巻き戻された未来にて。
世界を救うための存在が、化生の軍勢を人類にけしかけ。
世界を滅ぼすための存在が、その軍勢から人類を守り続ける。
善悪の逆転した戦場の中で、一際輝いた赤黒い華。
かつて闇を切り払う白光だったそれは、腕の中で息絶えた彼の血に染まって戻らなくなった。
誰かの未来を守るために振るわれていたチカラだったのに。
誰かの明日を照らすために駆けていたヒカリだったのに。
もう見る影もなく、破壊と虐殺以外に能の無い惨めな極光。
他者にとっても、それを担うかつて悪役令嬢だった少女にとっても。
──それは悪夢に他ならなかった。
不沈卿と神殿残党相手に火蓋が切られる数時間前。
夜の内には向こうが来ると読み、わたくしたちはハインツァラトゥス王国王城で出撃準備を整えていた。
「アンタその服何? マクラーレンさんとお揃いにしたかったの?」
「ロンデンビアのマイスターに注文をってはああああああああああああああ!?」
「あっ、言われるまで自覚無かったんですね……」
シャツのボタンを閉めていたわたくしは、リンディの無慈悲な指摘を受けて絶叫した。
えっ嘘、えっ、待って、えっ!? そういうことになるの!?
普通に気づかなかったんですけど!
「ま、まあそういうこともありますって。多分……」
びっくりするぐらい下手な慰め方をしてくるユイさんは、教会製と思しきアンダースーツを着込み、その上から紺色と白色の聖女専用戦闘用儀礼服を着ているところだった。
実用性を重視した軽量かつ対物理・魔法共に高い抵抗力を持つジャケットに、動きやすさを確保するミニスカートを合わせている。蹴り技も多用することを見越してか、太ももまで届くロングブーツは各所に隠し刃があった。
絶対領域がエロいなって思いました。
「こいつがファザコンなのは今に始まったことじゃないわよ。放っておいてあげなさい」
あきれた様子のリンディは純白を基調として、各所に金色のラインを走らせた衣装を身にまとっている。ドレスと呼ぶには実戦的で、スーツと呼ぶには華美なデザインだった。見慣れないというか多分初見だ。これがハートセチュアの戦闘服なんだろうか。
外から見える肌面積は極端に少なく、指先と顔程度。夏だというのに長袖と長ズボンである。胸元には大きなリボンが結ばれ、この服装で社交界に交じっても違和感がないとさえ思えた。
露出が少ないのが逆にエロいなって思いました。
「これでよし、と」
黒のネクタイを締め、わたくしは姿見で自分たちの格好を確認する。
全員が勝負服だった。デート用ではなく殺し合い用の方の勝負服である。
「男子組はもう着替え終わって集まってるみたいね。まあこっちと違って制服らしいけど」
肩に乗せた使い魔の言葉を聞きリンディが言う。
彼女は右手に宝石を埋め込んだ指ぬきグローブを嵌めていた。七つの宝石が色とりどりに輝いている、初めて見る代物だ。
「なんですのそれ」
「……私はアンタたちみたいに、前線でバリバリ活躍することはできないの。だけど、それでもやれることを探した結果がこれよ」
右手を握ったり開いたりして、リンディは複雑そうな表情を浮かべる。
なんだかよく分かんねえけど、あれかな。久々にリンディ印のビックリドッキリメカが出てくるのかな。
「まあとにかく。こちらから能動的に最終決戦へ引きずり込める以上、ある程度は有利な状況を作っていきましょう。戦力差で押しつぶせるのが一番ですわ」
テーブルに広げた神殿跡地の地図。
予想される敵の軍勢とこちらの勢力の駒を配置したそれを、腕を組んで睨む。
「向こうには仮面の軍勢を召喚する権能がありましたわね。できれば召喚される前に決着をつけたいところではありますが……」
「こいつが真面目に戦略練ってるの違和感凄いわね。いや普段から頭の中ではこうなんでしょうけども」
「実家の隣の敷地に突き立っていた棒が聖剣でした、みたいな衝撃はありますよね」
今ユイさん、普段のわたくしのこと実家の隣の敷地に突き立ってる棒みたいっつったか?
わたくしの扱いが目に見えてひどくなっている。遺憾の意を表明したい。
「……それはそれとして、なんですけど」
すすっと近寄ってきたユイさんが、わたくしがワイシャツの上に通した、胸の揺れを防ぐバストバンドを指さす。
「そこに指を入れてみたいんですけど、どうでしょうか」
「どうでしょうか、と言われても……どうかしているのではないでしょうか」
「そこをなんとかお願いします!」
「状況分かってます? 結構真剣に決戦をするぞってところなのですが」
「しかし、あえて……?」
「悪い男の影響を受けている!」
聞き覚えのある二節詠唱を受けて、わたくしは絶叫した。
あいつユイさんにこのゴミ詠唱を伝授しやがったのかよ!
視界の隅でリンディが肩をすくめている。やれやれじゃねーよ! この聖女止めてくれ!
〇幼馴染スキー ありがとうございます
〇TSに一家言 口座番号教えてください
ちょっ、腕力で勝てない! 取り押さえられて無理矢理胸バンドの下に指を突っ込まれる!
やだやだやだ! 助けてー!!
そうして緊張感のないまま準備をしたから、バチが当たったのだろうか。
「……っ」
天を覆い尽くす、軍神の下にはせ参じた軍勢。
それはまさしく天から降り注ぐ終末の火。
「ジークフリート隊長! 向かって右手に、炎と氷の巨人! 正面には蛇竜種を率いた、雲の戦艦……!? そして左手に新手の上位存在です! 報告によると球体が4つ合体した形だと!」
「
聞こえる声に、頬を冷や汗が伝う。
「それでは、失礼する。君たちが全滅した後に、改めて神殿を使わせてもらおう」
軍神がせせら笑い、蛇竜種たちと入れ替わりに後退していく。
追いすがろうとした時にはもう姿が見えなかった。移動を補佐するタイプの権能を使ったのだろう。
「前方並びに左右を包囲されています! 後詰めも呼びますか!?」
「ぐヌ……! 敵の進行速度を確認したまエ! 後退しすぎて神殿を制圧されたら、この戦いそのものが終わってしまうヨ!」
各部隊が状況を把握すべく動き出す。
戦力差はひっくり返された。不沈卿が発動した権能、
「隊長。退路は後方のみと思われます。敵軍を突破する手もありますが……」
「落ち着けって。俺たち猟犬部隊は正面戦闘には向かない。あくまで味方のサポートに徹するべきだ。しかし……」
ジークフリートさん、青騎士さん、猟犬部隊の隊長さんがこちらを見る。
判断を決定していいかと問われている。当然だ、この場どころか、全世界でこの状況について一番知識を持っているのはわたくしなのだから。
「……っ」
どうする! どうしたらいい!?
完全に相手の戦力を見誤っていた! いいや、こっちだって切れるカードは全部切った! 全部切ってこれか!?
『嬢ちゃん、落ち着きな』
ユイさんやロイが口を開こうとした時、先んじて、わたくしの肩に止まってミクリルアが言う。
『奴さんも相当に仕込んでいたようだが、これはあくまで切り札中の切り札だ。これを切らせる程度には追い込んだのさ』
「……それは、そうなのでしょうが……!」
『だから簡単だろ。この戦場で勝利さえしちまえば、この戦いは終わりなんだ』
「簡単に言ってくれますわね! 敵は数も質も上なのですよ!?」
こんな悠長なやり取りをしている場合ではない。
神秘の軍勢がこちらに進撃を開始しているのだ。
「神殿を制圧されたらアウトなんだ。僕たちがやるべきことは、一つしかない。ミクリルアの言うとおりだよ」
「私も同意見です。それでどうするべきだと思いますか、ユート君」
「あ、俺に振る? まあそうだよな、向こうの目論見に乗るしかねえだろ」
ユートは一歩進み出て、数秒目を閉じた。
ぞわりと、人の上に立つ存在として生まれた者特有の、激しく燃え盛る炎のような雰囲気があふれ出す。
「
「『外宇宙害光線』は私とユイでなんとかするわ」
「っ……分かりました!」
最初にリンディが、真っすぐに『外宇宙害光線』を見据えて告げた。
「あの巨兵はオレとミリオンアーク君に任せてくれ」
「ええ、下手に数を割くべき相手ではなさそうですね」
ロイとジークフリートさんが氷焔の巨神兵に身体を向けて言う。
「あの空中戦艦。なんとかできればいいんだが、戦線維持で精一杯になりそうだな……なるべく戦力は中央に集中するぞ」
「かしこまりました、王子殿下。死力を尽くしましょウ」
ユートが先頭に立ち、機械化兵や王国騎士、聖職者たちも決意の表情で頷く。
全員がここを死地と確認したようだった。
で。
「……わたくしは帰れってことですかね?」
「馬鹿! そんなわけないでしょ。本当に動揺すると弱いわねアンタ」
バシバシとリンディに頭を叩かれる。
「アンタがやるべきことは単純! 分かるでしょ!?」
「……ええ。流星の本領を発揮し、なおかつ、軍神の元へ突入する」
シンプルに目的を絞ってもらったな、と思った。
思えばいつもはそうだった。何も考えずにただ敵をぶん殴っていた。
ああ、そっちでいいのか。
『儂は神殿に居座っておこう。格だけはあるからな、ゼルドルガに到達されても少しの時間なら稼げるはずだ』
「助かります」
ミクリルアの言葉に返事をして、それから自分の手で頬を叩く。
ったく、馬鹿が! 何を動揺してやがる!
「ならば単純明快! 皆さんは神殿を防護しつつ、迫りくる上位存在を適宜対処、撃破! その間にわたくしが、あの軍神を討ちます! そのためには……ユイさん!」
「────かの者に、『祝福』を!!」
ユイさんがわたくしに両手をかざし、パッと神秘の光が散る。
そうだ、今回ばかりは出し惜しみをしていられない。
「彼女が生きるために! 光が世界を満たすために! 『祝福』を、アナタに──!」
ユイさんが祈詞を重ね、多重加護をもたらす。
十三節詠唱の二段構えで全部薙ぎ払ってやる!
「これ十三節詠唱をするやつじゃないか?」
「あー、防音結界張っとくわ」
手馴れた調子でユートがわたくしの禁呪保有者っぷりを隠してくれた。
多芸系陰キャ、助かる。ちょうど切らしてた。
「わたくしが敵軍を蹴散らし、さらに軍神も仕留める! いいでしょう! わたくしがポイントゲッター兼ゴールキーパーですわ!!」
〇red moon 大谷翔平じゃん
〇無敵 お前もうスタジアム降りろ
叫んで、右手を天にかざす。
ああそうだ、まだ負けてない。わたくしたちはここからが強い。
この程度で負けてやれるほど、世界の明日は安くねえ!
詠唱中に襲い掛かってくる蛇竜たち。
だが加護の輝きを纏う手刀が閃き、悪しき軍勢を叩き落す。
わたくしめがけて真上から急降下してくる蛇竜たち。
だが白銀の刃より放たれる雷撃に撃ち落とされる。
ナメやがって、この無礼者が。
そもそも普段使いしてるのがツッパリフォームだからって、超大多数の軍勢を展開すれば無効化できるとか思われるのは心外セレクション8年連続金賞受賞だ。
わたくしの『
「
天から舞い降りる滅亡の軍勢に対して。
味方たちの間を縫い、地表を埋めるようにして無数に展開した流星。
「わたくしのいる場所こそが、流星の瞬く大空ッ! 今ばかりは天地を逆さにしましょう──!」
大地から放たれる無尽蔵の砲撃が、蛇竜種を次々に撃ち落とす。
そうして騎士たちが剣を抜き、竜が吠え、戦場の幕が切って落とされた。
十三節詠唱を改変し、持続性を付与した。
当面は流星の砲撃が絶え間なく放たれ、蛇竜種を撃ち落とし続けてくれるだろう。
「あの空中戦艦は一体……!?」
戦場の真ん中を真っすぐ駆け抜ける。
敵に歩兵はいない。がら空きの大地を素通りするが、それもそうだ。空から攻め落とす一本筋に絞ったのなら、下手にリソースを割かない方が効率的である。
だとしても、蛇竜種を従え、神殿上空から砲撃を撃ち下ろしてくる雲の戦艦は、いくらなんでも反則過ぎる。
〇日本代表
〇第三の性別 言ってる場合か! スペック的に考えると、お嬢たちの勢力じゃあれに対応できねえぞ!
〇火星 だから最速で相手の頭を叩くべきなのは間違いない、間違いないんだが……
ああ、分かってる。
露骨に誘われている。
「!」
神殿から離れ、無人の荒野を駆け抜ける。
視線の先では信者たちを従え、不沈卿が腕を組みこちらを見つめていた。
急ブレーキをかけ、眉根を寄せた。
「余裕ですわね。こうしている間にも、アナタが必死にかき集めた雑魚の群れが蹴散らされているかもしれないのに」
「……君相手だと、逃げの一手を打つほどに首が回らなくなってしまうからな」
いやに実感のこもった声色だった。
巻き戻された未来のわたくし、何をしたんだろう。
「少なくとも対等以上の勝負はできるさ。私を含めて、すべての手駒から『悪』という概念を消去した。あの竜殺し、ジークフリート……相性がかみ合えば、文字通り、数万数億の軍勢すら単騎で撃滅してしまうだろう。だが抜かりはない」
チッ。こっちの切り札はお見通しか。
背後にちらと視線をやるが、巨神兵は健在。時折腕を切り飛ばされたりしているが、すぐに再生が始まっている。
恐らく敵が悪属性じゃないから、防御に気を回しつつ攻めきれないんだろう。
「ヤハト、下がっていてくれ」
「ああ」
信者たちがすっと後ろへ退く。
「生憎私は、発動させた策の結果を確認するまでは勝ち誇れない」
「そうですか。わたくしを単騎でおびき寄せたのも策ですわね?」
「肯定する。ここで私が君を押さえることは、勝利への絶対条件だ」
「でしたら!」
瞬間、地面を爆砕させて加速。
その澄ました鼻っ柱を粉砕してやるよ!
「ここでアナタを倒すことは、こちらにとって唯一の勝利条件です!」
真っすぐ飛び込んで右拳を振り上げ。
「ぎっ!?」
がくんと、不沈卿への距離半ばで身体が縫い留められた。同時に身体の内側へ電撃が流れ込み、内臓がひしゃげる。
「中距離の間合いなら、君は一気に距離を詰めて正面から右ストレートを打ち込んでくる!」
「ぐ……!?」
ピアノの鍵盤を叩くように指を躍らせ、不沈卿は不可視状態にしていた仕込みを明かす。
現れたのは、空間を埋め尽くす稲妻の鎖だった。
「これは……!?」
「
慌てて腕に力を入れるが、そのたびに雷撃を流し込まれ視界が明滅する。
ごぽと嫌な音を立てて、せり上がってきた血が口の端から垂れる。
そんな、千切れない!? 多重加護にツッパリフォームを上乗せしているのに!?
「やはりこれだけでは、完全な拘束は難しいか。なら、次だ!」
「こんのおっ……!」
気合で鎖ごと進もうとした刹那、左足の感覚が消えてスッ転ぶ。
「
「だ、か、らあ……ッ!?」
だから何だよこの野郎!
一度味わった感覚、二度も通じない! 片足で立ち上がり、半身を引きずるようにして突き進む。
「……これでもまだ動く。そうだ。打てる手を全て打っても君は立ち上がる。そうだな。何度も、君たちに盤面をひっくり返された」
額に汗を浮かべ、不沈卿が再度腕を振る。
上空から降り注ぐ重力に押しつぶされそうになる。歯を食いしばり耐えて、進む。
〇宇宙の起源
〇外から来ました こいつ、本気で全部ぶつけるつもりかよ……!
「戦局自体は、本当にこちらが有利なんだ。私は君たちの絆を封じた。要害を複数配置し、バラバラに分散させた」
つう、と不沈卿の目から血が流れ始めた。
向こうだって負荷がかかってる。勝負は成立している!
「私が敷いた陣形には3つの核がある。氷焔の巨神兵、銀河の集合体、空中浮遊する雲海の戦艦……どれか一つに対して、全員揃っての力押しなら、君たちに勝機があったろう。だが今回は別だ」
不沈卿がこちらへ右手を伸ばした。
何かが来る。こちらも右腕を突き出して防御しようとする。
刹那。
ブツンと。
集中が、切れた。
「あ」
体内を循環する流星が消えた。
同時に、砲撃が止まった。
戦線を維持するために不可欠だった、流星の大砲撃が消えた。
なんで。どうして。
「深海奥深くに住む、他者の精神に干渉する巨大な古代魚……その権能をトリガーとして、
全身から力が抜け、稲妻の鎖が四肢を縛る。
がくんと膝をつかされ、両腕が真上に伸ばされ、身動きが取れなくなった。
「君の魂は、もう間もなくこの世界とはズレた位相へ転移させられる……! さあ、次元の狭間に消え失せろ!」
ぼやける視界の中、不沈卿が崩れ落ち、信者たちが慌てて彼を支えるのが見えた。
こいつ、本当に、遠慮なしに、バーゲンセールやりやがった……!
〇無敵 意識だけ飛ばすつもりか!?
〇日本代表 ……ッ! お嬢、再詠唱を──
直後。
作動する。
ぼんやりと、プールに浮かんでいるような感覚。
次元の狭間。線として伸びていく世界から弾かれた、ゴミ捨て場。
ぼんやりと、光景が見える。
炎に包まれる世界が、物言わぬ骸になった婚約者が、涙を流しながら剣を振り上げる騎士が、見える。
でもそれらに実感は伴わない。
だからこれは、他人の思い出だ。
既に終わってしまった世界の物語だ。
そうか。なかったことになったわけじゃなく、正確にはこっちに捨てられていたんだな。
ぼんやりしているわたくしの脳裏に、声が響く。
『あらあら』
『あらあら、まあまあ』
『びっくりですわ。なんて──
直後。
真紅眼と、視線が重なった。
「勝った…………」
がくんと頭を下げ脱力したマリアンヌを見て、不沈卿がつぶやく。
その言葉には、万感の思いが込められていた。
「ふ、ふはっ。ふははははははははははは!!」
過負荷に悲鳴を上げる身体に構わず、彼は哄笑を上げた。
「流星は、暗闇の中に還った! 彼女は一人で輝くことしかできず、次元の狭間に消えた!」
魔法で声を拡張し、マリアンヌの脱落を宣言する。
信者たちが沸き立ち、騎士たちが愕然とする。
「我々の勝利だ……! 今度こそ! 完全に我々の勝利だ!!」
何度目になる試行なのかすら思い出せない。
だが今度こそ、勝ったのだ。
「不沈卿、やったな……!」
「ああ。これで、本当に」
彼は立ちあがると、ゆっくりマリアンヌに近寄る。
完全に無力化したその身体。経験した未来では、幾度刃を突き立てようとも、逆に出血を武器に変換して襲い掛かってきた。
だから狙うなら脳だ。一太刀で脳髄を破壊すれば、結局のところ人間は死ぬ。
「さらばだ、流星の少女よ」
不沈卿はサーベルを引き抜くと、それを振り上げた。
彼は勝利した。
データとリソースを総動員して、間違いなく勝利した。
マリアンヌという旗印を失い、戦場の趨勢は決した──誰もが、そう思っていた。
「諦めてんじゃないわよッ!!」
呆然としていたロイたちの身体がびくんと跳ねた。
叫んだのは、『
「リ、リンディさん、だけど……ッ!」
「ユイ、意識を逸らさないで! あと少しだから!」
ここに不沈卿第一の誤算がある。
今までの、彼が観測可能だったループの中では、マリアンヌたちはずっと後手に回っていた。場当たり的な最適解を引き続けていた。
だが今回は、今回だけは違う。
マリアンヌは、自ら意思を示した。
それを、リンディ・ハートセチュアは間近で見ていた。
だから奮起する。一つの意思にまた別の意思が呼応し、大きなうねりとなって変化をもたらす。
カッと頭の奥が白熱する。
脳裏をよぎったのは、みんなでテーブルを囲み、菓子をつまみ茶を楽しみ、笑い合っている、そんな光景。
何でもない日常の一幕。切り取ったそれらは、リンディにとって何よりも美しく、何にも代えがたい輝きを放っている。
(あの光景に私が交ざってるなんて、本当はおかしい。わかってる。私に、あそこにいる資格はない。いちゃいけないのに、しがみついてるだけ)
言葉を発することもなく、ただひたすらに、無差別に破壊や浮遊、意思喪失の光線をまき散らす銀河の集合体。
本陣へ突き進む勢いを止められない。
(だけど!)
ユイは攻撃を避けながら、時折接近し、しかし全身から放たれる光の前に間合いを取り直すことを強いられていた。
だがそれは全てリンディの指示。攻撃を通せずとも、とにかく近づき続けてほしいという頼みに応えたもの。
(たとえ資格がなくても! あいつらにだけは、笑い合っていてほしいから!)
リンディは見ていた。
『外宇宙害光線』が動くたびに起こる、微かな次元の揺れ。動くたびに起こる、構成要素同士の干渉。
音。光。足元。頭頂部。
すべてを観察し、紐解き、解明する。
カチカチカチカチカチと。
頭の奥で、歯車が激しく回転する。
リンディ・ハートセチュアは稀代の天才だ。
だから、彼女にはできる。
存在を暴き、尊厳を踏みにじる。
──目視情報をベースに、対象上位存在の、召喚過程と固定術式を看破する。
『デザイアドライブ・ディザスター』、試作コードネームDDDによって召喚された個体。
そう聞いた時から、決めていた。決めて、ひそかに対策を立てていた。
自らの撒いた種が厄災となるのなら、この手で摘み取らなければならない。
「アンタは、アンタだけは、私が
そう言って。
ユイが大きく跳躍し、敵の上を取った刹那。
背中からリンディが飛び降りた。
「リンディさんっ!?」
眼下に『外宇宙害光線』を捉え、リンディはグローブに魔力を流し込む。
右手のグローブに埋め込まれた宝石が蠢動し、色とりどりの輝きを放つ。
放射された光が交わり、線を描き、リンディの手の中に巨大な突撃槍を形成した。
「『デザイアドライブ・デストロイヤー』──DDDを破壊するためのDDDッ!」
迎撃に放たれた光条が、ジュッとリンディの服を掠める。
構うことなく急降下し、リンディは敵の身体に穂先を突き込み、詠唱を開始する。
「
流し込まれるは存在を破壊する毒素。現世に留まっていられる理由、固定術式をむしばみ、破壊する致死の猛毒。
慌てて『外宇宙害光線』が彼女を振り落とそうとして、しかし接近したユイの掌底に動きを止められる。
「リンディさん────!」
「
合計七節の改変詠唱。
単なる性質の上書きなどではない。もっと根源的で、冒涜的な変貌。
蛹から羽化しようとする蝶を巻き戻し、蛹ごと圧し潰すような、神秘への反逆。
「おさがりの技術で粋がるなんて度し難いわ! この世界から消え失せなさいッ!」
プリズムを通して色が分解されるように。
水滴を通して虹がかかるように。
相手の存在を逆算して分解する、リンディだけにしか導き出せない七色の輝き!
『────!?』
言葉にならない悲鳴を上げる『外宇宙害光線』。
固定術式の分解をトリガーとして、宇宙の光をかき集めた超常の存在が、丸ごと崩壊していく。
「ユイ! コアの二人を!」
「はい!」
リンディの呼び声に応じてユイが腕を突き込み、コアの中からリーンラードの兄妹を引き抜いて離脱する。
『あ、ああ……僕、ぼく、わたし、わたししっしsっしsssss』
「生まれ方を間違えちゃったのよね。分かるわよ。アンタは私と一緒」
今際の際に言葉を発し、自壊していく銀河。
その身体の上に佇み、風に前髪を揺らしながら。
真っ白なバトルドレス姿で、リンディは槍をもっと奥まで突きこみ、二人がいなくなった空洞のコアを突く。
「だから看取ってあげるわ。存在しない方がいい存在が消える、当たり前の儀式だけど……きっと、私もいつかはそうなるから。先に還りなさい、アンタにはきっと、居てもいい場所があるわ」
『ぁ────』
身体の端から端までが光の粒子となって解けていき。
戦場の一角を支配していた銀河の集積体は、夜空へと浮かび上がっていき、消えた。
分解された『外宇宙害光線』は、最後に一つだけ光を残した。
それは存在そのものを構成する、
数多の平行世界から既知のデータを引っ張ってこれたのは、その光を有しているからだった。
存在が弾け、光が弾ける。
刹那だけ、時空が歪む。閉じられた世界の扉が静かに隙間を開ける。
故にそれは、架け橋となる。
一度世界の外にはじき出された少女の魂が、光輝く道を疾走した。
不沈卿がサーベルを、マリアンヌめがけて振り下ろすのと。
『
「────っ」
息が詰まった。
自分の拍動が嫌にうるさい。
最初に不沈卿は、自分のサーベルがなぜ止まっているのかを確認した。
単純明快で、サーベルを持つ腕を、正面から伸びた手で押さえられていた。
次に不沈卿は、マリアンヌの様子を確認した。
拘束は解かれていない。両腕は真上に吊るされたままだ。
最後に不沈卿は、伸びた手の主を確認した。
真正面の至近距離で、真紅眼が、こちらを見つめていた。
『
拘束されたマリアンヌの背後に、知らない誰かが立っていた。
地面に引きずる黒髪。赤く染まった衣服。憎悪を煮詰めた双眸。
「だれ、だ」
『もういなくなった者。アナタではないあの兄妹が、なかったことにした者』
女が軽く、本当に軽く、腕を押す。
それだけで不沈卿の身体がゴミクズのように吹き飛ばされた。
「ごっ、ば……!?」
ごろごろと荒野を転がる彼を、慌てて信者が受け止める。
その光景を眺めた後、女は静かに膝をつき、マリアンヌの首に腕を回した。
『だけど、綻んだから。だから出て来て、本当はこの身体を使って、アナタを殺そうとしたのです。でも許してくれなかった。ふふ……過去の自分に殴られるなんて、なかなかできない経験でしてよ。ならば委ねましょう。
「……ッ!! 消えろ、亡霊が!」
軍神は顔をしかめながら、立ち上がりざまに腕を一振りする。
それは本能的な恐怖からくる防衛行動だった。
しかし遅すぎる。
『──
軍神が放った衝撃波が霧散する。
同時、おぞましい女の姿も、空気中に溶けるようにして消えた。
なんだったのか、と疑問に思う暇すらない。
「…………まったく。聞こえていますわよ。
今度こそ不沈卿の呼吸が凍り付いた。
不沈卿の、第二の誤算。
次元の狭間に潜んでいた、彼の知らない彼女の存在。
────
彼女は稲妻の拘束鎖を両手でつかむと、ギチギチと音を立て鎖を握り込む。
────
手を打つ前に、凄絶な破壊音と共に、鎖が引きちぎられた。
────
全身から黒く淀んた焔を噴き上げ、少女が立ち上がる。
────
知らない。
彼が唯一観測できなかった滅びの世界。そこから舞い戻ってきた悪魔の姿を知らない。
────
改変詠唱完了。
十三節の全てを憎悪と破壊と悲嘆に捧げた権能が、血染めの華を咲かせる。
「マリアンヌ・ピースラウンド────ナイトメアオフィウクスフォーム」
巻き戻された未来においては、全世界に悪夢をもたらす存在だったそれ。
しかし、それを発現させてもなお。
マリアンヌの瞳には、変わらない意志の光が宿っている。
「何故だ……」
知らずのうちに一歩下がり、不沈卿は思わず言葉を漏らしていた。
「何故、何故いつもお前は知らぬ力を目覚めさせ、そうまでして立ち上がる!」
もはや理解不能。
何度倒れても立ち上がる。何度打倒してもさらなる力を持って打倒しに来る。
不沈卿は恥も外聞もなく悲鳴を上げた。
「何なんだ、お前はァッ!?」
それを聞いて、拘束の全てを粉砕しながら黒髪をなびかせ、少女は鼻を鳴らす。
「──そんなこともお分かりにならないのですか? ならば教えて差し上げましょう!」
拳を握り、一歩で距離を詰める。
ハッと不沈卿が展開した雷撃の鎖すべてが、彼女の身体に触れたとたんに溶解した。
「な……ッ!?」
間合いに踏み込まれた時にはもう遅い。
不沈卿の頬に拳がめり込み、鈍い破壊音を響かせる。回転しながら吹き飛んだ彼の身体が、数十メートル単位で地面に打ち付けられ、転がっていく。
拳を振りぬいた姿勢で数秒残心を取った後、マリアンヌはその右手で天を指した。
「何度でもやり直せるというのなら! 何度でも仕掛けてくるというのなら! こちらも何度でもアナタを打ち砕きましょう! わたくしはマリアンヌ・ピースラウンド! アナタを否定し、アナタを粉砕する者! 文字通り──アナタにとっての悪夢です!」
憎悪の焔を宿しながら、未来のために戦う少女が。
無限に繰り返される悪夢に、幕を引きに来た。
「てゆーかちょっと最後の最後に聞こえてましたからね!? 一人で輝くことしかできないとかナメたこと言ってくれましたわねええええええええ!? 流星は老若男女問わず誰しもから見上げられ指差されるからこその流星! そーんな初歩的なとこから分かってないから何回ループしても負けてるんですわよ、この無能! ループのしすぎて脳細胞老化しちゃってるんじゃないですかあ!? タケルちゃんに土下座して謝らせてやりますわ!!」
あと、イチャモンをつけにも来ていた。
いただきましたイラストを紹介いたします。
【挿絵表示】
ぬくもり様よりリンディのイラストをいただきました!
左端やばくないですか?これがおれたちのリンディママなんだよなあ
あとやっぱ冷めた顔してるリンディの自己肯定感どん底感が本当に最高。マジで幸せになってくれ……!頼む……!
ワイシャツ女二名は邪魔なので帰ってください。もうそこの二人で一生南斗獄屠拳やってろ
【挿絵表示】
また同じくぬくもり様より、100話記念にマリアンヌのイラストをいただきました!
気づけば100話で感慨深いですね……
最近手に入れたスーツ姿での強キャラ感満載な佇まい、最高です。100億点。
目の中に流星の輝きが入ってるのが匠の技を感じます。あと100の下に書いてある英文が正直すぎて笑う
一挙に二枚もいただきまして本当にありがとうございました!!
これからも頑張っていくので、皆さんどうぞお付き合いください。