そんなわけで、いきなり高等部へと編入されることになったアイリス。中等部だとあの三人との接点が減るという謎の名目を受けてはいたが、果たして本当にそれでいいのか。それがどうにも彼女は不安であった。
「ふぅ……」
授業終了のチャイムが鳴る。緊張していたせいか、アイリスの体は随分と凝り固まっている。ゴキゴキと首を鳴らしながら、クレアとレインがいたならば怒られるなと口角を上げた。
「や、どうだったイリスちゃん」
「ふぇ!?」
突如掛けられた声に思わず背筋がビクリとなった。視線をそちらに動かすと、あれ、驚かせちゃったかなと一人の少女が頬を掻いている。桃色気味の髪に水色のリボンのアクセント、ぱっちりとした瞳が可愛らしいその少女は、今日から暫くの間クラスメイトとなった人物で。
「あ、チエル先輩」
「先輩!? わ、何だかめちゃくちゃ新鮮な響き。ちょっとチエルってばお姉さん風吹かせたくなっちゃう。でもでも、イリスちゃんとは同級生の間柄なんで、気軽にチエルちゃんとか呼んでくれるとそこはかとなく嬉しい感じ?」
「え、っと。ち、チエルちゃん?」
「やーん! 素直~! ちょっとチエルの中で好感度の上昇インフレし過ぎて困っちゃうんですけど! これクロエ先輩達に見せたら危険ですね。よしイリスちゃん、今日はチエルと二人でお昼食べましょう?」
「は、はい?」
初っ端から止まらず突っ込んでくるチエルに流石のアイリスも圧され気味だ。が、それはあくまで年齢の近い相手がそういう状態だからであって、年の差を考慮しなければぶっ飛んだ連中との交流もある程度ある彼女には終始取り乱すには至らない。
「でも、いいのですか? あの、フェイトフォーさんのことは」
「あー、そっかー。あっちはあっちで小動物的可愛さ山盛りてんこ盛りだし、クロエ先輩、はともかくユニ先輩に任せると何しでかすか分からないからー……」
ふむ、と悩む素振りを見せた。一瞬である。え? 今悩んだ? と言いたくなるくらい一瞬である。恐ろしく早い葛藤、アイリスでなければ見逃しちゃうね。などということもないであろうが。
「とりあえず、みんなのところに行きましょうか」
「はい」
そういうことになった。アイリスを引き連れて、チエルは教室を出て目的地まで向かう。部室棟よりかは近いという話だが、生憎まだこの学院の地理を全く分かっていないアイリスにはそう言われてもピンとこない。
「それでイリスちゃん。授業どうだった?」
「はい。大勢の人と共に勉強するという機会がなかったので緊張しました」
「んー。そういうんじゃなくて、イリスちゃんってば学院長の思い付きで高等部編入になったでしょ? 勉強大丈夫なのかなーって」
「全く分からないということはないので、今のところは問題ありません」
「へー、何だか優等生っぽい。ひょっとしてイリスちゃん、お偉いところからこっそりお忍びしちゃってる感じだったり?」
「え!? いえ、許可はきちんともらっていますよ!」
「そういうんじゃなくて。え? ほんとにお偉い出身だったりしちゃうんです?」
思わずチエルが真顔になる。アイリスはその反応を見てやってしまったと表情を固めてしまったが、こほんと咳払いをするとそんなことはありませんと返した。棒読みであった。
成程、とチエルが頷く。一体全体何が成程なのか分からないが、とりあえず彼女の中では何か納得するものがあったのかもしれない。
「じゃあじゃあ、これはもしもでイフ的なシチュエーション話だけど」
「はい」
「イリスちゃんってば、そういうの気にする系?」
「はい?」
「正体がお偉い人だった場合、そこ踏まえとけよ的なお約束は守る感じ?」
「……私がそういう立場だったとしたら。正体を明かしてない時は、いえ、明かしても、お友達とはお気楽な関係でいたいです」
「そっかそっか。……ところでぇ? チエルとイリスちゃんは、お互いマイフレンドで大丈夫です?」
「チエルちゃんが良いと言ってくれるのならば」
「やぁぁぁん、かわいいぃぃぃ!」
がばちょ、とチエルがアイリスに抱きつく。わぷ、とされるがままになっていたアイリスであったが、自身の姉とのスキンシップを思い出しどことなく安心した表情になった。かいぐりかいぐり、と半ばチエルのおもちゃにされつつ、そのまま二人揃って目的地へと足を進める。
ほらここ、とチエルが指差した先はとある部屋。空き教室か何かを下地にしてあるのだろうが、いかんせんその手の知識がないアイリスにはやはり違いがわからない。ただ、謎のプレートが掲げられているので、無断使用というわけではなさそうであった。
「お昼食べに来ましたよ~♪」
「お、来た」
「やあチエル君、イリス君。先に始めているよ」
そこに踏み込むと、既に昼食を食べている三人の少女が目に入る。金髪を短いツインテールにしているジト目気味の少女は、少し食べるスピードを遅くしていたらしい。ほれ、座んな、とチエルとアイリスを席に促している。
一方の小柄な編み込んだ二房の髪の少女はマイペースだ。どのみち食べるスピードは早くないから問題ないだろうという腹積もりらしい。
そして、それ以上にマイペースなのは綺麗な白い髪の少女。
「わ、フェイトフォーちゃんめちゃくちゃ食べますね」
「うむ。一体全体あの体格のどこに入っていくのか。中々に興味深い」
「いやパイセン、それで流していいレベルじゃないから。まあ……今んとこ問題なさそうだからいいけど、別に」
アイリスより若干小さいくらいの身長であるが、アイリスの体積と同じかそれ以上の食事をしているフェイトフォー。その光景はさしものユニやクロエも、そしてチエルも驚きだったらしい。
逆に、正体云々を抜きにしても動じないのがアイリスだ。
「んで、イリス? 何でほっこりしてんの?」
「いえ、私の大切なお姉様もよく食べる人ですので、こう、安心感が」
「この量食ってんの見て安心感覚えるって」
「クロエ先輩と同い年です」
「いやそこ問題にしてないし。っと、イリス、先輩呼びじゃなくて別にいいから」
はぁ、と溜息を吐きながらクロエが述べる。それを耳ざとく聞いていたチエルが、おやおや、と彼女の方へと笑みを浮かべた。
「なんですか先輩。チエルがそう呼んでるから、イリスちゃんには別の呼び方所望しますみたいな、そういう特別感出しちゃってます?」
「いや、違うし。むしろチエルどんだけ自分に自信持ってんの? ……ただ、なんつーの。先輩とかそういう関係だと、友達とはちょっと違くないみたいな考えとか持ちそうだったから」
「ふむ、クロエ君はそういう心の機微に敏い。年下でかつ慣れない環境、そして学院長の無茶振りが合わさり色々と疲弊しているであろうことを見越し、上下関係という追加の疲弊を避けるために言い出したのだろう」
「ユニ先輩、それ言い出しちゃったらクロエ先輩の気遣い無駄骨複雑骨折しちゃいません?」
「これはあくまでぼくの考察だ。だからイリス君、気にせずクロエ君と友達関係を築いてくれたまえ」
「えっと、はい。……クロエさん?」
これでいいのだろうか、といったふうなアイリスの態度に、クロエが小さく溜息を零す。そうしながら、別に緊張すんなしと苦笑しながら彼女の頭を撫でた。
「それで? ユニ先輩はどうするんです? 呼び方変更しちゃいます?」
「そうだな……。ぼくとしては呼び方に拘る必要はないと思っているのだが、イリス君が呼びたいのならばやぶさかではない」
「と、いうと?」
「ユニちゃんでもユニたんでも、好きなように呼びたまえ」
「ユニ、たん?」
「イリス、パイセンの言葉を真に受けるのはやめとき? あの人アレだから」
「アレですもんね」
何がどうアレなのかは語らない。語ってもしょうがないというのが二人の顔から察せられた。
ちなみに、ユニの呼び方はユニさんとなった。
そういうわけで昼食である。フェイトフォーの分は特別に用意されているらしく、アイリスの食べる食事が既に空、ということはなさそうであった。
いいんですか、とアイリスが他の面子を見やるが、遠慮なく食べろと皆揃って言うので言われるままにそれを手に取る。サンドイッチをパクつき、美味しいと顔を綻ばせた。
「これは、どなたが作ったのですか?」
「ん? なんつーの? 気付いたらローテーションで持ち回りになってたから、時と場合による感じ。今日はうちが作ったやつね」
「へぇ……クロエさん、とても美味しいです!」
「ん。まあ、それなら良かった」
アイリスの素直な感想にクロエが口角を上げる。それを見たチエルとユニがニヤニヤと笑みを浮かべていた。
「何? なんか文句あんの?」
「いえー? 何だかクロエ先輩やけに素直だなーとか思ってませんよ?」
「そういうところだぞクロエ君」
「いやどういうとこだし。褒められてンだから別におかしくなくない?」
「くろえのごはん、おいちい」
横合いから声。ん、と視線を向けると、自分用の食事を食べ終わったフェイトフォーがこちらに乱入していた。ここでこちらの昼食も食べ尽くす、という暴挙は流石にしないらしく、大人しくそこに座っている。
「おや、先程の昼食に混ぜておいたのかね」
「いや、同じ部屋いんだからおすそ分けくらいするっしょ」
「そういうところだぞクロエ君」
「もー、クロエ先輩ってば何でそんな気遣いしちゃうんです? ラブコメだったらあっという間にヒロインダース単位で増えますよ」
「いや意味分かんないし。つかフェイトフォー、あんた腹は大丈夫なん?」
「はら八分目がたいしぇつってかやが言ってた」
「そか。……腹八分目かぁ……」
天井に付きそうなほどの量の食事を平らげて平然としているフェイトフォーを見て、クロエはほんの少しだけ引く。その横でうんうんと頷いているのはアイリスだ。
「イリスちゃん、一応聞いておきますけど。イリスちゃんも同じくらい食べちゃったり?」
「いいえ、私は出されたものは残さず食べますが、自分からお姉様ほど食べることはありません」
「逆説的に言ってしまえば、出されれば大量の食事も食べてしまうわけか。フェイトフォー君といいイリス君といい、ぼくの知らないうちに随分と幼女は逞しくなったようだ」
「ユニ先輩、見た目だけなら並んでも問題なしなしなんで、いっそユニ先輩もやりません?」
「チエル君、君はぼくに死ねというのかね。確かに頭脳労働には栄養補給が必要だが、過剰な食事は効率を悪くさせる。というかそれ以前に自分の体重以上の料理は食べられない。そういうのは別分野に任せたまえ」
やれやれ、と肩を竦めたユニがサンドイッチを片手に持っていた本のページを捲る。そういえば何見てるんですか、とチエルがそこを覗き込んだが、何だかよく分からない学術書らしかったので即座に興味をなくした。
「どらごん?」
「おや、フェイトフォー君、君はこれが理解出来るのか」
「よくは分からないけど、ちってる部分だったから」
「ふむ。ドラゴンの造詣に深い幼女……謎が増えたな」
「あはは……」
正体を知っているアイリスは苦笑する。そりゃ自分の種族のことだから知ってるだろうけれど、と思いつつ、そこら辺はリオノールからも口止めされているので言葉にはしない。アイリスの正体と同じく、フェイトフォーもその正体を隠して学院で生活させるためだ。
なおバレたらどうなるか、は聞いていない。リオノールは笑みで誤魔化していた。
「そういえば、ブライドル王国はドラゴンナイトで有名ですし、やっぱり皆さんドラゴンに詳しいんですか?」
話題を変える、というか少し逸らすために、アイリスはそんな質問を口にした。それを聞いた三人は、んー、と少しだけ考え込む仕草を取る。
「いや、そういうのは騎士になる連中とかの分野だから。まあ、他の国よりかは知ってるかもしれんけど」
「ドラゴンナイトの情報って、テレ女にいても結構入ってきますもんね。学院長とロマンス繰り広げた話題の人物とか」
「リオノー……学院長と!?」
「あ、イリスちゃんってばそういうのに興味津々な感じです? 恋バナ大好きみたいな?」
「いえ、そういうわけでも……ないことは、ないというか」
「うむ。恋バナ、いいじゃないか。青春には恋が内包している。友情も重要だが、愛情も重要だとぼくは思う。かといって両方しなければいけないわけでもなし。望む方を望むだけ謳歌すればいい。端的に換言すれば、好きに楽しめ」
「そういうわけなんで、クロエ先輩」
「は? 何でうちに振んの? そういうのはチエル担当じゃん」
「え、なんていうか、クロエ先輩案外そういうのやたら早口で語りそうっていうか」
喧嘩売ってんだな、と、クロエが立ち上がる。突如生まれた一触即発の雰囲気にアイリスがオロオロし始めるが、ユニは別に気にすることなく、というかむしろ煽り始める始末である。クロエのターゲットが二人になった。
「いりちゅ」
「何ですかフェイトフォーさん。今大変な」
「ちんぱいない。多分、いちゅものやり取り」
「え? ……あー」
ふと我に返る。成程、これはあれだ。カズマとキャルがよくやってるやつだ。そんなことを理解したアイリスは、ふむふむと三人のやり取りを観察し始めた。
「ちょーちょー。何かうちら見世物にされてンだけど」
「観客付きというのは中々気恥ずかしい。ふむ、どうしたものか」
「いやもう空気バラバラ事件になっちゃってますから、ご期待には添えませんけど話スタートに戻しましょうって感じじゃないです?」
それだ、と三人は座り直す。それで、どこまで話しただろうかとアイリスに問うと、リオノールの恋バナだという答えが来た。それだそれだ、と話題の巻き戻しを行うと、じゃあしょうがないからチエルが語りますねと口を開いた。
「あ、でもこの話ってブライドル王国以外でも結構話題になってません?」
「そうなんですか? ……あ、貴族で話題の逃避行!」
ぽん、と手を叩く。そういえば姫をさらって恋の逃避行をしたドラゴンナイトの青年の噂がベルゼルグ王国でも話題になっていた。具体的な場所や時期は聞かされなかったが、よくよく考えればドラゴンナイトの話なのだから場所はここに決まっている。
「では、その恋の逃避行をした人物が」
「うちの学院長。……ま、実際はそんなロマンス溢れてもいなかったらしいけど」
「あー、やっぱりクロエ先輩が語るんじゃないですか。話したいなら最初から素直に言ってくれれば良かったんですよ? チエルはさらっと役目譲るんで」
「うっさい。ほれチエル、続き」
「えー? 何かここで話振られるとチエルがパシリっぽくありません? チエルは子犬系後輩ですけど、そういうのとはベクトル違うんで」
「ひめちゃまとらぁいんの話?」
『ん?』
視線を動かす。ユニの横でドラゴンに関する学術書をちらちらと見ていたフェイトフォーが、こちらに向き直っていた。彼女の言う姫様というのが誰のことかは、問うまでもない。
「おや、フェイトフォー君。君もその手の話は知っているのか」
「うん。だってらぁいんちぇいかーは」
ぱたん、と本を閉じたユニが視線を向ける。そして軽く尋ねたその言葉に、フェイトフォーはどこか誇らしげに胸を張った。
「ふぇいとふぉーの、ごちゅじんちゃまだもの」
その言葉の意味を正確に理解出来ているのは、発言者以外ではアイリスしかいない。
ダスト「ぶぇっくしょん! 何だ? 風邪か?」