「はっはははははは!」
大爆笑である。昨日勢いで宣言した勝負について色々と準備をするため、クリスティーナへと話をしにいった時の反応だ。面白すぎる、と腹を抱えていた彼女は、一通り笑い終えると笑みを消さないままカズマへと向き直った。
「それで坊や。ワタシに何をして欲しいんだ?」
「勝負の審判を」
「……ほう?」
ピクリとクリスティーナの眉が動く。続きを促すような仕草を受け、カズマはそのまま自身の考えを語り始めた。
最初こそただ聞いていただけであった彼女は、ある程度聞き終えると再度大爆笑。成程それは良いと彼の肩をバンバンと叩いた。最高レベルの近接職のそれである、勿論めちゃくちゃ痛い。
「いいだろう。こちらで手配はしてやる。が、アイリス様に宣言するのは坊やが自分でやるように」
「まあ、そりゃ」
「ちなみに今妹様はうちのボスに大嫌い宣言されたので非常に機嫌が悪い。間違いなく模擬戦で坊やは死ぬな」
今日のランチを語るくらいの気安さで述べるそれは、カズマの命の終わりである。ただでさえ大事な姉を奪った不届き者扱いされているのだ。ペコリーヌのあの叫びも、その影響だと思い込んでも不思議ではない。
それは違うよ、と二人の会話を聞いている鎧の置物と化していたジュンが口を挟んだ。確かに機嫌は悪いし、ショックを受けているので雑務が滞っているけれど。そう言いながら、彼女はカズマに視線を向ける。
「そこで少年に八つ当たりするような人じゃない。あの方は、ユースティアナ様の妹なんだから」
「……ここ最近のあいつ酷かったけど」
「あれはボスが悪い。さっさと開き直るか吹っ切るかしてないからああなる。まあ、ワタシとしてはそれも面白いがな☆」
「もう、クリスちゃん……」
「いやちょっといい話っぽく終わらせようとしているところ悪いんですけど、じゃあ何で俺死ぬわけ?」
「アイリス様の戒めのため、かな? 多分今ユースティアナ様相手以外には無意識にしている手加減が出来ないだろうし」
「普通に八つ当たりで殺されたほうがマシじゃねーか!」
「んん? 何だ坊や、全力の妹様を倒してこそ、うちのボスの心も動くというものだろう? むしろ喜べ」
ニヤニヤと笑いながら言われても説得力は欠片もない。が、確かにクリスティーナの言葉ももっともだ。力をセーブした状態のアイリスに勝利したところで、ペコリーヌへの宣言を果たせたことには。
「……駄目かな?」
「それであの状態のボスを説得出来ると思うのならやればいい」
無理か、とカズマは項垂れる。一応言ってみただけで、それでいいなら儲けもの位の感覚ではあったが、まあ仕方ない。元よりとんでもない強さの相手を最弱職である自分で倒すという無理ゲーなのだ。多少レベルが変動したところで誤差だ。
ともあれ、これで彼女達と話はつけた。カズマは二人と別れるとその足でアイリスがいるであろう部屋へと向かう。兵士に断りを入れ扉をノックすると、部屋の中からレインの声が聞こえた。用事があるから入ってもいいかという彼の言葉に、彼女はほんの僅かに逡巡する。
「そのお話は、そこからでは駄目ですか?」
「ん? まあ、明日のアイリス様との勝負の内容を変えて欲しいっていうだけだから構わないけど」
「勝負……ですか」
扉の向こうのレインが言葉を止める。クリスティーナ達の話によるとアイリスはかなりのショックを受けているらしいので、お付きの教育係としては迷っているのだろう。
そのまま暫し扉の前で待っていると、向こうから大丈夫ですという小さな声が聞こえてくる。レインのものではない。
「それで、一体何の勝負をするのですか?」
昨日までと比べて覇気がない。アイリスの声を聞いて一瞬そう思ったが、いや違うとカズマは思い直した。これはただ、噴火直前を押し留めているだけだ。なんのかんの言ったところで、彼女はまだ十二歳。そういうお年頃だ。十七歳のペコリーヌですらああなのだから、推して知るべし。
こほんと咳払い。まあそれならそれでいい。手加減できない全力モードでも、頭に血が上っているのならばそれはそれでどうとでも出来る。
「ああ、こないだ言っただろ。俺が勝てる勝負しようぜってな」
「……何をする気ですか?」
「昨日、模擬戦してただろ? あれを見ててな」
ひっ、と部屋の向こうでレインが悲鳴を上げるのが分かった。どうやらきちんと地雷を踏み抜いたらしい。そんなことは承知の上で、カズマはそのまま言葉を続けた。
「次の勝負は、あれにしようぜ」
「…………あなたが勝てる勝負、と言いましたね?」
扉の外にいる兵士ですらただならぬ気配に顔を引きつらせているが、カズマは知ったこっちゃない。なにせ、これからもっと酷いことになる言葉を続けるのだから。
「おう。だって負けてたじゃん。だから俺でもいけるかなってな」
「それ以上アイリス様を挑発するのはやめてください!」
レインの悲痛な声が聞こえるが無視した。向こうが冷静ならばそんな馬鹿なことと一笑に付される提案なのだ。カズマとしてはこのチャンスを逃す手などどこにもない。
バン、と何かを叩く音が聞こえた。恐らく机だろう、勢いよく立ち上がった拍子に椅子を倒したのかもしれない。どちらにせよ、間違いなく。
「いいでしょう」
「アイリス様!?」
「そちらが持ちかけた勝負です! もう取り消しはききませんよ!」
「ああ。俺の持ちうる全戦力を使って敗北させてやる」
「分かりました! その言葉! 覚えておいてください!」
がぁ、と扉の向こうで叫ぶアイリスを想像しながら、カズマはニヤリと口角を上げた。ああしっかりと覚えておくさ。そんなことを聞こえないように呟き、何やってんだお前という兵士の視線を気にしないようにしながらカズマはその場を後にする。
廊下を歩き、さて準備をしないとなと考え。先程のやり取りを反芻し。
「……そうだよな、普通あのくらいの年齢ってああなるよな」
一人の少女のことを思い浮かべると、何とも言えない表情を浮かべた。
なお、彼が見逃しているだけで、彼女は主さまのためなら普通に暴走するので思い違いである。
役者は揃った、と言ってもいいだろう。訓練場にやってきたアイリスは、中央付近で仁王立ちしているカズマを見て眉を顰めた。自信満々のその顔を見ていると、自身の不安定な感情も合わさってどうにも表情が険しくなる。
「さてアイリス様。まずはこれを」
審判役だというクリスティーナが彼女に何かを投げて寄越す。それを受け取ると、どうやら白黒が半分半分になっている仮面を模したデザインのペンダントであることが分かった。
これは、とアイリスがクリスティーナに尋ねると、彼女はニヤリと口角を上げる。今から本気で殺し合うためにも、きちんと準備は必要だろうと述べた。
「本気で殺し合い……? 何を言っているのですかモーガン卿!?」
「なぁに、お互い全力で殺り合わんと禍根が残るだろう? そのために用意したのさ」
「アイリス様が最弱職相手に本気を出すはずもありません」
「そうかいそうかい。なら尚更、それはつけておくといい」
楽しそうにクリスティーナは笑う。そっちがそのつもりはなくとも、向こうは。暗にそう言っているのを察したクレアは、射殺さんばかりにカズマを睨んだ。
が、彼は涼しい顔でそれを受け流す。ついでに不敵な笑みも浮かべた。
「別に俺はそれでもいいぜ? 王家の第二王女は最弱職の《冒険者》に手加減してもらわないと勝てませんって噂が流れるだけしな」
「貴様――」
「やめなさいクレア。あちらの言う通りです。私は、向こうの全戦力を受けて立つと確かに宣言しましたから」
その代わり、とアイリスは下げていた剣とは別の剣をレインから受け取り抜き放つ。どう考えても特級品、それも恐らく神器クラスの代物だ。
え? マジ? と思わずカズマは素に戻る。確かに全力で来るよう煽りはしたが、本気で全力装備を持ってくるとは。とはいえ、完全なる予想外というわけでもない。自分の命が想定より危険域に達しただけだ。
「それで、これは一体どのようなアイテムなのです?」
白黒の仮面型ペンダントを弄ぶ。そんなアイリスに、念の為だと言っただろうとクリスティーナは笑みを浮かべた。
「それはアキノちゃんのところの魔道具店とアクセルの有名な研究所が共同開発した魔道具で、《残機くん》というらしい」
「残機、くん?」
「一回だけ致命をその仮面が受け付けてくれる優れものだ」
「はぁ!?」
クレアとレインが目を見開く。彼女の言葉が本当なら、これは驚異的な発明品だ。すぐさま前線に配布し、魔王軍との戦闘に。
「まあ受け付けてくれるだけでそれまで蓄積したダメージはそのまま、更に本来なら死んでいたはずの致命ダメージも生きたまま受けることになるらしくてな。そのくせアフターフォローの魔法障壁が回復魔法も無効化するおかげで基本的に動けないまま力尽きる。戦場では二回死ぬのを味わえるだけだな♪」
「それは普通に死んだほうがマシなのでは!?」
「更にコストがべらぼうに高い。もし追加発注するのならば魔王軍幹部の賞金レベルの資金がいるぞ☆」
「何でそんなものをこんなところで!?」
「だから、こんなところでなければ使えないだろう?」
レインのツッコミにしれっとそう返したクリスティーナは、さてでは始めるかと訓練場を見渡した。最初こそ残機くんの説明にぎょっとしていたものの、既にアイリスは目の前の相手に集中している。一方のカズマは、ガリガリと頭を掻きながら息を吐いていた。やる気が無いわけではない、緊張を隠しているだけだ。クリスティーナはそれを分かっているので、ただただ笑みを浮かべるのみである。
「さて、観客は下がってもらおう。クレアちゃんとレインちゃんもそうだし、そっちの――」
視線を動かす。ジュンの横に所在なさげに立っていた一人の少女を視界に入れると、しょうがないなと言わんばかりに小さく息を吐いた。
「ユースティアナ様も、下がった下がった」
「あ――はい」
「……お姉様」
クリスティーナの言葉を聞いて視線をそちらに動かした。が、ペコリーヌと目を合わせることはしない。怖いのだ。もう一度拒絶されたら、今度こそ本当に女神エリスのもとへと旅立ってしまう。先日のように、エリスだのアクアだのアメスだの騒いでいた謎の三人組に追い返されることもないだろう。
そしてペコリーヌもそれは同様。あんな事を言ってしまって、どの面下げて話せばいいのか分からないのだ。ごめんなさい、嘘です、本当は大好き。そんな簡単に言えたら、苦労はしない。自分の弱さを認めて、アイリスに嫉妬していたのを認めて。そんな簡単に出来たら、最初からこんなことにはなっていない。
「ユースティアナ様」
「あ、ジュン……」
「始められないってクリスちゃんが怒ってるよ。さ、観客席に行きましょうか」
そう促され、彼女はコクリと頷く。移動しながら、ペコリーヌはアイリスを見て、そして訓練場の中心付近にいるカズマを見た。
アイリスに勝つ、と彼は言った。普通に考えれば絶対に無理だが、カズマならばひょっとして。そんなことが頭をよぎり、そして、それはつまり。
「……カズマくん」
では始めるぞ、とクリスティーナが短剣を取り出した。それを放り投げ、ヒュンヒュンと宙を舞う。カズマはアイリスを見据え、アイリスはカズマを睨み剣を構えた。
ザク、と剣が地面に突き刺さる。それを合図に、アイリスはカズマに向かって一直線に駆け出した。
「行きま――」
カチ、と何かが起動する音がする。彼女の足元が突如光り輝くと、閃光を発しながら爆発した。
「な、な! なんですかこれは!?」
「知らないのか? これは《ブービートラップ》ってスキルで」
「そういうことを聞いているのではありません! どうして訓練場の地面にこんなものが」
「そりゃ、俺が仕掛けたからな」
しれっとそう述べるカズマを見て、アイリスの動きがピタリと止まる。ギリギリと錆びついた蝶番のような動きで首を動かすと、それがどうしたと言わんばかりの表情を浮かべる彼の姿が。
「あなた、まさか……っ!」
「さーてな。ほれ、どうするお姫様」
「こ、のっ!」
先程の爆発のダメージは微々たるものだったのか、アイリスは速度を落とさず再度駆ける。数歩走ると同時に地面のトラップが起動したが、発動するよりも早く彼女はそこを駆け抜けた。
「そういう身体チートでごり押すのやめてくれませんかね!?」
「何とでも言いなさい! そもそも、全力で来いと言ったのは」
「そうそう俺。で、俺も全戦力を使うって言ったわけよ」
眼前まで迫ったにも拘らず、カズマは至極冷静に笑った。トラップがいくら起動しようとも、この距離ならば首を落とす方が速い。残機くんとやらがあるのだから、死にはしないだろう。そう判断したアイリスは迷うことなく剣を横薙ぎに。
「――え?」
「はい残念」
ずぼ、と足が地面にめり込んだ。仕掛けてあるのは《ブービートラップ》、そう思い込んでいた。だから、それが起動しようとも発動前に避ければ問題ないと判断していた。
だから、とてつもなく原始的な即座に起動する罠への対処が一瞬遅れた。
「落とし、穴っ!?」
それも大分深い。恐らくこれもスキルで作成したのだろう。一気に視界が地面一色になる。底は見ない。何か用意されていたのならば、それが余計な恐怖を煽るからだ。
落とし穴の壁を蹴る。三角跳びの要領で蹴り上がっていったアイリスは、地上に出ると同時にカズマに一撃を叩き込もうと先程まで彼のいた場所を見た。いない、のは織り込み済み。視線を即座に巡らせ、あの不届き者に一撃を。
「……これ、魔法、陣……?」
周囲を取り囲んでいるそれは間違いなく魔法の発動陣だ。相手は《冒険者》、理論上どんなスキルも会得出来るとはいえ、こんな大掛かりな特殊上級魔法など普通は無理だ。
ならば何故。そんなことを思った時には、既に魔法陣は完成し発動の体勢になっていた。そして、呪文の詠唱者の声もそこに響く。
「《アビスバースト》ぉ!」
爆発。落とし穴ごと吹き飛ばさん勢いで放たれたそれは、とっさに防御態勢を取ったおかげで直撃は避けられた。ゴロゴロと転がり、ついでにトラップが発動し追加で吹き飛ぶ。そのまま訓練場の端の壁に当たると、アイリスの体はようやく止まった。
揺らされた視界を元に戻しながら、彼女は先程の魔法発動者の姿を視界に捉える。アイリスの対戦相手はカズマ。最弱職の《冒険者》の青年だ。
そう、まかり間違っても先端が魔導書になっている杖を持った獣人の少女ではないし、杖も兼ねた槍を持っている自身よりも年下のエルフの少女でもない。
「あー、やっぱり駄目ね。これで倒せるほど甘くないわ」
「では、次の作戦と参りましょう」
「だな。キャル、コッコロ、頼んだぜ」
「待って! 待ってください!」
武器を構える三人を見ながら、アイリスはタイムを取る。何がどうなってこうなっていると若干困惑した表情でクリスティーナを見ると、何か問題があるのかと言わんばかりの表情を浮かべているのが視界に映った。ああ、つまりこれは最初から織り込み済みだということだ。それを理解した彼女は、勿論審判に抗議をする。
「ん? アイリス様は坊やの宣言に同意をしたんだろう?」
「何のことですか!?」
「何のことも何も。俺は言ったぞ、俺の持ちうる全戦力を使って敗北させるって」
「――――っ!」
パクパクと口を開いたり閉じたりを繰り返したが、どれも声にはならない。つまり、そういうことなのか。これらの仕込みは全部。
「ああ、当然ワタシは事前に許可を求められているぞ」
「審判も……抱き込んだの、ですか……っ!」
「人聞きが悪いな。根回しが上手いと言ってくれ」
「この、卑怯者!」
「おう、ありがとう」
「褒めてません!」
がぁ、と叫ぶ。ギリギリと奥歯を噛みながら、アイリスはゆっくりと剣を構えた。いいだろう、そっちがその気なら、こっちも。そうは思うものの、普段真っ当な修練しか行っていない彼女にはこの場を切り抜ける丁度いい手札を持ち合わせていない。だから出来ることは、真正面から叩き潰すことだけ。
それは奇しくも、先日のペコリーヌとの模擬戦で考えたことに似通っていて。
「そもそもアイリス様。これは決闘ではない殺し合い、なら多人数で襲い掛かってくるのは当然だろう? ――やれやれ、ワタシと団長で鍛えたユースティアナ様なら、それくらいはすぐに適応するのだがなぁ」
「くっ……くぅ……っ!」
「何で審判が挑発してんのよ……」
勇者様の戦い方じゃない……