プリすば!   作:負け狐

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SU・KI


その93

 ダクネスがドM同士の自家発電をし続けて暫く立った頃。ようやく我に返った彼女は、そこにいたクウカを連れ出しカズマ達のもとへと戻ろうと足を動かしていた。向こうが一体どのような解決策を出してくれているかは分からないが、今彼女に出来ることは仲間達を信じることのみ。

 

「だ、ダクネスさん……。そんなに引っ張られると、クウカ」

「分かっている。だが、もう少し我慢してもらうぞ」

「い、いえ。いつもと違って少しびっくりしましたが、もっと激しくしてもらっても構いません……。はっ、普段見せないダクネスさんの本性をここで垣間見てしまったクウカは、その秘密を守らされるため、誰にも言えない体にされてしまうのですね! 『このことを口にしたらどうなるか分かっているな?』と激しくいたぶられ、クウカの尊厳を踏みにじられ……! じゅるり」

「勝手に私をそういう扱いにするな。……いやだが、確かにそれは中々に唆るものがある。いたぶられる立場はもちろんのこと、そう誤解され助けようと思っていた相手に罵倒されるというのも、それはそれで」

「ぐふふ」

「くぅ……」

 

 止める者がいないのである。ドM同士がお互いで慰め合っている光景に待ったをかけるものがいないのである。周囲が既に地獄絵図なので何となく流される空気ではあるが、間違いなく大事故なのである。

 が、それも合流するまで。少なくともダクネスは他に誰かがいればきちんとわきまえることがある程度出来るような気がしないでもないし、クウカだって本来ならば妄想を自己完結させるからある程度意思疎通は可能だと思うのだ。

 

「……ねえ、あたしには余計なドMが増えたようにしか見えないんだけど」

「きゃ、キャルちゃん……そんな言い方は、その」

 

 ペコリーヌもフォロー出来ないらしい。相互補助をするドMをジト目で眺めていたキャルは、どうすんだこれと言わんばかりに他の面々を見た。リーンは諦めているし、モニカとコッコロはドMを見て取り乱したセレナを宥めている。残るリオノールは楽しんでいるので、どうやら改善の方向に舵を切ろうとした自分が馬鹿だったのだと彼女は結論付けた。

 

「カズマ、ダスト」

「おいこの空気で何をしろってんだよ」

 

 振り返る。当然のことながらそう反論された。が、そもそも言い出しっぺは彼なのでキャルとしてもその文句を受け入れる筋合いはない。例え自分が貧乏クジを引いてしまってやさぐれてしまっていても、だ。

 

「そもそも、あの状態のクウカに本当に通用すんのか?」

「知らないわよそんなこと。言い出したのはあたしじゃなくて、そこのカズマなんだから」

「おいこらキャル、お前だって反対しなかったんだから同罪だ」

「そういうセリフはあたし以外にも言ってから言うのね。具体的にはコロ助とか」

 

 うぐ、とカズマが口を噤む。彼の言い分の適用範囲には間違いなくコッコロは入っている。そしてそのことを彼女に話した場合、当然のように自ら責任を負いに向かう。それが分かっているからカズマとしては実行出来ないし、横のダストが代わりにやろうとしたら物理的にストップさせる気でいる。

 

「だとしても。せめてもう少し、というかこっち側のドMを引き剥がしてからじゃないと無理だろ」

「……そうね。それは同感だわ」

「なら……ペコリーヌにでも頼んどけ」

 

 ダストが視線で該当者を示す。それが一番手っ取り早いか、とカズマが彼女に声をかける中、キャルはおや、と表情を変えずに突っ立っているチンピラ冒険者を見た。

 

「ねえダスト、あんた」

「んだよ猫ガキ」

「……ううん、何でもない。それより、そっちはどうなの? 何とか出来そう?」

 

 話題を変えるように問う。先程も思ったが、正直ダメそうというのがキャルの見解だ。ましてや今は空気が酷い。ムードもへったくれもない状態で、一体どれだけのことが出来るというのか。

 

「……まあ、見てろよ。仕方ねぇからな、俺の本気を見せてやる」

「何言ってるんだか」

 

 ひょい、とダストの隣に立ったリーンが呆れたような声を零す。今までナンパとか成功した試しがない奴がそこまで自信満々だと逆に凄い。確かに何だかんだ物好きは寄ってきているようだが、それは別に彼の手練手管でどうにかしているわけではないのだ。

 

「そういうリーンさんも、その物好きの一員だったり?」

「ひゃぁ!?」

 

 ぷに、と頬を突っつかれた。ビクリとのけぞると、それをやった犯人であるリオノールをギロリと睨む。ごめんなさいね、と笑顔で返され、リーンはぐぬぬと眉を顰めた。

 

「まあでも、確かに私も気になるわねー。ダストがどんなことをやってくれるか」

 

 いい感じだったら後でやってもらおう。そんなことをついでに呟きつつ、リオノールはダストに近寄る。鬱陶しい、と手で彼女の顔を押しのけた彼は、そのまま踵を返してどこかに向かい始めた。

 

「あ、ちょっとダスト! どこ行くのよ!」

「準備してくんだよ。まだもうちょっとかかるだろ?」

 

 ほれ、と向こうを指差すと、ペコリーヌとダクネスが何やら話をしている最中で。どうやら我に返ったダクネスが平謝りしているらしい。そのついでにこれからのことを説明したらしく、彼女の頬がほんの少しだけ赤くなっていた。

 成程、こっちのドMがあの反応ならば、案外成功するかもな。そんなことを思いながら、ダストはお目当ての物を探しにこの場を離れる。出来ることならこんなドMの街を闊歩したくないが、ここで失敗してドMよ永遠にとなられても困る。幸いそう遠くない場所に彼のお目当ては存在するので、危険も少ない。

 

「さて、と。おい、邪魔するぞ」

 

 そこに足を踏み入れた。店員も店主も例外なくドMと化したその店は、もはや商売の体をなしていない。勝手に目的のものを手に取ると、勝手に準備をしてダストは外に出た。代金はダクネスにツケといてくれ。この事件が終わった後記憶を保持している場合も考え、そう述べるのも忘れない。

 

「まあ、カズマがやってくれればそれでいいんだけどな」

 

 めんどくせー、とぼやきながら、彼はボリボリと頭を掻きつつ再度合流する。

 

 

 

 

 

 

「く、クウカはこれから一体、何をされるのでしょう……? こんなに大勢に囲まれて、ひょっとして皆さんからいたぶられてしまうのでしょうか? 役立たずと罵られ、この雌豚と踏み躙られ、頬を一つ二つ張り倒されて……そうして倒れたクウカへ誰も振り返らず、ボロ雑巾のように打ち捨てられて……ぐふ、ぐふふふ」

「平常運転だな」

 

 非常にシラけた目でカズマがクウカを見やる。勿論彼女には心地よい視線であり、はぁんと嬌声を上げながら悶えている始末である。その姿を見て彼は盛大に溜息を吐いた。

 いやほんと見た目はなぁ、ほんとにいいんだけどなぁ。聞こえないほどの声量で呟いたカズマは、気を取り直すように視線を動かした。ダストは準備をしてくると言ってここにいないが、この状況で逃げ出したところで何の意味もない以上本当なのだろう。そんなわけなので、先陣はカズマが切らなくてはいけない。

 クウカを見る。顔はいい。スタイルもいい。だが中身が致命的にアレだ。普段なら百歩譲ってまだしも、通常の八割増しで発情しているこれを目にしてやるのは無理だ。

 

「……そんなわけないだろう」

「ぐふふ――え?」

「お前を打ち捨てるなんて、そんなことするわけないだろうが」

「え? え、と。え?」

 

 が、やる。それでも、彼はやる。別に百パーセント心にもない発言というわけでもないこともないし、何だかんだでアクセル変人窟にはある種連帯感を持ってもいる。だから心底ペラッペラというわけでもない。

 

「お前は、俺にとって、大切な!」

「え、えええええ!? く、クウカは、カズマさんにとって、た、大切な……!?」

 

 あ、効いてる。突如始まったそれを見ていた一行はクウカが思ったより簡単に取り乱したのを見てそんなことを思った。何でもかんでもドM変換するクウカであるが、どうやら本当に乙女の部分が大きいらしい。いつになく真剣に、ストレートに言葉をぶつけるカズマを見て、彼女の中の三分の二のドMより三分の一の純情な感情が表に顔を出した。

 

「大切な――」

 

 ごくり、と一行が喉を鳴らす中。カズマがそこで動きを止めた。大切な何だよ。友人か? 女か? 乙女に訴えかけるなら勿論後者だが、しかし。

 目の前の存在がこれからぶち殺す相手で、隙を作るための作戦とかそういうのであればカズマも迷わず言ったかもしれない。が、クウカはそういうのではないし、何だったらこの事件の後普通に顔を合わせる相手だ。だから。

 

「大切な存在だ、クウカ!」

 

 言いやがった。微妙にぼかしたが、十分言った。案の定クウカはそのストレートな告白に普段とは違う悲鳴を上げ、頬に手を当ててよろめいている。耐性がないのだろう。当然である。コレに告白する物好きはアクセルにいない。

 

「いい感じね。あと一息って感じだけど」

「……主さまも、流石に限界かと」

「ですねぇ」

 

 そうポンポンと愛の告白めいた言葉、というか乙女心をどうにかするような言葉が出てくるような性格をしていない。ぶっちゃけここまでも割とイッパイイッパイだろう。勢いで押しているのがなんとはなしに伝わってきていた。

 となると。視線をカズマから別の場所へ移す。まだ戻ってきてないのか。そんなことを思ったキャル達は、しかしリオノールがどこかに視線を固定させているのを見て動きを止めた。

 

「……次は俺だな」

 

 カズマの前に一人の男が立つ。普段の彼らしからぬ足取りで、まるで別人のような姿勢で、リオノールとモニカには懐かしさを感じる空気で。

 ダストは、クウカの前で足を止めた。

 

「これを」

 

 彼は持っていたそれをクウカに手渡す。ダストのその動きで失念していたが、彼女に差し出したのは誰がどう見ても、紛れもなく花束だ。そして、その花の種類は。

 

『バラの花束!?』

「え? 何? 何驚いてんのよみんな?」

 

 真っ赤な薔薇の花束を差し出されたクウカは目を見開き体を強張らせた。そして、それを見ていた面々も思わずその物体を見て声を上げてしまう。

 約一名、よく分かっていない猫耳娘がいたが、些細なことであろう。

 

「あの、キャルさま。花言葉はご存知でしょうか」

「え? あ、うん。昔マナ兄、じゃない、姉さんがお姫様になるための必須スキルとか言ってたのは覚えてるわ」

「はい。それでしたら、キャルさまならばもう想像がつくのではないでしょうか」

「……バラの、花言葉?」

「……赤いバラは、『愛』を表すんですよ。だから」

「ペコリーヌさまの言う通りでございます。ですから」

 

 乙女心にはクリティカルなのか。当事者でもないのに真っ赤になっているダクネスを見る限り、どうやらこっちのドMにも特攻らしい。

 

「あ、あああ……赤い、バラ、が……」

 

 そして当事者も当然のように真っ赤であった。先程のカズマで下地が出来たところにこれである。もはやドMでも何でもない、ただのクウカがそこにいた。

 そんな彼女を見て、ダストは微笑む。す、と片膝を付き、そっと彼女の手を取った。

 

「だ、ダストさっ――」

「どうか、私を貴女の隣に立たせてはいただけないでしょうか」

「ぴぃ!」

 

 手の甲にゆっくりと口付けるそれは、姫と騎士にも見えてしまう。ドMとチンピラなのに。

 ともあれ、そんなことをされてしまったクウカは。

 

「そ、そんな、そんなことされたら……クウカは、クウカは――」

 

 ぶっ倒れた。目をハートにして、更にぐるぐると回転させながら。はひゅぅ、と何だかよく分からないだらしない声を上げながら、彼女のドMが急速に失われていく。

 それを補填するように、街中から何かがクウカに流れ込んでいく。ドMを回復させようと、バックアップのドMの欠片が次々と彼女に取り込まれては、乙女が咲き乱れたクウカの中で処理されていく。

 その光景を、ドMライフストリームを皆はただただ静かに見ていた。広がったドMが再び一つに収束し、世界が再生を始めるその姿を、じっと眺めていた。

 

「これで、後は」

 

 後ろで固唾を飲んで見守っていたセレスディナが、ゆっくりと前に出る。大丈夫だ、もう怖くない。怖いドMは、みんな、みんないなくなった。残っているのは、この薬を使えば消えてなくなる、哀れな傀儡と化していた少女が一人いるだけ。

 ポーションを取り出す。全ての欠片はクウカへと戻っていったらしく、いつの間にか周囲に漂っていたドMの渦は収まっていた。

 ゆっくりとそれを振りかける。ぱしゃり、と液体がクウカに触れると同時に、彼女の中から急速に何かが抜けていった。あっけなく、アクセルの街全体を巻き込んだ大騒動の結末は、実に静かに終わったのだ。

 

「……終わったか」

 

 はぁ、とダストが息を吐く。何でこんなことしなくちゃいけないのか。そんな思いを込めた溜息を吐いた彼の横で、どこか不機嫌そうなリオノールがジト目で睨んでいた。そんな表情のまま、彼女はお疲れさまと労ってくる。

 

「なんですかね?」

「別にー? 私が知らない間に、そういうこと出来るようになったんだ、って」

「あなたがやれって言ったんでしょうが。今回も……昔も」

「そりゃ、言ったけど……」

 

 不満を隠そうともしない顔で、リオノールはダストを見る。そんな彼女を見ないようにしながら、彼はそのまま彼女の手を取った。もういいから、帰りますよ。そんなことを言いながら、少し強引にその手を引く。

 

「こういう時は、もう少しきちんとエスコートしてくださらないかしら、ライン」

「……今回だけですよ」

 

 掴んでいた手を、そっと解く。今度は大切な宝物を扱うように変え、彼の腕に彼女を掴ませた。

 

「……リーン殿、いいのか?」

「何がよ。……どっちみち、今邪魔したらあたし完全に嫌なヤツだし」

「申し訳ない、うちのお嬢様が」

「いいわよ、別に。ほら、さっさとクウカ回収してみんなで――あれ? セレナさんは?」

 

 

 

 

 

 

「冗談じゃない……! あんな場所にいられるか……!」

 

 皆で解決の喜びを分かち合いかけたセレスディナは、そこでふと我に返った。違う、何だかなし崩し的に魔王軍抜けてあっちサイドに入りかけていた。それに気付いた彼女はこっそりとその場から離れたのだ。あそこにいたら駄目だ。そう判断したのだ。

 自分は魔王軍の人間だから、とかそういう殊勝なことを言うつもりもない。ただ単に、あんな頭のおかしい連中の仲間入りなどしたくなかったからだ。

 

「まだ傀儡が解けたばかりで多少の混乱もある、今なら」

 

 恐らくドMになっていた記憶も無くなっているだろう。その混乱に乗じて街から脱出する。あの連中に追いかけられる前に、一刻も早く。そして、奴らのことを伝えなくてはいけない。魔王軍にとって脅威となる存在のことを。

 どん、と誰かにぶつかった。急いでいたために、あまり周囲を見ていなかったらしい、セレスディナより幾分か小柄なその相手は、しかし転ぶこともなくぶつかった彼女を真っ直ぐに睨み付けていた。

 

「……ごめんなさい、少し前を見ていなかったようで」

「まったくですよ! 一体どこを見て歩いているのですか! ただでさえ疲れているところにこの仕打ち、私が寛大でなければあなたは爆発四散していたところです」

「それ普通だろ……寛大のボーダーどうなってんだよ……」

 

 何か面倒なのに絡まれた。そんなことを思いながらセレスディナは少女を見る。赤い服にローブ、魔法使いの帽子と杖。そして眼帯に赤い目。あ、これ紅魔族だ。その事に気付いた彼女は思わず眉を顰めた。今のタイミングで会いたくなかった、というか常に会いたくない。

 

「なんですかその目。そっちからぶつかっておいて」

「ああ、はい。ごめんなさい。では私はこれで」

「怪しいですね。何でそんな逃げるようにこの街を出ようと?」

 

 ジロリと少女はセレスディナを見る。確かにそうだけどお前に関わりたくないだけだよ。そう言えれば簡単なのだが、言ったところで状況が改善するはずもなし。

 そんな二人に、正確には紅魔族の少女に声が掛かる。めぐみん、誰彼構わずケンカを売るのはやめなさい。そう言って、一人の女性が少女の横に。

 

「ごめんなさいね。この娘、ちょっと今機嫌が悪くて」

「別に機嫌が悪いわけではないですが。ええ、昔の話を蒸し返されたからって恥ずかしがっているわけでもないんですが!」

「まあ、その辺りは私も思うところはあるけれど。別にそれ自体は悪い思い出じゃないでしょう? あるえちゃんとアンナちゃんもあれをそのまま使うことはないでしょうし」

「それは、そうですが……」

 

 帽子を深く被り視線を隠す。そんなめぐみんを見た女性は、改めて視線をセレスディナに。

 

「あら?」

「……ウォルバク……!?」

「セレスディナじゃない。こんなところでどうしたの?」

「何平然と話しようとしてんだ! お前、死んだんじゃ……!」

 

 数年ほど前に行方不明となり、消滅したはずの魔王軍幹部、ウォルバク。その彼女が今目の前で平然と喋っている。セレスディナは目の前の光景が信じられなくて、これまでの衝撃に追加されたそれで思わずよろめく。

 が、当の本人であるウォルバクは、そうよ、と彼女の言葉を肯定した。魔王軍幹部ウォルバクはとっくに消滅した、と告げた。

 

「今の私はちょむすけ。そう、我が名はちょむすけ! 次代の大魔道士を育てる師にして、爆裂魔法を継承させしもの!」

「なんでだよ!」

 

 ツッコミが追いつかない。がぁ、と頭を掻きむしっていたセレスディナは、こんなことをしている場合ではないと踵を返した。これ以上時間を使っている余裕などないのだ。彼女は魔王軍に勇者の情報を持ち帰らなくてはいけないのだ。

 ああ、そうだ。ついでにウォルバクのことも伝えなくては。バニルについては他言無用だが、こいつは。

 

「あれ? セレスディナさん?」

「は?」

 

 そう思った矢先、ひょこ、とちょむすけの後ろから一人の女性が顔を出した。これまた見覚えのある顔で、その顔色の悪さとムカつく美貌は間違いようがない。

 

「ウィズ!? 何でお前まで!?」

「え? ネネカ所長の依頼で、皆さんを紅魔の里からテレポートで送っていたんですよ」

「違う! あたしの質問はそういう意味じゃない!」

 

 ふらりと行方不明になっていた魔王軍幹部がもうひとり現れた。もはや理解の範疇を超えている。超えているが、とりあえずこの街は絶対にやばいということだけは理解した。駄目だ、どうあってもここから脱出して伝えないと、魔王軍が危ない。

 どうしたんですか、というウィズの言葉を無視して、セレスディナは街の外へと走る。自分から戻っていたのでは遅過ぎる。人気のない場所に移動して、伝令係にでも即座にこの情報を持ち帰るよう指示をしなくては。

 急ぐ。出来るだけ、やれるだけ、力の限り。周りに人がいないことを確認すると、彼女は持っていた鞄から連絡用の魔道具を起動させた。狼煙のようなそれは、魔王軍にしか分からない合図で。

 どうしましたか、と一体の魔物が現れた。魔王軍の伝令係であるその姿を確認すると、彼女は安堵の溜息を吐く。そうして、取り急ぎ伝えて欲しいと口を開いた。

 

「――以上だ。総じて、この街は危険だ。一刻も早く」

「一刻も早く――どうするのです?」

「……は?」

 

 ぐにゃり、と目の前の伝令係の姿が歪む。この街に来てから理解の範疇を超えた事態が起こり続けていたが、これがとどめだ。セレスディナが気付いた時には、既に目の前に立っているのは魔王軍伝令係などではなく、小柄な体格に不釣り合いな大きな帽子を被ったエルフの女性がいるばかり。

 

「成程。どうやら私がいない間の騒動も中々に興味深いものだったようですね」

「……だ、誰だ!? 何で、どういうことだ!?」

「ああ、失礼。私はネネカ。ここアクセルの街で研究所を開いている、しがない魔導師です」

「嘘だっ!」

 

 こいつは絶対に普通じゃない。セレスディナの中で警鐘が鳴り続けている。逃げられたと、脱出できたと思ったのに、何でどうして。ゆっくりと後ずさりながら、彼女はどうにかしてこの状況から抜け出す方法を。

 

「残念だが、汝の希望は叶わん」

「っ!?」

 

 振り向くと、そこには彼女の逃走ルートを防ぐように仮面の悪魔が。何でここに、とかすれた声で呟いたセレスディナに向かい、その悪魔、バニルは簡単な話だと仮面に隠されていない口角を上げた。

 

「我輩との契約を破ったであろう? なので、その取り立てに来たというわけだ」

「は、はぁ? あたしはお前との契約通り、バニルがいることは一言も。いや、それ以前にこいつは魔王軍の伝令ですらないんだから、何の問題も」

「何を言っているのだドマイナープリーストよ。我輩との契約は『汝が元魔王軍幹部の情報を漏らさぬこと』だ。対象は我輩に限らぬし、情報を漏らす相手は指定していない」

「…………はぁぁぁぁぁ!?」

「フハハハハハハ! 契約内容はきちんと読んでおくのが吉! 気になったら質問も有効だぞ! もう遅いがな。うむ、その悪感情、中々に美味」

 

 そうしてひとしきり笑っていたバニルは、そこで表情を戻した。そういうわけなのでな、と顎に手を当て、先程とは違う性質の笑みを浮かべた。

 

「悪魔との契約を破った汝は、我輩の『商品』となってもらう」

「は? いや、待て。商品って」

「ふむ。ではバニル」

「うむ、お待たせしたなネネカ女史。これがご注文の品である、レジーナ教徒だ」

「え? な、え?」

 

 セレスディナの困惑を余所に、バニルとネネカの商談は終わった。代金を払ったネネカは、満足そうに彼女へと向き直る。その視線が、どうしようもなく恐ろしかった。

 

「流石にアオイやゆんゆん、ルーシーを実験体にするわけにはいきませんからね。ええ、実にいい買い物をしました」

「待て、待ってくれ……嘘だよな? 冗談だよな? 実験体とか」

「安心しろ、実験体となったドマイナープリーストよ。ネネカ女史は道具を大切に扱うぞ」

「……ち、近寄るな! あたしは復讐の加護がある! お前があたしにやったことは跳ね返る!」

「ええ、それを試すのが目的なのですから、そうでなければ価値がありません」

「は? いや、あたしが傷付けば、お前が傷付くんだぞ?」

「ですから、それを試すのが目的だと言っているではないですか」

「ちなみに我輩からの特別サービスだが。そこのネネカ女史は分身体でな、いくら傷付こうが本人にダメージは皆無だ。安心して跳ね返すといい」

「……うそ、だろ……」

「その感情はマクスウェルやアマリリス殿向けだな」

 

 がくりとセレスディナは崩折れる。折れた。今度こそ本当に、彼女の中で何かがポッキリ折れた。意外と打たれ弱いのですね、とネネカはそんな彼女を見ながら一人呟き。

 

「ではこれにて、一件落着」

 

 バニルの楽しそうな声に、セレスディナは言葉を返すことも出来なかった。

 

 




これでこの章もようやくエピローグかな


※次の章なんですが、その前にちょっとよりみちというか外伝というか、そういうカズマさんの出番がほぼない話を挟もうと思っています。ネタはありますがそればっか続けるとアレなんで、とりあえず二つのどっちを先にやろうかアンケートを試しにとってみようかな、と。

どっちを先に見たい?

  • この疾風の黄昏に爆焔を!
  • 箱入り勇者姫と聖なる学舎の異端児

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