咆哮が響き渡る。巨大な黒い獣のそれは、そこに立っていた者達に暴力となって襲い掛かった。勿論その場にいた自身も例外ではなく、膝がガクガクと震え立っていられなくなる。
それでも地面に這いつくばらなかったのは、きっと意地なのだろう。そこにいる他の面々が変わらずにいる中、自分だけが屈するというのに我慢がならなかったのだろう。
「さて」
その中でも特別平然としている小柄なエルフの女性がこちらに向き直る。体にアンバランスな大きな帽子をくしくしといじりながら、覚悟は決まりましたかと問い掛けた。
覚悟。その言葉を聞いて体がビクリと震えた。彼女の言っているのは、自身の道を決める選択だ。ここ、紅魔の里での生活を一変させるであろう答えだ。
「……ネネカ。やはり無理よ」
「そうでしょうか? 少なくとも彼女は、貴女をずっと忘れずにいたようですが」
目の前の獣とは関係がなく、ネネカの横にいた女性は苦しそうに息を吐く。その理由も、解決法も、全て分かっている。自身が選択すれば、それで事足りる。
だが、あの人はそれを良しとしていない。身勝手に誰かの人生を歪めてしまうということを許容しない。それは、魔王軍幹部という肩書には非常に似つかわしくないもので、思わず笑みがこぼれてしまった。
「大丈夫です。私は、最初から決めていましたから」
そうだ。わざわざ念押しされずとも、自分の答えなど決まっている。元々、こんなことがあろうがなかろうが、歩む道が変わることなどないのだ。
黒い獣が唸りを上げた。大きく開いたその口から、何かが発射される。流石は邪神というべきなのだろうか。あんな攻撃見たことがない。
「ぐおぉ! 大丈夫ですかウォルバク様!」
「ちょっとホースト! 向こうもウォルバク様なのを忘れるんじゃないわよ!」
「安心してほしいアーネスさん。ネネカさまに任せれば、万事解決だ」
それを受け止めるいかにも悪魔なビジュアルの男悪魔と、ムチムチボディの女悪魔。そして無駄に眩しい騎士の男の三人。正直こいつらだけで大丈夫なのではないかと錯覚してしまうが、ネネカ曰くこの面子では決定打が足りないらしい。
だからこそ、その部分をこちらに振っている。万全のシチュエーションを用意し、お膳立てしてくれている。
冒険者カードを取り出した。期待に応えるための準備は整っている。後はそれを選択するだけ。
「本当に、いいの?」
「ええ。何より、ここまで燃える展開ならば、やるしかないでしょう!」
「流石は紅魔族、といったところですか」
クスクスとネネカが笑う。そんなやり取りを見て少しだけ呆れたような表情を浮かべた女性は、こちらを真っ直ぐに見ると小さく頷いた。ありがとう、と呟いた。
そんな彼女を見て、こちらも笑みを浮かべる。お礼を言うのはむしろこちらだ。何の後腐れもなく爆裂魔法を習得出来る上に、自らが切り札となって邪神を打倒しあなたを助ける。こんな状況で滾らないはずがない。
そして。
「私の最初の爆裂魔法を、ちゃんとお姉さんに見せられることが、何より嬉しいです」
「だ、そうですよウォルバク」
「……ええ。しっかりと見ててあげるわ。私が教えた、あなたの爆裂を」
躊躇うことなく冒険者カードに触れそれを習得する。杖もなく、まともな装備もない。そんな状態ではあるが、この身に溢れんばかりの感情と魔力だけは。
「ホースト、アーネス。下がって!」
「マサキ、こちらに」
二人の言葉に、攻撃を防いでいた三人が飛び退る。邪神までの道が開かれ、遮るものも何も無くなったそこに、ありったけの思いをぶつけようと手をかざした。
「私は、今日という日を忘れません。――」
「エクスプロー……あれ?」
ガバリと跳ね起きためぐみんは、キョロキョロと辺りを見渡すとなんだ夢かとベッドに寝転んだ。随分と懐かしい気がするが、精々二年くらい前なだけである。あんな宣言をしていた割に、大分思い出と化していた。
ここはアクセルの街外れにあるネネカの研究所。時刻もどうやらいつもの起床時間であったらしく、寝転んだまま息を吐くとめぐみんはのそのそとベッドから這い出た。
「おはようめぐみん」
「おはようございます、師匠」
そのままリビングへと向かうと、朝食の準備をしていたらしいちょむすけがこちらに気が付いた。ネネカはおらず、しかしテーブルの様子からすると既に朝食は終えているらしい。
「所長はどうかしたのですか?」
「そうね……。紅魔の里から手紙が来ていたし、多分その関係だと思うけれど」
嫌な予感がする。そんなことを呟きながら、まあとりあえずは朝食だとちょむすけは彼女を促した。言われるままに朝食を食べためぐみんは、先程の会話が気になったのでなにはともあれ準備だけはしておこうと部屋に戻ると着替え、そしてアイテムや装備を確認する。
それらが終わったタイミングで部屋がノックされた。準備は終わりましたか、と声を掛けられた。
「所長。とりあえず説明からお願いします」
「ふむ。めぐみん、聡明な貴女ならばもう分かっているのでは?」
扉の向こうのネネカがそう述べたのを聞いて、彼女は盛大に溜息を吐く。そういうことを言われると紅魔族としては勢いに任せてしまいかねない。が、こちとら頭のおかしい研究狂いのエルフの下で一年以上過ごしているのだ。既に慣れた。
「説明を、お願いします」
「先日マサキから連絡がありました。なんでも、紅魔の里を魔王軍が襲撃したとか」
「まあ、紅魔族は魔王軍にとって厄介者ですからね」
それ自体は別に驚かない。紅魔族ならば魔王軍も撃退できるだろうと踏んでいる。だからめぐみんにとってはネネカが告げたことなど所詮前振りでしかない。
「それで、その魔王軍幹部ですが」
「ちょっと待ってください」
「どうしました?」
「魔王軍幹部が襲撃に来たんですか!?」
「ええ。別に驚くこともないでしょう? 紅魔の里には以前幹部が現れたのですから」
それは随分と特殊な状況だったからだ。そうは思ったが、彼女がそう評したということは何かしらの共通点があるのかもしれない。めぐみんは暫し考え、そして扉の向こうにいるであろうネネカに言葉を紡ぐ。
その幹部の目的はなんだったのか、と。
「やはり、分かっていますね」
「分かりませんよ。結局どういうことなのかはさっぱりです」
「そうですか。では単刀直入に。魔術師殺しが狙われています」
「はぁ!?」
扉を開ける。準備を終えたネネカと、苦笑しながら二人のやり取りを見守っていたちょむすけがそこに立っていた。ネネカはそんなめぐみんを見て、準備は終わっているようなので早速出発しようと言い放つ。
「説明! 説明をお願いします!」
「あれ以上説明が必要ですか?」
「魔術師殺しが狙われていて、マサキがそれを報告した。所長はこの際だから研究も兼ねて魔術師殺しを起動するなりバラすなりしたいから紅魔の里へ行く。合ってますか!?」
「補足するならば、幹部は一度撃退され撤退したそうです。安心して里帰りできますよ」
「ああそうですか! うれしいなー!」
やけくそ気味に叫んだめぐみんの肩にちょむすけがそっと手を置く。なまじっか優秀だからこそこうしてからかわれるというのは、中々に皮肉である。とはいえ、それは裏を返せばこの変人所長が目をかけているということでもあり。
「ちょむすけ。どうしました?」
「あまり弟子をいじめないで欲しいわね、って」
「失敬な。私はただ、彼女の反応を観察するのが楽しいだけです」
「そういうところなのだけれど……」
目の前の彼女にそういう機微を期待するだけ無駄か。そんなことを思いながら、彼女はやれやれと溜息を吐いた。とりあえずは向こうに行ってから考えよう。ついでに色々と諦めてそう結論付けた。
奇しくも、BB団が紅魔の里へ向かうのと同じタイミングである。
場所も日付も変わり、アクセルの冒険者ギルド酒場。そこの一角、他の客に聞かれないような話をするために誂えたかのようなその席で、アクセルの有名なチンピラ、もとい冒険者のダストが普段の彼とは思えないようなげんなりした表情で隣の少女を見詰めていた。
「あら、どうしたのダスト。元気がないわね」
「誰のせいだと思っているんですか……」
「あら、誰かしら?」
そらっとぼけている横の彼女を見てもう一度溜息を吐いたダストは、それで、と彼女から視線を対面にいる少女に向けた。ふんわりツインテールのその少女は、彼とは違いなんてことのないような表情で言葉を紡ぐ。
「いつものことだ」
「いや駄目だろ! 一国の姫がそうふらふらと出歩いたら問題に――」
言葉を止めた。はい? と首を傾げているウェイトレスを見て、地獄の底から絞り出したような声を発しながら机に突っ伏す。あの時の決意とか覚悟とか、その他諸々って一体何だったのだろう。そんなことをふと思った。
「ライ、ダスト。貴公のあの時があるからこそ、この状況が出来ている。だから嘆かず、誇ればいいと思うぞ」
「モニカ。今の俺にとってそれは追撃でしかないんだが……」
「え? 何? ひょっとして今私厄介者扱いされてる?」
「やばいですね☆」
「ティアナちゃんまでそういう事言うの!?」
「今のわたしは、ただの冒険者、お腹ペコペコのペコリーヌですから」
しれっとそう述べるペコリーヌを見て、少女はぐぬぬと顔を顰める。そうしながら、彼女は隣のダストへとしなだれかかった。普段の彼ならばチャンスとばかりに胸や尻を揉むのだが、ガリガリと頭を掻くだけで何もしない。むしろ引き剥がしにかかる始末である。
「何でよー」
「何故も何も。婚約者がいる方が、こんなどこの馬の骨かも分からないチンピラに近付いていいわけないでしょう」
「よーっく知ってるから問題ないわね。後婚約なら保留になったわ」
「はぁ!? ちょ、ちょっとリオノール姫!? どうしてそんな」
がしりと彼女の肩を掴み思わず詰め寄る。対するリオノール姫は、ゆっくりと目を閉じると少しだけ顎を引いて上を向いた。
キス待ち体勢である。
「……姫、ふざけるのも」
「ダスト!? あんた一体何やってるのよ!」
久々に感じるこれを懐かしいとも思わず、ダストは再度文句を言おうと口を開きかけた。が、それは途中で止められる。タイミングが良いのか悪いのか、一連の流れを見て暫し酒場の入り口でフリーズしていたリーンが乗り込んできたのだ。
彼女から見れば、いつものように女性にセクハラをはたらいているダストの図、である。
「いきなり変なこと言って酒場から逃げようとしていたくせに、今度は女の人に痴漢行為……!? あんたってやつは」
「ま、待てリーン! 誤解だ、違う! 俺はむしろ被害者だ!」
「ダストったら、強引に私の唇を奪おうと肩を掴んできて……きゃ」
「何を言ってるんですか何を!」
頬に手を当ていやんいやんと悶えるリオノール姫を見て、リーンは目を見開いた。この人、ダストを嫌がっていない。それは彼女にとって衝撃的で、色々と価値観が崩壊するほどの出来事だ。
「あ、でもクウカもそこまでか……」
「リーン、流石にあれとこの方を一緒にするのは……いや、厄介って点では一緒か」
「ねえモニカ。よく分からないけど、ラインが私の扱いを凄くぞんざいにしてるみたいなの」
「妥当では?」
迷うことなく、モニカはそう返した。
「えーっと、リール、さん?」
「はい。よろしくお願いしますね、リーンさん」
まだ若干困惑しているが、とりあえず落ち着いたらしいリーンを交えたことで、改めて自己紹介が始まる。勿論ブライドル王国第一王女リオノールだなどと堂々宣言出来ないので偽名ではあるが。蛇足ではあるが彼女はもういいかなと堂々名乗りかけた。
「それで、そっちの女の子は」
「モニカだ。一応言っておくが、私は子供ではない。年齢も十七だ」
「……背伸びしたいお年頃なんだね」
「いやリーン、マジだから。こいつ、本当にその見た目でお前より年上なんだよ」
「……本当に?」
うんうん、とダストもリオノール姫もついでにペコリーヌも頷く。それでやっと信じたのか、ごめんなさいとリーンはモニカに謝罪した。まあ慣れているからな、と自嘲気味に苦笑した彼女を見て、リーンはもう一度頭を下げる。
「それで……。二人はダストとはどういう関係なの?」
「それは勿論、私とダストは愛し合――」
「昔お世話になったんだよ。いや、どっちかっつーとお世話した方か?」
「ちょっとダスト、何で割り込むの!?」
「有る事無い事言う気だったでしょうが」
「そっちこそ。何よお世話した方って! そうね、色々迷惑かけたわ」
「自覚あるなら自重してくださいよ……」
はぁ、と溜息を吐くダストの頬を、リオノールはうりうりと突く。鬱陶しい、と彼はその手を払いのけると、ちなみにそっちはその時の同僚だとモニカを指差した。
「ふーん……」
「何だよ、信用できないってか? こればっかりは」
「別に、疑ってるわけじゃないけど」
リオノールを見る。どことなく自分と似ている顔立ちの少女を見ながら、ダストと彼女が気安いやり取りをしているのを見ながら。
何とも言えないモヤモヤを感じて、リーンは不貞腐れたように頬杖をついた。
「ところで、二人はどうしてここに?」
さり気なく注文された飲み物を運んできながら、ペコリーヌが問い掛ける。彼女のそれを聞いて、モニカはどうしたものかとリーンを見た。他の面々はともかく、彼女は部外者だ。こちらの正体も当然知らない。となると必然的にこの場で公開できる情報も限られるわけで。
「んー。モニカ、どこまで言っていいかしら?」
「……お嬢様が聖テレサ女学院の関係者だということくらいです」
「そう。じゃあ、そういうわけなの」
「どういうわけだよ……」
「秘密がある方が魅力が増すでしょ?」
「不安しか増しませんね」
はん、と鼻で笑ったダストを見て、リオノールは目を細める。この野郎、と彼にデコピンをかまそうとして、腕を捕まれ抓られた。そのやり取りを、モニカはどこか懐かしそうに眺めている。あの頃より容赦なくなったな。そんな感想をついでに抱いた。
「もー。女の子を傷物にして許されると思ってるの?」
「はいはい。じゃあどうすれば許してくれますかね」
「そうね……」
少しだけ考える素振りを見せる。そうしながら、リオノールはペコリーヌを見て、そして対面にいるリーンを見た。これだ、と口元を三日月に歪めた。
「さっき言ってたことだけど。実はまだ用事を済ませるまで余裕があるの」
「はぁ、それで?」
「……ねえ、ダスト。付き合ってくれないかしら」
「え!? ちょ、ちょっとリールさん!? 付き合うって」
ガタン、と椅子を倒しながらリーンが立ち上がる。が、その反応をしたのは彼女一人だけで、普段のリオノールを知っている残りの面々は流した。
「か、買い物とか?」
「男女の関係になりましょうってことだけど」
「誤解じゃなかった!?」
「お断りします」
「ダストが断った!? 嘘!?」
「彼女、これまでで一番驚いているのだが……。ユースティアナ様、ラインはここでどんな生活をしているのですか?」
「……女好きのチンピラ、ですかね」
ペコリーヌの言葉にモニカは暫し目を瞬かせ、思わず頬を抓った。痛い、夢じゃない。それを確認し、色々頑張ったのだなと斜め上の納得をする。
そしてもう一方。まあ勿論冗談だから。そう言ってリーンを落ち着かせたリオノールは、改めてと笑顔でダストと、そしてリーンを見た。
「この街でちょっとだけ冒険者をやりたいの。付き合ってくれないかしら」
どっちから進めようか……紅魔の里かな