TS悪役令嬢神様転生善人追放配信RTA   作:佐遊樹

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誰も前話が中編から中編①へ書き換えられたことには気づけない
これはそういう術式なんだよ

感想返し遅れてますが後で全部ちゃんと返します、せっかくお祝いしていただいたのに申し訳ないです


PART10 女帝による高精度文化祭運営事情(中編②)

「伝説の木の下で告白できるのが──」

「今年はあと1ペアだけ──!?」

 

 学園中に激震走る。

 例年の慣習となっていた、伝説の木の下での告白。だが今年は既に残り一席が残るだけとなっていた。

 

「み、ミリオンアーク君どこっ!?」

「タガハラさんを探さねえと……ッ!」

「ピースラウンド様を追うんだ! スカイマギカ部と乗馬部は緊急出撃(スクランブル)!」

 

 生徒たちが露店や出し物を放棄してワッと駆けだす。

 一般客たちは目を丸くした直後に、しかし両手を振るって応援を始めた。

 

「いいぞー! がんばれー!」

「走れ少年少女、制服デートはマジで卒業すると死ぬほど後悔しても二度と出来ねえからマジで!」

「ぶっ殺せーッ!!」

 

 こうなっては集客もへったくれもない。

 ごった返す人ごみの中で必死に相手を探す男女とそれをはやし立てる群衆が混ざり合い、学園は完全なカオスに陥っている。

 

(……しかし、生徒会主催のイベントである以上は、この無秩序さこそが祭りの華ってやつなのかねえ)

 

 焼きそばパンを作る手を止めないまま、ユートはあっちこっちへ走り回る生徒たちを眺めながら思った。

 

「ゆ、ユート君どうしよう……!?」

「落ち着け……さすがに俺もちょっと、連中を探すが……キョーミねえよってやついるか? 伝説の木に」

「あたしもうど~でもいいわ」

 

 真っ先に手を挙げたのは、椅子に座って足をぶらぶらさせているギャル生徒だった。

 

「お、いいのか?」

「いいってか~……」

「……ん? お前確か昼前とかに行ってなかったっけか?」

 

 ユートの指摘に対して、ギャル生徒はぷいと顔を横に逸らす。

 

「全然効き目なかったし」

「……そ、そうか」

「三年待ってくれって……」

「……ん!? んんん!? お前それ!!」

「はい、ハズいからこの話終わりー。で、店番すればいいんでしょ……ってコラ、おい! 担ぎ上げるな! 胴上げすんなし! ちょいちょいちょい! なんであたし以上にあんたらがはしゃいでんのッ!?」

 

 クラス用のテントはやんやの喝采に包まれた。

 仕事上話すことの多いユートは心の底から祝福しつつも、堅物眼鏡(あのかんじ)軽薄ギャル(こういうの)が好きなんだ……とちょっと困惑していた。

 マリアンヌに知られたら『ギャップは基礎中の基礎! 基礎を疎かにするカスが性癖を語るんじゃありませんわ!』と頭部が陥没するまでボコボコにされていただろう。

 

「で、普通に売ってたらいいかな?」

「ああいや、店番っつーか、パンを急ぎでたくさん作っといたからよ。これを売っちまえ」

 

 クラスメイトの質問に、ユートはエプロンを脱いでねじり鉢巻を外しながら答える。

 

「え? でも、露店スペース外じゃ……」

「この騒ぎでンなこと気にしてるやついねーよ。稼げるときに稼げってのが我らがプロデューサー様の言いつけだぜ?」

 

 ユートはテントの奥に畳んで置いていた学ランを羽織って、不敵な笑みを浮かべた。

 

「あいつの受け売りだが……祭りの空気ってのが、一番人間のコウバイイヨク? えーと、ものを買いたいっつー気持ちを刺激するそうだ。後は分かるだろ? 今がその最高潮ってことだ」

「ユート君、ピースラウンドさんの悪いとこばっか影響受けてるよね」

「しばくぞお前」

 

 指摘が的を射ていることは重々承知だったので、ユートの表情は大変に渋かった。

 

「……もちろん、大々的にはするなよ。こそっとバレねえように、だ」

「りょーかい。じゃあ王子さまはやっぱ、お姫様を迎えに行く感じ?」

「まあな」

 

 思えばクラスの面々は随分と気安くなったものだ。

 もちろんユート自身の努力が最も大きいが、マリアンヌたちに振り回されてばかりの姿が、いい意味で壁を壊しているのもある。

 

 故に──他国の王子で、苦労人で、ツッコミ役のユートばかりを知っているから。

 クラスメイト達は、背を向けて歩き出したユートの表情を知ることはない。

 

 みんなと友達(ダチ)であるユートとしての顔が瞬時に消える。

 一度自分の頬を張ってから、ユートミラ・レヴ・ハインツァラトゥスはキッと鋭いまなざしで、喧騒の中心へ走り出した。

 

(……まあ。惚れた女を景品扱いされてムカつかないわけがねえんだけどな!!)

 

 この男、本気も本気である。

 

 

 

 ◇◇◇

 

 

 

 流星の足場を展開し、校舎の上を駆け抜ける。

 いつまでも上をピョンピョン跳ね続けてやり過ごせればいいんだが、中央校の生徒がそんなヌルゲーを許してくれるはずもない。すぐに対空弾幕が張られるだろう。というか対空攻撃魔法が飛んでき始めた。

 

「かくなる上は、こちらから地上に戻るしかありませんわね。アナタもそう思いませんか?」

 

 首根っこを掴んだままのアルトリウスさんに問うと、彼はキッとまなじりをつり上げる。

 

「この状況でよく俺に意見を求められるな、君は! そもそもなんだって俺が巻き込まれなければならないんだ!?」

「やかましいですわッ! 一度乗った船、途中下船はできなくってよ!」

「君が俺を無理矢理詰め込んだんだが!?」

 

 ぎゃあぎゃあうるせえやつだな。

 わたくしは流星の足場を蹴って、先ほどまでとは反対に地面めがけ急降下する。

 

「くっ……」

 

 ぽいと放り捨てると、アルトリウスさんは器用に受け身を取って着地、そのまま立ち上がる。周囲には魔法を展開した無数の生徒たち。

 逃げ場がないことを確認して、アルトリウスさんは数秒、本当に心の底から渋そうな表情を浮かべ、それから決断を下した。

 

「──突破するぞ!」

「そうこなくっては!」

 

 二人して走り出し、生徒たちの間を縫うようにして抜けていく。

 根本的に生きている速度域が違うのだ。そんじょそこらの学生がわたくしを止められるなんざ思い上がりも甚だしい。

 次々に現れる生徒を順次無力化しながら、わたくしたちは俊足を飛ばす。

 

「当身!」

「ぐぶっ!」

「やめろピースラウンド! ボディに拳を叩き込むことを当身とは呼ばない!」

 

 やべ、注意されちゃった。

 手加減しないとダメかなあと考えていると、魔法を展開しながら前方に複数の影が立ち塞がった。

 飛んできた魔法を首をかしげるようにして回避。

 

「通しません!」

「動きを止めさえすれば!」

「私と付き合ってください!」

 

 それは伝説の木の下に行ってから言えよ。

 

「生憎わたくしの好みではありませんわね! もう少しスカートが短いといいですわ!」

「割と簡単に好みに寄せられるな!?」

 

 告白してきた生徒をアイシールド21リスペクトの動きで抜き去ると、隣に追随していたアルトリウスさんが声を上げた。

 スカートの丈は大事だろ。超大事。

 

「ルートの選択は任せていいのか!?」

「お任せを! 人の来なさそうな場所なら心当たりがあるので、どこかで撒ければ……!」

 

 そう言いながら校舎の角を曲がったとき、前方にはこちらの行動を予想したのか、白衣姿の生徒たちが陣を組んでいた。

 

「動くな! 召喚魔法研究部だ!」

「チッ……」

 

 めんどくせえ連中に絡まれたな。

 二人して立ち止まると、アルトリウスさんがこそっと顔を寄せてくる。

 

「強行突破はまずいのか?」

「ご覧になれば分かると思いますが、既に召喚術式を組んでいますわね。下手に外から刺激すると、生徒たちを巻き込んで暴発しかねません」

「危険な術式じゃないか。何故そんなものを学生が」

「そーゆーのが好きな連中の集まりなのです」

 

 あぁ……と納得した様子で、アルトリウスさんが遠い目をする。

 追って来たギャラリーたちも見守る中で、部長と思しきメガネの男子が、白衣を翻して進み出た。

 

「マリアンヌ・ピースラウンド!」

「はい」

「貴様は、貴様だけは許せん……タガハラさんとあれだけ日頃いちゃいちゃしておきながら謎のイケメンと逃避行など、神が許しても我々が許さん!」

「えぇ……」

 

 

 何か言ってますけど、神としては許してくださる感じです?

 

 

日本代表 許すわけねえだろタコ

鷲アンチ 詫びろ

 

 

「どうした、ピースラウンド。随分と目が死んでいるぞ」

「いえ……神にも許されなかったので……」

「??」

 

 そうこうしているうちに、召喚魔法研究部の足元の魔法陣が光り輝く。

 バチバチと黒ずんだ深紅の稲妻が迸り、そこから──ミサイルコンテナが姿を現した。

 

「ハア?」

 

 デンドロビウムは魔物じゃねえだろ。魔物みてえなスペックだけども。

 

「食らえ──2日目の花火に交ぜて打てば怒られないだろと思って作っていた!! 小型ワイバーンロケットミサイル!!」

 

 直後だった。

 バゴンと音を立ててハッチが開放されると、コンテナ内部から超小型の竜が無数に射出、複雑に曲がりくねった軌道でわたくしたちに襲い掛かって来た!

 

「ふおおおおおおおおお!?」

「意外と実用的じゃないか……!」

 

 流星足場を再解禁! 空中に跳び上がり、ミサイル群をかいくぐる。

 

「……ッ! 星を纏い(rain fall)天を散らし(sky burn)地に伸びよ(glory glow)!」

 

 距離を離してから、三節詠唱の流星を鞭状に展開する。

 それを回転させ即席のシールドを作り、一方向に固めたミサイルを全て受け止める。

 頭部から突っ込んできた小型ドラゴンたちは、回転する流星シールドに断ち切られ次々に爆散した。

 

「ぐうう……やはり威力不足だったか」

「そうでもない、学生ながら、これは感嘆に値する出来だ」

 

 空中でわたくしがミサイルをしのいだのを見て呻く部長に、無傷のアルトリウスさんが声をかける。

 彼の足元には、徒手空拳に砕かれたドラゴンたちが散らばっていた。

 え、なんで素手であれ凌いでんの? コワ……

 

「な、謎のイケメンにすら無傷で迎撃されてしまったのか!? 終わりだ……」

「気に病むな。私もピースラウンドも、即時的な対応力に長けている。他の人間ならまず無事では済まないし、これがもっと状況設定段階でハマっていれば、我々も難しかっただろう」

「…………」

 

 部長が頬を赤く染めていた。

 イケメンにストレートで褒められると照れるよね。分かるよ。

 

「将来有望とはこのことだろう。君がこうした魔法研究を深く深く進めていくことは、この国にとって有益に違いない。期待しているよ」

「は、はひ……」

「──今だピースラウンド!」

裁きの極光を、今ここに(vengeance is mine)

 

 それはそれとして。

 アルトリウスさんの合図を受けて、わたくしは三節詠唱の流星ウィップに起動言語(ランワード)を入力。

 固定化していた星の瞬きが分解され、本来の魔力砲撃に巻き戻され、それから召喚魔法研究部の面々の下へ放たれる。

 

「えっ──」

「ただ、邪魔なので今回は吹き飛んでくれ」

 

 アルトリウスさんが制帽を外して軽く頭を下げる。

 同時、召喚魔法研究部は丸ごと、わたくしの流星によって天高く吹き飛ばされていった。

 

「ぐわあああああああああああ!?」

 

 勝敗はついた。ギャラリーたちがワッと沸き上がり、拍手喝采を浴びせてくる。

 白衣の連中がキラーンと星になったのを確認して、わたくしはアルトリウスさんの隣に降り立った。

 

「性格悪すぎてびっくりしましたわ」

「何も言っていないのにこちらの考えを把握できた君も性格が悪いんじゃないか?」

「……ついでにアナタもまとめて吹っ飛ばしておけばよかったですわね」

「助かるよ、このふざけた逃避行から抜けさせてくれるなんて」

 

 おおおおおおおん! ああ言えばこう言いやがって! 許せねえ!

 

「さて、うかうかしていると次が来るな。真っすぐでいいのか?」

「ええ。では行きましょう」

 

 

 

 ◇◇◇

 

 

 

 学園祭の喧騒から少し離れて。

 使われていない空き教室に、ユイとロイの姿があった。

 

「どうしたんですか、急に呼び出して」

 

 ユイは片手に持った、鉄製の薄い板をロイに見せる。

 そこには魔力の光が浮かび、空き教室に来るようにというメッセージを表示していた。

 

 第六剣理(ソードインテルメッツォ)飛来電針(ディメンション)閃行加速(ライトロード)を応用してロイが作った簡易的な連絡用デバイスである。

 マリアンヌが見れば『剣と魔法のファンタジー世界で現地民がポケベル作っちゃだめですわよ!? やっぱこの世界、時代考証に関して脇が甘すぎませんか!!』と絶叫していただろう。

 

「マリアンヌさんは今、姿を隠しているようですし。私たちも警戒を……」

「黒騎士」

「……ッ」

「知っているかい?」

 

 即座に教室の外に人気がないかユイは探り、息を吐いた。

 それから、静かに、小さく頷いた。

 

 

 

 ◇◇◇

 

 

 

 召喚魔法研究部を蹴散らしたわたくしたちは、再びダッシュで移動していた。

 速度が違うのでギャラリーたちも追いつけてはいない。このまま振り切れるといいんだが……

 

「動くな! 機密魔法研究部だ!」

「チッ……」

 

 とか思ってたら、前方に怪しい黒いローブをかぶった生徒たちが立ち塞がった。

 

「機密魔法?」

「ああ、禁呪だのなんだのではありませんわよ。毒や麻痺や透過といった軽犯罪などに使われやすい魔法を研究することで、逆にそれらを用いた軽犯罪を防ぐ手立てを考えるという集まりです」

「ほお、見上げた理念だな。素晴らしいじゃないか」

「……まあその分、そういった魔法に精通しているということでもありますが」

 

 それを聞いて、アルトリウスさんが渋い表情を浮かべる。

 ギャラリーたちが追い付いてくる中、部長と思しき目の下にクマを浮かべた女子が、ローブを引きずりながら進み出た。

 

「マリアンヌ・ピースラウンド……!」

「はい」

「あなたは、あなただけは許せない……ミリオンアーク様にあれだけ想われていながら謎のイケメンと逃避行なんて、邪な神々が歓喜したとしても私たちは絶対に許さない!」

「えぇ……」

 

 

 ……このコメント欄って、邪な神々っていましたっけ?

 一応参考に聞いておきますが、どうです?

 

 

外から来ました うぃーっす。いんじゃね自由恋愛で。別に歓喜はしないけども

無敵 邪な神がうぃーっすなんて応答しちゃダメなんだよな

 

 

「……邪な神々も別に歓喜はしないみたいですわよ」

「巫女にでも就職したのか?」

「残念ながら適職ですので……」

 

 わたくしの返答に、アルトリウスさんは鼻を鳴らし、明瞭な嘲笑を浮かべた。目が『絶対無理だろ』と言っていた。うるせえな、神々の言葉直接聞きまくりなんだぞこっちは。目にもの見せてやろうか。

 そうこうしているうちに、機密魔法研究部が怪しげな詠唱を開始する。

 

夢見る権利を奪う者(sheep trans)先行きを惑わす者(sign miss)大いなる恐ろしきもの(devil breath)旅人の営みはそこに尽きる(walking endless)

 

 ……ッ! 雷属性魔法をベースにしているのか!

 空間そのものを拉がせるような重圧が広がり、それから──彼女たちの足元から、ぶわりと沼が湧き起こった。

 

「麻痺効力を部員全員でかけた、麻痺沼よ! 多分十節詠唱分ぐらいの威力はあるんじゃないかしら!」

「馬鹿なんですの!?」

 

 戦略級に片足突っ込んでんじゃねーかこれ!

 ぐわーっとすさまじい勢いで迫ってくる麻痺沼。

 

「……ッ!」

 

 わたくしは身体に魔力を循環させ、聞き取った詠唱から逆算し、反転した詠唱を即座に導き出す。

 ここで捕まるわけにはいかねえ。対抗魔法で相殺すれば!

 

 

「──浄焔装填(セカンド・トリガー)

 

 

 刹那だった。

 その低い声は真横から聞こえた。

 地の底から響いたのではないか、と一瞬思ってしまうような声色だった。

 

「浄滅しろ」

 

 酷薄に呟いて、アルトリウスさんが拳を振りかぶり、そのまま大地に叩きつけた。

 まるで水道管を破裂させたかのように、砕かれた地表から聖なる輝きが噴出し、麻痺沼と真っ向からぶつかる。

 

「えっ……えええええええええええええええ!?」

 

 均衡は一瞬にも満たなかった。

 アルトリウスさんが発現させた聖なる息吹が、麻痺沼を駆逐し、そのままの勢いで機密魔法研究部の面々も吹き飛ばしていった。

 

「……雷撃属性に麻痺を付与する際、媒介として悪魔への祈りの要素を織り込んでいただろう。あれぐらいなら教会も何も言わないだろうが、属性として付与されているからには、()()が一番早い」

 

 単節詠唱未満の速度で今の威力が出せるのかよ……

 ちょっと引いた。見ていて気分の悪くなるような魔法だった。

 ていうかめまいがする。気分悪い。あれ? 視界もぐらついている。

 

「……ッ!? ピースラウンド、大丈夫か」

「はえ?」

 

 気づけば天を仰いでいた。

 倒れ込みそうになって、アルトリウスさんに受け止められたのだと、遅れて気づいた。

 

「まさか、余波をもろに受けたのか? 体内に入った……?」

「う、ぶぐ」

「ああああ待て待てここで吐くのはやめろ! ああクソ、何だって俺がこんな目に! 醜態だ……!」

 

 風景が変わり始めた。ギャラリーたちの悲鳴や歓声が聞こえる。

 ああこれ抱きかかえられて、それで走ってもらってるのかな、と思っていた時。

 至近距離でアルトリウスさんは眼鏡を微かにずらし、その蒼い瞳をぐいと近づけた。

 

「目的地を意識して場所だけ言え! ()()()()()()!」

「……れんしゅ、う、じょう」

「よくやった、楽にしていろ!」

 

 そこで、わたくしの意識がぷつんと切れた。

 

 

 

 ◇◇◇

 

 

 

 迷うことなく射撃練習場に到達し、アルトリウスはベンチにマリアンヌの身体を置いた。

 横になった彼女の胸は、微かに上下している。

 

「ぼっ……うぐ……」

「今から少し、気分が悪くなる……が、すぐ良くなる」

 

 アルトリウスは右手の手袋を外すと、彼女の上体を起こさせる。

 赤くふっくらした唇を指で割り、口内へ静かに人差し指と中指を滑り込ませた。

 えずく少女の背中をさすりながら、体内に入ってしまった聖なる力を静かに拾っていく。垂らした糸に吸い付かせて引っ張り上げるようなイメージ。

 

(恐らく口内から入ったのだろうな。彼女は、対抗魔法を即座に組んで、詠唱しようとしていた……)

 

 先ほどの、機密魔法研究部が展開した麻痺沼。

 マリアンヌが対抗魔法で相殺しようとしていたことは、横目に分かっていた。それでも速度面でこちらの方が良いと判断して、自分の手札を一枚切って即座に処理した。

 

(正しい選択は、この子の方だ。俺のは…………)

 

 ぐぶ、と大きく息を吐いて、マリアンヌの肩から力が抜ける。

 アルトリウスは静かに指を引き抜き、少女の身体から聖なる力(猛毒)を吸い上げられたことを確認した。

 

「よし、よし。よく耐えたな。もう大丈夫だ」

 

 改めてマリアンヌをベンチに横たえると、まじまじとその顏を見つめた。

 微細に計算されたかのような美しい貌。

 

(大悪魔の因子なんて持っているからこうなる……君のような子が持っているべきものじゃないんだが……)

 

 正しい選択肢を常に選び続けられる、真っすぐな佇まいの少女。

 自分とは違う世界の、道を踏み外していない人々の先頭に立つ、宵髪星眼の少女。

 

(……嫌な気持ちになるな)

 

 そんな輝きの極点にある眩い少女の口腔に、自分などが指をねじ込み、汚した。

 ほんの少しだけ。

 海に垂らす一滴の墨汁程度の微かさで、してやったという優越感が湧き上がり、それを即座に圧し潰そうとする。

 

 

 

 

 

【ふざけた真似をしてくれるな、愚者が】

 

 

 

 

 

 ──都合四回ほどアルトリウスは死んだ。胸を貫かれ血を吐いて死んだ。首を折られ絶命した。心臓を握りつぶされひしゃげて死んだ。全身を砕かれ粉々になって死んだ。

 

「…………ッッッッ!!」

 

 ドバッと脂汗が浮かんだ。

 アルトリウスは死んでいない。ベンチに横たわったマリアンヌの隣に膝をついて、生きている。

 

「はっ、は、は……ハッ」

 

 呼吸が荒くなり、思わず自分の胸を掴んだ。拍動を感じる。生きている。

 それから恐る恐る振り向く。

 

 

 漆黒の翼が在った。

 

 

【その少女は、我が煉獄の中でも燦然と輝く極星──泥の中を這う愚者が大きく出たな】

 

 

 世界を滅ぼす災いの炎が、人に似た形を象って、そこに存在していた。

 

 

 

 

 

【おれもしたことないのに……】

「えっ、え?」

【おれも! マリアンヌの唇に触れるなどしたことがないというのにッッ!!】

「…………」

 

 

 

 

 

 世界を滅ぼす災いの炎ではなく、しょうもない嫉妬の炎だった。

 


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