「うっがぁぁぁぁぁ!」
「きゃ、キャルさまぁ!」
キャルは力尽きた。コッコロの目の前で、机に突っ伏したままピクリとも動かなくなる。オロオロとそんな彼女を介抱しようとするコッコロとは対照的に、カズマはどこか諦めたような顔でゆっくりと頭を振っていた。
「もう駄目だ、コッコロ。キャルはもう、駄目なんだ……」
「で、ですが主さま……!」
「辛いだろうが、認めないと駄目なんだ。キャルはもう、手遅れだ……」
「そ、そんな……キャルさま……」
ヨロヨロと後ずさり、涙を堪えるように目を閉じる。そんなコッコロを見て、カズマは静かに彼女へと寄り添った。泣かないでくれ。そんなことを言いながら、彼は彼女をゆっくりと。
「ふざ……っけんな……! ぶっ殺すぞ……!」
「お、生きてた」
「当たり前でしょうが! いや、うん、ちょっと心は自信なかったけど」
ガバリと蘇ったキャルは、しかしすぐに黄昏れた表情のまま遠くを見る。現実逃避をしながら、それでも向き直らんと机の書類に目を向けた。
アクシズ教徒への苦情処理である。
「何であたしがやってんの……?」
「名誉アクシズ巫女だからだろ」
「あたしはきっぱりかっちり微塵も認めてない!」
こんちきちぃ、とその書類の束を思い切り拳で押し潰したキャルは、再度力尽きたように項垂れた。本当に何故こんなことに。自問自答しながらフラフラと彼女は頭を揺らす。
そんなキャルを見て、何言ってんだお前とカズマは一刀両断した。
「自分でやったんじゃねーか。アクセルのアクシズ教徒に説教」
「……だって」
キャルは基本的に善人である。捻くれているし、口は悪いし、悪巧みもするし、サボり癖もあるし、沸点も低い上にすぐ手が出る。それでも、彼女の根底はお人好しだ。
だから、アクシズ教徒の度を越した暴走を、見て見ぬ振りが出来なかった。彼女の首についているチョーカーが、アクシズの良心が、それを許さなかった。
「いや、何でよりによって商店街のど真ん中でやった挙げ句自分でアクシズの巫女宣言してんだよ」
「ですが主さま、商店街の皆さまは喜んでおられましたよ?」
「ぐふぅ……っ」
問題は、彼女の運が悪かったことである。タイミングと言い換えてもいい。もしくは頭。
彼女はアクセルのアクシズ教徒へアルカンレティアの新体制を説き、ついでに自身の身分を明かした。その方が説得力が増すと考えたのだ。結果として正しい行動ではあったのは間違いない。
「勢いで後先考えず行動する辺り、お前もやっぱりアクシズ教徒なんだな」
「カズマ、あんたは今、絶対に言ってはいけない事を言ったわ」
杖を構えた。目が据わっているキャルを見て、こいつ本気だとカズマも後ずさる。ちなみに場所は教会の中。魔法なんぞぶっ放したら間違いなく建物が壊れる。
幸いなのは、アクシズ教の教会であるということであろうか。
「キャルさま! 落ち着いてくださいませ」
「……だってコロ助、カズマが」
「はい、主さまのそれは少し心無い発言であったとわたくしも思います。それについては後でわたくしが言い聞かせますので」
「親かっ!」
「キャル、一応言っとくがお前もだぞ」
カズマとキャルの親目線。そういう発言である。ともあれ、コッコロの言葉で幾分か落ち着いたキャルは、めっですよとお叱りを受けているカズマを見ながら溜息を吐いた。
「んで、それ終わりそうなのか?」
「終わるわけないじゃない」
「じゃあ、どうすんだよ」
「知らん。自分で見かけたら別だけど、流石に目の届かない場所まで責任持てないわ。やれないことまで無理しても良いことなんて何もないもの。やれることだけやっておけばいいのよ」
言い方はアレだが、とりあえず確認だけはするらしい。自分から関わりには行かないが、見て見ぬ振りもしないと、そういうわけである。そのことを理解しているコッコロは、そうですか、と優しい笑顔だ。
そのまま暫し書類とにらめっこをしていたキャルは、一段落ついたのか目頭を揉みほぐして伸びをした。仕事終わり、と言わんばかりのその行動をとった後、何かを考え込むように周囲を見る。
「……責任者、なんでいないのよ」
「教会も、ほぼ無人のようでしたし」
おかげで他教のコッコロがお茶を淹れてもお咎めなしだ。さりげなく近所に尋ねてみたところ、前任者はいつぞやの湖の浄化で遅れを取ったことでアルカンレティアへ舞い戻り修業を続けていて帰ってこないらしい。放置されっぱなしなのは、この間の騒動が尾を引いているからだろう。
「なあ、キャル」
「何よ」
「お前が」
「絶対に嫌!」
最後まで言わせない。そんな鋼の意志を感じた。
結局、アクシズ教会アクセル支部の新しい責任者を用意するようアルカンレティアへ要請する手紙を書くことに落ち着いた。キャルは物凄く嫌そうな顔でマナへと手紙を書いていたが、コッコロの見立てによるとお世話になっている相手に迷惑をかけたくないという思いがあるらしい。普段彼女を信用と信頼でゲージマックスにしているカズマにしてもそれは流石に違くない? と疑問に思わないでもなかったが、まあどちらにせよ彼にはそこまで関係がない。
「……ん? 何か一瞬寒気が」
関係がないはずなのだが、カズマは何か嫌な予感がした。アクシズ教会に人員がやって来るだけだ。何ら問題はない。マナとラビリスタで改革をしている以上、問題要素も多少は薄まっているか別ベクトルになっているのだから。
そんなわけで彼はその予感を頭の片隅に追いやった。ひょっとしたら、無意識にその予感を悪いものではないと脳内変換していたのかもしれない。女神の加護をぶち抜く何かを、考えないようにしていたのかもしれない。
「さて、と」
ともあれ、現在カズマは用事もなくただぶらつく冴えない男である。どうせだからとコッコロがアクシズ教会を掃除し始めたので、別行動と相成ったのだ。キャルはコッコロに付き合っており、ペコリーヌは酒場でアルバイト。冒険の予定もない彼は現状暇人だ。
別段お金に困っているわけでもなし。どこか適当に店でも冷やかしに行くか。そんなことを考えていたカズマの背中に声が掛けられた。振り向くと、一人の女性がこちらに柔らかな笑みを浮かべている。
「すいません。実はこの街に来たばかりなのですが、少し案内をしてもらってもよろしいでしょうか?」
「俺に?」
こくりと女性は頷く。カズマはそんな彼女を見て、ふむ、と少しだけ目を細めた。黒髪ロングのストレート、穏やかな顔付き。眼鏡と泣きぼくろがアクセントで、スタイルも良い。年はカズマよりも少し上だろうか。
「分かりました。俺で良かったら、喜んで」
「ありがとうございます」
そう言って笑顔を見せる女性にキメ顔をしながら、カズマは彼女に名を名乗る。その名前を聞いた女性が一瞬ピクリと反応をしたが、好みの女性を前に調子に乗っている彼は気付いていなかった。
そんな女性の内心であるが。
(こいつが噂のサトウカズマ!? え? 本気か!? 今のあたしでもぶっ殺せるぞこいつ……)
言うまでもないが、女性の正体は変装を施したセレスディナである。念の為占い師に聞いてみたところ、普段よりも変装を色濃くしていくと良いということであったので言う通りにしたのだ。
その成果なのか、道中で最近噂になっている一人の勇者候補の噂を耳にしていた。何でも、強者として知られるベルゼルグ王国第二王女を退けるほどの実力の持ち主だとか。
もう一度彼を見る。どう見ても貧弱で、どう考えても噂になるような勇者候補とは思えない。ガセ情報か、あるいは人違い。そう結論付けたセレスディナは、当初の目的通りアクセルの街の調査を開始しようと気を取り直した。
二人並んで歩きながら、さり気なく情報を抜き取る。別段警戒をしている様子もない彼は、アクセルについて知っていることをペラペラと話していた。元々案内なので何も間違った行動でもなかったからだ。
が、そう誘導した張本人は別である。
「……えっと、すいません。私の聞き間違いでしょうか?」
「ん? 何か分かりづらいところがあったか?」
「アンデッドと悪魔が普通に暮らしている、と」
「そうそう。この街の大貴族の屋敷に居候してたり、この街の大貴族に雇われて魔道具店経営してたりしてるんだよ」
何考えてんだこの街の大貴族。思わず素に戻ってツッコミを入れそうになったのを必死で押し留めた。ひょっとしてからかわれているだけなのでは、というよりその可能性のほうが絶対に高い。うんうんと一人思い直し、セレスディナはとりあえず無難な返事を行った。
「他にも、何か秘密があったりします?」
「秘密?」
「いえ、私も冒険者の端くれですが、噂で聞こえてきたもので」
「……あー」
心当たりがあったのか、カズマはそんな彼女の言葉にガリガリと頭を掻く。恐らく噂とやらはアクセル変人窟のことだろう。さっきの連中もそこに含まれるので既に話しているといえばそうなのだが、話のネタにするならばもう少し普通の面子のがいいかもしれない。そんなことを思いながら、この街にいる名物冒険者のことだろうという前置きをして言葉を紡ぐ。
「……えーっと」
「どうされました?」
「いや、ちょっと待ってくれ」
普通の面子ってなんだ? 壁となって立ちふさがった疑問がこれである。正直まともさで言うならばイリヤ辺りが大分上に来るが、公爵級悪魔がその位置な時点でアウトだ。
「……ちょむすけさん、とかでギリギリか」
「……変わった名前ですね、紅魔族の人ですか」
「紅魔族用の名前名乗ってるだけで、本名は別にあるみたいだけどな」
「わざわざ紅魔族用の名前を……?」
セレスディナの表情が訝しむものに変わっていく。それは大分変な人なのでは。口には出さずに、しかし思い切り顔に出ていたらしいそれは、カズマも同意しているようでこれでもまともな方なんだってばと精一杯のフォローをしていた。間違いなくフォローではない。
「え、っと。変人――じゃなかった、アクセル名物の方々についてはとりあえずいいので、他の、普通の冒険者については」
「普通の冒険者は、ぶっちゃけ本当に普通だぞ。まあ多少変な面子もいるけど、あの辺と比べるとすげー普通」
「こう言ってはなんですが、比べる対象を間違えているのでは?」
苦笑しながらそう述べるセレスディナに、カズマはまあそうかもしれないなと笑いながら返す。話題がその方向に行ったことで、二人の目的地は必然的に冒険者ギルドとなっていた。
ギルド酒場の入り口に辿り着く。大抵の変人はあまりギルド酒場にいないので、案内する場所としては割と初心者向きだ。そんなことを言いつつ、若干頬が引き攣っているセレスディナにも気付かずに、カズマは何の気なしに扉を開いた。
「ダストダスト! これ、これにするわよ!」
「グリフォンとマンティコアの縄張り争いを――ってこれ塩漬けクエストじゃねーか! 無理に決まってるでしょうが!」
「……」
「本当、勘弁してくださいよ……。あ! カズマ、カズマ! ちょっと助けてくれ! 親友だろ俺達!」
「いいえ、知り合いかも怪しいです」
「待て待て、いいか? 話し合おう。今回は本気で、打算も何もない純度百パーセントで困ってるんだ。だからな? な?」
数少ない、普通の範疇の変な面子であるダストが、若干涙目でこちらに縋ってくるのを見て、カズマは思わず視線を横に向ける。物凄く胡散臭気な目でセレスディナが見ているのが視界に入ったので、彼は見なかったことにした。
「何でよー。私は天下のアークウィザードよ。ほれほれ」
「近い近い!」
さあ見ろとばかりに冒険者カードを突き付けるリオノール。見せるというよりもくっつけるという表現の方が正しいそれを、ダストは嫌そうに払いのける。そもそも、そんなものは見なくても分かっているのだ。彼女の冒険者カードは、あの時のものだから。ほんの僅かな時間のそれを、ずっと大切に持っていたのだから。
「ひ――リール。いいですか? そもそも、この街でアークウィザードといえば、変人の代名詞。自慢出来るものじゃないんですよ」
「全方向に喧嘩売ってんなお前」
そうツッコミを入れつつも、以前同じ感想を抱いた身としては深く頷きたい衝動に駆られる。ついでに言うと、カズマにとっては既に目の前のリーンによく似た少女はカテゴリ入りを果たしていた。
だってダストが振り回されている上に敬語だ。ドン引きしない理由がない。
「カズマ、お前も言ってやってくれよ。ここは初心者の街とは名ばかりの魔境で、魔王軍幹部も捕食された呪われた場所だってな」
「いやそこまで口に出したなら自分で言えよ」
「いやだって俺自身はその場面見てないからな。リアリティに欠けるだろ?」
「知らねぇよ」
ダストの要求を突っぱねる。自分は関係ない、特に用事もないがこいつと関わる暇はない。そう自分に言い聞かせながらカズマは共にこの場所に来た彼女へと向き直る。
彼女の表情、一瞬ではあるがその目が鋭いものに変わっていて、見間違いかと目を擦った。
「あの、すいません」
「ん?」
「先程の話、もう少し詳しく聞かせてもらえませんか?」
「さっきの話っていうと、この街が呪われた場所だってやつか?」
「はい」
一方のセレスディナ。思いも寄らない場所で情報を手に入れるチャンスを掴んだとダストに詰め寄る。いきなりのそれにほんの僅かたじろいだダストであったが、すぐにその表情を笑みに変えると、ああ分かったと頷いた。
「が、ちょっと話が長くなるからな。ここじゃなんだから、近くにある宿にでも」
「ダスト」
ポン、とその肩に手が置かれた。思わずビクリと跳ね上がったその隙に、リオノールが彼とセレスディナの間に割り込む。ゼロ距離である。ぶっちゃけるのならば、抱きついた状態である。むにぃ、とダストの胸板にリオノールの双丘が強く押し付けられていた。
「そういう相手が欲しいなら早く言ってちょうだい。私は、構わないわよ」
「あー、いや失敬失敬。ほんのちょっと世間話するくらいで済むんだった」
「は、はぁ……」
状況がよく分からないセレスディナにそう断りを入れると同時に、ダストはリオノールを引き剥がした。酒場の視線が痛いが、彼にとってそれはいつものこと。問題はすぐそこで自身を射殺さんばかりの視線を向けているモニカの隣にいる彼女である。
「……おいリーン。何睨んでんだよ」
「別に、睨んでない」
「あ、ひょっとしてリーンさんもダストに抱きつきたい?」
「マジか」
「ち、違います! ダストに抱きつくとか、ありえません!」
「そうなの? じゃあ私は遠慮なく」
「何が遠慮なくなのか教えてくれませんかねぇ!」
てい、ともう一度ダストにハグを敢行したリオノールを見て、リーンの目が見開かれる。横にいるモニカは正直勘弁して欲しいと肩を落としていた。
状況についていけないのがカズマである。何だこれ、と思わず呟き、次いで何であいつモテてんだよ死ね、と呪詛を吐いた。
「カズマくん」
ててて、とペコリーヌが寄ってくる。どうしたもんですかね~、と呑気にのたまっているので、どうやら彼女はある程度この惨状の経緯を知っているらしい。
「あ、そうだカズマくん。今から暇ですか?」
「忙しいぞ。そこにいる人に街の案内を頼まれてるからな」
セレスディナを指差す。が、彼女はお気になさらずと笑みを浮かべた。もし何か依頼を受けるのならばお供しますと言葉を続けた。
ここにいる面子は、恐らく丁度いい情報源。駆け出し冒険者の街の依頼などたかが知れているだろうから、同行して信頼度を上げるのも手だ。おおよそ彼女の心境はそんな感じである。
「本当!? じゃあ私の冒険に付き合ってくれない?」
食いついたのはリオノールだ。冒険者のクラスは何だと聞かれたセレスディナがプリーストだと返したので、よし丁度いいと拳を握る。ダストは色々諦めつつも往生際悪く何とか出来ないかと考え、でも無理だと絶望の表情を浮かべていた。
「えーっと、カズマくん……それで、さっきの話なんですけど」
どうやら既に彼女は頭数に入れられているらしい。ペコリーヌが申し訳無さそうにカズマを見たので、色々と察した。はぁ、と溜息を吐きながら、分かった分かったと彼女に返す。
「しょうがねぇなぁ……」
「えっへへ~。ありがとうございます、カズマくん」
そう言って笑みを浮かべるペコリーヌを見て、カズマはどこか気恥ずかしくなって視線を逸らす。ついでにコッコロとキャルも巻き込もうとかと口に出しかけ、先程までの光景を思い出し駄目だと息を吐いた。
「なあ、ところであれ、大丈夫なんだろうな?」
「そうですね~。まあ、皆そこそこ強いですし、適当なクエストなら――」
戦力も充実したし、とリオノールがクエストボードに張ってある依頼の紙を勢いよく剥がす。これに決定、とカウンターに持っていったその依頼書には、難易度を示すマークが紙いっぱいに書かれていた。本当に受けるんですか、とルナが念押ししている。
「適当なクエストなら、なんだって?」
「やばいですね……」
無理矢理にでもあの二人を引っ張ってきた方がいいかもしれない。カズマは割と本気でそんなことを考えた。
今回の被害者枠候補:セレスディナ