「ベンチ要員が足りない?」
ロビンと会話してから自分のテントに戻り、しばらくたった後。
美術課題を手伝ってくれた子からそう言われた。
「そうなのよ。さっきの試合で怪我した子がいたんだけど、ドクターから出場は見送ったほうがいいって」
「なるほど。ですがそれこそ、ベンチメンバーが代打で出場するはずなのでは?」
当然の指摘をすると、彼女はさっと視線を横に向けた。
そこにはスカイマギカのユニフォームを着たままの副会長と、体操服姿でへなへなとだれている生徒会長の姿があった。
「残念ながら、我々中央校がここまで勝ち進めたのは、ベンチ要員を存在させなかったことが大きな要因としてあります」
「は? ……あ~、ええともしかして、スタメンクラスの生徒だけで出場選手を埋めました……か?」
「
それは戦略的な敗北だろ、と、正直な感想が口から出そうになった。
選手層が豊かであるかどうかは、試合の勝敗に直結する。それが原因で次の試合で十分に動ける選手がいないのだとしたら、それが中央校チームの限界だったということだ。
「なら、決勝は随分と残念な見栄えになりそうですわね?」
「ところが、それはそうでもないんだよね~」
わたくしが皮肉たっぷりに告げた直後、生徒会長がけだるげな様子のまま一歩進み出た。
彼女は持っていた紙をひらひらとかざす。
「何ですか? それ」
「補欠登録した選手のうち、試合に出る人はこれでお願いしますーって申請する紙だよ~」
「へぇ……」
「決勝戦は、マリアンヌ・ピースラウンド選手で通しに行くから付いてきて~」
「ハ?」
はい???
「ちょ、ちょっと待ってください! わたくしが補欠登録されているの、初耳ですが!?」
思わず周囲を見渡すが、クラスメイト達も初耳だと言わんばかりにびっくりした顔をしている。
となると、誰かが申請していたわけではなく、むしろ申請を受ける側が手を回していたということか。
そこまで考えて、わたくしは半眼になって生徒会長を見やった。
「ハメましたわね」
「ま~アレだよ。入学したタイミングで、スカイマギカの経歴が不自然に途切れちゃってるな~って気になってたからさあ」
「だからといって……ああもう、分かりました、分かりましたわ」
入学時から認識していたんだろう、確かにわたくしの経歴を見た際に、スカイマギカに関して不自然な途切れ方をしていると。
「ま、生徒の心残りを解消してあげるのも、生徒会長の役割だからね~」
「有難迷惑になるかもとは考えなかったのですか、まったく」
「
思わず舌打ちしそうになる。
わたくしの人格やら何やらを加味した上で、これが正解だと確信している──現実を盤上に見立てて動かす、優秀な支配者特有の断言だ。
「……わたくしがここでゴネるとは考えていないのですか」
「そっちは何とかするってこの子が言うからさあ」
生徒会長は、そこで美術ヤバ子に目をやった。
彼女は一歩前に出て、腕を組み鼻を鳴らす。
「……貸しがあるわよね。高い貸しが」
「ぐっ」
「私がアンタの課題を手伝ってあげたでしょ。だからアンタは、スカイマギカを手伝ってあげなさい」
それを言われると普通に断れねえだろうがよ! 断る気もそんなになかったけど!
いやしかし……一つだけ気になるとすれば。
「……アナタへの借りを、アナタではない人間に返すことになりますが、いいのですか?」
「世の中、そういうものでしょ。私とアンタだけで世界は成り立っていないんだから、こういう有効活用をしていかないとね」
なんてことはないように、朝は来るものだとでも言うような声色だった。
彼女の言葉は……真実ではあるし、嘘も含んでいる。二人だけで世界が成立していない以上、貸し借りは返されなかったり、致命傷になってしまうことすらある。
「……? 何よ」
それでもまっすぐにその論理を信じ、口にするというのなら。
「ったく、しょうがないですわねえ!」
だったら──それに応えるのが、高貴なる者の役割だ。
◇
運営にわたくしの出場を申請した後、生徒会長とは別れ、副会長と共に控え室へやって来た。
道中でハンドサインを全部教えてもらい、頭に叩き込んだ。
「よし……問題ありませんわ」
「本当ですか?」
訝しげな視線を向けてくる副会長さんに、わたくしはハンドサインで『任せろ 援護は要らない』と伝えた。
「……驚きました。控え室へ行く道すがらで、全部覚えたのですか」
「魔法構築式に比べれば楽勝でしょうに」
後はまあ、具体的な内容は昔使っていたサインと似たようなものだったからな。
控え室──に入る前に、隣接された女子更衣室に入る。体操服から、アンダーウェアなどを含むユニフォームに着替えなくてはならない。
ドアを開けた先では、先ほどまで中央校のエースを務めていた無表情系女子がわたくしを待っていた。
「おや、アナタも準備中でしたか。次の試合ではわたくしも出ますので、ポジションの調整を──」
「サインください」
「??」
え? 急に何? どゆこと?
わたくしは混乱しながらも、先ほど覚えた中央校チームのハンドサインで『背中は任せろ 幸運を祈る』と伝えた。
「…………」
無表情系女子は首を横に振った後、色紙を差し出してきた。
こっちのサインかよ! ああそうか、確かにわたくしのファンだって言ってたな……
「分かりましたわ。打ち合わせをしながらでも?」
こくんと頷く彼女から色紙を受け取り、サラサラとサインを書く。
「あの男はわたくしが潰しておきますので、もう片方のボールを主軸に攻撃を組み立ててください」
「補佐は?」
「向こうが人員を割いてきたら適宜対応する形で。試合を見ている限り、基本陣形は
「……うん。ハンドサインはさっき覚えた?」
「ええ」
色紙を返した後、肘と膝にサポーターを巻き、耳と目に保護用のアタッチメントを取り付ける。
懐かしい感覚だ。空中での超高速機動から感覚器官を守るための各種装備である。
「とりあえず着替えは終わりました」
「では控室で、装備の確認を」
副会長に促され、更衣室を出て控室へと向かう。
後は飛行用のサーフボードと、ボードと連結する専用シューズが必要なのだが……
「サイズはある程度揃っているので大丈夫だとは思いますが、メーカーについてはそう多くありません。我慢してもらう形になるかと……ピースラウンドさん?」
案内された先、やや疲労気味のチームメイトたちが休む中に並ぶ予備の装備たち。
笑ってしまった。笑っているのに泣きそうだった。
わたくしがクラブ時代に使っていたメーカー、W&Eのフルセットがそこにあった。
ボードはカスタムパーツを使用せず、内部出力について微細な調整を入れるだけでいい。
「……いいえ。最高の品ぞろえですわ」
ジュニアユースクラブで二枚看板を張っていたころのわたくしとまるきり同じ装備だ。
ああ、戻って来たんだな、と感慨深くなる。
ロビンの野郎は空こそが自分の居場所だと言っていた。気持ちは分かる。わたくしもかつてはそう思っていた。
そしてその居場所に、今、戻って来たんだ。
◇
そうして装備を整えた後、チームメイトたちと挨拶や打ち合わせをして、いざ試合を迎え。
「ムーンサルト・Dスピン・シュートッ!!」
「何だその技名初めて聞いたぞオイ!?」
ロビンから奪ったボールを、空中で回転しながらふわりと宙に投げ、サーフボードで打ち出す。
通常はゴールへ投げ込むシュートに劇的な威力を追加するだけでなく、ボードごと回転することからシュートモーションの妨害もされにくい大技だ。
「っしゃああああ追加点!」
背後から追ってきたロビンの妨害も間に合わず、飛びついたキーパーの両手をすり抜けてシュートがゴールを通過する。
これで3連続でわたくしの得点だ。
『誰がこの光景を予期したでしょうか!? 『世紀のエース』ロビン・スナイダーと『流星零剰』マリアンヌ・ピースラウンドが熾烈な争いを繰り広げています!! 国内ルーキー最高峰の魔法使いは、スカイマギカすら強かったとは──!』
アナウンスが鼓膜を叩く中で、もう片方のボールへと目をやる。
さすがに選手の平均値は、イースト校が圧倒的に上だ。他の選手たちが陣形を組みボールを取り合うが、平均で劣り、体力的にも限界が近い中央校メンバーでは攻撃を防ぐのにも一苦労している。
だからこそ、今のうち、序盤にわたくしが一気に大量得点を決めたいところだが。
「毎度毎度一人で突っ込みやがってよォ!」
キーパーからボールを受け取ったロビンが、今度こそ迷いなくこちらへ突っ込んでくる。
視線はまっすぐわたくしを見据え、ターン先を見切らせない。
「防御陣を砕くのが効果的だと判断した時だけです! 大体その時はアナタだって便乗していたでしょう!?」
「テメーのフォローのために必死についていっただけなんだよアレは!! お前が突っ込まなくても俺が防御崩せてたんだがァ!?」
「結局崩してるのわたくしでしたわよ! わたくしの勝ちー!」
「ハァァァ!? 冷静に俯瞰できてる俺の勝ちだが!?」
叫び声をあげながらも、やつはわたくしとの接触寸前で小刻みに魔力を噴射、なだらかな曲線を描いてすり抜けるように飛んで行った。
さすがにモノが違い過ぎる……! 腕を上げたのは分かっていたが、こっちのついていけなさも想像以上だ!
「どうしたどうしたァ! 最初のコンタクトはまぐれだったらしいなあ!」
「言わせておけば……ッ!」
ロビンがこちらのゴールにボールを叩き込み、歓声を浴びながら唇をつり上げる。
確かに、試合開始直後に一瞬でボールを奪えたのは、向こうが完全に集中を切らしていたところで不意を突けたからに他ならない。
だとしても。
「結果は既に決まっています!」
「何だと……!?」
「わたくしの進む先に存在するのは勝利の栄冠のみ!」
キーパーからボールを受け取り、それをそのままノールックで下に落とす。
数秒反応が遅れたロビンの視線の先で、うちのチームメイトがボールを受け取り、そのまま敵ゴールへ突撃していった。
「ぐっ……!? その偉そうな言葉で単独突撃じゃないのかよ!?」
「わたくしの言葉と試合内容は関係ないでしょう?」
何言ってんだ? こいつ。
「最悪だ! いや、いつも通りか……! お前、自分の自信過剰さと試合のプレーが完全に切り離されてる時あったよなあ……!」
当たり前の話だろ、それは。
わたくしは強い。最強。それはそれとして、スカイマギカで味方にパスした方が圧倒的に優位な瞬間はめちゃくちゃ存在する。
慌ててカバーに向かおうとするロビンに、イースト校の主将さんが声をかける。
「おいロビン、お前さっきからあの子に付き合い過ぎだ! もっと自由に動いていい、こっちでカバーに回る!」
「付き合ってなんかないですが!?」
「急に何!?」
いや本当に急に何?
◇
試合が折り返しを過ぎて、得点はまさかの拮抗状態。
それは急遽投入されたマリアンヌ・ピースラウンドが、単身で大量得点を成し遂げているから──と、いうのもあるが。
(クソ……
マリアンヌの挙動が、一瞬一秒ごとに洗練されていく。
それは、進化ではない。かつての感覚を取り戻し、昔のように動き始めているのだ。
試合全体を俯瞰しているかのように、空白地帯に潜り込みパスの導線を通す。複数の選手にマークされているのを知った上で敵陣へと深入りし、防御をかく乱した末に、真上にいつの間にかいた味方へパスを通しフリーでシュートを打たせる。
こなしている働きを見て、観客は口をぽかんと開けていた。
序盤のエース対決から連想される点取り屋、ではない。
マリアンヌが割り当てられ、そして完璧に応じているのは、前線指揮なのだ。
(なんて女だよ、本当に! 何度も見学に連れていかれてるプロリーグでも、こんな動きができてる人は稀だぞ……!?)
だが、マリアンヌ・ピースラウンドの強みはそこだと、ロビンは知っている。
派手な単独突撃、馬鹿みたいな口上と共に繰り出されるスタンドプレー。
(本質はそこじゃない! こっちのチームがやつを放置できなくなったのを確認してから、向こうの陣形が、全体的に前に出てき始めた……!)
先ほどのノールックパス然り、イースト校主将がマリアンヌを抑えに回ろうとしていたこと然り。
中央校にとっては良い意味で、そしてイースト校にとっては最悪の形で、試合はマリアンヌを中心に回り始めていた。
(馬鹿みたいなスペックをポイントゲッターとして活用するんじゃねえ! こいつはいつも、自分単独が攻撃小隊並みに警戒されるまで待って、そこから戦術を動かし始める! 駒の総数は変わらないのに、働きは向こうの方が何枚も多く動いてるみたいになる……! いつもの勝ちパターンだ!)
意図的ではない。本人はすべてを全力でやっているだけ。
だからこそ、あらゆるスペックが勝負事で勝利するために振り分けられている少女は、本能的にそれをやっているのだろう。
(──
一人で三人分の働きをするというのなら。
そこに、他人が介在する余地はない。ロビンでさえもが、彼女を補佐する必要性はない。
ジュニアユースクラブで二枚看板を張っていたと、そう覚えているマリアンヌの記憶は、厳密には誤っている。
確かに通常のクラブにおけるエースクラスは二人いた。だが、マリアンヌは飛び抜けたエースだった。
チームメイトもそれが分かっていた。言及しなかったのはロビンに気を遣ってのことだった。
我慢ならなかった。
お前こそ自分のライバルだと正面から言ってくれる黒髪赤目の少女に、その言葉を聞くたび、ロビンは自分の心臓をかきむしりたくなった。
違う。違うんだ。
俺はまだ、お前の領域にはいないんだ。
お前は他の優れた選手を知らないからそう言えるんだ。より優れた選手を知れば、すぐにそっちへと夢中になってしまうんだ。
だから無理をしてでも──自分も同じ領域に行けば。
彼女と共に六人分、いや十人分もの働きをできるようになれば。
それでこそやっと、初めて文句なしに、二枚看板を名乗れると思っていた。
衝突事故の後、ロビンは焦っていた。
あの時の衝突は、間違いなく、自分の落ち度だった。自分のミスだった。自分のせいだった。
無理に追いつこうとして相手の進路に割って入ってしまい、ぶつかった。
きっとマリアンヌもそれを分かっていて、だけど調子が悪かったのだろうと思い口にはしなかった。違った。あれは調子が悪いのではなく、ロビンの最高の機動が、ただマリアンヌに追いつけなかったという、それだけの出来事だった。
(悔しかった。悔しすぎて死ぬかと思った……あの時、完全に俺は置いていかれていた。彼女は間違いなく俺の前を走っていた)
だからもっと、上手くならなければならない。
ロビンはそう誓った。
でなければ存在している意味はないとさえ思った。
今度こそ、彼女の足を引っ張らないように。
今度こそ、胸を張って、彼女の隣を飛べるように。
──その『今度』は来なかった。
彼女は自分の前から姿を消した。
残されたフィールドはあまりにも広くて、必死に追いかけているつもりで、自分は、彼女を拠り所にプレーしていたのだと気づかされた。
すべてを失ったような気さえした。誰よりも上手いという自負は空虚なハリボテになった。
彼女に追いつくために高めた技量だけが残った。もう他の道を選ぶことさえ許されなかった。
行き場のない後悔と絶望と、言葉にならない叫びが背を押した。
だからロビンは、一人で空にしがみつくことにした。
◇
試合は後半戦の折り返しすら過ぎ、終盤戦。
超高速で空を駆ける。
視界がマーブル状に混ぜこぜになり、上下感覚すら怪しくなる。どちらが天だったのか思い出せなくなりそうになる。
楽しい……!
「余裕のつもりかよテメー、試合中に笑いやがって……!」
汗を空に散らしながら、ロビンがこちらを睨む。
しかし。
「それを言ったら、アナタだって笑っているではありませんか!」
「むっ……!」
やつも歯をむき出しにして、確かに笑っていた。
ボールを持っているのはこちらだ。もう片方のボールを巡る争いは遥か下方で行われている。
「ロビン!」
「後ろを押さえたぞ!」
にらみ合っていると、わたくしの背後をイースト校の選手二人が陣取った。
囲まれたか。
「……ッ!
ロビンの怒号が飛んだ瞬間、わたくしは彼の真下へ潜り込むように高度を下げて飛翔する。
追尾しようとした相手選手たちが、ロビンと機動ルートが重なることに気づき数秒止まった。数秒っていうのはもう、この競技における致命傷だ。
「ああクソッ、後ろにも目がついてるのかよ!?」
ただ一人、やはりロビンだけがわたくしへと追いすがってきている。
「ムカつくんだよ……! こっちの学校でお前がなんて呼ばれてるか知ってるか!?」
「史上最強にして最高の悪役令嬢!」
「初めて聞いたわそんなん! 全然ちげーよ!」
ゴール目がけて飛んでいるわたくしの真横に、ロビンがピタリと張り付いた。
最高速度ではまったく勝負にならない。相手のカスタマイズが洗練されている証拠だ、そこはこっちの明確なビハインドである。
「場合に依っちゃお前個人が、戦略兵器にも匹敵するって噂だ……!」
「へえ、それはあまり否定できませんわね!」
「そんなんじゃねえ……! お前はそんなんじゃねえだろ!」
ゴールが迫る中、ロビンの鬼気迫る叫びに思わずギョッとした。
「何を──」
「お前が戦略範囲を撃滅できる魔法使いだったとしても! お前は兵器じゃねえし、一人でブンブン飛んでりゃ全部を解決できるような駒でもねえ!」
ぐいとロビンがボードごと身体を寄せ、ボールを奪おうと腕を伸ばしてくる。
空中での攻防、感覚は取り戻したが、やはり根本的な技術の差は埋め難い。
獲られる、と直感した。
「……ッ!」
ちらりとモニターを確認すると、試合終了まであと数秒だった。
点数差は、イースト校がわずかにリード。
────ここが潮時か。
「それを証明するために、俺はァァッ……!!」
その直後、装填していた詠唱を発動。
激しいスパークと共にわたくしとロビンの視界が白く染め上げられた。
「な……ッ!?」
とっさに目をかばいながらも、残った片腕でやつはボールを取りに来た。位置関係すら把握できていれば目が見えなくても動けるのが一流の選手。その状態でも動きの精度が落ちないやつが超一流。
さすがだよ。お前は超一流だ──まあわたくしの方が上だがな。
「ない!?」
「ハンドパワーですわ!」
「何が!?」
腕が空を切り、庇っていた手を下ろしたロビンがハッとする。
わたくしの手の中にボールはなく、その時にはもう、正式なエースである無表情系女子ちゃんが攻防をかいくぐり、わたくしから受け取ったものを含む二つのボールを、敵ゴールに叩き込んでいた。
「テメッ……!?」
仕込みはさせてもらった。
向こうは向こうで攻防戦を繰り広げながらも、こちらの動きをかろうじて目で追っていたウチのエース、無表情系女子ちゃんに、お前からは見えない角度でハンドサインを送ったんだよ──『背中は任せろ 幸運を祈る』ってな!
「これで逆転ですわね!」
試合残り1秒。
得点、1ゴール分だけ中央校が勝った。
「わたくしたちの勝ちですわ!」
フフン、分かったかよ、お前は一生わたくしに勝てねえんだってな!
ボードを停止させてロビンに勝ち誇った顔を向ける。
いない。
「えっ」
キーパーからボールを受け取ってのカウンター、ではない。
ゴールを通過したボールをそのまま自分で猛然と加速しキャッチ、わたくしを完全にシカトして、ロビンは勢いを殺さないまま反転ターン、中央校ゴールへ向かっていた。
「はああああああああああああ!? 警戒!!」
叫んでも時すでに遅し。
試合終了のブザーと、ロビンの腕が振りぬかれるのは同時だった。
とっさに飛びついた中央校のキーパーの指先は微かに掠るに留まり、ロビンのシュートは、我がチームのゴールを貫いた。
◇
同点で試合時間が終わった以上、スカイマギカはいわゆるPKで雌雄を決する。
「…………」
こうなるのが嫌で、最後の最後にまあまあな無理を言ってエースちゃんに頑張ってもらったのだ。
PKでは勝てない。いやもう勝てるわけがない。無理過ぎる。選手の層が全然違うからだ。
こちらの各選手のシュートは全然余裕で防がれまくって、入ったのはわたくしのものだけだ。
惜しかったんだけどな。
あと少しだったんだが、流石に、ロビンの意地が勝利を手繰り寄せたというほかない──
と、思っていたのだが。
「ありえねーだろ……!」
スコアボードに表示されまくる×の文字。
それは中央校側だけではない。イースト校側にもだ。
こちらがわたくしのシュートしか決まらないのと同様、向こうもロビンのシュートしか決まっていない。
「ピースラウンドがあんだけ頑張ったのに、最後に、最後の最後に、俺がシュートを止めそこなったせいで負けとか、普通にありえねえだろ……!」
なんかウチのキーパーが覚醒していた。
「えぇ…………」
「オイどうなってんのお前のとこのキーパー!? あれプロ並みに動いてんぞ」
試合中だというのに、ロビンがボードでわたくしの傍まで詰め寄ってきて、小声で叫ぶ。
「いや……知りません……試合中の動きを見てる感じ、そこまで優れた選手だとは思わなかったのですが……」
「いわゆるアレか、ゾーンに入ったってやつか? 正直俺のシュートも次は止められそうで怖えんだけど」
「あっそ。じゃあ止められといてください。わたくしの勝ちー」
「は? 絶対止められないが?」
情緒不安定か?
わたくしとロビンが話している間にも、どんどんシュートが積み上げられ、バッテンが増えていく。
というか明らかに試合時間が押している。押しに押している。次のプログラムが始まって十五分ぐらいたつ時間である。
観客たちも同じ光景が繰り返されまくっているのに飽き飽きしていた。おいユートあくびしてんじゃねえぞお前!
『え……本気ですか……? 絶対文句言われますよ……』
『しょ、しょうがないだろ。これ以上押すとまずいんだって』
その時、何やらアナウンスがごそごそと話していた。
審判たちがいったん止まるようこちらに声をかけ、ロビンと顔を見合わせる。
「どうしたんでしょう」
「サドンデスルールを変えるんじゃねえか。今はゴール三つでやってるけど増やしてみるとか」
「え……そんなルールあるんですか?」
「ノース方面のプロリーグだと独自ルールで最近できたらしいぜ。評判いいから全国区でも採用するんじゃないかって話だ」
「めっちゃ面白そうですわね……五つぐらい?」
「ジャスト五つだ。交流試合でやったことあるけど、あれシュートする側もさア」
「選択肢増えて楽しそうですわね。左右に広がる形なんですか?」
「そうそう。だからあのルールだと両利きの選手が価値高くなるんだよね」
「ああ……アナタそれで両利きに?」
「おっ、やっぱ分かるもんなのか」
へらへら笑いながら会話していると。
ピ~ンと拡声魔導器がノイズを鳴らした後に、アナウンスが響いた。
『……え~、審判団からの判定です。サドンデスが四周したので、こちら特例として試合を切り上げまして』
「「…………?」」
『両校をスカイマギカの優勝校とするそうです!』
「「ハァァアアアアアアア────────!?」」
わたくしと隣の男は同時に絶叫した。
「ふざっけんな! おい馬鹿女! もっかいだ!」
「バカ女ァァ────!?」
「馬鹿だろうが! 俺が今まで知り合った人間の中でもテメーは特大の馬鹿だ! ぶっちぎりでな!」
「あッッッたまきましたわ! 二度とスカイマギカできない身体にしてやります!!」
「上等だ!! やってみろよテメーオラァッ!!」
言い争いながらサーフボードの高度を下げ、わたくしとロビンは地上で取っ組み合いの喧嘩を始めた。
『ほら、やっぱり……めちゃくちゃキレてますよ……やめた方がいいって言ったじゃないですか……』
『いやでも、これ多分無限に続くと思うし……この後って保護者交流会あるからさあ……』
ボコスカと殴り合っていると、慌ててやって来たチームメイトたちが、わたくしとロビンの間に割って入る。
「だ、ダメだぞピースラウンド! 相手はスター選手だから……! 顔に傷つけたりしたらお前の責任問題ヤバいって……!」
「上ッ等じゃないですか! 二度と衆目の前に出られない顔にして、仮面の選手デビューさせてあげますわ! 登録名はシャア・アズナブルで決まりですわね!」
「こいつのために頑張ったのかなり後悔してきたな」
キーパーの先輩がわたくしを羽交い絞めにしている間、向こうも主将がロビンを羽交い絞めにしていた。
「落ち着けロビン! お前が全然クールキャラじゃなかったの初めて知ったけど、この暴れ方はやり過ぎだ! 相手は女子だぞ!」
「確かに女子ですがねえ! 女子以上にこいつは馬鹿なんですよ! 殴って直してやろうとしてるだけです! 離してください訴えますよ!!」
「お前をエースにしてるの、今までで一番不安になってきたな」
互いに睨みつけ合いながら、フーッフーッと荒く息を吐く。
とりあえず殴り合いはもういいや、流石に落ち着いた。
拘束から逃れて、まあ優勝は優勝か……と自分に言い聞かせている、その時だった。
「テメーを後悔させてやる」
ロビンがまっすぐにこちらをにらみながら、そう言った。
「……どうやって?」
「俺の試合を見るたびに、隣にいりゃよかったって思わせてやる」
向こうの選手たちが一瞬目を剥いて、それから、何かに納得するかのように頷いた。
「それはそれは、楽しみにしておきますわ」
「ああ、楽しみにしておけ」
そこで言葉を切り、彼は闘技場を見渡す。
こちらの騒ぎが一区切りついたのを察して、観客たちが黄色い声援と共に、手を振ってくれていた。
両校の選手たちが花吹雪の中で手を振り返し始めた。
「……正直言うと。俺は、お前を何かに取られるのが嫌だった。それだけだったんだ」
喧騒の中でぽつりと、ロビンはそうこぼした。
あんまりにも正直な言葉で、わたくしは思わず苦笑する。
「何だよ」
「いえ……わたくしはアナタを空に取られたんですけどね?」
なんとなく、だけど。
あの日のわたくしたち、笑顔で、空を飛んでいたわたくしたちの光景が。
今までよりも、ずっと鮮明に思い出せるような気がした。
◇
「いやはや、若さとはいいですなあ」
同時優勝という前代未聞の決着を迎えたスカイマギカを眺めながら。
来賓席の貴族たちは、ワイングラスを片手に歓談に興じていた。
彼ら彼女らにとって、マリアンヌは今やスーパーヒーローだった。
聖女を失墜させたのに始まり、騎士団大隊長を打倒。国内のパワーバランスが魔法使い、ひいては貴族院側に大きく傾きつつある理由の9割は彼女だ。
政治的、あるいは権力的な闘争に向けられていた貴族たちの意欲は、自分たちが何かをするまでもなくことが進んでいる以上、もはや弛緩──言葉を選ばなければ平和ボケ──してしまっていた。
そんな、ある意味では今までと違い和やかな空気の中で。
最前列にかじりつくように、そして立ちすくんでいた青年の姿。
(…………ロイ)
背中からにじみ出る感情の渦を見て。
ダンは息子のことを、今までで一番、恐ろしいと思った。
「……っ」
挨拶すら忘れて、ロイは来賓席から早足に退室する。
足音が壁に反響するほど大股に廊下を進み、それから、どこへ向かおうとしているのかも考えていないことに気づき、彼は途方に暮れた。
ふらふらとベンチに座り、ロイは深く息を吐いてから項垂れる。
(羨ましいな)
正直な、飾る余地のない感想だった。
(……僕も、そうなのか。彼女に追いつきたいって、そう思っていたけど。僕もああいう風に……対等な立場で話せるようになれば)
ぐっと拳を握る。爪が肌に食い込み、血をにじませるほどに握る。
祈るようにしてその手に額を落とし、ロイは呻き声を必死にこらえた。
(今の僕では、ダメだ。でも僕は……彼女の隣に並ぶのは僕じゃなきゃ嫌だ。でも……)
でも、という言葉の堂々巡り。
答えを出せないまま黙り込むロイの元に、大きな影が差した。
「……ッ。大丈夫か、ミリオンアーク君」
顔を上げると、そこにいたのは騎士としてフル装備のジークフリートだった。
格好と場所からして、恐らく来賓席の警護に駆り出されていたのだろう。
「どうした。体調がすぐれないのか」
「……僕は」
ロイは目を閉じた後、力ない声で、全てを吐き出した。
ロビンが羨ましいと思ったこと。自分がなりたい姿に、もうなっている人間がいたこと。
「自分こそが最も近い場所にいるという希望に縋りたかった。だが、自分でも分かっていた──彼女が遠くに輝いているほど、ならば、その間に誰かがいるのは必然だったのに」
「……ううむ」
その言葉を聞いて、ジークフリートは逡巡した。
慎重に言葉を選ぼうとして、けれどそこで思考が止まる。
「ミリオンアーク君。少し、厳しいことを言うが、いいか」
「……何でしょうか」
今の彼に最も必要な言葉を探りながら。
ジークフリートは、ゆっくりと口を開く。
「君は、マリアンヌ嬢の隣を目指しているはずだ。そして今の自分にその資格はないと考えている」
「……はい」
相手が頷いたのを見て、少し間を置いてからジークフリートは告げる。
「いつかは隣に至ると言うが、それは、いつだ?」
「────ッ!!」
その言葉はロイにとって
確かに道筋は分かっている。行先もこれ以上なくはっきりと見えている。そして走り続けている。
だがいつまでにたどり着くのか、という期限。それは定めていないものだった。
(……何時なのか、か)
目を閉じて、自分の深いところに問う。
もっと強くなってから。もっと実力をつけてから。
今までそれが正しい理屈だと思っていた。けれど否定できないほどに、それらの言葉の半分程度は言い訳じみている。
(そうだ。僕は逃げ回っている。決定的な瞬間に敗北したら、きっと、立ち直れないかもしれないから)
怖がっていたのだ。
輝きを追いかけているのに、本当に追いつけないのだと思い知らされてしまったら。
自分は彼女の足元にも及ばない存在なのだと、客観的にも分かるぐらい証明されてしまったら。
(……でも、こんなことをしていたら)
────おれは一生逃げ回らなきゃいけなくなる。
ロイは顔を上げた。
ここが戦場であれば、向かい合っていれば、歴戦の猛者たるジークフリートですら一歩退いていた。
碧眼に宿る澄んだ焔。
それは、人々が覚悟と呼ぶものだ。
「ヴァーサスの決勝で彼女と戦います」
「ああ、君の実力ならば、それは絵空事ではない。むしろオレは、確信している。決勝は君とマリアンヌ嬢の対決になる」
「そして……勝ちます。勝って僕は、おれは、彼女と対等になってみせる」
彼の言葉を聞き、ジークフリートは満足げに頷いた。
「……ああ。絵空事ではない。どちらかを応援することはできないが、オレ個人としては、君はそうあるべきだと思う」
ならば、ここでぐずっている場合ではない。
ロイはベンチから立ち上がり、ジークフリートに礼をする。
「ありがとうございます。やはりジークフリート殿は、頼りになる方ですね」
「これぐらい、お安い御用だとも」
ロイは改めて深々と頭を下げると、しっかりとした足取りでその場を去っていた。
「……やれやれ。上手く答えられたのならいいんだが」
独り言ちた後、頭を振る。恐らくもう、心配は要らないだろう。
静かに、けれどはっきりとした闘志を宿すまなざしを思い出して、ジークフリートは静かに微笑んだ。
「気張れよ、青年。君が落ち込んでいるとオレも悲しいが……何より、彼女が最も悲しむだろうからな」
【挿絵表示】
本作の書籍化が決定しました。
レーベル:エンターブレイン様
イラスト:ぬくもり様
発売日:8/30
価格:1430円(税込)
各種情報はこちらのツイートを参照してください。
https://twitter.com/syosetsuwokake/status/1546847958292783105
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全部みなさんのせいですよ(2回目)