「はぁ……」
駆け出し冒険者の街アクセル、のギルド酒場。そこで溜息を吐いているウェイトレスが一人。普段底抜けに明るい彼女がそんな様子なので、客らは何だ何だと気になっていた。が、暗黙の了解でガン見はしない。
ちなみに、ちょっと物憂げなペコリーヌちゃんエロくない? と抜かしたやつは処された。皆思っていたけど言わなかっただけである。
「ちょっとペコリーヌ。あんた何でそんな調子なのよ」
そんな中、今日も今日とて酒場で管を巻いているキャルが頬杖を付きながらそんなことをのたまう。その声に視線を向けたペコリーヌは、まあ大したことじゃないんですけど、と苦笑した。
「今頃アイリスどうしてるのかな~って」
「名前」
「あ、イリスでした」
「あんたわざとやってんの?」
ほえ、と首を傾げるペコリーヌを見て溜息を吐いたキャルは、それで、と話の続きを促した。終わりですけど、と返され、思わず頬付けから顔が滑り落ちる。
ついこないだまで離れて暮らしてたし、そもそも向こうがアクセルに滞在していた時も別に同じ屋根の下で寝ていなかっただろうに。そんなことを彼女がのたまうと、確かにそうなんですけどとペコリーヌが頬を掻く。
「あの子は今、これまでとは違う場所にいるわけですし。普段とは違う環境って結構大変なんですよ?」
「経験者は語るってやつね。ま、その辺はあたしも少しは知ってるけど」
だとしても、いきなり過ぎないか。そんなことを思い視線を同じテーブルの面子に向けると、いやこっち見んなという表情を浮かべられた。
「あれだろ? シスコンが湧き出てきたんだろ?」
「言い方。……まあ、でも、確かになんかそんな感じよね」
身も蓋もないカズマの言葉に、キャルもなんとなしに同意する。その横で彼の口元を拭いていたコッコロも、成程と頷いていた。
この間の騒動で、わだかまりが無くなった結果。今まで押し留めていたものが一気に溢れ出てきたのだろう。そういう考察を彼女は述べた。
「恐らく、わたくしでいうところの、主さまをとことんお世話したい日が訪れているようなものかと」
「あ、うん。そう」
ちなみに今日である。ウィズの店の手伝いも断り、今日のコッコロはカズマをおはようからおやすみまでお世話する心づもりだ。いつもとか言わない。いつもより念入りに、である。
まあいいや、とキャルはペコリーヌを見た。そういうことなら、暫く放っておくしかないかと結論付けた。
「にしても、そこまで心配するものかしらねぇ。あのリールって人、あんたの友達でしょ?」
「だからこそ、なんですよね~……」
「はぁ?」
コッコロに手づから飲み物を与えられているカズマが素っ頓狂な声を上げた。それはどういう意味か、そう問い掛けようとして、彼は目の前の腹ペコの、自分達と出会う以前からの交友関係を思い浮かべる。
少なくともここアクセルに限定しても、あのポンコツお嬢様とドM騎士である。そして王都に広げれば、常時全身鎧の人と、あのーー。
「なあ、ペコリーヌ。お前ひょっとして碌な知り合いがいないのか?」
「さりげなくそこにあたしだけ混ぜるんじゃないわよ。あんたもよ、あんたも!」
「いえいえ。キャルちゃんもカズマくんも、勿論コッコロちゃんも素敵な人ですよ」
そういうことをさらっと言うからたちが悪い。二人はそんなことを思いながら、彼女が、そしてあの人達だって良い人達ばかりですからと続けたのを聞いた。
「ただ、何ていうか。リールちゃんはですね、ちょっとばかり、楽しむのが好きというか。騒ぐの優先というか。まあ最終的にはきちんとしてくれるので、そこは信頼しているんですけど」
「めちゃくちゃ心配はしてるみたいね」
「見て分かるからな」
「ペコリーヌさま、わたくしたちでよろしければ、お話を聞きますよ」
コッコロの言葉が決め手になったのか。そうですね、とアルバイトを抜けさせてもらったペコリーヌは、テーブルに座ると頼んだ飲み物をグビリと流し込む。珍しくこんな時間から酒をかっくらった彼女が、ぷはぁと息を吐いた。
「アイリス~……リオノールちゃんに何かされてないか、お姉ちゃんはとっても心配ですよ~」
「信用ゼロじゃねーかよ」
「そうね……」
「……わたくしは、コメントを控えさせていただきます」
ふう、とアイリスは息を吐く。教室に集まって授業を受けるというこの空気にも慣れてきた。勉強も今の所きちんとついていけている。順風満帆で、心配事もなし。
順調すぎて怖いくらいだ。そんなことを思いながら、彼女はよし、と席を立った。
「チエルちゃん、お昼にしましょう」
「わわ、イリスちゃんに先制されちゃった。あれ? でもいいの? 今日は他のクラスメイトと食べなくて」
「はい。今日はユニちゃんズの、じゃなかった、なかよし部の皆さんと一緒がいいと思ったので」
そう言って笑顔を浮かべるアイリスを見て、チエルはがばちょと抱きつく。まんざらでもない顔を浮かべた彼女は、それじゃあ行きましょうかとチエルと共に教室を出た。同じクラスということもあり、現状アイリスが一番接する機会が多いのはチエルだ。だからだろうか、どことなく、彼女の影響を受け始めていた。
「クロエ先輩、ユニ先輩、フェイトフォーちゃん、ちぇるーん♪」
「クロエさん、ユニさん、フェイトフォーさん、ちぇるーんです☆」
なかよし部アジトに入った第一声がこれである。クロエもユニも、アイリスのそれを聞いて何とも言えない表情を浮かべていた。
「あんさ、イリス。チエルと仲が良いのはいいけど、いや、まあどうでもいいけど。ちぇる語はアレじゃね?」
「イリス君、何でも吸収しようとする君の向上心は称賛に値するが、いかんせん少し知識に偏りが出ていると言わざるを得ないぞ」
「いりちゅ、ちぇるーん」
その横で平然と返すのがフェイトフォーである。アイリスと笑顔で挨拶をするその姿は純粋で可愛らしい。勿論クロエとユニの表情が更に苦いものになった。
「うんうん、ちぇる語もしっかりばっちりちぇるっと流行ってきましたし、これはブライドル王国の第二言語になるのもそう遠くないですね」
「いや遠いから。遠過ぎて先が何も見えてないから」
「まあ、二人がここの生活に慣れてきたと考えれば、多少なりとも妥協できないこともないが。いやしかし、ううむ」
「くろえ? ゆに? どうかちたの?」
「あー、いや。……何でもない、気にせんとき」
小さく微笑み、クロエはフェイトフォーの頭を撫でる。彼女のそれがフェイトフォーはお気に入りなのか、気持ちよさそうな顔をしてわしわしとされていた。
そうした空気の中、昼食である。相も変わらずフェイトフォーの食事量は尋常ではなく、リオノールが用意していなければとっくに破綻しているレベルだ。
「つかさ。何か段々慣れてて流してたけど」
「どうしたんですか? クロエさん」
「やっぱこの食事量はおかしくね?」
「そうですか?」
「……うん、あんな、イリス。そういう人もいる、で済ませちゃいけないやつだからこれ」
「そう言ってやるなクロエ君。彼女の身内が同じくらい食べるという話なのだから、イリス君の中ではそこまで奇異に映らないのだろう」
「それでも、流石にあんな感じの体格でってことはないんじゃないです? イリスちゃんイリスちゃん、お姉さんってどんな感じの見た目してるの?」
「え? お姉様ですか? えっと、身長はチエルちゃんと同じくらいでしょうか。さらりとした長い髪がとても素敵で、可愛らしい人です。私のこの髪型も、お姉様とお揃いで」
「わ、思った以上にお姉ちゃん大好きっ子。って、え? チエルと身長同じくらいなんです?」
もっと大きな人を予想していたので、チエルのその反応にクロエもユニも同意する。が、しかし、大きさはまだ確定していない。縦に大きくなくとも、横にならば。
「ちなみに、体重やスタイルはどのような感じなのかね?」
「体重は恐らく普通で、スタイルは凄く良いです。五年後、私はお姉様みたいになるのを目標としていますので」
ユニの問い掛けにも即答する。そしてそれを聞いたクロエ達の頭上にはイメージ出来ない謎の存在が浮かび上がっていた。彼女の言い分からすると、恐らく目の前のアイリスを成長させ、ボンキュボンにした感じなのだろうが、しかし。
「まさかとは思いますけど、ぶっちゃけそのお姉さんイリスちゃんの想像上の存在だったりしません? 理想のイメージが膨れ上がり過ぎたとか」
「いや、流石にそれはないっしょ。うん、うちもちょっと疑ったけど」
「その通りだぞチエル君、クロエ君。なにせほれ、我々の目の前に実例がいるじゃあないか」
「んー?」
めちゃくちゃ食ってる美幼女がいる。いやまあそうなんですけど、と反応に困る二人を尻目に、実際に存在する以上否定は出来ないとユニは言い放つ。
それに、と彼女は視線をアイリスに向けた。
「ここで友人を疑うのは、良い選択とはいえないだろうとぼかぁ思うよ」
「……そっすね。ごめんイリス」
「ですね。ごめんなさいイリスちゃん!」
「いえそんな! 気にしてない、ことはないですけれど」
アイリスにとってユースティアナは大切で大好きな姉である。バカにされたわけではないが、その扱いは流石に思うところもあるわけで。
が、そこは王族として生きてきた身。改めて客観的に考えると、ドラゴンと同等の食事を摂る王女様ってぶっちゃけどうなのという疑問にぶちあたるわけで。
「……仕方が、ない、とは思います」
ごめんなさいお姉様、ここはちょっとフォロー出来ません。彼女は心の中でユースティアナに侘びた。
「では話を元に戻すが。ぶっちゃけフェイトフォー君の正体を考察したい」
「パイセン、そのぶっちゃけは流石にどうなん?」
「えちょっとユニ先輩本気で言ってます? さっきの発言からその流れって普通に引くんですけど」
「何を言うのかね。ぼくはただ、友人のことを深く知ろうとしているだけだ。そこに邪な考えは、まあ、無いとは言えないが、彼女を辱めるつもりはない。無論、考察のヒントにさせてもらうイリス君の姉君のこともだ」
「いやその発想が割とアウト気味っつーか」
ううむ、とアイリスを見やる。が、彼女はユニの言葉に偽りは無いと判断したのか、大丈夫ですとクロエに返した。次いで、心配してくれてありがとうございますと頭を下げた。
ですが、とアイリスは表情を苦いものに変える。あまり参考にならないと思いますけど。そう言って少しだけ視線を逸らした。何せ彼女は知っているからだ、フェイトフォーの正体が何なのかを。
「そこは気にしなくても良いだろう。なに、昼食の席での軽いおしゃべりだと思ってくれれば」
「昼飯の話題にしちゃコッテリし過ぎじゃね? いいけど、別に」
「ですねー。場合によってはチエル胃もたれしそうなんですけど」
二人の文句を、まあ聞きたまえとユニが制止させる。そうしながら、一応やっておくかと視線をフェイトフォーへと向けた。
「フェイトフォー君。君はぶっちゃけ何者だね?」
「考察どこいった?」
「力技過ぎて発想が斜め上に舞い上がっちゃってますね」
ガン無視である。ユニとしても、色々考えたものの結局聞けば教えてくれたというオチを避けるための行動だ。これで終わるなどとは流石の彼女も思っていない。
予想通りというべきか、フォエイトフォーはその質問を聞いて表情を少しだけ曇らせた。そうしながら、ごめんなちゃいと頭を下げる。
「ふぇいとふぉーのことは、ほまれが言っちゃ駄目って」
「おや? 学院長ではないのか」
てっきりリオノールが面白がって口止めしていると思っていたユニは、彼女の言葉を聞いて目を瞬かせた。そうしながら、今フェイトフォーの述べた名前を自身の知識から引っ張り出す。
「ふむ。少し分かってきたかもしれない」
「え? 今のやりとりで何が分かるんです?」
「つか、それイリスのお姉ちゃん関係なくない?」
「いえ、元々関係ないと思うのでそこは別に」
ユニのそれに、三者三様の反応を見せた。そんな三人を手で制すと、彼女はならば追加の質問だとフェイトフォーを見やる。よく分からないが、空気が変わったのを感じ取ったらしく、思わずビクリと姿勢を正した。
「君に口止めしたという相手のことは、聞いても構わないかね?」
「ん? んー……言うなとは、言われて、ないはぢゅ」
「それは重畳。ならば聞こう。ホマレというのは、ここブライドル王国を古くから守る守護竜の名だ。君の言うホマレは守護竜のことで相違ないかな?」
「ん? ほまれが、ちょーい、ない?」
「おっと、すまない。端的に換言すれば、ホマレって守護竜ホマレ?」
「んーと、うん」
うぇ、とクロエとチエルが変な声を出す。その横でアイリスがあちゃぁと額を押さえていた。が、あの守護竜がそこを失念していたとも思えないので、これはきっと織り込み済みなのだろうと思い直した。そしてそのことを踏まえると、どうやらリオノールが言っていたこと以外にも何か目的が隠されているのかもしれない。そう結論付け、緩めていた気分を少しだけ引き締めた。
「ちょーちょー、パイセン。何か今スケールいきなりでかくなったような」
「え? 何でお昼ごはんの軽いトークでこの国の守護竜とか出てきちゃうんです? チエルってばいつのまに国を左右する立ち位置になってました?」
「落ち着きたまえ二人共。そもそも、ぼく達と普段騒いでいる学院長は我が国の王女だ。案外国というのは身近にあるものなのだよ」
アイリスはそっと目を逸らす。そうですね、身近ですね。ベルゼルグ王国第二王女は口には出さずに同意した。
「そ、それで、ユニさん。何か分かったのですか?」
「ふむ。とりあえず、守護竜と関わりがあるのはそうおかしなことでもないということだろう」
「え?」
「考えてもみたまえ。学院長の話によれば、フェイトフォー君はブライドル王国の王女の庇護下にあり、そしてかつての天才ドラゴンナイトが引き取っていた少女だ。どちらか片方、ではなく、両方。それだけの要素があれば、守護竜と出会っていてもおかしくはない」
「いやおかしいっしょ。それ関係者が特別なだけで、別にフェイトフォーが特別なわけじゃないし」
「あ、待ってくださいクロエ先輩。フェイトフォーちゃんがめっちゃ食べるのがここでちぇるっと浮かんでくるんじゃないですか。ひょっとして」
「然り。そうして彼女の特異体質を踏まえた考察は……恐らく彼女はドラゴンナイトと関係ある立場だ」
「はぇ!?」
今度はアイリスが変な声を出した。何でそこに行き着けてしまえるのか。彼女の考察に驚嘆を覚えてしまい、思わず反応してしまったのだ。が、幸いにしてその反応はいきなりの話で驚いただけだというふうに解釈してもらえたらしい。突かれないのを安堵しながら、彼女は三人の話を。
「てことは、あれ? ご主人さま呼びってそういうこと?」
「ひゃ!?」
「凄腕のドラゴンナイトって話でしたしねー。その可能性も全然アリアリだと思いますよ」
「あわ、あわ」
「ふむ。現状としては件の人物の従者見習いだったというあたりだろうか。ぼくとしてはあまりしっくりこないが、暫定としてならばこれくらいで丁度いい」
「いりちゅ、大丈夫?」
「……あ、はい。フェイトフォーさんは?」
「よく分からないけど、ふぇいとふぉーから言わないならへいき」
凄い勢いでニアピンしているのに平然としている彼女の動じなさを見習わなくては。そんなことを思いはしたが、ただ単によく分かっていないだけかもしれないとアイリスはふと冷静になった。ついでに、別に自分が慌てる必要もないじゃないかと溜息を吐いた。
何だかんだでなかよし部って全員優秀なのよね。