「――はっ!」
意識を取り戻したセレスディナの視界に映ったのは空ではなく天井。どういうことだと体を起こすと、見知らぬエルフの少女が柔らかな笑みを浮かべているのが見えた。
「よかった。お目覚めになられたのですね」
「え? あ、はい」
エルフの少女の言葉にそう返すと、彼女は椅子から立ち上がりパタパタと部屋の外に出ていく。セレナさまの意識が戻りました、そう言っているのが聞こえ、セレスディナは自身の現状をようやく思い出した。
「……何なんだあの女……」
グリフォンの攻撃から守るために突き飛ばしたのだろうが、それにしたって限度がある。死んでないだけマシといえばそうかもしれない。そこまで考え、いや違うだろと自身でツッコミを入れた。問題はそれより、駆け出し冒険者の街という呼び名に明らかに相応しくないあの連中だ。
魔王軍幹部の一人で、人間であることを活かし街への潜入を度々行っていたセレスディナだからこそ分かる。あの連中は異常だ。明らかに魔王軍との最前線でドンパチやっているようなレベルの実力者、それがこんな場所にいることがおかしい。
そして何より。
「勇者……。魔王軍の、最大の脅威がこの街に」
この世界に稀に現れる、とてつもない力や武具を持った人間達。勇者候補と人が呼んでいるその連中の中でも、更に特別。あの、かつての伝説と同じ名を持ったあの男。
出来ることならば、警戒される前に始末することが望ましい。報告して、それから対策を立てたのでは間に合わない可能性があるからだ。
「魔王様と同じ力を持った勇者と、その周りにいる強力な冒険者たち……」
この連中がその気になったら、ひょっとしたら。最悪の想像をして、セレスディナは震えた。駄目だ、すぐにでも行動せねば、想像が現実になってしまう。
「セレナさん、大丈夫ですか?」
「ひっ!」
そんな決意を秘めたそのタイミングでペコリーヌがやってくる。不意打ち気味にやってきた彼女に思わず変な声が出た。こほんと咳払いをすると、ご心配おかけしましたと外面を被って対応する。
ペコリーヌはそんなセレスディナを見て、それならよかったですと胸を撫で下ろした。ごめんなさいともう一度あの時のことを謝ると、ところでお腹空いていませんかと言葉を続けた。
部屋の時計を見ると、どうやら既に夕食の時間。クエストの後、ここまで運ばれる間に結構な時間が経っていた。先程の考えを実行するためにも、まずは警戒をされないよう立ち振る舞うべき。そう考えたセレスディナはええ少しと微笑む、実際腹は減っていた。
「それはよかった。リーンちゃんやダストさん、リールちゃんとかモニカちゃんもいるので、みんなでご飯を食べましょう」
ぺかー、と何の邪気もない笑顔をペコリーヌは見せる。どうやら単純な思考をしているらしい、そんなことを思いながら、では遠慮なくと彼女の提案に頷いた。案内されている途中に、ここはアクセルの街の一角でアメス教会だという説明を受ける。聞き覚えのない名前にセレスディナは首を傾げたが、先程のエルフの少女コッコロの故郷の村で僅かに信仰されていた女神だという説明を受け、彼女はその境遇にほんの少しだけ親近感を覚えた。
あ、でも今は立派な教会あるのか、じゃあ駄目だ。そう思い直し即座に破棄した。
案内されたそこには、クエストで一緒であったダスト達の他にも、先程のコッコロ、そして見覚えのない獣人の少女がいる。どうやらあのカズマとペコリーヌのパーティーメンバーらしい。はじめまして、よろしくお願いします、と微笑むと、よろしくという簡潔な返事が来た。どことなく疲れた様子から、何か苦労をしていたらしい。
「ではでは、今日のメニューは、これです!」
ででん、と大きなテーブルいっぱいに肉料理が並ぶ。ステーキ、ハンバーグ、唐揚げ、フライ。全部食べたら胃もたれしそうなカロリーの面子が、これでもかと主張を行っていた。とはいえ、そのどれもが美味しそうな香りを放っており、食欲は増していく。
「……?」
が、そんな料理を見てもダストとリーンの表情は優れなかった。いやまあ前にも食べたけどさ、と呟いているのが聞こえたが、セレスディナには何のことだか分からない。
いただきまーす、と食事が始まったが、やはりその二人はどことなく恐る恐るハンバーグを皿に取っていた。
「あら? ダスト、食べないの?」
「いやむしろ何で平気なんだよ」
「美味しそうじゃない。ペコちゃんが作ったのなら、変なものも入ってないでしょ」
「あれを変なものじゃないと言い張りやがりますか」
「まあ、少し材料が変わっている程度ではないか?」
「お前はそれでいいのか……? 姫の毒素にやられてないか?」
「失礼しちゃうわね」
平気でパクつくリオノールとモニカをダストは呆れたような目で見ている。ともあれ、別に問題はなさそうだ。そんなことを思いつつセレスディナもその肉を食べる。思った以上にジューシーなそれは、今まで食べたことのない味わいであった。
「えっと、セレナさん、だったわよね?」
そんな彼女に獣人の少女が声を掛ける。キャル、と呼ばれていたその少女は、彼女に近付くとひょっとして気付いていないのかと問い掛けた。
「何かありました?」
「それ、今日あんた達が狩ったグリフォンとマンティコアよ」
「っ!? ごっふごっほごふ!」
むせた。確かにモンスターを食用にすることはあるので、その行為自体に驚きはない。問題は種類だ。ジャイアントトードがこの町では一般的で、別の場所では走り鷹鳶と呼ばれる鳥型モンスターや雪鳥兎と呼ばれる獣型モンスターも食用にされたりする場合もある。高級食材としてワイバーン辺りも知られてはいる。
そういう意味では、グリフォンはギリギリ許容範囲なのかもしれない。食用にされたという話を聞いてはいないが、鳥型モンスターに分類されるだろう。
マンティコア。魔法生物で、会話が出来て。それを食うのか。確か戦闘中喋っていた気がするのだが、それを料理したのか。調理されたマンティコアの成れの果てを一瞥し、セレスディナはそれを行ったらしいペコリーヌを見た。猛烈な勢いで食べている彼女を見た。
「……ティアラ無いのに食うのな」
「何にせよ、お腹は空きますからね。まあでも、以前よりは食欲落ちましたよ」
「それで?」
「はい」
自身の倍以上の肉を食べているペコリーヌを、カズマは呆れたように見やる。太るぞ、と呟くと、彼女は手を止めてお腹を摘んだ。が、その分動けば問題ない、と思い直し食事を再開した。だろうな、とカズマもそれ以上何も言わずに目の前の肉を食っている。
躊躇いなく人語を介する存在の肉を食っている二人を見て、セレスディナは理解した。成程、つまりこの町の住人はそういう存在なのだ、と。
(そういや、魔王軍幹部を食ったとか最初に言ってやがったな……)
つまりベルディアもこうなったのだろう。デュラハンを食うとか正気の沙汰ではないが、ここまで来たらそういう常識は捨て去ってしまったほうが楽だ。色々と諦めながらマンティコアを食うことにしたセレスディナは、とりあえずもう一つ決意を固めた。
正体バレたら食われるかもしれんので、絶対に隠し通そう。
さて、方針は決まったがどうするべきか。セレスディナは会話を交わした生物の肉で腹を満たした後、今日は泊まっていって構いませんという厚意をやんわり断りながら考えを巡らせていた。
彼女の能力は物凄い勢いで弱体化している。数少ないレジーナ信者であることで身に付けていた加護は今や普通レベルだ。復讐の加護は弱体化した上任意発動であるし、傀儡の加護もそのキャパシティに限界がある。それでも、普通のその辺にいるプリーストとは違うことが可能なのは変わりない。それを使い、なんとしてもあの勇者の後継を始末せねば。
手っ取り早いのは彼のパーティーメンバーを傀儡にすることだ。あの頭のおかしい腹ペコにはなるべく近付きたくないので、先程出会った残り二人。コッコロとキャルとかいう少女のどちらか、あるいは両方を取り込むのがいいだろう。だからこそ借りを作らぬために誘いも断った。
(とりあえず軽く感謝の気持ちでも持ってもらうとするか)
取っ掛かりさえ作れば、後はそれを拡大させればいい。キャパシティに限界があるのならばそれを質の向上に注ぎ込めば問題ない。弱くなったなりに運用をしてきた彼女にとって、今回も同じようにいけるものだと思い込んでいた。
食事の片付けを手伝い、暫し談笑をする。その合間合間に、プリーストの端くれとしてや魔王軍の幹部としての経験を活かした立ち回りを行った。クエストの支援やそれまで外面のおかげか、そこまでは割とすんなり行くことが出来た。
「成程。セレナさまは布教のために冒険者の道を歩んでおられるのですね」
「はい。レジーナ様を信じる者が少しでも増えれば、と」
同じプリーストの立場で、同じマイナー女神を信仰する者として。コッコロとはそれなりに距離を詰めた。こちらで手伝えることがあるのならば、と微笑むと、ありがとうございますと彼女は返してくる。
そしてキャルは、今回のクエストの話を聞いて何故か同類を見るような目でセレスディナに同調した。うちのが苦労かけたわね、と彼女に告げるその目はどこか優しげだ。
「いえ。あの、キャルさんも、なにか困ったことがあったら、遠慮なくおっしゃってください。私でよければ、お手伝いします」
「……うん。ありがと」
よし、とセレスディナは内心ほくそ笑む。経緯はどうあれ、取っ掛かりは出来た。予定通り、それを広げ、傀儡の対象に。
「――え?」
「セレナさま? どうされました?」
「どうしたのよ」
そこに手を突っ込もうとしたその瞬間、猛烈な勢いで弾かれた。一体何が起きた、と思わず呆然としてしまう。二人に声を掛けられ我に返ったが、先程の原因が分からず、ただただ困惑するばかりだ。
もう一度試そうと、セレスディナは二人の内面に己の傀儡の加護を向ける。先程出来上がった取っ掛かりにそれを流し込み、段々と自身の思い通りへ作り変えるのだ。
そうしようとした矢先、先程よりも強く弾かれた。あくまで感覚、行動を伴っていないはずなのに、まるで右腕が消し飛ばされたように感じられ、思わず彼女は右腕の存在を確かめた。
そうしながら、見た。見えてしまった。彼女が触れようとしたそこに何があったのか。コッコロとキャルの加護が何であったのか。なまじっか強い加護を受けていた経験があったからこそ、分かってしまった。
セレスディナはそれを見る。コッコロを守るように、そしてこちらを思い切り睨み付けるようにしている、歯車の羽を持った女神を。
そして。キャルを自慢するように、そしてこちらに中指をおっ立てている羽衣を纏った水色の髪をした女神を。
「ひっ!」
「セレナさま!?」
「ど、どうしたのよ!?」
目を見開き、顔を真っ青にしたセレスディナが悲鳴を上げて後ずさる。見えた、見えてしまった。実際に姿を見たことはないが、あれは間違いなく。
そろそろお暇します。そう告げると、セレスディナは教会を後にした。心配していた表情の二人には、お気になさらずと答えはしたものの、あれでは間違いなくそれで納得はしないだろう。それでも敢えて聞かずにいてくれるのは彼女達なりの気の使いようなのだろう。借りを作ったと言い換えてもいい。つまりは失敗だ。
だが、それでも構わなかった。セレスディナとしては一刻も早くあれから離れたかった。これ以上あそこにいたくなかった。
「な、何なんだよあの場所は……! 勇者と、アホみたいに強い女騎士と、ドマイナー女神の加護をメチャクチャに受けてるガキと……アクシズ教の、巫女!?」
これまで見てきたどの信徒よりも女神アクアの神気が濃かった。アルカンレティアでもあそこまでの者はまずいないだろう。女神アメスと仲が良さげにこちらを攻め立てるそのオーラは、気を抜くと吐きそうになるくらい酷い。全盛期ならともかく、今の状態では逆立ちしたって勝てそうになかった。
「ちくしょう……! ふざけやがって!」
誰にも聞こえないように毒づく。手早く片付けようと考えていたそこは、想像以上に混沌としていた。簡単な方法だと思っていたそれが、実現不可能なほど困難な道程であった。
作戦変更だ。一刻も早く魔王城へ報告を。その考えもよぎったが、現状それで出来るのはこの街に全戦力を投入するということくらい。魔王としての役割、矜持を持っている彼へ、彼女がその意見を出したところで実現するまでに時間がかかる。
何より。女神二柱に睨まれた現状で下手な動きを見せると消されかねない。セレスディナはこれでもダークプリースト、女神の怖さは身に沁みている。
「ち、っくしょう!」
つまりは、詰みだ。彼女に出来ることは、女神の睨みを避けつつほとぼりが冷めた頃にこの街から脱出し魔王城へ手遅れかもしれない情報を届けるか、あの二人を避けつつ別の方法で勇者を始末するか。そのどちらも、現実的ではない。
苛立ちを隠せず、思わず近くの木箱を蹴り飛ばしてしまった。外面が外れていたことを思い出し、いかんいかんと我に返る。誰かに見られていないだろうか、と視線を巡らせ。
「ひ、ひぃ……」
一人の少女が震えているのが視界に入った。レオタードのような踊り子らしき服を身に付けたその少女は、丁度蹴り飛ばした木箱の射線上にいたらしく、眼前で弾け飛んだそれと蹴ったセレスディナを交互に見ていた。
しまった。そうは思ったが、一人だけならまだどうとでもなる。外面用の笑みを浮かべながら、彼女はゆっくりと少女へ近付き。
「き、木箱を蹴り飛ばしたのは、あれですか!? クウカも同じように蹴り飛ばされるのですか!? 蹴り飛ばされ、グシャリと壁に叩きつけられ、その後踏まれて、地面とサンドイッチにされるのですか!? ぐふ、ぐふふふ」
「――え?」
何だか急に酷いことを言いながら悶え始めた少女を見て、セレスディナは引く。素に戻りかけたが、いいや駄目だと言い聞かせ言葉を紡いだ。そんなことはしないと、大丈夫だと語り掛けた。
「や、優しい言葉と笑顔……それでいて先程の荒い言動と、行動……。はぁん! 警戒心をなくした頃にもう一度、そしてズタボロにされたクウカに優しい笑みを浮かべ、さらなる調教を行うのですね! あぁ、なんというドS……じゅるり」
「……あの、ちょっと」
「こんな、こんな……! あぁ……昂ぶってしまいますぅ! ありがとございます! ありがとうございますぅ!」
「え、ちょ」
目の前で悶える変態に、傀儡の加護が吸われていく。こちらの意思とは無関係に、持っているキャパシティ全部を注ぎ込んで傀儡にされようとしているのだ。自分から。
止められない。完全なるセレスディナの傀儡が、今まさに出来上がろうとしていた。本人が全く望んでいないのに。
「はぁん……ドSさま、お名前を教えていただいても……?」
「え? セレスディナだけど……って、あ」
「セレスディナ様……それが、クウカの信奉するドSさまのお名前なのですね。セレスディナ様のために、クウカ、精一杯、この気持ちを広めます……!」
「いや待て! 今のは無し! というかお前! 何を広めようとしてんだ何を!」
「ドSさまの素晴らしさを、クウカがこの身を持って伝えます……! ですから、ボロ雑巾のように酷使してください。そうして捨てられて野晒しにされ、汚れてしまったクウカを、ドSさまは踏みつけ、そして……じゅるり」
「やらねーよ! 手違いだよ! ああちくしょう! あたしの使える容量全部持っていきやがったこの変態」
こころなしか色がくすんだクウカが暴走を始めようとしたのを、セレスディナは必死で止める。こんなアホみたいなことで正体が露見して討伐されるのは絶対に嫌だ。彼女を突き動かすのはそれだけだ。
「いいから止まれ! クソが! 殺されてぇのか!」
「はぁん! もっと! もっとクウカをなじってくださいぃ……! あ、む、むしろ実力行使でも構いません……ぐふふ」
「あぁぁぁぁもぉぉぉぉ! どうしろってんだよ!」
詰みである。色々な意味で。
闇のドMが現れた!