛ける。
アイリスはアイリスで、本気の目をしたコッコロを見たことで幾分か暴走が抑えられたらしい。こほん、と咳払いをすると、失礼しましたと謝罪し一歩下がる。目は据わったままだ。
「で、朝から一体どうしたんだよアイリス様」
「どうしたもこうしたもありません。あなたは私が勉強している間、お姉様に何をしたのですか!」
「はい?」
がぁ、と捲し立てるアイリスを見ても、その話を聞いても、カズマにはいまいちピンとこない。お姉様、すなわちペコリーヌに一体何をしたかと言われれば、思い当たるのは。
「昨日城の案内を頼んだことか? それなら本人は了承済みで」
「違います! お姉様はそのような頼みは快く引き受けるだろうと承知の上なので、そこは別に問題ありません。……本当に心当たりが無いのですか?」
表情が怪訝なものに変わる。しかし確かに見たという証言が、とぶつぶつ呟き始めたのを見て、カズマの表情も怪しいものを見る目に変わっていった。
「主さま」
「ん?」
「アイリスさまが嘘を吐いているようには見えませんし、何か誤解が生じることがあったのでは?」
「誤解ねぇ……」
ひょっとしてあれか、とカズマは一人眉を顰めた。彼女のそれが、ペコリーヌが突然取り乱したあの時のことを言っているのだとしたら。その理由は分かっておらず、後でいいやと今朝考えたばかりだ。まさかこんなすぐに弊害が来るとは。そんなことを思いながら、彼はアイリスに説明をしようと手を伸ばし。
「では、昨日の朝――お姉様の部屋の前の廊下で抱き合っていたというのは、嘘なのですね?」
引っ込めた。あ、これアカンやつだと瞬時に覚った。そうか、そういう認識されちゃったか。一人納得しながら、では誤解だと説明するために思考を巡らせる。
こちらに振り向いたコッコロが、そんなカズマの顔を見て何かを納得したように頷いた。
「アイリスさま」
「どうしました?」
「アイリスさまがお聞きになった話は、恐らく何らかの誤解や偶然で起こったもので、主さまがそのような行為に走ったということではありません」
「……どうして、分かるのです?」
「わたくしは主さまのガイド役ですので。それに、これでもわたくし、ペコリーヌさまのお友達でもありますから」
ユースティアナの友人。そのパワーワードを放たれると、アイリスはぐぬぬと唸り一歩下がる羽目になる。少なくとも彼女と、そして今ここにいないもうひとりはアイリスとしても認めているからだ。カズマは何だかんだまだ認めていない。
「……まあ、そういうわけなので。俺は無実だ」
「あなたは信用できません。……ですが、コッコロさんのことは信用します」
実際にそういう状態になっていたとしても、そこには理由があり、そしてその理由はアイリスがここに乗り込んできた時に考えていたような下世話なものではない。とりあえずそう結論付け、仕方ないと渋々彼女は引き下がった。
「……では、私は今から授業があるので。昼から話の続きと、今日の勝負を行います」
「もう話すことはないぞ」
「私があるのです」
ジロリとカズマを睨んだアイリスは、ではごきげんようと一礼すると退室していく。入り口で見守っていたレインが、心底ホッとした顔でその後を追いかけていった。
そうして扉が閉まり、メイド達も他の仕事があると退室していった部屋には、カズマとコッコロの二人が残される。
「主さま」
「ん?」
「それで、一体何があるとペコリーヌさまに抱きつかれる事態になるのですか?」
詳しい事情を聞いて、対処できるように。そう考えたのか、コッコロはカズマにそう問い掛けていた。が、彼は彼でその質問には答えられない。なにせ、彼自身が理由を分かっていないからだ。
仕方ないので、とりあえず夢見が悪かったらしいというペコリーヌの話をそのまま彼女に伝えることにした。
「夢見、でございますか」
「ああ。……どうかしたのか?」
「いえ、少し気になることが」
夢が原因ならばこちらの専売特許だ。夢の女神アメスを信仰するコッコロにとって、それはごく当たり前に辿り着く話である。
視線をカズマに戻した。だが、自身の主である彼がその方法を取らない、あるいは女神から何も受けていないのならば、原因そのものは他に存在する可能性がある。
「考えてるところ悪いが、何か言い訳っぽかったぞ」
「では、やはりそれが直接の原因ではないと主さまはお考えなのですね」
「そりゃな」
肝心の部分が分からないが。そんなことを言いながら、とりあえずここで話していてもしょうがないだろうとカズマは立ち上がる。コッコロも察したのか、確かにそうですねとそれに続く。
「キャルんとこ行くか」
「はい。参りましょう」
そういうことになった。
「何? 今度はあんた達?」
キャルのいる部屋へと向かった際の第一声がそれである。なんのこっちゃと二人して首を傾げていたのを見た彼女は、はぁと小さく溜息を吐きながらまあ座れとテーブルを指した。メイドがいたりはしないのでお茶は出ない。
「ちょっと前までペコリーヌがいたのよ」
そう言いながら、その時のことを思い出し表情を曇らせる。何かあったのですかとコッコロが尋ねると、別に大したことじゃないんだけどとキャルは返した。そう言いつつ、どこか難しい表情を浮かべたままだ。
「あいつ、あたしに聞きたいことがあるって来たのよ」
「それ、俺達が聞いてもいいやつか?」
「別に口止めされてないもの。それに、多分あんた達がここに来た理由とも関係するんじゃない? 知らないけど」
「と、申されますと?」
もう一度溜息。そうした後、キャルは彼女の質問を口にした。キャルちゃんは、自分の家族のこと、好きですか? 普段の彼女らしからぬ表情のその質問を受け、キャルは一瞬だけ面食らった。
が、ここ最近のペコリーヌの様子を鑑みて、詳しくは分からないが何となく事情を察し。
「まあ、普通に嫌いだけど。って答えたわ」
「うわぁ……」
「あの、キャルさま……それは」
「しょうがないじゃない! あいつの望んでた答えじゃないのは分かってるわよ。でも嫌いなもんは嫌いなのよ」
言い切った。照れ隠しとかそう言いつつも実はとはそんなものは何もなく。本当に、心の底から普通に嫌いなのが彼女の言葉から伝わってきた。
「うちの両親はね、典型的な駄目なアクシズ教徒だったの。好き勝手に生きて、責任なんか何も取らないようなやつで。ゼスタのおっさんがあたしを推しにするとかトチ狂ったこと言い出した時も、嫌だって必死で頼んだけど自分達が楽しそうだからって理由でホイホイ渡して」
「……」
「大教会で寝泊まりとか、おっさんと同じ屋根の下だから死んでも嫌だし、でも家には絶対に戻りたくないし。……そんな感じで街をうろついてたところをマナ兄さ――姉さんに拾われて住む場所だけは確保出来て。まあ結局、そこも両親やゼスタのおっさんよりはマシってだけで碌なもんじゃなかったけど」
「……」
キャルの目が死んでいく。おかしいな、ペコリーヌが何か大変そうだという話を聞きに来たはずなのに、何故彼女がどんどんアレなことになっていくのだろう。そんなことを思いつつ、止めるのもなんだからそのまま聞こうとカズマは口を開かなかった。
「そんなわけだから、あたしはあいつらにはもう二度と会いたくないって思ってるし、あたしにとって家族ってのはそういう存在なのよ」
何とも言えない表情になったペコリーヌは、変なこと聞いてごめんなさいと謝った後部屋を出ていったらしい。キャルとしては聞きたいこともあったのだが、あの状況では無理だろうと諦めた。
「お前ほんと使えねぇな」
「うっさい。……まあ、でも、確かに今回はマズったわね」
「しかしキャルさま、先程の口ぶりですと、ペコリーヌさまの不調に心当たりがおありなのですよね?」
「心当たりっていうか。この前も言ったでしょ。あいつあんまりここに長居したくなさそうだって」
その時の直感と、そして今回の質問。二つを照らし合わせれば、何となくこうではないかという理由が見えてくる。
「家族問題か」
「というよりも。恐らく、アイリスさまとのことかと」
「でしょうね。とはいっても、何が問題なのかしら。別に姉妹仲悪いようには見えなかったし」
「妹様なんかペコリーヌ大好きだからな」
「あんた目の敵にされてるものね」
今朝の、先程のやり取りを思い出しながらカズマがげんなりした表情を浮かべる。コッコロは見ていたので苦笑を浮かべ、キャルはその時を知らないので首を傾げた。
ともあれ、しかしそうなると話は振り出しに戻る。推測は出来ても、そこから踏み出さなければ昨日のペコリーヌの取り乱した姿の原因の究明が出来ないのだ。
「それで、結局あんた達は何しに来たのよ」
「言ってなかったか?」
「聞いてないわよ」
「はい。実は」
振り出しに戻るどころか、最初から振り出しであったらしい。コッコロがキャルに事情を話すと、黙ってそれを聞いていた彼女はゆっくりと視線をカズマに向けた。
「あんた何言ったのよ」
「はぁ? 別に俺はいつも通りだったっての」
普段の、アクセルの街で馬鹿やっているようなノリで会話をしていたら、急に。そこまでを話したカズマであったが、先程までの会話の内容を反芻し言葉を止めると目を泳がせた。
「俺、何かやっちゃいました?」
「……まあ、不可抗力よね。今のあいつにそれが地雷だったとか分からないし」
「一体何故、離れないでなどとおっしゃったのでしょうか……」
少なくとも、こちらで見る限り彼女がそのような不安に陥るような状況とは思えない。もしあるとするならば、何か勘違いで思い込んでいるのか、あるいは。
そう見えるのは表面だけで、実際は彼女に味方などいなかったのか。
「ないな」
「ないわね」
「言い切るのですね……」
そう言いつつも、コッコロ自身も後者の可能性は限りなく低いと考えていた。少なくともアイリスは間違いなくペコリーヌの味方で、その好意に偽りは含まれていない。城の兵士やメイド達も裏で彼女を嫌っているなどという居心地の悪い様子も感じられない。クレアやレインも同じで、どちらかといえば敵がいないと言ったほうがしっくりくるほどだ。
「ひょっとしたら。原因は今じゃないのかもしれないわね」
「どういうことだ?」
「昔の思い出がトラウマになって引きずってるとか、だからアイリス様とギクシャクしてるとか、そういうのよ」
「ああ、経験者は語るってやつだな」
「キャルさま、今はわたくしたちがここにいますから」
「あたしのことはどうでもいい! というかコロ助、それはあいつに言ってやりなさいよ」
はぁ、と溜息を吐く。ガリガリと頭を掻きながら、さてどうするかと首を捻った。
この予想が合っていた場合、それを解決するためには間違いなくペコリーヌの知られたくない過去を調べることになる。本人が語ってくれるのが一番だが、そうでない場合他人の心に土足で踏み込む訳で。
「アイリス様――は多分知らなさそうだから、聞くならお付きの二人のどっちかかしらね」
午後の勝負についていく、とカズマに述べたキャルは、それまでにそれとなく情報を集めようかと席を立った。お手伝いいたします、とコッコロもそれに伴って立ち上がる。
「いいのかよ、それで……」
「カズマ。迷った時に出した結論はね、どの道どっちを選んでも後悔するものよ。だったら、良いか悪いかよりも、自分がスッキリする方をとことんやってやろうじゃない」
ぐ、と拳を握ってそう宣言するキャルの背後に、いつぞやにアメスの夢空間で見たことのある青い髪の少女の幻影が見えた気がしたが、カズマはそっと見えなかったふりをした。
まあ、いいんじゃないかしら。その横で小さく笑みを浮かべている自身に加護を与えた女神様の気配も感じた気がしたが、彼はとりあえず目を逸らすことにした。
「……しょうがねぇなぁ。俺も少しは手伝うとするか」
「そうこなくっちゃ」
「主さま、ありがとうございます」
だからこれはそんなものとは関係なく、彼が自分で選んだものだ。どこか言い訳臭い事を考えながら二人に宣言したカズマの顔は、それとは裏腹に妙にスッキリしていた。
ペコリーヌは不安よな。
カズマ達、動きます。