ロブジョンは目を閉じた時、いつも思い出す。
瞼の裏に焼き付いてしまって、二度と剥がれない光景を、まざまざと見せつけられる。
自分たちがお膳立てした戦場。それは単なる地獄だった。
横殴りの雨。空を裂く雷光。大義も正義も意義もない殺戮の嵐。
その中でまだ明確に覚えている、
マクラーレン・ピースラウンド。
第一王子アーサー率いる特殊部隊のエースであり、ロブジョンが所属した機密部隊ピースキーパーの設立発案者。
己などとは明確に違う、神に選ばれたと言うほかない傑出した存在。
そんな彼と共に戦えたことを、普通に考えるのなら誇りに思うべきなのだろう。
子供に自慢気に語ったって許されるのだろう。
だがロブジョンにとってその経験は、己の人生を致命的に破綻させてしまった、後悔の残影に過ぎなかった。
◇
会議用に用意された前線基地の一室に、潜入任務から帰還した機密部隊のエース、ロブジョン・グラスの姿があった。
頭から踵までを鉄棒が貫いているかのように真っ直ぐ立ち、軍服姿で彼は上官の言葉を待つ。
「ロブジョン、どうだった」
彼に声をかけたのは直属の上司であるグルスタルクではなく、そのさらに上の指揮官。
マクラーレン・ピースラウンド。魔法使いで構成されたシュテルトライン王国軍において、ほぼ最上位と言っていい階級、戦団長に位置する傑物だ。
「……ピースキーパー部隊を3ユニット分潜伏させました。王城への侵攻ルートは確保できそうです。市街地への被害も最小限で済むかと」
「なんてことはない、とでも言いたげだね」
敵国王都の地図を眺めながら、軍服姿のマクラーレンが揶揄うような言葉を口にする。
ロブジョンは真っすぐに立ったまま、淡々と唇を動かした。
「与えられた役割をこなしただけです」
「フハッ! 見どころのあるやつがいるとは聞いていたけど、これは確かに面白いな」
思わず噴き出したのは、マクラーレンの隣でテーブルに足を乗せていた第一王子アーサーだ。
マクラーレンとは学生時代からの付き合いがあり、戦団長でもある彼を自分が直轄する特殊打撃任務群隊『
一応指揮系統としては最上位にマクラーレンが位置し、アーサーはその責任を取る係として戦場に随伴している……らしい。ロブジョンはそのあたりを明確に理解する必要はないと判断し、両者を同程度の地位に位置していると認識していた。
「敵国の首都に潜入して突撃時のルートを確保する。マクラーレンが出したとは思えない、生きて帰ってくるのを度外視した任務だと思ったが……なるほどな。こんなに使える部下がいるなら理解できたぜ」
「過分のお褒め、痛み入ります」
アーサーからの称賛に、ロブジョンは顔色一つ変えることなく小さく頭を下げた。
その様子にどこか満足げに頷き、第一王子、即ち将来的に国王の座に就くことを最有力視されている男が口を開く。
「なあ、おい。ロブジョンだったか。国に帰ったら憲兵団に来いよ。俺の下で働け」
「……」
思わぬ誘いを受け、ロブジョンは返す言葉に困った。
軍学校にて自分を見出し、現在のポストへ推薦したのはマクラーレンだ。ともすればこの勧誘は、ヘッドハンティングに等しい。
「やめろ、アーサー。彼を見つけたのは僕だ」
「オイオイオイオイオイオイ……王子様の命令に逆らっちまうとは、天下のピースラウンド家もオシマイだな~~??」
「君のそういう冗談、本当に嫌いだ……」
心底げんなりした表情を浮かべるマクラーレンを見て、アーサーが爆笑する。
作戦指揮室はいつもこうだった。先日の激戦で負傷し療養中のダン・ミリオンアークや、別行動中のクロスレイア・ドラグランスがいればこのあたりでアーサーのタチの悪い冗談に苦言を呈す。
そして二人がいなくとも、残る『
「はいはい、その辺にしとけって。報告をちゃんと聞け馬鹿」
手を叩きながら言葉を発したのは、アーサーの隣に座っていた細身の男性である。
センター分けのヘアスタイルで、どこか頼りなさげな雰囲気すらあるこの優男は、この至高の部隊においてマクラーレンに次ぐ戦果をあげている傑物だ。
「グレイテスト・ワン殿。お気遣い痛み入ります」
通り名で呼ばれ、男は苦笑を浮かべる。
戦場においてはあらゆる物質を自分の兵士に変換し、敵兵を発狂の渦に叩き落しながら、一人で勢力図を塗り替えていく英雄。
即ち──
ゆえに彼の通り名は、単なる称賛だけではなく、『
「いやいや、こっちが悪いからさ。ごめんな」
「■■■はいつも考え過ぎなんだよ。俺と同じぐらいツエーんだからもっと上からいけ、上からよ」
「高慢さと気楽さは何にも勝る毒だろ。国王陛下が普段から言ってることだぞ」
「オヤジの言葉なんか知るかよ、あいつ俺よりヨエーし」
不敬そのものである言葉を第一王子に発せられては、聞いている側は聞かなかったことにするしかない。
「この阿呆! そういう物言いをやめろと言っているんだ」
「いででで!」
グレイテスト・ワンが腕を伸ばしてアーサーを締め上げなければこの場のモラルは完全に終了していただろう。
厳しい訓練の末に自分の表情筋程度なら完全に制御できるようになったと自負するロブジョンですら、あんまりな光景に頬がひきつっていないか不安になった。
「ま、まあアレだ、とにかくお疲れさんって感じだ。あとは最強の俺たちに任せとけ」
「ありがとうございます」
第一王子がグレイテスト・ワンにシメられながら告げた言葉に敬礼を返して、ロブジョンは会議室を出た。
前線基地の廊下をしばらく歩く。すれ違う人々は、ロブジョンの顔を見て首をかしげながらも、胸元の階級章を見て上官に対する敬礼を取る。そういえばピースキーパー部隊は、機密情報部隊の一環として設立されたため、指揮系統の中でもそこそこ上位だったな……とロブジョンは他人事のように思い出した。
階段を上がったロブジョンは、屋上へのドアを開けた。
(……いよいよ、次の戦いで終わりか。この戦争も)
戦後のピースキーパー部隊の処遇は決まっていないが、存在そのものがグレーゾーンに位置することは自覚している。
キャリアなどを考えるつもりはなかったが、漠然と、部隊は解散するだろうという予感があった。
それぞれが新たな部隊に配置されるか、あるいは軍を抜けるか。
そのタイミングが来た時に、自分はどんな道を選ぶのだろうか──ロブジョンは自分に問いかけながら、懐からシガレットケースを取り出す。
「お、いたいた」
音もなく影が差した。危うく煙草を取りこぼすところだった。
仮にも偵察兵をやっていた自分がまったく気づくことができないとは、とロブジョンは言葉を失う。
「なあなあ、ロブジョン。今いいか?」
「はい──グレイテスト・ワン殿。一本吸いますか?」
ロブジョンに声をかけてきた細身の優男が、俺は禁煙中だと苦笑しながら告げた。
「悪いな、さっきはさ。ウチの連中が好き放題……」
「いえ。身に余るお言葉だと分かっています」
「断ったっていいんだぜ。ていうか見るからに乗り気じゃなさそうだったし。いや、マジ、ほんと~にごめんな! あいつらがさあ……マジ人の言うこと聞かないんだよ……」
話しながら段々とグレイテスト・ワンの肩が下がっていき、最後は口からどんよりとした息を吐き出しつつ、全身に真っ黒なオーラを纏い始めた。
ロブジョンはピースキーパー部隊のエースとして、マクラーレンたちから無理難題を押し付けられるのが既に日常茶飯事となっている。
その際、いつもこちらの負担を軽減しようと手を回したり、方々に掛け合ってくれたりするのが、このグレイテスト・ワンだった。
「普段から、我々のためにお手間をおかけしてしまって……本当に申し訳ありません」
「いやいや! こっちが好きにやってることっていうかさあ。ほら、あいつらって学生のころとあんまノリ変わってないから、ああいう感じだと結構問題も起こしがちで……どっちかっていうと、アレだ。先回りして悪いことの芽を摘んでるだけだからさ」
頭を下げるロブジョンに対して、グレイテスト・ワンが両手を突き出して首を振る。
それから彼は頭をかきながら、顔を上げた機密情報部隊のエースに語りかけた。
「それより、なんだけどさ」
「はい?」
「あんな話をしといてなんだけどさあ。ちょっと、その、俺の方からもスカウトしたいな~って」
「……何でしょうか」
自分を見出したのはマクラーレンだが、こうしてサシで会話することが最も多かったのは、グレイテスト・ワンだ。
尊敬しているのは戦団長であるものの、心を許している相手となれば、グレイテスト・ワンの名をあげる兵士は多い。彼は確かに英雄だが、周りをよく見ているし、声も気さくにかけてくれる。
マクラーレンたちという人智を超越したメンバーの一員でありながら、凡人である兵士たちとの懸け橋にもなっているのが彼だ。必然として、戦争が終わった後も重役のポストが用意されているのは、明言こそされていないが公然の秘密だった。
そんな彼の下でなら、ロブジョンも喜んで働くつもりだったが──
「俺さ、今回の戦争が終わったら……あいつらには悪いんだけど、軍を抜けるつもりなんだ」
「えっ?」
その言葉は、ロブジョンの予想からは最も離れたものだった。
「喫茶店だよ、喫茶店。こう……いや、ちょっと待ってくれ。うん、ハズいかもしれん」
「お気になさらず」
「笑うなよ。俺は……ファンシーな喫茶店を開きたいんだ」
「ふぁんしい」
思わずオウム返しをしてしまった。
まったく、目の前の戦士と結びつかない単語だったのだ。
「子供が……昔から、ちょっと年下の子の面倒とか見ることが多くてさ。魔法学園に入る前だけどな。だから、そーゆー子供たちが喜ぶ場所が、もう少し王都にはあっていいと思ってたんだ」
「…………」
「まあまあ、その、アレだ。この年ではっきりと言うのは恥ずかしいけど……そういう感じの、夢があるんだよ。子供の笑顔が集まる場所を作って、それを維持する仕事がしてえな、ってさ」
「……いい夢ですね」
自然とこぼれた言葉を遅れて自覚して、ロブジョンはハッと表情を硬くした。
軍属となり、グルスタルク指揮下の部隊で厳しい訓練を積み、完全に自分をコントロールできるようになったはずだった。
けれど、夕焼けに照らされた彼の横顔があまりにも美しくて、つい口が滑ってしまったのだ。
「だからさ、俺が喫茶店開いたらウェイターやってよ」
「え……」
目を見開いた。『禍害絶命』の完全適合者である自分を、マクラーレンやアーサーが自分の部下にしたがるのは自然な流れだと思っていた。
死んでも死なないという一点に限れば、ロブジョンは人類史上最高の完成度を誇る。相対したことのない彼に自覚はないが、ファフニールの権能を与えられた兵卒らよりも、遥かに高められた不死性だ。
そんな自分を、ウェイターに──?
「お言葉ですが、自分のスペックは飲食店に向いたものでは……」
「スペック!? 急に何の話……?」
グレイテスト・ワンが目を丸くした。
「……自分の価値を客観的に判断すると、飲食店の店員に向いているとは思えない、という意味です」
「あ、ああそういうね。いやいや、報告書とか見ててさ、信頼できそうだなって」
そこで言葉を切り、グレイテスト・ワンは屋上から前線基地を見渡した。
「ほら……あいつらは戦後、国の仕事をやんなきゃいけないけど……あ、言ってなかったっけ。俺って母親が平民で、いわゆる妾の子なんだよね。何なら孤児院にいた時期のほうが長いし。だから戦後の役割なんてないんだ」
「……え、ええと。すみません、情報が一気に」
「はは、悪い悪い。まあ、そういう感じでさ、ぶっちゃけ軍人を続けるつもりなんてないんだよ。つーかマクラーレンとダンに誘われたから、って理由なんだよね、軍学校に進学したのも」
笑えるだろ、と彼は唇を歪める。
「概ね理解しました。ですが自分も、貴方も、戦後の立場というのは、難しい扱いになるのではないかと……」
「まあ、どうしたいのかってレベルだよね。でもさ……君って『禍害絶命』をずっと生かしたいの?」
「────!」
何気なく問われた言葉に、ロブジョンの肩が跳ねた。
「死なない兵士っていうけどさ。本当か? 全部が元通りに、毎回再生してるわけじゃないだろ?」
「い、いえ、戦団長が組んだ魔法は完璧です。自分の身体欠損率は、本当に0%で……」
「違う、こっちだよ」
グレイテスト・ワンは右の拳を握ると、ロブジョンの胸を軽く叩いた。
「いつまでもそんな戦い方をできる人間なんていないだろ」
「…………」
嗚呼、本当に、この人はよく見ている。
「だから……クソ、こういう時に同じ言葉を言うのはなんだけど。最強の俺たちがなんとかするから、お前もやりたいこと見つけて、軍なんか抜けちゃった方がいいんじゃないのかな、ってさ」
「……検討しておきます」
今すぐに何かを出せと言われても、何も出てこない。
迷子のような声を出すロブジョンに対して、グレイテスト・ワンは笑みを浮かべて肩を叩く。
「心配すんな。次の作戦で戦争は終わりだ……それからなら、時間はたくさんある。考えていこうぜ、一緒にさ」
「…………ありがとうございます」
優しい声だった。人生で一番嬉しかったかもしれない。
その時は、きっと本当にそうなると思っていた。
歪んだ主観ではなく、彼らは文字通りに最強で、出来ないことなんて一つもないのだから、と。
◇
敵国王都に対する攻略作戦は、その数日後の夜明けと共に発動した。
進軍を開始した先行部隊に続いて、後詰めの部隊を指揮してロブジョンも敵国王都へと侵入した。
そして、ただ、立ち尽くすことしかできなかった。
「……これ、は」
繁栄していた都市の見る影もなく、瓦礫の山と、雨の中でも消えない魔力性の炎があちこちにあった。それだけしかなかった。
明らかに予定を超えた破壊の度合いだ。これはもう、犠牲を最小限にとどめるという指示に真っ向から相反している。
立ち尽くすロブジョンの元に、前もって王都に潜入していた部下が、身体の三割程度を破壊された状態で駆け寄ってきた。
「どういう状況なんだ」
「て、敵兵が、自爆攻撃を仕掛けてきています」
嫌な再生音を響かせながら、ロブジョンの部下が青ざめた顔で告げる。
「脅威か?」
「その……意味は、はっきり言って、ないかと」
「ならば何故、そんなことをしているんだ……!? 降伏勧告は止めていないな!?」
「はっ、はい。ですが降伏する敵兵は今のところ、出てきておらず……降伏するそぶりを見せた敵兵が、近づいた瞬間に自爆を……」
何だそれは。
何故そんなことをしているんだ。
(ふざけるな……! これ以上犠牲が出たら、絶滅戦争になるぞ!?)
負傷している部下を連れてきた別の部下に任せて、ロブジョンは一人で王都を走り始めた。
敵の姿は見当たらない。そこらに倒れているのはシュテルトラインの魔法使いたちばかりだ。
その身体は、ピースキーパー部隊でなければ、よくて身体の半分を融解させられて原形をとどめている。悪ければ腕や足が残されているだけだ。
「……!」
王城に向けて走っていたロブジョンの前に、小さな影が飛び出した。
思わずギョッとした。ぼろきれで身体を包み、くぼんだ生気のない目を向けてくるその影は、まだ齢二桁にもなっていないであろう子供だったのだ。
(ま、さか)
嫌な予感に限って、戦場では的中する。
躊躇なく走って来た子供の一人が、ロブジョンの目の前で、
「ぐう……っ!?」
とっさに突き出した片腕が、子供の体内からまき散らされたマグマの直撃を受けて半ばまで溶け落ちる。
即座に再生を始めたロブジョンの身体だが、それを見ても子供たちは顔色一つ変えない。
「やめ、ろ……! もう戦う意味なんてない! やめるんだ、やめてくれっ」
通告もむなしく、子供の一人が続けて駆け寄ってくる。
言葉が届いている様子は、ない。
「くそおっ!!」
喉が焼けつくような叫びをあげて、ロブジョンが手をかざす。
単節詠唱の魔法を子供に向かって放つと、直撃と同時、子供たちが内側から弾け飛んだ。
恐らく、これだけの数の人間爆弾を緻密に制御できているわけではないのだろう──だから強い衝撃を与えるだけで、爆発機構が作動した。ロブジョンの頭の中の、冷静な思考回路がそう分析した。
(……攻め込んでいるのは我々だ。しかし和睦交渉を拒否したのは向こうだ、それに、王都に攻め込まれて何故まだ降伏しない! 降伏どころか、これは……!?)
再生を続ける片腕の痛みに顔をしかめながら、ロブジョンは大通りを走っていく。
幸いにも他の自爆兵には見つかることなく、彼はほとんど崩れ落ちている王城へとたどり着いた。
「……戦団長?」
恐らく玉座の間であっただろう、平時は天高き最上階に位置したフロア。
今は城を丸ごと破壊され、地面に叩きつけられたその広間に、豪雨に滲むようにして浮かぶ人影が四つあった。
「最後の通告だ。今すぐに子供たちの自爆魔法を解除しろ……これ以上の犠牲は望んでいない」
軍服のあちこちを焦がしたマクラーレンが、未だ玉座に腰かけたままの国王へと魔剣の切っ先を向けて告げた。
敵国の国王は、表情を一切変えることなく、淡々と言葉を返す。
「拒否する。あれは人間ではなく、我が操る兵器だ。貴様らに何か言われる筋合いはないな」
「自爆兵にする必要はねえだろうが……! しかも子供ばっかり……!」
マクラーレンの隣、頭から血を流しながら、それだけで人を射抜けそうな眼光を浮かべてアーサーが問う。
一切ひるんだ様子を見せず、国王は首を横に振る。
「この国は……我が一代でここまで築き上げた。よって、全ては我の所有物だ。攻め滅ぼされるのならば、それでよい。だが略奪される謂れはない。で、あるならば、我の手ですべて処分する。当然、敵対相手を削る駒としてな……子供ばかりになったのは、貴様たちとの戦争で戦災孤児が余ったからだ。有効活用できる駒を大量に作ってくれたこと、感謝する」
ロブジョンは、敵国の国王の言葉が、何一つ理解できなかった。
(人の悪意とは、こんなにも無秩序で、論理立てられない形で発露するものなのか?)
まっとうな思考では、決してその結論にたどり着けない。
同じ種の生命であることを本能的に拒絶したくなるほどに、王の言葉は、人道に反していた。
(嫌がらせ、だというのか!? こんな……こんな、命を、ゴミみたいに……!)
呆然と見つめているロブジョンの視線の先で。
「だから、何だというんだ……こんなの、人間のすることじゃない……」
マクラーレンの傍にいた最後の一人──グレイテスト・ワンがゆらりと歩を進めた。
「■■■、待て! まだ攻撃は……」
マクラーレンの制止の声は届かない。
「そうだ、我を滅ぼすがいい。我が意思は、我が死の後にも継がれていく。だがその前に……貴様たちの力を見せてもらおうか」
マクラーレンたち三人を相手取り。
敵国の国王はゆっくりと玉座から立ち上がると、荘厳な声を響かせた。
「
──離れたところで見つめていたロブジョンは、自分の魂が砕かれる音を聞いた。
直視すること、それ自体が既に瀆神。存在の密度が根本的に違った。『禍害絶命』などという魔法は、所詮は人間が工夫の末に造り上げたもので、本物ではないのだと思い知らされた。
崩落した広間の床を突き破り、鮮やかに光るマグマが噴出し、一帯を灼熱のフィールドへと上書きする。降り注ぐ雨が片っ端から蒸発させられ、蒸気が立ち上った。
「クソッ、やっぱり禁呪保有者かよ……!?」
「出し惜しみしていられない! 出力は残っているんだな■■■!?」
「当然だ、ここで殺してやるッ」
だが、しかし。
相対する三人もまた、人の領域を超えた権能を振るう、選ばれし者たち。
「滅相せよ、破魔の鋼……
マクラーレンが魔剣ヴェルギリウスを異空間から引き抜き、正眼に構える。
「
アーサーが全身に強風の鎧を纏い、拳を構える。
「氾濫せよ、神理の闇──
グレイテスト・ワンの足元の影が広がり、マグマの海を呑み込んでいく。
ロブジョン・グラスに。
完成された不死の兵士如きに、手出しできるはずもない。
たった一人の観客の前で、絶理の闘争が始まった。
◇
未明に始まったその戦闘が終わるのに、一刻も要らなかった。
いくら敵が研鑽された禁呪保有者とはいえ、対峙するのはそれに比肩する力を持った三人。
圧し潰すように、踏み潰すように。
マクラーレンたちは迅速に敵国国王を殺害し、戦争に幕を引いた。
「…………」
神代の闘いにも等しいそれを間近で見たロブジョンは、戦闘が終わって数分たち、やっと自分が生きていることを自覚した。
無言のまま、破壊されつくした広間に佇む三人を見つめる。
国王の身体に魔剣を突き立てたマクラーレンは、泣いていた。
黙ったまま、顔色一つ変えないまま、涙を流していた。
誰も言葉を発さない。
自信に満ち溢れていたはずのアーサーは、瓦礫の中で膝をつき、呆然と辺りを見回している。
誰よりも強かったグレイテスト・ワンは、地面に座り込み、頭を抱えて黙り込んでいる。
確かに戦闘は終わった。
だが、既にこの王都に、シュテルトライン王国軍以外、生きている人間はいない。
綺麗に線を引いて、内側にいる人間を丸ごと取り除いたように、王都に住む人々は消え去っていたし、あちこちに潜伏していた少年兵たちは全員自爆を完遂していた。
(何だ、これは)
できないことはない、と思っていた。
彼らの主観だけでなく、客観的に見ても、そうだった。
犠牲を最小限度に留めつつ敵国の首都を攻略する。絵空事ではなかった。作戦に穴があるわけでもなかった。
だが──
(……あ)
雨に打たれながら、ロブジョンの呼吸が凍った。
(これは……この光景は……自分が作ったのか?)
突入経路を探り、確定させたのはロブジョンだ。
その事実に思い至り、視界が揺れた。
雨が降り続けている。
一切身動きを見せないアーサーとグレイテスト・ワンのすぐそばで、マクラーレンがゆっくりと首を動かす。
その赤い双眸は、確かに、ロブジョンへと向けられた。
「────っ!!」
視線は問うていた。
マクラーレンはその時、最も信頼できる部下に、縋るように問うていた。
『どこで間違えた?』
耐えられなかった。ロブジョンは背を向けて脱兎のごとく駆けだした。少年兵と対峙した時や、国王が禁呪を発動させたときよりも。
最も敬愛する最強の戦士が、自分に縋るような目を向けてきたことが、何よりも恐ろしかった。
ぬかるむ地面に足を取られたロブジョンが、無様に転がる。
雨に打たれ、泥にまみれながら、彼はただ震え、蹲ることしかできなかった。
◇
シュテルトラインの隣国は攻め滅ぼされ、その領土を併合された。
数年たてば戦場となった王都も復旧し、五本の指に入る大都市として繁栄し始めた。
グレイテスト・ワンは王都攻略作戦の翌日に軍を出奔し、行方知れずとなった。
第一王子アーサーが国王として戴冠したころには、『
マクラーレン・ピースラウンドは、軍を正式な手続きを経て辞めた。ダン・ミリオンアークとクロスレイア・ドラグランスもそれに続いた。
ロブジョン・グラスは国王アーサー直々に憲兵団へ誘われたが、断り、機密保持契約にサインをして実家に戻り、しばらくは家業を手伝うことに専念した。
──そして。
彼らの因縁を、彼ら自身が終わらせることはできないまま。
新世代の象徴である流星が、夜空に輝き始めたのだ。
◇
「……退役する前に、君のお父さんに呼ばれたんだ。終戦記念式典があると」
わたくしに、全てを話し終わった後。
ロブジョンさんは言葉を切って、横たわるブロンズ像を見やった。
よく見ると、頭部、特に顔がハンマーを打ち付けたようにして破壊されていた。
「サプライズで、このブロンズ像がお披露目された。でも、まだ覚えてる。マクラーレンさんも、国王陛下も……信じられないぐらい、感情の抜け落ちた目でこれを見ていた」
「英雄とはいえ、出奔……軍を脱走した人間のブロンズ像を、何故?」
「貴族院は、彼が出奔したことを、なんとか名誉の行方不明にしたかったらしい」
「ああ、なるほど。英雄が軍を脱走したなんて、知られたら教会との権力争いで致命的な汚点になりかねないから……ですわね?」
ロブジョンさんは力なく、緩慢に頷いた。
だがこうして捨てられているのを見ると改竄しきれず、結局は行方不明、データはすべて消去、という落としどころになったのだろう。
降りしきる雨のせいで地面はぬかるみ、わたくしも彼も、濡れていないところはないというぐらいびしょびしょだ。
「……話を聞いて、いくつか得心がいった点がありますわ。ありがとうございます」
例えば、ヴァーサスの記録。
間違いなく、お父様の対戦相手はグレイテスト・ワンだったのだろう。
例えば、臨海学校の時。
カサンドラさんに首を刎ねさせたお父様は、適性の低い『禍害絶命』を一瞬使うことで、自らの死を偽装できたのだろう。
……そして最後に、かつて対峙した
お父様が自分の手で撃滅することにこだわり、既知の相手のように振る舞っていたのは、恐らく────
「僕はあの時、マクラーレンさんを肯定するべきだったんだ」
親世代の因縁がいまだ世界の中核に関与していることに、言葉を失っていた時だった。
不意にロブジョンさんが、言葉をぽつりとこぼした。
「自分たちのやっていることは、大義があると。そう言えばよかったんだ」
「……ですが、アナタはそれができなかった」
「ああ、そうだ。だって、もしもあの時、君のお父さんに、その通りだって。自分たちのやってることは正しいって、そう言われたらッ! そうしたら……本当に僕は、心を捨ててしまうんじゃないかと思った」
答えが欲しいのに、答えを告げられたら、それですべてが終わりになってしまうような感覚。
それはわたくしも、なんとなく分かる。
「だから見て見ぬふりをして、その場からいなくなった。逃げたんだ。何が正しいのかなんて分からなかった。戦争なんてものは、いつもそうだろうって、簡単に言えるけど。でも……」
言葉を詰まらせながら、ロブジョンさんが奥歯をかみしめる。
雨ではない水が、彼の頬を伝っていた。
「でも違う、違うんだよッ。僕は犠牲者なんかじゃない、犠牲者面なんか死んでもしちゃいけないッ。僕は、僕たちは加害者であって断罪される側なんだ! 僕はあの時、任務を果たすべきじゃなかった! あんなことになるのなら……すべてを放り捨てて逃げ出した方がマシだった! 尊敬する人たちが、子供を虐殺して! 涙を、流して……ッ」
一気にまくし立てた後、ロブジョンさんは頭を抱えて、その場に蹲った。
「あの子供たちの死に様が、頭から離れない……僕は、僕なんかがのうのうと生きていることに、耐えられない……」
返す言葉が、ない。
かけるべき言葉が、本当に、見つからない。
「……っ」
だがわたくしの中の冷静な部分は、これでよく生きてこられたな、と端的に思った。
この追い詰められようでは、自殺したっておかしくないのだが。
そこだけが唯一の疑問として引っかかっていると、ふと顔を上げたロブジョンさんが──いつもの調子を取り戻しました、といわんばかりに、普段通りの表情で──口を開く。
「なんで自殺してないのかが、気になってるのかな」
「……ッ」
「気にしないでくれ、僕も君ならそう思う。その、なんていうか……僕は完全適合者だって言っただろ?」
ロブジョンさんは自分の手を見つめた。
わたくしには感じ取れないが、リンディは見ただけで彼が異常だと──待て!
あのタイミングで、見ただけで!? おかしいだろ、それだとこの人は、わざわざ『禍害絶命』を発動させてわたくしに会いに来たことになる! そんなわけがねえ、だとすれば……!
「まさか、アナタ──!?」
「流石、鋭いね……
「な……ッ!?」
完成された不死の兵士だと? そんな言葉で言い表せるものか。
つまり彼は、人工的に生み出された不死者ということになる!
「まあ、暇になった後にさ。色々なゴタゴタを片づけてから、何十年後でもいい。この魔法の解除の仕方を思いついたら……」
そこでふと言葉を切り、彼は肩をすくめた。
「いや、悪い。君にやってもらうわけにはいかないか……できれば、自分で自分にケリをつけられる形式がいいんだけど」
諦めたように、全ての声色は投げやりだった。雨に打たれながら、彼はへらっと、いつも通りの薄い笑みを浮かべる。
ムカついた。
かなりムカついた。
「アナタ、何で生きてるんですか?」
「……死ねないからだよ」
わたくしは無言でロブジョンさんをブン殴った。
「ぶぼっ!?」
「再生するから一発ぐらい構いませんわよね。起きてください」
腰かけていた瓦礫からゴロゴロと転がり落ち、泥まみれになったロブジョンさんが目を白黒させる。
わたくしは彼の元へ歩み寄ると、膝をついてしゃがみこみ、彼の顔を覗き込んだ。
「これだけ言っておきながら自覚がないのですか!? ならばアナタは自覚するべきです! 死ねないのだとしても、今のアナタは、死んだように生き続けているわけではありません!」
「……そんなことは」
「死人は喫茶店なんか開きませんわ!!」
ハッと顔を上げたロブジョンさんの目に、わたくしの顔が映り込む。
彼の両肩に手を置いて、わたくしはぐいと顔を寄せる。
「本当に全部嫌なら海の底にでも沈んでいなさい! それぐらい考えたはずです! でもアナタは違う、違ったのでしょう!? 全部嫌なら、何故あのお店を出そうなんて考えたのですか!?」
「──それ、はっ」
「アナタが言葉にした心は分かりました、ですがアナタの行為が語るアナタの心はまだ聞けてない!」
肝心なところを隠したまま、事実だけで終われると思うな。
事実に価値があるんじゃない、事実を裏打ちするお前の心が一番大事なんだよ!
「死ねないから、ではないでしょうっ!? アナタは何のために生きているのですか!」
「……何の、ためって」
「自分自身に願いがないのだとしても! あの喫茶店は……アナタは、英雄の夢を叶えてあげようとしたのでしょう!? だったら、やるべきことは分かっているはずです! それは義務や責務じゃない! アナタの意志だッ!」
鼻と鼻が擦れるような距離でわたくしは彼に叫ぶ。
「さあ言いなさい、ロブジョン・グラス! ここで何も言えないなら、お望み通り、この手でアナタをぶっ殺して差し上げますわ! 本当に何の意志も持っていないようならアナタはここで終わっていい! でも、でもっ!」
肩で息をしながら、わたくしは唇を噛んで押し黙る。
彼の眼はじっとわたくしを見つめていた。その奥で、静かに色が揺れていた。
「ぼくは」
ぽつり、と。
言葉が零れ落ちる。
「ぼくは、争いを止めたい」
恐らくそれは、無自覚のうちに発したものだった。
彼は自分で自分の声に目を見開き、だがすぐに納得したようにうなずいた。
「ああ、そう、だ。僕は……僕はもう二度と、あんな光景を視たくない……!」
肩に置いていたわたくしの手を掴んで、彼は自分の身体を起き上がらせる。
「僕は今度こそ、救いたい……! 救ってみせる、そのために僕は生きているッ! 大人が犠牲にする子供なんて一人も生み出させないために!」
その揺れる瞳の奥。
わたくしは確かに、夕焼けを背にして、笑顔で夢を語る、かつての英雄の影を見た。
「子供が笑顔でいられるようにって、笑顔でいられる場所を守りたいって、そう言っていた彼の願いを、僕が叶えたい……!!」
そうだ、それでいいんだよロブジョンさん!
「よくぞ言いましたわ!」
雨に打たれながら、わたくしは彼の腕を引っ張り上げて無理矢理立たせる。
「元々決めていましたが、今、改めて決めました。あの部隊の野望、何一つとして成し遂げさせはしません……! わたくしが、マリアンヌ・ピースラウンドが、アナタと共に戦いましょう!」
明日の対抗運動会二日目。
全部だ、全部そこで収束する。
「……いいのかい。いくら戦団長の娘さんと言っても、君に直接的な因縁なんて」
「黙りなさい! わたくしは言われるがまま大人の代わりに人殺しをしているわけではありません! わたくしはわたくしの意地を通すために! わたくしが気に入らない相手をブン殴って地面にブチ転がして勝つために戦っているのです! わたくしの戦う理由はわたくし以外の誰にも決めさせません!」
正面から見つめてくるロブジョンさんに視線を返し、わたくしは唇をつり上げる。
「どんな理由があっても言語道断だと言うのに、己の身勝手な欲望のために子を呪うなど……挙句、破壊や混乱を最終的な目標に据えるなど。それなら望み通り、わたくしが連中を本物の破壊と混乱に叩き込んであげましょう!」
真っ向から宣言すると、ロブジョンさんは何かを理解した様子で、深く頷いた。
「本当に……今、納得がいったよ。君は確かに戦団長の娘さんだ。彼の意思を継いで、それだけじゃなくて、彼ができなかったことをしようとしているんだね」
「当ッたり前ですわ!」
わたくしは雷雨を降らす天を右手で指さす。
所詮
「何故ならば! 魔法史に名を刻もうと戦争を終わらせようとも、それらすべてを打ち消すほどにわたくしが今! この瞬間! 闇を切り裂き輝いているのですからッ!!」
……まあ、分をわきまえた上で、それでもこっちに来ようとする馬鹿正直に真っすぐな雷電は、嫌いじゃないけどな。
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コミカライズ最新話が昨日更新されてます!
ユイめっちゃくちゃ顔が良くてビビりました
あとマリアンヌも可愛い顏しかしてないです
良かったら読み終わった後のGOODもお願いします
https://ichijin-plus.com/comics/23957242347686