「ッシャアアアア! 勝ちましたわ!!」
ステージの中心でわたくしは天を指さし叫んだ。
対抗運動会の決闘、その決勝で勝利した。
つまり──オラッ見たかオイわたくしが最強だぞオイ!
「フーーーーッハッハッハッハッハッハ!! やはりこの王国において最強とは! 無敵とは! 至高の存在とはわたくしに他なりませんわね!」
対抗運動会における
それはもうつまり……この国で最高の魔法使いなのでは!
「いや……流石に学生同士の戦いで国内最強は変わらないわよ」
ステージに降りてきたリンディが冷たい声を発した。
来賓席にいた騎士団大隊長の方々や、王族の皆さんもこちらへやって来ている。
「はぁ? わたくしが最強なのは揺らがないのですが?」
「いやお主たちの戦い、こっちで削らなければ客席全員蒸発していたのじゃがな……」
呆れかえった様子でアーサーがぼやく。
何だそのセリフ。そもそも主催者に近い存在の分際で、何故第一声でわたくしを讃えないんだ。
「……というわけで、あいつ殺していいですか」
「ダメに決まってるだろう!? 何がというわけなんだ!?」
強キャラ感が鼻についたのでとりあえず言い返したが、ジークフリートさんに激しく否定された。
だめかぁ~。
「なあ、一応様式美として聞いとくけどよお」
王子たちや大隊長たちがあーだこーだと観戦の感想を言い合っている中、近寄ってきたユートがものすごく言いにくそうな表情を浮かべる。
「何ですか」
「お前とアイツ、一緒にいていいのか? 一緒にいてっつーか、同時に存在してっつーか……」
彼が指さした先では、ステージからブチ転がされた後にまた戻って来たわたくしΩの姿があった。
「イッダダ……」
「腹部に穴が空いてるんだけど、君それ痛いで済むのかい?」
揃って場外となったロイに付き添われているわたくしΩだが、右ストレートでブチ抜いたお腹からは魔力がボタボタと落ちている。
血じゃなくて良かった。血だったら流石に平然と会話するのは無理だ。
「まあいいんじゃないですか、しょせんは紛い物ですし」
「アンタが勝手に作ったものでしょ、ちゃんと処分しなさいよ」
処分て。
拾ったどんぐりかよ。
「ただ色々と……わたくしとしては非常にありがたいですがね、このフォーム。わたくしΩを踏み台にして、更なる高みを目指せると思いますわ」
「自分を踏み台にすんな」
いや結構マジな話で、例えばΩ相手に組手できたりするんじゃないかなと思っている。
正直向いてるフォームではないが、一つのブレイクスルーにはなったんじゃなかろうか。今までのフォームとは明らかに別物だしな。
「あら……随分なことを言ってくれるじゃないですか」
ユートとリンディ相手に今後の展望を語っていると、不意に聞きなじみのない、甲高い声が響いた。
「……他人から聞くとわたくしの声ってこんな感じなのですね」
「それはわたくしも思いましたわ」
腹部からドクドクと魔力を流すわたくしΩが、正面から歩いてくる。
わたくしとわたくしが対峙し、他の面々が表情に緊張を走らせた。
「お疲れ様でした、わたくし。アナタの力あってこその勝利でしたわ」
「最終的に勝てたのならよろしいでしょう。我ながら見事でした」
互いに微笑みを浮かべて言葉を交わす。
どうやら温和に進められるっぽいぞ、と周囲が安堵の息をこぼした。
「まあ……魔力構成体とはいえ、わたくし、アナタ如きに踏み台にされるほど安くはないのですが」
「ヘェ~」
視界の隅でユイさんとロイが『ダメっぽいなこれ……』みたいな顔になった。
「でも結局わたくしが本体ですのでね、そもそもアナタって踏み台にされるために生み出されたようなものですが」
「ホォ~」
視界の隅でジークフリートさんとリンディとユートが『ダメっぽいなこれ……』みたいな顔になった。
「結局わたくしの方が強いんだから黙っててくださいます?」
「どっちが強いって仰いました? わたくしの方が強いですわよ?」
「は? わたくしです」
「は? わたくしです」
わたくしたちは数秒黙った後、ゴン!! と轟音を立てて額をぶつけ合い、超至近距離でメンチの切り合いを始めた。
「わッたッくッしッでッすッがァァァァァアアアアアアアア!?」
「なあ~にが最強ですがッこの追放失敗女がッッ」
「ああああああああ!? 言いました! 言いましたわねそれ! 一番言っちゃいけないやつ! 未だに女性用下着売り場でド緊張してる分際でェェッ」
「こォ↑ろしますわよ本当に!!」
胸ぐらをつかみ合って、互いに唾を飛ばす。
Ωの真紅の瞳に映り込むわたくしはバチバチにキレ散らかしていた。
このアマ! 本当に殺してやろうか!
「あったま来ましたわ! ホラこうですわよ! こう!」
その瞬間だった。
こちらを振りほどいて一歩下がったわたくしΩが、ぎゅっとロイの腕を抱きかかえた。
は………………?
「ま、マリアンヌ!? いやええと、君が分身なんだよな……?」
「そんなの関係ないでしょう! アナタの婚約者ですわよ~」
至近距離でΩがにへらと笑い、ロイの顔が急激に赤くなっていく。
おい……何で……ロイが……デレている……?
〇red moon 誰?この美少女
〇木の根 ヒロインとしてのスペックを発揮したマリアンヌ、ヤバ過ぎる
〇外から来ました これは流石に禁止カードだろ
〇宇宙の起源 オッ……オ……オフゥ……オォ……
「ちょっ、待っ……!」
「
豊かな双丘にわたくしの婚約者の腕をぎゅっと挟み込んで、わたくしの顔をした女が妖艶に微笑む。
たじたじになるロイを数秒見つめた後、彼女はこちらへ顔を向けた。
その表情は『お前にはできないだろ〜? こんなコト』と雄弁に語っている。
「?????????????」
人間は気が狂う瞬間に言葉を発せないということが分かった。
わたくしがわたくしからロイを寝取っている。意味不明だった。
「え、ちょっとあんた大丈夫……?」
完全にフリーズしたわたくしにリンディが心配そうに声をかける。まったく大丈夫ではない。
何だこれは。何が起きているんだ。
〇トンボハンター タイトルバックがストフリになってた時の俺じゃん
〇苦行むり FF10やったら想像の百倍ぐらい辛かったときの俺じゃん
〇日本代表 RTA配信の管轄を引き継いだのにプレイヤーが知らないエンディングのフラグを発見しまくっている時の私じゃん
〇無敵 それは……さぞおつらいことで……笑
〇日本代表 死ねカス
「まったく。婚約者ともあろう人がなんて情けない」
わたくしが愕然と立ち尽くす中で、何故か大物の口調でユイさんが一歩進み出る。
「確かにマリアンヌさんを完璧にコピーできていますし、正直マリアンヌさんとマリアンヌさんの間に挟まりたいとは思いましたが……しかし。ここまでロイ君にデレるマリアンヌさんは解釈違いです」
生身の人間相手に解釈違いとかいう言葉を使わないでほしい。リアクションに困る。
やれやれと肩をすくめるユイさんに対して、わたくしΩはロイの腕を放し──ロイは死ぬほど無念そうな顔をしていた──ユイさんに向かって両腕を広げる。
「ユイさん♡」
「はーーい!!」
甘ったるい声で名を呼ばれたユイさんがリニアモーターカーみたいな速度でわたくしΩの胸に飛び込んだ。
「え、えへへ……夢が一つ叶っちゃいました、えへ……ヤバ、よだれが止まらない……」
「本当はわたくし、ずっとこうしたかったんですわ」
「えっ」
緩みきった表情でわたくしの胸に頬をすりすりしているユイさんだったが、わたくしの言葉を聞いて顔を上げる。
その視線の先には、腕の中のユイさんに、少し頬を染めて恥ずかしそうに微笑むわたくしΩの姿がある。
「ユイさんに慕われていること以上に……わたくしだってアナタのことが大好きなのですから」
「へ? え……あ? お……?」
「アナタがいるから。アナタという存在がわたくしの進む道を照らしているから。だから……アナタがいないと、わたくしなんていないのです」
「?????????」
ユイさんは目を丸くしたあとに、一つ息を吐いて、神速で自分の頬を殴打した。
わたくしが食らったら夢から覚める前に死にそうな一撃だった。
「……スゥーッ。おはようございます、マリアンヌさん」
「ええ、おはようございます。アナタがいないとわたくしなんていませんわよ?」
「あっおっあっあっあっ」
ユイさんはバグった。
そしてわたくしも同じぐらいバグっている。
〇適切な蟻地獄 もうお嬢のデレパート全部分身に取られてて草
〇みろっく お前そんなこと考えてたのか……
〇遠矢あてお これ、ユイとかロイとかから見たときの答え合わせパートみたいなもんなのか
〇無敵 交通事故過ぎてウケるな
〇つっきー 勝負にも試合にも勝った後にズタズタにされる女
いや本当に待ってくれェ!!
墓まで持っていこうと思っていた感情が全部バラされている! わたくしは絶叫しそうだった。
「だから……まあ本体のわたくしは『所詮は分身が言っていたこと! 真なる悪役令嬢であるわたくしがそんなこと思うはずがないでしょう!』とか抜かして否定すると思うので、今のうちにわたくしを堪能しておくと吉ですわ」
「ひョホッ……」
わたくしの顔をした女がユイさんを抱きしめて、こちらに嘲笑を向けている。
キャパが終わるのを感じた。
「あ…………お……あ……?」
「やめるんだマリアンヌ嬢! 魔力砲撃を構築するな!」
何も分からなくなっていたが、ジークフリートさんの指摘を受けて、初めてそこで魔力砲撃を展開してわたくしΩとユイさんに向けていることに気づいた。
「あ……でも……あれは殺さないと……」
「どう考えてもだめだぞ!?」
え、でも、これはダメなやつだと思う……ブチ殺さなきゃいけないやつだと思う……
「なーんか、さあ……アイツってアンタたちのことめちゃくちゃ好きよね」
「ん? ああ、マリアンヌは俺らのことめちゃくちゃ好きだよな。普段の言動に出まくってるし。ていうか何を他人事みたいなこと言ってんだ? お前もだろ」
「……それは、アンタたちはいいけど、そこに私が含まれてるのはおかしいのよ」
「あ? 何でだよ……って言ってもまあ予想つくわ。お前の事情のせいだろうけどさ。でも正直諦めたほうがいいだろ。あいつ、絶対にお前のこと諦めないぜ?」
「…………」
少し離れたところでリンディとユートが何やら会話していた。
どうもわたくしの思考が半分ぐらい停止しているらしく、さっきから全然人の声を聞きとれない。
ていうか……なんで止められてんだ? 止める必要ある? これはどう考えても暴力で対応するべき事案だろうがッ! 寝取られてんだぞ二人も! 目の前で!
「ほら、ロイもこちらに」
「えっ……」
その時、わたくしΩがすぐ傍で世界の終わりみたいな顔をしていたロイをぐいと引き寄せる。
あっちょっ待ってそれは待ってくれ!
「ふふふ……両手に花とはこのことですわね。この世に顕現した天国ですわ」
ユイさんとロイの腕をそれぞれ抱きかかえて、わたくしΩが頬を緩ませる。
本当に気持ちよさそうだった。三人とも至福の笑みを浮かべていた。
わたくしは、生まれてから一番キレていた。
「ジークフリートさん離してください!!!!!!!! あの女、ぶっ殺してやりますわ!!!!!!!!」
「落ち着け! 自分殺しだ!」
ジークフリートさんがわたくしを羽交い締めにして止める。
今回ばかりは止めないで欲しい。夏休み二周目冒頭にサジタリウスわたくしの砲撃を止めていた時に近い姿勢だが、生憎あの時よりも感情が強い! 止めるな!!
「あああああああああああ! サジタリウスさん! レオさん! タウルス! 力を貸しなさいッッ」
「ちょっと待ってくれなんだその新技は!? こんな場面で開発しないでくれ!」
魔法陣からバチバチと魔力光が迸り、制御不能になった砲撃が何フォームなんだかも分からん権能をガン積みしてあちこちにばらまかれる。
苦笑する大隊長たちが片手間にそれらを叩き落とさなければ、まあまあ大規模な爆発になっていただろう。
「いや~若いっていいねェ~。大はしゃぎじゃァ~ないか」
「ヨホホ! 感情を反映させた不規則で不定形な砲撃、なんともアドレセンスですねえ!」
「とはいえ癇癪でこの出力を出さないでもらいたいが……」
向こうも向こうで強キャラみたいなことしててムカつく! 今この場にいて一番強くて偉いのはわたくしのはずなのにあああああああああああもおおおおおおおおお!
わたくしを羽交い絞めにしていたジークフリートさんの拘束から抜け出すと、彼の腕と、逆サイドに立っていたユートの腕を抱きかかえる。
「マ、マリアンヌ嬢!? これは……!?」
「うわっちょっまってくれオイ!」
長身の男二人が瞬時に顔を赤くする。
「こっちはジークフリートさんにユートですわ!! どんなもんです!」
「なっ……!」
そっちが聖女婚約者コントロールならこっちは騎士王子アグロだ! もう盤面固めて勝ちに行くぞおい!
「ユイさん! ロイ! 離してください! あの女ぶっ殺してやりますわ!!」
「離しても何も!」
「抱き着いているのは君の方なんだが!?」
わたくしΩがマジギレして魔法陣を展開する。
何でそっちがキレてんだよ。これはお前が始めた戦争だろうがッ。
「同じ禁呪での激突ですか。実に興味深いですね」
「グレン、これさすがにそろそろ止めないとまずいんじゃないか? なあ?」
王子たちも見守る中で威圧し合うわたくしたち。
だが、だんだん、自分のやってることが余りにも恥ずかしくなってきた。
ぐ、ぐいっと胸を押し付けるのは流石に恥ずかしくてできないが、まあなんか軽く触れてるような気がしないこともないが正直全然わからん力加減が出来ん! 首から上、全箇所から湯気が噴き出そうだ!
「「~~~~ッッ」」
羞恥心に抗いながらにらみ合うわたくしαとわたくしΩだったが。
次第に視線から勢いが失われていき、同じタイミングで抱きしめていた腕を解放した。
「なんか……こういうのは良くないですわね……」
「消費してる感じで嫌ですわよね……」
大切な人たちをカードゲームのデッキ扱いしちゃダメなんだよなあ。
それはそれとしてお前いい加減に消えてくれないかな。
「ったく、ふざけたやつが二人に増えると本当に迷惑ね」
場が沈静化したのを見て、リンディが肩をすくめた。
わたくしとわたくしΩの視線が交錯する。
頷いた後、わたくしたちは両サイドからリンディに抱き着いた。
「ちょあっ!? な、何すんのよアンタ! ……え、いや、何か言いなさいよ! なんでずっと無言の笑顔で抱き着いてきてんの!?」
お前はもうサンドイッチの具なんだよ。諦めろ。
「あ、あんな夢のような思いを、僕以外の人間が……! しかし……」
「ぐっ……り、リンディさんなら、我慢します……!」
血涙を流す次期聖女と婚約者は無視した。
結局わたくしΩが魔力の光に還元されるまで、わたくしたちはリンディを挟み続けたのだった。
◇
そういうわけで対抗運動会は、無事に中央校が総合優勝した。取れるトロフィーは全部取った気がする。
いろいろあったが個人的には満足のいく結果になったと言えるだろう。
無論それは、運動会以外についてもだ。
「ここですわ」
王都の通りで足を止めて、わたくしは帽子を目深にかぶったツレに『喫茶 ラストリゾート』を指し示した。
ランチタイムということもあってか、店の外側まで行列が並んでいる。
「今だと並ぶみたいですが、どうします? 少し落ち着いてからにしても……」
「いえ、並びましょう。一回やってみたかったんです」
「では仰せの通りに」
わたくしは肩をすくめてから、彼と共に列の最後尾についた。
ラストリゾートの看板を眺めながら、騒動に巻き込んでしまったロブジョンさんのことを思い返す。
ロブジョンさんはあの後、また国王アーサー直々のスカウトを受けたが、丁重に断ったらしい。
ピースキーパー部隊構成員たちは全員逮捕され、これから裁判にかけられた後に収監される予定だ。
唯一、部隊長であったトラヴィス・グルスタルクは死亡が確認されていて……それを知って、ロブジョンさんは何かを悟ったような表情を浮かべていた。
『結局また一つ、君のお父さんに押し付けてしまったのかもしれない』
『……気に病むことはありません。あの人は多分、自分がやるべきだと思ってやっただけですわ』
そして『
禁呪を行使することは死罪に直結するため、わたくしがいくら異議を唱えようとも、見過ごされている人間の言葉など届くはずもなかったのだが……
「お、お待たせしましたぁ~……」
ぼーっとしている間に列が進んでいたらしい。
カランコロンとベルを鳴らしながらドアが開き、顔を出した少女がわたくしとツレに声をかける。
「って、マリアンヌさん……!? 来るなら言ってよ、席用意したのに!」
「気を遣っていただくのも悪かったので。あ、二人ですわ」
「はいはーい。あれ、ユイさんとかロイさんとかじゃないんだ。浮気者だね」
「ナチュラルに鋭い言葉を使ってきましたわね……」
年相応にあどけない表情を浮かべる彼女──エリン・グルスタルクが店内に声をかける。
「二名様、いらっしゃいませー」
「いらっしゃ……ああ、君か」
店内に入れば、マスターとしてちょっと上等なシャツを着たロブジョンさんが手を振ってくれる。
エリンに案内されるまま、わたくしたちはテーブル席へと案内された。
「噂通り、混んでいるようですね」
「ええ。今までの閑古鳥が嘘のようですわ」
今この区画で一番繁盛している店は、間違いなくここだ。
ロブジョンさんとエリンの二人だけでは捌ききれない来客数のため、わたくしのメイドカフェから何人か調理担当とホール担当を派遣して賄っている。ゆくゆくはちゃんとロブジョンさんとわたくしの面接を受けた人を、ラストリゾート専属の店員として雇うつもりである。
ここまで業績が急回復した理由としては、当然ながらスーパー敏腕経営者であるわたくしによるテコ入れが大きいわけだが。
「別にマリアンヌさんには、いろいろと感謝してるけどさ」
店内を見渡していると、メニューとお冷を持ったエリンがやって来た。
彼女はフリルがたくさんついた、わたくし直営のカフェより幾分かファンシーさを増したメイド服を身に纏っている。
「よくお似合いですわよ」
「うん、いいけど……な~んで服を変えるとここまで売り上げが変わるって分かったわけ?」
喫茶店というよりはほとんどアミューズメント施設に近い売り出し方にシフトしただけだ。
当然だが内装も少し、ほんの少しだけグロ方面から緩和している。
服まで作り込んで世界観を確立さえすれば人気が出る可能性があると読んだが、これが見事に的中した形だ。
「不思議の国のアリスを意識してコンセプトに一貫性を持たせてみましたが、バッチリとハマりましたわ」
「はあ、何それ……?」
いいでしょう、とわたくしは同席しているツレに話しかける。
彼は帽子で目元を影に隠したまま、静かにうなずいた。
「でもいいんですか? 例の、君が政府に申請してきた……フランチャイズ契約、だったか。この店にとっては、そして私としてもありがたい話だったが、君の方は負担になるんじゃ……」
「いえ、正直に言えば競合店となるのを恐れただけです」
この世界にない概念を持ち込めるのは転生者の特権だ。
というわけでFC契約を結び、傘下に入ってもらった。これなら業績の回復が間に合わず赤字が取り返しのつかないことになったところで、わたくしが経営するグループ内ということで補填できる。
直接権利まで買い上げてしまおうかとも思ったが……ロブジョンさんにそこまでして恩を押し売りしたくはない。あくまでわたくしは手助けをしたかったというだけだ、支配まで行くと依存にもつながる。
「それでアナタ、考えてくれましたか」
「え? 何が?」
ホール業務に戻ろうとしていたエリンを呼び止める。
「中央校の受験です。年齢的には来年入学でしょう、勉強を始めるなら今がギリギリのタイミングですわ」
「あ~……それ、本気で言ってたんだ……」
当たり前だ。
何せ、事態を収拾した後、拘束されているエリンと話して判明したのだが──彼女は『稲妻』以外の魔法を習ってない。
つまり、素質とセンスと根性だけであそこまで戦えていたというわけだ。
ちょっとを通り越してかなりびっくりした。
「参考書ならお渡ししましょう。勉強も時間がある限りは見てあげますわ。だから来なさい、中央校に。アナタはわたくしたちの次に来るであろう、本当の新時代の象徴になり得る資格がある」
「……でも、あたしはその、罪を犯していてさ」
声を落として、暗い表情でエリンが告げる。
まだ言ってんのかよ。
「
同席していた男性に声をかける。
「……ええ、構いませんよ。エリン・グルスタルクの罪は、この私が無罪であると認定しましたから」
帽子を微かに持ち上げて、彼はその顔をエリンと、心配そうにこちらの様子をうかがっていたロブジョンさんに見せた。
シュテルトライン王国第三王子、グレンである。
「ブッフォ」
エリンが派手に噴き出した。
カウンターの向こう側でロブジョンさんも顔面蒼白になっている。
「ほら、王子殿下がおっしゃるからには問題ないでしょう。ヤバくなったらこの人が腹を切りますから」
「ちょっ……な、何考えてるわけ!?」
「この人は何も考えていないんですよ」
わたわたと慌てるエリンに対して、水を飲みながらグレンが朗らかに言う。
シバき倒すぞお前。
「そもそも後処理の関係で、君は私が統括する査問会の監視対象となっています。つまり私が直接様子を見に来てもおかしくはないわけです」
「だ、だとしてもこんなタイミングで堂々と……!?」
「そこはまあ、王城に急にピースラウンドさんが来て、書類仕事中の私を無理やり連れだしたのですが」
「本当に何考えてるの!?」
「だから、本当に何も考えていないんですよこの子」
グレンは実に楽しそうな様子で、メニュー表をぱらぱらとめくり始めた。
こいつ……わたくしが誘ったらウッキウキで王城抜け出したくせに、全ての罪をわたくしに擦り付けたな……
「……王子殿下。その、大変感謝しております。どうぞ好きなものをお頼みください」
厨房を他の人にいったん任せて、大慌てでロブジョンさんからこっちに走って来た。
今やこの王子様は、ロブジョンさんとエリンがこうして暮らせている理由そのものであり、二人にとっての大恩人である。
それなりの名家とはいえ、いくらわたくしが言ってもエリンの扱いを覆せることはない。だが、貴族とかそういう問題じゃなくて……王族そのものが口を挟めば、それはどんなに真っ黒でも白になるってわけだ。
いやーこの国ヤバいな! 国王はともかく王子たちが善属性で本当に良かった。
「いえ、お店での支払いって一度やってみたかったんですよ。やらせてください」
「は、はあ……」
さっきから願望が王族過ぎて笑う。
周囲の客、気づいてもお忍びか……邪魔しちゃ悪いな……みたいな感じで見て見ぬふりしてるだけだし。民度が高い。
「じゃあ、このランチクリームパスタセットをいただけますか。飲み物はアイスコーヒー、食前で」
「は、はい」
ガチガチになりながらエリンが注文をメモする。
それから彼女の視線はこちらに向いた。
「わたくしはチョコケーキセットと……飲み物はアイスティー、食前で」
「え、何で急に可愛い子ぶったの? いつもはランチセット三人前ぐらい頼むじゃん」
わたくしは店を破壊するかどうか真剣に悩んだ。
「い、いえその、そういう面はまだ彼には見せていなかったので……」
「おや嬉しいですね、君の新しい面を知ることができるとは。ここは私が出すので、好きに注文してくださいよ」
ニッコニコの笑顔でグレンがメニューを差し出してくる。
ぐうううう! な、なんか改めて知られると恥ずかしいんだけど! 顔から火が出そうだ……
「じゃあランチ定食セットを一つ……一つ、ええ一つでいいですってば! あんまり今はおなかがすいてなくて! あの、なんですその表情? ちょっと! エリン! 半笑いのまま行くんじゃありません! せめて復唱してから行きなさい!」
わたくしの悲鳴もむなしく、彼女は笑顔で厨房へとオーダーを届けに行った。
年下相手にナメられまくっている現状に、がくりと肩を落とす。
「いいじゃないですか。実に楽しそうだ」
「まあ、そうですわね」
店内は活気に包まれている。
人殺しのプロだった男と、人殺しの道具だった少女が、こうして多くの笑顔を生み出している。
「これで、良かったんですよね」
ぽつりとグレンが呟いた。
思い出すのは『
「良かったですわよ、グレン殿下」
わたくしは迷いなく断言した。
「最上の結果ですわ、殿下。アナタは勝ったのです」
「……勝った?」
「運命に。罪は罰でしか洗い流せないという旧時代の摂理に。アナタは罪を赦すことができた。自ら決断することができた。アナタは大きな流れに打ち勝ち、自分を押し通せたのです」
私情だろうとなんだろうと、彼は少女の笑顔を守ってみせた。
誰かのために駆け抜けたいと思う男がそれをつかみ取ったことを、勝利と呼ばずしてなんと呼ぶ。
わたくしと視線を重ねて数秒黙り、彼は微笑みを浮かべる。
「……そう言ってくれると、嬉しいよ」
ちょうどその時、エリンではない店員さんがわたくしたちの席に飲み物を持ってきた。
グレン王子は頬を緩めて、テーブルに置かれたコーヒーを一口すする。
直後に彼の目が見開かれた。
「これ美味しいですね……凄いな」
「でしょう? 味だけは最初から凄いんですわよ」
「味だけはって、本当に遠慮がないですね君は……」
「それが特技ですので。何せ王子殿下に仕事をサボらせてるぐらいですし」
「違いありませんね」
グレンと二人してカラカラと笑いながらも、わたくしはふと充実した様子で働くエリンへ視線を向ける。
そうだ、これで良かったんだ。
少女は自分の道を歩き始めた。そこに異論を挟むやつの気が知れない。ベストな結末だと断言していいし、誰が何と言おうともわたくしは断言する。
ただ、まあ、あれだ。
この結果に納得のいかねー連中について、心当たりはあっちゃうんだよなあ……
◇
日の落ちた王都で、『喫茶 ラストリゾート』は慌ただしいディナータイムを迎えていた。
ランチ以外でも、帰り道にこの店を訪れる客は増えている。人手こそ増えているが、接客初経験のエリンは慌ただしい様子で、客席の間をあっちへこっちへと行き来していた。
そんなエリンを、向かいの建物の屋上から見つめる人影が二つ。
「どうしても手を下されないおつもりですか」
「焦る必要はないと言っている」
目深にローブを被った男が、隣に佇む美しい金髪の青年──ナイトエデン・ウルスラグナを詰問していた。
「余りにも悠長なことを言われる。あそこにいるのは禁呪保有者だ、我々の敵だ」
「テロによる被害を最小限にとどめることはできた。緊急事態下で、王都の騎士たちがどう行動するかのパターンも見ることができた。目標は達成したと言っていいだろう」
「否でしょう、ナイトエデン殿。それは真の目標を達成するための過程に過ぎない」
淡々とした口調のまま、ローブの男はエリンを指さした。
「我々の唯一にして絶対的目標とは、禁呪保有者の抹殺に他なりません」
「その準備をしている段階だろう」
「既に『
「しかし……」
「相手はテロに加担した禁呪保有者ですよ」
「……分かっている」
「いいや、分かっていない」
二人は建物の屋上で問答を繰り広げる。
正義の味方を掲げる人間同士で、少女を殺害するべきかどうかの判断を争っている。
──潮時だな。
「正義の味方って内輪もめしますのね」
そう口にしながら、わたくしはナイトエデンたちの前にふわりと着地した。
「……何かいると思っていたが、やはり君だったか」
「ええ」
ナイトエデンの言葉を受けて、わたくしは全身を覆うマントをかき消す。
ヴァルゴフォームによる隠密行動だ。
「あの子を殺すならわたくしを殺してからにしなさい」
「ほお?」
苦い表情を浮かべるナイトエデンの隣で、ローブを着た男が冷たい視線を向けてくる。
「自信があるようだな、マリアンヌ・ピースラウンド。だが……本当に彼我の戦力分析を終えて、勝ち目があると判断できたか? 見切り発車で、仕方なく飛び出してきたのではないか?」
めちゃくちゃマジレスされてしまった。
当たり前だろうが。光速戦闘に関しては、一時的な共闘の間にちょっと方策が立ったものの、勝率の根本的な改善には程遠い。正直、全然話にならない。
だが、それでも。
「当たり前です、ここでアナタたちを見過ごすわけにはいかないのですから」
エリン・グルスタルクが、自分の手で選んだ道を進み始めたのなら。
空を駆け抜ける流星として、自分の人生を生きる決断を下したというのなら。
「──死んでも止めますわよ」
場に敵意が満ちる。
単なる静けさとは違う、肌を針が刺すような感覚。
一秒後には片方が死んでいてもおかしくない。緊迫という言葉すら生ぬるい絶死のライン。
「君を殺したくはない」
「それでもやらなきゃいけない時はあります。使命があるというのならなおさらです」
さあ、ぶっつけ本番だ。
抵抗できずゴミみたいに殺されるか、奇跡が起きるか、二つに一つ。
楽勝だな、いつも勝ってきた二択問題だ。
「……ッ」
ナイトエデンが戦闘モードに入ろうとする。
わたくしが拳を握る。
すべては刹那のことだった。
「おっと間に合いましたか──少々お待ちください」
空間が割れた。
わたくしとナイトエデンの中間地点、何も存在していなかった場所に、漆黒の切れ目が入った。
『……ッ!?』
わたくしもナイトエデン側も驚愕に動きを止めた。
何だ!? 予兆も何も感じない、というか出現した今ですら、魔力や加護を一切感じない! 何だこれは、わたくしがまったく知らない異能!?
「危ない、危ない。お二方、どうかお時間をいただきたい」
その切れ目から、ひょこっと、ごく普通の男性が姿を現した。
彼はわたくしとナイトエデンを交互に見てから、口を開く。
「ここで激突した場合、どちらが勝つかはともかくとして、どちらかが再起不能レベルの損傷を受ける、或いは死亡するという結末の可能性が非常に高い。それは不可逆的なものです。どうかその前に、私に話をさせてはいただけないでしょうか」
短く整えられた髪につるりとケアされた肌。優しい微笑を湛えた、いかにもな好人物。
白いシャツに無地のブラックスーツを合わせ、シルクに近い光沢のある黒ネクタイを結んでいる。
元々いた世界で出会えば、葬式の帰りか、或いは誰かの護衛でもしているのかと邪推してしまいそうな、隙のない風体の男だった。
「話を聞くだけなら損はないし、あなたがたの実力なら、私に価値を感じなければすぐに排除してしまえばいい。そう思いませんか?」
「何者だ」
ナイトエデンと彼の補佐役が、瞬時に敵意の矛先をその男へ向ける。
「ナイトエデン・ウルスラグナ様ですね。私はこういう者です」
相手は光の速さで動く存在。瞬きする間もなく身体を粉砕されたっておかしくない。
だがその男は自分の危険性など意に介さず──否、それはどちらかと言えば、今ここが危険な領域であることを知らない、モロに素人の動きで──ナイトエデンへと近寄っていき、名刺を渡していた。
『…………』
名刺に目をやったナイトエデンたちが、完全に硬直したのが見えた。
無理矢理に名刺を相手の手に握らせた後、男は当然のようにわたくしの下へとやって来る。
「マリアンヌ・ピースラウンド様ですね。あなたのご高名はかねがね伺っております」
「あ、これはどうもご丁寧に」
余りにも自然体の営業トークをぶつけられ、こちらもつい前世のノリで応じてしまった。
「私はこういう者です」
両手で差し出された名刺を受け取る。
肩書は『
そしてその名前は──
「
──呼吸が止まった。
今、なんて言った?
「私は、聖なる意志と呼ばれる存在──つまり『七聖使』を生み出した者から外部委託を受けた『仲介業者』です」
凍り付くわたくしに、その瞳を細めながら。
佐藤と名乗った男は柔らかく笑みを浮かべた。
「話を聞く価値はある、そう思いませんか?」