「どうしてこうなった……」
アクセルの街で途方に暮れるプリーストが一人。魔王軍幹部に属する人間にしてダークプリースト、セレスディナである。そして、その傍らには。
「ふひ、ドSさま……クウカは卑しい雌豚ですので、遠慮なく罵ってください……」
「うるせぇよ!」
「はぁん! 清楚な顔立ちに似合わぬ乱暴な口調! それでいて実力行使も辞さないその姿勢……く、クウカはこれから余計なことをべらべらと口にしたことで足蹴にされ、『傀儡が人間様みたいな口を聞いてんじゃねぇぞ!』とそのまま……じゅるり」
「しねぇよ! ……今物凄い勢いで声の感じ変わらなかったか?」
相も変わらず恍惚の表情で一人トリップしているクウカを見ながら、セレスディナは盛大な溜息を吐く。女神レジーナの傀儡の加護によって、感謝の念を抱いた者を自身のしもべに出来る彼女だが、その力には限界がある。その支配の容量を全て吸い取りやがったのが傍らにいるドMだ。たちの悪いことに、何をやっても感謝の念を抱くのでどう足掻いても借りが返せず支配が解けない。強い信仰心を湧かせることも現状出来そうにない。
なんとかする方法は、思いつく限り一つだけ。
「……明日あたりどこかでモンスターに始末させるか」
「そ、それは……クウカは魔物の群れの中に置き去りにされるということですか? クスリで自由を奪い、何も抵抗できなくなったクウカは投げ捨てられ、そこに興奮した魔物が襲いかかり、容赦なくクウカが蹂躙され続け、そしてドSさまはそれを見ながらゆったりとティータイムを行うのですね!? ああ、なんという性格破綻者! クウカは、クウカはぁ……! ぐふ、ぐふふふふ」
「もうやだぁ……」
思わず顔を手で覆う。ちょっとだけ泣きそうになるのを堪え、気を取り直すように空を見た。既に時刻は夜、始末するにしろ、ドMを使って何かをするにしろ、腰を落ち着ける場所を探さねばならない。
こんなことなら変なこと考えずにあの教会に泊まればよかった。溜息を吐きながら、セレスディナは今日の宿を見付けるべく足を踏み出し。
「や、宿屋をお探しながら、クウカのいる場所はいかがでしょう?」
「……変態がひしめき合ってたりしねぇだろうな」
「ご、ご安心ください。皆さんとても気の良い方々ですから」
「質問に答えろよ」
「……もう少しドスの利いた声で、脅すように言っていただけるとクウカとしても妄想が捗るのですが」
「うるっせぇんだよ! 黙ってろ変態!」
「あ、隠しきれない怒気と殺気。チクチクと刺さる視線。これが街中でなければ今すぐにでも縊り殺してやるのにというその手……イイ! ど、どうしましょう……クウカ、ちょっと興奮してきました」
「さっきからずっとだろうが! くだらねぇこと言ってねぇでさっさと案内しろ。勿論代金はそっちで払えよ、あたしは一エリスも払わねーからな」
「は、はぃぃ。ありがとうございますぅ……」
「……なんでだよぉ。なんで借りが増えるんだよぉ……」
普通ならばこれは傀儡化を解除するきっかけになりかねない行動である。が、ことクウカにとっては妄想を捗らせる一因にしかならず、感謝の念しか湧いてこないわけで。
ルンルン気分のクウカの後ろを、項垂れたままセレスディナが歩く。暫くして辿り着いたその場所は、小綺麗でそこそこの宿であった。値段も見る限りリーズナブルで、成程ここを冒険者が拠点にするのも頷けると彼女は一人頷く。
肝心の冒険者がコレであるが。顔馴染みらしい宿屋の従業員に部屋の追加をお願いしたクウカは、それでは行きましょうとセレスディナに振り返る。一旦落ち着いたのか、その表情は先程までのアヘ顔からある程度普通に戻っていた。
「あれ? クウカと……セレナさん?」
「え?」
割り当てられた部屋へと。そう思っていた矢先に声が掛かる。視線を動かすと、先程教会で共に会話をしていた相手を食べた仲であるリーンがテーブルで何かを飲んでいた。セレナさんもここに泊まるんだ、とほんの少しだけ驚いた表情を浮かべると、席を立ちこちらにやってくる。
「え、ええ。こちらの、クウカさんに教えていただいたので」
「クウカの紹介?」
怪訝な表情を浮かべると、彼女はちらりとクウカを見る。そうなんです、と話すクウカにおかしなところは見られない。常におかしいからだ。
ふーん、とリーンは納得しているのかしていないのか分からない返事をすると、じゃあゆっくり休んでと踵を返す。無理に内側に入ってこないそんな彼女の態度は、今のセレスディナにとって非常にありがたかった。
「……あ、あの。リーンさん?」
「どうしたのクウカ」
「気のせいならいいんですけれど……。何か、ありましたか?」
クウカのその言葉に、リーンがピクリと反応する。そんなこといいからとっととこの場から去らせろ。というセレスディナの心の声は当然聞こえないので、呆れたような疲れたような溜息を吐いたリーンがゆっくりとクウカに向き直った。
「ダスト、今日は別の場所で泊まるんだって」
「あ、ま、またお金がなくなって野宿を?」
「違うわよ。……多分、貴族の屋敷にいるんじゃないの?」
「はい?」
拗ねたようなリーンの言葉に、クウカも思わず目を見開く。コレ絶対厄介なやつじゃんと内心げんなりしているセレスディナを置いてきぼりで、二人は尚も会話を続けていた。
「何かあいつの昔の知り合いっていう女の人が、一緒にいたいって連れてっちゃったのよ」
「……変わった人も、いるんですね」
お前が言うなよ。宿屋一階の食堂スペースにいた面々は皆一斉にそう思った。セレスディナも当然そう思った。
それはそれとして。なんだと、と立ち上がったのはそこにいたダストのパーティーメンバーであるキースだ。あいつだけは絶対にモテないと思っていたのに。そんなことを言いながら、二人の会話に参加する。
「あ、しまった。キースに聞かれると面倒だから黙ってたのに」
「どういう意味だよ」
「そ、そのままの意味では?」
「はいそこ黙る!」
「静かで有無を言わさぬ一言。その力強さは中々です……ぐふ」
クウカはガン無視である。それで何がどうなってんだとリーンに詰め寄るキースであったが、鬱陶しいと押しのけられたことで我に返った。身の危険を感じたとも言う。
そうしながら、リーンは何がどうなってるのかはこっちが聞きたいと溜息を吐いた。ダストの過去など、彼女が知っているはずもない。彼は何も考えていないようなダメ人間で、女好きで、卑怯で。だから何があったかなんて、何も知らない。
「……あいつは、あたしに昔のことなんか何も言ってくれなかったもの」
「リーン……」
「――何よ、何よあいつ! あたしにそっくりのお嬢様にデレデレしちゃって! あれってそういうことでしょ!? あたしがあのお嬢様に似てたから、だからあたしを口説いてたんでしょ! ふざっけんなぁ!」
近くのテーブルを蹴り飛ばす。危ない、とクウカがそれを体で受け止めた。
「あーもう! 知らない! あんなやつのことなんか知らない! キース! 飲むわよ!」
「え、あ、はい」
人間、自分よりキレた人がいると冷静になるらしい。すっかりテンションの戻ったキースは、そのままリーンに連れられテイラーを巻き込みに行ってしまった。
そうしてようやくセレスディナの周囲に平穏が戻ってくる。出来ればそのままいなくなって欲しかったドMは、残念ながらそのままだ。
「部屋の案内、頼むわ……」
「あ、は、はい。こちらです」
「おう、ありがと」
色々どうでも良くなっていた彼女は、気付かなかった。その何気ないやり取りで、クウカが奪っていた傀儡の加護がほんの少しだけ戻ったことを。
お茶をどうぞ、と目の前に置かれたティーカップから、彼は対面の彼女へと視線を移した。現在の場所はアクセルの貴族の住む区画にある屋敷。そして仏頂面なのが街でも有名なチンピラ冒険者ダスト、笑顔なのがブライドル王国の第一王女リオノールだ。
「もー。そんなに怒らなくてもいいじゃない」
「怒らない理由があったのならば教えて欲しいのですが」
ぶうぶう、と文句を言うリオノールに対し、ダストは静かにそう返す。普段の彼からは考えられないようなその立ち振舞は、その横にいた人物達にも驚きをもたらしていた。
信じ難いですが、本当なのですね、と屋敷の提供者であるアキノが呟く。こくりと頷いたモニカは、改めて懐かしの同僚を眺めた。
「そこまでにしてやれライン。姫様も悪気があってやったわけでは……いや、悪気がない方がまずいな。よし、もっと言ってやれ」
「手の平返すの早くない!?」
「普段の行いでしょう?」
ダストの言葉にうぐぐと唸る。が、すぐに表情を戻すと、まあそうねと開き直った。ふふんとどこか自慢気に指を組むと、そこに顎を乗せ少し前のめりになる。
「ねえ、ライン」
「お断りします」
「まだ何も言ってないんだけど!?」
「戻ってこいとか言うつもりでしょう? 私はもう貴族の地位も名前も失ったんです。……アクセルにいるチンピラ冒険者ダストが今の俺だ、今更騎士なんかにゃ戻れねーよ」
そう言って彼は口角を上げる。拒絶の言葉を口にして、それでも立ち去ることはなく。
それを見たリオノールも、満足そうに微笑んだ。そうよね、そうじゃないとね。ペロリと舌で唇を湿らせると、彼女は指を一本立てた。
「じゃあ、ダスト」
「何でしょうかね、お姫様」
「私に協力してくれない?」
「言い方変えただけじゃねーか」
「違うわよ。ライン・シェイカーを手に入れるのは諦めた。でも、冒険者ダストを手に入れるのは諦めない。そういう決意よ」
「……勝手に言ってろ」
「とーぜん。勝手にするわよ」
ふん、とそっぽを向いたダストを、リオノールは嬉しそうに眺める。さっきとは違い、これは拒絶されなかった。本当に嫌ならば、彼は自分が相手でもそう言うからだ。
一方。アキノの傍らにいたポニーテールの女性は、その光景をなんとも言えない表情で眺め目を細めた。
「ああ、すまない。うちの姫様と元同僚が」
「いえ。それは構いませんけど」
モニカの言葉にそう返しながら、女性はううむと腕組みをする。何かあったのだろうかと首を傾げるモニカに向かい、アキノは気にすることはないと言葉を紡いだ。
「ミフユさん。人の心に効率は関係なくてよ」
「アキノさんは人を何だと思ってるのよ」
ジロリと視線を二人からアキノに変える。いくらなんでもあのやり取りに効率を求めるほど自分は効率厨ではない。そんなようなことを述べながら、彼女は小さく溜息を吐いた。
「ライン・シェイカーといえばドラゴンナイトで槍の達人。なのにダストは槍を使う素振りもないし大して実力もない剣を主武器にしてたから。そのことを思い出して」
「あぁ、成程。そのことか」
ミフユの言葉に合点がいったようにモニカが頷く。まあここまでバレているのならば言っても構わないだろう。そんな判断を己でしたものの、そこにいるのだから確認を取るかと彼女はリオノールに声を掛けた。
いいわよ、と軽い調子で彼女は述べる。対面にいたダストは、苦い表情を浮かべながら低い唸り声を上げた。
「なに? 照れてるの?」
「うっせぇ」
「……槍を使ってないってことは、まだ私も脈があるってことでいいのかしら?」
「剣の方が使い勝手が良かっただけで、深い意味は」
「ダストの動きは明らかに剣を使うようになっていないわ。槍で戦った場合と比べると圧倒的に効率が落ちる。使い勝手がいいなんて勘違いも甚だしいわね」
「……ミフユさん」
「あ、ごめんなさい、つい」
こほん、と咳払いを一つすると彼女は一歩下がった。続けて、と言わんばかりのその行動を見たダストは、やかましいとミフユを睨む。
一方のリオノール。ほらやっぱりと言わんばかりの表情で彼を見ていた。実に楽しそうで、それでいてほんの少しだけ頬が赤い。
「くっそ……だから貴族は嫌いなんだよ!」
「
「雇い主だろ。部下の教育ちゃんとしとけよ」
「……貴公が言うのか」
ジト目でモニカが呟く。あ、と何かに気付いたらしいダストは、何かを誤魔化すように口笛を吹き始めた。リオノールは笑顔である。先程の甘酸っぱいのとは別ベクトルのやつだ。
「あらぁ? どうしたのライン? モニカの部下になってるあんたの後輩、どうなってるか知りたくなった?」
「正直、あれを後輩と呼んでいいのか今でも疑問に思うのですが」
「まあ、それは私もそう思う」
「モニカが同意しちゃだめじゃないの、もー」
文句を言うリオノールに二人揃って非難の目を向けると、彼女も流石に引き下がった。アキノとミフユはその後輩とやらがどんなのか気にはなったが、ここで聞くのも野暮だろうと沈黙を貫く。ぽつりと聞こえたダストの「クウカと同レベル」という言葉に、何となく彼がここに馴染んだ理由の一端を見た気がした。
「それで、ダストさん?」
「何だよ」
「あなたは、この屋敷に滞在されるのですか?」
そろそろ自分達も戻るが、そっちはどうする。アキノのその問い掛けに、ダストの動きがピタリと止まった。彼女の質問、その意味するところはつまり。
「さ、ダスト。私と一緒に寝ましょ?」
まあそういうことだと言わんばかりにリオノールが言い放つ。予想通りの言葉を述べた彼女を見たダストは、溜息と共に視線を横に向けた。
「モニカ。そこのアホ姫の監視を頼む」
「ああ、任された」
「なんでよ! モニカは私の護衛騎士でしょ!?」
「主の行動を正すのも部下の役目でしょう?」
「私は間違ったことしてないもの」
ふんす、と胸を張って宣言した。そんなリオノールに向かい、ダストとモニカは揃って言葉を返す。示し合わせているわけでもないのに、一字一句異なることなく重なった。
『寝言は寝てから言ってください』
「うわ、何か懐かしい」
とりあえず問題なさそうだ。そう判断したアキノは、では帰りましょうかと席を立つ。ミフユもそれに続き、屋敷を後にした。
そうしながら、アキノはやれやれと肩を竦めて言葉を紡ぐ。隣のミフユも同じ意見なのだろう。苦笑しながらそれを聞いていた。
「滞在しない、とは言いませんのね」
個人的には若干姫様寄り